天才ネコモーリスとその仲間たち
2004年8月30日 読書
ネズミと、
ネコと、
人間が旅をする。
考えるネズミ。
賢いネコ。
無口な笛吹き。
彼らは言葉を共有する。
新しい童話の始まり。
ネズミが考え、徒党を組み、協力して冒険を成し遂げる物語は「冒険者たち(別名「ガンバの冒険」)」が有名。
ネズミとは言え、馬鹿にしてはいけないと、深く心に感じたものである。
こうしてみると、小さな"害獣"は時に人より賢く、仲間想いで、勇敢な生き物になれる。
そしてネコ。
先日「シュレック2」を見たばかりなので、どーしてもネコ(!)に想像が流れてゆく。
あの必殺技は、強力すぎるよ(笑)
モーリスもただのネコではない、ということをしみじみと教えてくれた。
あぁ、確かに童話だね。
ちなみに、ネコは、一匹で立派な勇士だ。(こんなのが複数いると、扱いに困るし)
ISBN:4751523511 単行本 冨永 星 あすなろ書房 2004/04 ¥1,785
ネコと、
人間が旅をする。
考えるネズミ。
賢いネコ。
無口な笛吹き。
彼らは言葉を共有する。
新しい童話の始まり。
ネズミが考え、徒党を組み、協力して冒険を成し遂げる物語は「冒険者たち(別名「ガンバの冒険」)」が有名。
ネズミとは言え、馬鹿にしてはいけないと、深く心に感じたものである。
こうしてみると、小さな"害獣"は時に人より賢く、仲間想いで、勇敢な生き物になれる。
そしてネコ。
先日「シュレック2」を見たばかりなので、どーしてもネコ(!)に想像が流れてゆく。
あの必殺技は、強力すぎるよ(笑)
モーリスもただのネコではない、ということをしみじみと教えてくれた。
あぁ、確かに童話だね。
ちなみに、ネコは、一匹で立派な勇士だ。(こんなのが複数いると、扱いに困るし)
ISBN:4751523511 単行本 冨永 星 あすなろ書房 2004/04 ¥1,785
フルメタル・パニック!
2004年8月30日 読書
☆揺れるイントゥ・ザ・ブルー
☆同情できない四面楚歌
☆終わるディ・バイ・デイ(上・下)
☆どうにもならない五里霧中
…と、続けて4冊を読破+現在5冊目を順調に攻略中。
で、やっと主役の"意思"が見えてきて、読み手も気持ちよく読めるようになった。
そう。
そうでなくっちゃ〜。
言われたことを遂行するだけの人生なんて、そんなヒーローなんて不要!
ヒロインの妙な(精神的)強さも好ましい。
人間なんて不器用なものなんだから、一度に何でもやれはしない。
ワンステップづつ上がっていくのはいかにも歩みが鈍いだろうが、確実に決して止ることなく上がり続けるその力は、いつか強大で絶大なものに成長するはず。
意思は、思う心は力になりうる。
「終わるディ・バイ・デイ」あたりは、作者の力量が問われるところなのだが、長編へと繋がるステップを、見事に一段登った、という感じだった。
良かった良かった。
シリアスもいいけれど、個人的には学園での騒動記が好ましい。平和な日本に、こういうボケた騒動を起こす存在も面白い。
笑えるうちは。
"ボケ"で済む、自分の周りの現実を、私はありがたく受け止めている。
続きが本当にたのしみなシリーズである♪
先に読み始めた「モーリス…」から浮気してよかったかも。
乗りが良すぎて、あっという間に読んでしまったもんなぁ。
ISBN:4829113898 文庫 賀東 招二 富士見書房 2001/10 ¥546
☆同情できない四面楚歌
☆終わるディ・バイ・デイ(上・下)
☆どうにもならない五里霧中
…と、続けて4冊を読破+現在5冊目を順調に攻略中。
で、やっと主役の"意思"が見えてきて、読み手も気持ちよく読めるようになった。
そう。
そうでなくっちゃ〜。
言われたことを遂行するだけの人生なんて、そんなヒーローなんて不要!
ヒロインの妙な(精神的)強さも好ましい。
人間なんて不器用なものなんだから、一度に何でもやれはしない。
ワンステップづつ上がっていくのはいかにも歩みが鈍いだろうが、確実に決して止ることなく上がり続けるその力は、いつか強大で絶大なものに成長するはず。
意思は、思う心は力になりうる。
「終わるディ・バイ・デイ」あたりは、作者の力量が問われるところなのだが、長編へと繋がるステップを、見事に一段登った、という感じだった。
良かった良かった。
シリアスもいいけれど、個人的には学園での騒動記が好ましい。平和な日本に、こういうボケた騒動を起こす存在も面白い。
笑えるうちは。
"ボケ"で済む、自分の周りの現実を、私はありがたく受け止めている。
続きが本当にたのしみなシリーズである♪
先に読み始めた「モーリス…」から浮気してよかったかも。
乗りが良すぎて、あっという間に読んでしまったもんなぁ。
ISBN:4829113898 文庫 賀東 招二 富士見書房 2001/10 ¥546
「エマ」4巻を買うときに、隣にあった…ので、一緒に買う羽目に。(あぁ…衝動買い)
エマはずんずん面白味を増して行くので、次の巻がたのしみである。
基本的に単行本にならないと読まないクチなので、次までがけっこー長い。(でも忍耐忍耐(笑))
「シャーリー」
「エマ」より前に書かれた短編もので、この本には、
お裁縫の得意なシャーリー
(13歳でメイドか…厳しい時代だ)、
子供受けのよい眼鏡のメリー、
(確かこの時代では眼鏡はかなり高価だったのではなかったっけ…?)
戦うメイド メアリ、
(対戦相手・好敵手の大だんな様が良い。しかしよりによってハンニバル・スミスだとわ…(笑))、
の3人が描かれている。
まだ初期の作品(?)のせいか、みなさんメイドの割りにのびのびと仕事しているなぁ…と、感じた。
だから、とっても笑える作品になっている。
エマはもっとシビアだ。
メイドの苦悩というか、辛さをしっかり滲み出していたしな。
時代背景が作者の中にしっかり蓄積されていって、厚みを増した結果だろうか。
作品の生まれてくる土壌がすでに違うのかもしれない。
それにしても、日本だって、すみこみのお手伝いさんとか職人の徒弟とか商家の丁稚とか、幼いとき苦労をして、いい意味で成り上がってゆく下層階級の人間は多かったけれど、ここまで差異が酷かったろうか?
貧しいか、豊かか。
その差は歴然と有ったとも。
しかし、人間としては、所詮「同じ日本人やんか」「風呂に入れば皆同じ」「死ねば、仏の前に出れば皆同じただの人」的な思想が根底にあったように思える。
確かに生活は貧しくとも、「同じ人間」と思えるものが。
それは今でも同じ。
英国では、同じ英語なのに「属するクラス(階級)で英語が違う」というし。
日本には各地方の方言が有るだけだ。
方言は、社会的に侮蔑や差別の対象にはならない。
そして、努力次第で、"クラス"は変えられる。
苦労しても変えられるなら、涙を流す甲斐もあるというものさ。
英国はそうは行かない。
生まれたクラスは一生ついて回る。
今でも。
だから、首相のパブ通いが、大きな話題になったりするのであるな。
そういう思考に影響されていたので、シャーリーの第一話。
彼女の雇い主が○○しているのに、とっても驚いてしまった私だった。
それにしても、この人の漫画は、パイプ爺さん(おじさん?)がいい味を出しておるよな。
ISBN:4757713134 コミック 森 薫 エンターブレイン 2003/02 ¥651
エマはずんずん面白味を増して行くので、次の巻がたのしみである。
基本的に単行本にならないと読まないクチなので、次までがけっこー長い。(でも忍耐忍耐(笑))
「シャーリー」
「エマ」より前に書かれた短編もので、この本には、
お裁縫の得意なシャーリー
(13歳でメイドか…厳しい時代だ)、
子供受けのよい眼鏡のメリー、
(確かこの時代では眼鏡はかなり高価だったのではなかったっけ…?)
戦うメイド メアリ、
(対戦相手・好敵手の大だんな様が良い。しかしよりによってハンニバル・スミスだとわ…(笑))、
の3人が描かれている。
まだ初期の作品(?)のせいか、みなさんメイドの割りにのびのびと仕事しているなぁ…と、感じた。
だから、とっても笑える作品になっている。
エマはもっとシビアだ。
メイドの苦悩というか、辛さをしっかり滲み出していたしな。
時代背景が作者の中にしっかり蓄積されていって、厚みを増した結果だろうか。
作品の生まれてくる土壌がすでに違うのかもしれない。
それにしても、日本だって、すみこみのお手伝いさんとか職人の徒弟とか商家の丁稚とか、幼いとき苦労をして、いい意味で成り上がってゆく下層階級の人間は多かったけれど、ここまで差異が酷かったろうか?
