ラブパック (2)

2006年10月21日 読書
ばれてしまった……

源氏の君の乳兄弟である検非違使長官(女性…いいんか?)にも。
源氏の君本人にも…。

すべては桐壺の更衣のたくらみ、というか執念というか、間違った親子愛ゆえに。
その愛が、息子である源氏を死の危機へと誘っている。
これって…かつての教育ママ、あるいは今時の甘甘(あまあま)ママに似ているのでは?

しかし、おかーさん、ほとんど嫉妬に狂った誰かさんみたいですがね。
葵を取り殺した生霊の。
おおコワ。

今上天皇(源氏の君の父でもある)の崩御によって、後継者を巡る水面下の争いが激化。
皇后の陰謀(?)により源氏の君は夜盗・疾風として討伐の対象となる。
燃え上がる炎。
焼け落ちる煌びやかな館。
炎の中消えてゆく疾風。

かつて、遠い子供時代、一面の菜の花の中で約束を交わした菜々を、"菜の君"を、ひとり遺して。

失意の菜々は尼寺へ。
偶然が偶然を呼んで、であった新帝(ここで初めて登場だ)に見初められ、女御として後宮へ。(おいおい)(笑)

さてさて、絶えることなきギャグで勧めてきたこの物語を、こんな悲劇で終わらせていいものだろうか?
否。

疾風は復活する。
警護も硬い宮中の、そのまた奥の後宮に菜々を…一輪の"菜の花"を取り戻しに行かねばならぬ。

大和和紀風源氏物語のラストは、見事にハッピーエンドとなりました。

ISBN:4063604314 文庫 大和 和紀 コミックス ¥662

ラブパック (1)

2006年10月21日 読書
最近、文庫版の再販本がたくさん出てきている、と思う。
それもいろんな種類の漫画が続々と…その勢いを感じる。
なんだろ?
フェアでもやっているのかな?

ま、昔の漫画、絶版で入手不可能な漫画が再販されて、しかもサイズも可愛らしい文庫本なら言うことなし!

さて。
この「ラブパック」
本屋の本棚で見つけて思わず手に取ってしまった。
なつかし〜!

源氏物語をパロディにしたラブロマンスなんだけど、ギャグ漫画でもある。
とにかく…懐かしい!

大和和紀氏といえば、「あさきゆめみし」とか、日本の時代物の、やたらシリアスな、やたら悲劇的な漫画のイメージがあるのだけど、本当はコメディ漫画家だった、ということを思い出させる一品である。

おや、「はいからさん」「NY小町」「ヨコハマ物語」ほかいろいろと文庫本で再販が進んでいるんだね。
ことのついでに、「紀元2600年のプレイボール」(野球ものだ)も再販やってくれないかなー?
始末したのを後悔している作品なので。

さてこのラブパックとは、いかなる物語か。
その題名とはかけ離れ、源氏物語をベースにして、作者流に大きく話を作り替えた作品なのだ。

源氏の出生等についてはほぼそのまま。
宮中に入ったものの、貴族の豪奢な生活の影に、苦しみあえぐ民数の姿を見、なんという世の中の不公平さ・酷さを思い…悶々と悩み続けている源氏の君。
そうこうするうちに、夜になれば無意識・無自覚のまま"夜盗・疾風(かぜ)"に変身してしまい、貴族の館に忍び込んではお宝を強奪、貧しい庶民にばら撒くようになっていた。
だが、夜が明ければ、源氏の君に戻ってしまえば、彼には"疾風"の記憶はない。

ヒロインである菜々との関係は、まだ罪なき幼き頃に"運命の人"として出会ってしまったのが運のつき。
彼の(とはいえまだ子供だ)の言葉(勉強なんかやめて、私のお嫁になって)を一途に護り、その結果、貴族の娘とはとてもとても思えない、がさつでどじな姫君に育ってしまった。
その結果、玉の輿の第一歩である宮中女官にもなれず、源氏の君に拾われて彼の世話係を拝命することとなる。

さあ、本当は"運命の人"であるはずの二人なのだが。
どっちも気付かない、どん臭さ。

桐壺の更衣の怨霊が出てきてようやく、菜々は源氏の君がかの人であると気が付いたが、その時はすでに疾風が彼女の心を占めていた。
疾風=源氏の君(本人はまだ知らないけど)
という事実を知らない菜々は、一人で悩み苦しむのだった。

平安の、宮中であるとか貴族の舘であるとか。
その割りに、着物や調度品やしきたりやなんやかや…本人も認めているように、全力尽くして考証をしたけどかなりいい加減であるとのこと。
まぁギャグだしね。
その辺を追求するのは、野暮ってもんでしょ(笑)

ISBN:4063604306 文庫 大和 和紀 コミックス ¥662
母が美容院の週刊誌でみた、というのでその週刊誌を探しに行ったら、なんだ本がでているんじゃないの…。

というわけで、2〜3ページの記事の為に週刊誌を買うよりも本を買ったほうがお得でしょう、というわけで買いました。

炊飯器で…ここまでつくるか。

炊飯器でお米を炊いて食べるのは日本人だけ(だろう)から、その炊飯器でごはんだけを炊くのに飽き足らなくなったチェレンジャーがこういうことを考えたのだろうか?
和洋中どこの料理もこなし、お菓子(和菓子にケーキも!)まで網羅する…おそるべし。
こういう工夫はお得意である。
いかにも日本人!を感じた出来事であった。

蒸し器と違って監視する必要がないのが助かる。
電気であるので安心だし。

あとは後始末だな。

おお!パエリアもできる!
パエリアか…ああ(笑)
懐かしい。

…その昔。
パエリアをホットプレートで作る方法、というのを知って、早速やってみたのだった。
ホットプレートでもやれるのだ、ちゃんと。
ちゃんと美味しいパエリアが!
オリーブ油をひいて、白ワインを入れて、海産物(海の幸)とお米と…。
勿論、(私のあんまり好きではない)烏賊も(私が結構好きである)アサリも入れた。
ところが!
生のアサリを入れたのは良かったのだが、蒸れて蓋が開く間に生の米を目一杯食らいこんでいたらしいのだ。
かた〜い貝の中に入り込んだ米は当然半生で、そうと知らずに”きゃ〜パエリアだ〜♪”と喜び勇んでつっついた我々は酷い目に遭ったのだった。
それ以来、我が家のパエリアにはアサリを初め、貝類は入れない事になっている。

炊飯器のパエリアは…先に中身を出すのだろうか?
……あ、成る程。
先に鍋で下ごしらえかぁ…そうか、そりゃそうだわな。

ちょっと損した気分…。

そして炊飯器を使うからにはお米は?
ごはんは?

