イヴが死んだ夜

2008年6月6日 読書
病院に持ち込んだ一冊。
寸前に入手して、そのつもりで読まずに我慢しておいといたのだった。

これはちょっと昔の話。
昭和57年初出。

だから人間関係が違う。
微妙どころか、だいぶ違う(笑)

まず、十津川警部。
独身で、婚約者・妙子(もちろんのちの奥さん・直子とは別人)のことで悩んでいる。
でもって、やたら煩悩(悩み事)にとらわれている様子というか、若いというか。

私たちが現在、テレビドラマや小説で目にする十津川警部は、事件を一歩引いたところから観ている。
若手刑事が突っ走ると、まあまあちょっと待て、一歩おいて熟考してみよう、という感じなのだが、この小説では頭から事件に突入しているような感じだ。

ずいぶん違う十津川警部。
これは著者の心境の違い、書き方の違い、人物設定の違いなど、その歴史自体を感じられて面白い。

話自体も生々しくて、複雑(現在の小説は結構シンプル)で、重い。
過去の十津川警部を知らない(笑)身としては、ちょっと驚きの一冊だった。

ながい旅

2008年6月3日 読書
映画を見て、それで興味をもったものだ。

第二次世界大戦直後、戦犯を裁くための裁判で、法廷闘争をあきらめなかった東海郡管区司令官・岡田資(たすく)中将の裁判記録をまとめたものである。

著者は大岡昇平である。

映画の題名は「明日への遺言」である。
主演は藤田まこと。

岡田中将以下が裁かれた罪は、爆撃後のアメリカ爆撃機の搭乗員が、日本国内に不時着したのを、正式な裁判にかけずに斬首など処刑した、ということである。

これに対し、岡田中将は、責任は自分一人が負う。
ただし、まっとうな扱いは捕虜に対して行われるものであって、無差別爆撃というジュネーブ条約違反の行為を行った爆撃機の搭乗員は捕虜ではない、戦争犯罪人である。
よって、司令官の一存にて処刑されたのであると。

そこで裁判は、無差別爆撃であったかどうか、そこから話は広がって、アメリカが東京や大阪ほか各地で行った、"爆撃"そして原子爆弾に至るまで、それは違法なのではないか、という大きな問いかけあるいは法廷闘争をに話は発展したのである。

岡田中将は処刑(死刑)を覚悟したうえで、アメリカ軍の無差別攻撃を明らかにせんとした…

以下は、映画鑑賞後の私の感想から。(手抜き〜)(笑)

これは敗戦間近の日本、東海方面司令であった、岡田資(たすく)中将を裁いた軍事裁判の物語である。
同時期に東京巣鴨プリズンに収監された東条英機らの裁判、極東軍事裁判もあった。
こちらはとっても有名なんだけど、敗戦国日本の軍人達は、色んな場所で、いろんな国(勝利国)によって裁かれ、最終的には千名以上が亡くなった。
病死・自決を入れてのことではあるが、それらを省いても優に千名近くの人数である。

岡田中将が問われている罪は、名古屋を無差別爆撃した爆撃機の搭乗員を処刑したこと。
捕虜として十分な裁判を受けさせなかったこと。

アメリカ軍が行なう裁判は裁判官・検事のみならず、弁護士もアメリカ人である。
そのことへの不安感は無いといえばウソになる。
岡田中将の家族も、同じことを思っていたようだが…

戦争の復讐。
それをやろうとするのではないか?
そう思っても仕方が無い。
東京裁判を見ればその片鱗を感じずにはいられない。
今の私たちでも。

だが、アメリカ人弁護士は言う。
私はフェアにやりたいだけだ、と。
こういうところ。
流石だな、と思うところだ。
今時の日本人はすぐに阿る。
それが浅ましい。

岡田中将は言う。
無差別爆撃こそがジュネーブ条約違反であると。
軍需工場の無い場所、非戦闘民を対象に行なわれた、焼夷弾と機銃照射、それが無差別攻撃でないはずが無い。
パラシュートで不時着したアメリカ軍人は、捕虜ではない、戦争犯罪者である。

検事は言う。
裁判を省略して処刑するのが違法であると。
非戦闘民への無差別攻撃を責めて、アメリカ軍すべてを捌こうというのか?