貧しいか、豊かか。
その差は歴然と有ったとも。
しかし、人間としては、所詮「同じ日本人やんか」「風呂に入れば皆同じ」「死ねば、仏の前に出れば皆同じただの人」的な思想が根底にあったように思える。
確かに生活は貧しくとも、「同じ人間」と思えるものが。
それは今でも同じ。
英国では、同じ英語なのに「属するクラス(階級)で英語が違う」というし。
日本には各地方の方言が有るだけだ。
方言は、社会的に侮蔑や差別の対象にはならない。
そして、努力次第で、"クラス"は変えられる。
苦労しても変えられるなら、涙を流す甲斐もあるというものさ。
英国はそうは行かない。
生まれたクラスは一生ついて回る。
今でも。
だから、首相のパブ通いが、大きな話題になったりするのであるな。
そういう思考に影響されていたので、シャーリーの第一話。
彼女の雇い主が○○しているのに、とっても驚いてしまった私だった。
それにしても、この人の漫画は、パイプ爺さん(おじさん?)がいい味を出しておるよな。
ISBN:4757713134 コミック 森 薫 エンターブレイン 2003/02 ¥651
いよいよ物語が動き出した。
環境が変わり、周囲の人間が変わり、エマはひとりではなくなった…という感じ。
少なくとも、同じ境遇のメイドたちがたくさんいる大きな屋敷に就職を果たして一安心。
雇い主(お金持ち)がふつーの英国貴族ではない、というあたりがポイントかな?
アガサ・クリスティの映画で出てくる、上流階級のご主人さまや奥様の、メイドだのコックだの御者だの、その立場と役割の意味するところがぼんやりとわかってきたような気がする。
「オリエント急行殺人事件」のポアロの推理。
メイド≠コック
の、厳密な意味が、
「ああ、成る程」
と、よくわかった。
この調子で行けば、「シャーロック・ホームズ」を初めとして、ビクトリアンな小説の、設定の奥の奥まで掴み取れるのではなかろうか。
それはちょっと嬉しいぞ♪
そんなわけで、いろいろな知識も得られて、一石二鳥・三鳥な漫画である。
…え?もう4巻まで出てるの?!
追いつくのが大変だ〜
ISBN:4757716427 コミック 森 薫 エンターブレイン 2003/11/25 ¥651
環境が変わり、周囲の人間が変わり、エマはひとりではなくなった…という感じ。
少なくとも、同じ境遇のメイドたちがたくさんいる大きな屋敷に就職を果たして一安心。
雇い主(お金持ち)がふつーの英国貴族ではない、というあたりがポイントかな?
アガサ・クリスティの映画で出てくる、上流階級のご主人さまや奥様の、メイドだのコックだの御者だの、その立場と役割の意味するところがぼんやりとわかってきたような気がする。
「オリエント急行殺人事件」のポアロの推理。
メイド≠コック
の、厳密な意味が、
「ああ、成る程」
と、よくわかった。
この調子で行けば、「シャーロック・ホームズ」を初めとして、ビクトリアンな小説の、設定の奥の奥まで掴み取れるのではなかろうか。
それはちょっと嬉しいぞ♪
そんなわけで、いろいろな知識も得られて、一石二鳥・三鳥な漫画である。
…え?もう4巻まで出てるの?!
追いつくのが大変だ〜
ISBN:4757716427 コミック 森 薫 エンターブレイン 2003/11/25 ¥651
怪・力・乱・神クワン 1 〜3
2004年8月27日 読書
幻想水滸伝3の漫画を描いている作家が、オリジナルで書いているというので興味を覚え、ようやくこのたび入手する。
既刊の3冊を読んでの読後感。
面白い。
変わっている。
すごい個性。
もっと早く買えばよかった。
時代は、中国・後漢の末期。
霊帝といえば、三国志ファンにはもうわかるはず。
世は麻の如く乱れ、妖魔が人を惑わし喰らい、世界を滅ぼさんとする。
そんな時代。
自分が何者なのか、何をしようというのか、それすら判らぬ一人の少年が出現する。
すべての記憶を、すなわち己の半身を失いしその少年をクワンと名づけたのは、伝説の仙人・于吉。
"やもめ"と言う意味なんだそうだ…
子供とは思えぬ怪力。
妖魔を喰らう摩訶不思議な力。
次々と出現する妖魔たち…というか、"虫"の比重が高いので、ちょっとイヤなんだけど。
もう一つの三国志…なんて煽り文句があほらしく思えるほど、独自性の強い、先の楽しみな一冊である。
もう既に一人、出てきてしまってはいるが、いや〜劉備とか関羽とか張飛のみならず、あの白羽扇のお方とかでも、別に出なくていいやと思えてしまうからなぁ。
ちなみに"怪・力・乱・神"は、孔子が「論語」で、”語らず”と挙げた四つのもの。
語らない、というか語るべきではない、というか。
人の身が触れるなと言うことであろうと思う。
中国の語彙が多いので、巻尾に簡単な解説付。
丁寧である。
親切である。
しかし訳で一番笑えたのは、
を訳して、
と訳している。
大爆笑であった。
ISBN:4840104824 コミック 志水 アキ メディアファクトリー 2003/02/22 ¥540
既刊の3冊を読んでの読後感。
面白い。
変わっている。
すごい個性。
もっと早く買えばよかった。
時代は、中国・後漢の末期。
霊帝といえば、三国志ファンにはもうわかるはず。
世は麻の如く乱れ、妖魔が人を惑わし喰らい、世界を滅ぼさんとする。
そんな時代。
自分が何者なのか、何をしようというのか、それすら判らぬ一人の少年が出現する。
すべての記憶を、すなわち己の半身を失いしその少年をクワンと名づけたのは、伝説の仙人・于吉。
"やもめ"と言う意味なんだそうだ…
子供とは思えぬ怪力。
妖魔を喰らう摩訶不思議な力。
次々と出現する妖魔たち…というか、"虫"の比重が高いので、ちょっとイヤなんだけど。
もう一つの三国志…なんて煽り文句があほらしく思えるほど、独自性の強い、先の楽しみな一冊である。
もう既に一人、出てきてしまってはいるが、いや〜劉備とか関羽とか張飛のみならず、あの白羽扇のお方とかでも、別に出なくていいやと思えてしまうからなぁ。
ちなみに"怪・力・乱・神"は、孔子が「論語」で、”語らず”と挙げた四つのもの。
語らない、というか語るべきではない、というか。
人の身が触れるなと言うことであろうと思う。
中国の語彙が多いので、巻尾に簡単な解説付。
丁寧である。
親切である。
しかし訳で一番笑えたのは、
世に居て一に何ぞ同じからざるや
天人供物を食らえども 貧人余物を食らうのみ
貧賎は亦た 何ぞいたましき
を訳して、
人間ってのは皆同じじゃないのかよ
天に住む人は供物を食らうのに 貧しき人はその余り物を食らう
ああ貧乏ってのはつらいよね
と訳している。
大爆笑であった。
ISBN:4840104824 コミック 志水 アキ メディアファクトリー 2003/02/22 ¥540
久々に今市子氏の新刊が…!と思って衝動買いしたら、なにやら妖しいマンガ本であった。
ころは激しく昭和初年(1926)に近い。
場所は江戸…はなくて東京。
の、花街がメイン。
で、登場してくるのはフツーならええとこの坊(ボン)と粋な芸妓なんだろうが、ここで主役を張るのはオトコとオトコ。
老舗の味噌屋のボン。
そして、
ボンの相手方は、幇間、すなわち太鼓もちとよばれる、お座敷の盛り上げ役。
そのぐらいの知識はあったが、まさかこういうコトもあろうとは。
幇間は別名、男芸者という。
今市子。
そーゆー話を書かせると、"ぴかいち"になってきたなぁ。
美少年、というのではないところがこの人の特性で、面白味か。
内容は、彼女らしく、お化けが出る。幽霊である。
人間の欲がそういうものを呼び寄せるわけである。
で、そういう人間には、それなりの終末が待っているわけである。
因果応報。
仏教説話みたいな部分を、矢張り感じさせられたりするのである。
古来、歴史上では稚児趣味とかは何処でもあった。
おまけにおおらかな古代社会では、衆道は世間でも認知されていたようだし、現代人が思うほどには、後ろめたさはなかったのだろう。
世界中、人間の考えることは大体同じである。
まあいい。
それでも、日本には、宦官がはいってこなかったじゃないか。
中国でもトルコでも、さかんに行われたあの因習は、まさしく波打ち際で、日本海で食い止められた。
そのへんに古代日本人の、「譲れない、この一線」が感じられもする。
だから細かいこと(?)にはあまり文句をつけぬほうが花、かな。
ISBN:4199602615 コミック 今 市子 徳間書店 2004/08/25 ¥560
ころは激しく昭和初年(1926)に近い。
場所は江戸…はなくて東京。
の、花街がメイン。
で、登場してくるのはフツーならええとこの坊(ボン)と粋な芸妓なんだろうが、ここで主役を張るのはオトコとオトコ。
老舗の味噌屋のボン。
そして、
ボンの相手方は、幇間、すなわち太鼓もちとよばれる、お座敷の盛り上げ役。
そのぐらいの知識はあったが、まさかこういうコトもあろうとは。
幇間は別名、男芸者という。
今市子。
そーゆー話を書かせると、"ぴかいち"になってきたなぁ。
美少年、というのではないところがこの人の特性で、面白味か。
内容は、彼女らしく、お化けが出る。幽霊である。
人間の欲がそういうものを呼び寄せるわけである。
で、そういう人間には、それなりの終末が待っているわけである。
因果応報。
仏教説話みたいな部分を、矢張り感じさせられたりするのである。
古来、歴史上では稚児趣味とかは何処でもあった。
おまけにおおらかな古代社会では、衆道は世間でも認知されていたようだし、現代人が思うほどには、後ろめたさはなかったのだろう。
世界中、人間の考えることは大体同じである。
まあいい。
それでも、日本には、宦官がはいってこなかったじゃないか。
中国でもトルコでも、さかんに行われたあの因習は、まさしく波打ち際で、日本海で食い止められた。
そのへんに古代日本人の、「譲れない、この一線」が感じられもする。
だから細かいこと(?)にはあまり文句をつけぬほうが花、かな。
ISBN:4199602615 コミック 今 市子 徳間書店 2004/08/25 ¥560
白川静先生著「呪の思想」読了。
最後のほうに、トンデモない発言…。
中国を訪れた時は、古い門には手を突いたりしないようにしようと、私は心に誓う。
き、気持ちワルイ…。
"強い力をもつもの"を城門に置いて敵に睨みをきかせるとか、長城に人柱をたてるとか、そのあたりまではまだなんとか理解できるけれど。
集めてくるの…?
