先日まで読んでいた「遥かなるケンブリッジ」で南木佳士氏が解説していた。
「遥かなる〜」に並んでずば抜けて面白いのはこの本であると。
たまたま昨日、この本を買い足したところだった私は、そこに何かの啓示を(笑)感じた…わけじゃないけど。

買ったときよりも期待感をもってこの本を開いたわけだ。

1972年。
およそ35年前。
著者はアメリカの(大学の)招きによって、数学の研究をするためにアメリカにわたる。
初めての海外…だとか。

1年間の留学で、負う義務は研究のみ!だって…。
ああ、すごい、いいなぁ〜と、ちょっとだけ思った。
学生時代なら天国のように感じたかも。
今はどうかな?
羨ましい、と思うのは、きっと、自分が好きなことだけしていられるから。
それでも生活できるから。
そういうことだと思う。
それに、会社員として、社会生活にどっぷり使った今は、きっと罪悪感とかわけの分からぬ不安感や意味のない罪悪感に追い立てられるだろうな。(こんなことしてていいの?とか)
或いは、仕事をしなくても"食べてゆける"という開放感にひたすら怠惰な時間を送るかもしれない。
それは、定年を迎えた会社員が陥る罠にも似て。

アメリカにわたるに当って、受けるであろう文化的地域的人種的ショックを何とか和らげようと、著者は姑息に運動する。
まず。
一旦ハワイで小休止。
 ⇒ パールハーバーにて、意味なく疲れる。
一旦ラスベガスで小休止。
 ⇒ カジノにて、"日本人根性"(笑)を出しすぎて摩られる…嗚呼もったいない…!

外国に出た日本人が陥るのは、「急激なる国粋感情」みたいなもの。
日本が恋しく、何を見ても己が日本人であることを痛感し、何をしても日本が一番と思い、何を言われても日本が侮辱されたと戦闘モードに入りやすくなる。
…ということ。

芥川龍之介がハンブルク港で貨物船のポールにたなびく日章旗に涙したり、若き女子大生が北京の日本大使館の日本車に歓声を上げたり(?)

奇妙な愛国心(?)が一時的に異常にヒートアップする現象らしい。

一時的なものらしいけど。
しょうがない。
島国日本にいる限り、「己が日本人である」ってことは、意外と認識されないものである。
日本人だということが、当たり前なのでわざわざ自覚するほどのものではない。
でも海外へ一歩出れば
「あんたは日本人だ!」
と思い知らされる時が必ずある。
特に、対日感情がよろしくない国では……。
それが酷い。

まるで日章旗かレッテルか何かを背中に貼り付けているような気分になる。
見えない分、厄介だし。
見えないから、はがせないし。
それを通り越して、リラックスすれば、なんともないと思えることなんだけどね。

若き日の藤原先生もまた、こうしてアメリカで気力体力を無駄に消費されているご様子…。

御年29歳のお話である……わ、若い!

ぜんぜんそんな感じじゃないけれど、本当に天才数学者なんだな〜!
吃驚。

ISBN:410124801X 文庫 藤原 正彦 新潮社 1981/06 ¥540

哂い話

2006年5月16日 読書
無人島に男二人と女一人が漂着した。
男たちがイタリア人なら殺し合いになる。
フランス人なら一人は夫、一人は愛人となってうまくやる。
イギリス人なら、紹介されるまで口をきかないから何もおこらない。

イギリス人が冷たく感じるのは、相手に気後れして、シャイで、話しかけたら迷惑かなーと、話しかけないからだそうだ。
だけど、そうとはわからない。
何を考えているのか分からない。
いわんや、馬鹿にしてるんだろ!?という風に見えてしまうんだろうな、きっと。

ちなみに。
日本人なら東京本社へファックスを送り、どうするべきか問い合わせる

これサイテー!やな!(笑)
この人のエッセイは本当に面白い。
次から次へと読み、次から次へと買ってしまう。

これは英国へ留学した1年間を描いたエッセイである。
若い頃にアメリカで研究生活をしていた著者は、英語には困らない…ハズであったが。
(勿論!)
英語と米語はちがうんである。

そうやな…アメリカ人の英語(米語)をふふんと笑うのなら、日本人のアメリカ英語なんか歯牙にもかけてもらえないよな。

しかも、英国人は、米語を蔑む。
レイシズム(所謂、人種差別)をちょっとしたマナー違反、ぐらいにしか思わないのが英国人だから(これもレイシズムかなぁ?)他民族を平気で侮辱する…なんてこともある。

アメリカやカナダからきた研究者の怒ること怒ること!
カナダのヴィクトリアの海岸で、イギリス人観光客がこういうのを聞いた。「殖民地もまあまあになったじゃないか」

ジョージ・オーウエル曰く、
ユダヤ人差別があることは誰もが認めるくせに、自分もその一人であることは認めようとしない
確かに!

