病院で点滴している4時間ちょっとの間に、読了。
途中時々熟睡してましたけど(笑)

知らないことも多かったけど、楽しかった。
詳細は後日に補足します

《補足》

…ということで補足します(笑)

【京都市内の区分】
・平安京…左京・右京
   ⇒右京の没落・左京の隆盛
   ⇒左京中心に南北が長くなる

・室町時代…上(御所のあるほう)・下(南のほう)に分かれる
   ⇒三代将軍足利義満による花の御所の造営のため
   ⇒「上」には公家屋敷・武家屋敷、それらに関わる御用商人・有職技術者が集中し、「下」には商家・町人など町衆が集まる  
   ⇒やがて上京・下京の呼び名が生まれる

・16世紀…上京:120町、下京:66町の町名あり。それぞれの公会堂の役割を果したのが、「一条革堂」と「六角堂」である。今はどちらも中京区に存在する。(⇒後日、上京と下京の真ん中あたりを囲って新しく中京区が発足したため)

・昭和4(1929)年…中京区・左京区・東山区誕生(全5区)

・昭和6(1931)年…右京区・伏見区誕生(全7区) 

・昭和30(1955)年…北区(上京から分離)・南区(下京から分離)誕生(全9区)

・昭和51(1976)年…山科区・西京区誕生(全11区)

現在に到る。

…で、生粋の京都人であるおばーちゃんの中には、「うちは上京え、中京なんかとは違いますんえ〜」という方もいる。
というのも、中京区は77年前にできたばかりの新参者だからである。
いわんや、今でもわりと多くの京都人が、山科(現実問題市内中心部からは"山の向こう"だし)や西京区に対しどういう感情を心の底に抱いているかは…察せられよう(居住者の皆様ごめんなさい)

【第二次世界大戦中の空襲】
京都には、空襲がなかった、というのが俗説だけど、そうではない。
在ったのだよ。実は。

しかも、アメリカで発見された原爆投下予定地図(作戦地図)には京都が目標になっていた。
場所は梅小路機関車で、盆地ゆえに南北とどこおりなくすべてに爆発の影響がー火災と放射能となんやかや、悪魔の手先成るものーが及ぼすであろうと言う悪魔の論理によって。
京都潰滅劇を描いていたらしい。
文化財があるから大丈夫、空襲地図の予定外にあった、というのは大きな間違いであるらしい。

……あぶないあぶない。
私、生まれてこないところだったよ。

そして、空襲はあった。
・昭和20(1945)年1月16日深夜…東山区馬町(死者41人、負傷者48人、被害家屋316戸)(戦後調査)
・同3月19日…右京区
・同3月22日…北区
・同5月11日…上京区・右京区(御所春興殿にも落ちた)
・同6月22日早朝…上京区西陣出水〜正親地区(死者50人・負傷者66人・被害家屋292棟)(当時の医師の証言では負傷者は300人以上)
だがしかし、情報(ラジオ)では軽微な被害、としか伝えられなかったらしい。

ちなみに、上京区下立売通智恵光院西入るにある「山中商店」にはショーウインドウのなかに、商品とともに西陣空襲の爆弾の破片も展示されているそうだ。(知りませんでした)

【地蔵盆】
受難の時代があったのだなぁ…と改めて認識。
というのは、
明治4(1871)年から5年にかけて、京都府から「地蔵取除令」「祭祀禁止令」が出され、町中の地蔵やお堂が処分され、お盆の施餓鬼も送り火も、盆踊りも地蔵盆も禁止された。石地蔵が集められ、石垣や小学校建築の柱石に転用された令は多いそうだ。それでも人々は町のお地蔵さんを壬生寺に預けたり、地中に埋めたり、井戸の中に避難させたり、また町年寄が自宅内にかくまったりして、廃仏毀釈のほとぼりが過ぎるのを待った。


壬生寺のお地蔵さんは、10年ほど前までは露天に山のようになってお祭されたいたのだが、養老院建設とか寺内の整備とかで消えてしまった。
今はどこか室内にでもひっそりと在るのだろうか?

町年寄が自宅に避難…まるで隠れナントカみたいですね。
隠れきしりたんとか、数年前までの隠れタイガースファン(地方に多かった)とか…(笑)

嗚呼お地蔵さん、ウチの町内も地蔵盆の時だけ借りてきてますが…ご近所にはお地蔵さんの立派な祠があって、常に供物や蝋燭やお線香やが捧げられてます。
お年寄りや勿論、いまでも通りがかりに拝んで通る、それが京都市内のごくごく普通の光景ですね。

【春雨の謎】
「春雨じゃ濡れてゆこう」
は月形半平太が京都・三条の宿を出るときの科白である。
この解釈は、
「春雨だから、風流に濡れていこう」、というのが優勢なのだが、実は違う。
「京都の春雨のような横から降り込んでくる霧雨のような雨では所詮傘をさしても無駄。いっそ傘無しで行こう」という意味らしい。
性悪な気象ですんませんな。

映画「古都」でもあったように、今まで晴天見事な晴れ、だったのがいきなり霧雨がざーっと降ってきたり、またそれがからっと晴れ渡ったり、京都の気候は【京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象】と、気象学的には分類されるそう…。

ほかにも、へー、ほー、と感心することしきり。
昔の、貴方の知らない京都に出会えますぞ。
(愛宕山にケーブルは残してほしかったなぁ)

ISBN:4270100648 文庫 黒田 正子 ランダムハウス講談社 ¥735
母と一緒になって見ています。


お値段がいいのでさんざん迷った末に購入を決めた一冊。
全然知らない、或いは名前だけ知っているという昔の女優さんの着物姿が美しくてうっとり…。
戦後というかたぶんモガの時代も"着物に洋髪"はあったんだから、いまの崩れた着方も受け入れられるはずなのに、なぜダメなんだろう?とおもったら。
大きな違いが。
そうか、黒髪だから許せる。
ちょっと明智小五郎の世界みたいで、怪しくて美しくて、素敵な若奥様とか…。
あれも黒髪だからか。

あと、日本髪と洋髪のときの着付けの違い、とか…あるんですね。
流石だ。

洋髪だと襟を抜かないんだって。
はぁ…そうか。(としか言えない私。なぜなら着物がきられないから←腸障害のため、おなかを締めるのは一切ダメなんである)

でも、憧れるね。

とにかく、着物そのものが(白黒写真の大昔に、女優さんが実際に着てポーズをとっているのが)珍しいのもあるけど、カラー写真の色合いとか当時の絵とか、流行の小物とか、面白いです。

こりゃ、保存版だね。
…はいいけれど、また母親にもっていかれそうな気も……。


ISBN:4072532444 単行本 主婦の友社 主婦の友社 ¥2,100

京都の不思議

2006年10月9日 読書
京都の地名や言い伝えや、普段京都人が普通に使っている言葉、単語などの大元を、徹底的に追いかけていくという、著者の情熱に満ちた本。

著者はもともと京都の人ではない。
学生時代に京都に来て、好奇心のままに歩き回り、仕事を得て京都に住み、いまは原点に戻って京都の謎を追いかける。

実際、京都人が追求しないこと。
なぜ?
と理由を考えないで使用していることを、改めて「なぜ?」と追い詰めてゆく。

本当に、え?そうだったの?
そんなん、知らんわ、聞いたこともないし。
な〜んて思うことがたくさん出てくるから不思議不思議…。

ほ〜なるほど。
と心地好い後味感を出してくれるのだが、ある程度、いやかなり京都の地理とか常識とか気質とか、に通じてないとちんぷんかんぷんで、蜘蛛の糸を解すこの充実感というか高揚感を味わうのは無理かもしれない。

罪な本…(笑)