わざわざ?
死体から、金目のものを戴く近代戦のほうがなんぼかまし。
とどめ。
ほ、本当に"魔除け"になるんですか〜?
恨みばかり買ってる気が…呪われそうな気がするんですが…。
挙句、首と胴体を別々に、遠くへ離して置くのは、
ほら。
やっぱり。
祟るんじゃないですか。
平安時代の大乱の有名人・平将門が首と胴体と別々に祭られているのはつまりそのせいである。
この辺は、私たち"とっても呑気な日本人”でもそうだと気がつくことである。
が、かの「神田明神」が「(将門の)身体(からだ)明神」とも言われているとは。
一説によると、だけれど。
古代史ってコワイ部分が多いね、矢張り。
最後のほうに、トンデモない発言…。
中国の場合にはね、異民族は殺すんですよ。中華圏外の者はね、殺して首を取って来て、城門に埋める。この殺した異民族は守護霊として使う。
中国を訪れた時は、古い門には手を突いたりしないようにしようと、私は心に誓う。
戦争で遺棄された屍体があると、それを集めて城門に埋める。
き、気持ちワルイ…。
"強い力をもつもの"を城門に置いて敵に睨みをきかせるとか、長城に人柱をたてるとか、そのあたりまではまだなんとか理解できるけれど。
集めてくるの…?
わざわざ?
死体から、金目のものを戴く近代戦のほうがなんぼかまし。
とどめ。
京都の「京」という字は、城門を示す字ですがね、(略)屍体はこの壁に全部塗り込んで埋めてしまう。(略)魔除けになるのです。
ほ、本当に"魔除け"になるんですか〜?
恨みばかり買ってる気が…呪われそうな気がするんですが…。
挙句、首と胴体を別々に、遠くへ離して置くのは、
首があるとね、復活して悪く働く恐れがある。
ほら。
やっぱり。
祟るんじゃないですか。
平安時代の大乱の有名人・平将門が首と胴体と別々に祭られているのはつまりそのせいである。
この辺は、私たち"とっても呑気な日本人”でもそうだと気がつくことである。
が、かの「神田明神」が「(将門の)身体(からだ)明神」とも言われているとは。
一説によると、だけれど。
古代史ってコワイ部分が多いね、矢張り。
今が一番面白いかも…
2004年8月24日 読書
以前一度挙げた本なのだが、今読んでいるあたりが一番面白いので、つい…。
詩経など、中国古代の歌にはいくつもの内容・性質の種類(風・雅・頌)と、修辞法による分類(賦・比・興)があり、というくだりでの一文である。
ほらほら。
今時のお嬢さんたちが喜びそうなお話ではないですかな?
地霊を鎮めて眠らせるのではなく、目を覚まさせてどうするのかと言うと、起こすことによって、自分たち(人間たち)の声に応えてくれるようになる、そういうことなんだそうだ。
だから「興」と言う字は、
すなわち、
唄う⇒唄われていることを願う⇒唄われた願いが実現する
ことにおいて、立派な呪(術)ということなのだろう。
真ん中すぎから後半にかけて、全編この調子。
漢字が持つ意味、その形象の秘めるもの、などなど楽しい話が目白押しになってくる。
【言葉は呪】
その謎を、その理由を、読みながら感じることが出来る楽しい♪本であった。
白川静先生の「辞書」が面白いはずである。
しかし、中国史は矢張り「孔子」をやらなきゃいけないのか…がーん。「老子」の方が遥かに好きなのに、白川・梅原両先生に断定されてしまうとは…。
ちなみに対談形式で話が進む、この本。
聞き手の編集者もタダモノではナイ、と見た。
ISBN:4582831214 単行本 梅原 猛 平凡社 2002/09 ¥1,890
詩経など、中国古代の歌にはいくつもの内容・性質の種類(風・雅・頌)と、修辞法による分類(賦・比・興)があり、というくだりでの一文である。
【興】という字の上の方はね。中に同と言う字を書く。これね、同という字は、お酒を入れる筒形の器です。これを両手で持つ、両手で捧げる、それが「興」と言う字になる。それでね、両手でもってお酒を注ぐというのが「興」という字なんです。酒を地に注ぐのです。
それを行うという場合にね、まずその土地の神様を安んじて、鎮めなければいけない。土地の神様を鎮める時に、この「同」という盃にお酒を入れて、みんなでお酒を振り注いでね、地霊を慰めるんです。
ほらほら。
今時のお嬢さんたちが喜びそうなお話ではないですかな?
地霊を鎮めて眠らせるのではなく、目を覚まさせてどうするのかと言うと、起こすことによって、自分たち(人間たち)の声に応えてくれるようになる、そういうことなんだそうだ。
だから「興」と言う字は、
あるものを歌うことによって、その持っておる内的な生命を呼び起こすというのが「興」なんです。
すなわち、
唄う⇒唄われていることを願う⇒唄われた願いが実現する
ことにおいて、立派な呪(術)ということなのだろう。
真ん中すぎから後半にかけて、全編この調子。
漢字が持つ意味、その形象の秘めるもの、などなど楽しい話が目白押しになってくる。
【言葉は呪】
その謎を、その理由を、読みながら感じることが出来る楽しい♪本であった。
白川静先生の「辞書」が面白いはずである。
しかし、中国史は矢張り「孔子」をやらなきゃいけないのか…がーん。「老子」の方が遥かに好きなのに、白川・梅原両先生に断定されてしまうとは…。
ちなみに対談形式で話が進む、この本。
聞き手の編集者もタダモノではナイ、と見た。
ISBN:4582831214 単行本 梅原 猛 平凡社 2002/09 ¥1,890
えらそ〜な名前の大型本である。
そして重い。
値段も良い。
マニアでないと中々手が出ないかもしれない。
類似品には「京都市の航空写真」なんてのもあって、京都を愛する人(だけ)には受けるかもしれない。
もっとも、値段だけの中味はある。
ぎっしり詰まった京都の秘密を、しっかりきっちり教えてさしあげましょう…という事典である。
(言葉の意味を説く辞典ではない)
資料本として使うしかないよ〜な本ではあるが。
(結構役に立つ)
ISBN:4473008851 単行本 佐和 隆研 淡交社 1984/11 ¥12,600
そして重い。
値段も良い。
マニアでないと中々手が出ないかもしれない。
類似品には「京都市の航空写真」なんてのもあって、京都を愛する人(だけ)には受けるかもしれない。
もっとも、値段だけの中味はある。
ぎっしり詰まった京都の秘密を、しっかりきっちり教えてさしあげましょう…という事典である。
(言葉の意味を説く辞典ではない)
資料本として使うしかないよ〜な本ではあるが。
(結構役に立つ)
ISBN:4473008851 単行本 佐和 隆研 淡交社 1984/11 ¥12,600
無人島へもってゆくなら、百科事典か辞書がお薦め。
それが一番長持ち(日保ち)するから。
そんな話も聞いているが、まさしく頷ける一冊である。
字解というぐらいだから、辞書である。
漢字の辞書なのだ。
金文から甲骨文字まで。
その字の成り立ちや理由を、簡易な文章ながら非常に判りやすく、興味深く解説されているので、それを読むだけで、そこらの読み物よりもはるかに楽しい。
ゆえに、"読む本"として、ここに挙げた次第である。
白川静というお人は、漢字を愛して止まない人なのだと、かといって居丈高に構えて近寄りがたい研究者では決してないのだと、かの人のたくさんの著書のなかからぽつぽつと、少しずつかじりだして、感じている私だ。
漢字って本当に面白い。
ISBN:458212805X 単行本 白川 静 平凡社 2003/12/20 ¥2,940
それが一番長持ち(日保ち)するから。
そんな話も聞いているが、まさしく頷ける一冊である。
字解というぐらいだから、辞書である。
漢字の辞書なのだ。
金文から甲骨文字まで。
その字の成り立ちや理由を、簡易な文章ながら非常に判りやすく、興味深く解説されているので、それを読むだけで、そこらの読み物よりもはるかに楽しい。
ゆえに、"読む本"として、ここに挙げた次第である。
白川静というお人は、漢字を愛して止まない人なのだと、かといって居丈高に構えて近寄りがたい研究者では決してないのだと、かの人のたくさんの著書のなかからぽつぽつと、少しずつかじりだして、感じている私だ。
漢字って本当に面白い。
ISBN:458212805X 単行本 白川 静 平凡社 2003/12/20 ¥2,940
あれやこれや…まさしく波乱万丈
2004年8月21日 読書オーブリーの、「南太平洋…」を楽しく読んでいる。
あとわずかなのが惜しいぐらいだ。
それにしても。
よくまあ、これだけ、いろんなイベントを。
というぐらいにいろんなことが起こるし起こすし、気の休まる時がない。
ここまでやるか?という展開には心底あきれた…というか「こんな、海洋冒険小説は読んだことがない」ところまで達していた。
普通この手の小説で、この展開はなかろうに…。
主人公とその相棒なのに…。
同時に、なるほど、ラッキー・ジャックの異名は伊達ではないな、とつくづく痛感することになった。
後半に入って、映画とはかなり違った展開になってきたのも面白い。
しかしDr.…アナタって人は…(嘆息)。
オーブリーとマチュリンは、まさしく割れ鍋にとじ蓋。
いいコンビである。
海洋小説においては、異色過ぎるけれど。
あとわずかなのが惜しいぐらいだ。
それにしても。
よくまあ、これだけ、いろんなイベントを。
というぐらいにいろんなことが起こるし起こすし、気の休まる時がない。
ここまでやるか?という展開には心底あきれた…というか「こんな、海洋冒険小説は読んだことがない」ところまで達していた。
普通この手の小説で、この展開はなかろうに…。
主人公とその相棒なのに…。
同時に、なるほど、ラッキー・ジャックの異名は伊達ではないな、とつくづく痛感することになった。
後半に入って、映画とはかなり違った展開になってきたのも面白い。
しかしDr.…アナタって人は…(嘆息)。
オーブリーとマチュリンは、まさしく割れ鍋にとじ蓋。
いいコンビである。
海洋小説においては、異色過ぎるけれど。
Dr.だけでも○○なのに、"似たもの同士"な(しかも!)牧師を乗艦させて、オーブリーの航海は続く。
描写だけでもこわいブラジルの森を、どーしてこのふたり(医者と牧師)はふらふらと歩き回れるのだろうか。
挙句、頭上から落ちてきたボア(南米産の大蛇)にしがみつく牧師に、
けれども、
で、済まされる問題なのであろうか?