裁判の主点は、アメリカ軍の非戦闘民への無差別攻撃をどう捕えるか、その有無を問う、というところにある。
岡田中将は言う。
アメリカにはアメリカの事情というものがある。
だから、裁判の結果はどうあれ、自分は自分の正義を貫く、この法争に勝つだけだ、と。
そして部下は、すべて私の命令によって動いたのである。

正義、というのは難しい言葉だ。
自分にとっての正義は他人にとっての正義ではない。
それをどう捕えるか。
どう主張するのか。
どこまで受け入れることができるのだろうか。

ただ、判決のあと、中将は法廷に、そこにいる人すべてに感謝する。心から。
無差別攻撃については、東京裁判でも他の裁判でも俎上に載せることすらできなかった。
それを思えば、この裁判ではその点について正面から論争できたことが幸いであると。

彼を誇りに思い、彼を慕い、そして彼を忘れずに生きてゆく残された人々。
日本人は、過去の戦争を忌み嫌うだけではなく、また賞賛するのではなく、そこにあるものを、そこで生きた人々が残したものをきちんと受け取らねばならないのではないだろうか。
正々堂々と正面から、当時の"焼け出された"人々の視点にたっていた日本人の思いを、そしてその思いを主張した人がいたことを。

法廷の雰囲気は、裁判官も検事も、やがて岡田中将の林とした態度に影響されてゆく。
少なからぬ尊敬の思いを抱くようになったのだと思う。
彼らや看守の呼び方自体が、「オカダ」⇒「ミスター・オカダ」⇒「閣下」と変化してゆくのがその心情を表わしているように思えた。

<以下、産経新聞の特集記事より抜粋。>

第二次世界大戦後、連合国による日本の戦争犯罪者を裁く軍事裁判が始った。東條英機元首相らA級戦犯の東京裁判での公判記録は歴史文書や記録映像などで語り伝えられているが、BC級戦犯の裁判が行なわれた横浜地方裁判所での記録を知る人は多くない。
映画「明日への遺言」の主人公、第13方面軍司令官件東海軍司令官の岡田資中将は、この戦犯裁判で戦勝国・米国に対し、たった一人で法廷闘争に挑んだ。
敗戦で自信と誇りを失ってしまった戦犯が少なくない中、岡田中将は強靭な意志と誇りで、この裁判を法による戦い=法戦と称して臨み、戦勝国の論理で裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、非人道的な無差別攻撃の罪を認めさせようとした。
岡田中将が選んだ選択は強固な信念に貫かれていた。昭和20年、名古屋空襲で飛来、被弾して降下してきた米軍爆撃機B29の搭乗員38人を処刑した責任を問われ、B級戦犯として横浜の軍事法廷で章23年5月、絞首刑判決を下される。が、法廷を退場する際、彼は妻に向かって一言こう告げる。「本望である」。
そして翌年9月、刑は執行され、岡田中将は59年の人生を終えた。
処刑台に向かう最期の日、彼は部下にこう言い残した。「君達は来なさんなよ」
部下に処刑の責任を負わせたり、事実を隠蔽し責任逃れに奔走したりする戦犯が少なくなかったが、岡田中将は一貫して「すべての責任は私にある」と主張。裁判に掛けられた19人の部下の罪を一人で背負う覚悟を固めていた。さらに米軍が国際法を違反し、無差別爆撃を行なった事実を後半の中で立証し、その罪を法廷で訴え続けた。
「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆、敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環境の内に国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事も明らかにしようとしないのか…」19人の部下を全員釈放させ、ただ一人死刑に処せられた岡田中将の揺るぎなき信念は現在も不変であるーと「明日への遺言」は訴える。 (以上)

パール博士の本を読んでまもなくだったので、いろいろと思いをめぐらせた。
人は自分の正義を持つ。
でも同時に他の部分に悪を作る。
お互いに認めあうこと、受け入れること。
それができない、できなくなった、その結果がこの21世紀ではないだろうか。

死刑判決を、本望と断じた中将の心境にはいまだ遠い私ではあるが、悔いの無いように、自分に正直に日々を生きて行かねばなぁと改めて思う、そういう映画だった。

今日のお客さんは、それなりに年齢の上の方が多かったけど…特に中年以上のご夫婦が多かったな。
でも、私の隣には10代の女の子が一人で見に来ていた。
ちょっと吃驚したけど…まあ別におかしなことではないかもしれない。

文化庁推薦だから見なさい、とは決して言わないが、私はしっかり生きているのかなぁ、と考えながら見ていた。


パール博士で思い出した!
ボースも本を買っていたんだった!!