それでも紳士の国として尊敬され、研究や学会という世界においても堂々上位に君臨するんだから、どうなんだろうね。これって。世の中ってそういうものなんですかー?(笑)

藤原さん家は、家族を連れての留学だから、いろいろと、大変なわけです。
言葉が出来ないので、コミュニケーションがとれず、間違いが多く、ゆえに子供が学校で苛められる。
コミュニケーションが取れないことと子供の問題で奥さんがノイローゼになる。
やがて研究大事の旦那(著者)と険悪な状況になり、やがて家族崩壊の危機を感ずる…などなど。

その中で、「まけるな日本人!」の古武士の気概でがんばる著者。
暢気な受け答えは緊迫感がないと思われそうだが、これはこの人の懐の深さであり、余裕なんだろう。
こうして衝撃を和らげているのだろうし、しっかと反撃を狙ってもいる。
ただやられてばかりはいない。

いじめっ子は、弱いものを苛める、抵抗しないからかさになって苛める。苛められたものが抵抗しない限り、苛めは終わらない。特に日本人(非白人)だから、という理由で苛められるということもある。
だから、逃げて泣いているばかりではダメだ。
反撃しろ。闘え。

著者はべそをかく息子にそういうのだった。

暴力を指すケンカ、ではなく、学問も研究も友達との付き合いもある種の闘いである。
自分を分かってもらうためには、ちょっとでも理解させるためには、一歩前に出るしかない。

とはいえ。
皆が皆、闘えるわけではない。
それほど強くないものもいるし、今は強くない、というものもいるよね。
将来は闘えるとしても。

いや〜、しかし。
闘ってるよな、この人は(笑)

さて、そんなイングランド人の外国人観。
面白かったので挙げてみる。いかに彼らがレイシストかってことの証明でもある。( )内は私の私見。
・中国人=ずるい、礼儀正しい(ホンマですか?!…いや、本気ですか?!)
・日本人=残酷、働き蜂
・アメリカ人=自慢好き、金持ち(羨ましい…)
・ドイツ人=戦争好き、効率的
・ロシア人=合理的、我慢強い(誉めているのではないような気がする。鉄のカーテンの中でよくガマンしたってこと?)
・イタリア人=臆病、陽気
・フランス人=情熱的、頭のよい(おや、意外。文化の経由地だから一応上にポイントが高い?)
・スペイン人=陽気、誇り高い
・ユダヤ人=音楽好き、金銭欲の強い
・スコットランド人=卑しい、ケチ
・アイルランド人=短気、飲んだくれ(じゃぁ、ライミーって誰?)
・イングランド人=ユーモア、スポーツマンシップ(自画自賛も此処まで…)(笑)

有色人種でなければ、外見では判別できなくても、そのルーツが知れると途端に態度が変っちゃうらしい…英国人ってのは。
世界中にケンカ売ってる民族なんだろうか…?
ああ、でも、そういうことが"いけないこと"だなんて感覚がないんだろうねぇ。

そうそう。
オックスブリッジ(オックスフォード&ケンブリッジ)のフェロー(教官)は、男ばーっかりで、昔は生涯独身(1882年まで結婚が認められなかった)だった。
うすぐらい蝋燭の明かりのもとで古くてでっかい机の周りに男が集まって夜遅くまで宗教だの哲学だの科学だの語らうことだけに血道をあげていた(女性の進出は20世紀後半になってからようやく認められた)…なんてなんて社会だと非難する著者に、冗談めかして「オックスブリッジは準ホモ社会である」なんつー発言も飛んでいる。(ちなみに発言者はカナダ人である)
要は、「異性間の愛より同性間の愛をより純愛とみなす傾向や、ピューリタニズムに対する反感」そして、「イギリスのインテリ階級では、男同士の友情が我々にとって気味悪いほど濃厚、ということ」らしい……。

でもって、そう思わせてしまうぐらい、英国女性は○○なんだそうだ(笑)

ふ〜ん。

ISBN:4101248044 文庫 藤原 正彦 新潮社 1994/06 ¥460
【数学者の休憩時間】には、多くのエッセイとともに、なくなった父を偲び、たった2年前に父が訪ね歩いたポルトガルを、日記を記録(宿や食事、立ち寄った場所や合った人などが詳細に記録されている)通りに後を追う、息子である著者(正彦)の姿がある。
…著者にはそのつもりはないのかもしれないが、読み手の心を揺さぶり、どうかすれば、思わず涙させる記述である。

前年に急死した父の死を心の中ではまだ認められない自分、そしてそれ以上に認めていない母を想いながら、旅をする。
あまりに唐突に、そして志半ばで命を終えねばならなかった肉親の心情を、近くにいればいるだけに分かるものとして、その口惜しさを思いを、わがことのように、否、わがこと以上に感じるのは当然のことだと思う。
自分にもその思いがあるからなおさらだった。
そこで、ここで一度その父である人について調べてみようと思った。(手抜きながら)

『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用
新田 次郎(にった じろう、本名藤原 寛人(ふじわら ひろと)、男性、1912年6月6日 - 1980年2月15日 )は、日本の小説家、気象学者。
長野県上諏訪町(現 諏訪市)角間新田(かくましんでん)に彦、りゑの次男として生まれる。彦の兄に気象学者藤原咲平がいる。筆名は、新田の次男坊から。
旧制諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現電気通信大学)卒。妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。

<略歴>
1932年 中央気象台(現気象庁)に入庁し、富士山観測所に配属される
1939年 兩角(もろすみ)ていと結婚
1940年 中央気象台布佐気象送信所に転勤。長男・藤原正広誕生
1942年 中央気象台母島測候所建設に工事担当官として赴く
1943年 満州国中央気象台に、高層気象課長として転職。次男正彦誕生
1945年 長女咲子誕生。新京にて、ソ連軍に捕虜とされ、中国共産党軍にて一年間抑留生活を送る。
この体験を妻・藤原ていが『流れる星は生きている』としてまとめた。
1946年 帰国。中央気象台に復職する。
1951年 サンデー毎日第41回大衆文芸に『強力伝』を応募現代の部一等に輝き、作家活動をはじめる。丹羽文雄主催の「文学者」の同人になる
1952年 武蔵野市に転居する
1956年 『強力伝』にて、第34回直木賞を受賞
1961年 気象庁測器課の気象測器調査のため、3ヶ月渡欧
1963年-1965年 気象庁観測部補佐官・高層気象観測課長・測器課長として、富士山気象レーダー建設責任者となり、建設を成功させる
1966年 退職
1974年 『武田信玄』などの執筆活動に対し、吉川英治文学賞受賞
1980年2月15日 心筋梗塞のため武蔵野市の自宅にて死去。長野県諏訪市の正願寺に葬られる
初めての小説は、1942年〜1945年の間に書かれたと思われる、藤原廣の筆名の自伝小説『山羊』で原稿用紙7枚。内容は、半生を振り返り抑留生活の辛さと今後作家として活動していきたいと言う決意の表明となっている。

