「DANDY DRAGON」

2003年12月29日
最終日なのに残業している忙しさなので、まともに本など読んでられなかった。

家へかえって、一息…昔買ったパロディ本を開く。

「ダンディ・ドラゴン」高橋なの画。

…とくれば、分かる人にはわかる。
奥州王"まーちゃん"の話だ。

NHKも隙なくドラマを作るから、国民の啓蒙啓発に役立っているんだろうなぁ。
だから、こんなに詳細なパロディ漫画も出る。
たとえそれが一年限りの付け焼刃の知識であろうとも。
渡辺謙が、この大河ドラマで不動の地位を得たことは間違いない。

さて。作者である高橋氏は、個人誌で、研究本も出しておられる。
数冊は以前、○んだらけ(大阪)で入手したが、一話一話をとても細かく検証している。
笑いの裏にこれだけしっかりした(綿密な)足取りがあるのかと感心した。

ちなみに、大阪からの帰りの電車で読んでいたら、横に立ったアベックの女性が
「あれはレディス・コミックよ」
などと、知ったかぶりでつれの男性に語っていた。
失礼な。
いくら"まーちゃん"が女好きだと言ったって…。

実はドラマ放映中は見ていなかったので、後でじだんだ踏んだドラマである。
勿論雑学。
だが、本人がそんな(=言葉を残す)つもりでなかったり、そんなもの残したくなかったりするのに、何気なく発した言葉が「最期の言葉」として残っちゃうのだから、こういう本を読むと、人間というものの生きてゆくうえでの、
「思い通りには往かないもんだ」
みたいなものを感じてしまう。

最後の最後にこれではなぁ…と。

また、その言葉の背景を律儀に説明してるんだ、この言葉の編集者(著者)が。


勿論、最期に何を言うかで、その人の本音もある程度分かってしまう。それを覗きたい野次馬根性もある。
最後の最後まで本音を隠すのは辛いんじゃないかな。誤解されたまま死んで行きたくはないし、何より「死人にくちなし」で、死んでしまったら反論できない。


大人の絵本、「海賊日誌〜少年ジェイク、帆船にのる〜」もようやく読了。
絵がリアルすぎて、年端の往かぬ子供には怖いかもしれない。特に海賊が襲撃をかけるシーンへの、挿絵画家の情熱は計り知れないものがある。どうかすると、大人でも怖いと思うだろう。
よく思うのだが、外国のアニメや絵本はどうしてこんなに怖い(挿)絵を描くのだろうか。
リアリズムに徹する必要も…そうはないと思うけど?
現に可愛らしい日本のアニメのほうが、異様なほどに受けている。違う意味、日本のアニメのほうがリアリズムだしな。

平行読みもとりあえず落ち着く。
あとは新聞切抜きの「香乱記」と「中国遊里空間」の二冊。
正月用の、ねっころがって読める軽い読み物もほしいところだが…。
〜千年の事件簿から〜

ふ〜ん、さすが、中国。事件簿も千年分有るわけだ、などと馬鹿にしてはいけない。

大体ミステリー(探偵小説)という分野は、近代になって確立したものだからして、洋の東西を問わず、千年前にそんなものがある、というのはとんでもない、ゆゆしき事なのである。

とはいえ、偵探小説(中国では探偵小説をこういう)に比されるそれは、名判官(裁判官)による難事件解決を物語風に語り留めたものであるが。
その始まりの時代はと言えば、六朝時代(みんなが好きな三国志の後:5〜6世紀ごろ)から始まり、明末清初(17世紀)には隆盛を極めたと言う。
おまけに物語風だから、窮地に陥れば、幽霊は証人として出てくるわ、神様のお告げは有るわ、現代ミステリーが禁じ手としているワザが次々出てくると言うシロモノ。

…まあ、民衆の求めるものが科学を超えた正義であり、腐敗した社会に対するウサ晴らしであったのだから、明朗会計…もとえ、明瞭なる勧善懲悪ってことでこれは仕方がないことかも。