…………?

ISBN:4522422741 単行本 村田 裕子 永岡書店 ¥1,155
第1巻なのに、今まで入手できずようやく…。

2巻、3巻と読んだ後で読むことになったのだが、一番面白く、バランスが取れていると思う。
短編が多くて、多くのパターンが用意されているというのがいいのだろう。
アンソロジー。
所謂パロディは、長編モノよりも短編もののほうが、楽しめる感じがするのは私だけだろうか?
短編のほうが、"落ち"が激しく、また分かりやすいということがあるからね。

いやしかし。
みなさん上手いね。

こう上手いと…
出版社が一から育てることをせず、次から次へと出来合いのものを刈り取って使い捨ててゆく気持ちも分からないでもないが…
使い捨てられる方は溜まったものではあるまいに。

嗚呼でも、実力のあるものは、たとえ最初のきっかけがどうであれ、そこからちゃんと花を咲かせるものだと、そういうことなのかな?
う〜ん。

皆、がんばれ!


ISBN:4757727941 コミック エンターブレイン ¥924
著者の描く英国の風俗や社会はとっても興味深い。
他にもイロイロな本を出版しているが、中でもこの本は、図説メインでカラーでとても楽しいのである♪

特に、36枚ずらりと並んだパブの看板(カラー写真)はすばらしい。ネルソン提督もいることだし(笑)

あ、勿論、ウエリントン公爵もクラレンス公爵も、ワーテルロー至急便なんてのもあり。

酒も珈琲も。
所詮は嗜好品。
人が絶えるどころか…きっちり発展の道を辿っている。
歴史を作っている。
西洋人のアルコールへの耐性が半端でないことを、こういう本を読むと思い知らされるのは、アルコールに関わってきた歴史のせいでもあろうか。

赤ん坊にジンを飲ますか〜?

ワインだって、香辛料をいれて飲むしね。
珈琲も…どんな味や?
オソロシヤ。

まぁ…少し前までは、紅茶に果物を入れる感覚は理解できなかったけど、今では(特に夏は)"すっきりする!”と、喜んで飲んでいる有様。
すべては慣れかも。

ちなみに、関係ないけど、ホガースの描くジン横丁の銅版画が大好きです。


ISBN:430972583X 単行本(ソフトカバー) 小林 章夫 河出書房新社 ¥1,890
読んでるうちにおなかが…グーッと(笑)

スープというのは、野菜をたっぷり入れて、ことこと煮込んで味を引き出してやって、塩コショウでちょいと味を整えれば、あらら不思議と失敗はない。
どれもこれも美味しくなる。
魔法のような料理です。

冬場の、ちょっと小腹が空いた時なんか、重宝いたしますよ。

ダヤンのアニメドラマ…美味しそうな料理ばっかだったもんなぁ…。

ああ、そろそろスープやシチューの美味しい季節だ。



ISBN:4122039827 文庫 佐藤 かずよ 中央公論新社 ¥600
本屋の棚でとっても目立っていた…目立つはずだ。
宮崎駿氏のイラストが前面にドバッと。

美しい水彩画。
砂浜の続く浜辺。
静かな海。
雲間に覗く夕日を背景に、崖の上に教会が建つ。
小さな教会だ。
尖塔とがっしりした屋根の形が陰となり、まるで大きな海を睨んで建つ砦のようにも思えてしまう。
教会への道は浜辺から急な坂で繋がっている。
そしてその向こう側には小さな屋根がひしめく村が、ひっそりとだがなにかしらの存在感ももって、ひとかたまりの影となっている。

表紙にはTYNEMOUTH(タインマス)

僅か65歳で急逝(肺炎)した作者、ロバート・ウェストール。
その小作品を3編収めたのがこの本である。
すでに福武書店から出版されていた物語でもある「ブラッカムの爆撃機」。
それは、少年向けの物語であるのだが…。

時代と舞台は、第二次世界大戦。
英国空軍における、ドイツへの爆撃…その一部隊に属する男たちの物語だ。

はっきり言って…こわいぞー(笑)

爆撃の帰路、ドイツの夜間戦闘機と戦う羽目になった2機のウエリントン爆撃機。
オヤジ(機長)を始めとして、ポール(機種銃手)、マット(操縦者)、ゲアリー(無線手)、キット(航法士:ナビゲーター)、キッド(尾部銃手)の6人が乗り込むC号機は一路英国を目指していた。
そこへ現れたのがドイツ軍の夜間戦闘機・ユンカース。
狙われたのは、嫌われ者のブラッカムのウインピー(ウエリントン爆撃機の愛称)であった。
撃墜の危機、と思われたが、偶然の神さまが微笑んだのは、ブラッカムにだった。
堕ちて行く…なかなか堕ちずにその地獄絵図を見せ付けるドイツ軍の戦闘機。
パイロットの断末魔の声が、無線越しに響きわたる。(おまけに無線係・ゲアリーはドイツ語ができるときたもんだ)
長い時間、苦しみもがき、やがて爆発したドイツ機から発せられた叫びやすすり泣きの声は、非情なるブラッカム機の笑い声と交じり合って、彼らの耳に響き続けた。

そして…ブラッカム機の乗員達の(戦死ではない)謎の死。(一人はピストル自殺・ほかは帰還中に低空から飛び降り墜落死)
続いてその機に乗り込んだ乗員達が次々に"死"に取り込まれてゆく。
このウインピー、ブラッカムの爆撃機には一体どんな謎があるのか?

