えーと。

前のストーリーをしっかり失念してしまっているので、なにがなにやら(笑)
おおそうか、穢れのせいで、八人の従者が役立たずになってしまったのであった…この状態で、神子がいかにして戦うのか?
というのが命題であった。

武力的にはどう考えても無理だわな。
精神力=強い思い(込み)でのりきらんとしゃーないが。
出来るのか?

敵の首領・アクラムの恥ずかしい過去も知ってしまったし…(笑)
するとなにかね?
人間をせん滅して自分が世界(というても京都を中心とするちっぽけな世界だが)を支配すると豪語するのは、やっぱりこれはやつあたりかね?

ええ~これで最終巻なんですか!?
ひどいよ~

ついでにひどいよ、この終わり方も。

って最後の"まとめ"には賛否両論あるようですが、きらきらおめめの炎尾燃はいやだなー視覚的に。
読者に見せ始めた夢は最後まで見せる、というのは確かに漫画家の責任の取り方(?)かもしれないが、超えた一線は雑誌とか読者とか原稿とかではなく、自分の中にあるものだと思うわけだ。

「錬金術」という言いかたはうまいなぁ、と思ったけど(笑)

もっとも、脱皮を続ける漫画は、これからどこへ行くかわからない、というのも確かにそうなんだろうね。
今の漫画ですら、私が夢中で読んでいた学生時代に比べれば随分様変わりしているんだし。

しかし、何と言ってもこの漫画自体が終わるのがいやだなー。
新々燃えよペン、とか言って復活しないだろうか?

あらあらうわうわ~って巻ですか。
凄いね。
化けたね。

キリストの、神の愛ってなに?
を突き詰めるとそうなってしまうのだろうか…面倒くさい宗教(ごめんなさい)だ。
わたしなんか仏教徒だが、のんきなものである。

「けちんぼ」トルフィンは、戦好きの大男・トルケルの親戚で坊ちゃんだし(笑)なんか…まあ複雑な人間関係ではある。
トルケルがあのパワーで50歳っていうのも驚異だよな。
あの時代、あれほど元気であれほどパワフルな50歳って……ありかい?

すごいなぁヴァイキング…。

ひたすら感嘆のストーリーである。


そして、心をきめて父王に喧嘩を売りに行く王子様もなかなかのものだ。
へんな軍団メンバーだけどさ。
普通の写真集なら要らない、と思ったけど、CMのコンテや裏情報が入っているという言葉にそそられて買ってしまったのだった…。
確かに入っていた、ちょっとだけだけど。

まあいいか。
犬は好きだし。
日本犬は特に好きだし。

微妙にセリフが違ったり、カイくん(お父さん)のアドリブ(!)で変わったりしたCMもあったのだな、とその芸達者ぶりには驚く。
まあ犬も好奇心は強いのだから、目の前に置かれた携帯を触ってみたくもなるだろう。

できることならあのCMをまとめてDVDにしてほしいものだ。(出演者全員のOKがいるらしいので大変なことらしいが)
友人から借りました。
まだ出たところ…のようで、中身は短編集。
8作がおさめられている。

短編集とはいえ、本当に短い(准教授が語り手で数ページで終わる)ものあり、結構読ませるものあり…。

出来は上々♪
面白かった。

表題は、「華があるから」とその中の一編を選んで表題とした、ということだけど、私の好みとしては違うかな。

鸚鵡を使うトリックは、すごいというか呆れた(笑)
いや、著者にではなく犯人に、ですけど。
具合の悪い時に、一番癒されてる本です。

今みたいに…。

この本を読むたびに、私も路上観察者にならなきゃ、と思うこと数度。
未だに成れてませんが。
鮨屋ですか…


最近、というか近刊二冊は内容にも随分余裕が出てきたな、というか読みやすくなったと思う。
以前はえぐさばかりが先行していたから、面白いんだけどね…と躊躇することもあったのだ。

この巻は…ああ!
読み返すほどにカリー(カレーではない)が!!
カリーが食べたくなる!!