コレが清末になると、単なる名裁判官ものだけにとどまらず、主役は名裁判官ではなく、その周囲にいる男達…武侠になるわけだ。
今、映画で流行の武侠ですね。(「北宋風雲伝」という漫画でも北宋の名裁判官・包拯や武侠・展昭を扱っている)

娯楽はここに窮まれり。

ただし、こういう小説になじんでいた中国民衆は、なんと日本よりも先んじて「シャーロック・ホームズ」だの「怪盗ルパン」だのを翻訳(全訳)してヒットを飛ばしていたと言うのだから凄い。
受け入れる下地はしっかりできていたのだ。
日本と違って…。

なんてことを置いといて、有名な「事件簿」をひとつづつ取り上げて一話完結で読み進むこの本は面白すぎて一気読みしてしまった。
しばらくぶりに面白い本に出会ったなぁ、と心から思う。

う〜ん。明智君の負け。

中国のミステリー

2003年12月23日
「中国ミステリー探訪」井波律子著
…は、私にとっては不幸にも、本屋で出会ってしまって衝動買いした一冊。
2千円近くするのに現金買い(いつもは金券ショップで図書カードか図書券を購入)

ああ…学習機能がないな、私。

事件・名裁判等を扱った公案ものをまとめた本だ。著者も中国研究家では有名な人だし、まぁ…そうはずれはないだろうと見当をつけた。
同時に漫画の「北宋風雲伝」という、北宋時代の名裁判官(実在)を扱った本も手に入れたので、似たような主題の本をまとめて買ったことになる。


大木康氏の「中国遊里空間」も勿論入手しているので、なにかと周囲に未読の本が有るのは幸せな気分になる。
しばらくは中国漬け…♪
子供の目で見た、極限状況。
子供の心で感じた、極限状況への対処法。

子供は柔軟だから。
そして、残酷だから。

大人は時に太刀打ちできない。

そういうことがたっぷり詰まった本だった。
やっぱり冒険小説とちゃうやん。

後半20ページぐらいが面白かった。
19世紀後半〜20世紀になると、海賊行為は殺人でなければ死刑はない。

ほっほ〜と感心。
いや本当に。

問答無用の極刑だったのにね。それも見せしめのために思い切り残酷な刑罰だったのに。

だから、「人を殺さないで」海賊をする輩が出てくるわけか。
殺さない限り、殺されない。
そんなのが海賊とは…でも、そのほうが「海賊稼業」も気が楽かもしれない。

子供は怖い。
忘れてしまえる、消去してしまえる。
現実と虚構が、しっかりと、同次元に存在する。

だから、滅多なゲームは教えるものじゃあないな。本当に。
途中でほっとくのも気持ち悪いので、「ジャマイカの嵐」に戻ることにする。

しかし子供の微妙な心理描写が延々と続くと、心理学志望でもなかった私には、辛い。
冒険小説を求めていた私には、かなり辛い現実である。
しかも成り行き上、海賊に捕らえられて船上生活をするから、ゴキブリにかじられるぐらい汚くなっている子供たちの、少しづつ変化してゆく心理描写…なんて。
しかし。
ゴキブリって人間を齧るのか…知らなかった。船で齧るのは鼠ぐらいかと思っていたが。新たな発見である。

好きでつれてきたわけではない子供たちをどう扱うか。

かといって始末できるわけでもなく、ただともに船上生活を続けるだけ。
残忍になれない彼らは音に聞くカリブの海賊ですらない。

子供の夢想は無邪気で罪作りだ。
大人たちは今日を、明日を考えなくてはならないので、そんな子供たちをどうすれば良いのかわからない。
最悪の結果にならなきゃいいけどな…とついつい結末を心配してしまう私だった。


あああ…本屋から到着の御知らせがなかった。せめて23日には入手できますように…!
民衆が「イギリス人」とか「フランス人」とか意識を持ったときに、国家ができる。

「ここには国境がある」と思ったときに、目には見えない線が引かれるのだ。

大地にも、そして人の心にも。

…んでもって、英国はばら戦争に突入し、「イングランド」と言う枠組みの中で「王様(=支配者)」の椅子を狙っていろんな家(=王朝)が入れ替わり立ち代りして立ち上がってゆく。

