友人から色々聞いていて、楽しみに待っていた「安楽椅子探偵」である。
きれいなグリーンの表紙が、子供も読めるよ!と主張しているようで可愛らしい。

なんと椅子がしゃべり、椅子が推理するという、文字通りの「安楽椅子探偵」だという。
こういうのは考えなかった…楽しみに読み始める。

パソコンの椅子すらパイプ椅子で代用している私は、お尻に優しい椅子がほしい。
そう、この安楽椅子のような…(シゴトせずに寝ちゃうかな?)

復活!!煉瓦本

2003年10月4日
…というわけで、「陰摩羅鬼の瑕」に戻ることにした。

京極堂は、仮にも商売人なのだから、少しぐらいなら愛想があるのも不思議からぬ…というご指摘を頂く。なるほど!すっかり忘れていた。
そう思うと、ますます関口君の、…何と言うか…じれったくなってくる。
いらいらするというか。背中をどついてやりたい衝動に駆られる。


「黒い悪魔」のラストは、主人公が「子供のためだけに」自分を捨てて、プライドを捨てて、良い思い出を作ってやろうと、懸命に生きるその姿が印象的だった。
誰だって、自分の父親は誇りに思いたいのだ。
誰だって、自分の父親が一番だと思っているのだ。
息子が最初に恋をするのが母親で、ゆえに父親に殺意をも抱くというエディプスコンプレックスと同様、娘もまた、最初に淡い恋をするのはほとんどがその父親に対してである。
父とはそれほどまでに、強く、大きく、そして他の何者よりも誇れる存在である。
子供は父を、母を、誇りたい。
誇りたいが誇れないそのギャップに気づいたとき、その憤懣を八つ当たりする対象にすらなってしまう。

かっこいい、お父さん。

そうあろうとする、お父さん。

とても素敵でした。
主人公のデュマは竜騎兵である。
竜騎兵といえば、映画の「ワーテルロー」を思い出す。長い槍を小脇に、馬を走らせて獲物を執拗に追い詰める、悪魔のような存在に描かれていた。

緑の軍服。長い槍。

「Schwarz Teufel」(シュバルツ トイフェル=黒い悪魔)と噂されて恐れられる主人公。こんなのがいたらそりゃウエリントンも性根を据えて戦わねば、と思ったろう。
ナポレオンの最初の妻・ジョゼフィーヌの浮気は有名だが、何もここまで「ばらさなくても」と、勢いのままでそれを事実と肯定してしまう書き様である。
それと、革命を乗り切った貴族がそれなりにいるのには驚いた。

英国海軍がわざわざエジプトまで出張してきたアブキール湾の戦いは、ほんの数行で終わってしまったけれど、ネルソン提督の名前がちらりと出てきて、それだけで嬉しくなる私だった。

我ながら…マニアック。
半分済んで、ナポレオン登場。
市街に立てこもった市民を相手に、大砲(しかも葡萄弾;散弾の大砲版みたいなものです)をぶっ放すという登場シーンでありました。

さすがと言うか。

ロペスピエールの処刑場面で、彼の足を一生懸命ひっぱる主人公の姿が、哀れと言うより滑稽に思えてしまうのは何故だろう。
それに対し、雄弁の士が、あごを砕かれ最期のときに何も言われずに散ってゆくのは、余りにも「あはれ」である。

佐藤賢一氏の小説にしてはあっさりした筆運びと思いきや、いよいよ血なまぐさくなってきたかなと思う今日この頃です。

何だか分からぬうちにいつの間にか3冊平行読みを始めてしまう。
どれも手放しがたい面白さ。
ま、「殺人者の…」(D・プレストン&L・チャイルド)は推理小説だから、最初はまだまだのめり混み方が足りないが。

「黒い悪魔」は例の、佐藤賢一氏の作品。「三銃士」の作者であるA・デュマの父を描いたという作品。お父様って…ムラートだったの?そりゃぁ知らんかった。無知でした。失礼。
デュマは、「三銃士」を書いた父と「椿姫」を書いたその息子、の親子のほうが有名だからね。
こちらは導入部からどっぷりと世界に掴まってしまった。佐藤さん、相変わらずうまいなぁ。