同時収録
「チャス・マッギルの幽霊」
もまた、第一世界大戦と第二次世界大戦の狭間を苦しみながら生きる人々の、"ちょっとした"ストーリー。
なかなか小粋なラストだと思うが、それも受け取り手によっては正反対の感想をもたれるかもしれない。

「ぼくを作ったもの」
は祖父とぼくの存在について。
ボクをつくったのは祖父である。
肉体的にも観念的にも…。

人は、どんな人生であっても、やっぱり、自分だけの人生を歩んでいる。

……言いにくいな。
なんて言ったらいいか。

まぁ、読んでもらうのが一番。

宮崎氏が物語「ブラッカムの爆撃機」の導入部分を、そしてその〆を美しい水彩画で漫画として描いている。
それを読むだけでも楽しいし、めっけものじゃないかな?
と思うのである。

ISBN:4000246321 単行本 金原 瑞人 岩波書店 ¥1,680
おのれ…レビュー出る気なしか!

(表紙写真は)折角の晴天白日の下の風船あげなのに……。

本年度のイヤーブックなので、リーグ戦を前にしての抱負とかきたいとか希望とか…選手紹介とか。
そういうものです。
なんで今頃こんな本を読んでいるかと言えば、"今頃"貰ったから。

会社では、グリーンシートと呼ばれる、バックネット裏のとっても羨ましい席を2つ確保(阪神甲子園球場と契約)している。
年間、○十万円という高額を支払っても、関西に本社を置く(ウチは京都本社という珍しい商社だけど)会社なら、接待で充分もとが取れる。

つまりそれだけ阪神ファンが多いってことなんだけど。

社員には回ってこーへんがな!
廻せ!
…と言いたい。心から。
口からは到底よう言わんけど(笑)

それでも昔は消化試合とか、チケットもろうて行ったんやけどなぁ…。
広島戦が圧倒的に多かったけど。

人気が出てきてそれも泡と消えた。
嗚呼。

とにかく。
今年のシーズンも終わったと言うことで、廃棄処分になるところだったらしい。
それを、私がファンだと知っているかわいい同僚(女性)が、療養中の私の元へ、わざわざ届けてくれたのである。
感謝!
大感謝!

そんなわけで今しみじみ眺めながら…来年こそは!
って、日本シリーズを無視した決意を述べているわけである。


ISBN:499014824X 大型本 阪神タイガース ¥1,200
母親の本棚から失敬してくる。

星野富弘氏。
60歳。

日野原重明氏。
94歳。

20代で、事故で、首から下が麻痺をした星野さんは、詩を書く。
絵を描く。
心を描き出す。

その詩と絵が、とっても素敵。

お二人の対談と、星野さんへのインタビューで本は綴られている。
薄い、一冊の本。
それは熱い心で、世界の誰かと貴方を結んでいる。

医学の実力は勉強によって獲得することができるけれども、病人学というものは自分が病気にならないと決して分からない。病気は理解できても、病む患者の心は理解できない。だから、自分の苦しかった経験は、決してむだではなかったと。(日野原氏)

私は、医者やナースになる人は、少なくとも死なない程度の病気になったほうがいいと思う。(日野原氏)

たとえば、長い間点滴をやっていて、お医者さんから「きょうで終わりだよ」と言われて、「もう少しだ、もう少しだ」と一滴一滴数えながら見ていて、たらたらっと点滴の最後の一滴がたれていって、最後にピッと止まった時、「わーっ、終わった!」と、もうほんとうにうれしかった。体の状態は何も変わってはいないのですが、そんなこともありました。このとき、人間というのはどんな時でも喜べるんだなぁ、幸せを感じられるんだなぁと気がついたんです。ああ、こんなに小さなことにも喜べるんだったら、私は、体は動かないけれども何か自分で楽しく生活できることも出てくるんじゃないかと、そんなふうに思いました。(星野氏)

健康な人は、健康の喜びや幸福感をあまり知らないんです。健康でない者からみたらうらやましいことですが、当人はあたりまえだと思っている。いざ病気になると、「ああ、健康って大切だな」と初めて感じる。そうして少しづつ回復し、化学療法をやめましょう、リハビリを始めましょうというふうになっていくと、「ああ、よかった」としみじみ思うんです。そこで初めて、心の喜びを感じる。心が健康になるんですね。(日野原氏)

人間は、体の具合が悪いと、心も不健康になります。けれども、病気が回復に向かって、七割八割と治ってゆくにしたがって感性が高くなってきます。だから、あまりに元気な人は、感性がちょっとねぇ……(会場笑)人は病むことや悩むことによって感性が磨かれていきますから、病気の回復期は皆さん、ほんとうに幸せな感じを持ちます。(日野原氏)

そして、それまで自分の中にあった、人と比べて生きるという姿勢がなくなりました。人をうらやんで、人が幸せになると自分は不幸になり、人が不幸になると自分が幸せになる。日常生活は何も変わっていないのに、常に自分が幸せになったり不幸になったりする。それを、毎日のようにくり返している。そういう世界から抜け出せた気がします。そして、自分が神さまにゆるされているのだから、自分も人をゆるすべきだと。これは少し努力が必要だったのですが、長い間聖書を読んでいるうちに、そういう考えが、少しは自然に持てるようになったんです。そして、人をゆるせた時に、いちばん平安を得るのは自分自身なんだということにも気づきました。(星野氏)


ゆっくりと。
しんみりと。

沁みてくる。

さまざまことば。
たった一度しかない自分の人生ですから、社会がどうあろうと、人が何を言おうと、そんなことにひるむことなく、大切な自分の人生を、志を持って進んでいけたらいいと思います。(星野氏)


志。
思い。
想い。

本当に。
たった一度だけの、今だけの、人生だから。

喜びを。
楽しみを。
無駄にしないで。

自分の人生も。
あなたの周りの人の人生も。

ISBN:4264024684 単行本 星野 富弘 いのちのことば社 ¥1,260
只今療養生活なので、こんなドラマものんびり家で見ていられると言う…贅沢な生活をしている。

この作品は正直とっても面白い。
舞台が大阪で、馴染みやすいということもあるだろうけれど、それ以前に、明るい!楽しい!笑いをくれる!という大事な要素が揃っている。

前回のNHKドラマは戦争を挟んで(戦争を中心に)愛知県岡崎のお味噌を絡めて(?)のドラマだった。
戦争へのスタンスは評価する。
だけど、何が悪いって、最終的に救いがないのが朝ドラとしては辛い。
なにもかも、完全に燃え尽きなかったけど(音楽・味噌稼業・母として)それでも一所懸命生きた。
それは分かる。心に痛いけど、分かるよ。
でも、なにも報われていないように"見える"。
この人の人生は…これでよかったのか?って思わせられる。
一所懸命で本人は納得しているからいい、とはすっぱり思い切れない何かしこりが残っちゃったのだからしかたがない。