帰国後は、伯父の気象の第一人者咲平が公職追放されるなど気象台自体が組織として混乱しており、気象台はバラック立て隙間風が吹き抜ける状態であり給与も微々たる物で大変な困窮であった。1949年に、ていの書いた『流れる星は生きている』がベストセラーになり映画化もされ、大変に生活が助かったため作家活動を考えるようになる。手始めにアルバイトとして、教科書の気象関係の執筆を引き受けたり、ジュブナイル小説『超成層圏の秘密』『狐火』などを著した。

気象職員として最も知られている仕事に富士山気象レーダー建設がある。これは、1959年の伊勢湾台風による被害の甚大さから、広範囲の雨雲を察知できるレーダー施設の設置が要請され、無線ロボット雨量計で運輸大臣賞を受賞するなど気象測量機の第一人者にして高山気象研究の専門として携わり、完成後その当時世界最高(高度)・世界最大であったため、そのノウハウを国際連合の気象学会での説明するなど明け暮れた。またこの工事に関してはNHKの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』第一回で取り上げられた。

1966年、定年まで文筆一本に絞るため退職を決意したが、果たして作家一本で食べてゆけるか大変懊悩し、定年まで後6年残っていたことであることから定年を待とうとも考えた。退職に際し、気象庁の引止めは大変激しいものであったと言う。

その小説は大変に緻密で、小説構成表(年表のように縦軸と横軸を設定し人物の流れを時系列に当てはめたもの)を先に作成してから執筆に取り掛かった。司馬遼太郎が新聞記者であった頃原稿を依頼しに行ったが、原稿を受けることができない理由として勤務時間・執筆時間・病気になる可能性などをしっかりと並べて断ったと言われる。また山岳小説と呼ばれることを大変嫌い、「平地を書けば平地小説でしょうか」と切り替えしたと伝えられる。

 彼の作品は山岳小説をはじめとする「夢と挑戦」をコンセプトにしているが、題材として、歴史上の人物や科学者や技術者、また強い意志で道を切り開いた人物を描いた人物伝・公害やリゾート開発などに伴う問題を取り上げた作品・海外での経験を生かした作品・科学者としての作品など多彩にとった。ビーナスラインに関して『霧の子孫たち』で反対を示したことは、自然保護運動を盛り上げさせる契機となった。

<作品>
蒼氷・強力伝・縦走路・富士に死す・孤高の人・銀嶺の人・槍ヶ岳開山・珊瑚・八甲田山死の彷徨・アラスカ物語・怒る富士・栄光の岩壁・武田信玄・武田勝頼・新田義貞


【父の旅 私の旅】は、父・新田次郎氏の絶筆となった「孤愁ーサウダーデの石」の取材のため、主人公であるモラエスの故郷と彼を生み育てた国・ポルトガルを見ようと新田次郎氏がでかけ、その死後、同じ道を辿った著者・正彦氏のエッセイである。
出会う道・出会う町・出会う人々、そして出会う貧しさ。
欧羅巴と一元的に見てはいけないポルトガルの貧しさがそこにある。
そして日本と、余りにも似ている。
父と子は同じように感じ取るのだった。

ファドー悲しみの歌で知られるポルトガルの人・モラエスは19世紀に日本を訪れ、日本人と結婚し、先立たれた妻の墓を守ったまま日本に骨をうずめた。

「サウダーデとは、愛する人やものの不在により引き起こされる、胸の疼くような、あるいは甘いメランコリックな思い出や懐かしさ」といわれている。

望郷も懐かしさも、会いたいが会えない切なさも、すべてサウダーデなのだ。
それは単なる悲哀ではなく、甘美さと表裏一体をなしている。
大学の町・コインブラに詩人テイシェイラのラテン語の詩が石に彫られている。

サウダーデの石ここにあり
麗しき石ここにあり

私の胸に生きている
私の心のコインブラ

孤独にも似た哀しみを
涙の後の安らぎを

ここに歌って青春の
熱き想いを眠らせる

軽くはないエッセイに、私も自分の気持ちを重ねて読んでいた。
言葉には出来ないサウダーデを感じながら。
「国家の品格」を読み、"面白い"と嵌まってしまった著者の本(ただし文庫本ばかりだが)を纏め買いする。

一応入手できたものを年代順に読んでいこうかな、ということでその第一冊目にあたる。
好き、とはいえ見境無しに買ったわけではないので、トコロドコロ抜けている。

「国家の品格」では、目からうろこ状態であったが、この人の書いているのは、エッセイが一番面白い。
日常生活の、ごくごく普通にあることをよくこれだけ人に読ませる魅力たっぷりに描き出せるものだと感心する。

しょっぱなは、奥方の出産(初産)についての記録。
日本ではなじみの薄かったラマーズ法による出産を試みる藤原夫妻だが…。
本人も奥方も、そしてお母さんも、なんて個性豊かで人間的魅力に溢れた人たちなんだろうと唸らされつつ先を急いだ。
夫が同席するラマーズ法に、及び腰の著者…。
そうか、話には聞いていたけれど、男の人ってそんなに血に弱いのか?
それでよくパニック映画とかバイオレンス映画とか格闘技とか見てるよなー?とこっちにも感心しつつ。

