捕虜収容所の死

2004年2月20日 読書
「オクシタニア」読了。

神を信じて、人間を信じて、この世界を信じて、生きて行けるのか。

何を信じて人は生きるのか。生きることができるのか。
この混濁した世界で。

ラストが珍しくもハッピーエンドか、珍しい、と思ったら、大きな落とし穴が用意されていた。
あんまりだ。
酷い。
人は一人では生きられない。
なのに、そうして生きることを強制されてしまった人間は何を信じ、なにをよすがに生きればよいのだろう。

人は不幸になるために生まれてきたわけではなく、悲しみだけの生のために生きているわけではない。
来世のために今の命をたつことは、私には、やはり納得がいかない。

東洋的思想(思考)に生活も規範もどっぷりとつかっている我々は、この物語に見るような「異端」の戦い(肉体的にも精神的にも)には耐え切れないだろうな、と思う。

次はレンタル追加(♪)分のまず一冊目。
「捕虜収容所の死」である。
第二次大戦下のイタリアの捕虜収容所で起こる殺人事件と脱走劇。
スリルとサスペンスの幕開けである。

こういう物語は白黒はっきりしていて、精神的に随分楽。
「オクシタニア」後半に入る。
最初に出てきた主人公らしき人が、なんとあっさりとお亡くなりになった(戦没)のが、ショック。
てっきり、もっとストーリーを引っ張ってくれると思ったのに。

宗教とは、キリスト教徒は、異端とは、なんぞや?

ものすごくおおきな命題について描かれる歴史物語だが、重くはない。なぜならそこにあるのはあくまでも人間の営みだから。日常を超越した哲学的な言葉で飾られているわけではないからだ。

宗教って、真面目にやると体力も精神力もいる。

しんどい…。

今日の格言:
   (旅をするときは)
     連れを選び、道を選べ(アラブのことわざ)
     自分より頑強な人と旅をせよ(オマーンのことわざ)
「オクシタニア」順調に読み進む。面白い。さすが。

強い信仰があれば何も怖くない。自分は神がすくいたもう。
…だから、何をやったってぜ〜んぜん平気。

コワイ…コワイよ…それ。
だから狂信者といわれ、聖者といわれ、虐殺者といわれ、神の騎士といわれる。
久々に「見てくれは良い」主人公だと思ったら、その内心は大葛藤のすえ強弱が激しすぎる。
激しすぎて両極端に評価も分かれてしまうのね。

それにしても、トロサ(現トゥールーズ)の市民よ!
あんたらは関西人か。
敵にやたら「さん」をつけて…それは大丸(デパート)を大丸さんなどとと呼び習わす京都人への挑戦状か?

加えて、なんかすご〜い田舎もの、といわれている気もするし、逆に北フランスの文化も風流もない連中とはっきりとした線を引くためにあえてそういう表現になっているのかもしれないと思ったりもする。

しかし、なんか腹立つ。

日和見主義の「(人生)面白かったら何でもええやんか」気質の関西を、南フランスに擬しているのだとしたら、喜んでいいのかどうか良く分からない。

今日の格言:
歓迎されない客は、大英帝国のようにいつまでも居座る
                   (イラクのことわざ)
「魔性の馬」が読めてしまって、レンタル本最後になってしまった…面白くてかっと飛ばしたもんなぁ。

魔性の馬は品よくまとめられていた。悪者は去り、善人がめでたしめでたしで終わるストーリーなんだけど、鼻持ちならない臭さというのが皆無。
意外性で旨くまとめられたせいだろうか。
英国の田舎地主の生活を綴る…「働かなきゃ生きてゆけない英国貴族や地主たち」という題でも付きそうな、財政とか生活に匂いをひしひしと感じさせる生活描写が面白かった。

そっかー年金って、あんなふうにもらうんだ。
すべて家長が増減を決めるのね。弁護士なんかと相談して。
娘なら結婚するまで多めにあげとこうとか、次男以下の息子たちはさっさとっ出てゆけといわんばかりの態度とか。

それに、引退した馬屋番とかばあやとかに死ぬまで年金を払うのも家長の役目だったとは。
(年をとったら、さよならしてそれまでか、と思っていたのだ)
今は国家がするけどね。
日本の江戸時代、大名屋敷で女中をしていて途中で辞めたからって誰が年金なんかくれただろう。

