前巻あたりから調子が出てきたな〜と思える佐々木節。

今回はまた、シェフの受難で話が始まる。
受難…か?
一人当たり5万円のフランス料理なんて。
すごい〜。
お酒は別で料理で5万!

確かに、トリュフの角をとって出してもいいわけだ。
(というぐらい贅沢をしていいってことだ)

だがしかし。
日本料理の、料亭なら、会席料理なら、5万円ってそんなに珍しい値段でないことに気がついてしまった。
嗚呼〜。

ソムリエの資格って、スチュワーデス(今はキャビンアテンダントか)も和食のお店も取るんだね。
持ってて損はしない、ということか。
別にそれで同行する、というわけではないけれど、普通の会社の経理に努めるOLが簿記の資格を取るようなものかな?
ないならないで、あればあれで、良い、みたいな。

泥棒が入った話も面白かった。
普通じゃないオーナーだからね。

だが、香宮さんという皆が憧れる(?)お客様の話が大笑いであった。
正体がばれて、それよりもなによりも、仕事(業界)がオーナーと一緒という、それがなにより残念ですってヤツ。

おっと、一番を忘れていた。
それは「魔窟」
経営コンサルタントをやり込める、ウンディーネのようなオーナー…。
強気で迫れば正論をも屈服させるのか。
ある意味力づけられる一遍でありました(笑)

やはり、このシリーズはオーナーがひとり横綱で一人舞台。
性格にも磨きがかかり、ますます絶好調で、輝いているなー(笑)

ISBN:409187505X コミック 佐々木 倫子 小学館 ¥530

Heaven? 4 (4)

2006年10月7日 読書
今までの4冊では一番、大爆笑できたのでは…?

サスペンスドラマか推理小説か、と思うような第一話。
結婚式当日に新郎にまといつく女の影。
黒衣の花嫁…みたいで、怖いオーナーであった。(でも似合っている)

そして次は、レストランに出る、幽霊の謎。
のぼ〜っとしている川合クンに幽霊が見えるとは!
"相性のいい幽霊は見える"そうです。
徹底して霊の見えないオーナーは、"鈍感"といわれつつもやっぱりシアワセなんだよ、とおもうけど。

シェフとオーナーの戦い。
秋の新メニューを巡って両者が激突する。
山にこもって"秋の味覚"を研究するシェフも凄いけど、イタチの狩った雉を横取りするオーナーはすごい。
イタチもあきれただろうなぁ。
イタチの獲物の横取りだから、禁猟期間であってもお構いなしなんだそうだ。
生態系の頂点に位置するオーナーだから、イタチから獲物を横取りするのも許される。
だからレストランでも、シェフかオーナーかで揉めるのは愚の骨頂。
オーナーは唯我独尊、すべてのモノの頂点に位置するから……いっそすっきりして清々しい結末である(笑)

忍耐の人、伊賀クンを怒らせて見ようというプロジェクト(?)と、思い立ったが吉日!で北海道に毛がにを食べに閉店後出かける(オーナーに無理やり引っ張られて)店のメンバー。
なにも雪祭りの日に思いつきで行かなくとも…とは思うけど。
雪祭りを失念するほどの凄さ。

どれもこれも、オーナーの類稀な食べ物への欲求と普通じゃない性格でクリア(?)する。
大爆笑の話ばかりが収録されているこの一冊。

…ちなみに、私は毛蟹が苦手である。
昔北海道で食べた(しかも暑い夏の日の昼食に出てきたという!信じられん!)石狩ナベの毛蟹が、とっても痛かったのだ。
もーいや!
っておもったもんな。
だって、本当に痛いんだよ!
味わうどころじゃない!

蟹はやっぱり間人(たいざ)蟹でしょう……
そして私は蟹味噌が好き。
大好き。

ISBN:4091875041 コミック 佐々木 倫子 小学館 ¥530
本年、亡くなったロシア語通訳者にして作家の著者。
エッセイから作家へと、広い視野と独特の語り口調で"面白い読み物が出てきた!"と期待したのもつかの間の、残念なことであった。

彼女のもともとの職業(飯の種)はロシア語の同時通訳で、本書もその立場にあって、であったことや思ったことなどを綴る。
ちなみに、同時通訳の報酬は、1日(7時間)で12万円なんだそうだ。
ヒェー!
って感じだけど、著者に言わせると、口止め料も入っているらしい…そりゃそうだ(笑)
トクダネに接して「ああ!言いたい!誰かに言いたい!」というジレンマも珍しいことではないという。
ただ、外務省など、国家規模の秘密会議なんかでは、外務省専属の通訳がつくのだと。
ちぇっ、な〜んだ(笑)

目次はおしゃれに高級レストラン風。

Un Saluto dallo Chef(シェフからのご挨拶)
Aperitivo(食前酒)
Antipasti(前菜)
Primi Piatti(第一の皿)
Vino Bianco(白ワイン)
Secondi piatti(第二の皿)
Insalata Russa(ロシア風サラダ)
Vino Rosso(赤ワイン)
Formaggi(チーズ)
Dessert(デザート)
Caffe(コーヒー)
Digestivo(食後酒)

と話は進む。
私はもう普通のフランス料理のコースでも、全部食べられらない人間なので、おなかが一杯になってしまった(笑)
それぐらいに中身が濃い。

小学校半ばから中学2年までプラハで過ごし、お陰でロシア語への導入がスムーズにでき、通訳と言う異なった言語を"私が繋げる"という快感に目覚め通訳の職を選んだ著者は、日本語への愛着(執着?)も強い。
それが証拠に彼女の書くものを読んでいると、普通は使わない漢字だの慣例句だの表現だのをよく使っているのに気がつく。
それを読んでいると、吃驚することもあるが、快感も覚える。
自分がその、ちょっと古風な、かしこまった言葉に対応できることが嬉しいのかもしれない。

言葉の意味を汲み取って、訳をするのが通訳。
だから、外来語ですらないカタカナ語や省略語を連発されると、文章の意味が通じなくなるという。
…が、それ以前に、問題はある。
日本語を母国語にしている私達が、今どきの(というかここ10年来の)若者の、カタカナ語や省略語のみで繋がれた(日本語であろう)言葉を理解できない。
(ついでに言うならネット言葉や顔文字も理解不能なものがある。無理して理解する気もないけど。)
以前見たテレビの企画では、3人ばかりの女子学生の高校時代の会話を録画したものを、5年後に本人に見せたところ、「なにをいっているのか理解できない」と言っていた。
喋っている本人が、そういうのだから、私がわからないのも当然ではないか。

言葉って…面倒だけど、面白い。
でなければ、何度も何度も挫折しながらNHKの「○○○語講座」のテキストを買ったり、テレビの「△△△語講座」を必死になって見たりはしないと思う。
こんな私でも、嘗てはドイツ語とスペイン語にトライしたものだ。(何かといえばやたら唄うドイツ語講座、劇はド下手なのになにか笑えるスペイン語講座。面白かったです。)

それを商売にしようと言う人、商売にしている人(つまり通訳者)は、だから、永遠に尊敬の的である。
個性的な人ばかり(でないと通訳なんぞ務まらぬらしい)で吃驚する世界らしいけど。

そりゃぁ、自分が喋る相手国(外国)の考え方、感じ方を自分の中に取り込まないと、意訳なんてできないもんね。
それほどのめりこまないとダメ。
日本人オンリーの感性ではダメ。
だから淡白な性格だとダメ。
だけど、気にしすぎるのもだめ。
誤訳をいつまでもうじうじ気にしていたらやってられない。
スピーカー(喋り手)が言葉にしてから数秒以内に訳した言葉を発しないと意味がないようだし。

大変な職業だ。
だから、一日12万円ってのも頷けてしまう。

ところで、著者曰く、同時通訳者の狙い、というか野望というか、目指すところは、
「スピーカーが笑いを取ったとき、通訳者の力量で、時差なく、その場にいたすべてを笑わせたい」
ということ。
駄洒落とか、お笑いは、各民族によって約束事のようなものが合って、それをいちいち説明しなくても、ネイティブは笑える事になっている。
だけど外国人には分からない。
元の事象をしらないと、それに引っ掛けて駄洒落を言われても何が面白いのかわからない。
それをいかに、時差なく(←これが大変だ)笑わせられるか。

そんなの無理だと思うけど、それは素人の浅はかさ。
同時通訳者はそれを狙って日々鍛錬・精進しているらしいですぞ。

すごい世界だ…。

ISBN:4167671018 文庫 米原 万里 文藝春秋 ¥590
しぶちん=ケチ

ということだ。

よく、
  『大阪は食い倒れ』

       というけれど、

  『京都は着倒れ』

       なんて言って、京都人はものすご贅沢しているように思われるのかもしれない。
着倒れとは、すなわち着物をたっくさんもっている(買う)、ということだから。
会席料理や一見さんお断りのお店や、皆がみな、すっごい金使いの荒いお土地柄だと思われているのかも。

うんにゃ。
とんでもございません。

かつて、西陣で奉公人がすするぶぶ漬け(=いいものを食べさせてもらってない)の音が、東山にまで届いたという伝説の都。
それが京都なのだから。
       (よく分からない人は地図で確認のこと)
京都人はケチです。
当たり前です。
でなきゃおばんざいなんて料理が…あわわ、余計なことは言わない、いわない。

ただ…使う時はつかうでぇ。
      というだけで。

わたしだって、かつて一見さんお断りだったお店になんか行ったことないし〜値段表すらないそんなコワイお店に行こうとも思わない。
勿論、芸者遊びもしたことない。
鴨川の床経験は2度だけ。
それもひとつは喫茶。
もうひとつは上司(役員)のおごりだ。(流石にこっちはお姐さんが付きっ切りでナベ奉行をしてくれた。)
一見さんお断りだったお店も最近はそんなこと言わないです。
「一見さんもどうぞ」
と看板が…わざわざ上げているところが京都でしょ?

