「イギリス人はおかしい」ゲット!
2003年7月7日寄り道して、回り道して、高尾慶子を又読み始めている。「イギリス人はおかしい」は彼女の第一作エッセイ。
先に呼んだ「イギリス人はしたたか」の語り口調が面白かったので、わざわざ注文・取り寄せまでしてしまった。まさしく自分から大きく動いてゲット!した本である。
彼女の場合、ハウスキーパーとして家庭内に深く入り込んで生活した経験ゆえに、留学や転勤など「あくまで日本というハコの中にいる」のとは違う目で、イギリスを見据えることとなったのだと思う。
実に楽しい。
なんだかんだ言いながら、彼女が書くのも私が読むのも、かの国を「気に入っている」からなのだと思うと、やっぱり笑える。
人間って面白いなぁ。
先に呼んだ「イギリス人はしたたか」の語り口調が面白かったので、わざわざ注文・取り寄せまでしてしまった。まさしく自分から大きく動いてゲット!した本である。
彼女の場合、ハウスキーパーとして家庭内に深く入り込んで生活した経験ゆえに、留学や転勤など「あくまで日本というハコの中にいる」のとは違う目で、イギリスを見据えることとなったのだと思う。
実に楽しい。
なんだかんだ言いながら、彼女が書くのも私が読むのも、かの国を「気に入っている」からなのだと思うと、やっぱり笑える。
人間って面白いなぁ。
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浮気ゴコロで「星と伝説」(野尻抱影著)
2003年7月6日星を観るのは重要である。
視力回復のために…だけではなく、古来、星を見て、天空の異変(流星や月食や日食や)を読み取り「先に述べる・予告する」ことが、無知な人民を安堵させ畏怖させて支配するために必要不可欠なものであったのだ。
卑弥呼しかり、諸葛孔明しかり、はるか太古の世界中の為政者たちが優秀な星の観察者であったり、そういう人間を手元においていた。
星を見て、天候を見て、農作物や狩の獲物を確保できるよう、属人が飢える事のないようにしてこその支配者であったのだから。
失敗したら、支配者ではなくなる。力を失うというのはそういうことだ。極端な例では力を失えば神(天)への贄として命をとられることもあった。
星を観る事に関しては、西洋も東洋もさして差はない…と言うわけで、本書は西洋における星にまつわる神話・伝説だけでなく、それを日本や東洋の伝説・神話に比較する。
特に中国の伝説は興味深い。
南斗・北斗を読んで、つい「…一子相伝…」とか呟いてみたり、読み手の邪悪な頭の中ではなかなか素直に入ってこないが、疲れたときに浮気心で拾い読みするにはちょうど良い一冊である。
視力回復のために…だけではなく、古来、星を見て、天空の異変(流星や月食や日食や)を読み取り「先に述べる・予告する」ことが、無知な人民を安堵させ畏怖させて支配するために必要不可欠なものであったのだ。
卑弥呼しかり、諸葛孔明しかり、はるか太古の世界中の為政者たちが優秀な星の観察者であったり、そういう人間を手元においていた。
星を見て、天候を見て、農作物や狩の獲物を確保できるよう、属人が飢える事のないようにしてこその支配者であったのだから。
失敗したら、支配者ではなくなる。力を失うというのはそういうことだ。極端な例では力を失えば神(天)への贄として命をとられることもあった。
星を観る事に関しては、西洋も東洋もさして差はない…と言うわけで、本書は西洋における星にまつわる神話・伝説だけでなく、それを日本や東洋の伝説・神話に比較する。
特に中国の伝説は興味深い。
南斗・北斗を読んで、つい「…一子相伝…」とか呟いてみたり、読み手の邪悪な頭の中ではなかなか素直に入ってこないが、疲れたときに浮気心で拾い読みするにはちょうど良い一冊である。
荒俣宏の「陰陽師」
2003年7月4日好きな題材なのでいくつか本は読んでいる。しかしどこもかしこも「晴明サマ」だ。本家の晴明神社では映画の原作者や出演者や監督の絵馬までずらりと飾って観光客を出迎えている。
周りにお店もずいぶん増えた。
大きな通りからは少し引っ込んでいるので分かりにくい神社だったが、去年行ったときには、狛犬とならんで一条戻り橋のレプリカなんぞがあったりして、ついつい笑ってしまった。
そして行くたびに何やかや新しくなっている…結構なことで。
さて、荒俣宏氏の「陰陽師」は、平安時代が過ぎて、「晴明サマ」の子孫たちが地方に散ってどのように術を使ってきたか、明治の廃仏毀釈でどのように生き延びたのか、民俗学のフィールドワーク的な著述であるらしい。らしい、というのはまだ三分の一ほどしか読めていないからだ。
衣冠束帯の「スマート」で「すいたらしい」陰陽師ではなく、太鼓をたたいて万歳の如く声を上げ、まるで恐山のイタコのように振舞った近世・近代の陰陽師の姿が浮かんでくる。
