「京都人だけが知っている」
は、一世を風靡した本である。(京都で、だけの話だけど)
知人に貸していたのが、返ってきた。

京都人が常識と思い込んでいること…が、いかにフツーじゃなかったか、それも半端ではないフツーでなさなのを、びしばしと暴露している本なのだ。
…ので、京都人が読んだら怒るんじゃなかろうかというような内容が多かったのだが、実は京都人はこの手の本を「笑って」読んでいるのだった。
この神経。 ほとんど…化け物か妖怪かも。

1冊目のほうが特に面白く、この続編は1冊目でこぼしたものを拾って集めている感がある。(仕方ないけど)

どちらかといえば、この本は、京都人以外の人向けの本ではなく、京都人向けの本なのだと思う。

…ちなみに、篠山紀信撮影の「京都佳つ乃歳時記」を身内が所持していたことが判明。
早速取り上げ、いや、借りて読むことにした。

地道に

2004年1月24日
「漢詩の旅」で思うこと。
中国の文人が書いているせいか、それぐらいわかるでしょ?なのか、いちいち邦訳がつかない。
書き下し分だけ。
こういうのも面白い。

そして、当たり前だが詩の舞台へは国内線よりも鉄道や長距離バスが多い。
でも、招待所で温泉に入ってご飯を食べて、私たちなら見せてももらえないような場所でゆっくりして旅情を味わうことができる。

これって凄くうらやましいことなのかもしれない。

やっぱり杏花村はほのぼのとしていい詩だなぁ。老後はそんな風にのんびりとゆっくりと暮らしたいものだ。

後楽園

2004年1月22日
物を以って喜ばず
己を以って悲しまず

天下の憂いに先んじて憂え
天下の楽しみに後れて楽しむ

            「岳陽楼記」より

「遊里空間」が読めてしまったので、「漢詩の旅」に集中。

今時の為政者も、人民のあとに楽しむぐらいの気概を見せてほしい。

妓女を集めて、状元・榜眼・探花の順位をつけ、花になぞらえて詩をうたう…優雅と言うか、暇と言うか。
いえいえ、趣があって結構なことでございます。

中国の妓女も日本の遊女(花魁クラス)も、教養が伴なわないと認められなかった。
いまどきのOLよりよほどしっかりしていたかな。
しかしそんな妓女にお金を使う大人も大変だ。生半可な金持ちでは勤まらないね。

もつものともたざるものがきっぱりはっきり分かれていた封建時代だからこその優雅さであり趣であったのだろうね。
国民みな中流意識の現代日本や、人間皆平等(のはず)の新生中華人民共和国においては、望むべくもない話である。

「漢詩の旅」

2004年1月20日
ぐだぐだ言っていても仕方がないので、旅に出ることにした。
場所は中国。
李白や蘇軾や白楽天のもとへ…ちょっと。

「漢詩の旅」と称する番組や本は多いが、なかでも私のお気に入りはこの一冊。

秦泥著
「人民中国」雑誌社・日本語部訳

16年前の古い本だが、ぜんっぜん、読み劣りしない。
有名な心を打つ漢詩を数首あげ、その舞台・故郷を訪ねるエッセイのようなものだが、さすが「文字の国」中国の文筆家である。

表現と味わいが違う。
品があるというか…教養深いと言うか…現地までの交通機関など、専用車両を乗り回す観光客には分からない魅力が有って楽しい。

数年ぶりに読んでみたが、やはりいい。
写真なんかほとんどなくて、小さな白黒写真といかにも手書きの地図が数点掲載されているだけだけど、字を追うだけで光景が、青い空や万重の山々や輝く水面やなんやかや、見えてくるから言葉って表現って凄いものだと思う。
ま、受け取る側の想像力の問題もあるけどね。
「月の砂漠をさばさばと」を読み出したらさばさば…終わってしまったよ。
子供に真剣に対峙するお母さんが好感が持てた。
けれど実際にはむづかしいのだろうなぁ。
子供がいなくたって、シゴトでいらいらしている身には、とても真似できないと思ってしまう。


しかし、ものを考える、想像する、創造する、ということは、本当に小さいころから「癖」をつけておいたほうがよいと思う。
人間が動物と差があるのは、結局はそういうところなのだから。
今なんか特にそう。
人間のほうがよっぽど「本能のまま」に野獣化している。