Doors(2)

2008年6月1日 読書
普通であることの大切さ。

それを知らしめんがために著者はこの物語を書いた…って言っていいのかな?

触手な妹。
リスな妹。

そしてふつーの妹。

数々の試練を経て、曽根崎姉妹は普通世界に戻った。
一緒に旅をした"シュリン"もその武器(?)"レンチ"も"元の姿"に戻った……って、戻るのが最後になったのは、原因が●▽だったからだ。

まあ善哉善哉。
結果オーライで、アスモデウス・ミヤもベルゼブブ・ミヤも封印できたしめでたしめでたし♪
大団円♪(か?)

この語感が…(笑)
よくいろいろ突っ込めるよなぁ、この著者。
感心する。
良い意味で。

面白かったです。

日本の香り 

2008年5月29日 読書
コロナ・ブックス 平凡社

京都のお香やさんである、松栄堂さんが監修した本である。
先月「聞香」に行ったのもこの松栄堂さんなので、書いてあることにいちいち「ああ」と頷く。
短い時間だったけれど、きちんと端折らずに説明をしてくれていたんだな、と思う。

写真も多くて楽しい。
平安貴族の遊びではあるけれど、かの徳川家康もお香が大好きで、天下を取ってやれやれ、と一服してから東南アジアまで使者を立ててお香を求めたそうだ。
沈香で10Kg以上持っていたんじゃないか、という話もあって…なんて贅沢な!

沈香以下、高価なお香が出てくるが、松栄堂さんでは、たくさんの人(一般人)が楽しめるようにと、科学的に調合したお香を安価で販売して、人気があるのだ。

だって本物なんて…とんでもないお値段ですから〜(笑)
松栄堂さんへ行って、そのあと鳩居堂さんへでも行ってみればよくわかるはず。
お香って本当にお高い。

でも、はまりそう…。
松栄堂さんで売っている聞香スターターセットを買うのが私の今の野望である。(2〜3万円ぐらいかな?プラスお香も買うからね…)

本物、化合物とあれこれうるさく求めないのなら、源氏物語千年紀で盛り上がっている京都市内では、あちらこちらに"それっぽい"物を売る店がどんどんできている。
そいうところへいけば、ちょっとした話のタネぐらいのものは手に入るのではなかろうか。
ま、話のタネでも、千円以下で手に入ったらそれはずいぶんお安いんだよ、ってぐらいの出費は覚悟しなきゃならないけどね。
ほうほう、でましたか。これ。

友人からのレンタル本なので、風評とか評判とか聞かずに読み始めた新鮮な一冊。

著者は「鉄道員(ぽっぽや)」「地下鉄(メトロ)にのって」などの作者である。
情がものをいう物語であろうと想像しつつ本を開いた。

天切り松、というのは人のあだ名。
松蔵というのが本名で、盗人である(泥棒といってはいけないらしい)
天井の、瓦を数枚どけて、屋根を破って土蔵(土蔵出なくてもいいけど)破りをし、お宝をいただいて、屋根と瓦をもとどおりにして逃げる。
見た目、盗人が侵入したかどうかすらわからない。
腕のいい大工が見ればわかる、というやり方をするのが"天切り"というらしい。
その彼も、もうとうに70歳を超えた老人で、盗人稼業からも足を洗っていた。
その彼は、警察署長の要請によって防犯の指導をするかわりに、懐かしの我が家、ならぬ未決囚監獄へお泊りすること〜を楽しみにしているのだった。

だから、一応形として手錠も腰ひももするけど、署長クラスの呼び出されて防犯指導をして、その見返りに銀座に繰り出していっぱい〜その後、牢屋へお泊りする、というわけのわからん話になっている。
わけがわからんのはそこに収監されている犯罪者たちで、最初はねぐら+食事目当てのじーさんだと馬鹿にしていたが、話をするうちに聞くうちにとんでもない大物だと気づかされる。

