何気に本屋に入ったら、こんなものを…みつけちまったぃ!
仕方なし。
この人の文章、書き方がとってもすきなんだから。
内容は、標題そのまま。
旦那さんがネイティブで英語を話すかた(ダーリンは外国人といえば早かったか…)なので、将来的に海外で、つまり日本語以外の会話を要する場所で暮す可能性が高いこのお方。
まったく英語の必要性を感じていなかったこのお方も、はたと立ち止まって考えた。
「英語を勉強しよう!」
それだけでもえらいよね…
日本人が英語が上達しない最大の理由といえば、「日常生活に必要じゃないから」
これに限る!
あとは、"好きな人なら独学でもある程度できるようになっている"
ようです。
英語の歌を、歌詞を読んで正確に正確に唄う、のではなく、耳から入ったフィーリングで唄う。
そのほうが通じている時がある、ああいうものかな。
楽しんで、或いは好きだから、勉強する方が身につくのは当たり前。
それが証拠に、習ったことなどないスペイン語の歌なんぞを、「コンドルは飛んでゆく」が唄いたいが為に私は耳で覚えたし…(今はあちこち抜け落ちたけど)
大学の第二外国語は、私の時代は圧倒的に第一位"ドイツ語"と第二位"中国語"の希望者が多かった。
何故なら…
「エーベルバッハ少佐」効果と「三国志」効果が有ったからだ。
文法が難しい?
なんのその。
ひとつの漢字に4つの音?
なんのその。
好きの一念岩をも通し…たかどうかは別として、好きだけで選んで突撃し、沈没し、撃沈した者のなんと多かったことか。
まあそれでも私たちは幸せだったんだよね…
その世界に少しでも浸れれば(笑)
化投げれば、英語だって大嫌いでまともに会話も出来ないのに、なんという大それたことを考えてんだろう。
勿論!
数十年たった今でも、
おはよう・こんにちわ・ありがとう・どういたしまして・今何時?
ぐらいしか話せない。
英会話教室で。
テレビで。
本で。
ラジオで。
新聞で。
…と、著者もあれこれ試してくれている。
彼女の血のにじむような努力はそっちのけて、ははぁあ〜なるほどな〜と自分の知らない世界を見るのは楽しい(酷い話)
英会話教室に憧れた時期も確かにあったけど…必ずしもピンクの兎に浮かれているだけでは続くものではなさそうだ(笑)
で、結論は?
地道な努力が、一番の近道。
なるほど。
確かにそうでしょうね。
とりあえず、何かあったら叫ぶ科白だけはゲットしとこう。
↓
「Japanese speaker, Please!」
ISBN:4479300228 文庫 小栗 左多里 大和書房 2006/04 ¥650
仕方なし。
この人の文章、書き方がとってもすきなんだから。
内容は、標題そのまま。
旦那さんがネイティブで英語を話すかた(ダーリンは外国人といえば早かったか…)なので、将来的に海外で、つまり日本語以外の会話を要する場所で暮す可能性が高いこのお方。
まったく英語の必要性を感じていなかったこのお方も、はたと立ち止まって考えた。
「英語を勉強しよう!」
それだけでもえらいよね…
日本人が英語が上達しない最大の理由といえば、「日常生活に必要じゃないから」
これに限る!
あとは、"好きな人なら独学でもある程度できるようになっている"
ようです。
英語の歌を、歌詞を読んで正確に正確に唄う、のではなく、耳から入ったフィーリングで唄う。
そのほうが通じている時がある、ああいうものかな。
楽しんで、或いは好きだから、勉強する方が身につくのは当たり前。
それが証拠に、習ったことなどないスペイン語の歌なんぞを、「コンドルは飛んでゆく」が唄いたいが為に私は耳で覚えたし…(今はあちこち抜け落ちたけど)
大学の第二外国語は、私の時代は圧倒的に第一位"ドイツ語"と第二位"中国語"の希望者が多かった。
何故なら…
「エーベルバッハ少佐」効果と「三国志」効果が有ったからだ。
文法が難しい?
なんのその。
ひとつの漢字に4つの音?
なんのその。
好きの一念岩をも通し…たかどうかは別として、好きだけで選んで突撃し、沈没し、撃沈した者のなんと多かったことか。
まあそれでも私たちは幸せだったんだよね…
その世界に少しでも浸れれば(笑)
化投げれば、英語だって大嫌いでまともに会話も出来ないのに、なんという大それたことを考えてんだろう。
勿論!
数十年たった今でも、
おはよう・こんにちわ・ありがとう・どういたしまして・今何時?