女の人が全員、子供を生むことに恐怖なんか感じていない。とっくに諦めて覚悟がついていると思い込んでいた。

…と男である著者が驚いている。
そんなもの。
人間皆に死ぬ覚悟が出来ているかどうか?というのと同じでしょ?
女だから、平気だなんてそんなものない。
同時に、男だから平気だってこともない。
そして、なによりも自分が平気だから他人も平気だなんてことはありえない、ということですねー。

ただし。
数学者だから当たり前だが、専門的分野に話になるとこの方ものめりこむ。
読み手は素人だと了解しているからそんなに小難しいことは描いていないはずだけど、それでも夢中になるからか…充分難しいです、藤原先生。
特に数学…物理・化学よりゃマシだけど(地学は好きだった私)。
嗚呼、や〜め〜て〜である。

数学…嗚呼うっとり、なんて美しいのだ…

と恍惚としているあたり、青池保子氏のニジンスキー(イヴの息子たち)を思わず連想してしまう不遜な私であった。
いやね、人それぞれだから…べつに止めないけど。

それと、「数学なんて学んでも生活に役に立たない」と高校生あたりは言ったりする。
だけど、役に立たなくはない。
微分積分は使わなくても、就職したら自分の給料とか賞与とか査定とか営業成績とかまあいろいろ…数字を真剣に検討しなくちゃいけないときは山ほどある。
年をとっても脳みそが呆けない…呆けるのを抑制する働きもある。
そして今、とりあえずは、
つり銭を間違えたり、足し算が出来ずに(お札ばかりで精算した結果)小銭ばかりが幅を利かす重い財布を持たないですむ。

ISBN:4101248036 文庫 藤原 正彦 新潮社 1993/03 ¥500
高橋先生の「ちょっとヘンだぞ四字熟語」の話のひとつ。

夏目漱石が京都の祇園のお多佳さんという才人(もと芸者)と交流があって云々…の話だ。
実は恋人だったらしいが……。

彼女は、上村松薗(女流画家"序の舞い"とかね)や平塚らいてう("原始女性は太陽であった…!")などと並んで名前を知られた女性だった。

その中で、彼女の生まれを祇園の大友楼という。
新橋の縄手。
四条通縄手筋といえば、そこはいまでは一銭定食(お好み焼きに類似)やおすしやら(勿論お酒を飲むところも!)雑多な飲食店が所狭しとごちゃごちゃと並ぶ場所である。
ただし大友楼は、四条ではなく三条に近かった様子。

かの吉井勇が歌を詠んだのはこの大友楼でのことらしい。
そして、歌が若干違うのだ、と谷崎潤一郎は言っているらしい。
かにかくに祇園は嬉し酔ひざめの枕の下を水の流るる
というのが正解なんだそうだ。
桜の名所であり、京都モノを撮るときには必ず出てくる名所・祇園白川にある歌碑には、
かにかくに祇園は恋し寝る時も枕の下を水の流るる
とある。
どちらが宜しい?
屋久島の宮之浦岳。
…九州一番の高さだそうです。
へ〜そうなんやぁ〜。
感心。

景色もいいけど、大変そう。
山登りって確かに大変なんだけど。
充実感というのかな、一歩一歩の積み重ねが、ほら、あの高い山を越えたんだよ!という気にさせる。
これはこの本でも著者が語っている。

中学生の頃までは、私もよく山を登った(本格的な登山ではなく)
公の宿泊所(山の家みたいなところ)にも家族で泊まったことがある。
山の麓の宿泊所で泊まる理由は、翌朝早くに出発して、山を越えてその向こう側にたどり着き、列車に乗って帰ることが出来るってことだ。
つまり、田舎の列車がまだ動いている時間に山の向こう側に下山しなくちゃいけない。
その駅まで"歩いて"たどり着かなきゃいけない。
でないと、「野宿だなぁ〜(笑)」だってこと。
いたいけな女子中学生にはキョーフではある。

お陰で、獲物を捕らえて逃げ去るイタチの尻尾だとか、坂道を斜めに横切るマムシだとか、妙に低いところに作られたトンビの巣だとか、見せてもらった。

おお、登った山はさほどでもない。
名前だけは有名な、「大江山」である。

…鬼が棲むってとこ。
夏の盛りだったのに、頂上近くには薄の原が広がっていて、とても素敵だったことを覚えている。

山を越えて、田圃道を駅に向かっているとき、いきなりつま先に帰るが飛び出してきて吃驚した。
普通の蛙だったのだが、驚いて足を止めた私は、次は凍りついた。
その後を追って、蛇が…うねうねと、しかしかなりの速さで草原からつま先に飛び出してきたからだ。
一瞬迷ったような蛙は、私とは反対の方向へぽーんと飛んだ。
そして、もう一度、ぽーん。
草原へ、田圃へと逃げていったその後を蛇はうねうねと追いかける。
その姿はあっという間に消えた。

……怖かったです。
蛇はもともと嫌いだったけれど、命のやり取りが、リアルに迫ってきたそのことが。

「slight sight-seeing」は「屋久島ジュウソウ」の後ろに収録されている、著者の旅の紀行文。
14の話を収録している。

その中の、「忘れられない味」に私もひとつ、付け加えたい。
仏蘭西の片田舎のホテルで毎朝出てきた"ショコラ"
頑迷な紅茶党の私が、毎日これで朝を迎えた。

勿論ショコラだから、チョコレートのお仲間。
だけど、なんとその舌触りのあっさりとしてするりとしてとろりとして…要は美味しいってこと!(笑)

