最近は、異世界へトリップすると、「魔王」になるのが流行りであるらしい……。

とはいえこの本は3年前に発行されているから、そういう言い方は濡れ衣かも。

トリップ⇒ヒーロー

では飽き足らなくなってきたか。
RPGで言うところの、"敵役"に主役をもってくるわけだね。
しかし…香辛料代わりに"オタク"と"ロリータ"をまぶしすぎ…ではないかと思わないでもないけど。

特に、オタク・ネタの連発にどうしようかと思ってしまう。

モ○ル○ーツ
ド○○エ
ゲ○○グ
マ○○イ
ガ○○ム
などがづらづらづら…。

でもって、出陣の掛け声に、ジーク・ジ○ン…って、どうすりゃいいのさ。

ついでに、全部分かってしまう自分……を、どうすればよいのか。
(なんだか落ち着かない気分にさせるではないの)

オタク話に終始するのかと思えば、決めるときは決める主人公とその周辺の魔王領にお住まいのかたがた。
はっきり言って、見栄えも能力も平均以下の、しかしながら、理不尽が度を越すと、異常で異様な悪(?)知恵を発揮する主役。
泣いているだけでは、いずれ新聞に"A君"で出るしかない。そんな人生は願い下げ!
自分で何とかしましょう…!
するしかない!
…とこのあたり、居直る力強さを感じられる。

ずんずんと、小説も後半から、その様子が変わってくる。

このバランスを保ちながら、何処まで活躍できるのか、なかなかたのしみな小説である。
(しかし、挿絵。もうちょっとなんとかならんかな〜)

ISBN:4829113812 文庫 豪屋 大介 富士見書房 2001/11 ¥651
懐かしい本を一冊。
むか〜し読んでいたはずが、本当に朧でしか覚えとらん。

嘆く泣かれ、もう一度楽しめると喜ぼう。

今更なにをかいわんや。
安倍晴明は平安朝・村上天皇の時の陰陽師である。

国家お雇いのまじないし、みたいなものだ。
当時は科学がそれほど(いやまったく)発達していなかったので、超常現象はすべて

「怪しい」⇒「怪かしの仕業」⇒「忌むべきもの」⇒「避くるべきもの」

という論理であった。
だから、そういうものに対処する精神分析医というか、セラピストみたいなのが必要になったのだった。

「大丈夫だよ」と、怪しげだろうが非科学的だろうが、とにかく「ナニか」を処方してくれる人物が国家ぐるみで必要だったわけだ。

こういうとロマンもへったくれもないので、いい加減やめておこう。

式神は一家に5人はほしい働き者。
お茶も淹れられます。
魚も焼けます。
もちろん、留守番もできます!
3人でもOK!

いいなぁ〜。便利だなぁ〜。と、この本を読んでいると、そればかり思ってしまう。

作者が作者なので、もっとどろどろしているかと思ったが、人の性よりは、流れてこうなったというようなストーリーが続く第一巻は、初心者にも非常に読みやすい。

同じ主人公を扱ったコミックスの原作者でもあるこの作者。
岡野玲子嬢の描くあのコミックスのほうは、何が言いたいのかよく分からん。
…ので、巻を増すごとにこのシリーズも分からなくなるのでは…?と少々不安ではある。

しかし、手足の生えた"危険の際には自力で逃げる琵琶"玄象については、コミックスのほうに軍配を上げよう。(なんだかゴキブリの足みたい…と常々感じていて、その点だけがネックではあるのだが)

宮中が火事になったとき、
小説では「なぜか、庭にあって無事だった」と語られるに尽きるのだが、
コミックスでは、「博雅〜助けて〜」と単身危険を承知で乗り込んできた彼に飛びつくのである。
それに対して、「足があるなら自分で逃げろ」なんて言っている博雅の突っ込み(?)も中々である。

ISBN:4167528010 文庫 夢枕 獏 文芸春秋 1991/02 ¥540

泣けるホラー

2004年6月2日 読書
「黄泉がえり」と言う本を読み終える。
「泣けるホラー」なんてほんまにあるんかいな、と思っていたら、最後には泣かされてしまった。
単純にいうと、人間を、人間の善を信じようという話だと思う。
どんな状況で、どんな生き方をしようとも、人は他人の命を思いやれる生き物だと信じる(信じようとする)話に弱い。
それは自分たちが、心の奥底では人間を信じていたいと思っているからだろう。