この執事の出してきた"作品"の落ちには大爆笑。

19世紀後半のアメリカ西部。
それは乾いた土地。
インディアンと牛とバッファローと馬とカウボーイと列車強盗…。(発想貧困)

パワフルで直接的で厳しくて、生きてゆくのが目いっぱい精一杯な、皆が命を削る場所。

そんな場所にホームズが。
シャーロック・ホームズが。
いな、ホームズにあこがれホームズのようになりたいと思うカウボーイが現れたら。(しかも文盲)

ドイツ移民のグスタフとオットーのアムリングマイヤーは、モンタナにいた。
その地にある、英国貴族所有の牧場<カントルミア大牧場>通称<バー・VR>に、牧童として雇われた…んじゃなかったっけ?
というぐらい、建物の修繕だの地所の修理だのばかりさせられている。
しかもカウボーイには命の次に大切な腰のもの(拳銃)を取り上げられて。
牧場内には"立ち入り禁止地区"ばかりがあり、おかしい・不思議を口にする牧童だちであったが、そこへ事件が起こる。
ひとつ・ふたつ…。

事件が、しかも殺人事件が続けば、西部のホームズ・グスタフ・マムリングマイヤーも黙ってはいられない。
タダでさえ食指の動く舞台設定である。

語り手は弟のオットーである。
彼は一族がまだ元気だったころ、つまり洪水に飲まれて全滅する前は、一族の期待を背負って街で事務員をやるぐらい、"勉強のできる男の子"であったのだ。
つまり、他の兄弟姉妹と違って、文盲ではないということだ。

唯一残った兄・グスタフは、弟を西部に受け入れ、面倒を見、その代りに弟は兄の目となった。
つまり文字を読む。
ホームズの連載が載っていた雑誌<ハーバーズ・ウイークリー>を読んで聞かせるのは彼の役目であった。

"ホームズのやり方"を学んだグスタフが、バー・VRの事件の解明に乗り出す。
まさにその所有者たちが英国本国から視察にやってきたのはその時だった。


いろんな人種が移民していること。
忘れてしまいそうだけど、アメリカってそういう国だよね、と改めて思うこと。
そして意外…ではないけど、こんなところまで英国の植民地(?)(笑)経営の手が伸びていること。
そうかー、アメリカでの牧場経営にまで手を出していたのか~英国人がね、と思うのは、1860年代ってまだまだインディアンとの抗争も盛んで、かのカスター大佐の第7騎兵隊の全滅も、その頃だったはず。
だいたい騎兵隊というのが、南北戦争で勝利した北軍で構成されていると聞いたから、その存在自体がそれ以降って事だしね。
南北戦争のおかげで、まっさきに極東の島国の(錆びついて?)かったーい扉を無理やりこじ開けたアメリカが、その後の競争に遅れをとってしまったというぐらいだから。

意外な舞台に意外な探偵役。
こういうのもありなんだなーと楽しく読めました。
西部劇大好きな私としては、いろいろいろいろ映像が頭に"勝手に"浮かんだりして。
真相もラストの幕引きも…なんだかな、でしたが。
女は怖いわ…やはり。
いや、おやじが悪いのか、やはり。
三田村刑事は困っていた。
両親亡きあと自分と姉の二人を育ててくれた叔父と叔母が、旅行先の四国で行方不明になったというのだ。
知らせを届けたのは、いとこのあやかで、事情が事情だけに上司の許しも出て、二人は四国へ旅立ったのである。

…という出だしで始まる珍道中。
実は叔父と叔母は…という陰謀(?)から、実はあやかは…という裏事情。
そこへ身に覚えのない秘密宗教組織や殺人事件が何件も重なって…
わけがわからん、な三田村刑事である。