主人公たちが参加する馬の競技を読んでいて、「ロリィの青春」なんぞを思い出してしまった。
あれも大ドラマだったなぁ…

そして、レンタル本のラストはこれ。
現・南フランスでの異端戦争を描いた一作。
次々とフランスの中世史を描いて名前を売った、佐藤賢一氏の著作である。
オクシタニアというのが、今の南フランスのことで、トゥールーズとかアルルとかいう地名を言えばたいていの人は耳にしたことがあるだろう。
アルビニョン十字軍…世界史の知識の隅っこのほうに…あった、あった。
キリスト教徒が異端のキリスト教徒を殲滅し略奪し虐殺したことで有名。
まぁ、十字軍なんて名前がつくと、ろくなことはない。
この十字軍も、
「異教徒かどうかは外見では分からないから、すべて殺しつくせ」
などと聖職者が言うのである。
「敬虔なカソリック教徒であれば、神が"天国の門"を開けて迎えてくれるだろう」
(だから殺してもかまわん)
などという、乱暴な叱咤激励で、同胞のキリスト教徒を殺しまくったというんだから…怖いですねぇ。

勿論、貧しい兵士や傭兵にとっては金持ちの市民から合法的に金を略奪するいい言い訳であり贖罪になるわけだ。
殺したって"十字軍"なのだから、神様が天国に迎えてくれるというわけ。

十字軍といえば、アフガニスタン問題からイラク戦争へと飛び火した頃、「イスラム側からみた十字軍」とかその手の本が店頭をにぎわせていた。
結局アラブから見れば、立派な「侵略」だもんな。

南フランスは…異端っぽかったのか?
「アンジェリーク」の夫であるペイラック伯爵も異端の冤罪をかけられたりしていたし、幼少期に領地(トゥールーズ)で宗教がらみの暴動が起きてそれが原因で足を悪くしたんじゃなかったっけ?

こういう歴史物語を読んでいると、現在見るように大国であるが故、豊かな土地柄であるが故、フランスという国は陣痛が随分酷かったのだなと思わざるを得ない。
現在も、必ずしもひとつにまとまっていないということは、やれ「ブルターニュの独立運動だ」の「バスク独立派」だのきな臭いニュースが時折流れることを思い出すだけで分かる。

よくあれをひとつにまとめたもんだ。

魔性の馬

2004年2月16日 読書
ジョセフィン・ティといえば、「時の娘」
リチャード3世の悪行(犯罪?)に迫る時代推理ものが最高に面白い、あの女流作家である。
彼女の描く推理ものとくれば、期待で胸がわくわく時間も忘れて読みふける予感がする。

…けれど、これは推理もの。
ここは腰をすえてじっくりとゆっくりと見落とすことのないように読み進めなければならない。

平穏な英国の片田舎で起こった過去の事件の謎が蒸し返され、これから起こる事件の原因になる予感…。

隣人は皆兄弟のような、狭くて平穏な田舎が舞台であるのに、読み進むうちに彼が彼女が怪しく感じられてゆく。
その過程がなんとも楽しい。

「猿きたりなば」よりももっと英国的な、もっと牧歌的な、いい雰囲気で進んでいる。
このまま最後までいってくれるかな?

対話篇

2004年2月15日 読書
続けて金城一紀の「対話編」へ。

3つの中篇が収録されている。
人と人とのつながりを描いた、心にずしりとくる話である。
中でも「花」は、目頭まで熱くなった。
人と人との結びつきが、此処まで感動させるのか。

人間は生きてゆくために、痛みを、苦しみを、まず最初に忘却のかなたに追いやろうとする。
それは人間の自衛本能だから、誰にも責められることではない。
だが、それと同じように、忘れてはいけないものも存在するのだ。
だから、そうして忘れてしまったものを、必死で取り戻そうとするのも、やはり人間の本当の姿なのである。

「REVOLUTION NO.3」でもそうだったが、元気な言葉で心に優しい物語を描く、金城一紀という作家。
今まで未知の作家であった、この金城一紀という作家に、ちょっと、いやかなり入れ込んでしまいそうな心境である。
朝になる前に(笑)お猿の本が読めてしまったので、今日から金城一紀の本を続けて読むことに。

「レヴォリューションNO.3」
は、元気のいい高校生たちの話。
女子高の文化祭になだれ込んだり、友達のためにバイトしたり……とにかく元気がいい。

そしてなつかしい!