でも、象も、仲間の死を悼む心を持っているらしい…という話だ。
仲間の死体に土をかけて葬るのだという。
人間も「人間だけだ」と思い上がっていてはいけないのかも。


それはともかく、さてさて、早速明日からの「持ち運び本」に困ってしまったぞ。


抜粋

2004年1月18日
【小説においては読者が演出家であり役者である。
いい台本を貰ってもいい舞台が作れるとは限らない。
それではつまらない。口惜しいから読者も成長するのである。
その読者のうちのプロこそが評論家ということになるだろう。
評論家には、プロであるなら記憶に残るような面白い演出を見せてほしいと思ってしまう。】
……北村薫「謎物語〜或いは物語の謎」より抜粋……
此処の部分、思わず抜粋してしまった。残しておきたい文章である。私も「口惜しいから」成長しよう。


「中欧怪奇紀行」
は、"土地柄と民族"と"怪物くん"のつながりが言いえていて面白い。
ドイツは怪奇現象の舞台となっても読者にはなりえないのだそうだ。
リアリズムに徹しているのかな?
「でなけりゃナチスのように大量虐殺なんてできない」
300年生きて、生きることに厭いて、滅ぼされることを望む吸血鬼は根性が足りないらしい。
中国の仙人は800年生きても時の皇帝をおちょくっては遁走して、まだまだ好奇心一杯はた迷惑に生きることを楽しんでいるのだと。
はぁ…確かに、そうかもね。

キリスト教というのは、死ななきゃ最後の審判で救われないのだと。
すると、救われるためには死ななきゃならないのだろうか?だからドラキュラもまず「死ぬこと」を望むようになるのものらしい。

その辺が中国の仙人との大きな相違点。

対談集だが結構面白かった。
もうまもなく終わります。
次は再び北村薫「月の砂漠をさばさばと」の予定。

「中欧怪奇紀行」

2004年1月17日
衝動買いである。
北村薫の「謎」本が終わりかけていたのでつい…もう一冊有るっていうのに!

田中芳樹と赤城毅の対談形式で話は進む。
進むはいいが…問題は田中芳樹。
彼の代表作、「銀河英雄伝説」「アルスラーン戦記」などは食い入るように読んだ。文句なしに大好きだ。
しかし、世間にヒットを飛ばし続ける(と言われる)「創竜伝」は…はっきり言って(私は)つまらん。
後、中国ものもなんか軽くって…。いやいや無理やり御託を並べるよりも、はっきり言おう。リズムが合わないのだと。

私は、この人の作品には好悪がはっきり出過ぎるのが問題なのだね。

好きなものは問題外として、嫌いとなったらとことん嫌い。
この本も首題に惹かれたもののさて、読み始めて馴染めるかどうか、シンクロできるかどうかがたいそう問題である。
ならよせばいいのにと言われそうだが、本屋でぱらぱらめくったときに「吸血鬼ノスフェラトウ」を見つけてしまったのが運のつき。
これ、今まで見たドラキュラもので、一番怖い映画だった…。
おまけに夜の夜中に見たもんで、なおさら…。
無茶苦茶こわかったよ。
そう。両氏が対談しているように、誰も乗っていない無人の帆船が港に着くくだりがなんともはや!

ちなみにワルプルギスって聖女の名前だったのか…てっきり魔女かと…。

なぞなぞ…がなぞ

2004年1月15日
北村薫の「謎物語」はエッセイである。
推理小説家だから、推理小説のこと、謎を解くドキドキ、もっと広い意味で、本を読むたのしみまでを綴られている。

で、推理小説だから、ネタ晴らしのようなことは極力避けている。当たり前だけど…。
読書歴が普通の人と大きくズレている私にとって、「コレぐらいは読んでいるだろう」という前提のもとで話を進められると辛い。
結構、かなり、つらい。

そう、ネタ晴らしどころか。
ストーリーすら、酷いときは題名ですら知らない。
「こんな有名な名作を」
知らぬはずはないと思われようが、しらんのだからしょうがない。
読んどらんのだからお話にならない。

知っている小説が出たときはぐんぐん乗れる(さすが!北村薫だ!)が、それ以外はさっぱりで、シンクロできない…北村薫の本でこんなにつまらないことは初めてだ。
いつも多大な期待をして、その期待を裏切らない作家さんだったから…。

