此処のところ、嵌まりにはまっている藤原正彦氏のご母堂、藤原てい女の手記である。

大正7年生まれの彼女は、気象台職員の夫について満州・新京へと向かった。
昭和18年のことである。

18年という年号が何をするかは日本人ならようく分かっている。
終戦まで2年。
たった2年。
そしてそのときは来た。

ソ連軍が南下してくるとの知らせに、身の回りのものだけをもって逃げねばならなくなったとき、まず、信じられなかった。
昨日までの平和な生活を、二階の窓から見下ろした庭の畑のトマトや、風にそよぐカーテン下に健やかな寝息を立てていた赤ん坊の姿・映像に感じつつ、「生きるためには逃げねばならぬ」現実味のないその現実に目をむけ無理やり脚を動かした。

そこから苦難の旅が始まる。

夫は責任者の役割に固執して、脱出のチャンスを失してしまう。
「自分たちだけのことを考える利己的なことは出来ない」
「他の人たちのことを捨ててはいけない」
そういって、一緒にいちはやく逃げてくれという著者の懇願をはねつける。
そして、終戦。
そして、38度線の封鎖。
彼らは、北朝鮮の地に取り残されてしまった。

働ける男たち。
18歳以上の男たちは皆、北方へつれて行かれた。
シベリアへ。
労働力として。
使い捨ての命として、人間としての尊厳もなにもなく。遺された女と年寄りと子供たちは自分たちだけで生きてゆかねばならない。
弱いものは結束し、日本人会を作り相談していろんな決め事をし相互扶助をしていたようだが、それもまだ余裕のあるうちのようだった。

著者は、6歳(長男)を筆頭に、3歳(次男:正彦氏)と乳飲み子(長女)を抱えての旅。
栄養状態も悪く、自分も含めて酷い下痢に悩まされ、体力を失い、お金もなく、生きるためにさまざまな道を考えなくてはならない。
もっているものを売るのはまず最初に誰もが考えることで、夜明けの市場に落ちているくず野菜を拾いに行く。
安く仕入れた石鹸やタバコを、朝鮮人の家家を回って売りに行く。
決死の思いでソ連軍の基地に不要布を懇願しに行き、人形を手縫いしてそれを街中で売る。
やれることは何でもやる。
腐りかけた野菜を蹴飛ばされ、したたかに膝に当ってそれでもそれを拾い上げて逃げるその背中に、嘲笑が追いかけてくる。
蔑みの目で見られる。
女としてより、人間としての尊厳もなにもなく、それでも子供3人を生かすために、生きて内地に飼えるために、必死に、ただ「生きることだけを目的に」生きる。

職場の仲間で団を結成し、互いに工夫し力を合わせる日本人たち。
だが、生きることすら難しくなってゆく日々。
人間が家族のことだけを、自分の事だけを考えるようになってゆくのも致し方のないことだ。
それを責めることは出来ない。
それを責めつつも、「責めることよりも、なにより生き残ることだ」と思いなおし、時には男言葉を使ってでも、著者は子供たちを叱咤し、自分を叱咤し、チフスや食料や目の前に次々と競うように出現する苦難をなぎ払い乗り越えてゆく。
母だから強いとか。
子供がいるから強いとか。
そういうことではないと思う。
そんな生易しいものではないと思う。
そして、こんな極限状況でも、「他人を助けよう」とする人のあることに、読むたびに、出会うたびに、幾たびも心打たれた。

南へ下る決意。
そのタイミング。
旅費を作るために、最後の手持ちのものをすべて売る。捨てる。
だから、そのタイミングを見誤れば、それは速攻死に繋がる。
貨車で牛馬の糞にまみれ雨に打たれびしょぬれのまま歩いて山をこえ川を渡り、その途中で行き倒れた日本人の死体をいくつも見て、38度線を越えた。
そのままへたり込んで、赤ん坊を背負ったまま道に「死んで」いた著者を助けたのは、アメリカ軍のトラックだった。

避難民のテント(今で言うとキャンプ村)で一時の平安を得、なによりもおなかいっぱいの粥を初めとする食料を口にして、ああよかった、と、読んでいるこちらもほっとした。
今までの食べられない状態からいきなりコーンビーフなど栄養価の高いものを口にして、嘔吐・下痢が続く彼女と子供たち。
飢餓にひたすら耐えてきた消化器官は、栄養価の高いものを消化できないでただただ弱ってゆくだけなのだという医師のことば。
食べたいのに、食べるものはあるのに、食べれば食べるほどに、どんどん弱って死んでゆく。
或いは、飢えているのに食べられない。食べる力すらない。そんな子供がいて、ただただ死んでいく。
なんということだろう…。

山を川を道を裸足で歩き続けた足の裏は切れ、小石が食い込み化膿して、這って歩くしかならない状態になっていた。
その足で、彼女らは歩いてきた。ただ生きるために。
だがそうやって這っていたのは彼女だけではなかった。
多くの避難民がそうしていた。
この中で、生きて日本に帰れるとは思えずに、子供を捨て、或いは中国人・朝鮮人に託した親たちがいた。
それは歴史の事実である。
彼らには、生きて帰れるとは信じられなかったのだ。
それを、誰が、責められるだろうか。

日本の支配を憎み、呼び名としての「日本人」を憎む朝鮮の人々が、「貴方たちは可哀想だ」とこっそりと食料を分けてくれたり、助け起こしてくれたりするかと思えば、同じ引き上げ列車に乗り合わせた"恵まれた日本人"が「汚い」「臭い」「乞食女だ」と嘲笑する。
そして、貧乏人のなけなしのお金すらだまして盗ろうとする。
自分は大金を隠して所持してしながら…。