ついつい自分の高校時代を振り返る。
三無主義とか四無主義とか追われた時代だったけれど、それでも自分たちは精一杯青春を謳歌していた。
文化祭も体育祭も、いろんなことに正面からぶつかっていったなぁ。

実際、自由度が増した大学時代よりも、高校生活のほうが充実していた。
くだらない嘘もなく虚栄心もなく、仲間意識はすごく強くて、「今は今しかない」ことも、理屈ではなく頭ではなく、体で感じ取っていた時代だ。
大学よりも、ず〜っとなつかしい。楽しかったなぁと思える時代。

今どきの高校生もこんなに元気がいいのかな?

そしてただ元気がいいだけではなく、少年から大人へとゆっくりと階段を上がってゆく彼らの心情を豊かに、とっても心豊かに書き出している小説だ。思わずほろりとさせられるシーンもある。

こんな友達…ほしかったなぁ。

…で、あっという間に読めてしまい、その勢いで同じ作者の「対話篇」へ突入。これも期待できそう♪
夕べ…いや、朝方までついつい読んでしまった「カラミティナイト」とうとう読了してしまった。
後半に入ってからの物語展開が速くて、動きが良くて、どんどんどんどん進んでしまったのだ…今日もシゴトがあるっていうのにさ。

男と女が従来の役割を逆転させているという良くある(ストーリーの)意外性とはちょっと違う、捻った設定が素直に面白い。

怖いのは、学生をやったのが随分昔なので、昨今の学生事情が分からないこと。(何しろ「カラミティ」と聞くと真っ先に浮かぶのは「カラミティ・ジェーン」だったりする)

「遊ぶ高校生図」はよくテレビでも見かけるのだが、「お酒をそこまで飲むか?」と疑問に思う。これはデフォルメなのか?それとも現実なのか?変なところに驚いて悩んで、引っかかってしまった。
ちなみに水島新次の「あぶさん」は、私も中学や高校で読んだから違和感はない。
そんなに年配者向け漫画でもないと…思うけど?
当時、我々は当たり前のように水島作品を片っ端から読んでいたのだが。(水原勇気とかドリームボールとか北の狼南の虎とか藤娘とか…印象深いのはやはり「野球狂の詩」かな)

意外性がちゃんと用意してある学園もの小説…これはなかなかポイント高し。

しかし、「戦い」を決意するのはいいけど、孤高を気取っていたヒーローのイメージが最後はいささか崩れてきていたのは残念。
女の子のパワーが強すぎるのか?それとも今時は男は庇護者であるものなのか。

黒騎士ランスロット…女が絡むとやばそうな名前ではある。

眠さをこらえて出勤。
お供に選んだのがやはりお手軽な文庫本「猿来たりなば」
英国のド田舎〜いいねぇ〜いってみたいねぇ〜で起こる不可思議な殺獣事件で幕をあける。

チンパンジーは今年の干支にも近いことだし、縁起物(?)で楽しむか。
…んなわけで、レンタルした本にとりかかることにする。
文庫本で、そこそこ厚みがあって、でもすんなり読めそうな雰囲気なので選んだら、とんでもなかった。

即座にアクション系かと期待したら、話の半分ぐらいまで学園もの。(勿論普通の学園ものではないが)
現実世界の人気小説や人気作家の名前などが随所にちりばめてあって、不思議な感じだが楽しい。
著者の読書傾向もわかって面白い。