ISBN:4270100648 文庫 黒田 正子 ランダムハウス講談社 ¥735

悪魔のささやき

2006年10月9日 読書
「そんなつもりはなかったのに」
「こんな恐ろしいこと、自分でも良くできた、と思います」

悪魔がささやく。
魔がさす。

どれも同じこと。

他人への暴力だけでなく、自殺して助かった人たちも、「なぜあんなことを?」と思うという。

そんな時、誰かが背中を押している。
最後の一歩を、最後の一線を越えるなにかを、導くものがある。

著者はそれを"悪魔の囁き"と呼ぶのだった。

神経科の医者として修行し、後に作家に転向した著者であるから、精神病としてそれらの実例をいくつも見てきた。
自分が仏蘭西の片田舎に留学してノイローゼになった時もそうだった。
留学したのはパリだったが、実習研修で片田舎にやられちゃったらしい。
日本人どころか、黄色人種が独りもいないような仏蘭西の片田舎に。
周りの人が意地悪だったわけではない。
田舎の人はどこでも素朴で親切な人の割合いが高い。(ひねくれモノが皆無とは言わない)
だが…日本語を封印して、研修だからつまり勉強でしょ?しかも実際に患者を目の前にして…フランス語でやらなきゃいけない。
でも細かいニュアンスが分かるほどフランス語に習熟していないし…と見事にノイローゼ。
そして気晴らしにパリに出たら、ちょっと留守をした時に車に積んでいた大事な資料(研修記録やらなにやら)をごっそり泥棒にやられ、そのまま車で行方を定めず放浪の旅に出てしまったという。
で、事故死の多い峠で同様に事故をおこし、崖から車ごと40〜50m下にダイビング…ところがそこには浅い沼が。
奇跡的に怪我ひとつなく、命拾いしたという。
そこで居直って、何かが吹っ切れたように元気になったらしいのだが、また数カケ月たってうっとおしい来たヨーロッパの冬が来たらずぶずぶと落ち込んでいったらしい。
そういうものなんだと。
著者の場合は、痛め付けられて限界に来ていた神経に、盗難という事件が背中を押してしまった。
本当なら死んでいたところだ。

自殺にしても。
たまたま同調者がネットにいたから。
それがなければ、ふっと我に返って、「なんでそんなことを考えたんだろう?」と思っていたかもしれないのに。
たまたまそこにナイフあったから。

そして。
現代人は"キレやすく"、衝動的である。
ヒステリックに喧嘩をし、しょうもない(些細な)ことで声を荒げ、手を挙げ、蹴り飛ばし、果ては、"そこにたまたまあった凶器で"人を傷つける。

特に日本人は、江戸の末期に外国から持ち込まれた西洋文明を咀嚼も程ほどに受け入れ、今度は第二次大戦後にやはりアメリカからもちこまれた民主主義を、その使用説明書を熟読せずに乱雑に取り扱っている。
この間の戦争(といっても、別に応仁の乱ではない)(笑)の時もそうだったが、"個"を育てることもせず(できず)、その場その場の流れや風潮や雰囲気に流されやすい国民性を創り上げてしまったのが今の日本である。

だから、多すぎる。
悪魔に囁かれ、自制が効かずに突っ走ってしまう人間が、この国には多すぎる。
悪魔とは、現代では、人の余裕のなさとか、(個が自分で確立できない)幼稚さとか、そういうところに潜んでいる。

どんな人間でも、悪魔に囁かれ、取り返しのつかないことをしでかしてしまう。
悪魔が狙っているのは特殊な人ではない。
あなた。
そしてあなた。

そして、その悪魔を育てるのは、自分自身なのだ。
撃退法を、学びなさい。


ISBN:4087203549 新書 加賀 乙彦 集英社 ¥714
事件簿の第二巻。

相変わらずの、石岡クン*里見ちゃん メインのパロディであるが、こっちは御手洗探偵もそれなりにご活躍されているという…(笑)

ハリウッド女優のレオナ松崎(暗闇坂の人喰いの木)さんも里見ちゃんの若さと度胸と迫力には少々たじたじ、かも。

こちらには特別ゲスト(?)として、あにさん&ヤチが登場…。
場所は京都の太秦映画村、もどき。

原書房って、歴史ものとかマナックな話題に関するものをたくさん出版している会社なんですよね。
マニアといえばマニアだろうけど。
よくぞこれを出したよね、と今でも思う。

そして、原作者(島田氏)はよくこれを公認したと…感心する。
尤も、そのお陰で原作者に対する親近感はぐっと増したんだけど。
そのくせ最近はお見限りだよなぁ(笑)


ISBN:4562032723 単行本(ソフトカバー) さちみ りほ 原書房 ¥998
久しぶりに発掘〜(笑)

島田荘司氏原作の推理小説の登場人物を自由自在に動かしてのパロディ漫画。
でも公認(笑)

な〜んと原作者に書き下ろし小説まで書かせているという…。
さちみんたら…。

主役は探偵の御手洗さんなのに、なぜか愛情は相棒で作家の石岡君に注がれて、それを読んでる私達の気持ちも石岡君に流れてゆくという(笑)

作者(さちみん)の陰謀だな。
龍臥亭事件(←友人に借りて読んで気に入ったので自分で買いなおした小説)…のヒロイン、女子高校生である犬坊里見ちゃんがごっつー可愛い。
可愛いのに、えらい非道いことをする人非人(石岡先生命!な娘だから)であるのが、漫画にアクセントを添えている。

ちなみに、「カラオケbox殺人事件」では、ゲストに「夢やしき」のキャラクターが…特別出演。
さちみん……。

なんべん読んでも笑える作家だなぁ。

ISBN:4562031093 単行本(ソフトカバー) さちみ りほ 原書房 ¥998
つまり。
東京都内の美味しいお食事どころの料理とお酒を漫画でご紹介してしまいましょうか♪
    という本である。

確かに。
すごく美味しそうに描いている。

人が食べているシーンというのは、口をあけてモノを咀嚼するな、と言われるように、決して品の良いものではない。
否、下品です。
はっきり言って。

それを描かないとご紹介にならないこういう漫画。
どのような苦労があったろう…。
とにかく、口に運ぶシーンを、ギャグのキャラクターだけではなく、リアルにも描ききっているのは流石プロ。

決して汚くも下品でもない。
お上手。

でもな〜どれもこれも、量が多すぎる。
私、絶対食べきれないぞ。

それに東京は食がまずしいからな〜。
と警戒してしまう。
東京に行くと、いっつも食べるところに困るのだ。
(とはいえ、数年に一度しか行かないのだが)
ちょっと休憩しようと思っても手ごろな喫茶店ひとつ見つからない。
高級店が美味しいのが当たり前。
手ごろな値段でかつ、美味しいところでないと…。
そんなもので、なんて食に貧しいところなんだ!と行く度に憤慨している。

大阪だったら安くて美味しいのは当たり前!だし。
京都だったら高くても納得する味だ(←身びいきである)

本書の内容はお肉料理が多いようだ。
若者向きか?
焼肉の話が出てきた時に思ったのだが。
実は私は外で焼肉を食べたことが一度しかない。
いや、別に、お高く留まっているのではない。
家がね…両親がね、大抵のものは家で作ったからだ。
マツタケと鱧の土瓶蒸しだろうと、会席料理(風)だろうと、焼肉だろうと…なんでも家で作ったから。
他所様の家庭も、それが普通だと思い込んでいただけなのである。
焼肉って、家で食べるもんだ、と。
同じように猪肉も家で料理したなぁ〜。
味噌で食べたら美味しいの。(臭いので嫌!ッという人もたまに
いるが、それってもしかしてイノブタを食べたんじゃないかな?と思う)

父親は鰻も家の俎板で捌いたし、私は中学時代にはすでに、野良猫と戦いながら(笑)鯵の味醂干しを作っていたものだった。(魚料理の師匠は父)
父の作る鰯のてんぷらは逸品だった…(遠い目)

まあそんなわけで、この年(内緒)(笑)になるまで、焼き肉店で焼き肉を食べたことがなかったわけである。
(ジンギスカンは二度食べた。流石に肉が入手できず…)その一度きりも、家族と、安いセットを頼んだだけで、この時以来、「やはり焼肉は家で食べるもの!」と思うようになったのである。
なぜか。

まあ、そんなこんなで、焼き肉店でのひと騒動である。
まず最初に網に肉を……すると!
ぼーぼーと、いきなり炎が!
炎をあげて焼ける肉に、あたふたするだけの私達。
どうすればいいのか(コンロの調整をすればよかったのだが焦って気がつかず)
おお慌てて肉を焼き、強迫観念に囚われて食べる肉が美味しいわけがない!
散々な目に遭って、結局
「焼き肉は家で食べよう」
という結論に達したのだった(笑)

いやしかし。
作者、ここまで描けるとは…取材費、ものすごく使っているだろうなぁとそれはつくづく感じた。

ISBN:4872339363 単行本(ソフトカバー) よしなが ふみ 太田出版 ¥924
前巻あたりから調子が出てきたな〜と思える佐々木節。

今回はまた、シェフの受難で話が始まる。
受難…か?
一人当たり5万円のフランス料理なんて。
すごい〜。
お酒は別で料理で5万!

