妖しい仙人に妖しい人間が百出の「捜神記」を読むことにする。
平凡社の東洋文庫は値段が高いものの、そのマニアックぶりと意外性が楽しい読み物である。
大体中国の笑い話というのはシモネタが多いものなのだ。
神仙の話、といっても妖怪にまで裾野を広げれば、人間の生気(精気)目当ての連中であるから、どうしたって艶っぽい舞台に突入してしまわざるを得ない。
中国史とか中国文学とか、字面はお堅いものの、その内実はかなり露骨なお話を取り扱うことになる。
ショックは始めのうちだけ。
しかし、そんなものを専攻したがゆえに、若いみそらでそういうことも食傷気味になってしまうというのは…どうなんだろうねぇ?


星の話が読めてしまったので、取り合えず何か古い本を…と思って発掘したのが会田雄次著の「敗者の条件」である。
高校時代かな、先生に勧められて読んだ覚えがある。しかし、中公新書でナント380円!安いなぁ〜。
戦争体験者である著者が、日本人と西洋人の「執着」「執念」の違いを、歴史的・社会的に探ってゆく…ので、東西の陰謀術策華やかなりし時(ルネッサンスと戦国時代)を交互に書き綴っている。
時代が反映されているなぁ、と思える。「ゆとり」とか「憩い」とか言ってる場合じゃないんだってば!と言うトコロかな。まだまだ「成長期」だった日本の、ひとつの思想ではある。

しばらくアクセス不可だったので、日にちが飛んでいる…わりに大して読めてない。悲しい。

「星と伝説」がだんだん楽しくなってきた。
が、まもなく終わってしまう。東西の神話に絡んで星座の逸話が出てくるが、やはり東洋史のほうが面白いと思ってしまう。身びいきだね。やっぱり、人間の命を司る北斗と南斗の伝説が好きかなぁ。ジイサンだけど。
「フィレンツェミステリーガイド」は、本当に妖しい本だった。詳しい行き方が書いてあるが、イタリア語が話せなければ(或いは筆談でもできなければ?)かなり辛い旅になりそうだ。
しかしこんなマニアックな、ゆったりとした旅がしてみたいと思わせる本である。
聖遺物崇拝・略奪だけでも、確かに「なんだかなぁ」と思っていたところに、「キリスト教の教会というところは、死体だらけ」といわれて目が覚める。
た、確かに…!!
聖人の遺体の切片とか、大事そうに美しい宝石箱などにいれて、それをありがたそうに口付けするわけだから…。
いや、仏教徒の私にはわからん。即身成仏のミイラを見ても、私は「ありがたい」とは思わないもんで。不信心者なのだろうか?

「香乱記」は、やっぱり面白かった。
戦国末期どころか、秦の始皇帝がお亡くなりになってしまった…ちゃんと読まんうちからええかげんなことを書いてしまって反省…。
新聞なので、毎日挿絵がある。宮城谷さんの小説にいつも付いてくる版画風の挿絵である。
原田維夫氏画、となっているが、本となったときにはこれすべてを掲載するわけではなかろう。勿体無い、と思ってしまう。
仕方がないかもしれないけれど、宮城谷さんの小説の舞台では、女性が哀しい。強い人もいるけど…やっぱり哀しい。

切り抜き「香乱記」

2003年7月26日
宮城谷昌光氏の新聞連載小説である。
友人が私のためにわざわざ切り抜いてくれているのだ。
それを途中でほったらかしにしている、
「不義理の私〜♪」
は、大いに反省すべきである。

戦国時代も終わりの頃、田氏の話である。
秦の始皇帝も登場する。
しかし、長い間置いていたので、最初から改めて読むことにした。
本と違ってひっくり返って読めないのがちょっと辛いけど…。

三侠五義を元ネタにした漫画「北宋風雲伝」が4巻あたりから面白くなってきた。
最初は淡白な印象の話ばかりだったのが、ストーリー展開も密度が濃くなってきている。女性の登場人物が増えて、バランスよくなったのも大きな要因だろうか?小説にバランスは重要だ。
好きな時代で好きなネタなのでとても嬉しい。