だが、怪し気な伏線は一杯あったけれど、非日常の世界に入るまで随分引っ張られた。
続刊が控えているが故のこのストーリー展開であろうか。

此処まで引っ張られると期待大である。
後半分、楽しく読めそう♪

アラブの格言

2004年2月11日 読書
お借りした本を選びつつの並行読み復活。

格言を分かりやすく紐解いてゆく本だが、とても面白い。
我々の考え方とまるで違う思考回路を、"理解できるように"綴っているのでとても分かりやすい。

決して、異教徒を嫌っているわけではない。
同じ宗教(=イスラム教)ならば、悪人であっても同じ宗教のもとにあるがゆえに、対応の仕方も分かっているから、より安心するのは本当だ。
そして、キリスト教徒はちょっと離れた隣人。
ヒンズーや仏教はいまいちよく分からない…

でも、無宗教の人間のほうが「ナニをするか分からない」と思われ警戒される。

そう言われると、成る程納得。

「私は無宗教だ」
なんて威張っている日本人は、警戒されるので注意。
よく言われることではあるが、
「仏教徒のファミリーです」
というのが一番無難かも。

今日の格言
≪幸運は、持っている人間には来るが、待っている人間には来ない≫
そして、
≪不運は固形石鹸のようなものだ。はじめは大きな塊だが、次第に小さくなる≫
                       (アラブ)
シビアだけれど救いもある。

大収穫…!

2004年2月10日 読書
「中国人の面子」
よく分からなくなってきた…

中国人とビジネスをする場合の注意点を諭されているような気もするし、中国人が中国人の欠点をも隠さず暴く暴露本のようでもあるし。

例としての古典の内容と、著者の言う「面子」をちぐはぐに感じてしまう。
作者が言う「中国人の面子」の「好例」になっていないのだ。

これは古典ゆえに私も当然知っているものだから、何度も読んでいるものだから、私としてはそういう読み方・とり方をしていないから、理性的になって白紙になって、著者の言うように受け入れることができないのだろうと思われる。

確かに「紅楼夢」は見栄っ張りなところが多い物語ではあったと思う。(だって清朝の大金持ちの一家のおはなしだから)
でも「三国志演義」や「水滸伝」は…ちょっと違うような感じがするけれど。
まぁ、中国人が言っていることだから、あちらのほうが正しいのだろうとは思うが。

例えば、極悪非道の犯罪者を捕まえた時、到底白状はするまいと思われたのが、とある刑事が人間並みの扱いをした、ということに感じ入って洗いざらい白状した、と言う話がある。
日本人だと「ああ、人間としての情に訴えたんだな」と思うのだが、著者によると、これも「メンツをたててやった」ということなのだ。
メンツを立ててもらったから、白状しおとなしく刑に服したのだと。
(…え?それ面子なの?)

面子をたてるたてないというのは、もっと理性的なものではないのかな?と私などは思ったりする。

先日も疑問に思っていたが、現在の経済自由化の中国では、(やっぱり)企業にはその会社の経営者と国家から派遣されるお偉いさんが並立しているそうで、両者がこの「面子」を巡って対立することが多々あるのだそうだ。
対立できるだけマシかな…もともと国の言いなりだもんな、共産主義国家だし。

同じようにして、社内での「面子」を巡っての対立、いや争いはかなり激しいらしい。
「面子」のためには常識も規則も(やっぱり)ないがしろにしてしまうらしい。たとえそれが犯罪に関わることであっても…
つまり、頼ってきたものを「違法だから」で拒絶するのは「面子」が立たないらしい。
そうなると、「面子」というのは随分情緒的というか感情的なもののようだ。

こんな国、こんな国民性だから、ここと商売するのは本当に(!)大変。
経済自由化で怒涛のように押し寄せた「スワン」を始め日本企業の多くが泣きを見て、挙句に撤退しているのは有名な話。
それだけ「扱いにくい」ということを、「世界の一般常識に当てはまらない」ということを、著者が、中国人が述べている。

ふむ。ではどうすればいいだろう?
難しい…。

そんなわけで、このあたりが納得できないまま、本日届いた「本・詰め合わせ」に狂喜する私であった。
こっちのほうが面白そー♪
いや、絶対に面白いに決まっている!
…なので、しばし「メンツ」とはおわかれしよう。
あ、インターネットで頼んでいた本も明日には手に入る予定なので、これも二重に嬉しい♪
メンツ、メンツで日が暮れる…。