著者は京都生まれ・京都育ちの京都人。(しかもウチの近く)
出てくる友人達は勿論京都人。
その中には京都から離れたことのない、いや、生まれ育った場所から離れたことがない(結婚しても実家の近くに住んでいる)人が多い。
内容にもあるが、久々に実家に戻って散歩すれば、小中高の幼馴染がうようよと…ばったり顔をあわせても話すこともなく、なんとなく気まずい思いで顔を背けて通り過ぎる、なんてことはままある。

京都人は京都を離れたがらない。
それは事実だね。

京都人が「言わんでもええのに!」とおもう記事も、ちょっとばかり暴露してはいるが、そこそこ押えた感じ(何を?)でまぁまぁ許せる(何を?)かな、と面白く読めた。

ミライくんのその後が爆笑モノであったが、よそさんで、分かる人いるのかな?
勿論、京都人はわかる。
そして、京都人なら、笑うだろう。
ろうそくタワーに喧嘩を売ってるあたりが…悲哀とともに笑えました。

ちなみにうちの町内では、すでに地蔵盆はおとなのみになってしまった。
子供がおらんのですわ。
地蔵盆なのに…。
京都市内から周辺部に流出していた人口が、昨年から市内に戻り始めた(逆流し始めた)と京都市は発表しているけど、住んでいるものの実感としては相変わらず。
年寄りばかりが残る町内。
そして、町家が壊されて、ワンルームマンションばかりが建って、若い独身者(勤め人・学生)だけが増えてゆく。
そんな感じですけどね〜。

ああ、会席を出すような料亭は、夜の食事だと数万円は覚悟しなくてはならないんので、そーゆーときはそのお店でお昼ごはんを食べるのをお薦めします。
同じ板さんが作った料理を、同じ部屋で食べるわけです。
少々ボリュームが落ちるぐらいで…
ね?これなら充分その雰囲気は楽しめるでしょ?

ウチは大学のゼミの同窓会は、すべてそのやり方でこなしました(ず〜っと幹事な私)
昼食なら、一人当たり、6〜8千円ですんだもんね!

錦市場は…そうですね。
いつ行ってもないものはない!というイメージだけど、同時に高い!というイメージもある。
よく行った近くのフランス料理のシェフとばったり会うことも多かったです。
そういや以前、ここでファッションショーをやってましたね…。
魚と青物と煮炊きのにおいの染み入る商店街のアーケードの下。
とってもシュール……。

あと、商店街閉店後の夜の7時以降、歩きやすくてよく利用します。(寺町京極〜高倉)

ところで、最近。
どーでもいーけど。
また京都本の多いこと!
本屋に行くと目がちかちかするほどです。

「紅葉シーズン」ですもんね。
分からないでもないけれど。
毎度毎度同じことの繰り返し……
それを覗く京都人がほくそえんでいるのも同じ光景(え?私だけじゃないもーん!)

でも、やたらお高い料亭と、やたらチープな学生向き(?)のお店と、両極端しかのってないのは何故に?
単に情報がないのか、或いは隠しているのか…?(←大いにありえる!)

それと、これがなんの役に立つのか?と思うような情報誌も新刊で(といったらばれるかな?)出てました。
地元民にも役に立たないし、観光客がこんなとこ行くか?と思うようなお店とかレストランとか…。
もすこし洗練してくんない?
どうしょうもないお土地柄だと誤解されちゃうじゃないか(笑)

ISBN:4840117012 単行本 グレゴリ青山 メディアファクトリー ¥1,050

犬のいる暮し

2006年10月6日 読書
・来世に僕を待ってる犬がいる朝早くより涅槃西風             『海に降る雪』(備中省七)


すっかり犬に嵌まってしまったね……。

著者はハラスという柴犬を最初に飼い、それに死なれてから5年間は犬を飼うことを考えなかった。
えてしてそういうものである。
「あの子を死なせたのに、次の犬を飼うなんて」
とか
「二度とあんな悲しい目には遭いたくない」
とか。
考えてしまうものである。

でも、人は、はやり犬とともに生きたい。
そう思い始める。

二番目に飼ったマホ(有名な絵画の題名の男性形)は、柴犬の癖に先祖がえりして、20Kgの大犬になってしまった。
20Kgの柴犬………。
柴犬の標準体重は10Kgだそうで、なるほど、ウチにいた柴犬のハッピーは1代目も2代目も9Kg前後までしか重くはならなかったことを思い出す。

悪戯好きのマホ。
人の反応を分かっていて、試すようなことをする。
そのあたり、ウチの柴犬もそうだったなぁ〜と思い出す。
特にハッピー2世は甘えたなオス犬で、膝の上に乗っかって、私の心臓のあたりに頭をつけ、身体ごと私にもたれていた。
いつまでもその姿勢でじっとしているのである。
やたらとスキンシップを持ちたがる犬であったが、くしくもこの、マホと同じく腎不全で早世した。
わずか2年。
彼の一生は短すぎた。

彼の後に飼ったのは、紀州犬のタケルだった。
紀州犬はなんと、生後半年で10Kgを越え、1年も経った頃には15Kg…。
それがまだ、心は子犬だから(笑)じゃれる、とびつく、登ろうとする…。
こっちは幾ら踏ん張ってもひっくり返りそうになる。
おまけに真っ黒な体に、4本の足の先のほうと目の上にちょんちょんと昔のお公家さんの眉みたいな部分だけが白毛であったから、近所でも「こわい」とか畏れられて(本人は人が大好きで遊んで欲しいのに)可哀想な、不憫なヤツであった。
いや、真っ黒い犬で、でかくて、飛びつき癖があったら…怖いよな、普通は。
また、通りがかりの人に、たとえ相手が自転車で疾走していうよとも、誰でも彼でも飛びつこうとする(遊んでもらおうとする)ので、「あのおばさんはアンタの友達か!?」となんど怒ったことやら。

でかくて真っ黒な犬に飛び掛ろうとされたほうはたまらないだろうな。

地獄(ケルベロス)の犬みたいで?
否、パスカヴィルの犬とか…?(こんな感じだったのかなと一瞬思った)
自転車に乗ったおばさんがひっくり返らなくてよかったよ。
ほんま。

でかくても、こわい顔でも、飼い主にとっては可愛い犬なのであるが。

同じ著者の「ハラスのいた日々」にもあったが、近所の、ストレスのたまりに溜まった脱走紀州犬に老齢(人間年齢70歳ぐらい)のハラスが襲われ、瀕死の重傷を負った話がある。
その時に著者は下駄でこの紀州犬の鼻面を何度も殴打したらしい。
愛犬の為に、人は思わぬ力を出すものである。
で、その時の紀州犬はハラスを放し、著者に引きづられて戸外へ放り出された(この紀州犬は夜中に著者の庭に潜り込み、そこでハラスを襲ったのだった)という話であるが、その時ヤツは一声も上げなかったのだと。
紀州犬の強さというか気丈さというか頑固さと言うか、怖さというか……このエピソードによく現れていると思う。

ウチのタケルは「遊んで!遊んで!」とぎゃんぎゃん吼えっぱなしの紀州犬ではありましたが。

確かに。
叔父が飼っている10匹前後(出産&引き取りで増減あり)の犬達のなかには紀州犬もいる。
彼らは勇猛果敢に獲物(猪)を追いかけ、追い詰める。
逆上した猪の牙の犠牲になるものも多い。(タケルもそのなかの一匹である)
だけど、紀州犬は怯まない。
あくまでも獲物に向かってゆく。
まったく、底知れぬ強さを感じさせる犬である。

……だが、お酒(焼酎)には弱い(笑)

当たり前か。
普段なら尻尾を振って歓迎する犬達が、叔父が酔って現れると、いっせいに目をそらすらしい。
目を合わせると、犬好きの叔父は犬に寄っていく。
頭を撫でるぐらいならまだしも、噛み真似をするらしいのだ…しかも、犬の鼻っ面を。
嗅覚の優れた犬にはたまらんだろう。