腕に身が入って…

2003年9月30日
無理して片手で煉瓦本を抱えて読んでいたら、どうやら身が入ってしまったようだ…

指はつりそうになるし。

京極氏には困ったものである。

鳥の剥製…山ほどの死骸…相変わらず気持ち悪いね。

旧友・ボースンからも本をお借りしたので、とりあえず、期限付きのそちらのほうを先に読もうと思う。
となると、京極氏にはしばしのお別れだ。
しかし、これだけ色々と印象深い本だから、途中で浮気をしても、ストーリーを忘れない自信だけはある。

まだ真ん中。しかし京極堂のご主人は、これほど人当たりが良かったか?と思ってしまう。それとも関クンに対してだけああも冷たい仕打ちをなさるのか?
小説家…浮かばれないねぇ。かわいそうに。


いよいよ京極夏彦氏の分厚い本に…う〜ん、相変わらずだ。この厚さ!しかし薄い文庫本も値上がりした今日この頃、この厚みでこの値段(¥1,500-税別)はまだ良心的かも。
なにが嫌って、ひっくり返って本が読めないことだ。
みっちりぎっちり詰まった漢字を追いかけるだけでしんどい。事件はまだ。いや、何処から事件が始まっているやら分からんところがこの作者であり、それが魅力でもあるのか。

しょっぱな。
作家である関口氏が相変わらず訳分からん鬱状態。いつも思うんだが…たいてい小説家とか記録者と言うのは小説家(作者)の投影であり身代わりである。ワトスン氏然り。しかしこの関口氏に対する作者の描き方(設定)は余りにもむごい。
そこまでくそみそに書かんでも、と思う。
なんでここまで徹底的に痛めつけるのか?作者自身を投影しているならなおさらのことである。
「京極氏は、もしかしてマゾ?」などと考えたりもした。
しかし、陰鬱な人付き合いの悪い「真の」探偵役である京極堂の主人(他に"探偵”と称する人物がいるからややこしいな)が作者の投影と見るほうが正しいのか?
なにしろ”京極堂”である。
いくら暗くても、内向的でも正体が知れなくても、わが身の消滅を心から願うような頼りないうつ病の作家よりははるかにマシな人物である。(なにより正気だし)
しかしながら、マシなほうに自分を設定しているのであれば余りにひどい、非人道的である。

うつ病の救いようのない作家に何を投影しているのか、数冊読んでみても私にはまだ分からない。いつか分かるのだろうか?

ちなみに。
横溝正史がきれいな女性に引っかかりのある理由が…ちょっと分かった気がした導入部である。
「りかさん」は梨木香歩著、「冬のオペラ」は北村薫著。
小旅行先で一気に読んでしまった。
電車ってのは、一気に読書が加速する空間である。(危うく乗り過ごすところだったよ)

「りかさん」は、市松人形が出てくる。
市松人形と言うと、京都では通称・人形寺(宝鏡寺)の髪が勝手に延びる人形…で有名。
そう、怪談の主役なのであった。
なので、登場時にはちょっとぎょっとしたが、可愛らしいのなんのって。
童話のような童話でないような、この話は幅広い年齢層で読める!
気に入った!!
ストーリーとしては、主人公の女の子が成長してからの話「からくりからくさ」を先に読んでいるが、「りかさん」のほうが数段良い。

私も、古い人形はさすがによう捨てません。でも前述の人形寺で供養に出すとなると…先立つものが、ね(笑)
魂を鎮めようと言うほどならば、仕方がないとは思うけど、結構値が張ります。ホント。


さて、もう一方の「冬のオペラ」
春桜亭円紫を思わせる推理もの。
相方の女ワトソンが良い。(この子が主人公なのだ)
探偵としての巫(かんなぎ)弓彦氏の人物設定は、世の中に星の数ほどの探偵氏が存在することを考えると苦労するところだと思うのだが、奇天烈でもなく、変人でもなく、でもどこか「変」で、愛着のある「名探偵」に出来上がっていると思う。
でも、この手の話になると、どうしても「女流作家」の印象になってしまうなぁ。なんでだろ?
優しい空気が作品全体に流れているからかな。
そのあたり、この作家はまだよくわからん。
優しい物語で、気持ちを惹いて逃さない「リセット」

おわり間近になって、題の意味が、理由付けが判明。
この作家は、日常を書いて飽きさせない。
ホント面白かったです。
まだ100ページも読んでないので、感想と言うほどでもないが、戦前から戦中にかけて(さっき山本五十六戦死)少女の視点で綴られた小説は、なんといおうか、現実の時代と隔絶している。
お金持ち社会の話だからかもしれないが。
(そうなるとますます私の世界とは隔絶するなぁ)

江戸川乱歩がエログロとは…!
妖しいとは思ったけど、私なんて小学校低学年時に「道徳」の時間に担任の若い女の先生が朗読してくれたんだぞ…!