確かに、トリュフの角をとって出してもいいわけだ。
(というぐらい贅沢をしていいってことだ)

だがしかし。
日本料理の、料亭なら、会席料理なら、5万円ってそんなに珍しい値段でないことに気がついてしまった。
嗚呼〜。

ソムリエの資格って、スチュワーデス(今はキャビンアテンダントか)も和食のお店も取るんだね。
持ってて損はしない、ということか。
別にそれで同行する、というわけではないけれど、普通の会社の経理に努めるOLが簿記の資格を取るようなものかな?
ないならないで、あればあれで、良い、みたいな。

泥棒が入った話も面白かった。
普通じゃないオーナーだからね。

だが、香宮さんという皆が憧れる(?)お客様の話が大笑いであった。
正体がばれて、それよりもなによりも、仕事(業界)がオーナーと一緒という、それがなにより残念ですってヤツ。

おっと、一番を忘れていた。
それは「魔窟」
経営コンサルタントをやり込める、ウンディーネのようなオーナー…。
強気で迫れば正論をも屈服させるのか。
ある意味力づけられる一遍でありました(笑)

やはり、このシリーズはオーナーがひとり横綱で一人舞台。
性格にも磨きがかかり、ますます絶好調で、輝いているなー(笑)

ISBN:409187505X コミック 佐々木 倫子 小学館 ¥530

Heaven? 4 (4)

2006年10月7日 読書
今までの4冊では一番、大爆笑できたのでは…?

サスペンスドラマか推理小説か、と思うような第一話。
結婚式当日に新郎にまといつく女の影。
黒衣の花嫁…みたいで、怖いオーナーであった。(でも似合っている)

そして次は、レストランに出る、幽霊の謎。
のぼ〜っとしている川合クンに幽霊が見えるとは!
"相性のいい幽霊は見える"そうです。
徹底して霊の見えないオーナーは、"鈍感"といわれつつもやっぱりシアワセなんだよ、とおもうけど。

シェフとオーナーの戦い。
秋の新メニューを巡って両者が激突する。
山にこもって"秋の味覚"を研究するシェフも凄いけど、イタチの狩った雉を横取りするオーナーはすごい。
イタチもあきれただろうなぁ。
イタチの獲物の横取りだから、禁猟期間であってもお構いなしなんだそうだ。
生態系の頂点に位置するオーナーだから、イタチから獲物を横取りするのも許される。
だからレストランでも、シェフかオーナーかで揉めるのは愚の骨頂。
オーナーは唯我独尊、すべてのモノの頂点に位置するから……いっそすっきりして清々しい結末である(笑)

忍耐の人、伊賀クンを怒らせて見ようというプロジェクト(?)と、思い立ったが吉日!で北海道に毛がにを食べに閉店後出かける(オーナーに無理やり引っ張られて)店のメンバー。
なにも雪祭りの日に思いつきで行かなくとも…とは思うけど。
雪祭りを失念するほどの凄さ。

どれもこれも、オーナーの類稀な食べ物への欲求と普通じゃない性格でクリア(?)する。
大爆笑の話ばかりが収録されているこの一冊。

…ちなみに、私は毛蟹が苦手である。
昔北海道で食べた(しかも暑い夏の日の昼食に出てきたという!信じられん!)石狩ナベの毛蟹が、とっても痛かったのだ。
もーいや!
っておもったもんな。
だって、本当に痛いんだよ!
味わうどころじゃない!

蟹はやっぱり間人(たいざ)蟹でしょう……
そして私は蟹味噌が好き。
大好き。

ISBN:4091875041 コミック 佐々木 倫子 小学館 ¥530
本年、亡くなったロシア語通訳者にして作家の著者。
エッセイから作家へと、広い視野と独特の語り口調で"面白い読み物が出てきた!"と期待したのもつかの間の、残念なことであった。

彼女のもともとの職業(飯の種)はロシア語の同時通訳で、本書もその立場にあって、であったことや思ったことなどを綴る。
ちなみに、同時通訳の報酬は、1日(7時間)で12万円なんだそうだ。
ヒェー!
って感じだけど、著者に言わせると、口止め料も入っているらしい…そりゃそうだ(笑)
トクダネに接して「ああ!言いたい!誰かに言いたい!」というジレンマも珍しいことではないという。
ただ、外務省など、国家規模の秘密会議なんかでは、外務省専属の通訳がつくのだと。
ちぇっ、な〜んだ(笑)

目次はおしゃれに高級レストラン風。

Un Saluto dallo Chef(シェフからのご挨拶)
Aperitivo(食前酒)
Antipasti(前菜)
Primi Piatti(第一の皿)
Vino Bianco(白ワイン)
Secondi piatti(第二の皿)
Insalata Russa(ロシア風サラダ)
Vino Rosso(赤ワイン)
Formaggi(チーズ)
Dessert(デザート)
Caffe(コーヒー)
Digestivo(食後酒)

と話は進む。
私はもう普通のフランス料理のコースでも、全部食べられらない人間なので、おなかが一杯になってしまった(笑)
それぐらいに中身が濃い。

小学校半ばから中学2年までプラハで過ごし、お陰でロシア語への導入がスムーズにでき、通訳と言う異なった言語を"私が繋げる"という快感に目覚め通訳の職を選んだ著者は、日本語への愛着(執着?)も強い。
それが証拠に彼女の書くものを読んでいると、普通は使わない漢字だの慣例句だの表現だのをよく使っているのに気がつく。
それを読んでいると、吃驚することもあるが、快感も覚える。
自分がその、ちょっと古風な、かしこまった言葉に対応できることが嬉しいのかもしれない。

言葉の意味を汲み取って、訳をするのが通訳。
だから、外来語ですらないカタカナ語や省略語を連発されると、文章の意味が通じなくなるという。
…が、それ以前に、問題はある。
日本語を母国語にしている私達が、今どきの(というかここ10年来の)若者の、カタカナ語や省略語のみで繋がれた(日本語であろう)言葉を理解できない。
(ついでに言うならネット言葉や顔文字も理解不能なものがある。無理して理解する気もないけど。)
以前見たテレビの企画では、3人ばかりの女子学生の高校時代の会話を録画したものを、5年後に本人に見せたところ、「なにをいっているのか理解できない」と言っていた。
喋っている本人が、そういうのだから、私がわからないのも当然ではないか。

言葉って…面倒だけど、面白い。
でなければ、何度も何度も挫折しながらNHKの「○○○語講座」のテキストを買ったり、テレビの「△△△語講座」を必死になって見たりはしないと思う。
こんな私でも、嘗てはドイツ語とスペイン語にトライしたものだ。(何かといえばやたら唄うドイツ語講座、劇はド下手なのになにか笑えるスペイン語講座。面白かったです。)

それを商売にしようと言う人、商売にしている人(つまり通訳者)は、だから、永遠に尊敬の的である。
個性的な人ばかり(でないと通訳なんぞ務まらぬらしい)で吃驚する世界らしいけど。

そりゃぁ、自分が喋る相手国(外国)の考え方、感じ方を自分の中に取り込まないと、意訳なんてできないもんね。
それほどのめりこまないとダメ。
日本人オンリーの感性ではダメ。
だから淡白な性格だとダメ。
だけど、気にしすぎるのもだめ。
誤訳をいつまでもうじうじ気にしていたらやってられない。
スピーカー(喋り手)が言葉にしてから数秒以内に訳した言葉を発しないと意味がないようだし。

大変な職業だ。
だから、一日12万円ってのも頷けてしまう。

ところで、著者曰く、同時通訳者の狙い、というか野望というか、目指すところは、
「スピーカーが笑いを取ったとき、通訳者の力量で、時差なく、その場にいたすべてを笑わせたい」
ということ。
駄洒落とか、お笑いは、各民族によって約束事のようなものが合って、それをいちいち説明しなくても、ネイティブは笑える事になっている。
だけど外国人には分からない。
元の事象をしらないと、それに引っ掛けて駄洒落を言われても何が面白いのかわからない。
それをいかに、時差なく(←これが大変だ)笑わせられるか。

そんなの無理だと思うけど、それは素人の浅はかさ。
同時通訳者はそれを狙って日々鍛錬・精進しているらしいですぞ。

すごい世界だ…。

ISBN:4167671018 文庫 米原 万里 文藝春秋 ¥590
しぶちん=ケチ

ということだ。

よく、
  『大阪は食い倒れ』

       というけれど、

  『京都は着倒れ』

       なんて言って、京都人はものすご贅沢しているように思われるのかもしれない。
着倒れとは、すなわち着物をたっくさんもっている(買う)、ということだから。
会席料理や一見さんお断りのお店や、皆がみな、すっごい金使いの荒いお土地柄だと思われているのかも。