それでは却って興味もわくというものだ。
まるで田舎の「アヤシイ祈祷師・占い師」か「新興宗教の教祖サマ」みたいで…面白い。
周りにお店もずいぶん増えた。
大きな通りからは少し引っ込んでいるので分かりにくい神社だったが、去年行ったときには、狛犬とならんで一条戻り橋のレプリカなんぞがあったりして、ついつい笑ってしまった。
そして行くたびに何やかや新しくなっている…結構なことで。
さて、荒俣宏氏の「陰陽師」は、平安時代が過ぎて、「晴明サマ」の子孫たちが地方に散ってどのように術を使ってきたか、明治の廃仏毀釈でどのように生き延びたのか、民俗学のフィールドワーク的な著述であるらしい。らしい、というのはまだ三分の一ほどしか読めていないからだ。
衣冠束帯の「スマート」で「すいたらしい」陰陽師ではなく、太鼓をたたいて万歳の如く声を上げ、まるで恐山のイタコのように振舞った近世・近代の陰陽師の姿が浮かんでくる。
それでは却って興味もわくというものだ。
まるで田舎の「アヤシイ祈祷師・占い師」か「新興宗教の教祖サマ」みたいで…面白い。
「管仲」下巻突入
2003年7月3日人事を尽くして天命を待つ…
宮城谷氏の作品にはいつもそれを感じる。
苦労をすれば報われる、という簡単なことばではない。
若いうちに苦労をしろ、というのでもない。
人は生きるためにあがくが、どんな底辺にあがこうとも、志とまなざしは常に「天」を見据えろ、と言われているようで、励まされているようで、すこぶる気分が良くなる。
この人は言葉を大事にする人だと思う。
見習いたいが、見習えるだろうか?
「気」を正すために、時々は宮城谷作品を読んだほうが良いのかもしれない。
宮城谷氏の作品にはいつもそれを感じる。
苦労をすれば報われる、という簡単なことばではない。
若いうちに苦労をしろ、というのでもない。
人は生きるためにあがくが、どんな底辺にあがこうとも、志とまなざしは常に「天」を見据えろ、と言われているようで、励まされているようで、すこぶる気分が良くなる。
この人は言葉を大事にする人だと思う。
見習いたいが、見習えるだろうか?
「気」を正すために、時々は宮城谷作品を読んだほうが良いのかもしれない。
写真集「ルーマニアの赤い薔薇」
2003年7月2日緑、森、土の道、古い家屋、教会、茶色い屋根、農作業、
昔ながらの生活、
リボン、刺繍、ビーズ、レース、お下げのみつ編み、民族衣装、
真っ赤な薔薇が輝き咲き誇る、
迫力のある写真集です。
思わず眠気が吹っ飛びそう…。
昔ながらの生活、
リボン、刺繍、ビーズ、レース、お下げのみつ編み、民族衣装、
真っ赤な薔薇が輝き咲き誇る、
迫力のある写真集です。
思わず眠気が吹っ飛びそう…。
満を持して…久々の 宮城谷 昌光作品。
2003年7月1日「管仲」に手を出した。全2巻のうちまだ1巻目の半分ぐらいかな。
久々の宮城谷作品である。管仲は前にも出てきたが、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされてゆく宮城谷作品にあっては珍しいことではない。
長い春秋戦国時代とはいえ、人と人との交流は勿論存在する。時代が離れていても「先人」として注目される。又注目されるだけの活躍をしている。
「暗記するだけ」などという誤解を受けやすい歴史学であるが、歴史は実際に生きた人間が作り上げたものであり、いま尚生きる我々に影響を及ぼすものである。
たとえば自分の過去が今の自分を創るように、今ある自分に、そして自分が生きるこの世界に、何らかの影響を必ず与えているものなのだ。
時間を越えた人と人のつながり、その深さを、歴史を知ることの面白さを、宮城谷作品はいつも与えてくれる。
さて、この「管仲」はどうだろうか。
非常に楽しみである。
久々の宮城谷作品である。管仲は前にも出てきたが、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされてゆく宮城谷作品にあっては珍しいことではない。
長い春秋戦国時代とはいえ、人と人との交流は勿論存在する。時代が離れていても「先人」として注目される。又注目されるだけの活躍をしている。
「暗記するだけ」などという誤解を受けやすい歴史学であるが、歴史は実際に生きた人間が作り上げたものであり、いま尚生きる我々に影響を及ぼすものである。
たとえば自分の過去が今の自分を創るように、今ある自分に、そして自分が生きるこの世界に、何らかの影響を必ず与えているものなのだ。
時間を越えた人と人のつながり、その深さを、歴史を知ることの面白さを、宮城谷作品はいつも与えてくれる。
さて、この「管仲」はどうだろうか。
非常に楽しみである。
痛快!銀のヴァルキュリアス!