フランスだってブルターニュやガスコーニュや、いっぱいいっぱい問題を抱えている。

人が何処に線を引くかは、その人それぞれによるのだから、仕方がないことなのか。

さて。
先日読んで面白かった大木 康氏の本…がそろそろ書店に到着しそうな気配。
首を長くして待っていると遅くなるもの。
しかし、週末に来てくれないと、叉残業で本屋にいけなくなる…となると、次の週末までお預け状態だ。
それは困る!本当に困る!
どうか、明日、本屋へ届いていますように…!

英国病は負けず嫌い

2003年12月19日
イソップだかの教訓話に「狐と葡萄」というのがある。
自分には手の届かない葡萄だから、
「へ〜んだ。そんな葡萄はどうせすっぱくて食べられたもんじゃあない、に決まっている」
と負け惜しみを言ってる狐…

シェークスピアの英国礼賛はずばりそれなのだそうだ。
「ど〜せ、フランスなんて…」
ってか?

ヘンリー5世は、フランス語が話せないことで、かつての父祖の地"フランス"と決別した。
でもって、英国はひとつの国として、フランスへ侵略戦争を開始する。

父祖の地への回帰ではなく。
他国への侵略だ。

侵略するほうが、外国と考えたほうが、気分的には楽なんだろうか。
自分の手からこぼれて二度と手に入らないものだから、取り返すのではなく、略奪すると考えた方が割り切れるのだろうか。

かつての犬と猿。
近親憎悪という言葉もあるからね。
「英仏百年戦争」は、(当たり前だが)佐藤氏の著作の裏舞台を語っている。
これだけ調べたのなら、書かなきゃ勿体無かろうと、素人でも分かる論理で書かれたのだろうか。
いやいや、歴史小説を書けば、その舞台だの時代考証だので一冊や二冊の解説本はできて当たりまえ。それも、売れている作家なら、出版社がほうっておくわけがない。

空想小説ですら、「○○読本」とか銘打って、どんどんと考証本はでてくるしなぁ。


赤痢で病死したエドワード黒太子はやっぱりかわいそうかも…と、またこの本を読んで思った次第。
そして、カスティリアのドン・ペドロは悪いやっちゃなぁ〜と、やはり苦笑を禁じえない。

フランスのブルターニュ地方というところは、今でも「独立するぞ」といって、爆弾テロなんかやったりして、フランス政府を困らせているところだが、それもそのはず。
昔から「フランス」とは一線を画している。
そしてどっちかといえば、英国へ去ってしまった(追い出された)プランタジネット朝、アンジュー帝国の血を引く人々のほうに近い。

英国の歴史も紆余曲折。
ま、支配者もどんどん変わっていく国なんだけど。
ヨーロッパの支配階級なんて、み〜んな親戚みたいなものだし。
「ダヤン」のせいで、スープに嵌まる。

ウチは嵌まるとしつこい。月曜日からず〜ううっとスープを飲んでる。
飽きないから凄い。我ながら。

「英仏百年戦争」(佐藤賢一著)を読み出す。
これは、「ダルタニャンの生涯」(岩波新書)と同じく、時代背景を描く本であって、小説ではない。
この人も百年戦争を舞台に小説をたくさん書いているからなぁ…。
この本を読むと、なんで、英国王があれだけフランス本土に執着したか、目からうろこ状態になる。
本当にびっくりする。
そして、
…納得する。

そうか〜。
もともとフランスの諸侯、つまりフランス人で、フランス王より広大な領地を持っていたのが、相続争いを発端とする内輪もめと、そこに介入したフランス王のために、海外の別荘地にもならない領地(=イギリス)に避難するしかなくなった…のか。

だから、何かにつけてはフランス本土(=もともとの領地であり父祖の地である)に戻ろうと、果ては遠い姻戚関係であるフランス王に取って代わろうと苦心惨憺、海峡の向こうから狙い続けたわけであるとは。

