残りの2巻をゲットする。(やはり売れ残っていた)

そうだった、中途半端に終わっていたんだ、悔しいなぁ、せめて池田屋騒動ぐらいまでは描いてほしかったよなぁ、でも週刊誌だったし、出版社の意向とか雑誌の傾向とかギャラの問題とか、いろいろあって作家の思い通りには行かなかったりするんだよなぁ…などと、いろいろ考えてしまった。

青春の思い出とともに。

さて。
落ち着いてところで「スレイヤーズ・スペシャル」へ突入。
10年だって〜早いね〜。
「あたし」という一人称でずんずん進んでゆく迫力のファンタジー(?)
何が好きってこの単語がとっても好き。

「どらまたリナ」

ドラゴンですらまたいで行くようなヤツなのだと…凄い!ナイスな成語!
と、今でもほとほと感心している。

ISBN:483423181X コミック 望月 三起也 ホーム社 ¥933
橘 皆無画。
漫画である。
ここんとこ随分漫画ずいているな。

内容は題名でほぼ推察できると思うが。
例の陰陽師を主役にした創作モノである。、松殿理央氏という原作者がいて、いくつか似たような小説を書いているらしい

暗い。
あんまりだ。

コンプレックスと近親憎悪と…今更やるかよ、このテーマ、って感じだが。

綺麗に見せて絵柄も結構エグかったりするので、う〜ん、と唸りどころである。
いや、この作者の絵柄がそういうものを表現するにはちょっとひっかるものが有るというか、違うというか、辛いというか…

絢爛王朝絵巻なら、綺麗に徹してほしかったな…

ISBN:4403617417 コミック 松殿 理央 新書館 ¥520
なつかし〜い本を見つけた。
大きなB5版になって4冊本にまとめられている。
出かける途中だったので、とりあえず2冊(1巻と2巻)を買う。
まさか3巻4巻だけ買っていく人もいないだろう…というセコい計算が見え隠れ。

NHKの「新撰組」のおかげかな。
なつかしい本が一杯出てくる。色々捜して手に入れるなら、今のうちかな。

昔々、これも週刊誌で読みふけったものだ。当時は女の子(!)が少年漫画を買うのはちょっと恥ずかしい…と思うような時代だったので、苦労した覚えがある。
う〜ん純粋だった青春時代が…(遠い目…)

望月三起也氏は影(黒)の使い方が独特で、それが好きな漫画作家である。
厚みがあるというか、単に黒い・暗い・影である、というのとは違う。そのあたり、妖怪漫画作家の水木しげる氏に似ているところがある。
怖いもの見たさの人間心理かな。
「そこになにかいる」「なにかある」という存在感。
「闇」こそは、日本の文化の根本だと思う。

わずか150年ばかり前のことなのに、新撰組ほど作者がそれぞれに勝手に創造して作っている物語もないと思うけれど、それが楽しい・許される貴重な素材であるとも思う。
いいんじゃないのと思ってしまう。
だからまるで侍らしからぬ彼らの活躍も、どきどきしながら読むことができるのだ。

でもって、 望月三起也氏の「新撰組」には今なお驚かされる。
痛快、意外、大爆笑。
読者の意表をつく作者の力量には、やっぱり脱帽だ。
「俺の」というのは、作者の、ってことかな。やっぱり。

ISBN:4834231798 コミック 望月 三起也 ホーム社 ¥933
歴史の中の都市を旅する方法
失われた過去の都市へ旅をするには、どうすれば良いか。
…(中略)…
その方法は簡単である。
必要なのは時刻表と旅行案内書、地図、そしてもう一つ、旺盛な好奇心である。
事前に多くの知識を詰め込んでおくのも望ましい。
関係した本や、写真に目をとおしておくのもよい。
物価を調べておくのもおもしろい。
…(中略)…
ただ忘れてはならないものがある、
想像力である。
夢を見て想像の翼を羽ばたかせることができればよい。


ああ、なんて素敵な言葉。
想像に羽を与えて飛ばす。いや、飛んでゆくのだ。
歴史学は、しっかりした後ろ盾(証拠)に支えられた想像の賜物だもの。
トロイヤを発掘したシュリーマンしかり。