大病をすると、人は「人が変わる」
といわれる。
これは嘘ではない。ドラマ上の作り事でも、うわっつらだけの奇麗事でもない。
事実である。

自分の命に限界があるということを直に、強制的に知らされたとき、人は変わる。
人といわず、生き物には命に限りがある。
そんなことは常識で当たり前だと思う人間は、まだ「死」に触れ合ってはいないのだ。手の届くところにその身を置いたことが無いからだ。

自分の命を知り、同時に他人の命をも知る。
その大切さを、何者にも変えがたいということを。
だから、優しくなれる。

この小説のラストを読んで、一度なくしたものだからいいじゃないの。
なんてことは決して言えない。
なくしたものを取り戻す。
そして再び失うことの辛さ哀しさを私たちは知っているはずだ。
だが、人間である限り、その辛さも悲しみも乗り越えてゆかねばならないことも、私たちは同時に知っている。

少しづつでも、自分に、そして他人に優しくなれる、そんな物語だったと思う。

信じることは力、だね。

さて。
ブギーポップ、そして黄泉がえり、と続けて読了。
快調快調♪
明日からは……と、まだまだ本が選べるのが嬉しいね♪

経と緯と

2004年5月31日 読書
一人一殺…ならぬ、一日一冊。
そんなリズムで「ブギーポップ」を楽しんでいる。

人間関係が縦糸(経)と横糸(緯)が絡み合い形を成してゆくように進むストーリー。しかしその糸は、なんのためらいもなく途中でぶちぶちと乱暴に断ち切られてゆくので、読み手は精神的には非常に不安定なまま、物語を辿ることになる。
それがこの「ブギーポップ」の不可思議な魅力であり、読み方なのだろうか。
この作家の場合、状況説明や言葉遣いに「?」とおもうところも多々あるのだが、そういう些細なものを気にしなくさせる妙〜なバランスがあったりする、この作品。

(ホンマに次から次へと…よう死ぬな)

プラスプラスプラス…とあり、突如マイナスマイナスマイナスと続く。
イコールの後ろに残るのはなんなのか。

経と緯と、織り成すものが結構たのしみだったりする。

黄泉がえり

2004年5月30日 読書
ブギーポップの続巻をよみつつ、こんなものも読んでいる。
ドラマだかなんだかになったんだよね、これ。
そのドラマだかも見ていない上、この本もまだ読みかけなので、どういうオチを作者がつけているのか私には分からない。

とりあえず…死んだはずの身内が続々と蘇って来る。
嬉しいのか、恐ろしいのか…身内だけになんと言えばよいのだろう。
戸籍をどうするとか妙に現実的な問題に四苦八苦する滑稽さがいい味を出している。
「泣けるリアルホラー」なんだそうだ。
ホラー…といえば、外国映画によくあるのは、「死んだはずの人間が蘇り」「生きてる人間を襲う」と言う話。
現在もそんな映画が来ている。
襲われたなら、元・身内であってもそれは「敵」で、たとえば「ゾンビ」とかいわれちゃうんだろうけれど、ただ蘇ってきただけなら…どうなんだろうねぇ。

それは「ゾンビ」とは一線を画するような気もしないではないが。

ISBN:410149004X 文庫 梶尾 真治 新潮社 2002/11 ¥660
笑った、笑った〜!
なにこれは。
粋に読ませてくれるなぁ〜このコミックス。

男ばかりが4人、心ときめくアンティークなカップやソーサー、調度品に囲まれた見目麗しいフランス菓子店を営んでおる。
でも、見た目は変。
ふりふりリボンのエプロンの、うら若い乙女(従業員)の一人としていない…洋菓子屋さんなんて。
ホストクラブのようなケーキ屋、と作中にも噂されるぐらいである。

ところが。
味がいいから流行る。
口に入れるなり、じたばたしたくなるぐらい美味しいケーキ。(気持ちは分かるぞ!)
天才パティシエが思う存分腕を振った成果である。
ああ、そんな素敵な洋菓子店なら、私だって行きたいよぅ。
また美味しそうに食べるんだわ、こいつらが…くそぅ…。
たかが漫画のくせに〜。口惜しい。
食べたい…。