彼らはイギリス人ではなく、あくまでも「フランス人」であったのだ。
で、この戦いに負けて、フランスを諦めなくてはならなくなって、仕方なく(?)イギリス人になったのだ。

成る程、
だから15世紀や16世紀は、貴族階級(支配階級)の言葉はフランス語だったわけだ。

支配するのは、フランスからやってきた人たち。
支配されるのは、もともとブリテンにいる人たち。

そういう構図が出来上がる。

そういうねっこの部分を押さえながら、当時の社会を垣間見る楽しさをしっかり満たしてくれる一冊である。

なんで、英国軍が強かったか。

全員歩兵になれた。
つまり、「必要に応じて、騎兵が馬を下りることができる」軍。
これがどれほど凄いことなのか。
このことが最高司令官である王の絶対的な力を示しているのだということ。

これらのことをちゃんと説明している。
いや〜新書で680円也。
これは値打ちもの。



大木 康氏の著作がとても面白かったので、この人の著作をいくつか捜してみようかという気になっている。

才子も佳人も豪傑も、所詮後世の人間のたわごとかもしれないが。

以前、中国で、岳飛(南宋時代の英雄)の子孫だという人にあった。
彼はそのことをとても誇りにしているのだった。
それを茶化したツアーの同行者は、とても怒られていた。
気持ちは分かるが、そこまでムキになって主張
する日本人はあまり見ない。

で。

「ジャマイカの嵐」に本格的に取り組む。

冒険じゃなかったよ…。
がっかり…。

冒険と言うのは、たとえそれが事実であってもフェクション色が濃いのだけど、コレはなんだか「ノンフェクションです」と但し書きがされているかのような文体で、わくわくしてこないのだ。

海賊…って言っても、単なるどじな連中みたいだし。

DAYAN’S

2003年12月14日
池田あき子氏のダヤンシリーズを、ルミナリエのお供にした。
勿論、絵本のようなものなので、ゆっくり読んでも数時間で読めてしまう。

し・か・し。

片や「スープ読本」

そりゃあもう。涎が出そうなスープが並ぶ。
何しろ吹く風も寒くなってきた昨今だ。作り方を書いている佐藤かずよ氏は、ごちゃごちゃとややこしいとは書かない。
簡単に簡潔に要領よく、作れるスープだから、私でも簡単にできそう・食べられそう・おいしそう…

そんなわけで月曜日の夜はかぼちゃスープを味わおうと、日曜日の夜だというのにせっせとかぼちゃを剥いていたのだった。


もう1冊は「ダヤンのカントリーダイアリー」。
こちらも食べ物大特集だ。
う〜ん、おいしそう。
昔「ダヤンの○○」というアニメの料理番組が有ったような記憶があるが、確かにこんな本を読んでいれば、「テレビ放送してよ!」という声も出てくるだろう。
森と自然に囲まれた「わち・ふぃーるど」ゆえに、自然の味わいがたっぷりの、とてもおいしそうな食べ物ばかりです。
思ったとおりだった。

「歴史地図で読み解く三国志」なんて、あっという間に終わってしまった。
目新しいこともなく、目からうろこも落ちず、なんと言うこともない本だった。(←著者に失礼)

立て続けに読み出したのが、「中国近世小説への招待〜才子と佳人と豪傑と〜」

何だか、題からしてアヤシゲな匂いがぷんぷんと匂って来る。

所謂「読み物」「小説」「伝奇」の類で、「白話」といわれる、「娯楽もの」について描かれている。

文字と記録の発達した中国では、民衆=小人が好んで喝采する「娯楽もの」は、孔子や孟子からは数段低いものとみなされていたので、そのランク付けがとっても厳しいのだ。

「白話」はまったくの娯楽もので、そのランクでは下から数えたほうが早い。
実態は、今で言えば週刊誌か。しかも庶民が興味津々で目を皿のようにして追いかけるスクープ週刊誌。
だが、その地位もカストリ雑誌からそれなりの娯楽雑誌ぐらいには地位向上もあったらしい。