歴史学を専攻するものには、あたかも小説家のように想像を逞しくすることが、立証叶わぬ自分本位の空理空論に陥ってしまうという考えもあろう。
歴史学者と歴小説家はまったく相反するものであると談じる者もいるだろう。
でも。
私は夢を見る力が、想像する力が真実を見抜く力を持つと…思っている。
気がつけば、また古い本に流れてしまった…。
宋代の中国都市、といっても洛陽や杭州や蘇州だけが都市じゃない。
人集まれば、市を成す。
というぐらいで、人が集まれば村ができ、町ができ、都市ができる。
ただの偶然ではなく、何らかの理由がそこはあるのだ。
うん。

しょっぱな陸游(放翁)が出てきてむぅと唸る。
忘れていたよ、この導入部。
南宋の詩人で官僚。
中国ではほぼこの両者は=(イコール)で結ばれる。
赴任先の蜀(四川省)への旅を精密な日記に綴っていて、それが残っているという、ものすごい資料。
日本と違って中国の文人は日記はほとんど残していないらしい。
だからなおさら珍しく、またほとんどが残っているというのが価値がある。

この日記によると、揚子江海豚、緑の苔に覆われた千畳敷の亀などなど、怪しい生物の住処となっている長江(揚子江)だが、確かにこの目で見てみると、深い緑や濃い茶色のたゆとう河川で、「ナニがいてもおかしくなかろう」と思わせてしまう川であった。

しかししかししかし!
大昔の漢文講読で、さんざ苦労させられた「入蜀記」の作者とあって、個人的には良い感情がもてないでいる。
だって、訳文がないのだよ…まったく!
資治通鑑や漢書のように、物語としてメジャーで、大筋は了解できているというシロモノではなかったから、「本気」で辞典をひきひき頑張ったものである。

四川省の省都・成都にある杜甫草堂にこの陸游の胸像があるのは、同じ「詩」つながりのせいだろう。
しかし、現地でこの像を見た我々の胸にはめらめらとうらみのほむらが燃え上がったものである。

今のように、「少々間違ったっていいや〜」ぐらいの気持ちなら、漢文も楽しく読めるのに…。

ISBN:4121008979 新書 伊原 弘 中央公論社 ¥560
写真メインで桜と食べるところ(結構高いぞ)と飲むところを紹介している雑誌。
京都の桜は叉格別だとあちらでもこちらでも謳っているが、住んでいてもそう思う。

なにしろくら〜い、さむ〜い冬を脱して、さっと花が咲き始めるのだ。
ルンルン気分になるなと言うほうが無理である。
何もかもが綺麗に見えないほうがおかしいのである。

それにしても、どこもかしこも高すぎるのではなかろうか。
これでは
「京都では何処で食事をしたらいいかわからな〜い」
といわれてしまっても仕方がない。
大金を積めば、何処でだって素晴らしいものを食べることはできる。
庶民感覚で、でも、いかにも京都、というものを楽しみ、食べられるところを読者は教えてほしいと思うんだけどな。

写真を見てるだけじゃ、空しいだけじゃない。
やはり自分が行ってみて、口に入れてみないことには…。

孟嘗君〈1〉

2004年3月9日 読書
「彩雲国物語」次から次へと似たタイプの登場人物(しかも皆判で押したように男前、というより美形と言わねばならないのか)が出てくる以外は面白い。
続刊がたのしみだ…と思いつつ読めてしまったので、久々に宮城谷 昌光文学へ復帰。

文庫本にもなっていることだし、昔レンタルで借りた本をようやく自分で買って読むことにした。

これは「太公望」についで好きな物語。
あたかもNHKの大河ドラマの如し。

とにかくね。登場人物の多才なことと多芸なことと、ドラマ性が高いこと。
紆余曲折で先が見えなくて、わくわくしてくる物語。

風洪おとーちゃん、やっぱりかっこええわぁ。

本屋へ行くたのしみを持続させるため、わざと?冊ずつ買うことにした。宮城谷さんに限って、なくなるってことは…ないだろうと思いつつ。
1巻は読了。そのまま2巻へと突き進む。