さて。
なんの因果やら、ここに集まった4人の男。

東大出で、脱外交官(試験だけだったけど)、脱弁護士(やっぱり試験だけだったけど)、脱エリート商社マン……な、何でも出来てしまう、オールマイティなオーナー店長。

"魔性のゲイ"(笑)の異名をとる、根はお笑い天才パティシエ。

目の故障でボクシングをやめざるを得なかった、もとチャンピオンの天才少年(?)ボクサー……の菓子職人見習い。

オーナーの幼馴染、"影です"と自己紹介してしまうような、得体の知れない天然ボケの……ギャルソン。

展開するストーリーと、すぐ崩れる登場人物の表情が、作品のはばをとんでも無く広げている。

テレビドラマでもやったそうな。
ドラマどころか、テレビ自体をあまり見ない私は知らなかったが、原作の粋のよさが生かしきれるなら、きっと楽しいものになっていただろう。
視聴者は、ケーキを用意して、ドラマを見ていたんだろうか?
原作の魅力的なケーキそのままの演出なら、見ていて食べたくなるのは必定。我慢できないと思うけどなぁ。
しかし、このストーリーをそのまま映像にするには、きっと、ちょっと(だいぶ?)無理な部分もあったろうと、おもうけれどね。(何が、とは言わないが)

お客の中では、もと検察庁のエリート、誘拐事件の責任を取って閑職に甘んじていた強面の渋いオジサンが中々いい味を出していた。
ケーキ好きのおじさん…個人的にはぜんぜんOK。
よく言われるように「気持ち悪」くなんて、まったく、ない。
現実世界の職場にもちらほら存在しているが、可愛いもんである。

ISBN:4403615880 コミック よしなが ふみ 新書館 2000/06 ¥546
一応ファンタジー。
異世界に紛れ込み、自分の身に降りかかった災難に、驚愕しつつもしっかり対応していく…主人公というのは、小説としてよくある話。

しかし、一人でボケと突っ込みをやらかしてくれる主人公には、思わず声を出して笑いそうになる。

物語は「おれ」の一人称。
自分から見た周囲の状況を語る書き方は、かの「スレイヤーズ」の「あたし」と同じである。
あの小説で新しい境地をきりひらいたかにみえた一人称による語り口…は、「二匹目の泥鰌は期待してはいけない」といわれていた。
審査員がね。
釘を刺したんだよね。同じ手法を使うなと。

コロンブスの卵。
最初にやったやつ勝ち。
発想の勝利。

…ところが。
ここに出てきた。
しかも二番煎じなんかではなく、一人ボケと一人ツッコミが、あたかも売れっ子芸人のトークを聞くかのようで楽しい。

おまけに「おれ」の正体は、ヒーローならぬ、敵役の親玉だ。(ここで大笑い)
ロールプレイングゲームになぞらえて、
「ラスボスか〜!?」と、自分に突っ込みを入れるあたりの描写が最高に良かった。
笑えた、なんてもんじゃない。

巷に人気を聞いてはいるが、うん。
確かに。
中々の優れものである。
あとは登場人物に、相応のきれーなお嬢さんがたを登場させてくれればな…。
綺麗かは知らんが、ヤローばかりというのはいかにもむさくるしくていかん。

芸能界の某人気ユニットやゲーム界の某恋愛シュミレーションゲームではあるまいに、誰かの好みに当たるべく「下手な鉄砲も数うちゃ当たる」式の設定はいい加減飽きたぞ。
2巻以降に期待。

ISBN:4044452016 文庫 喬林 知 角川書店 2001/09 ¥460
友人に借りた一冊。
北村薫の「私」シリーズ最新刊である。

学生だった「私」
些細な生活の"謎"を、知り合いの落語家・円紫師匠と語り、解き明かしてゆく。
とはいえ、普通の推理小説のように、ではない。
謎のままでおくべきものは謎のままに。
謎の奥に秘められた人間の心のひだの奥の奥を静かに見守る気持ちを持ったまま、人間の心の機微をしみじみと感じ取るような…優しさを感じるシリーズである。

相手方の円紫師匠がよい。
何と言っても現役の落語家で、話の中身はそらそらと数多有る落語の中味に触れてくる。
人間の、日本人の、心を知る(察する)に、これほどぴったりなものがあるだろうか。

そして、沢山の落語の楽しみ方を、「私」と円紫師匠が語ってくれる。
ものすごく得をした気になるのがこのシリーズでもある。

さて。
「私」は此の巻で、大学を卒業し、つまりは学生と言う心理的特権階級を卒業し、いよいよ世間の荒波(笑)に揉まれる事となる。
だが、その紆余曲折を期待しても無駄なのだ。あっという間に3年が過ぎ、新しい世界が「私」の前に広がるのを、我々読者は見ることになる。