どんな境遇であっても、人間は自分より下に見る人の存在を必要とするのだろうか?
今の社会でも同じことだ。
自分が少しでもマシだと、自分は勝ち組だと思い込むために、「おまえは負け組だ!」と指を刺し嘲笑する対象を必要とするのだろうか。
そうすれば安心できるのだろうか。
自分が自分の狭い世界でほっとするために、わざわざ「負け組み」なるものを創り上げようと努力するのか。

その人間の、本質。
そこのあるのは、その人自身の本質だ。

生まれとか暮らしとか、国とか、そういうことではなく、その人の本質の伺われるシーンが痛いほどに繰り返され、その中で"ロマンチストなお嬢さん"であった著者は強くなって言った。
気づかないうちに、本を読み進むうちに、最後になって初めて、変った彼女を、その強さを、読み手は感じるだろう。
豪雨の中を闇の中を何かに終われるようにして進み続ける悪夢。
町外れの、土饅頭に子供たちを埋めるという悪夢。
それらに襲われながら、発狂することもなく行き続ける著者。

釜山を出向する引き上げ船に乗り込んだ彼女は、離れてゆく朝鮮を、背後に去ってゆく山川を、決して振り返らなかった。

日本についても、苦難は続く。
上陸を前に、次々と死んでゆく…特に子供たち。
列車は彼女らをふるさとの土地へ運ぶ。
親兄弟の住む地へ。
終戦から1年以上たった今、彼女らは絶望しされていた。
あの満州で、生きて、かえってこられるとは誰も信じていなかった。
しかも、子供たちも3人、一人欠けることもなく。

誰一人として帰ってこなかった家もあっただろう。
それもとてもたくさん。
数え切れないほど。
こんな状態でも、命だけは残った著者一行は、「幸運」といわれるのだろう。
満州開拓団は、夢を抱いて、必死の思いで、新しい町を国と作ろうと努力を続けた人たちだ。
国の、当時の日本政府の政策がどうであれ、彼ら一人一人は必死の思いだった。
彼の地を自分の故郷とする強い気持ちに人もあっただろう。
それが、ただ身ひとつで逃げだすしかなく、多くの死を見、極限状況の人間の根底のものを赤裸々に見せ付けられ、気も狂わんばかりの絶望にさいなめられ、生きてふるさとに帰り、肉親に再会できたものはまだ幸運だというのだろう。

ふるさとの駅に降り立って、肉親のむかえを待つだけになった時、著者は初めて鏡を見た。
自分の姿を見たのだった。
目は血くぼみ、青ざめて、勿論、垢や疲労やぎりぎりの生死の境を歩き続けた者のぎらぎらした攻撃性や、そんなものが創り上げた顔・姿は昔馴染みにすら本人と見分けがつかないほどだった。

著者は、強い。
こんなたった一言で言い表されることではない。
ないけれども…やっぱり強い。

人の運命は、生きるか死ぬかは、その人の芯の強さと、あとは運。
生き残るか、尽きるか、それは何者にも分からない。
だが、人間は最後まであがくように出来ている。
あがくのをやめれば、助かる命も助からない。

藤原ていさんは、本当に強い。
そうして生き抜いた日本人は、皆、強かった。
……あまりに違いすぎる。
今の日本人とは。

引き上げてほっとした著者はそのご数年心臓を悪くして寝込む事になる。
この本は、病床で、「子供たちへの遺言」として綴られたものであるという。
それが家計を一助になれば、ということから日の目を見た。
そして…大評判となった。
同じ思いをしてきた人も大勢いたのだろう。
その人たちは、自分が語れないことどもをこの本のなかに見たのだろう。
自分が言えないことを、この本で伝えられると思ったのかもしれない。

今読んでも、すさまじい。
生きることのすさまじさを、人間の本質を、感じる。
心揺さぶられる一冊であった。

ISBN:4122040639 文庫 藤原 てい 中央公論新社 2002/07 ¥720
世界には、不思議なものがいっぱい。

どうして使うのかな?
何のためにあるのかな?
これ、なに?

と頭をひねって考えるのも楽しけりゃ、当った時の嬉しさもなかなかのもの。
なにかの役に立つのかといわれれば、単なる楽しみ、雑学が増えるだけ、と答えるしかないけれど。
でも、人間余裕が必要なんだよ(笑)

みょーなこと知っている、っていう評価も、まあいいんじゃないの?

推理する。
頭の体操を兼ねて…のお楽しみ本でもある。

まぁ、この値段ならね。
ご愛嬌。

ISBN:4334723802 文庫 小林 繁樹 光文社 1997/03 ¥500
買い集めすぎた気がしたため、手を出しかねていたこの一冊。
書店でぱらぱら読みをして、やっぱり買ってしまったこの一冊。

エッセイはいくつかの本で同じことを描いている(文章は勿論違うが)ものがあったりする。
それは当然だが、手控えの原因にはなる。

だが、この本には…今までになかった衝撃的な一文があった!
「ヨーロッパ・パック新婚旅行」である。
題名のまま。
著者と奥方の新婚旅行の旅話である。
これが…とんでもなくおかしいのだ。

何が面白いかといえば。
いかに自由気ままな著者とはいえ、この文章には、新婚ゆえの遠慮とか照れとかがところどころ見受けられるからそれが楽しいのだ。
おまけにさりげなく語られる"のろけ"!
へ〜ぇ、と思わず口元に笑いが…。

「疲れた話」
は奥方との結婚の仲人を日本の宝のような数学者の先生に頼みに行く話。
何が面白いかといえば。
いかに自由奔放唯我独尊の著者がなんと初々しいというか、借りてきた猫みたいになっているさまのそのギャップが楽しいのだ。