うんにゃ。
とんでもございません。

かつて、西陣で奉公人がすするぶぶ漬け(=いいものを食べさせてもらってない)の音が、東山にまで届いたという伝説の都。
それが京都なのだから。
       (よく分からない人は地図で確認のこと)
京都人はケチです。
当たり前です。
でなきゃおばんざいなんて料理が…あわわ、余計なことは言わない、いわない。

ただ…使う時はつかうでぇ。
      というだけで。

わたしだって、かつて一見さんお断りだったお店になんか行ったことないし〜値段表すらないそんなコワイお店に行こうとも思わない。
勿論、芸者遊びもしたことない。
鴨川の床経験は2度だけ。
それもひとつは喫茶。
もうひとつは上司(役員)のおごりだ。(流石にこっちはお姐さんが付きっ切りでナベ奉行をしてくれた。)
一見さんお断りだったお店も最近はそんなこと言わないです。
「一見さんもどうぞ」
と看板が…わざわざ上げているところが京都でしょ?

著者は京都生まれ・京都育ちの京都人。(しかもウチの近く)
出てくる友人達は勿論京都人。
その中には京都から離れたことのない、いや、生まれ育った場所から離れたことがない(結婚しても実家の近くに住んでいる)人が多い。
内容にもあるが、久々に実家に戻って散歩すれば、小中高の幼馴染がうようよと…ばったり顔をあわせても話すこともなく、なんとなく気まずい思いで顔を背けて通り過ぎる、なんてことはままある。

京都人は京都を離れたがらない。
それは事実だね。

京都人が「言わんでもええのに!」とおもう記事も、ちょっとばかり暴露してはいるが、そこそこ押えた感じ(何を?)でまぁまぁ許せる(何を?)かな、と面白く読めた。

ミライくんのその後が爆笑モノであったが、よそさんで、分かる人いるのかな?
勿論、京都人はわかる。
そして、京都人なら、笑うだろう。
ろうそくタワーに喧嘩を売ってるあたりが…悲哀とともに笑えました。

ちなみにうちの町内では、すでに地蔵盆はおとなのみになってしまった。
子供がおらんのですわ。
地蔵盆なのに…。
京都市内から周辺部に流出していた人口が、昨年から市内に戻り始めた(逆流し始めた)と京都市は発表しているけど、住んでいるものの実感としては相変わらず。
年寄りばかりが残る町内。
そして、町家が壊されて、ワンルームマンションばかりが建って、若い独身者(勤め人・学生)だけが増えてゆく。
そんな感じですけどね〜。

ああ、会席を出すような料亭は、夜の食事だと数万円は覚悟しなくてはならないんので、そーゆーときはそのお店でお昼ごはんを食べるのをお薦めします。
同じ板さんが作った料理を、同じ部屋で食べるわけです。
少々ボリュームが落ちるぐらいで…
ね?これなら充分その雰囲気は楽しめるでしょ?

ウチは大学のゼミの同窓会は、すべてそのやり方でこなしました(ず〜っと幹事な私)
昼食なら、一人当たり、6〜8千円ですんだもんね!

錦市場は…そうですね。
いつ行ってもないものはない!というイメージだけど、同時に高い!というイメージもある。
よく行った近くのフランス料理のシェフとばったり会うことも多かったです。
そういや以前、ここでファッションショーをやってましたね…。
魚と青物と煮炊きのにおいの染み入る商店街のアーケードの下。
とってもシュール……。

あと、商店街閉店後の夜の7時以降、歩きやすくてよく利用します。(寺町京極〜高倉)

ところで、最近。
どーでもいーけど。
また京都本の多いこと!
本屋に行くと目がちかちかするほどです。

「紅葉シーズン」ですもんね。
分からないでもないけれど。
毎度毎度同じことの繰り返し……
それを覗く京都人がほくそえんでいるのも同じ光景(え?私だけじゃないもーん!)

でも、やたらお高い料亭と、やたらチープな学生向き(?)のお店と、両極端しかのってないのは何故に?
単に情報がないのか、或いは隠しているのか…?(←大いにありえる!)

それと、これがなんの役に立つのか?と思うような情報誌も新刊で(といったらばれるかな?)出てました。
地元民にも役に立たないし、観光客がこんなとこ行くか?と思うようなお店とかレストランとか…。
もすこし洗練してくんない?
どうしょうもないお土地柄だと誤解されちゃうじゃないか(笑)

ISBN:4840117012 単行本 グレゴリ青山 メディアファクトリー ¥1,050

犬のいる暮し

2006年10月6日 読書
・来世に僕を待ってる犬がいる朝早くより涅槃西風             『海に降る雪』(備中省七)


すっかり犬に嵌まってしまったね……。

著者はハラスという柴犬を最初に飼い、それに死なれてから5年間は犬を飼うことを考えなかった。
えてしてそういうものである。
「あの子を死なせたのに、次の犬を飼うなんて」
とか
「二度とあんな悲しい目には遭いたくない」
とか。
考えてしまうものである。

でも、人は、はやり犬とともに生きたい。
そう思い始める。

二番目に飼ったマホ(有名な絵画の題名の男性形)は、柴犬の癖に先祖がえりして、20Kgの大犬になってしまった。
20Kgの柴犬………。
柴犬の標準体重は10Kgだそうで、なるほど、ウチにいた柴犬のハッピーは1代目も2代目も9Kg前後までしか重くはならなかったことを思い出す。

悪戯好きのマホ。
人の反応を分かっていて、試すようなことをする。
そのあたり、ウチの柴犬もそうだったなぁ〜と思い出す。
特にハッピー2世は甘えたなオス犬で、膝の上に乗っかって、私の心臓のあたりに頭をつけ、身体ごと私にもたれていた。
いつまでもその姿勢でじっとしているのである。
やたらとスキンシップを持ちたがる犬であったが、くしくもこの、マホと同じく腎不全で早世した。
わずか2年。
彼の一生は短すぎた。

彼の後に飼ったのは、紀州犬のタケルだった。
紀州犬はなんと、生後半年で10Kgを越え、1年も経った頃には15Kg…。
それがまだ、心は子犬だから(笑)じゃれる、とびつく、登ろうとする…。
こっちは幾ら踏ん張ってもひっくり返りそうになる。
おまけに真っ黒な体に、4本の足の先のほうと目の上にちょんちょんと昔のお公家さんの眉みたいな部分だけが白毛であったから、近所でも「こわい」とか畏れられて(本人は人が大好きで遊んで欲しいのに)可哀想な、不憫なヤツであった。
いや、真っ黒い犬で、でかくて、飛びつき癖があったら…怖いよな、普通は。
また、通りがかりの人に、たとえ相手が自転車で疾走していうよとも、誰でも彼でも飛びつこうとする(遊んでもらおうとする)ので、「あのおばさんはアンタの友達か!?」となんど怒ったことやら。

でかくて真っ黒な犬に飛び掛ろうとされたほうはたまらないだろうな。

地獄(ケルベロス)の犬みたいで?
否、パスカヴィルの犬とか…?(こんな感じだったのかなと一瞬思った)
自転車に乗ったおばさんがひっくり返らなくてよかったよ。
ほんま。

でかくても、こわい顔でも、飼い主にとっては可愛い犬なのであるが。

同じ著者の「ハラスのいた日々」にもあったが、近所の、ストレスのたまりに溜まった脱走紀州犬に老齢(人間年齢70歳ぐらい)のハラスが襲われ、瀕死の重傷を負った話がある。
その時に著者は下駄でこの紀州犬の鼻面を何度も殴打したらしい。
愛犬の為に、人は思わぬ力を出すものである。
で、その時の紀州犬はハラスを放し、著者に引きづられて戸外へ放り出された(この紀州犬は夜中に著者の庭に潜り込み、そこでハラスを襲ったのだった)という話であるが、その時ヤツは一声も上げなかったのだと。
紀州犬の強さというか気丈さというか頑固さと言うか、怖さというか……このエピソードによく現れていると思う。