題名の"闇がたり"、というのは彼ら古風な盗人の特技のひとつで、6尺四方にしか声が聞こえないように語ること。
その技を持って、(周辺の房の住人に迷惑だからと)自分の過去をそしてなによりも昔の盗人がどれだけ義侠心があってどれだけ見事な腕をもっていたかを語る。
その話の内容がこの本の内容である。

…というわけで、その昔(大正時代)に東京にその名を響かせた「目細の安吉」一家。
その末席に連なっていた天切り松による、義理と人情の盗人話が花開く。
牢獄で。
歓衆は、同房のむくつけき犯罪者たちと、当直の看守と非直の看守や刑事たち…。
満員御礼だ。

料金をとった方がいいんじゃないのかな?

公爵・山形有朋元帥の話などはスケールがでかくて最高に面白かった〜
嫌われていたとは知らなかったが…そしてあの大隈重信が民衆に絶大になる人気を誇っていたとは…歴史って不思議だね。
何十年単位で意識なんて変化するものだ。
だから、ず〜っと同じ意識を国民にもたせるためには、いかに普段の不断の努力が必要かってことだな。
そう思うと、よくやるねぇ、中国は。
アブキール湾の戦い。
あるいはナイルの海戦。

英国がエジプト侵略(インドとの連絡通商路を遮断する)を防いだのは英雄ホレーショ・ネルソンだが。

敵の旗艦の大爆破で死にかけたのは部下の将兵である。
キッドはその近くにいて助かった。
爆発の方向が逆円錐形だったから。

しかしそのあとに頭の上から降ってくる戦艦の破片は怖かったろうなぁ。
当たり所が悪ければ、降ってくるものが悪ければ、大砲からぎざぎざにとがった破片やらが加速度をつけて襲ってくるわけだから。
いままで"火"以外にはさほど考えていなかったが、戦闘の結果として、これは怖い。

お祝い事があると、あらぶる国の熱狂的な人たちは喜びのあまりに銃を天に向かって乱射するという。
人に向かって撃っているわけではない。

だが、これも死傷者が出ないわけではないらしい。
いつだったからこうして天から降ってきた銃弾で、死傷者が出たという話を聞いたことがある。
運が悪いといえばそれまで。

油断大敵火の用心。
ナポリ大使夫人エマ、登場。
東京宇宙学校、地獄の特訓…を久々に見た一冊。

山越えて〜走って〜時間内にゴールだって。
鬼のような…

宇宙飛行士ってこれだけの体力と精神力がないと勤まらないとすれば、今現在宇宙を目指している人、宇宙から還って来た人を尊敬の目で見てしまう。

まぁ普通の体力じゃあまずだめだろうな。
ここまででないにしても。

失敗すればそこには死が待っている。
いつでも高確率で死ぬ可能性だけはある。

その状態を耐えてゆくわけだからさ。
どうするのかな〜前途多難みたいだけど。

それぞれの事情ってやつもはっきりしてきたしね。
でも人間、事情のない人間なんているわけない。
そういうものすべて抱えて、せっせと歩いているわけだし。
平地だろうが坂道だろうが。

他人には下り坂に見えてもね、本人には上り坂だったりする。
そういうものが見えない、というのも情けない。
二ノ宮 知子
講談社コミックス

譜面に作曲家の人生を読む。
音楽ってそうやって聞くものなのか。

そこまでしなくても、できたら楽しいのかもしれない。
知っていると想像の翼が羽ばたく、広がる。
感動できる幅も広がる。

そういうものなのかも。

その飛翔の手助けをしてくれるから、この漫画が面白く人気があるのか。
そんなことも考えてみたりする。

ま、少なくとも登場人物の人生は楽しく追えるよねぇ。
二ノ宮 知子 著
講談社コミックス

コンクール!
コンクール!