ところで。この本ではなく、前に読んだ本にい書かれていたことだが。
少し前に上映された「博士の愛した数式」の原作者が、数学博士という人種(?)の研究に藤原正彦先生を取材したということだ。
小説の中に"数学者"を登場させるため、その考え方とか生活とか、何を考えどんなことをし、どういう行動をとるのか、等など、藤原先生をモデルにして書かれた小説なのだという。
はぁ〜そうか。
そも、学者と言うものは、一体何を考えてなにを常識として生きて考えて活動しているのやら、我ら一般人にはよくわからない、というのが本音である。
思考のレベル…考える力ではなく、考える土台がいささか異なっているので、しばしば話が、観点が食い違う。
そーゆー人たちのなかでも数学者と言うのは特別らしく、
学者と結婚する、と奥方が父親に縁のある大学教授に報告に行ったとき、
「数学者だけはやめなさい。彼らは数学星という異世界にすんでいるのだから」(大意)
と言われてしまい、まさか「その数学者と結婚するのです」とはいえなかったという話もあった。

学者が「わけがわからん」という数学者…それを小説に描くには、わけわからん(?)数学者である藤原先生を取材するしかなかったのかなとなんとなく納得する。

映画を見に行った人に以上の件を報告すると、
「どうりで、数学は美しい…とかいってうっとりしていたよ」
とのこと(笑)
ああ!藤原先生だ!と確信した(笑)次第。

でも、数学の公式を、こうこうこう、と映画で解かれると「そのときは分かったような気になった」らしい。
さすが!


ISBN:4101248028 文庫 藤原 正彦 新潮社 1984/01 ¥460
貴族ではない、ということです。

公・侯・伯・子・男

貴族の階位は以上の5つ。
これが産業革命を経た英国で、金にモノをいわせ新しい階級がその潤沢な財産を使って貴族的な教育を子弟に施し、準貴族として社会の上位に進出した。
これがジェントリ、である。

だから…キャンベルさん家なんかには目の仇にされて苛められるわけだ。

だけど、19世紀も終わりになってくると貴族の台所事情は押しなべて火の車。それもでっかい火輪が回っている状態だから、贅沢は行ってられない。
お金持ちのアメリカ娘を息子の嫁に、戴くわけです。
莫大な持参金を目当てに。

社交界の若い嫁さんたちは、ほとんどアメリカ人。
その息子や娘たちの代となれば…容易に想像はつくと言うもの。

ただし、莫大な持参金をつけても、英国貴族の家柄とは、とってもとっても価値の在る存在だった模様。
人は紳士に生まれるのではなく、なるもの
という考え方であれば尚のこと。
アメリカに住む両親も、意気揚々と娘を送り出したでありましょう。

エマ 7巻

2006年5月24日 読書
まだレビューがないなんて…信じられない。
けど、ないもんは、ない。
後日、レビューが出たら差し替えようか。
(5/28ボースンさまにご教授いただいて無事レビュー登場! ⇒ 記事差し替え)

ま、もともと明日(25日)発売予定だったのが、なんでや本日出てますがな〜といった状況なので、いたしかたがないのかもしれぬ。

最新刊、第7巻。
悪の組織ならぬキャンベル子爵の陰謀により、遠くは新大陸にまで売り飛ばされちゃったエマである。
前巻はそんなどーしよーもないところで終わっていたので、肝を冷やしつつ次をまだかまだかと待つ続けることとなっていた。

「あとはキミしかいない!気張れ!ぼっちゃん!!」との読者の期待を一身に受けたジョーンズ家のウイリアム君が動き出した…。
ほんま、金持ちのやることは……
実際、あの当時、英国ーアメリカ間って、どれくらい掛かったのだろうか…?

最終巻なので、一気に話がすすみます。
だもんで、ページも増えて増えて270?以上のえらい太い単行本になっている。
読み応えもたーっぷりある。

後書きによれば、「番外編」も出るらしい。
本編でかけなかったあーんな事とかこーんな事とか……?

ま、なにはともあれ、楽しみである♪

今ですらはっきりと身分制をもっている英国であるからして、なかなか……大変だよね。

ISBN:4757727879 コミック 森 薫 エンターブレイン 2006/05/25 ¥714

この国のけじめ

2006年5月23日 読書
ネットの通信販売で予約を…とおもったら「品切れ」ばかりであった。
流行っているから仕方がないかと諦めていたある日、本屋で平積みになっている本書を発見する。

……世の書籍の流通システムに疑問をもった一瞬だった。
入手できたのだからどうでもいいといえばいいけれど、「今買わないとまた消える!」というわけの分からない恐怖感に迫られて衝動買い(?)した一冊である。

昔から思う本の謎。
見つけた時、なんとなく気にかかった時、次の機会と思わずにその時に買っとかないと、再会する確率は妙に低い。
よほどのヒット作は別として…。
何ゆえ?

ぱらぱらと目次を見る。
なんか、ちょっとお堅いのかな?