かわいそうに…といいつつ、そのことを、叔母は笑って教えてくれた。

されば、人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。
存命の喜び、日々に楽しまざらんや。
     『徒然草・第93段』


ISBN:4167523086 文庫 中野 孝次 文藝春秋 ¥700
先の読んだ「ハラスよ!!ありがとう」の大人版…。

読み始めた時「しまった…!」と一瞬おもったが、すぐに「まいいか」と考え直す。
私らしい(笑)

ただ、子供向きに書かれた「ハラスよ!!ありがとう」にはないエピソードも入っているので、それを楽しんだ。
なんと言っても犬のはなし。
重なる話を読んでも、ちっとも苦にはならない。

それどころか、著者夫妻のハラスへ愛情を、失った時の哀しみを、慟哭を耳元に聞きながら読んでいた。

表紙は著者の知りあいである山岳画家の熊谷 榧(かや)さんスケッチによる陶板。
雪山で4日間、行方不明の後、生還し、皆が泣きながら喜んでいるた時のハラスをモデルにした。

本書には所々に、歌が挿入されているので、気に入ったものを挙げておく。ハラスの成長・老化とともに、著者の心に去来した、その時々の思いである。
そこには感じるものも多かった。

・年々春を惜しまんと欲すれど春去って惜しむを容さず     (蘇軾)
季節がすぎるように、人は年を取る。犬はもっと早く年をとる。最初の1年に20歳、あとは4歳づつ。(年×7倍という説もあり)

・つひに行く道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを    (在原業平)
いつの間に、ここまで年をとったのか。毎日忙しくしていると"死"の存在すら忘れてしまう。しかし。"死"を忘れんがため毎日を忙しくしているのかな?と思わないでもない。

・犬は犬、我は我にて果つべきを命触(ふ)りつつ睦ぶかなしき   (平岩米吉)
犬は犬であって犬ではない。すでに家族である。その気持ちは良く分かる。

・犬として死に行く犬の老姿ひたに見つめてわれはありけり

・あたたかき舌を触れつつわが掌(て)よりもの食(は)む日々もはやつきんとす

・わがそばにありて縁(えにし)のつくるまで静かに生きよ腰は萎ゆとも   (平岩米吉)

2004年、著者はハラスのもとへ旅立った。

ISBN:4167523019 文庫 中野 孝次 文芸春秋 ¥470 
著者が47歳から初めて飼い始めた、柴犬のハラス(1972.6.10.-1985.5.15.)
なんと血統書つき(!)の純粋な(?)日本犬である。

その時からハラスは家族となり、ほかの何ものにも変えがたい存在となった。
失踪や喧嘩、病気などさまざまな事件を過ごして13年間、ハラスと過ごした日々は輝いていた。

生き物は、死ぬ。
特に動物はたいてい人間より先に老い、死ぬ。
それは分かっている。
だから、人は、やがて老いることを目の当りにし、命の永遠ならざるを知り、命の尊厳を思って、他者へのいたわりを知るのだ。

だけど、最近は流行で犬を飼いますよね。
著者も書いている。
テレビで流行った、CMで流行った、人気俳優が飼っていた……でも、貴方が飼うのは"流行"ではなく、"命"だってこと、忘れなさんな。

動物を飼えば、長期旅行なんてとんでもない!
それと引き換えにしても飼いたい人だけが飼いなさい。
それと、散歩させるのが嫌なら、犬なんて飼うな。
某作家(犬好き)は
「散歩させないなら、保健所にやれ」
と過激な発言をしている。
それぐらい、動物の"生"を思いやり、一大決心してから飼いなさい、ということだ。

本書は、子供向きに書き直された本だということで、文章がとっても平易である。
ま、大人が読めないほどではない。
犬を愛する、この、ハラスという犬を愛する著者の心が痛いほどに伝わってくる。

雪山で失踪してしまったハラスを必死で探す著者夫婦の気持ちは痛いほどに分かる。

母親が以前飼っていた紀州犬のことである。

この本ではストレスからハラスを襲うとんでもない紀州犬がでてくるのでひやっとした。
紀州犬というのは猟犬だもんな…ガタイもでかいので柴犬では対抗できまい。
しかも老いた柴犬では。

…で、飼っていた、その紀州犬(オス)だが、あまりに精悍で力が余っているため、叔父の家に預けられることになった。
叔父は冬季、狩猟をする。
獲物は猪。
猪は、ご存知の通り、畑を荒らす、害獣なのである。
もともと彼は叔父の家で生まれた犬で、両親と兄弟のいる実家に帰ったわけなのだが…
馴染まなかったらしい(笑)
ある日行方不明になった。

その1週間後、母の家に現れたのだ。
それこそのまず喰わずで痩せきって。

母は最初、他犬だとおもったらしい。
叔父の家からは山を幾つも越えねばならない。
まして、もらってきた時は子犬、今回預けるときは車で連れて行ったのだから、そのルートが分かるはずがない。
なのになのに。

匂い…はない。
そうやって、方向を、道を知るのだろうか?
犬って不思議だ。

母の与えた水を、それはもうがふがふとすごい勢いで飲んだそうだ。
道中、水すら口にしなかったんだね…。

しばらく母の元にいた彼も、再び叔父の元へ預けられることになった。
行きたくないと哀しげに鳴いてはいたらしいが、そうできぬ事情もあり、叔父の元で兄弟と喧嘩しながら、私の従兄弟の子供のいい遊び相手になりながら暮らしていたという。

大猪の牙にやられて、失血死するまでは。

一度きりしか会えなかった彼だったけど、やはり悲しかった。
抱きしめてやりたかった。
じーさんになるまで、生きていてほしかった。

他者への思いやり、自分以外の命に対する思いやり。
それは動物と触れることで一層膨らむものだと思っている。


ISBN:4591074595 単行本 中野 孝次 ポプラ社 ?683
IT世間につながれた現代人
…というのが副題で、成る程ほほ〜と思ううちに読了。

ITって最新最先端だと思っていたけれど、日本においては違っていた。
大人な社会、個人を確立できている欧米などの社会では、"個人"がしっかりしているから、最新最先端のすばらしき技術だ。
だが、日本は違う。
IT(特にケータイ)に首輪をつけられて、振り回されている。
しょっちゅうメールをするのは、そうしてどこかのグループに繋がっていないと安心できないからだ。

そうか。
小学生のいじめ、グループからの村八分、それといっしょなんだ。
常にメールで連絡を取り合って、どんなにしょーもない情報でも知っていないと話ができない、話をしてもらえない、グループからつまはじきにされる、だから、必死でメールを返し続ける。

あの、男女構わず、ところ構わず(病院でも平気でやっている。病院だよ!病院!)メールを打ち続けるあの姿。
顔は鬼のように、一点を見つめて心ここにあらず。
鬼気迫って怖いと思ったらそういう理由かい。

自分だけが、どんなしょーもない話でも、情報が回ってきてない(メールで教えてもらえない)となると、即座に村八分気分なんだってさ。
それが怖いんだってさ。

その渦中にいて周りが見えてない中毒者には悪いけど(悪くはないか)、笑ってしまった。

日本における、ケータイって、そういうものだったのか。

…で、そういう現象を、サルであると。
ちなみにニホンザルも起きている間中、誰かとつながっていないと落ちつかないらしい。彼らはひと所にずっといることはないが、フィールドを広げようとするわけでもなく、結局は馴染みの領域をウロウロと徘徊しているにすぎない。行動も食べ物のいっぱいあるところに、仲間でワーッと押しかける。現代の日本人はまさしく、言語面だけでなく、明らかに行動的にもサルに逆戻りしている。先祖返りである。
と、ここまで言われたらかえってすっきり、笑えますよねぇ。

ケータイを初めとするIT技術で世界に羽ばたいた…かと思ったら、とんでもない。
精神的に大人になりきれない日本人の若者は同類の溜まり場のなかをふらふら〜と漂っているだけなのだ。
それはサルと一緒だと。
あんたたち、先祖がえりしてますよ、と。

また、所かまわずに(特に車中で)ケータイを使う、化粧をする、食事をする…というのは、そこに"自分だけの空間"があると錯覚している、思い込みたがっているからなのだと。
家にいるのと同じ感覚。
バリアーを張って、殻に閉じ篭っているのだ。
周りには誰もいない誰もいない、私だけ、と自己催眠でもかけてるのかね?
つまりは、他人の中にいる、という緊張感が保てないらしい。
だから、すぐ座りたがるし、立っていても海月かあんたは?というような立ち姿になったりするんですね。
ふぅむ、納得だ(笑)