ぐらいしか話せない。
英会話教室で。
テレビで。
本で。
ラジオで。
新聞で。
…と、著者もあれこれ試してくれている。
彼女の血のにじむような努力はそっちのけて、ははぁあ〜なるほどな〜と自分の知らない世界を見るのは楽しい(酷い話)
英会話教室に憧れた時期も確かにあったけど…必ずしもピンクの兎に浮かれているだけでは続くものではなさそうだ(笑)
で、結論は?
地道な努力が、一番の近道。
なるほど。
確かにそうでしょうね。
とりあえず、何かあったら叫ぶ科白だけはゲットしとこう。
↓
「Japanese speaker, Please!」
ISBN:4479300228 文庫 小栗 左多里 大和書房 2006/04 ¥650
藤原正彦氏の本をひとしきり読んで、母君の藤原ていさんの本「流れる星は生きている」を読んで、そんでこれか〜と、分かる人は笑うだろう…(笑)
というぐらい、法則にしたがって読んでます。
だって藤原先生の陰陽をちょっと読むだけでも随分と面白そうだな、と思ったんだもの。
これは読んでみたい!と。
いきなり「平塚らいてうはウーマンリブ」なんて一文が出てきてます。
はっはぁ…。
聞こえたり。
この調子ですすむのか。
エッセイ好きの血が疼くね。
(何が飛び出してくるやら)
ちなみに、森鴎外って細君(二度目)に尻に轢かれていた訳?
母・嫁の間に入って随分苦労した様子ですが。
(子煩悩とは聞いていたけどね…)
ISBN:4167352125 文庫 山本 夏彦 文藝春秋 1999/04 ¥540
というぐらい、法則にしたがって読んでます。
だって藤原先生の陰陽をちょっと読むだけでも随分と面白そうだな、と思ったんだもの。
これは読んでみたい!と。
いきなり「平塚らいてうはウーマンリブ」なんて一文が出てきてます。
はっはぁ…。
聞こえたり。
この調子ですすむのか。
エッセイ好きの血が疼くね。
(何が飛び出してくるやら)
ちなみに、森鴎外って細君(二度目)に尻に轢かれていた訳?
母・嫁の間に入って随分苦労した様子ですが。
(子煩悩とは聞いていたけどね…)
ISBN:4167352125 文庫 山本 夏彦 文藝春秋 1999/04 ¥540
ああ〜浮気の一冊!
ぱらぱらっと覗いてみたら、こっちのほうが面白い、というよりもあんまり考えずに読める(笑)
武士道は、斎戒沐浴して心落ち着いて、休日の昼などに読もうと思うのであった。
金のために欧羅巴を右へ左へ…なんで騎士道が寂れて傭兵がでてきちゃったのか?
?農機具の発達⇒生産力の増大⇒貨幣経済の発達⇒人口増大・農家の次男以下は継ぐ土地がない⇒傭兵へ。
?共和制による国民皆兵制(つまりただ働き・そこにあるのは愛国心のみ)⇒経済の発展⇒貧富の差⇒お金で雇うほうがラク(金持ちは戦争へ行きたがらない・貧乏人は戦争に行ってる余裕がない)
どうしてイタリアがその主舞台になっちゃったのか?
……ローマ帝国の滅亡後、しっかりした中央集権国家ができなかった
等。
なるほど、納得という歴史の流れに沿った、お話が聞ける。
傭兵隊長が公爵になったのは、へー!?と思うけど、太閤さんだって"お里"がいいとは言いがたい。
歴史とは、そーゆーものだ。
ISBN:4061495879 新書 菊池 良生 講談社 2002/01 ¥756
ぱらぱらっと覗いてみたら、こっちのほうが面白い、というよりもあんまり考えずに読める(笑)
武士道は、斎戒沐浴して心落ち着いて、休日の昼などに読もうと思うのであった。
金のために欧羅巴を右へ左へ…なんで騎士道が寂れて傭兵がでてきちゃったのか?
?農機具の発達⇒生産力の増大⇒貨幣経済の発達⇒人口増大・農家の次男以下は継ぐ土地がない⇒傭兵へ。
?共和制による国民皆兵制(つまりただ働き・そこにあるのは愛国心のみ)⇒経済の発展⇒貧富の差⇒お金で雇うほうがラク(金持ちは戦争へ行きたがらない・貧乏人は戦争に行ってる余裕がない)
どうしてイタリアがその主舞台になっちゃったのか?