楽しい短編エッセイ集を読んだ直後だから、すこしだけ腰が引けたけど、なあに、この著者のことだから、すぐに馬脚を現すじゃなくて…読者レベルに合わせてくれるだろうと思いなおす。

さて。
読むだけで心楽しくうきうきしてくる麻薬のような"フジワラ・ワールド"へ参るとするか。

ISBN:416367800X 単行本 藤原 正彦 文藝春秋 2006/04 ¥1,250
「古風堂々数学者」、「あとがき」より引用
この上なく不細工な私がこの上なく美しい数学を追求し、草野球の三振王が巨人打線を批判し、女房が私を非難中傷軽蔑侮辱する、などに見られるように、人間には「自分のことを棚に上げる」権利がある。この権利は人類発展の原動力でもある。…(略)…
威風堂々であれ古風堂々であれ、この世を卑屈にならずに堂々と生きるには、この権利をひっきりなしに行使することがどうしても必要と思う。


……ありがとうございます。
著者、藤原正彦氏が小学校4年生の時、といえば、昭和28年にあたる(らしい)。
その時代、著者がすごした小学校時代の話を短い文章でまとめている。
それが「心に太陽を、唇に歌を」である。
その文章は短いが、含むものはとっても大きい。

戦後がようやく落ち着いたといっても、まだまだ日本国民は貧しく、親もなく、給食費も遠足費も払えず、継ぎのあたった衣服に裸足に靴を引っ掛けているような子供、も少なくなかったようだ。
著者の家も、裕福な方ではなく、父の給料(新田次郎氏はもと気象庁務めの公務員だった)と母の倹約だけでは成り立たず、成績が丙だった母てい女が改めて裁縫学校へ行きなおして、仕立物の内職をすることで成り立っていた…という。

話は変るが、中華人民共和国がこんな成金国家みたいになる前(自国を棚に上げる私)は、道は石ころの転がる土のガタガタ道、屋根にはぺんぺん草、土染みというような茶色っぽい色の染み付いた土壁、くずれ掛けの土塀……などなど、実に郷愁を誘うような風景が目前に広がっていたものだった。

著者の年齢より二回り近くも下回る私がそう感じるほどだ。
昭和40年二入っても、日本はそんなにおしゃれな、というよりも、正直に明確に言えば無機質な、そんな佇まいはどこにもなかった。
…ように記憶し、感じている。
(人間の記録はあやふや。いいことしか覚えないからなー)

だから、まあ、著者の小学校時代の風景も、なんとなく想像できるのだった。
(田舎の学校だったせいか、服の肘とか膝とかに継ぎあては普通にあった。女の子だから、すこしは恥ずかしかっけどね。給食費を払えない子もいたかもしれない。)

凄惨な戦争の終結を迎えて、どんなことがあっても暴力を振るわないと決意する担任教師の姿。
正義の鉄拳(弱いものを助ける、弱者や女は殴らない等々)は暴力ではないと信じる著者と父。(母には"警察と裁判官を一人で兼ねていると批判されるが")
その著者が、やがて担任教師を尊敬し始める。
その心が芽生えたのは何故か。
貧しい時代だからといって、心が貧しかったわけではない。
将来に描く夢の分、子供たちは、大人たちも、豊かな心をもっていたと思う。

「心には太陽を」
そして、
「唇には歌を」

小学校1年生の時、クラスでも鼻つまみ者の男の子がひとりいた。
口だけではなく、手足を出して、クラスメートに乱暴を繰り返した結果、彼は友達と呼べるもののない、一人ぼっちになっていた。(当たり前だが)
担任教師は定年も近い男性だったが、その嫌われ者の男の子に特に目をかけていた(ように当時は思えた。ほら、子供だからね。)
だからクラスからは男の子だけにではなく、教師に対しても文句が出た。(嫉妬である)
休憩時間になると、校庭の角や中庭などを走り回る二人の姿をよく見かけたものである。
最初は逃げまわる男の子を教師が追いかけながら言葉をかける、というものだったのが、やがて並んで走るようになったようであった。
最初は嫉妬していた私たちも、その頃にはそれが普通の光景と化していたから何も言わなくなっていた。
学年の終わる頃、男の子は乱暴をしなくなっていた…ことにすら、私たちはそれがずっとそうであったかのように受け入れていた。

…などという経験を、私も確かにしていた。
もしかしたら、違う形で、同世代の(という但し書きが寂しいけど)誰もが似たような経験をしているのではなかろうか。
と、著者の本を読んで思い出したひとつの記憶である。

年齢は関係ない。
時代も関係ないだろう。
死ぬまで、消滅の一瞬のそのときまで、

「心には太陽を」

「唇には歌を」

そうありたい。

古風堂々数学者

2006年5月22日 読書
いろいろエッセイを読んできまして、重なっている部分もままあるけど、そういうものの集大成。

話題とテーマが飛んでいるのが逆に新鮮で面白いです。

ご家族とのやり取りを書いているのが一番かな。
"会津の地を曳く女房"こと奥様もいい味を出している…。
いちいち笑えることを真面目くさって堂々と主張している著者の"可愛らしさ"にも打たれる。
それに堂々と反論する"女房殿"にも心打たれる。

割れ鍋に綴じ蓋、っていうのはこのばあい蔑称じゃないよね?

思う。
数学ってのはきっちり決まった数字と数式で、きっちりと決まったレールの上だけ進んでゆくものだと思っていた。
それはまあ、大方は間違いないと思うけど。

なんの浪漫もないもんだ、と思うのは間違いだったかな。

美しき数式。美しい定理。
それにうっとりとする著者の日常などをエッセイで覗き見させてもらったわけだけど、読めば読むほど数学者ってー。
悪く言えば、おたく、といおうか。(ごめんなさい)
よく言えば、ロマンチスト。
お星様がきらきらと輝いているような、夢のような場所でやっぱりきらきら輝いている数式とか定理とかを追いかけている人たちなんだなぁと。
確信しました。
はい。

ISBN:4101248079 文庫 藤原 正彦 新潮社 2003/04 ¥420

ヤマハ

2006年5月22日 読書
知らなかった…
出てたんだ。
F1に(←失礼なヤツ)(笑)

ヤマハといえば、アメリカズカップのヨットの船体だとばかり。
オリンピックのヨットの船体だとばかり。(そればっかりやん)