そして、一緒になって大勢で騒ぐのが好き。
これまた、"他人と一緒"を好む"自分だけ違う"を畏れる若者の特徴であるが、上記を考えれば説明が尽くし納得もできる。
「皆で一緒なら怖くない。なんでもできる。たとえそれが卑怯千万、法に触れることでも、人を傷つけることでも。だって皆一緒だもん。自分だけじゃないんだもーん。」
というところか。

そして、普段我々が、わけのわからない事件が多いと思うことも、本書ではある程度説明がついている。
わけがわからない、というのは、犯罪の理由がわけがわからん、ということだ。

すぐにキレるとかムカツクとか言うけれど、なんでキレるのかわからない。
ムカツク理由がわからない。
たかがそんなことで?と思う。

許せない、と思うのは、自分がなんとなくもやもや〜と不愉快になり、イライラが募るからだ。
自分だけが損をしていると思うからだ。
つまり、集合的な他者=世間が許せない。なぜか。自分だけ、不利益を被っている。自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組みになっている。だから、自分は復讐してやるんだとなる。その対象は自分が住んでいる生活共同体の不特定の他者に向けられている。矛先は世間なのだ。だから、まったく接点のなかった人間が犠牲になってしまう。

本気で競争社会になりつつある現在。
世界で唯一成功した社会主義国家といわれた日本が(いや本当ですって)いよいよ弱肉強食のケダモノ社会(笑)になりつつある現在である。
こういうのが増えるでしょ。
だって、いいままでは1億総中流、といって自己満足して平和に暮らしてきたのに、同年齢で給与の差が1.8倍でしたっけ?
先日、ニュースに出ていたよね。
それを「自分ばかりが不当な扱いを…」と思い出したらキリがない。
キリがないけど、そう思う人が増えるだろう。
…で、ムカツいたり、キレたりするわけだ。

なら、自分が勝者になってやろうと努力するのではなく、他者の足を引っ張ってやろうと。
1億皆が不幸でビンボーで敗者になればいいのだと、そういうマイナス思考になるのだろうか。
足を引っ張るのは簡単だよねぇ?
自分は努力しなくていいんだし。
努力して上に登るのはしんどいもんねぇ?
その点、自分の今いるところに人を引き摺り下ろすのは楽だよねぇ。

本書の最後のほうにヒルズ族について書かれたところがあった。
同じビルに一極集中して集まるヒルズ族のみなさま…

アメリカ式にベンチャー企業でことを起こそうというなら、地方から村おこし・町おこしの意義ももってやれるだろうと著者は言う。
それがベンチャーでしょ?
なんで上階と下階で同じ業種の二人(ホリエモンと村上氏)が住まなきゃならないの?と。
これって変でしょ、というわけだ。
六本木ヒルズといったところで、聞こえのいい長屋にすぎないのだ。家賃のべらぼうに高いだけの差異である。そんなところに住んで自己満足して、毎日お互い顔見合わせて飲み食いしなければ、一緒に仕事ができないというのでは、なんら昔と変わっていないことになる。毎日「こんにちわ」と挨拶しなければ、信頼関係が築けないのであれば、本当の意味で時代の先端をいく新しい風など入りようがない。実に日本的と言えよう。そんなビジネスのやり方は、欧米ではおよそあり得ない。
というように、どんどん日本は崩壊しているようです。
肉体的(経済的・財政的)にも、精神的(国民の)にも。

そうか。
ホリエモンも常に誰かとくっついてないと不安な未熟者だったのか〜(笑)
と笑うことはできるけど、はぁ〜どうなるんだろうね。
日本人サル化現象。

日露戦争の時のロシア皇帝は日本人を「猿」と呼んだけど、いよいよ真剣そのもので、イエローモンキーと呼ばれる日が来るわけだね。

ISBN:4062575264 新書 正高 信男 講談社 ?819
2006年のペナントレースも終盤に差し掛かり。
秋風の中、阪神タイガースは中日ドラゴンズを追いかけている。
90%、いや、99%、その結果が想像できたとしても、追いかける。

決して追うのをやめないタイガース。
奇跡を信じて、追い続ける。

わくわくする。
心のどこかが熱くなる。

いつからこんな執念深い…もとえ、諦めない立派なチームになったんでしょうか。
ファンとしては涙が出ます。

3回その優勝を見たらその人の生涯は終わるといわれた阪神タイガース(20年に一度×3回=60年という計算だ)
私はすでに3回見てるし…。(大丈夫だろうか?)(笑)
実際、私の嘗ての上司はマジで心配していた。
この上司と来たら、仕事中だというのに、もう一人の阪神ファン(この人も私の上司だった)と口論になったことがある。
「どっちがより阪神ファンであるか…」
だって。
結局、どこまで遡ってメンバーを言えるかどうかで決着をつけたのだが。(つまりどれだけ昔から知っているか=どれだけ昔からファンであるか、に置き換えたわけだ)
仕事中ですってばさ。

阪神ファンって…。

かく言う私も隙あらば、チャンスがあればなにか貰おうと思って(笑)阪神ファンであることを公言している。
なぜならば、うちの会社はバックネット裏のグリーンシートを年間予約でもっているからだ。(無茶苦茶高いぞ〜!肉眼で選手も監督も顔を見られるけど)
ま、接待用だけどね。(いいな〜接待される人は)
昔は、阪神が弱弱の時は、チケットが回ってくることもあったのだ。
勿論喜んで跳んでいったとも!
何故か広島戦が多かったが。
またそういう美味しい話がないかと、せっせとファンであることを宣伝しているわけなのだ。
社員の多くが阪神ファンだから望みは薄いが…(笑)

で、公言し宣伝すると、初めての人(社員である)にはまず大抵「えっ?!」と二・三歩引かれ、そしてまじまじと見られ、「こわ(い)」といわれる。
なにがやねん!
なんか文句あるんか!?…というこの態度が悪いのだろうか?

…で、ことここに到って、3年前の写真集なんぞをごそごそと取り出してきて見入る(魅入る)私。
あれ?
表紙の色が違うけど…まぁいいか。

たった3年なのに、消えていった人もいるわけで、しみじみとする。
それにたった3年なのに、なんだか皆、若いな…。
この3年で、そんなに苦労しました?

星野監督は相変わらず男っぷりがいいし♪
阪神に活を入れてくれた御人だからね。
ついつい贔屓目で見てしまう。
なにしろ、野球のさっぱり分からない母親も星野監督だけはファンであると公言するのだ。
人を惹き付ける人なんだなぁ。

今日も勝った。(中日も勝った。ちっ、しぶといやんか。いい加減に諦めたらどうや。←どっちの科白か?)

最後まで、闘う猛虎の姿を見せて下さい。

ISBN:4583037597 大型本 ベースボール・マガジン社 ベースボール・マガジン社 ?6,300
初読なんだけど。
あ、レビューでないかぁ…残念。
インパクトのある絵なのにな(笑)

………自分の、12年前のエッセイ漫画、つまり実際にあったこと、自分の周辺を漫画にして書いているその作品集。

作者が二足の草鞋をはいている、つまり、漫画だけでは到底食べて行けなくて、デザイン事務所で働いている時の会社や上司、同僚や友達の話から始まって、その会社をクビになって山中のホテル勤め。
思いつき(としか思えない)で東京に飛び出してしまうその思い切りの良さ
…へと続く文庫化第一巻である。

内容はギャグです。
真実を書いているのに(少々はデフォルメしているにせよ)…ギャグだというのも凄いけど。

それにしても、身近な会社エッセイって…面白いね。
文章にしても面白いだろうなぁ。
勤めている会社に"モノ申したい"人は、それこそ枡で量り車で量るぐらい、一杯いるだろうから。
溜飲を下げたい人は山ほども、いるだろう。

会社勤めは大変だ。
自分の夢を追いかけていると特に大変だ。
どちらにも、そこそこに力のを入れてやらないといけない。
どっちが主でどっちが従だったか、わけが分からなくなるのは哀しい。
だけど、会社は"会社に全力を注げ"とか言うんだよね。
"趣味よりも"、と言うならまだ分かるけど、"家庭よりも家族よりも自分自身(の健康)よりも"、なんていわれたら反発するよね、誰でも。
だけど「自分達はそうだった」とか元企業戦士の一部はわけの分からん理屈を並べ立て、我々にもそうしろと強いる。

やってられるかぃ!
…と、今時の若者でなくても、反発する。

会社の為に生きているンじゃないもん。

労働基準法スレスレで、びくびくしながら社員を脅している会社、結構あるんだよね。
しかもそういう会社に限って、優良企業の表彰をもらっていたりするんだ…

著者だって、そんないきなりええの?というぐらい乱暴なクビ宣告を受けている。
もっともその後、しかるべきところに訴えて、10万円をゲットしたらしいから、ひとまずはよしとするけど。
泣き寝入りはいかん、泣き寝入りはな!

もめた挙句に辞職するなら後輩のためにも、ついでにチクッっていけばどうかなと、思うんだけど。
労働基準局とか、知り合いの弁護士とか…なんなら共産党新聞とか?
それは自分勝手というものかしらん?