人生いいことばかりはない。
ハッピーエンドでは終わらない。
そんなことは分かっている。
イヤと言うほど分かっている。
今の日本の社会で必死で生きている人は皆、そんなことは分かっている。
だけどねー。その"嫌な思い"の背中を、もう一押しするようなラストだったなァと思ってしまった。

その点、今度の「芋たこなんきん」はとっても明るくて、面白くて、前向きなれる。
このドラマも戦争を挟むわけだが、それで必ずしもどーんと不幸のどん底に落とされるわけではない。

本書は実は、母の本棚からの借用。
母親も面白がって、こういうものを買ってきているのだ。
人物相関図、は役に立つ。
人間関係が…すごいから。なにしろ時代が時代だから、家族が多い。
どっちも大家族だ。
賑やかそう…だけど、あっというまに風邪が流行りそうでもある。(流行りました、というエピソードが本日放送された。薬嫌いの内科医である父が、家族中に風邪を撒き散らしたと言う話。)

昭和30〜40年代(花岡町子が徳永健次郎に出会った頃)の背景。
或いは昭和の初めごろ〜戦争(花岡町子の幼少〜青春時代)の背景。
とってもノスタルジックで美しい。
そして、なにより驚いたのは、私がかすかに覚えている昭和の風景(昭和40〜50年)とたいしてかわっとらん!ということ。
高度成長期でどんどん建物が建って、生活が変わっていって…と思っていたのだが、ハード面でさほど変わりはなかったのだろうか?と思ったんだけど、なんだ、単に私の生活範囲が田舎だったと言うことだと気がついた。
京都市内の北の端っこの方。
左京区の山辺に接した田舎の町。
そこが私のふるさとである。

三輪車(車である)。
田圃に牛。
あぜ道の通学路には野ツボ(肥溜めのこと)が口を開けている。
小川にめだかとヤゴ。
家の前には向日葵。

(今はすっかり高級住宅地になってしまったが)

       懐かしく、また色あせない風景である。

あ。
「芋」 「たこ」 「なんきん」
は、女性の好むもの、として言われていた。
そのことは、私も知っている。
でも、もしかして、大阪(関西)特定かな?とか思ったりも。

「たこ」以外は私もその通り。(だけど私は嫌いで食べられないものの方が少ないけど)(おまけに、たこはダメでも、たこ焼きは食べるけど)

ちなみに、女性が好むものとして、
「巨人」「大鵬」「玉子焼き」
というフレーズがあったのも知っているが、
私が当てはまるのは「玉子焼き」だけだ。
「大鵬」は知らない。
「巨人」〜?は論外。
というか、これは、関西以外どこか一部地域の限定じゃないかぁ?とこの単語の出現の途端、疑ってしまうなぁ(笑)

ところで、この物語の主人公である作家・田辺聖子氏。

この人の作品は実は未読である。
学生の時ちょっとかじりかけて「読めない」と放り投げてしまったのだった。
難しかったんだと思う。たぶん。

谷崎潤一郎の訳した「源氏物語」を、さらに口語訳したのはこの人ではなかったかな?
なのに、それにも「訳をつけてくれ〜」と思ったような記憶が…それでリタイアしたような記憶が……だから難しいと思ったような記憶が………
           …ありますねぇ(笑)

いまだったら、平成語訳、とか、必要になるかな?

ISBN:4149235473 ムック 長川 千佳子 日本放送出版協会 ¥1,050
古すぎて、まあ仕方がないんだけどさ。
新書なのか、コミックセットなのか、どれでレビューを出すのか悩んでしまったよ。

値段だって、消費税なしの¥360だしな。(1983年刊)
中身は黄ばんだけど、この人の絵は本当に変わらない。
可愛らしくて、優しくて、でもって線が綺麗で見やすくて。
安定している。

筋書きだってたいしたもんだ。
人気が出てくると途中から下手に引っ張ったりして、ストーリーがぐちゃぐちゃに。
辻褄あがわないものになったりするものだけど、この人は揺るがない。
びしっと決まっている。
最初から。
(もしかして、引っ張られると言うことがないのか?)

舞台は西部。
西部と言えばアメリカで、拳銃とインディアンとゴーストタウンと銀行強盗だわな。

そして17歳の若者が3人(黒・茶・金とは某氏の科白)
順番に、ダグラス、カード、ジョエル。
行きずりの少女・ミリアム(8才)の計略にまんまと嵌まった彼らは、町外れのグレースの牧場で臨時の牧童として働くことになるのだが。

この町、ウェルズタウンは、その一見平和そうな雰囲気とはうらはらに、サドなる男が支配する、無法者一歩手前の町であった。
数年前に消息をたった、お尋ね者ミスター・ブルーに関わる秘密がこの町には隠されているらしい。
そしてなぜだかダグに構いたがる怪しげな牧師の存在。

ギャグとシリアスが光明にマッチして、笑いながら西部劇に親しめると言う、とっても素敵でお得な作品。

西部劇って、だいたいお笑いなんだよ。
怖くて残酷なのはマカロニウエスタン(イタリア製ウエスタン映画)だもん。
どっかの州知事が良く出てきたのがこれ。
ジョン・ウェインの出るウエスタンはアメリカンだから、そしてあのキャラクターだから、観客を良く笑わせてくれるのだ。
有名な作品はもとより、
「100万ドルの決闘」とか「アラスカ魂」だとか、ちょっとマイナー(?)な作品もとっても面白くて好き。

ドシリアスの「アラモ」も素敵だけどねー。
あれは悲劇だから…。

西部劇ではないけど、(どうせ西部劇の主役のひとつ騎兵隊はも、もともと南北戦争時の北軍から派生したもんだしいいかなと思いつつ)南北戦争の黒人(だけの)部隊を描いた「グローリー」も大好き。
これは父親と見に行ったのだけど、一人だったら二度繰り返して見るところだった(当時は指定席・総入れ替え制ではなかった)
マシュー・ブロデリック主演也。
最後はほぼ全滅しちゃうんでこれまたシリアスな悲劇映画だけど。