思ったよりも、面白かった。
妙に肩肘張らず、衣装と名前とムードだけを中国に借りた、”中国風味”のファンタジーだから、気にならずに読めた。
逆に、儒教に縛られた中国の感覚では到底読めない小説である。
だが、中途半端に拘られたり考証されるよりずっと良いかも。
このほうが、すっきりしている。
それにしても”中国風味”の歴史っぽいファンタジー小説が増えたものだ。
流行かもしれないが、先のことを思うと…この辺、編集部側に問題ありか。

同じタイプの登場人物(特に若い二枚目)の相違点(魅力)をもう少しちゃんと出してくれればなぁと思う。
時々どっちがどっちか分からなくなって混乱するのだ。(私が悪いのか?)
登場人物の一人一人がもっと魅力的に書ける人だと思うのだが…。
続刊らしいのでこのあたりを期待して待つことにしよう。

全体としては、いろんな要素がごちゃ混ぜで、それが面白い。
どこまでこれが通用するかは、作者の腕の見せ所。

折角イラストが由羅カイリさんなのだから、ここのレビューに絵が出ないのがとっても残念。
あ〜もったいない〜という感じか。
…と言う本を借りた。

軽い中国風味の娯楽小説…ということで、気楽に就寝前にでも、ということだった。

さし絵は私も結構すきな人気漫画家なので、そのイラストを見ている分には興味を惹くが。さて、どうか。
”中国風”というやつにはピンからキリまであるからねぇ。

「三国志」いらいその手の小説が雨後のたけのこのように出てきて、選別するのに随分手間取った思い出がある。

堅苦しいことを言う気はない。
ただ、面白ければ…分相応に、ね。
ヴィッテルがまずい。
お菓子が豊富。
大の男があま〜いお菓子が大好き。
いちいちうなずくことの多い「パリからのおいしい話」である。

読後感として、一番思ったのは、
「日本人でも向こうで暮らせば水なみにワインを飲めるようになるのか〜」
ということ。

私はもともお酒を飲まない。
飲めないわけではないと思うが、自分で飲むより料理酒にしてしまえ、という人間である。
料理が美味しくなるので、洋酒も日本酒も、料理にはバンバンお酒を使う…そんな人間だ。

著者の戸塚さんは、水がまずいゆえにワイン、否ぶどう酒を飲むようになった、と書かれていた。
そういうものなのかな?
飲めるようになるのかな?
それともやはり肝臓の問題?

色々考えて、でもページのあちらこちらにちりばめられていた料理のいくつかは、試してみたい、いや「ぜひとも食べてみたい」と心に留めた私であった。
持って歩ける文庫本…で、こんな本を買った。
以外に面白い。
やたら長い料理名(しかもフランス語)には参るけれど、日本語に治せば○○のナントカ風ぐらいの意味だと知って、怖気づく気持ちは消えた。

かたつむりは私も好物。
逆に、トリュフの味はよくわからない。ビッテルにかぎらず、ミネラルウォーターには変な味付けがしてあるようで、私もまずいと感じた。

ポ・ト・フがそんなご大層な凄い料理とは思わず、冬の暖かい料理ぐらいにしか考えていなかったのにといささか慌て、読んでいるうちに野菜をたっぷり入れたスープが飲みたくなった。

う〜んと唸らすだけではなく、こちらのお腹をぐぅ〜と鳴らす、そんな本である。

鳥も牛も怪しくなった現状の日本では、本当に贅沢な夢のような話なのかもしれない。

りかさん

2004年3月4日 読書
ひな祭り、といえばこの本。
と私の中ではそうなっている。

かつて友人に借りた本を、自分で買った。それぐらい良かった。

リカちゃん(人形)がほしい!
と、おばあちゃんにねだったら、

市松人形のりかさんが贈られてきて、ちょっとがっかり。

でも、そのりかさんにはとっても素敵な能力が…

まるで御伽噺のような、読むほどに心温まる一冊。

お雛様を前にして、
しみじみと読みたい、
何度でも読み返したい、
そんな作品である。

AQUALOG

2004年3月2日 読書
栗田工業株式会社に出している機関誌である。
インターネットのCMで見て取り寄せたのだが、環境保全を考えるこの会社が、水や空気や、人間が生きてゆくために密接に関係しているもの、断ち切れないものを大切に考えようという意図から刊行している「無料広報誌」である。