ウチのタケルは「遊んで!遊んで!」とぎゃんぎゃん吼えっぱなしの紀州犬ではありましたが。

確かに。
叔父が飼っている10匹前後(出産&引き取りで増減あり)の犬達のなかには紀州犬もいる。
彼らは勇猛果敢に獲物(猪)を追いかけ、追い詰める。
逆上した猪の牙の犠牲になるものも多い。(タケルもそのなかの一匹である)
だけど、紀州犬は怯まない。
あくまでも獲物に向かってゆく。
まったく、底知れぬ強さを感じさせる犬である。

……だが、お酒(焼酎)には弱い(笑)

当たり前か。
普段なら尻尾を振って歓迎する犬達が、叔父が酔って現れると、いっせいに目をそらすらしい。
目を合わせると、犬好きの叔父は犬に寄っていく。
頭を撫でるぐらいならまだしも、噛み真似をするらしいのだ…しかも、犬の鼻っ面を。
嗅覚の優れた犬にはたまらんだろう。

かわいそうに…といいつつ、そのことを、叔母は笑って教えてくれた。

されば、人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。
存命の喜び、日々に楽しまざらんや。
     『徒然草・第93段』


ISBN:4167523086 文庫 中野 孝次 文藝春秋 ¥700
先の読んだ「ハラスよ!!ありがとう」の大人版…。

読み始めた時「しまった…!」と一瞬おもったが、すぐに「まいいか」と考え直す。
私らしい(笑)

ただ、子供向きに書かれた「ハラスよ!!ありがとう」にはないエピソードも入っているので、それを楽しんだ。
なんと言っても犬のはなし。
重なる話を読んでも、ちっとも苦にはならない。

それどころか、著者夫妻のハラスへ愛情を、失った時の哀しみを、慟哭を耳元に聞きながら読んでいた。

表紙は著者の知りあいである山岳画家の熊谷 榧(かや)さんスケッチによる陶板。
雪山で4日間、行方不明の後、生還し、皆が泣きながら喜んでいるた時のハラスをモデルにした。

本書には所々に、歌が挿入されているので、気に入ったものを挙げておく。ハラスの成長・老化とともに、著者の心に去来した、その時々の思いである。
そこには感じるものも多かった。

・年々春を惜しまんと欲すれど春去って惜しむを容さず     (蘇軾)
季節がすぎるように、人は年を取る。犬はもっと早く年をとる。最初の1年に20歳、あとは4歳づつ。(年×7倍という説もあり)

・つひに行く道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを    (在原業平)
いつの間に、ここまで年をとったのか。毎日忙しくしていると"死"の存在すら忘れてしまう。しかし。"死"を忘れんがため毎日を忙しくしているのかな?と思わないでもない。

・犬は犬、我は我にて果つべきを命触(ふ)りつつ睦ぶかなしき   (平岩米吉)
犬は犬であって犬ではない。すでに家族である。その気持ちは良く分かる。

・犬として死に行く犬の老姿ひたに見つめてわれはありけり

・あたたかき舌を触れつつわが掌(て)よりもの食(は)む日々もはやつきんとす

・わがそばにありて縁(えにし)のつくるまで静かに生きよ腰は萎ゆとも   (平岩米吉)

2004年、著者はハラスのもとへ旅立った。

ISBN:4167523019 文庫 中野 孝次 文芸春秋 ¥470 
著者が47歳から初めて飼い始めた、柴犬のハラス(1972.6.10.-1985.5.15.)
なんと血統書つき(!)の純粋な(?)日本犬である。

その時からハラスは家族となり、ほかの何ものにも変えがたい存在となった。
失踪や喧嘩、病気などさまざまな事件を過ごして13年間、ハラスと過ごした日々は輝いていた。

生き物は、死ぬ。
特に動物はたいてい人間より先に老い、死ぬ。
それは分かっている。
だから、人は、やがて老いることを目の当りにし、命の永遠ならざるを知り、命の尊厳を思って、他者へのいたわりを知るのだ。

だけど、最近は流行で犬を飼いますよね。
著者も書いている。
テレビで流行った、CMで流行った、人気俳優が飼っていた……でも、貴方が飼うのは"流行"ではなく、"命"だってこと、忘れなさんな。

動物を飼えば、長期旅行なんてとんでもない!
それと引き換えにしても飼いたい人だけが飼いなさい。
それと、散歩させるのが嫌なら、犬なんて飼うな。
某作家(犬好き)は
「散歩させないなら、保健所にやれ」
と過激な発言をしている。
それぐらい、動物の"生"を思いやり、一大決心してから飼いなさい、ということだ。

本書は、子供向きに書き直された本だということで、文章がとっても平易である。
ま、大人が読めないほどではない。
犬を愛する、この、ハラスという犬を愛する著者の心が痛いほどに伝わってくる。

雪山で失踪してしまったハラスを必死で探す著者夫婦の気持ちは痛いほどに分かる。

母親が以前飼っていた紀州犬のことである。

この本ではストレスからハラスを襲うとんでもない紀州犬がでてくるのでひやっとした。
紀州犬というのは猟犬だもんな…ガタイもでかいので柴犬では対抗できまい。
しかも老いた柴犬では。

…で、飼っていた、その紀州犬(オス)だが、あまりに精悍で力が余っているため、叔父の家に預けられることになった。
叔父は冬季、狩猟をする。
獲物は猪。
猪は、ご存知の通り、畑を荒らす、害獣なのである。
もともと彼は叔父の家で生まれた犬で、両親と兄弟のいる実家に帰ったわけなのだが…
馴染まなかったらしい(笑)
ある日行方不明になった。

その1週間後、母の家に現れたのだ。
それこそのまず喰わずで痩せきって。

母は最初、他犬だとおもったらしい。
叔父の家からは山を幾つも越えねばならない。
まして、もらってきた時は子犬、今回預けるときは車で連れて行ったのだから、そのルートが分かるはずがない。
なのになのに。

匂い…はない。
そうやって、方向を、道を知るのだろうか?
犬って不思議だ。

母の与えた水を、それはもうがふがふとすごい勢いで飲んだそうだ。
道中、水すら口にしなかったんだね…。

しばらく母の元にいた彼も、再び叔父の元へ預けられることになった。
行きたくないと哀しげに鳴いてはいたらしいが、そうできぬ事情もあり、叔父の元で兄弟と喧嘩しながら、私の従兄弟の子供のいい遊び相手になりながら暮らしていたという。

大猪の牙にやられて、失血死するまでは。

一度きりしか会えなかった彼だったけど、やはり悲しかった。
抱きしめてやりたかった。
じーさんになるまで、生きていてほしかった。

他者への思いやり、自分以外の命に対する思いやり。
それは動物と触れることで一層膨らむものだと思っている。


ISBN:4591074595 単行本 中野 孝次 ポプラ社 ?683
IT世間につながれた現代人
…というのが副題で、成る程ほほ〜と思ううちに読了。

ITって最新最先端だと思っていたけれど、日本においては違っていた。
大人な社会、個人を確立できている欧米などの社会では、"個人"がしっかりしているから、最新最先端のすばらしき技術だ。
だが、日本は違う。
IT(特にケータイ)に首輪をつけられて、振り回されている。
しょっちゅうメールをするのは、そうしてどこかのグループに繋がっていないと安心できないからだ。

そうか。
小学生のいじめ、グループからの村八分、それといっしょなんだ。
常にメールで連絡を取り合って、どんなにしょーもない情報でも知っていないと話ができない、話をしてもらえない、グループからつまはじきにされる、だから、必死でメールを返し続ける。

あの、男女構わず、ところ構わず(病院でも平気でやっている。病院だよ!病院!)メールを打ち続けるあの姿。
顔は鬼のように、一点を見つめて心ここにあらず。
鬼気迫って怖いと思ったらそういう理由かい。

自分だけが、どんなしょーもない話でも、情報が回ってきてない(メールで教えてもらえない)となると、即座に村八分気分なんだってさ。
それが怖いんだってさ。

その渦中にいて周りが見えてない中毒者には悪いけど(悪くはないか)、笑ってしまった。

日本における、ケータイって、そういうものだったのか。

…で、そういう現象を、サルであると。
ちなみにニホンザルも起きている間中、誰かとつながっていないと落ちつかないらしい。彼らはひと所にずっといることはないが、フィールドを広げようとするわけでもなく、結局は馴染みの領域をウロウロと徘徊しているにすぎない。行動も食べ物のいっぱいあるところに、仲間でワーッと押しかける。現代の日本人はまさしく、言語面だけでなく、明らかに行動的にもサルに逆戻りしている。先祖返りである。
と、ここまで言われたらかえってすっきり、笑えますよねぇ。