ひとつ片付けば、あとは糸を手繰って解決へと進むのではあるが。
スラップスティック的などたばたに近いシーンもあり、「おいおい」と苦笑するしかない話もある。

それにしても、この作者の頭の柔らかさには恐れ入る。
ラストを読んで、特にそう思う。


オウム以来、宗教団体の妖しさとか怖さはなにかにつけて取り上げられる。
特に推理物とかサスペンスものには格好の題材だ。
なぜなら、「そんな馬鹿な」と思っていた国民が、いまでは「あり得るな」と作中人物と気持ちを共有できるからだろう。
逆に宗教団体にとってはこの事態はネックだろうとはおもうが…一度芽生えた不信感をぬぐうのは難しい。

狂信者、って本当に怖い。
何においてもそれは言える。
こわいですね~いやですね~
殺戮し放題ですね~

…って、ヴァイキングの侵略と戦争の話だからね、仕方がないのだ。

話に聞いていた"爪切り"のシーンはやはりえぐかった。
しかしあんなにすっぱりと切れるものかね?
感心しちゃうよ、私は。


村人を皆殺しにした(つもり)のアシェラッドの軍(群?)であったが、たった一人の生き残りのため、その居場所がばれてしまった~しかも、化け物もとえトルケルに。
追いすがる戦争大好きトルケル。

ツキが落ちたアシェラッド軍は、内部分裂。
手下たちの裏切の気配も濃厚になってゆく。
…勝てりゃ大将、でなければ見捨てられるんだね。
ま、大将にツキが無くなったら全滅するからね。
まるで昔のヨーロッパの占い師(=指導者)みたい。
天気が読めない(異常気象とか)、食糧が足りない(不猟とか)、等々の"失政"は、その身をもって償ったとされるからね。


で、彼はつい(?)言ってしまうのだった。
「デーン人は大嫌い」
と。

あれあれ…まぁ。

亡き母親の、うわごとのような話をそのまま信じたアシェラッドの、意外や意外な純情さも出てきて、おや?と思わせるが、なにしろトルケルがあの有様なので、どのようにストーリーが展開するか、ひっくり返るか分かったものではない。

そしてあの王子様には意外な特技が…!
王様には不向きでも旦那にするにはベストかも。

王子さまの保護者のラグナル退場…はちょっと残念かな。
キャラクターとしては面白かったんだよね。
料理も上手だし。
アシェラッドにラグナルの代わりが務まるかなぁ?(笑)


巻末におねーちゃんの漫画がなかったのが残念です。
友人から借りた本がとっても面白かったので、自分でも買ってみた。
去年の話である。
ネットの古本屋で"全5巻"って書いてあったんだよ、全、って。

確認しなかった私も悪い。
ネットで調べとけばよかった。
でももう絶版だとかで早く注文しなくちゃ!と焦ったんだよね。

…6巻がないやん。
全5巻ではなく、全6巻やんか。

それってちょっと…ちょっとちょっとやないの?
だまされた気分。

いいわけはなんとでもできるけど、誠実じゃないよな~普通1~5巻、とか書かないかな?
全冊そろって初めて全〇巻って書くと思うよ、私は。

それがまあなんとか、三つ子の魂百までも、でつい先日手に入れた。
これまたネットの古本屋さんで、6巻だけバラで売ってくれた。
良かった~♪
待てば海路の日和あり。

ラストがないとしまらないよね、小説も漫画も。

実際にシチリアのマフィア…じゃなくてシチリアの貴族だった著者。
彼が描くのは、150年ばかり前のシチリアの社会だ。

1860年ごろ。
ナポレオン三世の影響を受け、小国が乱立していたイタリアを統一したエマヌエーレ2世とガリバルディ将軍と赤シャツ党。
旧弊の貴族社会はそれで揺れ動いただろうか。

シチリアで大き影響力を持つサリーナ公爵家においてはそれはさほどの変化ももたらさなかったように見えた。
現当主であるドン・ファブリーツィオの支配下にある、山猫の"血"に支配された一族は、いつものように礼拝を、いつものように食事を、いつものように埃と熱暑の中を別荘への旅に出る。

何も変わりはしない……果たしてそうだろうか?