疲れるぞ、この本。
古典に対比させるのは面白いけれど、経済自由化なった今の中国人が本当にこんなことを考えているのだろうか?ちょっと疑問。

とりあえず、顔をつぶしたらしつこく、執念深く、墓の中まで追いかけられるのだ、ということは分かった。
やはりある意味コワイ話である。

本日ボースンさまより"おたから"の発送の連絡あり。
いわずと知れた未読の本たち…うっとり。
恋人を待つ気分かな?
読書の谷間にこんな本を購入。
少し前に注文していたのが手に入ったわけだが、

?「三国志演義」は老人に読ませるな
?「水滸伝」は子供に読ませるな
?「西遊記」は男に読ませるな
?「紅楼夢」は女に読ませるな
  
 という宣伝文句が気に入って購入を決めたのだった。

なぜなら、と作者の江河海氏曰く、

?は権謀術策・軍略戦略の妙がてんこ盛りなので、ただでさえ海千山千の「甲羅を経た」老人がそんなものを読めば、手がつけられないことになる。

?お上に反抗して反乱を起こす、人を殺す好漢の物語を、もののどおりを知らない子供に読ませれば、ろくな大人にならない。

?妖怪変化の跋扈する西遊記を読んで、血気盛んな若者がおかしなものに夢中になられては困る。

?清朝の貴族の邸宅での恋愛を描いた物語で、若い女が夢うつつに憧れるのはいただけない。

と、こういう理由らしい。

そこで、これら?の西遊記を除く古典名作から「中国人の面子に対する執着」を紐解いていこうというもの。
これらの古典を読めば、古来中国人が「面子」に対してどういう反応を示してきたかがわかるというのだ。

それぐらい、中国人の面子至上主義は半端ではないというのだ。

例えば、現在でもかの国では、どんなに書類をそろえてあちこち走り回っても、なぜかなかなかOKがでない手続きが多い。
これが、「○○氏のひとこと」でいとも簡単にOKが出たりする理不尽さがある。
「公平であるべき官がなんということを!」と日本人なら差別だ癒着だと騒ぐところだが、中国ではそうは言わない。
これは「○○氏の面子をたてた」ということなのだそうだ。
面子に執着する民族だから、○○氏の面子を立てなかったときには、どんなことになるか分からない…だから、OKが出るのだそうだ。

従って、これは癒着ではないのだそうだ…決して。

平均的日本人の私には、よく分からないけど。

犬はどこ?

2004年2月7日 読書
気がめいると読む本のひとつ。
無条件で気分がよくなる。
そう。私は犬好き。

読書の隙間にもちょうどよいので、たいそう重宝もする…。

犬の写真、それも著者兼撮影者の林丈二氏がほうぼうで偶然であった犬たちを撮っていった写真の、集大成である。

下町の犬あり、塀のぼり犬あり、路上でにらみを利かせているこわもての犬、甘えたの犬、人間を無視するすれた犬、人間同様それぞれ表情があって、一瞬の表情にその性格がうかがわれて心がほのぼのする一冊。

作者のエッセイというか、撮影状況メモが犬の様子を引き立たせる。
表紙はフランス・ナンシーの公園での一枚、アベックだと思ったら”彼氏”は大きなシェパードだった…という一枚。犬の表情が素敵だ。
世界の各地の犬の写真もあるが、思わぬところに自分の家の近所の写真が飛び出してきたりする。
こういう写真を見ると、何処に犬が隠れているか分かったもんじゃない。町を歩く時も目を皿にして周囲を見るべし!…と思ってしまう。