何でも科学的に解明しようとか分類しようとか考える頭には、危機管理という機能が欠けているものなのだろうか。
映画とは、ビミョーに違う節々が楽しめる。
ISBN:4150410577 文庫 高津 幸枝 早川書房 2004/01 ¥735
描写だけでもこわいブラジルの森を、どーしてこのふたり(医者と牧師)はふらふらと歩き回れるのだろうか。
挙句、頭上から落ちてきたボア(南米産の大蛇)にしがみつく牧師に、
それは向こう見ずで、不注意で、たしなみを欠いていると、ぼくは言って聞かせた。
けれども、
目の下で、とぐろが巻き締まっていたものだから、絶句してしまった。
で、済まされる問題なのであろうか?
何でも科学的に解明しようとか分類しようとか考える頭には、危機管理という機能が欠けているものなのだろうか。
映画とは、ビミョーに違う節々が楽しめる。
ISBN:4150410577 文庫 高津 幸枝 早川書房 2004/01 ¥735
映画を読む……南太平洋、波瀾の追撃戦〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー
2004年8月19日 読書
いつまで取っておいても、映画を見たからには、しかも何度も見たからには、余り意味がないことに、
……先日気がついた。
陸上でのどたばたはいつものことで、"海軍流"になりきれない
Dr.をオーブリーが職権乱用的に引っ張りまわす。
そして、
「つむじ曲がりの司令長官とポストキャプテンの位にあるその共犯者が罪のない部下を迫害する場合、その訴えは…」
何処に起こすべきなのか?
と真剣に法務官に聞いている。
勿論。
ジャックと
スティーブンのことである。
相変わらず、度胸がいいのか、もの知らずなのか。多分、後者だろうが。
映画で語られなかった部分があれこれ出てくるが、この映画に関してはそういう不自由さを感じなかったので、問題ない。
映画は、それだけで充分に分かるように描かれていたし、省くべきは省かれていて、それがゆえに逆にストーリーに集中できた成功例であると思う。
おんぼろレディ・サープライズ号でしばしオーブリーと夢が見られそうである。
ゆっくり楽しもうっと……無理だろうけど。
ISBN:4150410569 文庫 高津 幸枝 早川書房 2004/01 ¥735
……先日気がついた。
陸上でのどたばたはいつものことで、"海軍流"になりきれない
Dr.をオーブリーが職権乱用的に引っ張りまわす。
そして、
「つむじ曲がりの司令長官とポストキャプテンの位にあるその共犯者が罪のない部下を迫害する場合、その訴えは…」
何処に起こすべきなのか?
と真剣に法務官に聞いている。
勿論。
ジャックと
スティーブンのことである。
相変わらず、度胸がいいのか、もの知らずなのか。多分、後者だろうが。
映画で語られなかった部分があれこれ出てくるが、この映画に関してはそういう不自由さを感じなかったので、問題ない。
映画は、それだけで充分に分かるように描かれていたし、省くべきは省かれていて、それがゆえに逆にストーリーに集中できた成功例であると思う。
おんぼろレディ・サープライズ号でしばしオーブリーと夢が見られそうである。
ゆっくり楽しもうっと……無理だろうけど。
ISBN:4150410569 文庫 高津 幸枝 早川書房 2004/01 ¥735
La migliore difesa l’attacco.
2004年8月18日 読書有名なシチリア島のコルレオーネは、人の名ではなく、村の名なのである。
本名はドン・ビトー・アンドリー。
幼いときにアメリカに入国した時、入国係官が出身地と姓を過って記載してしまったのが、この超有名マフィアの歴史の始まりである…と映画「ゴッドファーザー」では描かれているのだそうだ。
もともとは19世紀になって、貴族支配を抜け出たブルジョアジーが、自分たちの自治で治安や物流を牛耳りだし、それがやがて権力闘争や内部抗争に発展していって、現在のマフィアのイメージが出来上がったという。
ところが。
この悪名を変えようといざ運動を初めてみれば、意外やそうしようと思う村人たちはほとんどいないのだという。
なぜなら、
有名だから。
その名前だけで観光客が来るから。
というのが、理由。
悪名でもいいのか…現在統合・改姓ブームのどこかの国は一考あるべきかもしれない。
ちなみにイタリア女性は中ぽっちゃりの男性がいいらしい…というか、かまわないらしい。その上、美男美女のカップルが皆無に近いという。(どっちがどうなのだろうか…)
その理由は、
「十人十色」
小さいときから個性を大切にする教育が徹底しているイタリアらしい。
好き嫌いは人それぞれ、というのがイタリアにおいては特出しているようだ。
が、本来人間の好みなんてそう有るべき。
「みんな一緒でないと」
と同じ格好をし、同じ趣味を持つ(ように思い込み、みせかける)日本人のほうが、冷静に見れば「気持ち悪い」だろう。
英国人は〜
とか、
フランス人は〜
とか言った本はよく見かけたが、イタリアものは珍しく、面白かった。
イメージの余りの違いにかなり驚きつつ、単なるトマトとパスタの国ではないんだなァと感心もした。
作者が揚げている、
希望は、目覚めている者が見る夢である
という言葉は、中道左派連合の集会でのせりふだそうだ。
背景・前後は関係なく、なんとなく、気に入った。
政治家は何処の国でも上手いことを言うね。(口が上手いと言い換えるべきか)
そしてイタリアといえば、なによりも、パッション。
嫉妬深くて当たり前、のイタリア人らしい。
だが、男と女の仲に関しては、以前ほどに情熱のテンションは上がらず、"リップサービス"で、或いは"習性"で、口から言葉をつむいでいるだけ、という傾向が確かに増えてきているらしい。
そんなことでいいのか?イタリア人。
かつてゴクミがアレッジ(夫)のことを、
「イタリアンフレンチだから言うことは信用できない」
と言っていた、その栄光(?)はどーするのだ。
La migliore difesa l’attacco.
ラ ミリオーレ ディフェーザ ラッタッコ
ラテン・ラバー減少の理由の一つ。
それは、女性が攻撃的で強くなりすぎたこと、と著者は上げている。
日本語訳は余りにも有名。
「攻撃は最大の防禦也」
防禦…通り越して過剰防衛かも…
本名はドン・ビトー・アンドリー。
幼いときにアメリカに入国した時、入国係官が出身地と姓を過って記載してしまったのが、この超有名マフィアの歴史の始まりである…と映画「ゴッドファーザー」では描かれているのだそうだ。
もともとは19世紀になって、貴族支配を抜け出たブルジョアジーが、自分たちの自治で治安や物流を牛耳りだし、それがやがて権力闘争や内部抗争に発展していって、現在のマフィアのイメージが出来上がったという。
ところが。
この悪名を変えようといざ運動を初めてみれば、意外やそうしようと思う村人たちはほとんどいないのだという。
なぜなら、
有名だから。
その名前だけで観光客が来るから。
というのが、理由。
悪名でもいいのか…現在統合・改姓ブームのどこかの国は一考あるべきかもしれない。
ちなみにイタリア女性は中ぽっちゃりの男性がいいらしい…というか、かまわないらしい。その上、美男美女のカップルが皆無に近いという。(どっちがどうなのだろうか…)
その理由は、
「十人十色」
小さいときから個性を大切にする教育が徹底しているイタリアらしい。
好き嫌いは人それぞれ、というのがイタリアにおいては特出しているようだ。
が、本来人間の好みなんてそう有るべき。
「みんな一緒でないと」
と同じ格好をし、同じ趣味を持つ(ように思い込み、みせかける)日本人のほうが、冷静に見れば「気持ち悪い」だろう。
英国人は〜
とか、
フランス人は〜
とか言った本はよく見かけたが、イタリアものは珍しく、面白かった。
イメージの余りの違いにかなり驚きつつ、単なるトマトとパスタの国ではないんだなァと感心もした。
作者が揚げている、
希望は、目覚めている者が見る夢である
という言葉は、中道左派連合の集会でのせりふだそうだ。
背景・前後は関係なく、なんとなく、気に入った。
政治家は何処の国でも上手いことを言うね。(口が上手いと言い換えるべきか)
そしてイタリアといえば、なによりも、パッション。
嫉妬深くて当たり前、のイタリア人らしい。
だが、男と女の仲に関しては、以前ほどに情熱のテンションは上がらず、"リップサービス"で、或いは"習性"で、口から言葉をつむいでいるだけ、という傾向が確かに増えてきているらしい。
そんなことでいいのか?イタリア人。
かつてゴクミがアレッジ(夫)のことを、
「イタリアンフレンチだから言うことは信用できない」
と言っていた、その栄光(?)はどーするのだ。
La migliore difesa l’attacco.