注文していた「フィレンツェ…」を漸く入手。一応フィレンツェ紹介本。でもフツーに紹介なんかしていないらしい。
紹介文を読んで迷っていたが、パート?が出るという話を聞き、やはり買ってしまった。ハードカバー本なのに…。
妖しいフィレンツェに出会えることを期待する。
エッセイなので早く読めた。とても面白かった。楽しかった。
食べるものに関しては、さすがに中国人だ。彼らに対抗できるのは、フランス人ぐらいしかいないだろうと思う。
清代末期の話だが、かの李鴻章氏が英国留学中のこと。
突然のお客にありあわせの材料でごった煮(雑炊)を作って出したら非常に受けた、という記述があった。こんなものが意外に…って事なんだが、此処でも「味覚の死んでるイギリス人」と言われていた。笑える。
これってもう疑う余地のない、世界の常識なのかな?
ちなみに別の本にあった「広東人にワシントン条約は無意味」はこの本でも証明された。
一応隠して売っているらしいのだが、皆、見て見ぬふり。公認の秘密になっているとか。
中国政府も統制しかねるのか。(国が)広すぎて。(人口が)多すぎて。
麻薬で見つかっても死刑(公開)だと聞いているが、焼け石に水の様子だ。
だから国民側も政府側もやることがエスカレートして、よそから見ると「なんて恐ろしい国」、となるのかもしれない。

頼んだ本が明日手に入るので、それまで写真集「京艶」でも見ることにする。
京都の歳時記的な写真集だが、視点が面白い。美しい。
巫女の緋袴(の裾)と白足袋と畳。
それだけの風景がこれほど色っぽいとは思わなんだ。
島尾伸三という人が、香港を中心に、ご夫婦で中国へ通い詰めて知った「食」についての随筆集。庶民が見た食、なので、素朴だけど目新しくて実感がある。面白い。
北京に四川に潮州にといろんな料理が出てくるが、一番迫力があるのはやはり広東料理。
この著者ではないが、とある本によると、ワシントン条約なんてしったこっちゃあない…というお人がわんさかいるとか。
まあ中国だし。
龍というのが広東では「蛇」のことをいう、と思うと感慨深い題名であるな。
うむ。まあ、中国だし。
なにがあってもおかしくないというか。

北大のポプラ並木

2003年7月22日
「氷点」は順調に最後の巻もあと少し。
主人公が北大に通い始めて、まさしく青春真っ只中だ。
愛する意味、自分が生まれた意味、生きる意味と悩み続ける。
聞いていたイメージ(もっとどろどろしているかと思っていた)とはずいぶん掛け離れた小説だが、北大、といわれると、今は「動物のお医者さん」に思考が逸れてしまう。
ギャグに走ってどうする、と思いつつ。
とはいえ、どっちの作品を読んでも、結論はただ一つ。
私には北海道で冬を越せそうにないということ。
<人に罪ありき>から始まるキリスト教がらみの小説であるためだろうか。
登場人物が「自己中心的」過ぎるか「考えすぎる」「悩みすぎる」ように描かれている。
しかし、現実には「まあいいや」と見逃している些細な事に目を向けて考えることが、本当は大事なのかも。

時間のかかるスキャンの傍らに読んでいたら止まらなくなり、2日で上下巻を読み終えた。
そのまま続編へ突入している。
三連休に感謝。
私も、若い頃には、このヒロインぐらい純真に物事に悩んだのかな?すでに忘れているあたりがちょっとさびしい。
人間はモノを捨てて行かないと前へ進めない動物なんだよ、と自己弁護もしてみたり。

同じ作者の作品であり、中学時代に体育館で映画を見せられた「塩狩峠」は思春期の胸に強烈に刻み込まれている。
体育館中、教師・生徒・男・女関係なく、涙雨でぐっしょり…電気が付いたときはちょっと大変だったな。
なつかしい。それも思春期のよい思い出か。
「解説を付け加えることを目的としたものではない」と著者自らが述べる「ヒンドゥー教」は、確かに門外漢にはぴんと来ない本だった。ほとんど字面を読んでます、といった具合だ。
頭に残ったのは
「それぞれの信仰の対象は大河に流れ込む沢山の小さな川である。それは祈りの対象として具体化させているだけで、行き着く先は同じ神、一つの神、唯一の真実である」
ということ。これだけでも「成る程」とひとつ賢くなった気が。
そこで流し読みをして、次の本に取り掛かる。

「氷点」
これも借り物なので、さっぱり分からない。余り読まない向きの本である。
でも、勧めてもらった本なのだから、挑戦してみる価値はある。

人間的完成へ向かっての個々人の旅を「夜の航海」と呼ぶ、というのが気に入った。
暗い無意識下の海へと下降し、意識と無意識が統合され、個性化(人間としての完成)を実現するのだと。
そのための旅なのだと。
かつて中学生の頃、よく言われた。
自分の確立、個性の確立。
そういうことを言わなくなって久しいね。
そういうことを考えなくなって久しいね。
だから人間として不完全な輩ばかりが肩を怒らせてのし歩くんだね。