それにしても二足の草鞋。
今のNHKドラマでは女流作家・田辺聖子が若い頃、金物の会社で働きながら小説を書いている。
夜中まで眠れずにネタを考え、出版会社からは「残念でした」の落選通知が届き、会社では……とまあ、夢を追いかけるのは、楽しいけどしんどいことです。
いや、しんどいけど、楽しいことなんだよね。

ISBN:4821183579 文庫 柏屋 コッコ ぶんか社 ?670
必ずしも列車内で殺人が起こるわけではないという西村京太郎サスペンスである。

寝台車ではない夜行列車…というのは、夜行バスの列車版。
ただし、歴史はこっちのほうが古いはず。

東京を夜の11時過ぎにでて、終点の新潟には夜明け前(たぶん)に到着。
そう、ちょうど今頃?いや、もうちょっとだけ(30分ぐらい)前かな?

そういえば、大阪〜東京間を繋ぐ夜行列車(たぶんこっちは寝台車)、銀河ってのもあるね。
新幹線の最終より随分あとに出発して、翌朝7時過ぎに到着なら御の字。
利用客はバスに取られて減っているが、情緒は列車のほうがあるはず。

東京での大学生活を終え、故郷の新潟に帰ろうとする若い女性と、ついうっかり殺人を犯し、故郷の両親のもとに帰ろうとする若い男。
その二人がたまたま同じ列車に乗り合わせてしまった。
ただそれだけの、ことで、終わるはずだった。
本当は。
そして…姿を消した。
二人ともが。

女性は私立探偵が。
男性は警察が。
最初は別々に、二人の捜索が行われるのだが、やがてひとつの接点が見つかる。

ちょうど例の中越地震の後の頃に舞台が設定されていて、犯人たちが逃げ回り潜伏するのが崩壊し無人となった山中の村々である。
山古志の名前も出てきて「まだ通行止め」という哀しい科白も並べられる。
生活の基盤を失った国民に、この国は本当に冷たいということをひしひしと感じるのであった。
阪神大震災も、まだ復興はしていない、と言われるように、この国の人々は「喉もとすぎれば忘れる」民族性がいい場合もあり、悪い場合もありで、この場合最悪の方向に働いているなと思わずにはいられない。
殺人の動機も、地震ですべてを失った両親への思いである。
でも…。
成り行きで殺人、だから殺人をしたという慄きとか、恐れとか、そういうものが欠如しているのは、人間として許されない。
いくら両親を思ってのこととは言え、それを許すわけには行かない。
相手が人非人だからといって、自分が人非人になって許されるというものではなかろう。
まして、その後の行動が!
罪を重ねることに躊躇がないのが、なんとも恐ろしいけど、今時なのかな?

ひとさまの、何年も掛かって必死で稼いだお金を、騙し、脅し、楽して掠め取ろうとするのはどういうものだろう。
それが上手くいくのが、すなわち自分の"才覚"だと勘違いし、自分は"賢いのだ"と錯覚し、居丈高にふんぞり返るのは。
でも、犯罪者ってそんなもん。
そんなもん(人間)だから、犯罪者になるんだし。

あぶく銭は身につかない。
たまには日本昔話でも読んでみたら良いのに。

さてさて。
寝台車の話である。
私は寝台車には何度か乗ったことがある。
別に威張ることでもないが。
水俣(熊本)〜京都間である。
随分昔の子供のころのことだし、"テツ"じゃないので、列車の名前も構造もなにも知らない。
ベッドは3段のものと2段のものがあった。
3段の時は、進行方向に垂直。
2段の時は、進行方向と平行にベッドが作られていた。

嗚呼、思い出深い…。
朝方だったかな?いや。夜か?
食堂車でごはんを食べたら気持ち悪くなって吐いたのだった。
揺れが酷かったのかどうか…とりあえず"酔い易い"子供だったから、列車内での飲食は無謀だったかもしれない。
メニューはハンバーグステーキだった。

高校生になったらさすがに思慮深く(?)なって、また乗り物への耐性もできてきたのか、ベッドでお弁当をぱくついた。
鳥の丸焼きだった……。

食べたものはよく覚えているものだ。
たとえ戻したとしてもだ。

寝台車ではない夜行列車は…乗ったことがない。
この"えちご"のような列車は。
夜行バスは何度か乗った。
行き先はTDLである。
大人だったので、車酔いはなし。
ただし車中の飲食もなし。(笑)
だって眠いんだもん。

あとは、中華人民共和国の寝台車に3度乗っている。(幸か不幸か)

?宜昌〜武漢間の1泊。
 学生時代だったので元気があったからまだ良かったね、という旅。ポットにお湯が、カップに茶葉がサービスでありました。
上下2段だけど、登るのは…とっても大変。
小さな取っ掛かりしかない。
そこに足を引っ掛けてアクロバットのように身体を持ち上げるのである。
いや、まじで。
それでも三峡下りの船よりは眠れたな。(船は、真夜中にすごい勢いで、トランクがど〜んと倒れるぐらいの揺れで飛ばすので、怖かったし、外国人用の船でもなかったので、いささか寝づらかった)

?北京〜大同間の1泊×往復。
 フランス人の小団体と一緒になる。
下手な中国語で「何時に大同に着く?」と聞いてくるのでなにをいっているのかさっぱりであった。
「What?」でようやく「You can speak english!」と目一杯驚かれたので「I’m japanese」といったら余計驚かれた…なんでや?
仏蘭西よりは日本のほうが近いんやで。
中国は。
一応お隣さんやしな。

同室のフランス人(女)がほかのコンパートメントに遊びに行ったまま夜中を過ぎても帰ってこないので、同室の中国人のおじさんと相談し(言葉は通じないがなんとなく…)鍵をかけて寝た。その後ノックも煩く帰ってきたのはフランス人男性だったけど。(さてはアジア人ばっかだから交代させられたな?)
荷物棚はベッドよりも高いところにあるのでトランクなんかとてもとても持ち上げられたものではない。
仕方がないので足元においとこうとしたら、同室の中国人男性が上げ下げしてくれた。
優しいな〜♪
お茶葉のサービスは無し。
お湯だけあって、あとは自分で用意しろと…おのれ……。

?そして…真昼間に特急代わりに乗せられた(つまり寝台車としてではなかった)のが、上海〜杭州間。
これはぎゅーぎゅーに詰め込まれたので、快適とはいいがたかった。
お茶葉もお湯も無く、込みで有料。

あと、寝台車ではないけど、中華民国、すなわち台湾で特急に乗っている。
台南〜台北間。
特急で指定席なのに…都会(台北)が近づくと通路に一般客が立ち並び、トイレにすらいけない状況になってしまった。
平日なのに。
お昼なのに。
何故?

あとは、仏蘭西でバスの車窓からみたTGV…乗ってみたかったな…。
いや、私、別に"テツ"ではないです。
これぐらい、普通の感想でしょ?

せいぜい、トワイライトエクスプレスで北海道…!
とか、ず〜っと夢みているぐらいだし。

ISBN:4396208170 新書 西村 京太郎 祥伝社 2006/09 ¥860
これを読書というのは……ちょっと、いや、かなり無理がある。
無理があるけど、好きだから、絵をみて喜んでいるから…といえればいいんだけどな。
ちょっと違う(笑)
ぜんぜん違う。

そう。
必要だからです。
ソフトをもっているからさ。(くそー)

所謂ゲームの攻略本というヤツですね。
スクエア(現スクエアエニックス)は、この「ファイナルファンタジー」シリーズでどんどん出世した会社なんだけど、同時にこの攻略本というやつもどんどん太くなっていった。
…というか、ロールプレイングであるというなら、ゲーム上のヒントだけで、プレイヤーが推理を働かせて(頭を捻って)正解にたどり着くのがほんまのRPG(ロールプレイングゲーム)であろう!…と私は今でも思っているので、そういう意味では邪道になって行ったその歴史を語るものでもある。

だいたい、攻略本がなければ先に進めない課題を作っちゃうのが邪道だわな。
F・F7でも在ったよね。
ミサイルを止める暗証番号なんて、どこにヒントがあるんだよ、キー!!
 …ってお猿になっちゃうところだよ(なりかけた)、まったく…。

その後も、複雑になりすぎて、ゲーム進行上のシステム説明だけではわけが分からない。
攻略本を読まなきゃ分からない、というのがあまりに多すぎた。
それはもうRPGじゃないよ。
スクエアよ…開発の方向間違ってやしないかい?
それがために、F・Fシリーズから離れていった人間がどれだけいただろうか。

ま、これは今流行のニンテンドーDS用のゲームの攻略本。
むかしむかし出たゲームソフトをDS用に焼きなおしてちょっと前に発売されたものの攻略本である。
歴史を感じるにはいいかな、とも思ったけど。
太すぎ。

総ページ…433ページ。
かなり分厚い。
勿論、ソフトよりもゲーム機本体(DS)よりも遥かに太くて大きい。
やはりこれだけないと、説明し切れませんか?