作者・夢枕獏が「私でなきゃかけない」と自負する小説(SFらしい)だけ有って、難解。

中学時代に「砂の惑星」
高校時代に「隠された十字架」

これらを読んだとき、訳分からん〜??と思ったのがそのままこの歳で再発するとは。

どれもこれも、なんとなく…感覚としては掴めるような気もするが、どうやらまるで見当違いのところを掴んでいるらしい。
そう思えて仕方がない。そんな小説のひとつとなってしまった。

私は根が楽天家。
そう有るようにも願っている。
修羅の果てに人間としての「問いと答え」に到達するような、しんどい思考はあえてしたくない…と思ってしまった。

さて、優しい北村薫の文章で、慰めてもらおうっと。


螺旋フリーク?
いかにも妖しげな出だしである。
おまけに、本の、単語の並びや印刷のデザイン性にも拘る作家だと以前聞いたことがあるので、よけいに禍々しく感じるのかも知れない。

この人の作品はほとんど読んだことがない上に、評判だけは有り余るほどに聞いているので、先入観を持って進んでゆきそうな気がする。
この「上弦の…」も、本屋に山ほど積んであったのを覚えている。
おまけにそれをどうしようもない、ときたもんだ。

さて、どうしようか。
高尾慶子氏のエッセイ「私のイギリス あなたのニッポン」がもうまもなく読めてしまう。
相変わらずの毒舌。この人の場合、はっきり物事を言うのが小気味良い。
わざと喧嘩を売っているようなところも…わざとね、多分。

姫路出身で京都にもしばらく住んでおられた方なので、本の内容にもちらほらとその地名が出てくる。

京都は(も)無計画な都市計画で汚い。
…はい、その通り。
雑誌やテレビで言うような情緒豊かな日本家屋・京屋はもう何処にでも見つかるというものではない。

最近ようやく、無粋な電線や歩道のガードレールもどきなど、地下埋没工事などをして小奇麗にはしているようだ。
が、もともと狭い道に車と自転車と人が右往左往して通るので、そりゃぁまあ、見てる分にも歩く分にも、腹立たしいばかりである。住人は勿論、観光でこられた方もご存知のはず。

せめて大阪ぐらい道幅があれば…。
そこに民家の壁すれすれにマンションが建つ。
日照権どころの話ではない。
本当に無茶な建て方をするのだ。

地域住民の反対なんぞなんのその、強引な企業や不動産がマンションを建てる。建ててしまった勝ち、売ってしまった勝ち。
後は「知らん」である。

いきさつなど何も知らない人が購入して、入ってみて初めて地域住民との確執があることに気が付く。気の毒なのは、高い買い物をして入居した人たちである。
元々住んでいた人だって、入居者に罪がないのは分かっているが、そのマンションができたがために…と言う気持ちは払拭できない。

静かだった、昔ながらの路地奥などにマンションが立てば、正体の知れぬ人の出入りが多くなる。(昔はご近所さんのことはすべてわかっていた)⇒不安感が増す(実際、犯罪の多い現実はいかんともしがたい)・うるさい・騒がしい。何よりも、従来の地域の「しきたり」を護らない人間が増える⇒マンション住民とのトラブル

勿論すべてこうなるわけではない。新・旧の住民が、仲良くやっているところもあるのだ。
そう、仲良くやっていくのに越したことはない。
が、買取・賃貸にかかわらず、古い町内にマンションの居住者として住む場合、
「近所付き合いなんてうっとおしい。私は知らない、勝手にやる」
式が通らないのが京都でもある。
通っていると思っているアナタ。
それはアナタが気が付かないだけです。キビシ〜イ視線が、評価が、ひそかにアナタの背中につきささってます。表に出てこないだけで…。