ケータイを初めとするIT技術で世界に羽ばたいた…かと思ったら、とんでもない。
精神的に大人になりきれない日本人の若者は同類の溜まり場のなかをふらふら〜と漂っているだけなのだ。
それはサルと一緒だと。
あんたたち、先祖がえりしてますよ、と。

また、所かまわずに(特に車中で)ケータイを使う、化粧をする、食事をする…というのは、そこに"自分だけの空間"があると錯覚している、思い込みたがっているからなのだと。
家にいるのと同じ感覚。
バリアーを張って、殻に閉じ篭っているのだ。
周りには誰もいない誰もいない、私だけ、と自己催眠でもかけてるのかね?
つまりは、他人の中にいる、という緊張感が保てないらしい。
だから、すぐ座りたがるし、立っていても海月かあんたは?というような立ち姿になったりするんですね。
ふぅむ、納得だ(笑)

そして、一緒になって大勢で騒ぐのが好き。
これまた、"他人と一緒"を好む"自分だけ違う"を畏れる若者の特徴であるが、上記を考えれば説明が尽くし納得もできる。
「皆で一緒なら怖くない。なんでもできる。たとえそれが卑怯千万、法に触れることでも、人を傷つけることでも。だって皆一緒だもん。自分だけじゃないんだもーん。」
というところか。

そして、普段我々が、わけのわからない事件が多いと思うことも、本書ではある程度説明がついている。
わけがわからない、というのは、犯罪の理由がわけがわからん、ということだ。

すぐにキレるとかムカツクとか言うけれど、なんでキレるのかわからない。
ムカツク理由がわからない。
たかがそんなことで?と思う。

許せない、と思うのは、自分がなんとなくもやもや〜と不愉快になり、イライラが募るからだ。
自分だけが損をしていると思うからだ。
つまり、集合的な他者=世間が許せない。なぜか。自分だけ、不利益を被っている。自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組みになっている。だから、自分は復讐してやるんだとなる。その対象は自分が住んでいる生活共同体の不特定の他者に向けられている。矛先は世間なのだ。だから、まったく接点のなかった人間が犠牲になってしまう。

本気で競争社会になりつつある現在。
世界で唯一成功した社会主義国家といわれた日本が(いや本当ですって)いよいよ弱肉強食のケダモノ社会(笑)になりつつある現在である。
こういうのが増えるでしょ。
だって、いいままでは1億総中流、といって自己満足して平和に暮らしてきたのに、同年齢で給与の差が1.8倍でしたっけ?
先日、ニュースに出ていたよね。
それを「自分ばかりが不当な扱いを…」と思い出したらキリがない。
キリがないけど、そう思う人が増えるだろう。
…で、ムカツいたり、キレたりするわけだ。

なら、自分が勝者になってやろうと努力するのではなく、他者の足を引っ張ってやろうと。
1億皆が不幸でビンボーで敗者になればいいのだと、そういうマイナス思考になるのだろうか。
足を引っ張るのは簡単だよねぇ?
自分は努力しなくていいんだし。
努力して上に登るのはしんどいもんねぇ?
その点、自分の今いるところに人を引き摺り下ろすのは楽だよねぇ。

本書の最後のほうにヒルズ族について書かれたところがあった。
同じビルに一極集中して集まるヒルズ族のみなさま…

アメリカ式にベンチャー企業でことを起こそうというなら、地方から村おこし・町おこしの意義ももってやれるだろうと著者は言う。
それがベンチャーでしょ?
なんで上階と下階で同じ業種の二人(ホリエモンと村上氏)が住まなきゃならないの?と。
これって変でしょ、というわけだ。
六本木ヒルズといったところで、聞こえのいい長屋にすぎないのだ。家賃のべらぼうに高いだけの差異である。そんなところに住んで自己満足して、毎日お互い顔見合わせて飲み食いしなければ、一緒に仕事ができないというのでは、なんら昔と変わっていないことになる。毎日「こんにちわ」と挨拶しなければ、信頼関係が築けないのであれば、本当の意味で時代の先端をいく新しい風など入りようがない。実に日本的と言えよう。そんなビジネスのやり方は、欧米ではおよそあり得ない。
というように、どんどん日本は崩壊しているようです。
肉体的(経済的・財政的)にも、精神的(国民の)にも。

そうか。
ホリエモンも常に誰かとくっついてないと不安な未熟者だったのか〜(笑)
と笑うことはできるけど、はぁ〜どうなるんだろうね。
日本人サル化現象。

日露戦争の時のロシア皇帝は日本人を「猿」と呼んだけど、いよいよ真剣そのもので、イエローモンキーと呼ばれる日が来るわけだね。

ISBN:4062575264 新書 正高 信男 講談社 ?819
2006年のペナントレースも終盤に差し掛かり。
秋風の中、阪神タイガースは中日ドラゴンズを追いかけている。
90%、いや、99%、その結果が想像できたとしても、追いかける。

決して追うのをやめないタイガース。
奇跡を信じて、追い続ける。

わくわくする。
心のどこかが熱くなる。

いつからこんな執念深い…もとえ、諦めない立派なチームになったんでしょうか。
ファンとしては涙が出ます。

3回その優勝を見たらその人の生涯は終わるといわれた阪神タイガース(20年に一度×3回=60年という計算だ)
私はすでに3回見てるし…。(大丈夫だろうか?)(笑)
実際、私の嘗ての上司はマジで心配していた。
この上司と来たら、仕事中だというのに、もう一人の阪神ファン(この人も私の上司だった)と口論になったことがある。
「どっちがより阪神ファンであるか…」
だって。
結局、どこまで遡ってメンバーを言えるかどうかで決着をつけたのだが。(つまりどれだけ昔から知っているか=どれだけ昔からファンであるか、に置き換えたわけだ)
仕事中ですってばさ。

阪神ファンって…。

かく言う私も隙あらば、チャンスがあればなにか貰おうと思って(笑)阪神ファンであることを公言している。
なぜならば、うちの会社はバックネット裏のグリーンシートを年間予約でもっているからだ。(無茶苦茶高いぞ〜!肉眼で選手も監督も顔を見られるけど)
ま、接待用だけどね。(いいな〜接待される人は)
昔は、阪神が弱弱の時は、チケットが回ってくることもあったのだ。
勿論喜んで跳んでいったとも!
何故か広島戦が多かったが。
またそういう美味しい話がないかと、せっせとファンであることを宣伝しているわけなのだ。
社員の多くが阪神ファンだから望みは薄いが…(笑)

で、公言し宣伝すると、初めての人(社員である)にはまず大抵「えっ?!」と二・三歩引かれ、そしてまじまじと見られ、「こわ(い)」といわれる。
なにがやねん!
なんか文句あるんか!?…というこの態度が悪いのだろうか?

…で、ことここに到って、3年前の写真集なんぞをごそごそと取り出してきて見入る(魅入る)私。
あれ?
表紙の色が違うけど…まぁいいか。

たった3年なのに、消えていった人もいるわけで、しみじみとする。
それにたった3年なのに、なんだか皆、若いな…。
この3年で、そんなに苦労しました?

星野監督は相変わらず男っぷりがいいし♪
阪神に活を入れてくれた御人だからね。
ついつい贔屓目で見てしまう。
なにしろ、野球のさっぱり分からない母親も星野監督だけはファンであると公言するのだ。
人を惹き付ける人なんだなぁ。

今日も勝った。(中日も勝った。ちっ、しぶといやんか。いい加減に諦めたらどうや。←どっちの科白か?)