いや〜でも。
西部劇っていいもんですよ。
リボルバー(拳銃のこと:現在よくみる自動小銃とは形が違うけど)だってよくみると美しいし♪
西部の女は格好いいし♪

話、逸れたなー(笑)

ISBN:B00007C7Y6 コミック ひかわきょうこ 白泉社
失礼ないいかただけど。

…久しぶりに秀逸!
なにより筋がすっきりして、寄り道もなく、分かりやすく、読みやすい!
この、読み易いというのが大切だと、私は思う。

だって学術書じゃないんだし。
いや、学術書だって文章力は問われる。

冗官(任官試験には通ったが、現在予備役。実際にしごとしてませんけどお給料は貰ってます〜というお役人だ)はクビ!
ということで、無駄な予算を削減しましょうと表向きはなるほどな理由で始まった官僚の大改革。
蓋を開けてみれば、というか、その本音は、邪魔な管理を一掃してしまおうという小ぶりな陰謀であった。

この物語の世界では、官吏・官僚には二つのパターンがある。
非常(非情でもいいかも)に厳しい国試(任官試験)を受けて合格し、官吏の資格を得、なんらかの役職に就く。(就かなければ"冗官"である)
これはいわば正統ルートというか、過酷な試験を潜り抜けた本当の秀才たちが選抜されるのだから頭も良い。

もうひとつは、力のある貴族の子弟が、推薦だけで役職を得るもの。これまた名前だけの冗官になって遊んで暮らすものも多い。(もともと働かないのが貴族だから、こっちの方が目的かも)

その二つが、現在は勢力を二分している。
…で、この機会に、じゃまな女官吏を抹殺するついでに、「邪魔な国史出身者を」「邪魔な貴族出身者を」抹消しましょうと、それぞれの思惑を秘めて話は進む。

新しい、御史台というお役所が出てきて、そこはまあ調査室みたいなこともやるのだが、そこのトップが無茶苦茶いい性格をしている。
友達も部下もいい性格をしている。

秀麗はその連中に目をつけられ、邪魔と判断されて、まぁ…酷い目に遭うわけだが。

女としての徳性を"甘い"とか"所詮お嬢さん"とか言われてしまう。
それは確かだけど、男しかいなかった官僚世界だから、それが常識とか当たり前とかルールとか、そういったものですべてを断ずる。
それが間違いだと言うことに、気がつかない。
なにもかも、"自分が正しい"と思うことが、間違っている。
"間違っているかも知れないけど、自分はこれで行く"
というのが覚悟ってもんだろう。

女の判断が間違っている、女の判断では無理。
その言には、実はなんの根拠もない…ってことに早く気がつかせてやれればいいね。
そうは思うが、作者の意図はいずこに?
どこにあるや知れず、ではなんともいえないか。

ここまで深入りして、擬似中華風・美形勢ぞろい・お楽しみ小説を、どんどん(別方向の)深みにはめてしまって、なんとかなるのか?
バランスは大丈夫なんか?と思わずにはいられない。

まぁ…人間離れした連中ばかりでてきてうんざりさせられるよりは、はるかにマシだけど。

国母になって、政治改革。

…というのは、そんなに悪い手ではないと思うけどな。
正面攻撃が許されない女の、必殺技。
使ってなにが悪い〜?へっ! てなもんよ。


……………………
で。
この彩雲国。
どうにも構成が納得いなぬ。

それぞれの有力家が王家なんかほったらかして勝手に支配できるようでもある。
それぐらい王家をないがしろにしている様子である。
なら、いっそ、夫々の国が勝手に王様を抱いていればいいのではないか?
なんで王様にお仕えするの?
しかも、いきなりもう、辞めさせて帰ってこさせるとか、えらく簡単に決めてるし。
じゃあ何のために首都へいって宮仕えなんかするんだろう?
行儀見習いはそれこそ、どこでもできる…。
各地の有力者(八色の人たち)の存念が良く分からないなぁ。
それともこの物語は、王様を中心に官僚が頑張って中央集権国家を作りあげるという、壮大な物語だったのだろうか?

でもな〜たいしたことない、意味もない、と思っている王様なら、自分のとこの姫君を嫁がせる意味もないような。
勿体無いような。

その辺、作品の設定がいまいち不明ですナ。


ISBN:4044499128 文庫 雪乃 紗衣 角川書店 ¥500
わずか10年前の単行本なんだけどね。
1巻2巻と出て、3巻目は出ずに終わっちゃったんだな〜(しみじみ)

舞台は江戸(時代)のパラレルワールド。
尾張国・京などの諸国は、江戸国の"皇帝"によって統治される。
大奥は中国・清国調の美女が行き交い、交易は主に海路をゆく帆船を操る商人が行う。

その帆船も、所謂西洋帆船ではなくて、日本の○○石船、というやつ。
菱垣廻船とかありましたね、そういえば。
帆が一枚で、竜骨がなくて、嵐にあったらあっというまにあの世行き…"板一枚、その下は地獄"という。
すべて幕府の厳しい統制ゆえのこと。
立派な帆船を作ったら、海外に行かれてしまうからである。

大商人で大富豪の紀伊国屋の一人息子(堺の歌姫が生んだ子供)シェナンド(そう、名前も和洋折衷なのだ)
父親に感動され、ぼろ船ひとつで商人への道を歩き出す。
彼の仲間は、父にも付き添っていた"じい"と、航海には絶対必要不可欠とされる、"風読み猫"のフィー。
たった一人と一匹であった。

そうなのだ。
猫はだいたい東西関係なく、好んで船に載せられていた。
積み荷を鼠(これまた船にはつき物だ)から護るためでもあり、純粋にペットとして持ち込む船乗りもいた。
積荷を護る、という意味では、日本から隣国中国(隋・唐)に送られた遣隋使・遣唐使がもちかえる経典の保護のため、猫をのっけたのが始まり、と言われている。
散歩させずにすむ点では、確かに犬より猫の方が向いているだろう。
ロープだとか高低差だとか、全体的にコンパクトにまとめざるを得ないこととか、帆船の中は凸凹していて冒険心に富む猫には特に向いていそうだ。