ラ ミリオーレ ディフェーザ ラッタッコ
ラテン・ラバー減少の理由の一つ。
それは、女性が攻撃的で強くなりすぎたこと、と著者は上げている。
日本語訳は余りにも有名。
「攻撃は最大の防禦也」
防禦…通り越して過剰防衛かも…
なんだか、ただ事ではないが。
血の果汁とは、シチリア特産の真っ赤なオレンジのことだという。
昼夜の気温差の激しさが、真っ赤なオレンジを作るのだそうだ。
いっとき、薄い色彩のオレンジが流行して、この手のオレンジは滅びかかったらしいのだけれど、世界中がヘルシーになった最近、ビタミンの含有量+抗癌作用が宣伝されて、一気に需要が高まったのだという。
それにしても「血の果汁」かい。
輸入国ではアメリカと日本が抜きん出ているらしい。(流石ミーハーでは人後に落ちない二大大国である。
北アフリカやアメリカでも栽培をし始めているのだが、そっちのは「血の果汁」ではなく、「火の果汁」なんだそうだ。
どっちにしても、日本人の感覚から行くと、とてもとてもお口に入れるものには思えないが。
激しいねぇ…特にラテンは。
諺で紹介するイタリアの日常のいろいろ…だけど、諺に馴染みがないのと、付随している逸話の方が強烈なので、諺は添え物になっている。
イタリア語がわからないと、覚えられない、というのもネックであり、そうなるとイタリア語の諺なんてさっぱり覚えられない。
イタリアでは賭け事(ロット&トトカルチョ)がとても盛ん。だが、それを扱う店の真正面に教会があるのは…と考える著者。
私もそう思う。
なんて不謹慎?
ところが、
悪魔の小麦粉は、すべて麩になる
というイタリアの諺が、その効用を認めている。
すなわち、悪銭身につかず。
儲けたなら、寄付をしろ、そういうことなのだと。
ちなみに巨額の賞金を当てた場合、住所氏名等は極秘である。
その理由は…イタリアはマフィアの国だから。
こ、こわいですねぇ…。
知らなかったが、中田選手が最初にイタリアでお世話になったチームのパルマは、スポンサーが謎の大赤字を隠匿した(偽造証書を送り続けていたという)スキャンダルでチームごと身売りしたのだそうだ。
で、中田選手はさっさとボローニャに移ったのだと…。
パルメザンチーズの産地・かのパルマも変なことで名をうっている。
また、イタリアはファッションだの食だの、世界に冠たる文化の担い手であるのだが、
折角ユーロに統一したんだから、とユーロ内部で出ている、
「MADE IN EUにしよう」という提案に断固として反対、というか拒絶しているとのこと。
その気持ちはわかる。
日本のおじょうさんたちが、MADE IN EU で買う気になるかどうか。
いいとこ取りはダメだよねぇ。
ISBN:4122043697 文庫 半沢・メロジー タカコ 中央公論新社 2004/05 ¥620
血の果汁とは、シチリア特産の真っ赤なオレンジのことだという。
昼夜の気温差の激しさが、真っ赤なオレンジを作るのだそうだ。
いっとき、薄い色彩のオレンジが流行して、この手のオレンジは滅びかかったらしいのだけれど、世界中がヘルシーになった最近、ビタミンの含有量+抗癌作用が宣伝されて、一気に需要が高まったのだという。
それにしても「血の果汁」かい。
輸入国ではアメリカと日本が抜きん出ているらしい。(流石ミーハーでは人後に落ちない二大大国である。
北アフリカやアメリカでも栽培をし始めているのだが、そっちのは「血の果汁」ではなく、「火の果汁」なんだそうだ。
どっちにしても、日本人の感覚から行くと、とてもとてもお口に入れるものには思えないが。
激しいねぇ…特にラテンは。
諺で紹介するイタリアの日常のいろいろ…だけど、諺に馴染みがないのと、付随している逸話の方が強烈なので、諺は添え物になっている。
イタリア語がわからないと、覚えられない、というのもネックであり、そうなるとイタリア語の諺なんてさっぱり覚えられない。
イタリアでは賭け事(ロット&トトカルチョ)がとても盛ん。だが、それを扱う店の真正面に教会があるのは…と考える著者。
私もそう思う。
なんて不謹慎?
ところが、
悪魔の小麦粉は、すべて麩になる
というイタリアの諺が、その効用を認めている。
すなわち、悪銭身につかず。
儲けたなら、寄付をしろ、そういうことなのだと。
ちなみに巨額の賞金を当てた場合、住所氏名等は極秘である。
その理由は…イタリアはマフィアの国だから。
こ、こわいですねぇ…。
知らなかったが、中田選手が最初にイタリアでお世話になったチームのパルマは、スポンサーが謎の大赤字を隠匿した(偽造証書を送り続けていたという)スキャンダルでチームごと身売りしたのだそうだ。
で、中田選手はさっさとボローニャに移ったのだと…。
パルメザンチーズの産地・かのパルマも変なことで名をうっている。
また、イタリアはファッションだの食だの、世界に冠たる文化の担い手であるのだが、
折角ユーロに統一したんだから、とユーロ内部で出ている、
「MADE IN EUにしよう」という提案に断固として反対、というか拒絶しているとのこと。
その気持ちはわかる。
日本のおじょうさんたちが、MADE IN EU で買う気になるかどうか。
いいとこ取りはダメだよねぇ。
ISBN:4122043697 文庫 半沢・メロジー タカコ 中央公論新社 2004/05 ¥620
日本史 あの人の言い分
2004年8月16日 読書
蘇我入鹿・平清盛・織田信長・明智光秀・徳川綱吉・吉良上野介・田沼意次・トーマス グラバー・今川義元・松永久秀・武田勝頼・築山殿・柳沢吉保・徳川慶喜・弓削道鏡・絵島・千姫・井伊直弼・岩倉具視・高橋お伝・源頼朝・足利尊氏・石田三成・春日局・新撰組・西郷隆盛・松平容保・菅原道真・伊達政宗・徳川秀忠・大野九郎兵衛・坂上田村麻呂・豊臣秀次・由井正雪・お岩さま(怖いので敬称付)
歴史上、悪だ、敗者だとされているあのひとこのひとの、本当の姿を、無念の思いを覗いてみよう、探ってみようという趣向の本である。
非常に気をそそる主題であるが、一人一人にかけるページ数も平均5ページと少なく、「違うんじゃないの?」と問題や観点を定義したのみで終わることが多い。
…ので、少々欲求不満である。
あとは、自分で研究なり本を捜すなり読むなり、想像するなりしなさい、ということなんだろうけれど、それにしても中途半端な観は否めない。
要は、物足りないのだ。
定義の仕方も、随分投げやりのような。
「それじゃあ、自分でもっと調べてみよう。読んでみよう。」という感想を読者が抱くには至らないところで、ぽいと投げ捨てているような感じがする。
自己中心的な推理でもいいから、もっと突っ込んだ話が聞きたかった、と思う。
主題はいいのに、と残念。
逆に、旅先であるとか、障りの知識で「へぇ〜え」「ふぅ〜ん」と流し読みするには、この程度が頭も悩ませなくていい頃合なのかもしれない。
ISBN:4413092945 文庫 歴史の謎研究会 青春出版社 2004/06 ¥570
歴史上、悪だ、敗者だとされているあのひとこのひとの、本当の姿を、無念の思いを覗いてみよう、探ってみようという趣向の本である。
非常に気をそそる主題であるが、一人一人にかけるページ数も平均5ページと少なく、「違うんじゃないの?」と問題や観点を定義したのみで終わることが多い。
…ので、少々欲求不満である。
あとは、自分で研究なり本を捜すなり読むなり、想像するなりしなさい、ということなんだろうけれど、それにしても中途半端な観は否めない。
要は、物足りないのだ。
定義の仕方も、随分投げやりのような。
「それじゃあ、自分でもっと調べてみよう。読んでみよう。」という感想を読者が抱くには至らないところで、ぽいと投げ捨てているような感じがする。
自己中心的な推理でもいいから、もっと突っ込んだ話が聞きたかった、と思う。
主題はいいのに、と残念。
逆に、旅先であるとか、障りの知識で「へぇ〜え」「ふぅ〜ん」と流し読みするには、この程度が頭も悩ませなくていい頃合なのかもしれない。
ISBN:4413092945 文庫 歴史の謎研究会 青春出版社 2004/06 ¥570
年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフス…
2004年8月15日 読書
現在の経済政策がいかようなものであるのか。
日本の未来は有るのか。
この不況は好転するのか…。
戴いた本なので、一応目をとおしたが、だんだん哀しく・わびしくなってきたので最後は流し読みである。
300万円の年収が少ないと、どうやって生活するの?なんて文句言っているうちはマシなほうなのだ。
そのうちその300万円の年収すら得られなくなるのだと、そんな恐ろしいことを著者は言うのだった。
要は。
金持ち万歳な国家を作ろうとしている政治家たちは、国民の未来なんて見ていない。
自分たちが超金持ちで、貧しい国民から収奪してリッチに暮らしたいだけだと、アメリカ式に貧富の差を広げたいだけだと、もっと言えば大多数の国民を奴隷的に扱いたいだけだと、そういうことらしい。
このまんまでどーする日本!?