最後まで、闘う猛虎の姿を見せて下さい。

ISBN:4583037597 大型本 ベースボール・マガジン社 ベースボール・マガジン社 ?6,300
初読なんだけど。
あ、レビューでないかぁ…残念。
インパクトのある絵なのにな(笑)

………自分の、12年前のエッセイ漫画、つまり実際にあったこと、自分の周辺を漫画にして書いているその作品集。

作者が二足の草鞋をはいている、つまり、漫画だけでは到底食べて行けなくて、デザイン事務所で働いている時の会社や上司、同僚や友達の話から始まって、その会社をクビになって山中のホテル勤め。
思いつき(としか思えない)で東京に飛び出してしまうその思い切りの良さ
…へと続く文庫化第一巻である。

内容はギャグです。
真実を書いているのに(少々はデフォルメしているにせよ)…ギャグだというのも凄いけど。

それにしても、身近な会社エッセイって…面白いね。
文章にしても面白いだろうなぁ。
勤めている会社に"モノ申したい"人は、それこそ枡で量り車で量るぐらい、一杯いるだろうから。
溜飲を下げたい人は山ほども、いるだろう。

会社勤めは大変だ。
自分の夢を追いかけていると特に大変だ。
どちらにも、そこそこに力のを入れてやらないといけない。
どっちが主でどっちが従だったか、わけが分からなくなるのは哀しい。
だけど、会社は"会社に全力を注げ"とか言うんだよね。
"趣味よりも"、と言うならまだ分かるけど、"家庭よりも家族よりも自分自身(の健康)よりも"、なんていわれたら反発するよね、誰でも。
だけど「自分達はそうだった」とか元企業戦士の一部はわけの分からん理屈を並べ立て、我々にもそうしろと強いる。

やってられるかぃ!
…と、今時の若者でなくても、反発する。

会社の為に生きているンじゃないもん。

労働基準法スレスレで、びくびくしながら社員を脅している会社、結構あるんだよね。
しかもそういう会社に限って、優良企業の表彰をもらっていたりするんだ…

著者だって、そんないきなりええの?というぐらい乱暴なクビ宣告を受けている。
もっともその後、しかるべきところに訴えて、10万円をゲットしたらしいから、ひとまずはよしとするけど。
泣き寝入りはいかん、泣き寝入りはな!

もめた挙句に辞職するなら後輩のためにも、ついでにチクッっていけばどうかなと、思うんだけど。
労働基準局とか、知り合いの弁護士とか…なんなら共産党新聞とか?
それは自分勝手というものかしらん?

それにしても二足の草鞋。
今のNHKドラマでは女流作家・田辺聖子が若い頃、金物の会社で働きながら小説を書いている。
夜中まで眠れずにネタを考え、出版会社からは「残念でした」の落選通知が届き、会社では……とまあ、夢を追いかけるのは、楽しいけどしんどいことです。
いや、しんどいけど、楽しいことなんだよね。

ISBN:4821183579 文庫 柏屋 コッコ ぶんか社 ?670
必ずしも列車内で殺人が起こるわけではないという西村京太郎サスペンスである。

寝台車ではない夜行列車…というのは、夜行バスの列車版。
ただし、歴史はこっちのほうが古いはず。

東京を夜の11時過ぎにでて、終点の新潟には夜明け前(たぶん)に到着。
そう、ちょうど今頃?いや、もうちょっとだけ(30分ぐらい)前かな?

そういえば、大阪〜東京間を繋ぐ夜行列車(たぶんこっちは寝台車)、銀河ってのもあるね。
新幹線の最終より随分あとに出発して、翌朝7時過ぎに到着なら御の字。
利用客はバスに取られて減っているが、情緒は列車のほうがあるはず。

東京での大学生活を終え、故郷の新潟に帰ろうとする若い女性と、ついうっかり殺人を犯し、故郷の両親のもとに帰ろうとする若い男。
その二人がたまたま同じ列車に乗り合わせてしまった。
ただそれだけの、ことで、終わるはずだった。
本当は。
そして…姿を消した。
二人ともが。

女性は私立探偵が。
男性は警察が。
最初は別々に、二人の捜索が行われるのだが、やがてひとつの接点が見つかる。

ちょうど例の中越地震の後の頃に舞台が設定されていて、犯人たちが逃げ回り潜伏するのが崩壊し無人となった山中の村々である。
山古志の名前も出てきて「まだ通行止め」という哀しい科白も並べられる。
生活の基盤を失った国民に、この国は本当に冷たいということをひしひしと感じるのであった。
阪神大震災も、まだ復興はしていない、と言われるように、この国の人々は「喉もとすぎれば忘れる」民族性がいい場合もあり、悪い場合もありで、この場合最悪の方向に働いているなと思わずにはいられない。
殺人の動機も、地震ですべてを失った両親への思いである。
でも…。
成り行きで殺人、だから殺人をしたという慄きとか、恐れとか、そういうものが欠如しているのは、人間として許されない。
いくら両親を思ってのこととは言え、それを許すわけには行かない。
相手が人非人だからといって、自分が人非人になって許されるというものではなかろう。
まして、その後の行動が!
罪を重ねることに躊躇がないのが、なんとも恐ろしいけど、今時なのかな?

ひとさまの、何年も掛かって必死で稼いだお金を、騙し、脅し、楽して掠め取ろうとするのはどういうものだろう。
それが上手くいくのが、すなわち自分の"才覚"だと勘違いし、自分は"賢いのだ"と錯覚し、居丈高にふんぞり返るのは。
でも、犯罪者ってそんなもん。
そんなもん(人間)だから、犯罪者になるんだし。

あぶく銭は身につかない。
たまには日本昔話でも読んでみたら良いのに。

さてさて。
寝台車の話である。
私は寝台車には何度か乗ったことがある。
別に威張ることでもないが。
水俣(熊本)〜京都間である。
随分昔の子供のころのことだし、"テツ"じゃないので、列車の名前も構造もなにも知らない。
ベッドは3段のものと2段のものがあった。
3段の時は、進行方向に垂直。
2段の時は、進行方向と平行にベッドが作られていた。

嗚呼、思い出深い…。
朝方だったかな?いや。夜か?
食堂車でごはんを食べたら気持ち悪くなって吐いたのだった。
揺れが酷かったのかどうか…とりあえず"酔い易い"子供だったから、列車内での飲食は無謀だったかもしれない。
メニューはハンバーグステーキだった。

高校生になったらさすがに思慮深く(?)なって、また乗り物への耐性もできてきたのか、ベッドでお弁当をぱくついた。
鳥の丸焼きだった……。

食べたものはよく覚えているものだ。
たとえ戻したとしてもだ。

寝台車ではない夜行列車は…乗ったことがない。
この"えちご"のような列車は。
夜行バスは何度か乗った。
行き先はTDLである。
大人だったので、車酔いはなし。
ただし車中の飲食もなし。(笑)
だって眠いんだもん。

あとは、中華人民共和国の寝台車に3度乗っている。(幸か不幸か)

?宜昌〜武漢間の1泊。
 学生時代だったので元気があったからまだ良かったね、という旅。ポットにお湯が、カップに茶葉がサービスでありました。
上下2段だけど、登るのは…とっても大変。
小さな取っ掛かりしかない。
そこに足を引っ掛けてアクロバットのように身体を持ち上げるのである。
いや、まじで。
それでも三峡下りの船よりは眠れたな。(船は、真夜中にすごい勢いで、トランクがど〜んと倒れるぐらいの揺れで飛ばすので、怖かったし、外国人用の船でもなかったので、いささか寝づらかった)

?北京〜大同間の1泊×往復。
 フランス人の小団体と一緒になる。
下手な中国語で「何時に大同に着く?」と聞いてくるのでなにをいっているのかさっぱりであった。
「What?」でようやく「You can speak english!」と目一杯驚かれたので「I’m japanese」といったら余計驚かれた…なんでや?
仏蘭西よりは日本のほうが近いんやで。
中国は。
一応お隣さんやしな。

同室のフランス人(女)がほかのコンパートメントに遊びに行ったまま夜中を過ぎても帰ってこないので、同室の中国人のおじさんと相談し(言葉は通じないがなんとなく…)鍵をかけて寝た。その後ノックも煩く帰ってきたのはフランス人男性だったけど。(さてはアジア人ばっかだから交代させられたな?)
荷物棚はベッドよりも高いところにあるのでトランクなんかとてもとても持ち上げられたものではない。
仕方がないので足元においとこうとしたら、同室の中国人男性が上げ下げしてくれた。
優しいな〜♪
お茶葉のサービスは無し。
お湯だけあって、あとは自分で用意しろと…おのれ……。

?そして…真昼間に特急代わりに乗せられた(つまり寝台車としてではなかった)のが、上海〜杭州間。
これはぎゅーぎゅーに詰め込まれたので、快適とはいいがたかった。
お茶葉もお湯も無く、込みで有料。

あと、寝台車ではないけど、中華民国、すなわち台湾で特急に乗っている。
台南〜台北間。
特急で指定席なのに…都会(台北)が近づくと通路に一般客が立ち並び、トイレにすらいけない状況になってしまった。
平日なのに。
お昼なのに。
何故?

あとは、仏蘭西でバスの車窓からみたTGV…乗ってみたかったな…。
いや、私、別に"テツ"ではないです。
これぐらい、普通の感想でしょ?