それが、
「レースは日常」
なんて格好のいいことをいう会社だなんて。

ごめんなさい。
ヤマハさん。

ホンダ

2006年5月21日 読書
…ってすごいのね。

すごい企業なんだね。

F1をやっているから選んだ、っていう人がとってもたくさんいる。
でもそれだけ会社の方向性とか、遣り甲斐とか自分が何をしたいかがはっきりと言えて目指せる企業が、社会的に強いのも当然か。

なんとなく、生活の為に会社員をやってます。
…なんていう私には、雲の上の話。

1シーズン、150億ですってよ!
アメリカズカップに負けてないな〜。
いや、1年闘うわけだから、世界中を転戦(なんと中国にまで!だいじょうぶなのかなと本気で心配するよ、私は)するのだからソレぐらい常識か。

だけど、ホンダが果してきた偉業は、一般社会にはそれほど浸透していない気がする。
それが残念。

組織は、
組織のための組織であってはならない。

組織は、
上の地位にあるものがラクをするためにあってはならない。

これもまた、一般社会には浸透してないのが残念だ。
彼らは何故闘うのか?
日本とは何なのか?

F1とは、フォーミュラーワンのこと。
過去の一時、異様に流行った車のレースのこと。

家人がファンで、いまだに日曜日の夜中(というよりも月曜日の未明)にテレビで追いかけをしている、日本においては、今現在は火が消えて燻っている状態のスポーツである。(くどい?)

本日そぞろ歩きの最中に出会った「古書博覧会」で買い求めたのだった。
お値段は¥300−。(面白くなくても、まあ口惜しくはない値段だ)
そして、親切にも、「先に読む?」といって貸してくれたのだった。
私は車には興味はないのだが(帆船には興味があるが)…ハードカバーの綺麗な本だったので、ちょいとぺらぺらとめくってみようかな〜と借りたのだった。

F1も帆船(及びヨット)も、一時期は嘘のように取り上げられてテレビの放送もゴールデンタイムだったのに…飽き易い日本人のご多分にもれず、この二つは同じ運命を辿っていまや"人知られず"にほそぼそと存在している。
近親感を覚えてしまったのである。

ISBN:4594008828 単行本 赤井 邦彦 扶桑社 1992/03 ¥1,427
伝統を捨ててきている人たちの集まりだからね。
ずーっとこうしてきたんだ。だからこれが正しいんだ。
なんてことを捨ててきた人たちだから。

いろんな事を、「これっ!」と思ったことをどんどん試す。
お陰で信じられないひどい弊害が出る。
国民すべてがタイプを打てなければ、ということで国語の時間にタイプ打ちを教えたのもアメリカである。陸軍新兵の25%が機関銃の取扱書を読めない、という衝撃的な報告と相前後してこれも中止された。

なんて事にもなる。
で、慌てて教育方針を変えたのだそうだ。
でもね。
想像できなかったのかな、こうなることが。

日本は今、教育基本法とか変えようとしているよね。
今の教育ではダメだ。
今までの教育が日本をだめにしたんだ。
そういいたいんだろうけれど。
だから、なにか新しいことをしたいのかもしれないけれど。

……アメリカに追従したって駄目だってよ。
アメリカは少々変なこと独創的なことをしても社会に、国家に許容量があるから大丈夫。
あの国は豊かだから。
この豊かははっきりいって"富"のこと。
広大な国土、有り余る富。少々の失策が続いても餓死したりしない。
富のおこぼれに預かれるから大丈夫。

だから、「色んなこと、これがいいんじゃないかな?と思えることは片っ端から実行してみる。いわば実験国家である」のだ。

でも、日本には、というかアメリカ以外の国にはそんな富はない。余裕はない。
アメリカを最も的確に特徴付けるものは、自由でも平等でもなく、天より与えられた比類なき富と思う。

天は与えたのではなく、原住民(ネイティブアメリカン)から奪ったものではあるが。
だから、右に倣え!でアメリカの真似をしても、国家が転覆するだけのようです。

この著者の本の何が面白いって、その述べるところに是非はあるだろう、承服しがたい部分もあるだろう、だが。
それらすべてをひっくるめても、と〜っても変った視点からモノの見方を指し示してくれた。
そのことに尽きるのだ。
★中世騎士道 勇気、誠実、慈愛、礼儀、女性に対する格別の配慮、(イザ鎌倉!)
 
  ↓

★紳士道(ルネッサンス期) 出自<個人の行動
     誠実、慈愛、自由、勇気

  ↓

★紳士道(16世紀)
・職業教育でなく、古典教育・数学というあらゆる知的活動の基盤原理を会得していること。
・土地所有による地代という、不労所得(!)により自主独立を確保していること。(だから20世紀に軒並み落ちぶれた)とりわけ利潤追求の仕事についていないこと。
(NEW MONEY(利潤追求)は蔑まれ、OLD MONEY(遺産相続など)は羨ましがられる…というお笑いな社会構造に)
・紳士としての特性、すなわち公正、自制、勇気、忍耐、礼節、寛大などを備えていること。

  ↓ 
 
(おまけ)★17世紀
「準男爵にはしてあげられても、紳士には出来ない」(by ジェームズ?)