私の場合は初めてやる(と思う。記憶がいい加減で断言できないけど)ゲームだから、まぁね、いいけど、と自分をごまかしながら買った。

だけどだけど…これまたDSで通信機能(所謂ネット)を使いましょう♪ 
それでしか入手できない業種とアイテムがあるんですよ♪

   …なんて、相変わらず開発の方向間違ってるぞ!といいたくなるシステムを発見。

そんなにオンラインにしたいのか……?
原点に戻って欲しいものである。

こんなぶっとい攻略本なんか、出さなくてもすむように……

あ、ゲームは面白そうです。
昔風というか、単純明快で分かりやすくて。
すると、ますます…こんな太い攻略本がいるか…?と思いますけどね。
(イラストを増やしてよ、どうせならさ。)

ISBN:4757517912 単行本 スクウェア・エニックス ?1,400
1377年のロンドン…といえば、エドワード3世が瀕死の状態にあり、その没後、まだ少年である孫のリチャード2世が跡を継いだ。
リチャード2世とは、つまりあの"エドワード黒太子"の子供である。
そう、まさしく時は英・仏が戦いに明け暮れ命を削り疲れ果てたあの百年戦争の、その直後の時代なのである。

ちょうどその頃、ロンドンの裕福な貿易商であるトーマス・スプリンガル卿が毒殺される事件が起こった。
同時に犯人と目された執事の死体が見つかって…。

さぐればさぐるほど、怪しい。
さぐればさぐるほど死人が増える。

それはよくある推理小説…かもしれない。
でも、時代は中世。
ロンドンはペストの猛威にさらされた後。
そして、強大な威圧感を持った老王がなくなり、王国の箍はいささか揺らいでいる…。

反逆の匂い。
裏切りの甘い香り…。

自殺か他殺か。
殺人であるなら、犯人は、果たして誰なのか?

この作者は初めて読む。
そして、ものすごく、リアルなんだと思う。
なにがって、ロンドンのシティの描写である。
はっきり言うなら
臭い!汚い!息をするのも我慢ならんぞー!
と、その臭気すら漂ってくるような錯覚を覚える。
読者にそこまで嫌悪感を覚えさせるのだ、著者の力量はすごい…んだろう、やはり。(でも、いい加減にしてほしいぞ)

現代日本人なら、一日たりとも生き延びられないような、そんな場所である。
どんなお屋敷で、結構な暮らしをしていようとも、一歩外に出ればすさまじい…シティの様相。

私はそんなに潔癖症でもなければ掃除魔でもないし、片付けないと我慢ならないという人間ではないが…うわー!これは我慢できないよ!
   …と思いましたよ、ほんまにね。

それは時代を理解させるための作者の、あくまでも情景描写なんだろうけど、くどい、と思える。

カドフェルだってここまで酷くはなかった…。
嗚呼あれは修道院だったから?

うんにゃ。
ファルコだってここまで汚い住処じゃなかった(失礼?)
嗚呼あれはお風呂好きのローマ人か…

まあそんな有様ですわ。
そういや革命期の仏蘭西(18世紀末)だって、下水が未発達で路地は最高に汚かった。
だから貴婦人はたか〜いお靴をおはきあそばした、というぐらいだったな。
その点、百万都市江戸なんかは、美しいほうじゃなかったか。
どんな長屋でもご不浄はあったし、大家がちゃんと管理して、近在のお百姓さんに人糞を売って、その代金で正月の餅を長屋の皆さんにプレゼント♪
とりあえず、道路にばらまく、なんて汚い真似はしませんよねぇ。
お風呂も好きだったしなぁ。
やはりそこが民族性ってもんですか?

……いい加減、この話題はそれとこう。

その中で起こる連続殺人を解き明かすのは、二人の人間だ。
王様から勅許を受けた(つまり王の代理人である)検視官・クランストンと懲罰の意味を込めていやいやながらこの仕事をさせられている書記・アセルスタン托鉢修道士。

クランストンは卿であるが、のんべんだらりと暮らす人ではない。
酒びたりの酔っ払いだけど…鋭い時は(時々だけど)鋭い物言いもする。
でもメインの謎解き役はアセルスタン托鉢修道士かな。
ただの修道士ではなく托鉢修道士だ、と本人は力説するが、異教徒にはその違いは分からない。
裕福な農村の長男として生まれ、生涯を教会に捧げるべきであった彼は、若気のいたりで弟(実家を継ぐべき立場だった)を誘いリチャード王の軍隊に入り、仏蘭西で戦い、挙句、弟を戦死させて英国に舞い戻った。
悲報を聞いた両親は相次いで死亡。
それがトラウマになっている。
自分の罪だと思っているからだ。
教会からは非難され、本人も贖罪とかで意に沿わぬ仕事をさせられ続けているという。
…ということで、検視官の書記、というのも贖罪の、つまり罰なんだそうで、ぶちぶち文句を言いながらやっている。

だが、文句を言うのもわからんではない。
この飲んだくれ検視官は、まったく…のんだくれなのだ。

ジョン・クランストン卿にもそれなりの事情があるんだけどね。

ま、とりあえず、このコンビで事件の調査(検視官って警察みたいなこともするのね、と思った)に乗り出す。
汚い手もそれなりに使って…。

う〜ん。
中世だからね。
指紋もないし、解剖したってさほどは分からないしな…
そこでどうやって犯人を特定するかが問題で、ある程度推理が整っても、証拠がないと、立証できないとどうにもならない。
そのあたりが検視官も作者も腕の見せ所か。

これからシリーズもので続く模様、です。

それにしても、卿と名のつく人が、商人だったり検視官だったり役人だったり…。
ジェントリだからかいいのか、と思いつつ、中世期の身分制とかそのイメージがよくわかんないです。
貴族、とは書いてあるんですけどね…貴族?
働く貴族?
まあいいけど。


ところで、当時はホモ(同性愛者)は極刑だったんだけど(というのは有名な話で、中世どころかほんのちょっと前までそうだったんだけど)その刑罰というのは、いかにもシティらしい(汚らしく貧しい)サザーク地区で釜茹でなんだそうだ。
石川五右衛門か…?

でもこの小説を読でいると、多いぞ…そーゆー趣味の人間は。(大丈夫なんか?)

ISBN:4488219020 文庫 古賀 弥生 東京創元社 ?840
これまた家人から回ってきたレンタル本である。

西村京太郎は、父親が好きだった。
…というか、旅が好きな父親だったから、列車で日本国中を走りまわるのが趣味に合ったんだろうと思う。

今は母が読んでいる。

十津川、というのは関西では普通に読む地名だが、まあ珍しいといえば珍しいのかもしれない。
普通といってみても、私だってまだ行ったことはない。
行ってみたいとは思っているが。(随分不便だというし…)

だいたい関西(近畿地方)では、和歌山や奈良の県境あたりは非常に行きづらいので困る。
和歌山なんて、大阪から紀伊水道〜太平洋沿いにぐるぅりと回らなきゃならん。
白浜は昔から有名な海水浴場だが、ぐるうぅりのおかげで随分遠い。(京都からは)
特急はいつも満席で大変だー。
…とはいえ、このJRの特急から見る太平洋の光景は、とっても素敵。
迫力がありすばらしい。
列車の混むのも仕方がないといえば仕方がない。
JRというのは、本当に、すばらしい景色のところに線路を通しているから、「おおっ!」と声を上げる景色って多いんだよね。
さすが、国有!というところ。
力技で線路を敷きまくった、という感じかな。

行きづらいのに行く。
その理由はこの景色だ。

さて、今回は津軽、というぐらいだから、東北である。
十津川警部が右腕として頼りにするカメさんこと亀井刑事が事件に巻き込まれる…最有力容疑者、しかも殺人容疑で。
ことの起こりは甥っ子の結婚式に有給休暇をとって東北に向かったカメさんが誘拐されるところから始まるのだが。

見事なまでに罠に、しかも二度もはめられて身動きならないカメさんを、十津川警部ほか警視庁の仲間達は救えるのか?

しかし…十津川警部が冤罪を晴らそうとやっきになって走り回るその時々に、警察という組織の"身内意識"とか、"内々での決まりごと"みたいなものが見え隠れしているのが面白い、というかリアルだなと思った。
地方の警察署をたずねてみれば、「身内のことで相談が…」といった十津川警部に、速攻「交通事故ですか?」と声を潜めて(そのように感じた)たずねる。

ほぉ〜?ふぅ〜ん?