美女の条件

2004年2月6日 読書
「マルグリット・ド・ヴァロワ」をまだ読んでいる。
読んでいて思った。
いや、思い出した。

以前ボースンさまにお借りした「アンジェリーク」と言う小説のことを。
宝塚で煌びやかに演じられたし、木原敏江が長編漫画で描いているし、今更くどくど述べることもないと思うが、時代は「マルグリット・ド・ヴァロワ」の夫であったアンリ4世のヴァロア朝の初期。
王さんの言うことを聞かないフランス南部の大貴族ペイラック伯爵が、大金持ちの上に男前で芸術に造詣が深いということから王さまの嫉妬を買い(いや、もっと深遠な理由もあったのだが)、大陰謀の犠牲となって十字架にかけられる。あはれ残された寡婦のアンジェリークの冒険が此処から始まる…。
てな内容で、17世紀という時代性か「カルチェ・ラタン」に見るような、(当時の)カソリックの性格ゆえなのか、奔放に、悪く言えば好き勝手に生きる「高貴な女」が目立つのだ。
アンジェリークはカソリックで貴族の令嬢で、その性格、考え方にぎょっとすることも多々あった。
なにより彼女が逃亡生活の中でプロテスタントの一家の女中に身をやつしたとき、その生活や思想信条のあまりの違いに、読んでるこちらまでが吃驚するほどだった。

このマルグリットもそう。夫であるアンリ4世がもともとプロテスタントで謹厳実直清貧結構の、悪く言えば野蛮で野暮で楽しみを知らない性格と生活だったものだから上手くいくはずがない。
ま、この夫婦はどっちもどっちで互いの浮気を無視するどころか煽る傾向があったからカソリックもプロテスタントもどちらもどちらか。

宗教談義は苦手なのでこれ以上は突っ込まない(いや、突っ込めない)が、恋多き女たちは自分に素直に人生を生きただけの人間であったのかもしれない。

これは、私には到底無理。
なぜなら、そんな体力・気力(精神力)を持ち合わせていないから。

それだけの気力と迫力をもっていたからこそ、内面からも輝いて「美女」の名をほしいままにしたのかもしれない。

察するところ、美女の条件は、何よりも気迫かな…

マルグリット・ド・ヴァロワが腎臓結石で62歳で亡くなったとき、彼女の傍らにはヴィラールなる若い恋人が付き添っていたという。
最後まで、人生の最後まで、彼女は美貌の王妃であり続けたのである。
身内からレンタルする。読むものがなくなってきたのを見かねて貸してくれたらしい…
しかしこちらはといえば、恩義も忘れて、いつの間にかこんなのを読んでいるのか、ふうぅぅ〜ん、とちょっと思ったりしている。

作者の桐生操氏は、この手の「悪女」?ものが多い用に思える。
嘗ての永井路子を思い出す。時代と舞台で共通項を探すとイタリア在住の塩野七生か。
まあいいけど。

王妃マルゴ…
は、1997年にフランス映画で見た。日本に来たもののマイナーな映画館でほんの少しの間だけ上映されただけだった。
私は、これを、酔狂にも見ているのだ。
(そういやこの映画も身内に誘われていったんだっけか。なんだ、以前からそういう趣味だったのか。)

無茶苦茶コワイ映画だった。
どうコワイかといえば、精神的に怖いのだ。
血が飛びまくる。
…まあ、バイオレンスなら珍しくもない。
でも、嘘丸出しの、大げさな流血シーンではなく、「あ、本当に人が血を流している!」と思わせるような、妙にリアリティのあるシーンだったのだ。
そして、今の常識では考えられない家族関係。
近親憎悪どころか近親相姦が当たり前…?!
裏切り、殺し、どうしてそこまでやれるのか、信じられない。
良心どころか心すらないんじゃないか、感情がないんじゃないかと思ってしまうほどだった。

この映画に出てくる歴史上の人物で一番怖いのはマルゴの生母、カトリーヌ・ド・メディシスである。
あのメディチ家の出身…といえば、まあなんとなく想像はつくと思うけど、政治は好きだし陰謀も好きだし、他人ばかりか自分の子供まで次々殺すし…こわい。本当にこわい。
毒殺されかかった王様が、『血を吐きながら』みなの前に出て来て、いいたいことを言ったと思ったら、どさー!!といきなり昏倒するのだ。
こんな現場にいたら、何もできずに固まるしかない。(映画でも周囲はフリーズしていたが)
やめてよ、もう〜と何度画面を見ながら呟いたことか。

つまり…そのマルゴの人生を描いた小説なのだ。
中々したたかな女性に描けているが、先に見た映画のインパクトが強すぎて、おかーちゃん(カトリーヌ)もマルゴもまだまだ迫力不足に思えてしまうのが難である。