第一大戦では、オックスブリッジ卒業生や在校生、パブリックスクール出身者が争うように戦いに向かい、戦死したという。
それも【高貴なるものの義務】という考え方、一朝ことあらば、まず自分が、という考え方が上層階級の意識にあるからだ。

日本の武士道もかくしかり。
江戸末期に、軒並み欧羅巴列強の植民地と化したアジアの中で日本だけが独立を維持できたのは、この武士道に基づいた日本社会を見て、「こりゃだめだ」と思ったからではないか、と藤原先生は述べる。

明治の人々が凛とした顔つきであるのも、モノクロ写真だからとかそんなばかげた理由ではなく、その小さな身体の内に、欧米列強にも負けない精神をもっていたからだろう。
だから、欧米に旅し、遥かに進んだ技術・文明(文化ではなく)をみても、びくともせず、うろたえもしなかったのではないか。

…三船敏郎主演で、アラン・ドロンやチャールズ・ブロンソンが出ていた西部劇では、確かにそんな感じだったね。
三船敏郎が一番格好いい役だった。(当時のアメリカ映画にしては珍しい)

紳士道は騎士道から発展したもの。
そして、紳士道と武士道は似ている。

大きな違いは、
武士は詩歌を高尚とし、
紳士は数学を高尚とすること。

詩歌は、軟弱の極み、なのかな〜?
   じゃ、桂冠詩人って馬鹿にされてたわけ?
数学は計数⇒商い⇒お金、だから武士は嫌ったという。

「理科ぎらい」

2006年5月19日 読書
実は私は理科劣等生だったのである。…(略)…中学の理科の授業だった。教師に言われたとおり、亜鉛に塩酸を垂らし、出てきた気体を水中から試験管に集めた。ロウソクの火を近づけると、炎がボッと音をたてて大きくなった。教師は、「亜鉛に塩酸を加えると水素が発生することが確かめられました」と宣言した。
私は、亜鉛とか塩酸とかが行ったい何なのか分からなかった。炎がボッと大きくなったから水素、というのも腑に落ちなかった。オナラでも同じと思った。亜鉛を塩酸に浸すとなぜ化学反応が起きるのかも不明だった。自分を風呂に浸しても何も起きないのにと思った。化学反応に空気の一成分が関与したかもしれないし、発生した気体が水と反応した可能性もあると思った。
ひとつの実権をする度に、疑問がいくつも噴出し、頭は混乱するばかりだった。…(略)…
私にとって理科とは、教師が一見論理的だが何の説得力もない、結論を押し付け暗記させる時間でしかなかった。…(略)…
私の受けた理科教育に欠けていたものは、「驚き」だったと思う。
我が家の庭の柿とニュートン家のリンゴが、同じ法則に従って落下するというのは、よく考えると不思議である。…(略)…
万物がそれぞれ勝手気ままに運動していても、別段おかしくないことを思うと、まさに「驚き」なのである。どうして宇宙には秩序があるのか、…(略)…
法則が、単なる問題解決のキーでなく、この宇宙のまさに軌跡であり脅威であることを、誰も語ってくれなかったように思う。「驚き」の欠けた理科は、私の心に訴えるものを、何も持たなかったのだった。


長い引用文だが、これが一番分かりやすかった。

レベルと問題はまるで違うが(笑)、私も物理・化学は大嫌いだった。
特に化学だ!

担当教官は教科書を読みとかない人だった。
勿論、解説も説明もしない。
授業はどうするかといえば、例えば順繰りに生徒に問題を当て、黒板に化学式や答えを書かせる。
その答えが間違っていたならば"何が違うか"を解説するだけだった。
教科書に書いてあることがまず分からない私などは、問題の意味も分からない。
当たり前だ。
だから、何を問われているのかも、わからない。
しごく当然のことだ。
果ては、何が分からないのかも分からないとなってしまった。
そんな授業がどうして好きになるだろう?

そのときは気がつかなかったが、これを読んで、もしかして化学式なりなんなりを、丸暗記しとけば良かったのかなーと思う。
とりあえず、テスト用に。

生徒の全員が理系大学を受験するわけでもない。
おまけに"全人教育"全盛期では、普通科と商業科がごっちゃになってクラスを形成していた。
興味を持たない生徒にも、"これは面白いかも""こういう進路(研究)も面白いかも"と思わせるような授業をする気は…さらさらだったのかもしれない。

全クラスの化学のテストの平均点は、常に20〜30点をうろうろしている状態だった。
化学は今でも好きになれない。
…つまり、面白いとは思えない。
面白いと思えないまま、きっと私は死んでゆくんだろうな、と思う。
別に寂しくも口惜しくもないけどさ(笑)

それを思うと物理や生物は。
高校生が皆で輪になって手を繋いで(思春期だからかなり抵抗があった…いい思い出だなぁ)(笑)何をするのかと思ったら、仲良く"感電"してみたり…解剖が上手くいかなかったとあらぬ噂が構内に流れたと、むきになった教師があくまで再実験を主張したり…。
実験・実験尽くしだったけど面白かったと記憶している。
授業もわくわくしたいよね。

年寄りの情緒力

2006年5月19日 読書
        「父の威厳 数学者の意地」より

年寄りは、生への執着が稀薄、と若者は考え勝ちである

うん。確かに。
自分もそう考えていたかも知れない。若いときは(笑)

今はなんとも中途半端な年齢で、生への執着は…なくはない。
なくはないけど、まあ色々在って、平均値よりは小さいかもね。

死ぬことよりも、死に方の方を気にしている。

さて、お題(?)に戻ろう。

年よりは若者と同じように生に執着する。
当たり前や。
誰かて死ぬのはいややろぅ。

まして、長いこと生きている分、"死"が身近に迫ってきているとひしひしと感じている分、執着もひとしお。
100歳になろうかという老人が、最後の最後まで「死にたくない!」とあがいた例を私は知っている。
なんと……!と思ったものだが、生きているなら当たり前か…。
そうだよね。

そして、もうひとつ。
年寄りの感性が鈍っていると考え勝ちなこと。
肉体どころか感受性をも磨耗させてしまった、憐れむべきなれの果て、というのは若者の抱く年寄り像の典型と思う