忘れられない…(うっとり)
誰かのレビューと新聞広告が重なったので、興味を持ち、その勢いで注文していた〜のを忘れていた〜。

高島先生の本も面白いのだが、ただでさえ疲れて不機嫌な会社にもって行くには少々肩がこる。(というか、どんな表情で本を読むであろうか、想像するだに恐ろしい)
何も考えずににへら〜と笑って心温まる本が欲しかったので、こっちにした。
(高島先生の本は週末に読もう)

屋久島。

鹿児島へ飛行機で行くと、やたらと混むのは南西諸島への海水浴客とか、このしまへの観光客とか、そーゆー人たちのせいである。
親戚の多くが住む鹿児島へ、お盆だとかお正月だとかに"絶対行くもんか"と私が固く決意するのはそのせいだ。

最初は思ったものだ。
鹿児島便なんて、なんでそんな端っこの便が混むのか?
彼らの目的は鹿児島ではない。
ここで小型機に乗り換えて、日本とも思われない太陽と緑と濃密な酸素に満たされた楽園へ、旅だって行くからだ。
気持ちは分かる。

分かるけど…嗚呼、ぎゅうぎゅう詰めはいや!
1時間に満たない飛行だけど、いや!

そして、屋久島。
此処も是非行ってみたい。
縄文杉を見てみたい。
1ヶ月に35日雨が降る…なんて失礼なことを言われているけど、その実多くの日本人が憧れている場所でもある。

もともと体力には自信があった。
元気だけがとりえだった。
だから…若いうちに、元気なうちにいければ良かったんだが。

今となっては無理。
なにより腸に障害を持つ身では、無理。
屋久島の縄文杉はテレビか写真で見るしかない。
ちくしょう…

ま、若くて元気な時はお金がないから(笑)
遠方は無理ですな。
で、そこそこ自由になるお金が出来る頃には身体の無理が利かない。
上手くした(?)もんです。

ISBN:4087748022 単行本 森 絵都 集英社 2006/02 ¥1,575
うるさ型の著者は、1937年生まれの、古稀に近い文学者。
大学で教鞭をとり、小説も書く。
中国語・中国文学が専門だったから、漢字や日本語使いに非常にうるさいこだわりをもつ。

(なにせ本だから)大抵一人で語っているので、丁々発止の論争、とまでは行かないけれど、かなりの毒舌。
はっきり物申すお方。
その言い回しは、しかし、直球(ストレート)ではなくて、面白いけどね。

四字熟語辞典、というのが良く売れている。
ソレがまず、気に喰わない。
そもそも四字熟語とはなんであるか!
そんなへんてこりんなものはないぞ、と仰る。
人々が日常に使っている言葉、その中で音もよく見た目も良く、調子も良く、意味を端的に表していると認められ、多くの人に使われるようになった単語が"成語"として市民権を得た。
それをわざわざ熟語であると名札をつけて分類しなければならないとは……と、名だたる事典を実名で(笑)知識の不足を指摘し嘲笑し民衆を啓蒙する(笑)

だいたい、現代日本人の多くは、その成語の使用方法からして間違っているし…(笑)
それは失礼!
でも、使わない言葉は死滅するし、使えない言語は滅亡する。
意味が違っていても使われるだけマシだと思うけれど……ダメ?

ところでこの本の文章は、雑誌だかに連載されていたものらしく、いちいち熱心な読者から熱烈な賛成、反論いろいろと寄せられている。
ソレをまたご丁寧に紹介し、それに対して反論をする。
そのサマは、「素人相手にそこまで…」と思うぐらい。
それぐらい、向きになって(?)身の証を立てたりする。
途中、拗ねてるようにしか見えなかったりもするから、笑える。
変った先生である。
実に面白いセンセイである。

四字熟語事典なんか、誰が使うんだ。
使うとしたらよほど頭の悪いヒト…

と滔滔と述べた直後には、「それは漢字パズルの参考資料」と指摘された。
私も同じことを考えていた。(頭悪くてわるかったなーと(笑))
また、パズルの参考資料というだけではない。
ひとつの読み物として、こういう事典は"かなり"面白い。

特に病床でベッドから降りることも、起き上がることも許されない身には、コンパクトで野次馬知識(雑学とも言う)のぎっしり詰ったこの手の辞典類は格好の読み物になる。
第一、雑誌は広げると大きすぎて手が疲れる。
すぐ読めてしまう週刊誌では、次から次へと看護人(ほぼ家人)の手を煩わせる事になる。

ほらね。
やっぱり、コンパクトで、中身のぎっしり詰った、雑学事典が一番なのだよ、アケチクン。

ISBN:4163679804 単行本 高島 俊男 文藝春秋 2006/03 ¥2,000
否、なるも、似たり。

明治が偉大で、でも終わった。
続く大正デモクラシーのなか、民衆がすべて参加する(という建前の)空気が、日本人のなにかを変えていった。

恐怖から、人=国となり闘った、日露戦争。
その後、軍隊は、日本人は変質していく。
あの、素晴らしきひらめきと考察と洞察をもっていた人たちが作り出したのは、なんと偏った矮小な国家であったのか。
何ゆえに?