イタリアの統一。
新興勢力の台頭。
古い因習(?)の消滅。

その中で、公爵はただ黙って時代を受け止める。
その思考は深く、新しい時代への希望を持つわけでもないが絶望に支配されるわけではない。
自然が人間を痛めつける地・シチリアの土の上に生まれ生きてきた"山猫"一族は彼を以て最期を告げる。
彼はそれを知っている。

シチリア貴族は誇り高く自分が完全であると思っているがゆえに、他者を受け入れはしない。
変質・変化・発展をしようとはしない。
公爵はそう論じる。
だから、新興勢力(所謂成り上がり)が、これからのシチリアを変えてゆくだろう。
だがそれは、もうシチリアではない、と言いたかったのだろうか?


シチリアといえば、マフィアという。
それは彼の地の、あまりにも酷薄な自然が人間に強いた結果であるのかもしれない。
砂漠の民は厳しい戒律に生きる。
そうでなければ生きては行けないから。
シチリアもまた、同じなのだろうか。
だから一族の絆をとても大切にするという。

昔々。
学生時代に、イタリア会館といい、映画館でもない場所で、「山猫」の映画を見た。
とにかく煌びやかで、美しくて、迫力があった。
ストーリーはほとんど忘れているのに、埃の道を延々と馬車で移動するしんどさと、舞踏会でのシーンは忘れられない。

ショーン・コネリー(と私は思いこんでいたけど、バート・ランカスターだったそうだ;情報提供・ボースンさま)が、アラン・ドロン扮する甥の婚約者とワルツを踊るシーンだ。
アラン・ドロンがなんぼのもんやねン?というぐらい綺麗だったし迫力があった。
素敵だったな~♪


それに比べると。
この本。
修辞が多くて読むのがしんどい(笑)
お貴族様の話だから…書き手もお貴族様だし…何のことを言われているのか想像がつきづらかったりもするし…もっと淡泊に書くわけには…行かないんだろうね。
修辞があってこそのこの小説の味であり魅力であり思いであるのだろうから。
妹が買っている漫画なのだが……
前3冊に比べると、セリフや設定、間の取り方、ストーリー展開やこまごました物、が落ち着いてきたように感じる。
上達してきた、と見るべきなんだろうな。
プロの漫画家は、絵が上手なだけではだめだからね…。
読ませる、楽しませる、それが大事。

インドの王子様登場。
大英帝国のもとでほそぼそ(でもないか?)と繁栄している超大国である。

なんとカーリー神を崇めてらっしゃる…いえいえ、信仰は自由ですとも。
しかしカーリーかい。
まぁ、鬼子母神信仰と思えばいいか…。

その従者が"神の右手"…ってこんな風に言うと、キリスト教になってしまうのでやめた方がよさそう。
しかしその手が生み出す美味しいカリー(カレーではだめなようだ)は、ぜひとも食したい!
そう思うのであった。

お腹が弱いくせに、香辛料の利いたもの、大好きです。
香辛料好きとやたら辛いだけのが好きは、イコールではないのでね。


あれ?
次の巻、もうすぐ出るんや~。

円空の描いた仏画をめぐって、欲深い人間たちが暗躍する。

ごくごく普通のサラリーマンが、ふとした幸運に恵まれたことで、血なまぐさい世界を垣間見ることになった。
裏の世界の美術品収集家の、人の命を羽よりも軽く見るその酷薄さに対抗するために、彼らは力を合わせることとなったが…。

お伊勢参りに偽装して、誘拐・殺人劇を企画する。
単なるサラリーマンでしかない素人が、闇の住人を騙すために打った芝居を十津川警部が暴いてゆくのだが、力に対抗するために力、金に対抗するために金、と、ミイラ取りがミイラになったような感じでもある。