今回の謎の一つ。
途中で切れた小説の続きをどのように読むか。
推理するか。

「女か虎か」
そして、
「走り来るもの」
どちらもわくわくするショートストーリーである。
知られざるストーリーの行き着く先(未来)の部分を推理する。
こんな楽しみ方もあるのだ。

ISBN:4488413056 文庫 北村 薫 東京創元社 2004/04/09 ¥588
お楽しみの「女尊男卑漫画」である。
女がやたらめったら強い。
頭も、力も。

女社会で、奴隷の扱いを受ける男たち……女性ファンの多そうな漫画であるよなぁ(笑)
だって、カッコいいんだもんね。女が。

だがしかし。
現実世界でも「女のほうが(人生)楽しい事が多い〜」
とおもっている女性が圧倒的に多いそうだ。
(アンケートによる)

結構なことである。
宝塚にはさほど興味は無いが、"かっこいい"女性に憧れる気持ちは十分に分かる。
注意せよ。
世の男性がたよ。
そのうち恋のライバル(恋敵)が女だなんて〜っ、などということも普通になるかも。

ISBN:4253192580 コミック さちみ りほ 秋田書店 2004/05/20 ¥410
今回読んだのは第2巻…なんだが、画像が無いので1巻を提示してみた。
見た目が命の漫画だもんな。

さて。
作者の成田美奈子が嵌まっている、というだけあって力の入れようが違う。
日本人なのに良くは知らない"能"の世界を、漫画とはいえ「おもしろいやん」と思わせられるほどによく書き込み、見せる力は流石である。

「みきとユーティ」だったっけ?
この人のデビューは。
高校を卒業したばかりと聞いていたので、なんともはや、ものすごい漫画家が出てきたものだと感心したものだった。
で、高校在学中のカラー原稿とやらも見た。
簡単な画集に入っていたのだ。
絵も凄かった。
が、素人時代の、高校生時代の絵を、商品化してしまえるということのほうが、ずっとずっと凄かったということだ。

狂言は結構ブームなんで(誰のせいとは言わないが)、そこそこ知っている人も多い。
何しろ、筋が分かりやすいし、笑える。(←これは大きい)
だから受け入れやすいのだろう。
能は、わからん。一言で言えば。

まず、
何を言っているのやら。
何をしているのやら。
その約束事って何?

そんなこんなで最初の一歩が…なかなかなんである。
そういう難物にも対処できる漫画家さんである。
でもって、こちらももともとは日本生まれの日本人なので、着物や和風は嫌いじゃない。
DNAにしっかりとサムラ……おっと、ちゃうちゃう、胴長短足鼻ぺチャ日本人の特性は刻まれている。
だから、ウキウキしてしまう。

(見てる分には)着物っていいなぁ…と、うっとりし、
(読んでる分には)お能って面白いなぁ……と、感心する。

ちなみに私が見たお能は二つ。そのうち一つはとっくに忘却の彼方で、もうひとつは「葵上」だった。
六条御息所が迫力だった。
「怖い」
という印象だけが残っているんだけれど…。

ISBN:4592174410 コミック 成田 美名子 白泉社 2003/07/05 ¥410
漢字学者、白川静先生と、「隠された十字架」「水底の歌」で一斉を風靡した梅原猛氏の対談集。
勿論漢字について。

白川先生が対談中にメモにさらさらと書いた(書きなぐった)漢字の字源図がそのまま載っている。
これが、この絵が、なかなか味があって面白い。

対談だから、分かりにくいことを言っている様でいて、じつに分かりやすい。
難しい言葉の意味はそのページの下に解説されているので、ページを繰る手間も省ける。
結構結構。

漢字は象形文字であり、同時に表意文字である。
そんなことがしみじみと感じられて良いのではないか。

漢字の成り立ちって、本当に面白いね。
思わずそう思ってしまう一冊…だと思うけど?
最近白川静先生の著作本(辞典含む)が妙に本屋の店頭に目立つようだ。
なんかあるのか?
ちょっと気になる。