で、誰もかれもが気合が入っている…
いいねぇ。

相変わらずの意表を突くストーリー展開が心地よい漫画だ。

わがままで甘えん坊の女にも、そのつらさを知っているからついつい親切にしてしまう。
自分のことはおいといて。

その心の余裕は大したものだと思うけど。
はたから見ているとじれったいよね。

でも、そういう気持ちが大事。
持てる、持てないではなく。
持ちたい。

ターニャ…雪が、吹雪が見える演奏ってのは凄いよ、ほんと。
妹が手に入れそこなっているので、とっとと友人からレンタル〜♪

話が動く。
オニババ(?)師匠に、岱燈の出生の秘密、皇帝の登場に王宮の陰謀らしきもの。
動く動く。

5つ星のうち3つまでが揃って、これからも期待できそう。
テンポの良さがいいね。

惜しむらくは紅英師匠の早世(いやなんか、実際にはものすご〜長生きしている雰囲気はありますが)である。
いい性格してたのにな。

それにしても、この物語では、かよわい女が出てきそうにない…
ナポレオン艦隊追撃  
海の覇者 トマス・キッド6
ジュリアン・ストックウィン 著
大森 洋子 訳
ハヤカワ文庫
940円(税抜き)

水夫あがりのキッドくんもいまや海尉どの。
国王陛下の士官である。

おまけに上等な闘剣も手に入れて機嫌も上場。
乗艦は戦う提督・ネルソンの旗下にはいり、いやがうえにも風雲急を告げる、というか戦乱の嵐目前と言うか…。

そして、エジプトに向かうのだ。
ナポレオンの野望をくじくべく。

手に汗握る追跡行。
途中嵐や暗礁やらいろいろ苦難が待っているが、大海戦を前に、詠み手の心もわくわくと動悸が速くなるのは仕方がないよね。

いや、一気に読むのは勿体ない。
もったいないな。
本当に。
西村京太郎 著

アキバって秋葉原のことだったのか!

そんな気はしたんだけど、そこまで略すかねぇ。

十津川警部 対 おたく三銃士(笑)

メイド喫茶のNO.3(NO.1と言わないところがミソ)アスカちゃんが誘拐された。
富豪の娘と間違えられたのだが、ルックスが幸いして(事故死した娘に似ているという)富豪のおじさん(赤の他人)は身代金を払ってくれるという。
しかも2億!
すごい…

警察の捜査は遅々として進まない。
一歩、明日香ちゃん命!のオタク三銃士は自らの特技(人には自慢できないのだが)を駆使して独自に明日香ちゃん救出に向かう…
十津川警部が、あの十津川警部がやりにくそうである。
挙句、オタクたちになんか上手いことだまされたような、変な感じで。

とはいえ。
昔の秋葉原って、電化製品でもそんなに安くなかったって話だ。

まず、負けてくれないし。
交渉できひんなんて、それだけでもう、あかんやん!

この小説で、一番すごいと思うのは、古希を超えた作者が、秋葉原を舞台に、オタクだのメイド喫茶の女の子だのを描いている、ということだ。
すごいよ…西村京太郎さん。

参考 ⇒
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4198507864/sr=8-1/qid=1211532347/ref=dp_image_0?ie=UTF8&;;;;
西村京太郎 著
実業之日本社

この人は多作すぎて、新書が単行本になったり、短編小説だと書名をかえてひとまとめにされたりする。
最初はそれでもいいんだけど、こうたくさん読んでくると、既読のものは紛れ込んだりするのがつらい。
ああ、勿体ないことをした!
と思うのがつらい。

ま、一冊当たりの単価はまだ安いほうなのでそれで慰めてはいるが。

これはその、問題の、短編集を集めたもの。
とりあえず既読のものはなさそう〜である。

女癖の悪い作家の夫とその愛人の女を、自分が夫の名前で書いた小説どおりに殺してゆく女。
「なんで悪い?」
財産を持って海外に高跳びしようとしたときに空港で逮捕される。
その時に吐いたセリフがこれだった。
殺しさえしなければ、それは通用したかもしれないだろうになぁ。
殺害場所の一つ日光の鬼怒川…はまだ行ったことはないけれど、日光まではいった。
ゴールデンウイークで人も多かったけど、いろは坂ではバスの中で熟睡するぐらい渋滞して、肝心の華厳の滝は5分ぐらいしか見られなかった。
帰りのバスがあるからだ。
またその日のうちに東武で東京にでなくてはいけなかったからだ。
心残りなんてものではない。
なにしにいったやら。
その分、というわけではないが、東照宮はたっぷりみた。
猫の後ろのネズミも見た。
鳴き龍も体験した。
だれかさんのお墓まで登って行った。
若かったよなぁ…(笑)