自分が全部悪いんだけどさ…。

勉強不足を痛感す。
「私でない私」読了。
サスペンスは意外に面白かった。意外な犯人と、ありふれた動機とありふれた結末…。

ところで。
日本女性の多くが嫌悪感を抱く男性の胸毛について、アメリカ女性は非常に魅力を感じるらしく、何度も何度も描写が繰り返されていた。
否、J・ボンド氏のことなども考え合わせるに、英国女性にとっても彼氏のチャームポイントになっているのかも。
総じて白人については、プラスのものなのだろうか。
彼女らのように感じるのが「魅力」ならともかく、「嫌悪」の対象となると、それを繰り返されるのは結構きつい。
民族性の違い…?にしても不思議。
時々思いしらされることだ。

全体としてはよくできていると思う。成る程、これなら日本で受けたのも分かる。

次は北村薫だ。
「謎物語〜或いは物語の謎〜」
この人の作品は期待できる。期待しすぎても失望しないところがいい。
惜しむらくは短編が多いこと。
「私でない私」
笑えるロマンスと言うもの珍しい。
(というほどロマンスを読んではいないが)

意地の張り合いが、読みどころなのか。
議員選挙といういかにもアメリカらしい題材で、いかにもアメリカ人に期待されるようなハチャメチャぶりがこの物語の魅力なのかもしれない。

そういえば、クリントン大統領の秘密を握っていたと目される人物 ヴィンセント・フォスター弁護士の最後の言葉(実際には死後彼のカバンから見つかったメモに書かれていた)が「有名人・最期の言葉」という本に書かれていた。
彼の死には謀殺説もあるという。
きゃ〜コワイ。

裏で暗躍することが当たり前の…しかも死人を伴うと言うのがアメリカ流(?)

「私でない私」

2004年1月12日
いきなり飛行機落っこちた。
アメリカの医術がどうなっているのだか…よく分からないが、瀕死の患者が…痛そうでないのが不思議な感じ、などと細かいところに拘っていては大義を見逃すと言うもの。

ボースンさまが、ハーレークイン風味のサスペンス、と教えてくださった。
ハーレークインかぁ…ものによるけど。
得意ではない。

なじまなかったら、北村薫に逃げよう。
「蝉しぐれ」を読了。
久々の(日本の)時代小説だったが、面白かった。
必ずしも自分の思い通りに行かないのが人生だと、そう言うものかもしれない。
決して思い通りに行かないから、「こうありたい」「こうしたい」という『希望』を、人は持ち続けられると言うことなのだろうか。
持ったまま人生を終わるのが、人間と言うものなのだろうか。

剣術については門外漢なのだが、切り結ぶ力強さ、足の運び、腕の振り、緊迫感、息遣い、心臓の鼓動…と、臨場感たっぷりで楽しめた。もっとも、日本で生まれて育てば、「水戸黄門」だの「大岡越前」だの「遠山の金さん」だので、活劇シーンは見慣れているから、想像するのは容易である。

もともと昔から「名作文学」と言うものを読んでいなかった私にとっては、時代劇は読書の原点でもある。
小学校では「アルセーヌ・ルパン」一色。
中学時代には、小学校以来の推理小説の流れを順当にたどりつつ、池波正太郎、柴田錬三郎、山岡荘八あたりの時代小説に嵌まる。
高校に入るころには歴史小説も推理小説も海外へ手を伸ばし、卒業の頃には中国大陸へ足をかけていた。
これだけ忙しいと、「名作」を読んでいる暇はないのだ。
さすがにその後は、若干の「名作文学」を読みはしたものの…なじまなかった(笑)

小説だからと言うわけではなく、昔の人は「大人だったなぁ」としみじみ思う。

今は子供だらけだ。
日本も世界も。

だから、しんぼーたらん。


次はがらりと趣向を変えて、
「私でない私」
サンドラ・ブラウン著の…これは推理もの?
ま、読めば分かるでしょう。

「蝉しぐれ」

2004年1月10日
久々の日本歴史ものなので、読むのものろくさくなってしまった。リズムを取り戻すのにちょっと時間がかかるかな?
…まあいいけど。

日本は農耕民族の国家なので、いかに二本差しのサムライと言えど、米の収穫には死命を制せられている。
だから、「大雨で水が出た」、となれば、田畑を避けて土手を決壊させる、そんな仕事もサムライの仕事である。

なにしろ給料は、すべてお米。

下呂温泉で見た、「龍神祭り」でも、浮かれ騒ぐ町民や農民に混じって、豊作を祈願し、あるいは喜ぶ武士の姿がある。当たり前のことなんだけど、サムライサムライと謳っていると、そんな基本的なことすら忘れてしまうな…。
無事読了。