「ヒンドゥー教」の作者は、19世紀末に生まれてもう亡くなっているインドの方だが、分かりやすく解説してくださるとの事。
翻訳者の腕の見せ所である。楽しみに読んでゆこう。
キリスト教が中心の西欧人よりは、東洋思想の我々のほうがまだわかりやすいのでは…と期待を持っているのだが。
どうかな?
「アーサー王物語」はケルト民族の夢であり、過去の栄光と未来の栄光を映し出すはずの鏡である…ようだ。
知らなかった。
架空の物語(伝説)も実際の歴史もそこに出てくる人間たちも、何でもかんでもあの世(=他界)にほうりこんでいるきらいはあるが、日本人が何でもかんでも「神様」にまつって祟りを回避しようとしているのとさして変わりはないのか。

それと、円卓の騎士が、神様の擬人化であるというのは面白い。
彼らの活躍がすなわち神の霊験に他ならないのだと。
だから強くて人間離れしていて当たり前とは。

ところで、円卓の騎士と聞くと、⇒round of knights⇒ファイナルファンタジー?の召喚獣…と即座に連想してしまうのは…ロマンティックではないかもしれない。
私まだそこまでチョコボを育ててないしなぁ。

「ケルト神話と中世騎士物語」
順調〜♪
さて、民族大移動でやってきたケルト人。
先住民族を抹殺して、増殖していったわけだが、その過程で面白いことをしている。

抹殺しちゃった先住民族を「神」に祭り上げて「地下の世界」(=あの世)の支配者にしちゃってるらしい。
「陰陽師」とか妖しい本を読んだばかりなので、「日本の祟り神といっしょやん」とか、余計なことを連想して仕方がない。
くさいものに単に蓋をするだけでは駄目。しっかり結界を張っとかないとね〜ってわけかな?

一方、アイルランド・スコットランド・ウエールズ・コンウオール・ブルターニュ…
と、現代のケルト民族の頒布図であるが、かつてブルターニュ地方を訪れたとき「バグパイプ」演奏があって驚いた。これが「ケルト」ということなのか。
確かに民族はいっしょだなぁ、と痛感。
陰陽師の妖しい本が読めた。
この本にあった「湯立て」と同じだと言ってよいのかどうかは知らないが、釜でお湯をぐらぐら煮立たせて、笹だか榊だかの枝でかき回した挙句にそれを振り回して周囲にしぶきを飛ばす、という行事は、陰陽師の本家本元になった「晴明神社」の9月大祭で行われている。
いまほどブームでない頃は、「ぎゃあ〜」と飛んできたお湯から逃げまくった(本当は逃げてはイカンらしい)ものだが、人垣ができて身動きできない現在では、前に押し出された見物客はひたすら熱さに耐えて、湯しぶきをかぶり続けなければならないのだ。
そう、熱いんだよ、これが。
お酒が入っていたかな?
兎に角、もってるカメラにかかったら大変と、自分の身をもってカメラを護ろうとするから、ますますビシャビシャかかって熱い…

「ケルト神話と…」の目次をざっと読む。
アーサー王伝説。さもありなん。ケルト神話だもんな。
しかし、ケン・フォレット等の、この時代を描いた小説なんかを読んでいると、王と騎士と美女の伝説〜なんて夢を追っていられない。
皆血肉をもった愛憎どろどろの人間味溢れる人々である。
ところで、
「アーサー王物語」って昔アニメあったよね。フランスくんだりまで出かけていた記憶が…。
そうか、当時は良かったんだ。国境も国もまったく違ったからね…。すると、それなりに考証していたのかも?
浮気をやめて本命に戻る。
拝みやや桂女と呼ばれた遊女、クグツと称される一種の芸人など、陰陽師も掘り下げれば非常に面白いものにつながってゆく。
公家・武士・僧・神官・農民以外はみんな「職人」だったという、過去の社会の意識も今聞けば新鮮である。

陰陽師も職人なのである。

ところで、いま読んでいるところで一番感激しているのは「左官」である。そう、壁を塗る人のことである。
当然のことながら、宮中においてもその需要があった。
でも、一応官職をやらんと入場させられない(!)ということで、与えた『官職』なのだと。だから「官」が付いている…。
ほう〜!と思わずうなってしまったよ。