身内の交通事故だと、どーだとゆーのだろうか?
そのあたり、聞きたかったりして。

死亡事故でなければ、たとえひき逃げ事故で怪我をしても被害者に向かって、
「アンタが自転車で車に突っ込んだんだろ。」
  (自転車は真後ろから追突されているのに?)
「あんたが悪い。」
  (車はスピード違反でブレーキ痕もないのに)
などと、交通事故はなかったことにしようとする警察とか。

車同士が僅かに擦った接触事故で、相手が女性だと知ると家まで押しかけて脅しをかけ、修理代をぼる(ふっかける)人間が、実は元警官で、間にたった警察とは
「修理代をふっかけてやれ!」
などといいながら話を進めていたとか。

そういう話は身内と友人から見て聞いてますから、知ってましたけどね。

十津川警部の活躍で、カメさんは無事に冤罪も晴れてヨカッタヨカッタ…で最後の"オチ"はすとんと落ちてあっけないぐらい。

推理的には意外性もあり、楽しめた。

ISBN:433474107X 文庫 西村 京太郎 光文社 ?560
漫画と川柳で…なくっても、ツボに嵌まりまくりなんですけど!

いや、シバイヌ、シバわんこのマニア(失礼)(笑)とか雑誌とか、知ってましたよ、あるのはね。
だけど自分がはまるとは思わなかった。

4コマ漫画とイラストと、ちょっとした(犬と飼い主の)呟きと…。

なにせ、生きてる柴犬が大好きで、それは写真集を買い、エッセイをかってもヌイグルミやオモチャ・漫画の類は買わないというのが私の主義だったから。

シバの"のほほん"とした顔。
いかにも日本犬、という、暢気でぼんやりした表情。
でも、もともとは狩猟犬です、という祖先の血が燃える時、垣間見せる凛々しさ(日本犬はみな猟犬だと聞く)

素敵です。
洋犬には感じない魅力です。

ところで、柴犬って一度絶滅しかかっているんですよ。
戦中、殺されて、その後、なかなか増えなくて…もう絶滅だ、と思われていたんだそうです。(中国や韓国じゃないから、まさか日本人が食料危機で切羽詰って食べたのか?とは思わないけど←失礼?)
でも、それが保護運動やらなんやらでここまで持ち直して…よかったよかった。
柴犬好きとしては柴犬のいない世界なんて!
…ですからね。

ああでも。
どうしてよそさまの家の柴犬は"ご主人様命!"なんだろう。
たまにはこっちを向いてほしいのに…。
散歩しながらご主人様の顔ばかり見ている。
(だから時々つまずいてやがる。阿呆め。)(笑)

私もまた、柴犬飼いたいっ!!
(昔飼ってたんだけど)

追伸))
母親と妹が…この本に嵌まってしまった…。
昔飼っていた犬(柴犬と紀州犬)を思い出してしまい、ひとしきり思い出話に花が咲く。
大抵は奴らの失敗談なんだけどね(笑)
バカだけど可愛い…ああ、まごうことなき親ばかである。
柴犬家族だよなぁ。

ISBN:4777803147 ムック (著) 辰巳出版 ?1,050
こーゆーのは、料理のテキストにはならないよ、と言うことは重々理解しているはずが、表紙を見るとつい、手にとってしまうものなんだよなァ。

当たり前だけど、いつもの夫婦漫才(?)が少なくてちょっと寂しい。
ところどころの漫画で心を休めるしかないか(笑)

ただし、
「勝負ごはんってなに?」
「勝った負けたっていったいなに?」
とトニーの鋭い指摘がしょっぱなから飛んでくるところはさすが。
相手が喜んでくれればいい、作ってくれた人への感謝を忘れないようにしなくちゃね、とまぁそこは無難に落ち着くわけですがが。

おかーさんという強力な味方も得て、さおりさんが作る、ちょっと換わった、でも楽しい料理のレシピ。
決して難しくない。
そこら辺の材料でできるのがお薦めか?

"れんこん餅"
とか
"冷製シーフードスープ"
とか
"さくらんぼのスープ"
に食指が動いた。

あっさりと、身体によさそうなお料理が並んでいるので、家族に見せて作ってもらおう〜♪

…っとと。
誤解のないように。
全部でレシピは30品目弱あり。
結構たくさん載ってます。

追伸))
母が気に入って、この本、もって行ってしまいました。
まぁ、別にいいけど。
なにか作ってくれるのかなー?
(甘いか?)

追伸その後))
母がとっても気に入って、よかったよかったといいながら返してきた。
…………………………………………
ので、つい、「あげるえ(あげます)」
といってしまった私。
いいんだ、喜んでくれるのなら。
別に。
いいんだ。
この本が役に立ってくれるのなら。


ISBN:4789729370 単行本 トニー ラズロ ヴィレッジブックス ?1,050
ヤナギダクニオ、といえば、ついつい別の人物を想像してしまい勝ちだった私(笑)

だから、著者・柳田氏のエッセイを(エッセイに限らず)読むのは初めてのこと。
…で、感想は、といえば。
「もっとはやく出会いたかったー!」
である。

もともとエッセイが好きな私だが、この方の、ゆっくりと育み語る雰囲気が、とっても暖かく感じられる。

「生きる証し」
では、死を前にした方のエピソードが続く。
"いのち"はただひとつ。
忘れがちになることだけど。
ただひとつ。

そして、限りがある。
いつかは死ぬ。
いつかは終わりが来る。

自分も人も。
それを見据えて生きることが出来るだろうか。
いろいろと考える。

「愛のかたち」
自身が障害者であったり、家族が重い病気にかかったり。
自分は、どのように生きるられるだろうか。

或いは。
自分の人生が、艱難深紅の、山あり谷ありの、絶望的な前途に見えた時。
愛はどこへいくのだろうか。

「老いの支え」
人は老いる、勿論。
介護は?
人生の終幕を、どのように引くのか。

「ノンフィクションの愉しみ」
女性の社会進出。
既に世の中は、女性を無視しては進まない、進化しない。
それは、もう、当たり前のことなんだけどね。

「音楽のある風景」
レコードやラジオ(著者の青年時代はテレビではなくラジオがメインだった)
音楽を介しての人とのまじわり。

「愛犬のいた日々」
一番…私が一番喜んで、わくわくして読んだ章である。
柴犬大好きの私に、柴犬攻撃とは…あなどりがたし(笑)
実際に近所の柴犬の散歩に遭遇すると、皆、"ご主人様命!"で飼い主の方ばかり向いて、こっちはちらりとも見てくれないのだが。(前方不注意でモノにぶつかってる柴犬の多いこと!)
犬に支配され、犬をこよなく愛する人たちが、犬を通じて親交を深めた"犬神家の人々"とは、上手い洒落。

「マイ・プライバシー」
人には秘密がある。
話したくないことがある。
周囲の他人一人一人に対して、隔たる"距離"というものが存在する。
それをどこまで語るか。
それも年齢とともに、気持ちの変化があって、そしてゆっくりと溶け出す氷河みたいなものかな?と私は思う。

ざっと目次にそって述べれば以上の如し。
ただ、特に印象に残ったのは、「音楽」のところの、ピアニストの中村紘子氏(うとい私でも知っている、有名人だ)のエピソードである。
演奏中、右手を1オクターブ間違えて弾きだしてしまい、とうとう弾けなくなり、途中でやめて観衆に頭を下げ、やり直しをしたという話。
それに引き続いて著名なピアニストであるルービンシュタインがやはり弾き間違ったという話。
ルービンシュタインは、
左手とぶつかり合ってうまく弾けなくなり、もじゃもじゃとごまかして弾き続けるのを見てしまったのである。
だって。
そして、有名な指揮者・バーンスタイン。
彼はなんと、"跳ぶ"指揮者だったそうだ。
少し前に読んだ漫画「のだめ」をフラッシュバックする、出来事がこのふたつ。
のだめがやっていた。
片平さんが跳んでいた(笑)
…こういうことって、あるんだね、実際に。
漫画の著者は分かっていたのか。
なんだかなー。
真実は小説より…ってこういうことも言うのかな、と思った次第である。

そうそう!
本書で、謎が、というか、誤解がひとつ解けた!
それは「ヤマアラシのジレンマ」である。
命名者は、フロイト。
そう、あの、心理学のフロイトである。
ヤマアラシ・ジレンマという用語の語源は、19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウエルが書いた寓話にあるという。
二匹のヤマアラシが寒さのなかで、身を寄せあって温めあおうとした。ところが、ヤマアラシは背中から尻尾にかけて鋭い長いトゲが生えているので、密着しすぎると、傷つけあってしまう。しかし、痛いからといって離れてしまうと、寒くてこごえてしまう。そこで、くっついたり離れたりしているうちに、あまりひどく傷つけずに、適度に温めあう、ほどよい距離を発見した、というのである。
ドイツのフロイトは、この寓話からヒントを得て、人と人が親密さを維持するための距離のとり方の難しさを表わすキーワードとして、ヤマアラシ・ジレンマという用語をつくったのだという。