どうか、お互いに、うまくやってください。色々面倒なことも多いとは思いますが…。

さて、それはともかく。
著者は述べている。

都市計画も何もなく、皆が好き勝手に立てまくっている日本の街は汚い。
京都に建った京○ホテル、京○駅を見てごらん、と。
まさしく、その通り。
京○駅なんて、烏丸どおりの交差点から見たら、視界をさえぎるばかりで不愉快である。
「あのえらそうに建っている壁はなに?」
と思うほど。
京○ホテルを建てるために、高さ制限を取っ払った為、市内のあちこちで、狭い敷地にのっぽビルがあたりを睥睨して建つ羽目になった。
高いところに住めば、それだけでえらくなったような気になると、それを目当てに購入する人間が多いと踏んでのことなのか?
まあ、どうせ、「大文字焼きが部屋から見えるんですよ」とかなんとか、そのあたりがセールスポイントになるのだろう。(残念ながらすべての山が必ずしも京都市内中心部に向いているわけじゃあないが)

京都のお寺や有名旅館や料亭は、借景を利用しているところが多い。庭越しに、遠くの山や景色を自分の庭の延長線上に取り入れ、利用して、奥行き深く、美しく、広がりを持った庭に見せたりする。
街の真ん中からでもビルの隙間から山が見えるという土地ならではだ。

…著者曰く、某有名旅館の隣にコンクリートの建物(マンション)を建てようなどということ、これこそが、日本人が傍若無人に景観を破壊してきた、美的感覚の欠如の現れであると。

この件については京都でも話題になった。多分それのことを言っておられるのだと推察する。
某有名旅館の隣家は年寄り夫婦の住宅で、老後の生活のためにマンション経営を考えたのだという。勿論土地は夫婦のもので、法的には何の問題もない。
ところがここにマンションが建つと、某有名旅館の「借景」が崩れる。
この事実に、有名人・芸能人らがこぞって建設反対をした。京都市は両者の話し合いに任せると知らん顔。(まぁお役所はいつものことだ)

さて。この問題をどう考えるか、である。
馬鹿でかい京○駅、お寺の拝観拒否問題まで引き起こした京○ホテル、そして生活のためにマンション経営を考えた老夫婦。すべて一線上に並べて良いのだろうか?

「昔のままで残したい」「残っていてほしい」という希望は、観光客や京都を愛する人々だけでなく、京都人だって当然持っているのだ。
だが、そこに住む人々の生活はどうなるのだろうか?誰がどうしてくれるというのか?我々だって、自分のためには自分で改善するしかない。

一方で、あれはイカン、これはイカン、といいながら、叉一方で
「勝手にやりなはれ」
というのは、余りにも勝手ではないかと思うのだが…。

などと言うことを、本を読んでいて頭の中でぐるぐるぐるぐる渦巻いた、一日であった。
混乱してるかな…?






「ストリート・キッズ」中で(特に)笑えた一部分。

【ネルソン提督と言う人物は、トラファルガーの大海戦に勝利を収めることで、ナポレオンの魔の手からイギリスを救い、道路の間違った側を運転する権利を、すべての英国人に保証した。】

「わたしのイギリス あなたのニッポン」は、以前3冊よんで大変面白かった、高尾慶子さんという英国在住のオバサマのエッセイである。
書店でも平積みになっていたので、すぐに気が付いて入手。

続編が出るってのは、受けているのかな?
でも、エッセイってある程度過ぎると同じ事の繰り返しで、面白さも半減して行くシロモノである。
ほどほどのところで止まってくれるか、何処までも面白さを追求してゆくか…期待しつつも怖いと思う、複雑な気分である。
最初に事件ありき。

そして、探偵業(らしきもの)の訓練をさせられるくだりが、中間に長く取ってあるのが面白く読ませてくれる「ストリートキッズ」
訓練方法も、尾行の仕方、その反対の頭行の仕方(想像付く?)、探し物の仕方…と、実に多彩で面白い。本当に実践で役に立つのかな。試してみようかと言う気にもなってくる。(犯罪かな?)