そりゃそうだろう。
その当の「白話」とは、
日本で知らない人はそんなにいないだろうと思われる、

「三国志演義」
「西遊記」
「水滸伝」
「紅楼夢」
「金瓶梅」

その他もろもろ…を、含んでいるのだから。

これらを揚げて「ゴシップ週刊誌並み」と言う人はいないだろう。
それともありがたい漢文書籍だったから、日本では格段にその地位が向上したのかな?
読めてしまった…ちょっと空虚感。

絵が丁寧で美しくって分かりやすくって、
いかにも図説。

会社で人に見られて、
「モデルシップ作成用?」
と、たずねられた。

ああ、成る程。こんな本を読むからには、いかにも自分で組み立てようとしているのだと誤解されてもおかしくない。

見るのが専門。
たまには乗るけど船酔いします〜って、頭を掻いている自分がいささか惨めであった。


さて、明日からは平行読みしていた「地図で見る三国志」に集中。
あっという間に読めそうだ。
だって、内容はぜんぜん新しいことがない。
地図が楽しいぐらい。

蜀漢が後世の民衆の同情票によって正統扱いされていることと、劉備が計算高く天下を狙っていたこと、孔明がさして天才的な軍師ではなかったこと。
そんなことは皆了解して、その上で「物語・三国志」を楽しんでいると思うが…言わずもがなじゃないのかな?
「英国の帆船軍艦」は快調に読み進んでいる。
…というか、絵をみて喜んでいる状態になってきた。
でも、ところどころにココロトキメカス記述があるので嬉しい。

傍目で見て、マニアの怖いところはこういうところだろうな。


「海賊日誌」は就寝前にひっくり返って読むつもりだった絵本である。
叔父さんについて、見聞を広めようとした少年が、何の因果か海賊船に…という内容だと聞く。
聞く、って言うのはまだぜ〜んぜん、読めてないから、あくまで仄聞である。
だって、横になったら即効寝てしまうのだ。本どころか、絵本すら読んでる隙なんてありゃあしない。

「英国の帆船軍艦」

2003年12月9日
なんだか、設計図がかけそうな気がしてきた。

と、思ったら、

今度は船大工ができそうな気がする。

…というぐらい、しっかりと手順と方法を書いた、「親方から徒弟に贈る手順書」みたいな本だ。

ページの半分以上は分かってない。
が、追求しても、読み直しても、専門的な建築方法とかだったりするので、理解するのは無理。
とりあえず、雰囲気だけ味わって、先に進もう。

これを読んで、「うんうん成る程。納得」とうなづける人・理解できる人は、只者ではない。


あと三分の一ぐらいかな。

木造帆船 建造日誌

2003年12月8日
「英国の帆船軍艦」が面白い。

何が面白いかと言うと、

16世紀ごろから盛んになる帆船(主に軍艦)の、何処の部分には、どこ産のどんな木材が適材か、当時の造船技術者(設計含む)の、それこそ小僧さんに至るまでの生活だの仕事だの給料だのを事細かに、説明しているあたりがだ。

何ポンド何ペンス何シリング…といわれても分からない。それが現在の相場に換算されていても、英国人じゃないからよくは分からない。
いっそ円にでも換算してくれればいいのに…と思いつつページを繰ると、当時の大型木造帆船の建造に携わった人々の仕事場やら仕事道具やらまで(ついでに作業場の厠まで)大真面目に解説してあるのだから、そのマニアぶりには感嘆するしかない。

設計図の進歩。
船体彫刻の見事さ。

モデルシップではないが、本物の建造にかかる前に作られた帆船のモデルは、今でも見事に美しいまま残っているという。
これがもしかして帆船モデル(モデルシップ)の走りなのだろうか?
モデルを専門に作る技術者や店もあったという。
…もうこうなったら、実用のためと言うよりも趣味の世界だね。
帆船そのものに興味のないひとでも、ちょっとした書斎をもてれば、あめ色の書棚には、白い帆の"木製の"帆船モデルでも飾ろうかと言う気になるに違いないのだ。