2003年6月30日漫画である。
さちみりほという女流漫画家の「銀のヴァルキュリアス」を1巻と2巻と手に入れて読む。
さすが!さちみん!
といいたくなるほど小気味良いテンポに嬉しくなる。彼女の作品では「夢やしきへようこそ」に勝るものはまだないが、それに次ぐぐらいの位置にこの「銀の…」はつけられるだろう。
何と言ったって、女が世の中を支配するのだ。しかも、パラレルワールド広しといえど、ココまで徹底して男が虐待されている話があろうか…というぐらい、気の毒なぐらい、男性陣は卑屈な環境にあるのだ。
男は体力だけ。あ、それと子孫(しかも女!)を作るためにだけ存在するらしい。
知恵があって社会を統率する能力があって、戦士として戦う勇猛さがあるのはぜ〜んぶ女だ。
こき使われて、使い捨てされて、狩の獲物になったりするのはぜ〜んぶ男だ。
まあ、ヴァルキュリアス(女戦士)なんて題名を聞けば、怖いお姉さんたちが一杯出てくるであろうことは十分察しが着くようなものだが…
誰よりも"男らしい"ネストラ隊長に、男性ファンが付くのも分からんでもないが…"あなたの馬になりたい"はやめてほしい。冗談でも。
さちみりほという女流漫画家の「銀のヴァルキュリアス」を1巻と2巻と手に入れて読む。
さすが!さちみん!
といいたくなるほど小気味良いテンポに嬉しくなる。彼女の作品では「夢やしきへようこそ」に勝るものはまだないが、それに次ぐぐらいの位置にこの「銀の…」はつけられるだろう。
何と言ったって、女が世の中を支配するのだ。しかも、パラレルワールド広しといえど、ココまで徹底して男が虐待されている話があろうか…というぐらい、気の毒なぐらい、男性陣は卑屈な環境にあるのだ。
男は体力だけ。あ、それと子孫(しかも女!)を作るためにだけ存在するらしい。
知恵があって社会を統率する能力があって、戦士として戦う勇猛さがあるのはぜ〜んぶ女だ。
こき使われて、使い捨てされて、狩の獲物になったりするのはぜ〜んぶ男だ。
まあ、ヴァルキュリアス(女戦士)なんて題名を聞けば、怖いお姉さんたちが一杯出てくるであろうことは十分察しが着くようなものだが…
誰よりも"男らしい"ネストラ隊長に、男性ファンが付くのも分からんでもないが…"あなたの馬になりたい"はやめてほしい。冗談でも。
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高田崇史 初読!