日本国民でいても、なんいもいいことはない!
ちょっとどころか大分いやな国になりつつあるようだ。
生きるたのしみとか意義とかは、自分で開発していかなくちゃならない。
がむしゃらだけが人生ではないと…そうは言うものの。
ISBN:4334973817 単行本 森永 卓郎 光文社 2003/02/25 ¥1,470
日本の未来は有るのか。
この不況は好転するのか…。
戴いた本なので、一応目をとおしたが、だんだん哀しく・わびしくなってきたので最後は流し読みである。
300万円の年収が少ないと、どうやって生活するの?なんて文句言っているうちはマシなほうなのだ。
そのうちその300万円の年収すら得られなくなるのだと、そんな恐ろしいことを著者は言うのだった。
要は。
金持ち万歳な国家を作ろうとしている政治家たちは、国民の未来なんて見ていない。
自分たちが超金持ちで、貧しい国民から収奪してリッチに暮らしたいだけだと、アメリカ式に貧富の差を広げたいだけだと、もっと言えば大多数の国民を奴隷的に扱いたいだけだと、そういうことらしい。
このまんまでどーする日本!?
日本国民でいても、なんいもいいことはない!
ちょっとどころか大分いやな国になりつつあるようだ。
生きるたのしみとか意義とかは、自分で開発していかなくちゃならない。
がむしゃらだけが人生ではないと…そうは言うものの。
ISBN:4334973817 単行本 森永 卓郎 光文社 2003/02/25 ¥1,470
文明と文化と私と貴方と世界と
2004年8月14日 読書文明と文化を考えることは、自分が生まれ育った国と、それ以外の国々と、それ以外の国々国で育った人々との係わり合いをも左右することである。
司馬遼太郎氏は述べる。
従って、誰でも参加できるものが文明である。普遍化するものが文明である。
そう述べる。
或いは、
なるほど。
至言である。
だが、
そうなれば普遍性を失い、後退して、
人は文化の中に生きている。
のが人間の能力であると、氏は言う。
そういう賢い一面をもっている動物なのだと述べる。
確かに賢い一面も持つであろう。
地球上のいろんな民族が、いろんな人たちが、自分たちの文化に包まって心地よく生きている。
ならば、そのことを、人の数だけ"文化"が有るということを、皆が理解しなければ不幸であることも明白なのである。
心に響く言葉でした。
この、「以下、無用のことながら」という本文庫は、たくさんの短編、書評やエッセイ、或いは弔辞などが収められた大変はばの広い一冊になっています。
ドッグイヤーが余りにも酷くなり、私は途中から、ページを折る代わりにポスを貼る作業に切り替えました。
たくさんの紙の断片が、司馬遼太郎と言う人の、話し言葉の切れ端やささやかな思いを拾い集めて林立しています。
こうして書き抜き引用することで、私の感じた思いをどう書き表すことが出来るのかと時に迷い、道のりの遠さに無駄に思えるほどです。
最後に一つ。
そういいつつも引用を。
生きている人々の頭上に、あるいは世界を取り巻くように、その人が満ちているからだと。
私自身もそれを感じながら、今日、ようやくこの文庫本を、心穏やかにはさせてくれなかったこの一冊の本を、読み終えました。
司馬遼太郎氏は述べる。
文明はまず民族(文化)をこえていなければならない。
従って、誰でも参加できるものが文明である。普遍化するものが文明である。
簡単なとりきめだけで、万人が参加できて、しかも便利であるものを文明であると考えたい。
そう述べる。
或いは、
文明とは多分に技術的で度の民族でもそれを採用でき、使用できるものを差す。その意味ではローマ字も漢字も文明も属する。別の例でいえば航空機も自動車も一定の操縦法を心得れば万人が動かしうる。また民間航空機に乗ると、乗客は乗務員の指示に従ってベルトを締め、禁煙の表示をみると、タバコをのむことをしない。この点、大韓航空機でもエール・フランスでも同じルールが支配している。この現象を文明とよびたい。普遍性といいかえてもいい。
これに対し、文化は特殊なものである。その家の家風、あるいは他民族にはない特異な迷信や風習、慣習をさす。
「たれでも参加できます」
というのが文明である以上、文明は九度に合理的である。しかし人間は文明だけでは暮らせない。一方において、
「お前たち他民族には理解できまい」
という文化をどの民族でも一枚の紙の表裏のようにして持っている。従って文化は不合理なものといえる。と言う以上に不合理なものであればあるほど、その文化はその民族の内部では刺激的であるといっていい。
なるほど。
至言である。
だが、
文明はかならず衰える。
そうなれば普遍性を失い、後退して、
特異なもの(文化のこと)になってしまう。
人は文化の中に生きている。
「見て、考えて、話し合って、違ういの文化をたしかめあい、そのことを楽しみあう」
のが人間の能力であると、氏は言う。
そういう賢い一面をもっている動物なのだと述べる。
確かに賢い一面も持つであろう。
地球上のいろんな民族が、いろんな人たちが、自分たちの文化に包まって心地よく生きている。
ならば、そのことを、人の数だけ"文化"が有るということを、皆が理解しなければ不幸であることも明白なのである。
他社を理解する、ということから、二十一世紀の幸福は出発するでしょう。他者とは、むろん個人個人の場合もあります。しかし、人間は文化なのです。人間は、生物学的あるいは生理学的ではありますが、それ以上に、文化としての存在なのです。
心に響く言葉でした。
この、「以下、無用のことながら」という本文庫は、たくさんの短編、書評やエッセイ、或いは弔辞などが収められた大変はばの広い一冊になっています。
ドッグイヤーが余りにも酷くなり、私は途中から、ページを折る代わりにポスを貼る作業に切り替えました。
たくさんの紙の断片が、司馬遼太郎と言う人の、話し言葉の切れ端やささやかな思いを拾い集めて林立しています。
こうして書き抜き引用することで、私の感じた思いをどう書き表すことが出来るのかと時に迷い、道のりの遠さに無駄に思えるほどです。
最後に一つ。
そういいつつも引用を。
人間の死がなぜ荘厳なのか。山村雄一先生に亡くなられてはじめて悟らされた思いがしています。
人は、死とともに、哲学になってしまうことを、であります。
生きている人々の頭上に、あるいは世界を取り巻くように、その人が満ちているからだと。
私自身もそれを感じながら、今日、ようやくこの文庫本を、心穏やかにはさせてくれなかったこの一冊の本を、読み終えました。
「以下、無用のことながら」より、抜書き(その2)
2004年8月13日 読書宗教いろいろ…
正面から、併行に、ところどころ切ってゆくようにして入って行く、司馬遼太郎氏の淡々とした語り口調が心地よい。
お葬式をしなかった正規の僧侶たち。
そして代わって室町ごろからお葬式をしていた(一遍上人の)非僧非俗の時宗の徒。
そしてその時宗も、やがて浄土教に吸収されていった。
そして一方、浄土真宗は、他のもの(俗習)には目もくれなかったという。
宗教も生き物だということがよくわかる。
その「もの知らず」の門徒たちが、
心意気なのかな?