ISBN:4582831214 単行本 梅原 猛 平凡社 2002/09 ¥1,890
江戸から東京となったばかりの明治のはじめ。

妖怪・お化け・あやかしどもはすべて「神経の障り」で片付けられるようになっていた……はずが、でるわでるわの妖怪探偵物語。

山田章博氏の描く独特の怪しい世界がまたひとつ、ここに窓を開いていた。

時代背景を材料にたっぷり使い、白と黒とで幻惑の味付けをし、黄金の皿に盛り付けた怪談話がいい味を出している。

内容は、
不実な男を祟らない幽霊。
化け猫の恩返し。
怪談を利用する悪徳商人。

それに加えて、
「明治東京物怪図録」
著者の怪談(映画)紹介で、新東宝とやらの映画が群を抜いて素晴らしかった様子、明治の高座の素晴らしい怪談語りについて語る。

そのなかで、狸の恩返しを語る「長兵衛狸」と言う映画などは、男相手にはちゃんと妙齢の女性に化ける心配りの行き届いた狸、などと笑わせてくれるのであった。

山田章博。
噛めば噛むほど味が出る。

ISBN:4930787076 コミック 山田 章博 日本エディターズ 1999/12 ¥945
気分転換に「新撰組本」を読む。
これもコミック。

岩崎陽子と言う漫画家さんの本は、まともに読んだのは安倍晴明
のことを描いた「王都妖奇譚」という漫画だけだった。
それも途中で放り出した記憶がある。なにせラストを覚えてないのだ。(それともまだ続いている?)

文庫サイズでやたら漫画が出版されている。
おく所もないだろうからとの、出版社の好意なのか。
昔の漫画が多く復刻されている点も、ファンとしてはありがたい。
だが…値段が高すぎやしないかい?と言いたい。
ただ一言ね。
それだけ。

現在、NHK大河ドラマのお陰で、新撰組関連の物品が沢山出回っている。
復刻もする。
非常に嬉しい。

復刻の多い秋田文庫。
この漫画もその一つなのだろうか?
この科白からでも、いかに私がこの漫画家の作品から離れていたかが分かるというものだ。

ところで。
岩崎氏の絵は、皆、ガタイが良い。
骨太である。
ごつい。
ぶつかったらゴンッ!とか言いそうである。

細腰の、白皙の美青年なんかはまかり間違っても出てこない。
でも、いかに小柄な日本人とはいえ、男なんだし、侍なんだし、肉体労働者(?)なんだし、ガタイがよくても当然である。

で、そういう骨太の男たちがギャグもやり、ボケもやり、血みどろの戦いもする。
そういや、安倍晴明のときも、結構血みどろどろどろの戦いをやらかしていたな…。
すまして印を結んで、言霊で生者と死者を操って済んでいたわけではなかった。

あまりに肉感的な描写が、好き嫌いをはっきり分けてしまう漫画家なのかもしれないと思う。

ついでに言うなら、麗しき女性陣も、結構骨太が多いように見受けられる。
や、別にいいのだけど。

幕末頃の日本男性の平均身長は156〜158?だと聞いたので、それにしては…あ! 単に比較の問題か。

ストーリーは結構読ませるのだけど、そんな男たちについてゆく読者も結構リキが入る。
知らないうちに、熱い戦いに巻き込まれてしまう。

そしてあるときはっと我に返り、"もうついてゆけないわ"と思わせてしまうのかもしれない。
ほどほど、をしらん作家なのかも。

「新選組異録無頼」の主役は、斎藤一。
彼と試衛館の面々が絡む。
特に同年の沖田を絡ませての描写が進んでゆくが、その辺は読者の願いを意識してのことか?
憎まれ役の芹沢鴨もけっこー長いこと頑張って出演しているのが珍しい。

話の内容は、いきなり超能力者は出るわ、幽霊は出るわで相変わらず安倍晴明が抜けてない?と思わせつつ、そのうち幽霊ごときはこっちのほうが慣れてしまった。
7月に3巻が出るそうな。
ちょっと楽しみ。


ISBN:4253177670 文庫 岩崎 陽子 秋田書店 2004/05 ¥690

思いもよらず…

2004年5月20日 読書
癒されてしまった。
不覚にも目頭が熱くなっちゃったりして…(年かな?)