勿論、細かいことを並べられても、ほとんどチンプンカンプンではあるが、機械をほとんど使わずに、人間の手と足のみで作られたあの巨大な"いきもの"が出来上がって行くさまに思いを馳せて、夢を追うような気分で、うきうきしつつページを繰っている。

やはり船は、帆船は、木造に限るでしょう。
鋼鉄なんて、無粋極まりない!
よしんば嵐で沈没したって、木造帆船はばらばらになって木片が浮くのだ。

そして、図説、というだけ有って、よくこれだけ的確な図面や絵をそろえたものだと感心している。

でも、ジャンクはともかく、日本にも北前船とか菱垣廻船とか、一応"帆船"と呼べるものはある。
だが、あれには"わくわく"しない。
なぜだろうか…。
やはり見てくれが…。
いかん。
友人にお借りした「英国の帆船軍艦」に手を付けたので、三つ巴になってしまった…

私の頭でさばききれるだろうか…?

原書房と言うところは、大体が怪しい本をたくさん出しているところだが、この「英国の帆船軍艦」は、かつての7つの海を支配した英国海軍の足となり、手となり、武器ともなった帆船たちの設計や発達や使い方なんぞを丁寧に著わしている。

海外には、帆船だの航海記録だの、そういったものを研究しておられる方が山ほどいる⇒一杯研究書がある⇒よりどりみどりで読める
ので、うらやましい。

日本にも海事史学会なるものも存在していたが…そういえば、あれ、どうなったのかな?
何せ学生時代に聞いた話だしね。
日本(人)も、もうち〜っと海洋や帆船や、そういうものに耳を傾けてほしいものだ。
「歴史地図で読み解く三国志」

隠者というものについて、大胆なことを述べる著者。
いや、いいんだけど。本人は大したことは言ってないと思っていると思うし。

「自分の主張が通らないなら、職を辞して故郷に帰って地方の有力者として威張っていればいい」
そういうのが隠逸の君子と言うのだそうで、地方の力が強い(=皇帝権力が弱い)後漢から三国にかけての時代は、そういう人物がたくさん出た。

で、その隠逸君子たちが、政治や官僚や果ては皇帝や王朝を批判しまくって、変わり(=新しい指導者)を求めたがために、世の中は混乱し戦乱が収まらない状態になってしまった。

その「代わり」って言うのが、曹操であり劉備である。
となれば、隠逸君子ってのが誰の事を指すかは一目瞭然。

自分が中央で芽が出ないものだから、文句を垂れて代わりの首を挿げ替えようとする…伏龍・鳳雛がそれだと断言してるのだよ、この人は。

いや。
確かにたいした発言ではないかもしれないけど。
書き方も、話の流れの一部のことに過ぎないし。
さらっと流して書いてるし。

でもね。

怖いのに…。世のお嬢さん方…。

文庫は持ち歩きが楽なので、ついついそちらに手が出る。
「中国都市史」もまだ3分の2ほどしか読めていないのだが…まあ、いいか。

書き尽くされ、読みつくされた三国志。
その三国志を「地図で」読み解くというので買ってみた。

だいたいが歴史地理とかが大好きなので、食指は動きまくりである。

地図マニア?

人間の生活とか歴史とか、地図を眺めていると見えてくるのが面白い。青春出版社という、私にははじめての名前。
しかし、文字が妙に大きいので、はじめは面食らった。
年配の方も安心して読めるようにとの配慮なのだろうか?

内容は、てっきり「地図」が多いのだと思っていたら、それは私の勝手な思い込みらしく、「地図」だけではなく、あくまでも「図」中心の読み物らしいのだ。

編成図、年代図…と、なんでも図示してある。
ま、分かりやすいと言う利点はあるかな。

東晋で蜀が持ち上げられ、魏が貶められたのは、西晋が魏王朝の簒奪者だという事実もひとつにはあるのだろう。

滝沢馬琴の「八犬伝」が空想の物語であるのは、まあ当然と言えば当然で、8人の勇士はともかく、化け物じみた大犬やら、怨霊・玉梓やら、そのものではなくモデルですらも、実在してたら相当怖いんじゃないか、と思う。

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