そういう思い出が頭の中をぐるぐる。

参考 ⇒ 
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/440860495X/sr=1-1/qid=1211428667/ref=dp_image_text_0?ie=UTF8&;;;

熟年革命

2008年5月21日 読書
母親に頼まれて注文したが、「在庫なし」で帰ってきた。
で、めげずにタイミングをずらしてもう一度注文したら今度はすんなり通った。
どうせまた、「テレビで宣伝したんやろ?」と尋ねたら、「みのさんのテレビでやった」という返事。
そんな事だろうと思った。

…食品をスーパーの棚から一掃するだけにとどまらず、本までベストセラーにしかねない勢い。
すごい影響力やね。
これは、使う言葉も慎重でないと。

母に渡す前に黙って読んでやろ(笑)

男はサケ。
帰る場所がないと外に出てゆけない。
回帰本能が強い。
そして甘えた。
弱い。

女はマス。
とっとと広大な海に出てゆく。
後ろは振り返らない。
切るときは全部切る。
(だから別れるといったら全部切り捨ててかえっちゃうから要注意)
強い。
大事な証人を、犯罪の現場を見たという証人を、あの手この手を使って籠絡しようとする貴族と、義侠心に富んだお友達の描写はすごかった。
一見、決して意志強固は思えないチタウイック氏の心の揺れ動くさまがいまどきの小説にはない新鮮さで味わえた。

特に犯人の妻であrとされているジュディスの真夜中の訪問には、今どきの小説に見られるような色気もそっけも感じないんだけど(私は)、彼のぐらぐらする心が父のような兄のようなキスとして現れるとは。
さすがチタウィック氏である。

罠にかけた真犯人の影がちらほら…見え始め、私なりの推理もあっていよいよ捜査(小説)は佳境である。

しかし、こういう人は、警察にとっては有益なんだろうか、それとも障害になるのだろうか?

ラストのど〜んで〜んがえし〜♪
が面白い。
やっぱり。
すごい。
ピカデリーの殺人
アントニィ・バークリー 著
真野 明裕 訳
創元推理文庫

チタウィック氏殺人の瞬間に会う。

小心で注意深く、探偵マニアな犯罪研究家・アンブローズ・チタウィック氏。

人がせせこましく行きかう大混雑のピカデリー・パレス・ホテルのラウンジでふと眼をとめた男女。
品の良い田舎のレディといった、伯母さんらしい女性と、目つきの悪い油断ならない、いかにも甥っ子風の赤毛の男。

探偵癖そのままに、理由もなくじっと凝視してしまったチタウィックしであったが、わずかに目を離した後、女性がその場で死んでいるのに気がついた。
赤毛の甥っ子の姿はない。
あたかもその殺人現場を見ていたように思いだすチタウィック氏。
あの時、男は女性のカップに何かを入れなかったか?

たちまち駆けつける警察に交じって、チタウィック氏は興味津津事件に没頭する。

食べるために働かなくてもよい身。
というのはいかにもうらやましい。
だから探偵学という、時間と労力の掛かるものにも没頭することができる。
まぁ…だから、休日のありがたさもわからないんだろうが。
わずかにひねり出した時間の有効利用にかけては、時間のないものの方が巧みであるのだろうが。

同じように"伯母さん"で苦労しているのだろうか?と考えるチタウィック氏を思い、ちょっとおかしかった。
彼も厳しすぎる伯母さんに支配されているのだ。
いかにお金があろうとも、時間があろうとも…それはイヤかも。
65歳の悠々自適の男性二人。
39歳の人妻。
25歳の孤独な女。

この四人による三角関係が読んだ殺人事件。
神話の里と言ったって、日本国中そうじゃないのという声は当然あがる。
同時に、桜を追いかけて日本を旅する…そのふたつの条件が交わるところが殺人現場だとは、なんとも浪漫チック。
不謹慎だが。