もしかしたら、一気に読みくださないと入り込めない小説かも。
必殺仕置き人でもこんな「始末」の仕方はないだろぅ、と言う様な落着をみせ、主人公のかたわれは消えていった。

話の筋のほかに、イグナチウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルやら、カルヴァンやら…歴史上の大人物がこれでもかこれでもかというぐらい端役で出るのが楽しい。
そして、皆、カーテンの向こうに退場…残るは、成長相成った(?)主人公のみ。

去り往くものはとどめられず、去り往く時間は留めえず。
一期一会は、すなわち、常に人の末期を見ているのだと心しなければならないのかもしれない。

次は日本の歴史に薫陶を深めるべく、藤沢周平著「蝉しぐれ」を読むことにする。NHKでドラマになった話らしい…

佐藤賢一

2004年1月8日
「カルチェ・ラタン」
ようやく半分ぐらい。
どんどんテンションが上がっている。

かたや気の弱い、優しいだけの情けない男。
かたや頭の切れる、人でなしのハンサム。

そんな二人の、両極端な男が登場。

一方、女は怖い。
気が強い、というだけでなく、妖婦というか…底知れぬというか…

ケン・フォレットの作品なんかも女性が強くてよく出張って(活躍して)いるが、佐藤賢一の作品はそれだけじゃなくて…う〜ん、なんて言うのかな。
「そこまで書くか?!」と感じる(あきれる)部分が多い作家だから、人間描写もおのずと怖くなるのかも。
ま、奇麗事だけじゃ、作品にはのめりこめないけど、あまりに激しいと、読む(シンクロする)だけで疲れてしまうのだろう。

歴史の教科書や期末テストや大学受験に出てきたような「人物」がぞくぞく端役ででてくるのが滑稽で笑える。
歴史の教科書だけでなく、佐藤氏のこの本を読めばどういう人物か、すぐに覚えられるのじゃなかろうか…?
いや、学生には刺激が強すぎるかな?
コミックスだからできること。

友人から借りた、
「バルバラ異界」(萩尾望都)
「花よりも花の如く」(成田美名子)
「秘密」(清水玲子)
「妙技の報酬」(岡野玲子)
…を、斜め読みならぬ、なだれ読みである。

だいたい読むのは早いほうだが、今回は自分でもびっくりのスピード。
う〜ん、ストレス溜まっていたかな?

どれも特徴のある作家のものだが、後者2つは特に「癖が」ある。嵌まると楽しい。嵌まらないと訳が分からないという、黒か白かの両極論である。

「カルチェ・ラタン」も順調に進む。
中世キリスト教の坊様たちは、いったいナニをやっとったのだ…と思ってしまう書きっぷり。
事件が起こって「おお、これは推理小説だったのだ」と気づく有様である。

本パックから…

2004年1月5日
選んだのは『カルチェ・ラタン』
決まっている。
佐藤賢一氏は結構お気に入りだ。

相変わらず情けない主人公が登場…いや、この人の書く主人公は結構コンプレックスが、酷い。

で、それをからかう悪友がそばにぴったりくっついている。

かわいそうに…。

まあ、お金があるから(金持ちのボンボンだから)いいか。

麗しのパリの都を行く我らが夜警隊長どのは、親の金でその職を買い、
傷も癖もある天才学者(学生?)は、口先三寸で世を渡る。
…ついでに事件も解決する。

カルチェ・ラタンは、学生たちと娼婦ががたむろするパリ市内の有名観光地…

ページをめくるなり、佐藤氏独特の空気が濃厚に漂い始めた。

新年そうそう…

2004年1月4日
久々に「会社行きたくない病」発病…
が、友人からお楽しみセットが届く。そう、本の箱詰め♪なのだ。

待ちに待った、というか、たのしみにしていた『カルチェ・ラタン』あり、コミックありの実に多彩な玉手箱に感謝。

これで、憂鬱も乗り切れそう。

持つべきものは友人だと痛感。
さあ、あしたから頑張って読むぞう〜♪
適当な(文庫)本がないので、ハードカバーだがこの本を温泉への道連れと決めた。
いい友達になれるだろうか…?

まあ、ちょっと読んでは寝てるだろうが。


本を読みに温泉に行くわけじゃないからいいんだい、と子供のような負け惜しみを一応言ってみる。


いっそ、古いホームズものでも発掘していこうかなぁ…。今ならまだ間に合う!?

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