時々戻ってくる本筋に、「ああそうだったね」と気づかされる。でもすぐに叉「過去」の描写に気をとられてしまう。
その構成も面白いが、なによりいいのは主人公とその周辺の人間の掛け合い万歳とも言える会話であろう。

創元者推理文庫はなかなか変わった本が多くて好きだな。
というか、私好みの本をそろえていると言い換えるべきかな。
ドン・ウインズロウは初読。
でも結構面白い。なかなかやるおじさんである。

はじめ、ニューヨークのストリートキッズ、すなわちマフィアだのヤクだのギャングだの、現代アメリカのハード(過ぎる)部分を前面に押し出していたらどうしようか、夏ばてでへばった神経でついていけるだろうかと心配したのだが、単なる杞憂であった。
くどくも脂っこくもない文章。
これは、訳者の功だけに帰すわけには行くまい。
まだ事件のさわり部分だが、既にストーリーにしっかりひっつかまってしまっている。

10代後半で人生の暗黒部分を経験するなんて、頼まれてもいやだと思うのだが、こんな状況はなにもアメリカに限ったものではない。

現代の若者達は生き急いでいるのだろうか。
それは死に急ぐということにほかならないのだと、わかっているのだろうか。
企業の創業者の名前がやたら出てくると思ったら…「歴史の活力」はビジネスマン向けの本だったのね。
まるで「プレジデント」のような。

ま、平社員が読んでも読める本です。
面白い。
気持ちに引っかかった言葉をひとつ二つ…。

【小人の過つときは必ず文(かざ)る】

ー小人が失敗すると必ず言い訳する

【衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す】

ー評判の悪い人物でも,良い人物でも,必ず自分で見聞して評価する

【与(とも)に言うべくしてこれといわざるときは、人を失う。与に言うべからずしてこれを言うときは、言(ことば)を失う。】

ー語るにたる人物であるのに、語り合おうとしなければその人を失う。また、語るに足らない人と話しても、言葉の無駄である(←キツイ)

             (論語より)


賢あって知らざるは一不祥なり
知って用いざるは二不祥なり
用いて任ぜらるは三不祥なり

             (晏子春秋より)


よく人材を見極めて活用しなさいという、経営者への訓戒だが…見極められるほうも辛い気が。
ー知る者は言わず、言うものは知らず

ああ、耳に痛い。おしゃべりは知恵がないもののすることだという故事である。

HPの書き込み(おしゃべり)も舌がまわりすぎるのは、中味がないということ?

ー天才とは努力し得る才なり

努力し得る…努力することができる。それが天才。
黙っていても、座っていただけではどうにもならないということ。


沈思黙考
不言実行

なかなかそうは行きません。


犬好きの貴方に…おお、私のことかいな、と本を開ける。
有るわあるわ、犬グッズが。
ああ、いいなあこれ。値段も販売元も紹介されてます。
通信販売のカタログ?
うにゃうにゃ(いやいや)、著者の石黒氏が自分で集めた好きなものを、ご紹介。ほしがる方のために値段やら何やらもご紹介されているというわけで、どちらかといえば写真集…かな?

にやにやしながらもあっという間に読めてしまったので、宮城谷昌光氏の「歴史の活力」へ。

コンプレックスは人を成長させる。

うん、確かにね。中国の英雄は異相が多い。他人とは違うコンプレックスが、彼を発奮させ、精神を鍛え、並みならぬものへと成長させる。

…なるほど。

そう考えますか。

相変わらずこの方の文章は面白い。そして考えさせてくれる。
借りた本だけれど、自分で買ってしまいそうな予感がするのであった。

標題は深い意味はありません。
円紫師匠のシリーズから彼の本を読み始めた私などは、作者はてっきり「女性」だと決め付けていたものです。
そのシリーズを紹介した友人も「女性だと疑わなかった」と申しておりました。

女性の感性をもった作家さんなんだろうかと、そんなことを感じておりました。
されには反するかのように、この「水に眠る」の短編集は、そこかしこに書き手の「男性」を感じました。

「そんなんあり?」
と思うような話もあったけれど、総じて「やっぱり一味違うなぁ」と、そう思ってしまう。
中ではアルバイトの女子高校生が生き生きと明るい「はるか」、
妻の妹とのほろ苦いかすかな心の交流を綴る「ものがたり」が好きです。
一妻二夫制をコミカルに扱った「矢がみっつ」も洒落が利いていて(利きすぎ?)面白い。
でも二人も旦那がいたら、手間がかかってうっとおしくないのだろうか?とか考えてしまいます。
怖いのはいかにも未来にありそうな、他人拒否・自分中心の「くらげ」や、
喪失感の哀しい「かとりせんこうはなび」ですね。
…言ったら怒られますね。

相変わらず、北村氏の作品は、涼やかな風が体の中を通り過ぎて言ったような感覚に陥って、実に気持ちが良いのです。

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