猫は帆船には必要不可欠な、尤も大事な"風"も呼ぶ力があるという。
そこら辺を取り入れてこの作者はこの"風読み猫"を物語りの中心に入れたのではないだろうか。
特に三毛猫の雄、は最高の風読み猫になるという伝説を作ったりするなど、猫のことをちょっとでも知っていたらにやりとする設定だろう。
なぜなら、三毛の雄は滅多に生まれないからだ。
遺伝上の問題だそうで、遺伝子の結合として、虚弱な固体を作るのだか、とにかく"生まれにくい"命らしい。
だから、もし存在するならば、とんでもなく高価な値段で取引されるのだと。

このシェナンドが風読み猫(まだ仔猫)として伴う貴重な雄の三毛猫フィーは、実は彼の父・紀伊国屋シューリッヒが風読み猫として伴っていた"伝説の美形猫・アルフォンス(♂)"の息子なのであった。
(猫なんだけどなぁ)美形ゆえに伝説というのではなく、嵐の中でも遭難させないその仕事振りも評価されているらしい(笑)
紀伊国屋が莫大な財を成した力の半分は、アルフォンスの力である。(しつこいけど、猫なんだけど)(笑)

そして、風読み猫の言葉は、海で生きる人間にしか理解できない、というおまけ付。
つまり、海賊とか船乗りとか(船を使う)商人とか…。
まあ…言葉が分からないと、猫がいくらいい風を見つけても、なんの役にも立ちませんから。

その海上航路をゆく商船や貴族の船などのお宝を狙う海賊・村上シルバーとの出会いがあり、以後彼との腐れ縁も続いて、船幽霊(猫だけど)だの、殺し屋だの、地方国の陰謀だのと、時代劇にありがちなストーリーが展開されるのであった。
ただし。
猫が擬人化して出てくる、活躍するのが、目新しいのと、江戸時代の時代劇パロディみたいでかなり笑えた。

海賊に村上の名前をつけるあたり、実際の歴史事実をかなりもじっている(つまり勉強をしている)のもね、面白いと思う。
ただし、船の操舵とか操作性については、「おいおい」と思うところも多くて、まぁ…それこそマニアックな世界の話だから突っ込んではいけないと自制することしきり(笑)

ただ、マニアックな笑いになりそうだったので、続くかな〜?とかなり不安だったのは確か。
案の定、本棚から探り出してネット検索してみれば…3冊の単行本のみで(1冊は別のストーリーらしい)それきり切れちゃったみたいだ。
漫画の世界も厳しい世界だ。
人気だけが、読者の支持だけがモノをいう世界だからね。
(人気投票ってすごい影響力をもつらしいし…)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東洋の帆船の歴史について。
とある日、とあるテレビで、「元代の帆船のすばらしさ」を語っていた。
中国の歴史上、最高の技術!
と言うてましたけど。
……ちょっと違うんじゃないかな?
技術力と言えば宋代(元のその前の漢民族王朝)から上げるべきでしょ?
だって元寇の乱の海軍力をちょっと考えてみてもさ…元は他所様だのみだったし。

隔壁を作って、たとえ外板の一箇所が破れれたとしても海水が流れ込むのは隔壁に囲まれたひとつの部屋のみ。
あとは浸水しない。
そのように作った船で…元のあとの明代には鄭和が大航海を成し遂げている。
アフリカ大陸まで行ったのだからそれはもう!
元代がその技術を継いで完成させたのだとしても…やはり挙げるのなら(褒め称えるのなら)その前の宋代ではないの?
…と思うんだけどなぁ。
認識が間違ってるのかなぁ?私。

日本だって、安土桃山時代には山田長政とか、東南アジアぐらいにはばんばん人が渡っていたのになー。
おりしもヨーロッパはアメリカへの移民もあったり、アジアへの進出(と強豪列強の植民地争いとか)もあったりで、世界中が"海外へ!"の時代だった。
日本もそのブームに"乗れて"いたのに…。

鎖国によって育まれた島国の特質は、よくもあり、わるくもありで一概には断じられないものである。
ただし、海は外界との隔てであり壁でしかない、コワイものに成り果ててしまった。

英国のように海は"外界への自由自在な道"という意識は生まれなかったのだ。

ISBN:4049246252 コミック 香乃呼 ゆり 角川書店 ¥407

どろろ (第4巻)

2006年10月17日 読書
全巻・4冊ともレビュー付とは嬉しい限り。

さて。
最終巻ともなれば、主役のお二人、百鬼丸とどろろの身辺整理もなさねばならない。

どろろの父親は有名な夜盗・火袋。
農民出身の彼は、戦国の世の武士の自分勝手な戦にたいし、ささやかな民衆の反抗と言う形で夜盗に身を落としたのだった。
…で、その集めたお宝が、ですね。
母親がどろろの身体に遺した刺青によって位置が確認できるわけ。
どろろは両親に大恩をうけながら、両親を裏切って、情け無用・正真正銘の無法者となったイタチに狙われ拉致されるのだった。

その道すがら、袖擦りあった鮫の妖怪を倒して声を取りもどした百鬼丸。
古寺に巣食う鼠の妖怪(ちょっと誰かの小説を思い出すんだよなぁ)(笑)を倒したりして順調に戦績を伸ばしていると再び父・醍醐景光に再会してしまった。
会いたくなかった…父には。
会いたかったかも、母には。

最後の戦いは、百鬼丸にはもう分かっていた。
誰が。
なにが。
        最後の妖怪なのか


百鬼丸の戦は、戦国武士に痛め付けられた領民たちの反乱を呼び、醍醐景光は妻・縫の方のみを伴って落ち延びることとなった。
天下統一は、もはや夢の夢。
わが子の身を犠牲に見た夢は悪夢でしかない。

戦いの後。
今度こそ、百鬼丸はどろろに別れを告げた。
彼女が、百姓とともに、弱いものたちとともに、"強力な悪"に立ち向かっていくことを願い、愛刀を譲って。
そうだ。
たとえ、助けを求める時は平身低頭。
いざ助かれば
「あんたも妖怪の仲間だろ。だって足が生えてきたじゃないか。さっさと村から出てってくれ」
といきなり態度を変えるのが百姓たちの本性であっても。
(怖くて弱くて逃げるしかないのが百姓だから仕方がない)

百鬼丸は
それから
どこへ行ったのか
ついに
だれにも
わからなかった

あの48体の
彫刻をひめた地獄堂は
さらに50年ののち
戦火のために
焼けてしまった
ということである


著者は、そう締めくくっている。

ISBN:4253062601 単行本 手塚 治虫 秋田書店 ¥440  

どろろ (第3巻)