第二次大戦後、日本は同じように平和を、国際協調を求めて、その理想に向かってひた走った。
それは理想に続く道だった。
そして21世紀に足を踏み入れた今、この日本がある。
…なにが、どこで、どうして?
理想に燃えてひた走った結末がどうしてこうなってしまったのだろうか?
何ゆえに?
よい時代がよいものを次代に引き継ぐとは限らない
尤もである。
著者のその言葉が、痛い。

「坂の上の雲」がどのような時代にどのような背景をもって書かれ、読まれたものであるか、私はこの本「坂の上の雲と日本人」で初めて知った。(だって当時は穢れなき(笑)小学生だったんだから、しょうがないもーん)
この本が出て、それから日露戦争の研究が進んだそうだ。
なんたる怠慢…とはいえない。
昭和40年代。
まだまだ戦争への忌避感は、反動は強い。
戦争に勝った、ということを喜ぶ、ということが許されない時代。
しばらく前に買って、ぱらぱら読みして忘れていたのだった……
いかんなぁ。
最近、本当に忘れっぽいぞ。

意識していなかったけれど、司馬遼太郎って、作家らしからぬ文書を書く作家だったそうな。

そうなのか〜。
私は司馬氏の小説は、好き嫌いがとってもはっきりしているので、そこまで悟ることが出来ないでいる。
まだ。

でも「坂の上の雲」は、私の最高に好きな小説。
多分、私が一番好きな司馬作品だ。
だからこういう本にも簡単に引っかかるんである(笑)

「燃えよ剣」(新撰組譚)も好きだったが、これはどっちかといえば、テレビドラマのイメージと影響が強い。
苦みばしった土方(栗塚旭)が格好よかったなぁ〜。
安浦刑事の上司が、まさか沖田クンをやっていたとは今の若者はなかなか信じられないのではないだろうか?(愚妹はなかなか信じようとはしなかった)(笑)
さわやかな〜え〜笑顔やったなぁ〜。

ソレは兎も角。
「坂の上の雲」は私だけでなく、愛読者の層も広く数も多い。
そしてとても印象深い。
何度も読み返し、瞑目してそのシーンを思い描き、脳裏に刻み付ける、というか勝手に刻みつく(笑)ぐらい、好きな小説だ。
まあまず、数年後に筋を忘れて同じ本を買い込み、既視観に襲われつつ読む、という小説とは違う。

明治は、単純だったから。
人も国も国を愛する感情も。
だから良かった。
ノーテンキに、自分も周囲も愛せたから。

アイデンティティ。
という言葉を、司馬氏は「お里」と捕らえたのだそうだ。(とこの著者は述べるのである)
「お里が知れる」
のあのお里である。
この発想はすごいと思った。
とっても気に入った。

だいたい、お里というのは、決して…つうか絶対、良い意味では使われない言葉である。
普通は、くすくす笑いとともに口にされる侮辱の言葉だ。(よね?)
それを、いい意味でしか使われたことのない(と私は理解するのだが)"アイデンティティ"とイコールで結ぶとは…。

ノーテンキな(笑)時代は、アイデンティティは、すなわち、お里であり、郷里であり、国である。
すなわち、国を愛することによって、自分が生まれた土地を場所を周囲を自然を環境を愛することによって、初めて生み出されるものがアイデンティティなのだと。

今でも日本以外の外国はアイデンティティをしっかともっている…ような気がする。
自信をもっている。
日本人は自信をもてない。
それは、アイデンティティをもてないから?
生まれた土地を国を人を愛せないから?

確かに。
愛国、と言う言葉に含まれる意味が、ず〜いぶん毒素となって私たちのDNAに沁み込んでいるから、これを搾り出すのはとっても大変そうだ。

国を愛せよとか、愛国心という言葉ばかり一人歩きしている昨今のこの国の状況も気になる。
本当に日本の人と国の行く末を苦慮する人の言葉までが、なんだか歪められて行きそうな不安も感じなくはない。
(くら〜い過去と事例が山ほどあるからね。いちいちそれに比べてしまうのだ。)

人も国も、複雑なんである、日本は。

「坂の上の雲」は小説らしからぬ小説なんだそうだ。
これを面白いと思うのは、歴史好きの人たちが、当時の庶民に視点を変えて、世の、日本の世の激しく動き移ってゆこうとするそのときを体感できると思うからかもしれない。
日露戦争が避けられないと思ったとき、我々の心も震える。
恐怖で。
未来の暗さゆえに。

暗澹たる進捗の戦いには投げやりな気持ちにもなる。
もう止めてしまいたい、放り投げてしまいたいと暗い気持ちで祈りもする。
どうやらこれは、他人様の話ではない。

その、歴史を眺めるのではなく、一緒に歩いてゆくような気分が、この小説に魅かれる大きな理由かもしれない。

ISBN:4163680004 単行本 関川 夏央 文藝春秋 2006/03 ¥1,800
独特…というほどでもないかもしれない。
でもあの時代の口調というか、文語ではないが口語としてもちょっとニュアンスが違う、というか。
なんだか味があるというか、その口調で紀行文を書いているから、嵌まると面白い。

何を読んでも、面白い。
笑える。

大真面目で書かれたその調子に、一瞬遅れて爆笑する。
殿はどこまで本気なのだろうか?

まるで、漫才を聞き、落語を読んでいる気がする。

殿様日記…たかが100年ほど前の、東南アジアでの狩猟日記が、どうしてこんなに面白いんだろうか?