いや。すべては信仰心のなせる業、という事で考えるべきか。
でも自分たちの財政が、すべて信者の皆さんの上に成り立っていると自覚しているから……かの拝観拒否(京都であった"古都税"と"京都ホテル建築"の反対運動で行われた、京都市内寺院が一斉に誰に対してであれと門戸を閉ざした事件。観光地・京都の観光客が激減…したのかな?)の大騒ぎのおりも、浄土教の各自い(知恩院や本願寺)は拝観拒否はしなかったそうです。
浄土教が時宗を糾合して言った背景には、こんな理由も大きい。
日本の社会階級が、そのころには上下の関係をきっちり成り立たせていたためである。つまり下位の者が上位のものと直接に口を聞ける場などない、と言うことなのだ。
だが、観阿弥・世阿弥の能や造園・建築など下位の者が上位のものと"直接"語り合わねばならない、語り合いたい(と特に上位のものが望む)場合、"非僧非俗"がスローガン(というか)の時宗の徒であれば、"方外(無階級=身分制度の外)の者"ということで、可能になるわけである。
(へぇ〜っとこの辺を読んで思わず声が出た。ちょっと脳にしわが増えた。賢くなった。)
足利義政が作らせた銀閣寺の自室の扁額にある「和光同塵」。
『仏の前では自分も含め、衆生は皆平等』
そういう意味である。
う〜ん。上手いこと出来てるな。
それを取り入れていった浄土教が広がるのも当然である。
浄土真宗は蓮如という人を出すことによって、その浄土教のなかでも地方布教率トップの大宗教に成長してゆくのだった。
親鸞自身は、そんなことはちっとも考えていなかったようだ。教団を作ることすら考えていなかったらしい。
「私の信仰は私のためのものであって他者のものではない」と公言していたぐらいだから。
ちなみに、方外の者…の、もっともわかりやすい例は、秀吉に対する”千利休”
彼は大坂の町人階級の出であり、それが茶席において当時の最高権力者と同列に座っていた。(その位置の危うさに、白刃の上を歩いていた、と司馬氏は表現するが)
話はそれるが、この「茶道」というものはなんとも便利な(失礼)もので、織田信長などは本当はそんな趣味はまったくなかったくせに、部将の論功行賞に茶器や掛け軸やらを与えることで応じている。
土地を与えなくて済むこれは、トップに立つものにとっては非常にラッキーだったのではなかろうか。信長って意外にけちみたいだし。(他人事には金を使わんぞ〜って感じで)
ところで、現在普通に使っている言葉には、本来の意味と違って発達してしまったものがある。
親が子供の育て方を間違った、というところか。
そういうものをいくつかあげる。
これは、室町期に僧侶用語になり、
叉、浄土真宗といえば、出てくるこの言葉については、
と述べる。
その本願寺が信長の命で摂津の石山から紀州へ移る事になった。というか。
信長もかなりてこずった様子で、叡山を焼き討ちするようには行かなかったようである。
そのときに本願寺はお金のなかった京都の朝廷から"門跡(もんぜき)"の地位を買うわけである。
逆説的にも思えるが、本願寺の狙いはそこかとなるほどと感心した。
叉この時点で、本願寺のお坊さんたちは、非僧非俗ではなくなった…と言うわけである。
かの大谷探検隊をシルクロードに派遣し続けることが出来た本願寺の勢力(財力)は、こういうところからも見られる。(浪費が祟って最後は辞めさせられたとはいえ)
ちなみに本願寺の裏方(門跡の奥方をこう呼ぶ)は、九条家などのお公家さんから嫁がれている。
公卿であるから、公卿の娘を嫁に貰ってもなんら問題はないわけである。
納得。
だが、京都に住んでいる私は、本願寺さんを見て、お公家さんだ(だった)とは思わないけどね。
別にけなしているわけではなく。(念のために言えば、私の出身大学は本願寺系列である。ちゃんと歎異抄も勉強した…ハズ)
宗教関連は、日本人には(私もだが)敬遠されがちではあるが、こうした平静の目で横から眺めると中々興味深い研究対象になりえる。
しかし、ええ加減長くなりすぎたので、次は宗教以外のもので面白い文章を引いてみようと思う。
*ちなみに長文ゆえ、誤字・脱字はお許しあれ。直しても直しても…あるんだよ。
正面から、併行に、ところどころ切ってゆくようにして入って行く、司馬遼太郎氏の淡々とした語り口調が心地よい。
浄土教のなかでも親鸞の浄土真宗の自覚的なお坊さんは、靖国神社には参らないし、お稲荷さんにもむろん参りません。それはつまり浄土教は多神教じゃないからです。
いまはお盆をやりますが、お盆は一種の迷信ですから、其れも浄土真宗はやりませんでした。江戸時代は、他の宗派の信徒たち、普通の檀家の百姓たちがそれを見て、「門徒の物知らず」といったのです。
お葬式をしなかった正規の僧侶たち。
そして代わって室町ごろからお葬式をしていた(一遍上人の)非僧非俗の時宗の徒。
そしてその時宗も、やがて浄土教に吸収されていった。
そして一方、浄土真宗は、他のもの(俗習)には目もくれなかったという。
宗教も生き物だということがよくわかる。
その「もの知らず」の門徒たちが、
江戸時代にも京都に大学相当のものがありましたから、浄土真宗の場合、お寺の息子で、お寺を継ぐ人を、檀家が金を出し合って留学させました。貧しい百姓が、年貢を払ったうえに、一ヶ寺を維持して、さらにその寺の息子を大学まで出していたのです。
心意気なのかな?
いや。すべては信仰心のなせる業、という事で考えるべきか。
でも自分たちの財政が、すべて信者の皆さんの上に成り立っていると自覚しているから……かの拝観拒否(京都であった"古都税"と"京都ホテル建築"の反対運動で行われた、京都市内寺院が一斉に誰に対してであれと門戸を閉ざした事件。観光地・京都の観光客が激減…したのかな?)の大騒ぎのおりも、浄土教の各自い(知恩院や本願寺)は拝観拒否はしなかったそうです。
浄土教が時宗を糾合して言った背景には、こんな理由も大きい。
時宗の人というのは名前でわかりました。ひとつ文字を上に付けて、それで阿弥陀仏という名前にする。それが時宗のクリスチャンネームでした。
ですから能の観阿弥、世阿弥は、正式に言うと観阿弥陀仏、世阿弥陀仏ですが、時宗の人だったのです。なぜ彼らが時宗の徒であるかというと、
日本の社会階級が、そのころには上下の関係をきっちり成り立たせていたためである。つまり下位の者が上位のものと直接に口を聞ける場などない、と言うことなのだ。
だが、観阿弥・世阿弥の能や造園・建築など下位の者が上位のものと"直接"語り合わねばならない、語り合いたい(と特に上位のものが望む)場合、"非僧非俗"がスローガン(というか)の時宗の徒であれば、"方外(無階級=身分制度の外)の者"ということで、可能になるわけである。
(へぇ〜っとこの辺を読んで思わず声が出た。ちょっと脳にしわが増えた。賢くなった。)
足利義政が作らせた銀閣寺の自室の扁額にある「和光同塵」。
『仏の前では自分も含め、衆生は皆平等』
そういう意味である。
う〜ん。上手いこと出来てるな。
それを取り入れていった浄土教が広がるのも当然である。
浄土真宗は蓮如という人を出すことによって、その浄土教のなかでも地方布教率トップの大宗教に成長してゆくのだった。
親鸞自身は、そんなことはちっとも考えていなかったようだ。教団を作ることすら考えていなかったらしい。
「私の信仰は私のためのものであって他者のものではない」と公言していたぐらいだから。
ちなみに、方外の者…の、もっともわかりやすい例は、秀吉に対する”千利休”
彼は大坂の町人階級の出であり、それが茶席において当時の最高権力者と同列に座っていた。(その位置の危うさに、白刃の上を歩いていた、と司馬氏は表現するが)
話はそれるが、この「茶道」というものはなんとも便利な(失礼)もので、織田信長などは本当はそんな趣味はまったくなかったくせに、部将の論功行賞に茶器や掛け軸やらを与えることで応じている。
土地を与えなくて済むこれは、トップに立つものにとっては非常にラッキーだったのではなかろうか。信長って意外にけちみたいだし。(他人事には金を使わんぞ〜って感じで)
ところで、現在普通に使っている言葉には、本来の意味と違って発達してしまったものがある。
親が子供の育て方を間違った、というところか。
そういうものをいくつかあげる。
出世ということばはもとは仏教用語で、諸仏が衆を救済するために仮に世間に出現することをいう。
これは、室町期に僧侶用語になり、
禅宗僧侶のあいだの”方言”だったらしく、『広辞苑』にも「禅宗で、寺院の住持となること、高位の寺に転任すること、黄衣・紫衣を賜ること、和尚の位階をうけることなどをいう」とある。
その言葉が世間に流出して、栄達の意味に使うようになった。
叉、浄土真宗といえば、出てくるこの言葉については、
浄土真宗の坊さん用語で熱心な信者のことを「お他力さん」と言います。他力と言うのは阿弥陀如来のことで、世間でよくいう他力本願のことでは有りません。しょっちゅう新聞に、大臣などが「他力本願はいけません」というたびに、本願寺が抗議を申し込んでいますが、実は他力というのは大文字のゴッドのことで、つまり阿弥陀如来のことです。浄土教では唯一神で、他に神仏を認めませんから、それを他力といい、明治後は絶対他力と言ったりします。
と述べる。
その本願寺が信長の命で摂津の石山から紀州へ移る事になった。というか。
信長もかなりてこずった様子で、叡山を焼き討ちするようには行かなかったようである。
そのときに本願寺はお金のなかった京都の朝廷から"門跡(もんぜき)"の地位を買うわけである。
門跡というのは、ミカドの跡とかきますから、親王か、公卿の子が僧侶になったときだけを門跡といいます。だから本願寺は公卿になったわけです。顕如もその後の法主もご門跡様とよばれるようになりました。
逆説的にも思えるが、本願寺の狙いはそこかとなるほどと感心した。
叉この時点で、本願寺のお坊さんたちは、非僧非俗ではなくなった…と言うわけである。
かの大谷探検隊をシルクロードに派遣し続けることが出来た本願寺の勢力(財力)は、こういうところからも見られる。(浪費が祟って最後は辞めさせられたとはいえ)
ちなみに本願寺の裏方(門跡の奥方をこう呼ぶ)は、九条家などのお公家さんから嫁がれている。
公卿であるから、公卿の娘を嫁に貰ってもなんら問題はないわけである。
納得。
だが、京都に住んでいる私は、本願寺さんを見て、お公家さんだ(だった)とは思わないけどね。
別にけなしているわけではなく。(念のために言えば、私の出身大学は本願寺系列である。ちゃんと歎異抄も勉強した…ハズ)
宗教関連は、日本人には(私もだが)敬遠されがちではあるが、こうした平静の目で横から眺めると中々興味深い研究対象になりえる。
しかし、ええ加減長くなりすぎたので、次は宗教以外のもので面白い文章を引いてみようと思う。
*ちなみに長文ゆえ、誤字・脱字はお許しあれ。直しても直しても…あるんだよ。
引用だけで一冊できそうな
2004年8月12日 読書「以下、無用のことながら」(司馬遼太郎著)を読んでいると、アチラコチラにドッグイヤー出現である。
エッセイとか、書評とか、講演原稿とか、短い文章の中になんとたくさんの知識(雑学)が含まれていることか。
感心してしまう。
その一つ一つを抜書きするだけで、簡単な本が出来てしまいそう…
面白いもの、目に付いたものをメモ代わりに書き留めよう。
とりあえず、本日は宗教(浄土真宗)編(プラスアルファ)。
不愉快で悪かったねぇ…
江戸末期の戊辰戦争の戦力分断図を見る思いがする一文である。
終わり近くまで落ち目の幕府に力添えをしていた東北諸藩にとっては、京も大坂も、長州も薩摩も、そして強いものに糾合されていった諸藩の在するところは、またそこに蠢くひとは、人として相容れぬものであったのかも知れぬ。
寛永寺が、そういう意味を持って建てられたお寺だとは知らなかった。
今でも、行ったこともないし、何処にあるやら知らないというのが現実である。
戒壇…東大寺や唐招提寺のものが有名だが、これも認識では"それだけのもの"だった…。
無知ってすごい。
強い。
だけど。
だから"占有"されてしまうんだな。
そして、更に司馬氏は言う。
身も蓋もない。
勝手になってるだけですか。
そ−ですか…。
誉めているのかけなしているのか…よくわかりません。
乞食坊主の意味するものが、既に私の知っている昭和中期〜後期のものとは違っているようです。
貧しいからこそ尊い…その感覚は、わからなくもないけれど。
また、本来の自分の家のお寺が現在暮らしている土地にない場合、と断って、
意味深です。
でも、実際そうですね。
よく言えば宗教にこだわりのない、悪く言えば何も考えていない日本人は、その場になって初めて自分の家の宗派を知ったりするんだよな。
本当は、仏教はお葬式をしないんだ!?