いかに義憤とはいえ、殺人は殺人。
一線を越えてはならないのは人としての道。

たかが美術品。
そのものが命を持つものではない。
見るものが、人間が勝手に命を吹き込み価値をつけているだけのことだ。

生きている命に勝るものではない、と昔からこの手の小説・テレビで訴えられてきたものだが…。

伊勢志摩は。
「三重」という感じではない。
三重の方には悪いんですけど。
お伊勢さん、は関西の小学校の修学旅行の定番であった。
少なくとも私の時代までは。

ミキモト真珠工場を見学したり遊覧船に乗ったり、翌朝は早起きして二見が浦で日の出を見ながらラジオ体操…嗚呼、よく覚えている。
お土産は"もずく"と"赤福餅"だったな。
赤福は京都駅にも売っているのを後に知って、「え~?」と思ったものだ。

お伊勢さんには会社からもお詣りした。
創業100周年記念だったかな?
節目だということで…赤福餅は買わなかったけれど。

スペイン村は思ったよりも面白かったな~。
フラメンコ、とか見せてもらったしな。
あと、家族でスペイン村へ行って買ったやたら大きな陶器のお皿は、パスタ料理に非常に便利だ。
警視庁捜査一課の片山刑事が死体で発見された。
しかも彼の命を奪ったであろうナイフには、近くのマンションで惨殺されたホステスの血が付いていたのだ。
無理心中か?
殺人事件か?

部下の正義を信じて、十津川警部は捜査に乗り出す。


片山刑事の故郷は小浜である。
福井県小浜市。
海産物が美味しいところで、京都からも近い。
かつては京都に海産物を運んだ、海の玄関でもある。(有名な鯖街道の出発点である)

その故郷を離れて8年弱。
片山刑事の心の中で美化されていた故郷の思い出、故郷の人々。
ところがそこにはとんでもない真実が隠されていて…

大事に思っていた故郷に、故郷の人々に裏切られる、というのはたまらないだろうな。
でも人間は変わる。
それが許容できなかった人間は、いつかは足をすくわれるか失敗を起こすことになる。

逆に言うと、東京ってそこで生まれない限りは故郷にはなりえない場所なのかな…?と、そう思う。
東京にあっても常に故郷の小浜に心を向けていた青年を思うと。


小浜…は、大昔、友人とドライブ旅行した場所です。
人魚伝説とかあります。(人魚の肉を食べて不死になるというあれですね)
日本海側だから、小浜に限らず海産物が最高に美味しい♪
覚えているのはそんなところかな?

駅前の商店街も派手ではなかったけれど…今はどうなんでしょうか。
そういえば、あれから一度も訪れていません。
珍しく法月倫太郎が出てこないのは(最後の一遍に登場する)短編小説の、しかも必ずしも推理物ではない小説を集めた本だからである。

短編が10作。
ちょっとオチが…(笑)
とか。
都市伝説か?これは。
とか。
頭の体操小説版。
とか。

変わった話が盛り込まれている。

一番興味を引いたのが、「猫の巡礼」というもので、内容はそのまま、猫が巡礼するという架空の話。
推理物でもサスペンスでもなんでもない(笑)

富士山麓の洞窟に、ある程度年を経た猫たちが巡礼して帰ってくる。
それを人間は認めサポートもする、という不思議な話。

標題になっている「しらみつぶしの時計」は、頭の体操…であって、小説として読んでいて面白いものではなかった。
なんか、面倒くさくなってだいぶ読み飛ばしたなぁ。

それだったら最初の「使用中」の方が良かった。
完全密室犯罪に、無関係の第三者が閉じ込められる…というちょっとありえない笑える話だ。
場所が場所だけに、こいつはちょっと(笑)