「生活大国イギリスの知られざる習慣」
と言う本のことである。

単なるエッセイだと思ったんだけどね。最初は。
副題に「大人のためのスピリチュアルライフ」。
それがミソでした。

自然と同化し、自然の息遣いを感じてともに生きる。
これって日本人の専売特許みたいに言ってきたけれど、それが恥ずかしくなるぐらい、英国人(の多く)は自然とともに生きている。

サンタクロースを信じる心。
それは"自分に素敵な贈り物をくれるおじさん"を信じるのではなく、サンタを信じる、と言うその心の、目には見えない、手にはつかめない何か大きなものを信じるということ。
人間存在の、命の、口で語るのではなく心で識る何かを持つ、ということ。

砂糖をどんどん小さく砕いてゆく。
目に見えないほどに。
顕微鏡でようやくそれと分かるほどに。
最初の砂糖の粒を1とすれば。
何もない状態は0である。
そして…何もなくなった(と見える)それを、指につけて舌に味わえば、確実に、
甘いということが分かる
1と0の隙間につまっているきわめて小さな数のほうがはるかに重い

決して0ではない。
目にも見えない。
見えないことが0なのではない。
微小なそのミクロの世界は、宇宙につながっているのだ。

黒でもなく、白でもない考えを取り入れる中から生まれる社会の奥行きの深さ。それは歴史、自然、宗教、文化、そして幽霊や妖精の存在までも否定せず、見えないもの、形の無いもの、わからないものと共存していく行き方から生まれていた。現代社会は自然からビジネスまであらゆるものに法則を見つけ、コントロールしようとしてきた。そして最後に残されたのは、人の持つ動機や意欲や可能性までもコントロールする世界だった。そこには必ず強い志を説くリーダーが現われ、人々はその発想に耳を傾け、人間の心の扱い方を覚えようとする。


人は強いものに凭れることで安心感を得ようとする。
自分の二本の足で一人で立つことよりも、どちらかに集まって、偏って、体を持たせかけて風雨を凌ぐほうを選んでしまう。
自然界において、素手では尤も弱い動物が、何も無くては直ちに死んでしまうであろう最弱の動物が人間であるからにはそれも本能であるのかもしれない。

ある牧師は、人類が20世紀に神を捨て、自然を踏みつけにし、自分たちこそがこの世の中で尤も偉いのだと思い込んだ、そこに大きな落とし穴があったのだと言った。
「人類は神ですら余計なものと捨て、あたかもその呪縛から開放されたように、せいせいした思いになったんだ。神を捨て、神から開放された人類は、自由を得た。けれども悲しいかな、人間の考える自由は一面だけの自由だった。その自由と言うのは『する自由』だけで、『しない自由』に気づかなかった。戦争する自由はあったが、戦争をしない自由は考えなかった。利益を上げる自由はあったが、利益を上げないでいる自由はなかった」
その結果、日本でも人間性を奪われ、自分たちのつくったものに追われ、疲れ果て、なんのために人間をやっているのかと深い懐疑の底に落ち込む人々が増えた。


人間は考える葦なのである。
否、葦でありつづけたい。
以前読んだ、ロシア語通訳の米原万里さんの「魔女の1ダース」にも冒頭の部分で崩壊後のロシアに行って魔術師を自称する一団に出会う、という話があった。
そこからその本の題名「魔女の1ダース」が生まれたいきさつである。
しかし、その魔術師・魔女たちが何をするかといえば、

当たらない予言
当たらない透視
当たらない呪い
……

思わず笑っちゃう?
しかしそれは、私たちが頭の中で描く、現代魔術そのものの姿ではなかろうか。
実際、そこにいたロシア人は頭から彼等を魔術を信じきっていたという。

で、今読んでいる「生活大国イギリスの知られざる習慣」と言う本にも、魔術師や魔女について出てきた。
出てきて吃驚した。

さすが、幽霊保険(幽霊が原因で〜吃驚して怪談から落ちて怪我をしたとか)が成立する国だけのことはある。

ケルトの精神(ほぼアニミズムみたいなもの。自然治癒力とか呪いとか)を追い求め崇拝する国民性だけのことはある。

1951年に禁止された法律。
それは、魔術禁止令。

ちょっと待て。

それって……まさかと思うけど、近世までひそかに続いた魔女裁判の名残か?
禁止令が廃止されたことに驚くのではない。
禁止令が、マジで、そんな法律があったことに驚いたのだよ、私は。

丑の刻参り禁止令。
願掛けお百度禁止令。
こっくりさん禁止令。
…そのノリではなかろうか?