2003年6月29日「百人一首の呪」を読了、続いて「六歌仙の暗号」に取り掛かる。現在半ばまで読めた…かな。
前者は、百人一首を、曼荼羅図に見立てて並べて見せるという、凝った嗜好が面白かった。が、実際に説明しながら並べるくだりは読み飛ばす。
きっちり読んでもなぁ(笑)ふぅ〜ん、と字面を追うだけだし。
お菓子屋で、包みに百人一首の歌を一枚の風景画に見立てているものがあるのは知っていたが、それも百人一首の解釈のひとつであるとのこと。
あの歌の選び方にそんな深い意味が隠されているとは思いもよらなかった。
正月の歌留多取りぐらいにしか考えていなかったから…。
そういえば、何かと問題になる「君が代」も、三十一文字に収まるんだよね。
友人宅で正月に行われる恒例の歌留多取り大会では、いつもその歌で始まるのであった。
現在読んでいる「六歌仙…」は、京都が舞台。
はっきり言って生活圏内だが、おまけに縁の深いお寺がしっかり出てくる。(親戚が檀家である)余りいい書かれ方はしていない…。
「魔都」だとか、「妖魔の棲家」だとか、挙句は「600歳の老婆が棲む…」とか、好きなことを言われるのにはいい加減慣れているが、「私らは一体どんな土地に住んでいるんだ?」と首をひねることもある。
シリーズものなので、両本は登場人物がダブっている。探偵役も同一人物である。
理系の人間なのに文学・歴史に造詣が深い…元々理・文と分けるのがおかしいとのたまう探偵役ではあるが、余りに「詳しすぎる」のも、いかにも「作られているな」と、胡散臭く感じてしまうものなのだが。
「六歌仙の暗号」無事読了。
百人一首と同じようなパズル解き。考え方は面白いが、「推理小説」という感じではない。犯人は勝手に自滅しているような印象がある。
不本意な死に方の人間の怨念を封じ込めるため、祟りを及ぼさないために神に祀る…というのはよく聞いたが、百人一首や七福神でそれをやるのか…。単なる恋愛歌・自然賛歌として楽しめないのかと思うと恐ろしい。
「京都魔界案内」は怪しいもの専門の小松和彦氏の著書である。
氏の著書で一番印象深いのは、中国で新婚さんのお弁当(麺類)を横取りしていた狛犬の妖怪が、農民たちに追われて逃げ帰る。が、狛犬の口からだらりと垂れた麺に正体がばれて退治されてしまうという話。(概略)
正体がばれると化けられなくなるのだそうだ。
しかし、京都ってそんなにアヤシイトコロだと思われているのだろうか?
火を噴く御所車みたいなのが、時々走り回っているよ、と「見える」人から聞くぐらいなんだけどな。
そんな魔都に平気で住んでる私らも、もしかしたら妖怪なのかも。
前者は、百人一首を、曼荼羅図に見立てて並べて見せるという、凝った嗜好が面白かった。が、実際に説明しながら並べるくだりは読み飛ばす。
きっちり読んでもなぁ(笑)ふぅ〜ん、と字面を追うだけだし。
お菓子屋で、包みに百人一首の歌を一枚の風景画に見立てているものがあるのは知っていたが、それも百人一首の解釈のひとつであるとのこと。
あの歌の選び方にそんな深い意味が隠されているとは思いもよらなかった。
正月の歌留多取りぐらいにしか考えていなかったから…。
そういえば、何かと問題になる「君が代」も、三十一文字に収まるんだよね。
友人宅で正月に行われる恒例の歌留多取り大会では、いつもその歌で始まるのであった。
現在読んでいる「六歌仙…」は、京都が舞台。
はっきり言って生活圏内だが、おまけに縁の深いお寺がしっかり出てくる。(親戚が檀家である)余りいい書かれ方はしていない…。
「魔都」だとか、「妖魔の棲家」だとか、挙句は「600歳の老婆が棲む…」とか、好きなことを言われるのにはいい加減慣れているが、「私らは一体どんな土地に住んでいるんだ?」と首をひねることもある。
シリーズものなので、両本は登場人物がダブっている。探偵役も同一人物である。
理系の人間なのに文学・歴史に造詣が深い…元々理・文と分けるのがおかしいとのたまう探偵役ではあるが、余りに「詳しすぎる」のも、いかにも「作られているな」と、胡散臭く感じてしまうものなのだが。
「六歌仙の暗号」無事読了。
百人一首と同じようなパズル解き。考え方は面白いが、「推理小説」という感じではない。犯人は勝手に自滅しているような印象がある。
不本意な死に方の人間の怨念を封じ込めるため、祟りを及ぼさないために神に祀る…というのはよく聞いたが、百人一首や七福神でそれをやるのか…。単なる恋愛歌・自然賛歌として楽しめないのかと思うと恐ろしい。
「京都魔界案内」は怪しいもの専門の小松和彦氏の著書である。
氏の著書で一番印象深いのは、中国で新婚さんのお弁当(麺類)を横取りしていた狛犬の妖怪が、農民たちに追われて逃げ帰る。が、狛犬の口からだらりと垂れた麺に正体がばれて退治されてしまうという話。(概略)
正体がばれると化けられなくなるのだそうだ。
しかし、京都ってそんなにアヤシイトコロだと思われているのだろうか?
火を噴く御所車みたいなのが、時々走り回っているよ、と「見える」人から聞くぐらいなんだけどな。
そんな魔都に平気で住んでる私らも、もしかしたら妖怪なのかも。