順位変動あり

2006年5月9日 読書
虎 ⇒ 象 ⇒サルタン

               に変りました。

(でもやっぱりサルタンが一番!なのだな)

野象はね、
暴れると手当たり次第なぎ倒し、踏み潰しをするから、樹によじ登っても倒されたり潰されたりするんだってさ。

怖いですね〜。

そういえば。
昔、動物園で、人が集まっているところを狙って水をかける象がおりました。
いたづら…なんて可愛らしい理由じゃなかったのかもしれない……。
もしかしたら。(本気でケンカを売っていたりして)

犀と野牛は出てこなかった。
残念。
蛭と猿と蟻はでてきたが。
(どっちにしろ、行きたいと思うような場所ではなかった)

今は学会でジャワに向かっておられます。
わさわさと。
家族も同行して。

むかし大噴火してできた島嶼を訪ね、天然記念物だからほんとうは小石一個草一本もって帰っちゃいけない場所なのに、その手の専門家の団体だからって「とり放題」とはこれいかに。
戦前だよなぁ〜。
ある意味太っ腹だ。
"殿"は、ポケットにしこたま軽石(火山で吹っ飛んだあとの島だから)を詰め込んでお土産にするご様子。
殿様…庶民的すぎるよ。

順番

2006年5月8日 読書 コメント (2)
殿の狩りが、いよいよ始まった!

なんとサルタンまでお出ましになっての大狩猟大会のご様子。
象も結構あちこちの農園を荒らしまくる(当るを幸い破壊しつくすそうな。象はけっして"知的で大人しい"ばかりのヤツが揃っているとは限らないらしい)のでかなりの害獣性をアピール(?)しているのだが、やっぱり目標といえば、キング オブ ビースト(アジア限)、タイガーであろう。

象は人を喰いにわざわざやってはこないけれど、熊とか虎とかは、味を占めたら人を狙ってくるからな。

日本で言うところの勢子を村から有志を集うのだが(っていうか、王様の命令だし)、虎は恐れられているので(当たり前だ)人は集まりにくい。
本当は。
ところが、サルタンのお召しであるとなれば、希望者続出……ほんまか?

曰く、

象 ⇒ 虎 ⇒ サルタン の順に怖さアップらしい……

順番ね、順番。

しかし…どんな酷政をやっとるのだ?

「今までに虎を40頭しとめた」
なんていっているサルタンが、
「身体が弱いので日本まで行けない」
と仰る。
当時の旅はそんなにハードであったのか。
十五分ばかり下ると海岸にでました。目の前にはマラッカの穏やかな海が展けていて、浪の上には幾疋かの鰐が頭を出しておよいでいるのが見えます。舟を下ると、その前面の椰子畑に虎が潜んでいるのだそうです。
嗚呼!
なんと穏やかで美しい自然の描写…(笑)
鰐が淡水である川から出るのはルール違反である。
私は断固それを主張したい!

当時の彼の地の開拓というのは、本当に命がけだったのだな、とまたしても思い知らされた。

…そして、狩りの特等席は、虎の(勢子らに追われて出てくるであろう)正面!

殿の場所である。

さあ、さて、いよいよクライマックス…か?
まだ最初の100ページをちょいと過ぎたばかりだが?
スレイヤーズも26巻…しみじみするまもなく、ばかばかしい大笑いの旅は続く。
最近では"変な人"が普通になってきて、ナーガの個性が沈みつつあるのが非常に哀しい。

あ、こっちが慣れただけか?
世の中が、この世界に近づいてきたのでは?という怖い想像も出来るが。

そろそろ…というか、シリアス路線の方も気になる(また書いて欲しい〜)が、読んで笑えるこっちの方が気は楽。

ただ……皆、どうしているかな。
元気かな?
キメラなんか出てきたら、思い出しちゃうよ〜。
混ぜ合わせたジュース(カクテルでも可)を元に戻せますか?の君。
(けっこー気に入っていたのだ)
え?終わってたっけ〜?(記憶にない)(笑)

天邪鬼な切り口と逆転サヨナラホームラン的なラストは、久々に気持ちのいい短編がそろったなぁ〜というのがこの26巻の総合的な感想であった。

ISBN:4829118113 文庫 神坂 一 富士見書房 2006/04/20 ¥546

じゃがたら紀行

2006年5月7日 読書
著者は、元華族。
しかも、尾張徳川家の(養子だけど)係累…であろうことは、名前を見れば分かる。
勿論のこと。

紀行文を遺そうと思ったきっかけは。
野象(凶暴らしい…)の咆哮に、目を覚まし、寝られなくなったときにふと思いついた。
とのこと。

同時に、日本人の南洋進出を止めているのはほかならない日本政府だと嘆いている。
先に読んだ金子光晴氏の紀行文「マレー蘭印紀行」でも、東南アジアに点在する日本人の"商売"が上手くいかぬ、娘子軍(所謂商売女みたいなもの)の撤退指示が出ていること、などなど…触れられていた。
時は、金子氏の昭和初年より数年を経ている。
日本人がどれほどかの地に残っていたのか、活動していたのかは不明ながら、その勢力の年々弱っていったことは創造できる。

ただ、この本はそれらとは趣をことにするようだ。
目次を見、挿入写真を見る限りは、虎を狩り、鰐を狩る狩猟の日々。

そればかりとは思われぬが、最初の"狩猟"のきっかけが、北海道に移植したもと尾張藩の人々のため(だけではないかもしれないが)、ヒグマを退治することだ。

正真正銘のお殿様だよ…。

お殿様の紀行文。
何が出てくるか、楽しみだよね〜。

ISBN:4122007356 文庫 徳川 義親 中央公論新社 1980/01 ¥462

マレー蘭印紀行

2006年5月7日 読書
実は表紙は違うが、レビューの出るほうで。

金子光晴といえば、詩人で有名だが、その詩集を私は読んだことがない。
もともと詩は苦手である。

彼が昭和初年に、夫人・森三千代を伴ってパリへの旅へ出た。
その途中(当時のこととで、旅は時間wかけての船旅になる)、東南アジアの諸国を訪れ、そこで見聞きしたことをなんとも言われぬ幻想とそら恐ろしい悪夢がない混じったような描写で綴る。