宇宙にはバランスを保つ力が存在している。力を悪事のために使えば、10倍になって自分に戻ってくる

論理に従って、
現代の欧米で活動する真の魔術師は、自分たちの立場は中立的で善でも悪でもなく、その力はまっとうな目的のために使うのだと語る。

のだと。

悪でもなく…はいいけど、善でもないんですか?
これらもまた、スピリチュアルな捕らえ方。
人間を心で支える、しっかりと支える地球の、自然の力ということなのだろうか。
意外にこういうことって、こういう思考法って、人間の"命の力"になるもんなんだ。

それは確か。
「アラビアの夜の種族」読了。
それなりのハッピーエンドだろうか。
最後の最後まで(あとがきを読むまで)私はこの本を創作だと思っていたが、あくまで"翻訳"だと作者の言。
それともこれも作者風の"創作"なのだろうか?
ついつい疑う気持ちにさせる、摩訶不思議な本であった。

そして、ちょうど良いタイミングで次の本が手に入った。

副題にスピリチュアルとある。
環境と、自然と、地球と、宇宙と仲良く暮らしてゆく。
人間は自然の一部でしかないのだから。
そういうこと。

疲れた人がヒーリングとかアロマとかに走るように、自然の中で心を癒そうとする、昔から連綿と続けられてきた"癒し"が、英国では人の"本能"になっている、ということ。

本編に面白い比喩がある。

幽霊に遭遇する。
 
?アメリカ人なら
  ⇒⇒気温・湿度を初めとするそのときのその場の状況を科学的に徹底的に調査する。

?英国人なら
  ⇒⇒「ラッキー!」と叫ぶ。

歴史的に裏打ちされた幽霊は(それは古いものほどいい)、とても価値のあるものとして英国では喜ばれるらしい。つまり、ロンドン塔で血のメアリに遭遇するとか。
タイバーン刑場で、著名な死刑囚の幽霊に遭遇するとか?

「その幽霊が出たがゆえに、その屋敷は間違いなく彼が最期を遂げた屋敷だ」、という証明になるのだという。
その論理には納得しないでもないが…。

そういう建物は「歴史的価値」を付与されて、通常よりもお高く売れちゃうらしいのだ。

日本では?式なんだろうね。残念だけれども。
だからヒーリングが、アロマが、カウンセリングが、どんどんどんどんもてはやされて、でもどんどんどんどん患者は増える一方で。
この本を読んでいくと、地面に自然に立脚していない現代日本人の哀しいところがありありと見えてきた。

あと、満月の夜は人はおかしくなっちゃうので車の事故が増えるとか、だから満月の夜にはコンサートなどのイベントは行わないのだとか。
そんなこんなの現代の英国の一件不可思議な非科学的なあれこれをエッセイ風に綴る本である。

日常生活において暗闇を捨ててきた近代日本は、日本人は、逆に心の中に、捨てた闇を蓄積してきたのではなかろうか。

ISBN:4479011668 単行本 井形 慶子 大和書房 2003/11 ¥1,575
一応はコミックなんだけど、この人の描くものは字が多くて、絵はイラストみたいなものだから、漫画家なのか挿絵画家なのか……判別しがたい。

短編集ばかりを集めているので、非常に読みやすい。
現代もの、中国もの、なんにせよ不思議な世界…。
妖怪変化や怪しい術者が相変わらず跋扈する、ヤマダ・ワールドです。

京都在住の作者だからと、遠慮会釈もなくローカルな地名や話題も出てくる。
地の利でとりあえずこれについてゆけるのが大きい。

ISBN:4930787254 コミック 山田 章博 日本エディターズ 2001/08 ¥840

美しい軍隊?

2004年5月16日 読書
納得できない。みすぼらしいものが強いという事実が、わからない。それらが戦場での実力を有しているということが、ムラード・ベイには理解不可能な神秘として残る。

なぜだ?善いものと悪いものはそれぞれ美と、醜によって表されるはずではないのか?これが世界の心理ではなかったのか?


だからナチス・ドイツは軍服を飾った。
第一印象を極力好ましいものに、"美"に近づけることで、行動の残虐さを、覆い隠そうとする。
……とも言われている。
(そうなると、旧日本軍は失格か…)

確かに。
軍隊は、軍装は煌びやかで美しい方向に向かってきた、ように思える。
特に最初の世界大戦までは。
毒ガスが使われねばあの醜怪な防毒マスクの生まれることはなかったのだから。

機能よりも見た目。
そこにははるかな昔、"第一印象で敵を圧倒する"ことが目的にあったためかと思われる。
西洋の帆船がフィギュアヘッド(舳先の飾り:神話の神々や人物、妖精、実存する生き物など色々なものが選ばれる)を飾るように。
台湾の漁船が、高く反りあがった舳先の両側に"大きな目"を描いて海の悪霊と対峙するように。(ごく近年までの風習である。今もあるかも。)
それらは自分に非友好的である(あろうと予想される)者に対しての、対抗策であった。