これも大きな間違い。
年をとると涙腺が緩むのは、それだけ感受性が、情緒力が高まっているからだ……嗚呼、なんて嬉しいことを行ってくれるんだろうか、藤原先生は。

これで安心して年が取れる。
テレビドラマで泣いてもいいわけだ。
うんうん。
藤原先生の第…(?)冊目。
短いエッセイを取りまとめたもので、学生の頃の話、アメリカ留学時の出来事、父、母、妻、子供たち、そして恋愛(?)…まあいろいろと、詰っていて、次から次へと飛び出してくるから、宝箱みたいで面白い。
いや、宝箱というよりはビックリ箱か。

この方が「国家の品格」を書いてブレイクして、こうしてわたしも面白さに嵌まって次々読んでいるわけだ。
この人の本がブームだからといって、別に連動しているわけではない。
この人の本を読んだが為に、私がいきなり興味をもち始めたというのでもない。

だが、最近の教育の動向がちょっと気に掛かる。
「愛国心を強制する」かのごとき動きは、とっても気に掛かる。
だって、気に掛かるでしょ?

愛国心は、強制されるモンじゃない。自然と湧き上がってくるもんだ。
それが、戦後教育というか戦争の反動やGHQによるまあいろいろな裏事情があって、日本人の愛国心拒絶症みたいなものが出来てしまった。
此処にいたって、
愛国心って決して悪いものじゃない。
必ずしも戦争に結びつくものじゃない。
愛国心という言葉とその意味をここで見直しましょう、というのなら、分かるんだ。

藤原先生がいう愛国心は、いままで吐き捨てるように使われてきた愛国心とは違う(と思う)

自分の国を愛するということは、
そこに住む人々や自然、つまり花咲く野原や冬は雪を抱き秋は見事に紅葉する山や魚のおよぐ清流や、命を育むその自然環境の美しさを愛するということ。
自分を取巻く自然や人間を愛する情感(情緒)をもつ人は、他国の人たちがその周りの人や自然や祖国に対してもつ情感を理解で知る。
愛する気持ちが分かる。

だから。
そんな人や国に対して、戦争を仕掛けようという気にはならないでしょう?という話なのだ。

そういった情感を、感情を、情緒を、日本は、子供たちのなかに育ててやらなきゃいけないよーと言ってるだけなのだ。
これって、昔の子供たちが、否、大人ももっていたものだよね。
そんなに特別なことを言ってるわけじゃないのに、「成る程!」と思い切り納得してしまった私だった。

もやもやして、やりきれない感情が渦巻いていたのが、ちょっとだけ、霧が晴れてきたのかな?という感じ。
すっきり感というもの。
藤原先生の本を読んでいるとそんな気持ちに浸れるから、文章が面白いということも確かにあるけれど、それよりもなお強く感じられるものに魅かれている。
それが現状。

熱しやすく冷め(醒め)やすい。
典型的な日本人気質の私は、現在沸騰中なので、しばらく醒めそうにないだろう…と自己観察。

ISBN:4101248052 文庫 藤原 正彦 新潮社 1997/06 ¥540

彷徨

2006年5月18日 読書
アメリカ人は彷徨う。
アメリカ人だって彷徨う。

彼らがホームシックに掛からないのは、もともとホームをもたないから。
彼らはそのルーツ、欧羅巴であれアジアであれアフリカであれ、その故郷の地に一度は訣別した人たちだから。
…なんだから。

その故郷とは、単なる土地だけではなくて、歴史や文化や伝統や、そういったものすべて。
「故郷を自ら捨てた人々」
だと、彼らは自分たちのことをそう呼ぶのだそうだ。

そして、アメリカ大陸に、彼らのホームは存在しない。
郷愁をもたない。
土地として、場所としてのホームタウンは存在しても、心のよりどころとしてのホームではない。
だから"ホーム"ではない。

日本人は感じる。
四季の移り変わり、風の吹き方ひとつにも、さまざまな郷愁を感じ、涙さえ浮かべる。
そういう感じ方をアメリカ人はしない。

だから、彼らは弱みを見せない。
見せられない。
常に、強くあらねばならない…と思っている。
弱さを見せることは悪徳なのだ(そうだ)
それがパイオニアスピリット…
そうでなければ、あの広大な大陸を自分たちの手中に収めることは出来なかっただろう…なぁ。

GO!GO!WEST!!
(何かの歌詞じゃないけれど)
でなければ、アパラチアを越えロッキーを越え、さまざまな命がけの試練を乗り越えて、西部開拓を成し遂げられなかっただろうなぁ。

だから。
その"強いアメリカ"が自信を失くした時、アメリカ人はどこへ向かえば良いのか分からなくなる。
ひたすら彷徨うだけ。
何もする気力もなく。
夢もなく。(夢は抽象的だから掴みずらいから追わない、という)
せつな的な快楽を求めるだけ。
(まるで今の日本だ)

それが、ベトナム戦争で負けたあとの、アメリカだった。

負けるはずがないのに。
絶対的な化学兵器をもって。
遥かに優れた文明をもって。
アジアのちっぽけな国の、裸足のレジスタンス(ベトコン)や自転車部隊(こんなのあったんですね)に負けた…アメリカ。
インドシナ半島から逃げ出したアメリカ。
多くの犠牲者を、生死に関わらず出したアメリカ。
取り返しのつかない負債を背負ったアメリカ。
彷徨い始めたアメリカがそこにあった。

……
だから。
強く在らねばらならない。
嘘でも(!)強いと思わないと、アメリカは、アメリカ人は生きてゆけない。
…と、多分、居直ったのだ。
思いなおし、力を振りたてて、そう信じたのだ。
そうするしか、そうでしか、アメリカの生きる道はない。

だから、"いばりんぼさん"なのか。
アメリカって。

……なんか。
かわいそうな国ですね、アメリカってば。
肩の力を抜けといってやりたい。

いかに、裕福で豊かな生活が保障されていても、本当に幸福なのかどうか……考えるところ。

「若き数学者のアメリカ」は思いもよらない美しい終幕で、その物語を閉じる。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
他のエッセイに比べると、かなり真剣なこの、「若き数学者のアメリカ」でした。
1970年代。
その年を自分に換算して眺めてみます。
著者が感じたアメリカを、私は(ハワイしか知らんけど)どうとらえているだろう?