小説の中の季節感

2003年7月13日
「臆病者の海賊退治」順調に進む。
が、ちょっと不満。なぜか。
東南アジアなのに、
熱いとか、
マラリアが怖いとか、
スコールがどうとか、
お国柄・土地柄というものの記載が少ないように思える。

これが「ラミジ艦長物語」だと、
カリブ海の、
バラクーダがどうだとか、
蚊に刺されてこうだとか、
果てはペリカンの捕食方法についての一考察まで小説の中に効果的に表されている。

だから、臨場感がまるで違う。
だから、小説に没頭しにくいのではないか…。

そういえば、「イギリス人は…」の作者高尾慶子さんは、「パリは冬!」と言っておられる。
私に言わせると「パリは栗!」なんだけどな。そして、冬のパリといえば、すなわちメグレ警視である。(情景描写が、いつも寒そうなんだもん)
久々の海洋小説だ。嬉しいな♪
…でも、出だしがアレなアラン。
おまけに、高尾サンのエッセイを読んだ直後だから、英国人に対する見方もシビアになっている私だし。
いやいや、本は先入観なしに、素直に読まなきゃ。

舞台は東洋の海なので、ちょっと嬉しい。
広東を離れた主人公たちは、ボルネオからマレーシアへと今でも「海賊」がでる、有名な海域へと向かっている。
今でこそ、海賊たちは大きなタンカーも襲えるが、昔はとてもとても舷側が高くて商船ですら武器を積んでいたヨーロッパの船なんか、とてもとても襲えなかったのだ。
だから、当時のヨーロッパの商船が襲われたというなら、海賊はヨーロッパ人かヨーロッパ人と組んでいるやつらでしかないわけだ。
18世紀末〜19世紀はじめといえば、かのラッフルズ卿によってシンガポールが植民地化された頃。
それまでは海賊たちのマーケットだったのに…デランシー・シリーズとか栄光の海兵隊シリーズとかではちょとだけ東洋も出てくるが、西洋が覇権争いを演じた南洋は何もカリブ海だけではない。
中国の陳夫人じゃないけど、妖艶な女海賊もきっといたに違いない…というわけで、もっと海洋小説の舞台にしてほしいとおもうこと、しきりである。
面白いのでどんどん進んでしまった。
金持ちと観光客(お客様)であれば、英国は素敵な国なのか…。まるでわが故郷のようだ(笑)
作者の高尾さんは彼の国をほめもし、けなしもし、わめき、喧嘩し、で、素っ裸で生きておられる。
ありのままの、すっぴんの生き方を綴っておられるので、私などはこうも惹かれてしまうのだろう。
もっともそれが鼻に付く…という方もおられるはず。なにがなんでもの英国賛美者(日本人は多いと高尾さんは書いておられる。無条件に英国賛美をするのだと)は、怒りで真っ赤になって本を放り出すやも知れない。
又反対に、批判だけに眼を留めて、一方的に英国批判の本だと断定し賛美する読者がいるかもしれない。
私としては、そこまでおろかな井中の蛙は、日本にはいないだろうと思いたいのだが。

日本で生きる私たちは、もっといろんなことを知るべきだと言われる。
まさしくその通りだとつくづく感じる。
「子供の国」といわれようと、日本だって捨てたもんじゃないと、彼女は言う。
知ることが大切なのだ。
世界を知ること、そして世界の中の日本を知ること。
知った上で、今の日本人と、日本という国とを振り返ってみればどうだろうか。
胸を張って、前を見て、歩いているだろうか?
通り一辺倒の『英国本』ではない。この本を、そして高尾さんを知ることができたことに、とりあえず感謝する。

多分明日からは新しい本。
"アラン海へ行く!"シリーズの第7巻「臆病者の海賊退治」に入れるだろう。
 面白いので読み進む。

早い仕事振りと機能のNTT。
新幹線。
すばやく働くレジの女性。
丁寧な応対のデパート店員。
お金勘定の早い銀行員。
…は、英国に来てほしいのだと。どんな国だ…英国は。
京都のカミカゼバスも来て!…って、何だろう?マジで分からない。私が普通だと思っているのが、もしかして普通じゃないとか?

 呼んでから1時間以上待たされる救急車」なんていやだ〜!待ってる途中や搬送途中で手遅れで死ぬなんていやだよ〜!

シビアで強烈な語り口調。高尾慶子さんはたくましい日本のおばさんである。そしてそんなおばさんにちょっと憧れていたりする。



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