それは、相手を圧倒すること。
それに尽きる。

騎手たちは金銀宝石をちりばめた武具に身をつつみ、旗指物も背後にひるがえる。その優美な戦さ装束、その時代錯誤の槍や三日月刀、棍棒にライフル。鎖帷子の上衣がギラリと陽光を反射する。軍旗は色とりどりにゆれている。これもまた蜃気楼ではないかとドセー師団のだれもが一瞬間、わが視覚を疑った。


美しき軍隊。
自身も騎馬も飾り立てて、敵の真正面に姿を現す。
無謀で考えなしだけれど、見た目にはさぞかし幻か嘘のような印象だったろう。

対峙したときに敵を圧倒するには、押し出しのよさ、力強さが求められる。
ならば美しさ=力強さなのか。
女性においては、最近では男性においてすら《美しさ=力》であることは明々白々ではあるが。

民族博物館等にいけば、当時の装飾品やらもこの目にすることが出来るが、衣装はつけてこそ装飾品は飾り付けてこそのもの。

「アラビアのロレンス」が結婚衣裳である純白のアラビア服を身に着けて戦場を行きかったように、人は人がその命を賭ける瞬間だからこそ、美しいものを支持し讃えるものなのだろうか。
力づけられるものなのだろうか。
いつのまにか、本来の戦いの意味から離れたところにそんなものを求めてしまっている。

逆に言えば、"それを着てみたい"と思うだけで、そのものがもつ重く、残酷な歴史と意味を無視してしまっている。
その無視できる状況こそが「平和で結構」といえる矛盾を生んでいるのかもしれない。

あるいは、
"そんなものを見てみたい"
と思う。
そんな気持ちは私にだってある。

ただし"見る"だけ。
使わなくともぜんぜん宜しい。

美しい八百騎の衝撃をー砲撃の射程内におさめた。

マムルークの騎兵隊の襲来を、著者はこう表している。

THE WORLD 4 (4)

2004年5月15日 読書
コミックスは、あっという間に読めるので、つい気分転換に読んでしまう。
気分転換…には重い本だけど。

「パーム・シリーズ」の登場人物を臆面もなく使って(この漫画家は描き分けが出来ないのか?)あろうことか、いかにもそうしていますといわんばかりに、クレジットタイトルばりの最終ページを用意している。

ここまでくると立派。

しかし、キャラの使い回しを分かっていながらも、のめり込んでしまうのは、ストーリーがキャラを問題にしないぐらい魅力的なせいかもしれないな、とも考える。
強面ばかりで半端じゃない迫力だしな。

4巻は表紙に帆船と怪しげなコスプレ船長(主役のひとり)が登場しているのだが、これで判断して手を出すと失敗するのでご注意。
ノリはほとんど"さまよえるオランダ人"だから。
(この場合は、この人は、自分が好きでさまよっているのだが)

人間存在の核心を突く、というと格好が良いが、そんなに深く考えずにざっとストーリーを追うだけでも楽しいシリーズである。

ただ、怖いのは。

パームのように延々続くことか。

ISBN:4199602488 コミック 獣木 野生 徳間書店 2004/04/24 ¥560

眠らずに1年半

2004年5月14日 読書
邪悪な王、
最悪の支配者、
妖術師。

1年半を眠らずに過ごすと言うならば、既にそのいずれでもない。

砂漠(とか生存自体が大変な環境)における魔術師や妖術師の有り方は、負よりはプラスの要素が高いもんなんだけどな。

二人目の主役(とやら)
アビルノのファラー登場。

いよいよ怪しいアラビアン・ナイト。
だと思っていたら、すっかり忘却の彼方にあったナポレオンが登場してしまった。
百ページ以上前に著者が述べたことなど忘れているだろう。
忘れていたとしても気に病む必要はない。そのための書物なのだから。ページを繰って、もどればよい。そのために一冊に綴じられているのだから。

と言う、お優しい言葉までが添えられている。
笑える本である。
筆者はよき作者たらんと願っているが、読者にもまた、よき読者であろうとする意欲的な姿勢(付箋を貼るとかしおりを挟むとか:翠雲註)を乞いたい。

訂正。
変な本だった。

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