初めて聞いた。
知らなかった。
でも、東大寺や唐招提寺などの(建物も格式も)大きなお寺で誰かお坊さんが亡くなったら、下町のお寺からお坊さんが…やっぱり"らったった"とか乗ってくるのかな?
それとも自転車?
いやいや、仮にも有名どころのお寺に行くわけだから外車…とはいわなくてもそこそこの黒塗り国産車で。
待てよ。
それじゃアブナイ人と間違えられるか?
う〜ん。
想像つきません。
そんなわけでまだまだ続く…制限字数(今で約2900字)に近づいてきたので、後編は明日に。
いや、面白い。
拾い読みしても面白いとよいが。
…私は面白いんだが。
エッセイとか、書評とか、講演原稿とか、短い文章の中になんとたくさんの知識(雑学)が含まれていることか。
感心してしまう。
その一つ一つを抜書きするだけで、簡単な本が出来てしまいそう…
面白いもの、目に付いたものをメモ代わりに書き留めよう。
とりあえず、本日は宗教(浄土真宗)編(プラスアルファ)。
「ここは、太宰治の西限のまちですね」
と、ふと思い出して土地のひとに聞いた。太宰というひとは東京というまちが好きだったようで、戦時中、故郷の津軽に疎開するとき、東京への訣別のことばをどこかに書いている。自分を育ててくれたのは東京というまちだというふうにである。箱根にも来、また富士の裏側の御坂峠にもきたりしたが、箱根を越えたのは、西麓の三島までだった。三島はなお東国に属する。津軽から三島までが自分の自己同一性(アイデンティティ)にかかわりのある同質の東方文化圏であるとどこかで思っていたふしがないでもない。
「箱根のむこう(西むこう)はオバケが出る」
等と言う江戸っ子のせりふがある。京や大坂、備前や備後、長州や薩摩という、それぞれ一筋縄で尺を測れない地方があることは、江戸っ子の不愉快とするところだった。
不愉快で悪かったねぇ…
江戸末期の戊辰戦争の戦力分断図を見る思いがする一文である。
終わり近くまで落ち目の幕府に力添えをしていた東北諸藩にとっては、京も大坂も、長州も薩摩も、そして強いものに糾合されていった諸藩の在するところは、またそこに蠢くひとは、人として相容れぬものであったのかも知れぬ。
福田(ふくでん)というのは浄土真宗の特有の用語である。この宗旨は領地をもたず、信徒の寄進のみに頼ってきた。つまりは檀信徒をもって福田となす、という考え方があったところから、熱心な真宗門徒だった惣八は、そういう気構えからそう名乗ったという。
なぜ中世の浄土真宗が、そのように布教に熱心だったかと言いますと、領地がなかったのです。
同じ浄土教でも浄土宗と浄土真宗が際立って違っていたのは、浄土宗には領地があり、どんな寺でも小さな田圃か山林を持っていることでした。つまり浄土宗は農地地主として寺を維持していました。
とういうのは、家康は江戸を開府すると、権威のために、東叡山寛永寺を建てます。これは、幕府は京都の天皇家に対抗する存在であるべきで、しかも江戸を新しい首都にするためには、日本仏教のオーソリティである短大集の叡山が必要であったということです。一方、自分の宗旨の浄土宗を大事にして、天台宗と同格にし、増上寺を造り、これを将軍家の二大菩提寺にしたのです。
寛永寺が、そういう意味を持って建てられたお寺だとは知らなかった。
今でも、行ったこともないし、何処にあるやら知らないというのが現実である。
本願寺の僧侶は発祥のころは世紀の僧侶ではありませんでした。つまり、本来の意味で正規の僧侶であるということは、奈良時代、平安時代の基準で言いますと、厳密な僧侶は、東大寺か叡山かで戒を受けなければいけないのです。
戒壇…東大寺や唐招提寺のものが有名だが、これも認識では"それだけのもの"だった…。
無知ってすごい。
強い。
だけど。
だから"占有"されてしまうんだな。
そして、更に司馬氏は言う。
例えば、西行は勝手にお坊さんになっているだけですから僧侶じゃないのです。戒を受けるのは高等文官試験みたいなもので難しいものでした。
身も蓋もない。
勝手になってるだけですか。
そ−ですか…。
その正式の僧侶でない人を、敬称を付けて、どう呼ぶのかというと、[上人(しょうにん)]と呼ぶのです。
いまは、日本語が紊乱しまして、上人と言うと、偉い人のようにきこえますが、上人というのは資格を持たない僧への敬称であって、たとえば空海上人とは言いませんし、最澄上人とも言いません。最澄も空海も有資格者だからで、無資格者に対してはたとえば親鸞上人というふうにけいしょうします。ただ親鸞の場合は、ときに聖人と書きます。聖というのは乞食坊主のことです。
聖と賎は神の表裏だと言いますが、聖というのは、普通、中世の言葉では、世紀の僧の資格を持たない、乞食坊主のことを言いました。だから尊くもありました。
誉めているのかけなしているのか…よくわかりません。
乞食坊主の意味するものが、既に私の知っている昭和中期〜後期のものとは違っているようです。
貧しいからこそ尊い…その感覚は、わからなくもないけれど。
また、本来の自分の家のお寺が現在暮らしている土地にない場合、と断って、
お葬式屋を頼むと、宗旨はなんですかと聞かれて、その宗旨のお坊さんが適当につれてこられたりします。
そのお葬式屋はお坊さんに対して、形の上では尊敬していますが、呼び方が、お上人なのです。
意味深です。
でも、実際そうですね。
よく言えば宗教にこだわりのない、悪く言えば何も考えていない日本人は、その場になって初めて自分の家の宗派を知ったりするんだよな。
大体仏教に、葬式というものはありません。お釈迦さんが、葬式の世話をしたり、お釈迦さんの偉い弟子たちが、葬式のお経を読んだという話も聞いたことがありません。またずっと下がって日本仏教の、最初の礎であった叡山の僧侶が、関白が死んだからといって、お葬式するために出かけて行ったということもありません。
奈良朝に起こった宗旨は、いまでもお葬式をしません。たとえば奈良の東大寺の管長が死のうが、僧侶が死のうが、東大寺のなかでお経をあげません。そのためのお坊さんが奈良の下町にいて、それを呼んできて、お経をあげさせる。それはお上人ですから東大寺の仲間には入れていません。
葬式をするお坊さんというのは、非僧非俗の人、さっきのお上人でした。つまり親鸞のような人です。
本当は、仏教はお葬式をしないんだ!?
初めて聞いた。
知らなかった。
でも、東大寺や唐招提寺などの(建物も格式も)大きなお寺で誰かお坊さんが亡くなったら、下町のお寺からお坊さんが…やっぱり"らったった"とか乗ってくるのかな?
それとも自転車?
いやいや、仮にも有名どころのお寺に行くわけだから外車…とはいわなくてもそこそこの黒塗り国産車で。
待てよ。
それじゃアブナイ人と間違えられるか?
う〜ん。
想像つきません。
そんなわけでまだまだ続く…制限字数(今で約2900字)に近づいてきたので、後編は明日に。
いや、面白い。
拾い読みしても面白いとよいが。
…私は面白いんだが。