他の短編でも、最後の最後にちゃんとひっくり返してくれているのがうれしい。
見事に決まった一本背負い・技あり・逆転勝ち、あるいは、9回裏ツーアウト代打逆転サヨナラ・ホームランみたいな。

そういうのは見事だと思う。
特に、代理殺人の謎ときは「あっ!」と思った。
本当に。
なるほど、その手があったか…。(感心してどうするのだ)


あ、そうだ。
ここにも戦隊モノが出てきた。
「四色問題」である。
やはり女性が2人入っている。
女性の地位向上か?という話も見られたが、単に見ている人が子どもから大人に変わったからでしょうね。
大人がきゃーきゃー言ってみているようだから。
こう頻繁にそんな話に接すると、本当に流行っているんだなぁと思う。



それにしても、ミステリ作家も大変だね。
ほっほ~著者の名前で出てくるとは。(書名では出なかった)
大したものだと言うべきか。
やっぱりずれてるというべきか。

ちょっと高かったんですが、見ているだけで楽しいので、テキストではなく、"見る本"として買いました。

でも見ていると、自分の技量を棚に上げて作りたくなります。
作ったこともないのにサ(笑)

タッセル(房)の作り方が載っているのがめっけものだったかな。

妃は船を沈める

2008年9月11日 読書
おおっと、検索機能だけはよくなったな。
それは認めましょう。
御立派。

さて。
有栖川有栖氏の本をまた友人からレンタルしました。
この人の作品は好きです。
特に火村助教授(准教授)シリーズは、関西弁で関西が舞台でほっこりする。
ゆとりがあるように思えて(多分読み手である自分の方にゆとりはあるのだろう)読める。
どんな凄惨な事件も私にとっては緩く読める。
緩く、はこの場合悪い意味ではないのだ。

これもとっても面白かった。
そこそこの中編。
長編…ではないよね。


妃というのは登場人物の名前に含まれる文字で、愛称としてそう呼ばれれている。
若いツバメ…じゃないけど、20歳前後の恵まれない青年たちを周りに侍らせて援助するという女性である。
彼女は一代でそれに使える財産を作り上げた女傑である。

話は二つ。
彼女のそばで起こった殺人事件が二つ。

彼女のために…起こった事件。
それを彼女はするりと身をかわして逃げた。
限りなく犯人に近い女。

もうひとつは、やはり彼女のために…のつもりで起きた。
「彼女はそう願っている」と勝手に確信したから。
彼女は…。

魔性の女、というのではない。
なんだろう?
自分なりの幸せを追求しているだけなのかもしれない。


沈んだ船には鼠も残らない。
ケン・フォレットといえば、「大聖堂」あるいは「針の目」などが有名で、私も何冊か読んでいる。
歴史サスペンス…かな?
どきどきはらはらしながら、事件を解明したりスパイを追いかけたり。
きな臭くなってきたヨーロッパからアメリカへと逃げだす金持ち客を乗せた「飛行艇クリッパーの客」も面白かった。

さて、このレベッカ、とは映画の「レベッカ」である。
金持ちのやもめ(英国貴族)と結婚した一般人の若い女性が、お屋敷に巣食う前妻の亡霊に悩まされるという映画。
実際に幽霊が出るわけではなく、なにかとその存在感に圧迫されるというお話だ。
亡霊を感じさせるのは、前妻・レベッカが幼い時から傍付きのメイドとしていた老メイド。
この人がハウスキーパーとして屋敷内を取り仕切るのだが、レベッカが死んで後も忠誠を遂げようとする。
つまり、後妻である若い妻をいびるのだ。
あれやこれやと…前妻と比べて。

そのレベッカの本を暗号のアイテムとしてドイツ軍はカイロ攻略を練っていた。
軍団の司令官はかの砂漠のキツネ。
ロンメル将軍である。

カイロには彼のスパイが送り込まれる。
スフィンクスというコードネームのスパイは、見かけはまったくのドイツ人であったが、その心の半分は、英国のエジプト支配を覆そうと情熱に燃える(?)アラビア人でもあった。