飛鳥の石舞台など、観たい史跡はいっぱいあるが、いかんせん。
隣の京都からでもなかなか交通の便が…時間がかかるというか、乗り換えが大変というか、近鉄電車は特急料金が別だから使いたくないとか、そういう複雑な事情があるので行きづらいのだ。

泊まりがけでいくか〜となるのが奈良。(その昔、室生寺にも泊まりがけで行ったものだ、朝一番でお寺に入るために)
大阪や神戸なら少々無理しても日帰りで帰ってくるというのにね。

古代史ロマンはいかにも遠い。

そういえば、お寺関係に顰蹙をかった奈良の例のマスコット。
仏様に鹿の角が生えているとしか思えないやつですが、あれって名前だけ募集して、デザインは行政が決めたらしいね。
そして仏教界からクレームが…つくのは仕方がないかなぁと私ですら思うようなデザインだな、確かに。
で、それとは別にマスコットを、今度は市民が投票で選びましょう、という候補作が何点かあがって実際に今、投票をしているらしい。
丸々太ったゴムのような鹿(その心は、すべて丸く収まるように)のデザインなどもあり、ほかのデザインもなかなかかわいらしかった。
最初のやつにケチがついた以上は、穏便にすますために、こっちの方を(公式マスコットにならないとしても)利用する人や商店が増えるのでは?と思う。
オキナワ、と書くのは戦争の後、アメリカと基地と政府の間でどんどん変質していった、悪いアメリカの影を落とした島のこと。

沖縄とかくのは、はるか昔からの文化を抱き、歌と踊りと太陽と海が好きな(そして目が大きくかわいらしい人が多い、たとえおじさんでも)明るい人々が棲む島のこと。

そういう意識で使い分けたという。

ゆいレールというモノレールのことは、以前に読んだ推理漫画で知っていたが、ここではもう少し詳しくかいせつしてある。
2003年8月開通。
東京モノレールとおなじ跨座式。
自動運転だけどちゃんと運転手がいる。

首里城に近づく、と思いきや直前で大きく曲がって遠のいている。
延長戦を引くための措置ではあろうが、なんか、残念…と。

沖縄に行ったことがない。
太陽と海。

車がないと不便だとは言うが、ゆいレールもあるんだし、バスもあるんだし、うろうろしたいわけじゃなし、ぜひ行ってみたいと思う。

小説の内容は、ダークな沖縄が生んだ犯罪が、沖縄出身の姉妹を苦しめる。
ここでもまた沖縄は、アメリカと本土の食い物になっている感じがする。
風の雅 〜レンズ越しの京都〜 北奥耕一郎 写真集
京都新聞出版センター

京都出身の写真家・北奥 耕一郎さんが、京都新聞に連載していた写真についてのコラムをまとめたものである。
もちろん素敵な写真も掲載されている。

写真家さんではあるが、上から「こうしなさい・ああしなさい」と指導するのではなく、「こんな写真もあり」と示してくれる。

下鴨神社の売店とか…で多分見たことがあると思う、絵ハガキの写真はこの人が撮ったもの。
京都を愛し、京都をひきたたせる写真が、私は大好きなのだ。

・写真集「京艶」(淡交社刊 2002年)
・「京都うたものがたり」(ウェッジ刊、文・水原紫苑 写真・北奥耕一郎 2003年)
という素敵な本もあり、京都に浸りたい人におすすめである。

18日(本日)までだったが、京都文化博物館5階で、写真展も開催通であった…今頃言うなって?
白戸家のおとうさん。

「犬になるとは思わなかったなぁ」
「俺だって思わなかったよ」
と大きな秘密を持っている白い犬。

その正体は北海道犬のカイくんだった。

そう。
こいつは白い犬の写真集である。
別にCMの写真とカか裏話とかあるわけではないが、でも犬好きとしては押さえておきたい一冊ではないか。

ギャルのミニスカートに「ニヤリ」
おやじギャグを飛ばして満足。

実際あの表情は面白い。
考えている(反省している)猿にも迫る(と思う)
テーブルなどに足をのっけている姿も様になる。

芸達者な犬だよね。

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