今回の特集は琵琶湖。

フナ寿司は…とてもじゃないが食べられない、というか近くにも寄れない料理なのだが、環境汚染のおかげで作る量(=捕れる量)も相当に減ってしまったのだという。

漁獲量が減ったからには、職業としての漁師の数も自然に減ってくる。
漁師の家は、後を継いでくれる若者がどんどん減って来ているのが現状だという。

私が住む京都も、その下流の大阪も、琵琶湖水系という場所である。
大昔から、琵琶湖の水を戴いて生活している。
だから上流(水源)の琵琶湖の水が綺麗であればあるほど、美味しくあればあるほど、ありがたい。

さて、この日本一の湖は、それはそれはたいしたものなのである。
「近畿の水がめ」と言われるそれは、下流地域に水の不自由をさせたことがない。
夏の、降水量が空くな儒全国的に干上がっているさなかでも、取水制限は行われるが、本当に「水がなくて困っている」状態にはならない。
つまり、蛇口を捻っても水が出ない、などということを私はいまだ嘗て一度たりとも経験したことがないのだ。
勿論「節水」はしなくてはならない。
しかし、現実に「水が出ない」なんて経験をしたことがない。
どんなに酷い酷暑・どんなにひどい雨不足・水不足の時でも。
これは…凄いことなのでは?

それがいつの間にか勝手な文句ばかり言うようになった。
滋賀県人は洗剤を使うな、だの、琵琶湖の水はまずい、だの。
人間は、本当に、上を見ればきりを知らない。

上流の滋賀県では、本当に昔から、洗濯や食器洗いの洗剤に至るまで、細心の注意を払って生活してきている。
勝手なことをほざく京都人や大阪人に美味しい水を供給するために…。

環境保全のための運動が世界中に広がり、ISOといわれる活動認定を受ける企業も増えてきた。
私の勤める会社も数年前に取得した。

無駄な資源エネルギー(電気・水・紙)を使わないこと。
ごみを極力出さないこと。(燃やすのには燃料が必要であり、大気を汚す)

などなど、要は"生活の無駄"をなくすことが大きな目標になる。
結構自分のためになる活動が多いのだ。
手間ひまかけて、再生紙利用などにはコストもかかるが、長い目で見れば経費の節減にもなる。

情けは人のためならず…
そうとも。

地球に優しく、環境に優しいと言うことは、自分に優しいということなのだ。

メイプル戦記

2004年3月1日 読書
ああ、とうとう漫画に逃げてしまった。

昨日は昼間にオープン戦をテレビで見て、阪神が気持ちよく勝ってくれちゃったりしたもんだから、そのままのノリでこの本を…。
女の子がプロ野球界でがんばるぅ〜?
なんて馬鹿にしてはいけない。

作中に出てきた科白、

「んじゃ、おまえ。グリフィス・ジョイナー(100m走の女性金メダリスト)と競争して勝てるか?」

「もう、男だの女だの、そういう時代じゃないんだよ」

実力の時代…というわけですわな。

勿論あくまでも男性の平均記録はごく一部の女性の特出した記録でようやく太刀打ちできるわけだから、ほとんどの女性は体力では男性には勝てませんが。

あ、でも、冬山で遭難したら、まず女は助かるんだよな。
脂肪のおかげでも何でも。生き残ってこそ、「勝ち」だもんな。
うんうん。
叉ここへ帰ってきてしまった…

だって、読む文庫が切れてしまったんである。

しゃあない。ぼちぼち読むかな…
現状、欧米よりも中国相手の商売が重心を重くしてきているのだから、どーでも良い、ではすまなくなってきているのは事実。

【今日の格言】

おまえが何かを期待している相手は、おまえの何かを当てにしているのだ    (アラブの格言)
久々に(!)スキーヴ登場。
日本じゃ3年だけど、本国アメリカじゃ10年かかったとか。税務署がらみの奮闘で、だったっけか?忘れたけど。