2006年10月17日 読書
実は私は「伊賀の影丸」を読もうと思って捜していたのだった…ということに今頃気がついた。
それがだね、ぽろりと「どろろ」がでてきたもんだから、これを続けて読むことになったのだ。

全4巻中、第3巻。
百鬼丸とどろろ、そろそろお互いの背景もはっきりしてきたところで、百鬼丸を地獄の苦しみに貶めた父・醍醐景光登場。
ついでに母・縫の方と弟に当る多宝丸まで出てきた…。
ひとつの町を二つに引き裂いた戦。
その時に焼けた丘の上の砦の焼け残りが、"ばんもん"と呼ばれるわずかな板塀である。
だが、二つの町の人々は低い丘を越え、単なる小さな塀である"ばんもん"を越えて引き裂かれた身内のもとへ行くことはできない。
なぜなら、そこには権力者がいるから。
ばんもんの両側には、敵対するそれぞれの権力者(領主)が、常に目を光らせているからだ。
丘を越え、ばんもんを越えれば、即、スパイとして処刑されるのだ。

ばんもん…の名称は、最初にこれを読んだ子供の頃は、てっきり朝鮮半島を二つに分けている例のあれ"板門店"のことだと思っていた。

その次はちょっとだけ賢くなっていたので、板門店をもじって(風刺して)いるのかと考えた。板門店というのは、なにかこういうものなんだろうと思ったりもした。

……さて。どうなんでしょ(笑)
深読みすれば、読めないこともない…か?

ここに巣食う九尾の狐を倒し、ついでと言うか些細な誤解で弟・多宝丸まで手にかけて、百鬼丸は鼻を取り戻す。
なんとなく自分の素性がわかり、実の父である醍醐景光から息子(弟である多宝丸のこと)のカタキと追われる身になった百鬼丸は、どろろと袂を分かつことにする。

その直後、やたら人の顔を欲しがる不動さん…のふりをした妖怪を倒し、右耳をゲット。
妖怪に操られた死霊ですらどろろに情をうつして助けてくれるひとまくもあった。
この死霊は、実際、人間より優しいのである。(人はいつも最後には裏切るというパターンがこの漫画にはある)

戦国時代なので、どこにも悲劇は転がっているが、同様、どこもかしこも人間の欲や執着やえらくおどろおどろしたものが渦巻いている。
この作品は、そんな人間の内面を見つめなおす働きももっている。

では、次はいよいよ最終巻へ。

ISBN:4253062598 単行本 手塚 治虫 秋田書店 ¥440

どろろ (第2巻)

2006年10月17日 読書
百鬼丸の父は、醍醐景光、母は縫の方。
どろろの父は、大盗賊火袋、母はお自夜。

どろろの両親と生い立ちの話から始まる第二巻は、人の生血を吸いたがる妖刀を倒して右目が、宇宙からやってきたらしい蛾の妖怪・マイマイオンバを倒して右足が戻ってきました。

マイマイオンバに見込まれ騙され操られていた人間の、まるで死んだ魚のような目をした領主の名前が鯖目とは、さすが手塚センセイ洒落が効いてますな。

ISBN:425306258X 単行本 手塚 治虫 秋田書店 ¥440

どろろ (第1巻)

2006年10月17日 読書
日本の戦国時代。
天下取り(日本制覇)を目論む武士・醍醐影光(こんな字だっけ?)は、まもなく生まれる自分の第一子と引き換えに、地獄堂の魔神と契約を交わした。
「わしに天下をくれるなら、代わりに、子供の身体の好きなところをもってゆけ」

魔神の数は48体。
子供は目や耳や腕や足といった、その身体の48箇所をなくした状態で生まれてきた。
勿論、醍醐影光はそんな子供を自分の子として育てる気などさらさらなかった。
速攻川に流されたその子供を、一人の医者が助け上げる。
医者はその子に百鬼丸と名づけ、仮の身体を作ってやり、自由自在に扱えるように訓練する。
だが、生まれる前から魔神との契約で身体の48箇所をも失った百鬼丸には、妖魔とのかかわりを絶つことのできない運命が待っていた。
育ての親に害が及ぶのを避けるため、また実の親(醍醐影光)の欲望の為になくした身体を取り戻すため、百鬼丸は旅に出る。
彼に惹かれて集まってくる妖魔を倒し、彼の身体を盗み取った妖魔を倒し、自分の身体をひとつづつ、取り戻してゆく。
その過程と途中で知り合ったこそどろ・どろろとの交流を描いた、なんとも不思議な雰囲気の流れる、魅惑的な作品である。

いまのように、ただ生理的嫌悪感をもたらす描写ではなく、なんともおどろおどろしい人間の精神的な深遠に衝撃を与えるような、でもこんな社会はおかしいよ、とちょっと教育指導的な(?)においも一瞬思わせるような、不思議な魅力をもった作品なんである。

最初は"日本昔話"のように始まって、途中から妖怪・オバケがぞっくぞくの、怪談になっていく、その変貌・過程がたまりませんわ♪

むか〜し、(覚えていないけど)白黒アニメでテレビ放送があったようだ。
アニメはとにかく、原作だけでも、私も含めてファンは多い。
でも、百鬼丸が48箇所の不具者であることや、どろろが孤児でこそどろであることなど、出てくる科白がムニャムニャ(放送禁止用語の連発)で、公共の電波には乗せられない事情があったため、日の目を見なかった。(テレビアニメの声だけのレコードは販売されていた。勿論、私ももっていたし。←昔はこれだけ。宇宙戦艦ヤマトだって最初はこれだけだったのだ。)

だがしかーし!
先日、市内のマイナーな映画館で広告を見たのである。
そうか…修正して、映画撮ったのかな?
迫力不足じゃいかな?とか思ったけど、見たい。
でも、無理だろうなぁ。
長くは掛からないだろうし、私は療養中で時間が取れない。

ところで、今でも思うけど。
強くて格好よくて、妖魔をばんばんやっつけて活躍するのは、主に百鬼丸のほう。
でも、作品の題名はどろろ。
幼児の、"泥棒"として言い切れずに"どろろ〜"と聞こえたのが、命名のきっかけだと、なにかで聞いた覚えもあるけど…。
やっぱ主役は百鬼丸だろう、百鬼丸にしてほしかったと、今でもしつこく思っている私であった。