せいぜい、トワイライトエクスプレスで北海道…!
とか、ず〜っと夢みているぐらいだし。

ISBN:4396208170 新書 西村 京太郎 祥伝社 2006/09 ¥860
これを読書というのは……ちょっと、いや、かなり無理がある。
無理があるけど、好きだから、絵をみて喜んでいるから…といえればいいんだけどな。
ちょっと違う(笑)
ぜんぜん違う。

そう。
必要だからです。
ソフトをもっているからさ。(くそー)

所謂ゲームの攻略本というヤツですね。
スクエア(現スクエアエニックス)は、この「ファイナルファンタジー」シリーズでどんどん出世した会社なんだけど、同時にこの攻略本というやつもどんどん太くなっていった。
…というか、ロールプレイングであるというなら、ゲーム上のヒントだけで、プレイヤーが推理を働かせて(頭を捻って)正解にたどり着くのがほんまのRPG(ロールプレイングゲーム)であろう!…と私は今でも思っているので、そういう意味では邪道になって行ったその歴史を語るものでもある。

だいたい、攻略本がなければ先に進めない課題を作っちゃうのが邪道だわな。
F・F7でも在ったよね。
ミサイルを止める暗証番号なんて、どこにヒントがあるんだよ、キー!!
 …ってお猿になっちゃうところだよ(なりかけた)、まったく…。

その後も、複雑になりすぎて、ゲーム進行上のシステム説明だけではわけが分からない。
攻略本を読まなきゃ分からない、というのがあまりに多すぎた。
それはもうRPGじゃないよ。
スクエアよ…開発の方向間違ってやしないかい?
それがために、F・Fシリーズから離れていった人間がどれだけいただろうか。

ま、これは今流行のニンテンドーDS用のゲームの攻略本。
むかしむかし出たゲームソフトをDS用に焼きなおしてちょっと前に発売されたものの攻略本である。
歴史を感じるにはいいかな、とも思ったけど。
太すぎ。

総ページ…433ページ。
かなり分厚い。
勿論、ソフトよりもゲーム機本体(DS)よりも遥かに太くて大きい。
やはりこれだけないと、説明し切れませんか?

私の場合は初めてやる(と思う。記憶がいい加減で断言できないけど)ゲームだから、まぁね、いいけど、と自分をごまかしながら買った。

だけどだけど…これまたDSで通信機能(所謂ネット)を使いましょう♪ 
それでしか入手できない業種とアイテムがあるんですよ♪

   …なんて、相変わらず開発の方向間違ってるぞ!といいたくなるシステムを発見。

そんなにオンラインにしたいのか……?
原点に戻って欲しいものである。

こんなぶっとい攻略本なんか、出さなくてもすむように……

あ、ゲームは面白そうです。
昔風というか、単純明快で分かりやすくて。
すると、ますます…こんな太い攻略本がいるか…?と思いますけどね。
(イラストを増やしてよ、どうせならさ。)

ISBN:4757517912 単行本 スクウェア・エニックス ?1,400
1377年のロンドン…といえば、エドワード3世が瀕死の状態にあり、その没後、まだ少年である孫のリチャード2世が跡を継いだ。
リチャード2世とは、つまりあの"エドワード黒太子"の子供である。
そう、まさしく時は英・仏が戦いに明け暮れ命を削り疲れ果てたあの百年戦争の、その直後の時代なのである。

ちょうどその頃、ロンドンの裕福な貿易商であるトーマス・スプリンガル卿が毒殺される事件が起こった。
同時に犯人と目された執事の死体が見つかって…。

さぐればさぐるほど、怪しい。
さぐればさぐるほど死人が増える。

それはよくある推理小説…かもしれない。
でも、時代は中世。
ロンドンはペストの猛威にさらされた後。
そして、強大な威圧感を持った老王がなくなり、王国の箍はいささか揺らいでいる…。

反逆の匂い。
裏切りの甘い香り…。

自殺か他殺か。
殺人であるなら、犯人は、果たして誰なのか?

この作者は初めて読む。
そして、ものすごく、リアルなんだと思う。
なにがって、ロンドンのシティの描写である。
はっきり言うなら
臭い!汚い!息をするのも我慢ならんぞー!
と、その臭気すら漂ってくるような錯覚を覚える。
読者にそこまで嫌悪感を覚えさせるのだ、著者の力量はすごい…んだろう、やはり。(でも、いい加減にしてほしいぞ)

現代日本人なら、一日たりとも生き延びられないような、そんな場所である。
どんなお屋敷で、結構な暮らしをしていようとも、一歩外に出ればすさまじい…シティの様相。

私はそんなに潔癖症でもなければ掃除魔でもないし、片付けないと我慢ならないという人間ではないが…うわー!これは我慢できないよ!
   …と思いましたよ、ほんまにね。

それは時代を理解させるための作者の、あくまでも情景描写なんだろうけど、くどい、と思える。

カドフェルだってここまで酷くはなかった…。
嗚呼あれは修道院だったから?

うんにゃ。
ファルコだってここまで汚い住処じゃなかった(失礼?)
嗚呼あれはお風呂好きのローマ人か…

まあそんな有様ですわ。
そういや革命期の仏蘭西(18世紀末)だって、下水が未発達で路地は最高に汚かった。
だから貴婦人はたか〜いお靴をおはきあそばした、というぐらいだったな。
その点、百万都市江戸なんかは、美しいほうじゃなかったか。
どんな長屋でもご不浄はあったし、大家がちゃんと管理して、近在のお百姓さんに人糞を売って、その代金で正月の餅を長屋の皆さんにプレゼント♪
とりあえず、道路にばらまく、なんて汚い真似はしませんよねぇ。
お風呂も好きだったしなぁ。
やはりそこが民族性ってもんですか?

……いい加減、この話題はそれとこう。

その中で起こる連続殺人を解き明かすのは、二人の人間だ。
王様から勅許を受けた(つまり王の代理人である)検視官・クランストンと懲罰の意味を込めていやいやながらこの仕事をさせられている書記・アセルスタン托鉢修道士。

クランストンは卿であるが、のんべんだらりと暮らす人ではない。
酒びたりの酔っ払いだけど…鋭い時は(時々だけど)鋭い物言いもする。
でもメインの謎解き役はアセルスタン托鉢修道士かな。
ただの修道士ではなく托鉢修道士だ、と本人は力説するが、異教徒にはその違いは分からない。
裕福な農村の長男として生まれ、生涯を教会に捧げるべきであった彼は、若気のいたりで弟(実家を継ぐべき立場だった)を誘いリチャード王の軍隊に入り、仏蘭西で戦い、挙句、弟を戦死させて英国に舞い戻った。
悲報を聞いた両親は相次いで死亡。
それがトラウマになっている。
自分の罪だと思っているからだ。
教会からは非難され、本人も贖罪とかで意に沿わぬ仕事をさせられ続けているという。
…ということで、検視官の書記、というのも贖罪の、つまり罰なんだそうで、ぶちぶち文句を言いながらやっている。

だが、文句を言うのもわからんではない。
この飲んだくれ検視官は、まったく…のんだくれなのだ。

ジョン・クランストン卿にもそれなりの事情があるんだけどね。

ま、とりあえず、このコンビで事件の調査(検視官って警察みたいなこともするのね、と思った)に乗り出す。
汚い手もそれなりに使って…。

う〜ん。
中世だからね。
指紋もないし、解剖したってさほどは分からないしな…
そこでどうやって犯人を特定するかが問題で、ある程度推理が整っても、証拠がないと、立証できないとどうにもならない。
そのあたりが検視官も作者も腕の見せ所か。

これからシリーズもので続く模様、です。

それにしても、卿と名のつく人が、商人だったり検視官だったり役人だったり…。
ジェントリだからかいいのか、と思いつつ、中世期の身分制とかそのイメージがよくわかんないです。
貴族、とは書いてあるんですけどね…貴族?
働く貴族?
まあいいけど。


ところで、当時はホモ(同性愛者)は極刑だったんだけど(というのは有名な話で、中世どころかほんのちょっと前までそうだったんだけど)その刑罰というのは、いかにもシティらしい(汚らしく貧しい)サザーク地区で釜茹でなんだそうだ。
石川五右衛門か…?

でもこの小説を読でいると、多いぞ…そーゆー趣味の人間は。(大丈夫なんか?)

ISBN:4488219020 文庫 古賀 弥生 東京創元社 ?840

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