相変わらずのナンセンスギャグと、人を煙に撒いてしまうオチがたのしみで、たのしみで仕方がない本。

こんなに楽しい会社だったら、いくらでも残業するのにな〜。
新しい企画もどんどんできそう。

……とういうわけで、「カラミティナイト3」は読了したのだった。
ボースンさまの仰るとおりだった。
本当に妙な方向で悩みを吹っ切ったな…この主人公は。

いよいよ「美女軍団」の気配濃厚で、黒一点のヒーロー(?)はこの先どうなるのか、が、とってもたのしみな仕上がりでした。
さくさくさく…と、第3巻。

悩む主人公(ヒーロー?ヒロイン?)に、その支えになるヒロインの美少女に…またもう一人美少女が。

なんか美男美女勢ぞろいの、凄い空間である。それが高校生だというのだからすごい。

3巻に入ったところだけど、この際、敵役もあまりややこしい背景とか事情とか背負わないで、悪事の限りを尽くしてほしいものである。単純なほうが分かりやすく楽しんで…笑えるから。

しかしシリアスな部分がだんだんどーでもいいような、たいしたことないような雰囲気になってきたぞ。
なんでも一晩かそこら眠って克服できる、若さっていいなぁ…。

やはり…

2004年2月24日 読書
「カラミティナイト」第2巻。

主役の女の子が悩んでいる。
これでいいのか?と。
そうか…これが当たり前の反応なのだ。そうか、そうだよね。

アニメのロボットものなんか、ひょんなことからヒーローとなってしまって「オオ!では明日からオレが地球の平和を護るぜ!」なんていうほうがおかしいか…確かに、おかしいかも。

「ガンダム」なんか、父ちゃんはマッドだわ、子供は我侭だわ、おかーちゃんは不倫しているわ、敵は戦場に愛人連れてくるわ…。
なんて人間臭いアニメドラマかと思ったけれどね。

そういえば、こちらも、
「もっと悩めよ、オイ」
と突っ込みを入れることすら忘れていたな。

トミノヨシユキ氏以来、悩める主役と言うのは当たり前になってきたが、それでもまだまだおかしかったのかも…。
ま、しかし、主役だからして、いずれは立ち直ることでありましょう。
青春ドラマじゃあるまいし、あんまり悩んでばかりで文字数を費やされても、読んでいるほうが辛いし。
読めてしまった…

脱走してからの展開と推理の行方が面白く、最後までしっかり読めた。

収容所脱出劇は多くの映画にもなっているが、どうせなら「明るい」ほうがいい。
S・マックイーンが営倉の壁でキャッチボールをしょうこりもなく続けるあのふてぶてしさと、諦めない精神と、明るさと。
「大脱走」のよさはあの最後のシーンに集約されていると思うから。

ああいうものを、今こそもたなければならない時代なのかも、と思ってしまう。

さあ。これで心置きなく学園娯楽ものに突入できるぞ〜。

捕虜収容所の死

2004年2月22日 読書
文庫本なのにさくさく進まないのは、私が休みで呆けているからです。

映画の「大脱走」をどうしても思い出してしまうのは、私だけじゃないとは思うが…。
「大脱走」も原作のほうは記録文でしかない。
だからいくら「愛」があっても読むのはしんどくて仕方がなかった。
一転して「捕虜収容所の死」は推理小説なので読んで楽しい。
相手もイタリアだし。

終戦まで休暇気分…は、「大脱走」では感じられなかったが、実際にはどうだったのかな。
捕虜になったからには、敵地深くで混乱させ、前線の支援を行う義務がある…と確かそういう発言があったような気もするが。

日本軍の捕虜になった連合軍は酷い目にあったというのは今更教えられることもいらないぐらいだが、「戦場にかける橋」を作った監督(ではなく原作者)が、『昨日まで見下していた有色人種』に捉えられ、殴られ、侮辱されるのが腹立たしく、仕返しに書いた作品が「猿の惑星」である、と先日テレビで教えられた。

だから『猿』=『日本人』なのだよ。

猿が人間を支配する。
有色人種が白人種の上に立つ。
秩序が逆転し、すなわちそれが”悪”であると、そう言いたいのだろうか?

もともと好きな映画ではない。
話に聞けば、ラストも救いがないという。

しかし…
なんだそりゃ?
幻滅である。

結局、植民地意識が、白豪意識が抜けてないのか?

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