第一巻で、百鬼丸16箇所奪取也。


ISBN:4253062571 新書 手塚 治虫 秋田書店 ¥440
一応病気療養中にこんな本を読もうと思うのが阿呆なのかもしれない。

本文387ページ中146ページで頓挫してしまった。

著者はカナダ人。

何が悪魔かと言えば、各国でさまざまな事情で禁止されている食物・嗜好品(酒・タバコ類)などとりあえず、口(人体)に入れるもので禁止されているものを体験しに出かけて行った、作者の体験記・旅行記・観察記みたいなものである。

その旅行がピクニックであるといいたいのだろうが、死刑判決のたくさん出ているシンガポールに禁制品を持ち込むとは、ちょっと他国の法律をバカにしているのではないかと思う振る舞いである。(死刑の対象になる麻薬ではないにしろ)

"禁断の果実"の内容は、
?イェメベント;北欧の(密造)酒(スウェーデン)
?クラッカー;ポピー(芥子)粒入り(シンガポール)
?エポワス;生乳チーズ(仏蘭西)
?クリアディリャス;牛の睾丸(スペイン)
?コイーバ・エスプレンディード;葉巻(キューバ)
?アブサン;酒(ヨーロッパ)
?ショコラ・ムース;(南欧)
?コカ茶;(南米)
?ペントバルビタール・ナトリウム;(スイス)
           ・()内は旅行の舞台及び産地

読んだのは?〜?なので、あとは微妙に間違って(ずれて)いるかも。
ご容赦願いたい。

それぞれは、産地ではOKだが、輸出(輸入)を禁じられていたり、加工を強制されていたりする。
日本が狂牛病でアメリカ牛肉にストップをかけるようなものだ。
それをわざわざ現地に赴いて味わい、または、禁制品を購入し密輸しようとするその顛末が綴られている。

内容(テーマ)は面白いと思うのだが。
頓挫した原因は、文章だ。

面白くないのだ、はっきり言って。

気持ちをそそらない。
ページをめくりたいと思わない。
おもろない、というやつだ。

確かに、筆者個人の体験記ではあるが、私観が入りすぎている。

最初の100ページ弱で、

・危険危険と衛生的になりすぎて、人間は抗体をなくしてしまい、自ら滅びの道を選んで進んでいる。(日本人には耳が痛い)

・今まで数百年の製法がなぜ今になって否定されるのか?製法を変えたり材料を替えたり下手な加工処理をすれば味は大幅に落ちる。そしてそれはもう従来の(昔の)製品とはまったくのベツモノである。(従って、現地では昔の製法のまま美味しく食している)

・禁止するから、余計に求める。アメリカ禁酒法時代がいい例だ。ほうっておいてやれば自分で規制するようになる。だが人類は同じことを繰り返す。

…ということが言いたいのだろうと察することができた。
だから、余計先を読む気がなくなったのかもしれない。

10年ぐらい寝かしておいて、ほどよいお味になったと思われる頃に"積読本の下"から取り出して読んでみることにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シンガポールの現状(作者の主観のみか?)が想像とはかけ離れているのには正直驚いた。
若者はシンガポールを離れている。
税金が安いから綺麗だ(官の力が強い)からとどんどん移民する日本人とは正反対だ。
ひとつの政権が長い間居座り続けた結果、法律を思うままにし、若者が夢を抱けない国家に成り果てている(と著者は述べる)

何をしてもだめだめだめ!

こんな(恐ろしい)統制国家の下で、人間は無気力なただの肉塊となっているのだと。

ラッフルズ・ホテルだけがラウンジやロビーの絨毯を食べこぼしで汚しても構わない、歓迎される唯一の"すばらしい"場所だそうで、それには笑ってしまった。


麻薬以外の軽犯罪(信号無視とか鉄道内での飲食〜チューインガムは全面禁止〜)については、ガイコクジンには甘い、とのことだ。

でも、とにかく尋常ではないから、気をつけないとね。
注意一秒・怪我一生。
遊びに行くなら兎も角、あんな熱帯で無期懲役なんてのはごめんだ。
(何かあったら、とりあえず、ラッフルズ・ホテルに逃げ込むことにしよう)(笑)


ISBN:4152087471 単行本 仁木 めぐみ 早川書房 ¥2,100
長浜城を攻めたウツボ忍軍が全滅。
大きいことを言っていたわりに全滅では、これからの商売上がったりである。(忍者は派遣業なのであるから世間の評判は軽視できない)

てなわけで、名誉挽回とばかりウツボ忍軍のお頭は飛騨忍軍への復讐を検討する。

赤影たち手だれに直接当ると怖い(?)ので、彼らが不在の飛騨の里を急襲。
知らせを聞いて駆けつけた赤影たちを襲うのであった。

…お頭の最後はあまりにも…で、でも、いかにも世の中ってそんなものよ、と教訓的でもある。
ちょうど三日天下の明智光秀のようなもの。

既成に囚われないバージョンの忍者や忍術を見ることができる、面白い作品である。

ISBN:4253061710 新書 横山 光輝 秋田書店 ¥440
うむぅ…二巻目はレビューなしか…。
夕べは腹痛(というか腸が動きすぎて眠れず)のため、勢いで3巻まで読んでしまった私であった。

金目教の陰謀を解いた赤影一行であったが、時代は戦国。
次から次へとお仕事はやってくるのである。

忍者って時給?
日給?
それとも、1件いくらの契約かな?

首の数で歩合制、とか…?(中国かよ)

次に現れたのは"うつぼ忍軍"である。
とりあえず、敵には、おどろおどろしいというか、気持ち悪い名前をつけておこうと言うのが常道である。

昔は大阪のまんなからへんにある同じ地名が読めなかった私である。
靭という、その字が。

舞台は長浜城。
城主は羽柴秀吉。

護るのは、ご存知飛騨忍軍であり、赤影・青影・白影のメインキャラのほかに、紅影や黒影なども登場する。
○影、と名前の付く忍者はテレビドラマでは登場した…かな?
覚えがない。
そういう意味では貴重かも?

ISBN:4253061702 新書 横山 光輝 秋田書店 ¥440

< 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 >

 

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索