そして、このヤマアラズシ・ジレンマが起こり易いのが、夫婦の間なのだそうだ。
私の誤解は、前半部分しか知らなかったこと。
お互いに傷つけあうので、温めあえない、かわいそうな存在…そこまでしか知らなかったことだ。
解決方法も、ちゃんと知らなきゃ中途半端な、恥ずかしい知識だったね。

犬神家の人々…で出てきた柴犬の"ハラス"については、早速本を探し速攻注文した。
古い本のようだけど、あってよかったー。

ショックなのは、北極星が消滅に向かっているということだ。
消滅、といってもブラックホールになるわけではなく、"赤色巨星"というものになるということなのだが。
赤色巨星になるとどうなるのか?といえば、あの美しい煌々たる輝きがなくなり、赤みを帯びた星に変化してしまう。
北極星は、いま老年期に入りつつある星である。太陽のように盛んな水素原子の核融合反応によって輝いている壮年期の星と違って、すでに水素原子をほとんど消費しつくししていて、非情な高温になっている。このため、やがて星全体が膨張して、赤みをおびた老年期のいわゆる"赤色巨星"になる運命にあるのだが、いまはその直前の段階にある。

こういう段階の星は、老化をためらうかのように、少し膨張しては収縮し、また少し膨張するという脈動をしている。地球から観測していると、わずかながら明るくなったり暗くなったりするので、"変光星"とよぶ。
…(中略)…
北極星の脈動つまり変光が急速に弱まっていて、はやければ来年の1992年にはついに永久に止ってしまうかもしれないということがわかったのである。

何千年か何万年か後には、北極星は鈍く赤く光る星になってしまうのか

なってしまうのか。
私も愕然たる思いでこの文章を読んだ。

何千年、何万年も先のことだ。
私には関係ないことだ。
いや、そんなころには、人類だって存続しているのか、非情に怪しい。
だけど、だけど。

北極星は、目印だった。
いつも動かない、どしんと、そして煌々と光をともす指標であった。
その歴史は、人類よりもずーっと長いのだ。
人類の歴史の中で、あの星は、動じない、指標であり、原点であっただろう。
その、永遠のもの、と無意識に思ってきたものが……

そう思えば、諸行無常。
その言葉を知っていても、やはり平静ではいられないのだ。

ISBN:410124913X 文庫 柳田 邦男 新潮社 ?540
再生紙に印刷された、ソフトカバーの携帯用本。
ハードカバーの本がきゃーきゃー言われながら完売(?)してから数年掛かる出版…私は今まで我慢した。
これからも我慢する。
だって、本代が半値以下だもーん!

先に映画は見ているので、誰が犯人(?)か、などは分かっている。
だけど微妙に表現が、細かい演出部分が違ったりするのでその辺を確かめながら読むのも面白い。
また、映画ではすっ飛ばされたところ、背景・理由も説明される。
それが小説というものだから。

「賢者の石」
で憧れの(というか、存在自体知らなかったのだが)ホグワーツに入学。
とんでもない敵が生まれがながらにいるってことを確認させられたハリー。
「代われるものなら代わってやる!」
いみじくも今回ハリーがロンに言い捨てたように、それは彼の本音。

「秘密の部屋」
では英国の物語らしい、楽しい寄宿舎生活のあれこれ…
ほんまに楽しいかどうかはまぁ別として。
ここでハリーとヴォルデモートの関係というか因縁というか、そのあたりも描かれるわけだが、説明的な一作だったので、全体と比して評判は悪かった(笑)
一言で言うと、停滞していて面白くない…のだそうで。
小説でも、環境とか背景とかを説明しなきゃならない部分はある。
その辺は、作者であっても「いやだな〜」「面白くないな〜」と思いながら書いているんじゃないかな?と思うんだけど。

「アズガバンの囚人」
では両親の若きころ、ホグワーツ時代のエピソードを切れ切れに、だが髣髴とさせる出来事があり、なんと言ってもハリーの心強い味方が(!)増えた。
狼の、というか真っ黒い大きな狼でもある、シリウス・ブラックの登場。
ハリーを無条件に愛してくれる、保護者である。
嗚呼よかったねー。ハリー。
私も心から思ったよ。

そして、本作「炎のゴブレット」
暢気な(?)学生生活とは対極的な存在、命の危険をも賭して行われる"三大魔法学校対抗試合"
秋に始まり、最終試合は翌年の夏に終わるという…なんと長期にわたる戦い!というのを、本を読んで改めて思う。
映画じゃその季節の流れは分からない。
(ちなみに、水に潜るあの競技は、なんと2月にやっているという…!何を考えとるんじゃ!?といいたくなりませんか?)

地元ホグワーツはいいけど、出張してきているボーバトンとダームストラングの方々は大変だね。
食事はホグワーツの食堂で一緒にとっているけど、いくら"お城風"でも、一年近くを仮住まい(しかも同時に移動手段である馬車と帆船という)住みづらいのでは…?
勉強もしにくかろうに…かわいそう。

逆に言えば、こういう学生生活を送った彼らは、こういう学生生活を知らずに甘やかされた我々多数の日本人とは違い、どこでも実力を発揮できる、それが強みになるのか。

ホグワーツ・ボーバトン・ダームストラングの三校が、代表選手1名をそれぞれ選出して競うのだが…なぜか、4人目の名前が。
ハリー・ポッターの名前が、選手を選出する炎のゴブレットから出てきた、そこから不可解な事件が始まるのだ。

映画では、男女共学なのはホグワーツのみ。
ボーバトンはおふらんすな女学校。
(映画の登場シーン大好き♪)
ダームストラングはいかにも北国な(ソビエト的な?)男子校。
そう描かれていた。
(そしてビクトール・クラムは映画よりもずっと純真な青年である)
分かりやすく。

小説では、そうではない。
とりあえず、ボーバトンはそうではない。(ダームストラングはそのままの設定かも知れぬ)
男女ともにでっかい青い馬車に乗ってホグワーツを訪れている。
その中で選ばれたのなら、フラー・デラクール嬢は相当な手誰である、ってことだ。
(映画ではその印象が薄い。女学校だから、というのがネックか?)
また小説の最後はちゃんと次の作品への導入部を成している。
やはりそこは映画とは違う。

ハリーハリーと言ったって、ハリーは特別じゃない。
超人的な、存在ではない。

彼は一人では"巨悪"には立ち向かえない。(だってまだ14才なんだし!)
皆が協力することで、勝ちをとる。

ダンブルドアはそう言う。
それが、作者の言いたいことなんだろう。
超人的な、一人で戦える人間(魔法使いだけど)なんてなんの魅力もない。

彼の側の魔法使い達・魔女達…仲間達が、決意を胸に動き出した。

その中に、シリウスが加わっているのが私は嬉しい。
(出番ふやしてー!)(笑)

そして、ハードカバー本は既に2冊先行しているんだったっけ?
いいや、待ちますとも!(笑)
ええ!
勿論!!


ISBN:4915512606 単行本(ソフトカバー) 松岡 佑子 静山社 2006/09/21 ¥1,680

隠の王 4 (4)

2006年10月1日 読書
伊賀・甲賀・風魔に…まぁいろいろと。
忍軍の動きは活発になってきた。

どっかいっちゃっている人、人格の破壊された人(何故か大人に多い)が続々登場するので、こっち(読者)の方が安定感をなくしそうだ(笑)
これがこの漫画の魅力なのか?
それとも今の社会って、こんな風に思われているわけ?
こうあってほしいと思われているわけ?

私の住んでる日本とは、ずいぶんと違う世界なんですね…。

まあ、皆(他人)は精神を病んでいる!と思っている本人が病気だったりするわけですから。
これもひとつの象徴なのかな〜?

謎・謎・謎、な登場人物が多く出てくるし、奇妙奇天烈な過去があったりもするが、そのわりに人間としての底が浅い。
全体的に浅い。
そんな簡単な人生じゃないでしょ?
もっと重い・大きなものを背負っているでしょ?
一般人だってそうなんだからさー。
こういうお仕事をしている人なら、もっとすごいと思うんだけど?
とついつい辛口に考えてしまうのだ。

作品も4巻になってくると、その魅力とか、「おや?」とか思わせる何か、今まで気がつかなかった何かが見えてきて、印象とか感想とかも変わってくるものだが、よほど相性が悪いのか目が悪いのか体調が悪いせいか(笑)、まだよくわからない。
というのが本音。
発想は変わっていて面白いと思うのにな。

刹那・刹那の切れ端では物語は語れない。
今後の展開に期待する。

ISBN:4757516770 コミック 鎌谷 悠希 スクウェア・エニックス ?590

隠の王 3 (3)

2006年10月1日 読書
登場人物の魅力(?)で語る、第3弾(笑)

せつな的なのはいかにも現代風。

大人って…もっとずる賢いよぉ(笑)
そんなに正直じゃないし。
風魔小太郎だってまだまだやな〜。

     …と時々思ってしまう。

ISBN:4757515618 コミック 鎌谷 悠希 スクウェア・エニックス 2005/10/18 ¥580

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