映画鑑賞の翌年にフランスへ行き、カトリーヌやマルゴのすごしたお城を訪れているので余計に感慨深いのかもしれない。

もっとも、あっちもこっちも血まみれで、霊感が強かったら何か見そうなところばかりであるので、そういう意味で印象深かったのかも知れないが。
「京艶」という写真集がある。

その名から分かるように、京都を撮った写真集なのだ。
その表紙から分かるように、ちょっと変わった写真が多いのだ。

おかげでしっかり影響を受けてしまった。
最近変な写真が多いのは…。

気分が荒んだときに、綺麗な…でもいささかいつもと違う(おかしな?)視点でものを見ると、なぜかちょっと癒される。
面白い。
笑える。

最初、この本を見つけたのは三条高倉の「京都文化博物館」の売店だった。

この正月明けには下鴨神社内の売店で見つけた。
絵葉書もあった。
ああ、みんなこれで癒されているのかな…
ちょっとそう感じた。

持ち歩きの本がなくなって、
仕事から疲れてかえって、
夜寝る前の心のリフレッシュに、
今も、時々ひらいている。

ひとつだけ困るのは、写真集も京都、私の住むのも京都。
狭い京都の写真だから、祭りだイベントだと、こっちが出かけて写真を撮ると、どうしても同じ場所、同じ風景、同じようなシチュエーションになってしまう…ということ。

まあ、あんなに魅力的には取れませんが、「まねしぃ」になってしまうのがいや。
再度読み直し(最近こればっかりや…)

自己満足的な一冊…否、ほとんどマゾ的な味わいをもつ一冊である。京都人にとっては…。

けっこー「どうしようもない」京都人の姿と本音を赤裸々に書いているのだが、これが京都人に受ける、らしい。
内容的にはやはり前冊「京都人だけが知っている」のほうが数段上だが、それでも十分面白い。
そしてこれは、単なる観光ガイドではない。

おまけに先日の「佳つ乃」本で紹介されたような値段も敷居もお高いお店よりも、リーズナブルな庶民向けのお店がメインなのもとっても宜しいことである。

地元民はとてもつつましい生活を送っているのだよ。
あちこち観光地やお高い料亭なんかを利用して知っているのは、京都人ではなく観光客の方なのだから。  うらやましいねぇ…。
読んだ本だが…けなした割りに、本日はしっかりその中の一軒に行ってしまった。
勿論、リーズナブル料金のお蕎麦屋さんである。
(高い店にいけるわけがない!)

読んでしまってから気づく私も馬鹿だが、これは佳つ乃さんが自分のお薦め店を書き綴った本、ではなく、佳つ乃さんをモデルとして置いて写真を取り捲った本なのだと…。

そりゃ、篠山紀信が撮っているのだから写真は美しいに決まっている。
だから、これは「自分には到底いけないところ」を彼女にうっとりしながらため息ついて読む本なのだ。そうか、そうだったのか。納得。

だから、「一度だけよ」「残念だけど駄目」なんて「入れない店」までご紹介いただいているわけね。
それでもたまには「いける店」もいれとかないと読み手が興ざめしちゃうから…ということね。

はい。確かに。
今日はそれに見事に引っかかって、おそばを食べてきた私です。(でもおいしかった)たとえ、随分昔にもう行かなくなっていたお店であっても、こうして紹介されれば「お、それじゃ行ってみようかな」って気になるモンね。

いけない観光本

2004年1月30日 読書
「京都佳つ乃歳時記」読めた。読めたけど…
この観光本。

どうしろと?

まず、高すぎる。
桁がひとつ違う。一見さんって、京都に住んでいたって、生まれてからず〜っと○十年も住んでいたって、行ったことがなければみんな「一見さん」だもん。
行けない店が多すぎる。

そして、「初回のみ」この本を読んだといえば、入れてもらえる…って、そんな格好の悪い!
いや、そこまでして「入れて」もらわんでもいいと思ってしまった。
そこまでして舞妓や芸妓のなじみの店に行きたいとも思わん。

この本は、せいぜい写真を見て、目の保養をするだけだ。

そう。喫茶店ぐらいはいけるぞ…しかし、たかが喫茶が随分いいお値段で。

これで
味に問題があったら、暴れるんじゃなかろうか。

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