お金・富・能天気・自分勝手・狭い視野、そして、高(公)言する世界の警察…は化けの皮がはげ始めている(笑)

ただ、複雑な、でも永遠に癒されない痛みをもった国だなァ…と、ちょっとだけ、同情する気になりました。(同情といったら怒るんだろうなぁ、また)(笑)

マリファナ…OK?

2006年5月17日 読書
マリファナって、取締り緩いの?
ええ、いえ、日本ではなくて、アメリカでの話。

日本は勿論ぜ〜んぶダメ!だけど、そしてそんなん当然やン!と思うけど。
どっかの東南アジアの国みたいに死刑はやりすぎだと思うけど、でも国策だから従うのは当たり前だけど、そんな国だと分かってて、もっていって捕まって処刑…は、う〜ん、是非のどちらかを選ぶならば、是のほうかも、と思うけど。
(でなけりゃ、もろ、その国を馬鹿にしているってことだし)

アメリカでは、○○は厳禁!でけど△△は捕まらない、とかいろいろあるんでしょ?確か。

なんでそんな区別をするのかなぁ?
皆おんなじだろうに。
人間に与える悪影響で考えれば。

……藤原先生、危機一髪!
しかし、いいのか、○十年たったとは言え、外国での話しとは言え、微妙なトコロとは言え、そんなこと、エッセイに書いたりして!と思った次第。

…マリファナは…OK?

ところで。
"ヒロポン"というシロモノだけど、戦後日本の闇市場にたくさん流出したとか言うね、あれも麻薬の一種でしょ?
確かそう聞いたような記憶がある。

実は先日、ショッキングな話を新聞の投稿欄で見つけたのだ。
日本の戦争末期、10代の若者たちが特攻で多く死んでいった。でも、遺品の写真とか見ると皆、笑っている。笑っている写真が多い。
どうしてそんなに朗らかにいられるの?
清々しく笑っていられるの?
命の終わりを目前にして…
と、涙を誘うひとつのことなのだ。

彼らは、ヒロポンを使っていた、と。
軍部がそうさせていた、と。
だから……なんだと。
そのようなことが書いてあったんですね。

……だから、戦後、軍部がもっていたヒロポンが大量流出したのだ、と。

これって。
なんと捕らえたらいいんだろう。
私の頭の許容量を越えている。
「それもありかもね」
なんて気軽に言えない。

まず、まっすぐに頭の中に入って来ない。
ナンナノ、ソレ?

今は、まだ。

寒いから…?

2006年5月17日 読書
アメリカは、もともと私がそんなに好き、というか、興味がある、というか、行きたい、という感情からは遠く離れた世界だからか。(ハワイは別)
それとも、初めての留学で、ガールフレンドも出来なくて孤独ですっかり憂鬱になっちゃっている著者の気分が伝染しているのか。

「数学者のアメリカ」
えろぅ時間が掛かりますわ。
思ったより。
(今現在、読めたのは、半分弱ぐらいかな…?)

もっとすいすい〜と読めるかな、と思ったんだけど。

ミシガン大学なんて寒いところなのが、著者も言ってるけど、悪いんだろうな、うん。
冬になれば、空も気分も暗くなる。

温かい南の国、アメリカなら山ほどあるだろう南の"地方"に行けば宜しいのだ。
……春にはワニが出てきてヒトを襲うお土地柄らしいけど(つい先日のニュースで:退治されたワニの腹中から人の腕が出てきたそうな)

でも、あったかいほうが良い。
暑くてもちょっとやそっとでは死なない。(砂漠は別だがまあ水があれば…なんとか)
寒かったら野宿なんかできない。てきめん凍死するやん。

ところで。
日本の男も、アメリカなんぞにいくと、レディ・ファーストなんだな〜と感心する。
藤原先生、せっせとドアを開けて、逆に怒られてるけれど。
「私もドアは開けられます!」
だって……。
まぁ、真理ですけどね。
やってもらえない歴史がず〜っと続いてきた日本の女が聞いたら、嫉妬するような科白だね。

日本でも、扉は女性を先に通すとか、扉を開けてくれるとか、ちょっとだけしてくれれば…ちょっとのことなのにな。
やってみればいいのに。
やらない男が多いから、「あら!」と驚かれてポイントがぐんと上がるのにな。

現実世界では、デパートの重いガラス扉なんかを女が開けると、そこに無理やり割り込むようにして先に通ろうとする、滑り込む…そういう日本の男は、相変わらず多い。
なんともはや。

日本の男の言い分は、
「女が強くなったから(いいじゃない)」
だけど、
「女が強くなるしかなかった」
んだってこと、わかんないんだろうなぁ〜。
意外に女って、こういうことにいい訳とか弁解とか説明とか…しないもんだよね。
本当に、辛い思いして、唇をかんで、立ち上がって…強くなっていった女はさ。

すぐに泣く?
あれは、鍛えぬかれ、磨きぬかれた、"技"ですから(笑)

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