今でいうところのエッセイ〜旅行記になるのだろうか。
それにしてはあまりにも、幻想的過ぎる。
まるでこの世のものではない。

私の狭量な体験からでは、20年以上前の中国大陸の、宜昌という町の夜、ちいさな電球だけに光を頼るその町の、あたかもロウで出来た人形のように動かぬ老人たちの、その光景を思い出させる。

昭和初年のこととで、日本の大陸進出は明白であり、東南アジアに早くから進出していた華僑には嫌悪の目をもって迎えられている。
ただ、旅行者である日本人に対する憎悪は感じられない。
だが、ゴム園や鉱山を経営する日本人にとってはどうだろう。
その記述は見当たらない。

そして金子氏は、華僑のことを"締め殺しの樹"と呼称される南方樹にたとえもする。

南方に(大手企業の)会社員として、または冒険者、一角千金を狙って進出した日本人は、やがて密林の猛獣や川に潜む鰐などによって姿を消し、その行方に気を払うものとていない。
遠い日本から売られてきた女たちもまたしかり。
そこに戦争の影がいやます。

ここは人が消えても不思議ではない土地。
誰が消えても気にしない土地。

黄色いランタンに蝙蝠が飛び、天を指す棕櫚の間から大蛇が落ちる。
すべてが夢(しかも悪夢)のような出来事が、じっとりと汗ばむそのけだるさの中で起こる。

……当時の旅行、当時の生活のならいとして、こんなことは別に特筆すべきことではないのだろう。
だけれども、当時の人は「丈夫だった」と溜息をつくしかない。
今の私であれば、否、衛生観念というお題目のもと、すっかり抵抗力を失ってしまった若い日本人であれば、10日ともつまい。(これには自信がある)

この瘴気溢れる悪夢のような地へ、はるか欧羅巴から、中国大陸から、そして極東の日本島から、人は争うようにやってきた。
そして悪夢を手に入れる代わりに命を削っていく。

猛獣や大蛇と命のやり取りをする。
そして、時には勝ち誇る。

そこには、いったい、どんな、真実が、あるのだろうか。

今現在、東南アジアはリゾートの地。
そういわれるまで、この地はどれだけの犠牲をはらったことだろう。

その中で、ジャワの珊瑚島に関する記述だけが、砂漠での清涼水のように降り注ぐ。
美しいさんご礁。
恐ろしい鮫も、獰猛な鰐も、飢えた猛獣も大蛇もいない。
だが、人もいない。
そそくさとやってきて、そそくさと逃げてゆく。
人も住めない。
清涼すぎて。
否。
住むべき場所ではないのだろう。
でなければ、命を終えた時に、行くべき場所がなくなるのではないか。
それが恐ろしい。

この紀行文に彼の詩は存在しない。
彼の言葉が、熱病に浮かされた悪夢が、あるだけだ。

ISBN:4122044480 文庫 金子 光晴 中央公論新社 2004/11 ¥680

確信

2006年5月6日 読書
およそタイガースというチームは。

応援をすると絶対まける。いわんや優勝などという言葉を口に出してはならぬ……
(「マンボウ阪神狂時代」より意訳)

嗚呼。
確信する。
そう思っていたのは私たちだけではなかったのだ。
五十数年ファンであらせられたドクトル・マンボウこと北杜夫氏がそういうんだから間違いない。

応援しないほうが勝つ。
テレビ中継を見ないほうが勝つ。
……だから、ウチでは阪神・巨人戦では、敵チームである巨人を応援することにしているのだった。

ほんま、気ぃつかうわ。
久々のブギーポップ。
その不可思議な世界に「ああそうだったなぁ…」と思うひととき。

オルフェってのは、ギリシャ神話のオルフェウスのこと。
日本神話のイザナギ・イザナミと同じことをした…というのは、なくなった奥さんを蘇らせようと黄泉の世界まで出張して失敗した…。

各章を神話の登場人物(じゃないけど)になぞらえて構成。
その内容はといえば、あくまで不可思議で、救いようがない。
色の決まっていないまま、行くへの分からぬまま流離い、そして消えてゆくような。

自己昇華⇒自己消滅してしまったようなラスト。
神話になぞらえると謎にもうひとつ謎を引っ掛けたようでなおさら不可解になる。
最も、それがこの作品の特徴であり面白さでもあるのだ。

では、この(神話になぞらえた)場合、死神の存在意義ってなんだろう…と、余計に考えさせられる一作。

<追伸>
あの衣裳(筒型帽子とマント)の下が、ミニスカートの女子高生…ってのは、ちょっとミスマッチでは?
というか、頭で分かっててもイラストを描かれると、ついと力が抜けますがな(笑)

ISBN:4840233845 文庫 上遠野 浩平 メディアワークス 2006/04 ¥557
という本がある。
どこで売っているのか…。
私が知っているのは、「平等院」の売店。

その名の通り、ご推察の通り、最近修復なった(別に拝観料300-を徴収している)鳳凰堂の内部のCG復元図を掲載した本である。
これがまた、とっても綺麗。
これは……嗚呼確かに極楽浄土に直結していると錯覚するかも?と思えるぐらい見事な彩色。

もしかして、と思ったら、案の定NHKが一枚噛んでいた(笑)
やっぱりな……。

一冊千円。
けっこー薄い(笑)
薄いけど綺麗だ。

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