英国情報部のヴァンダム少佐と"スフィンクス"・ヴォルフ。
二人はカイロを舞台に情報戦に明け暮れる。
片や英国軍の動静を探り、片やそれを阻止せんとする。

カイロがドイツの手に落ちれば、英国人は奴隷となる。
今までカイロのエジプト人がそうであったように。
ヴァンダムはそれを痛いほど分かっている。

ヴォルフはドイツによるエジプトの解放を夢見る。
二つの祖国が世界に冠たる姿を夢見る。

双方の立場の男たちはすさまじい戦いを繰り広げるが、面と向って戦うわけではない。
間には、情報を取るために、それぞれの"女"が存在する。
双方がそれを利用する。

その女が鍵となり、勝者と敗者がおのずと決まってくるのだが。
女が変貌することで、男たちの戦いが大きく変わってゆく。
つまり、劣勢であり後手後手に回っていたヴァンダムが、やがて主導権を握ってゆくようになるのだ。

エル・アラメインの数日前の話だ。
歴史が示すように、ドイツはここで敗北する。
だから二人の男の死闘も、どうなったかは言わずともわかるだろう。

ただなぁ…女に頼りすぎだし(笑)女次第で歴史は動いちゃうのかやっぱりと思うし、冷静沈着で陰謀を進めていたドイツ人のヴォルフが最後のほうで加速度的に"崩壊してゆく"のが…納得いかないというか、ご都合主義では?と思う。
途中で性格変わっているよ、この人。
隠れていた本性が前に出てきた、と言うにしてはそこまでのこの人物の書き込みではそうは思えない。

結局連合軍が勝つのか~いや、勝のはわかっているけどさ~もっとこう、一方的に善悪作らなくても~もっとこう何と言うか人間ドラマというか~人格崩壊を描くなら「アラビアのロレンス」ぐらい強いものがないと~とか。
いろいろ思ってしまった(笑)

ケン・フォレットの名に期待しすぎか?

よしきたホー!
のP・G・ウッドハウスが書く、短編読みきり集。

卵だのお豆だの御菓子だの、要は英国伝統のクラブに集うにたよーな(笑)男たちのお話に出てくる主人公たちの物語だ。

「彼についてはこんなことがね…」
「それについてはこう言う理由があってね…」

と物語を語るのがクランペット氏だ。
かくしてユークリッジ氏の、リトル・ビンゴ氏のスラップスティックが始まるのであった…

短編だからまとめるのはとっても難しいと思うのだが、あれもこれもひっ絡めてこねくり回して最後は見事に落ちを付ける。
ウッドハウスの手腕はかくや、と思わせる見事なものである。

無職でだめだめな青年でも、英国では生きてゆけるのかと感心するところだが…金持ちのおばさんとかがいれば(笑)
多分時代が違うんだろうな。

ただ、"結婚許可証"を握りしめて教会に駆け込もうとするカップル(花嫁の父は反対しているので、何とかあそれを阻止しようとする)である話には、先日読んだ"英国の駆け落ち婚"についての記述で少しは賢くなっているので良くわかった。

それほどには現代的ではないけれど、転々と温泉療養する優雅な階級であるとか、信託財産が本人の思いのままにならないこととかは未だに存在するんだろう、多分。

それにしても面白い。
あれだけどたばた走り回って(まあ走り回るのは主人公だし、"よからぬこと"をたくらむからそうなるのだが)最後のまとめはすごい。
それにどうしようもない主人公たち(賭けがやめられない、懲りない、辛抱が足りないなどなど)を最後の最後は救ってやるウッドハウスの優しさに脱帽だ。

確かに。
勧善懲悪の潔癖な堅苦しさよりも、そういう余裕があってしかるべきかもね。
すべて包み込む、ような。

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