……ローマ帝国の滅亡後、しっかりした中央集権国家ができなかった
等。
なるほど、納得という歴史の流れに沿った、お話が聞ける。
傭兵隊長が公爵になったのは、へー!?と思うけど、太閤さんだって"お里"がいいとは言いがたい。
歴史とは、そーゆーものだ。
ISBN:4061495879 新書 菊池 良生 講談社 2002/01 ¥756
武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える 知的生きかた文庫
2006年5月30日 読書
やっぱり(笑)藤原先生の影響で、こんな本を…買ってしまった。
読んだことなかった。
きっと「葉隠れ」みたいなものだと独断と偏見で思い込んでいたから。
西洋は宗教で道徳を教える(教わる)。
では日本では?
と西洋人に問われて答えに詰まった。
よくよく考えてみれば、それは武士道であると思い当たり、それを知らしめんとしたのが著作のきっかけである。
と著者・新渡戸 稲造氏の序の言葉にある。
だから、明治時代に英語で武士道を紹介した本…の日本語訳本なんですわ。
日本人が英語で書いて、それを日本人が訳して日本人に読ませる。
原語で読めれば苦労はないものを〜私には無理〜(笑)
日本人が書いたものが読めないのは、高校時代に読んだ一冊(というか一作品)。
平安時代の古典を明治の人が訳したものを、もう一度昭和の人に訳してもらった……以来初めてのことだ。
その古典の名は「源氏物語」
谷崎潤一郎の訳はあまりにも難しい…ので、誰だったかの口語訳がついて三段構えの訳本になっていた。
こうなったらもう…笑うしかないやね(笑)
ISBN:4837905633 文庫 奈良本 辰也 三笠書房 1993/01 ¥520
読んだことなかった。
きっと「葉隠れ」みたいなものだと独断と偏見で思い込んでいたから。
西洋は宗教で道徳を教える(教わる)。
では日本では?
と西洋人に問われて答えに詰まった。
よくよく考えてみれば、それは武士道であると思い当たり、それを知らしめんとしたのが著作のきっかけである。
と著者・新渡戸 稲造氏の序の言葉にある。
だから、明治時代に英語で武士道を紹介した本…の日本語訳本なんですわ。
日本人が英語で書いて、それを日本人が訳して日本人に読ませる。
原語で読めれば苦労はないものを〜私には無理〜(笑)
日本人が書いたものが読めないのは、高校時代に読んだ一冊(というか一作品)。
平安時代の古典を明治の人が訳したものを、もう一度昭和の人に訳してもらった……以来初めてのことだ。
その古典の名は「源氏物語」
谷崎潤一郎の訳はあまりにも難しい…ので、誰だったかの口語訳がついて三段構えの訳本になっていた。
こうなったらもう…笑うしかないやね(笑)
ISBN:4837905633 文庫 奈良本 辰也 三笠書房 1993/01 ¥520
ホントは文庫本を購入したのだが、画像がでないのがとっても寂しいので、単行本の方を出した。
詐欺じゃない、これは決して詐欺じゃない…自分に言い聞かせる私(笑)
「酒池肉林」で有名な殷(商王朝)の最後の帝王・紂王を倒し新しい王朝・周を開いたのは、言うまでもなく二代目・武王である。(初代は文王:紂王に息子の人肉饅頭を食べさせられたパパである)
前王朝を倒すとか、匈奴などの異民族を平らげるとか、武力においてなにがしかの活躍をすると、まあ大抵は武王とか武帝とか、そういう名前をおくりなされるもんである。
…で、その武王の弟(つまり文王の四男)に旦という人物がいた。
よく出来た人で、兄である武王をよく助けて周王朝の建国に大いに力を尽くした人である。
その功により、後に一国を与えられる。
…であるが。
権力の近くにいるといろいろあるもんだ。
本人の本心がどこにあるかは関係なく、謀反の濡れ衣を着せられたり、本心がばれたり……ね(笑)
周公旦もまた、謀反の疑いをもたれ、一時亡命した。
その亡命先が問題であった。
周に対し友好的とは決していえない南の国・楚へ逃げたのである。
なにゆえ楚に?
ほかに彼を温かく迎えてくれる国はいくつもあったというのに。
そこには何があったのか?
…という疑問から著者はこの作品を描きだす。
よくできた弟…ぐらいにしか描かれたことのない彼。
あまり語られない、注目されなかった周公旦を主役に描かれたこの一作。
「後宮小説」で一世を風靡した著者の、古代王朝への思いを私も感じたい。
…なにしろ、宮城谷昌光氏の「太公望」を読んで以来、とっても注目度の高い時代である。
ああ、そうそう。
「封神演義」の素の舞台でもあるしな…。
ISBN:4163187804 単行本 酒見 賢一 文藝春秋 1999/11 ¥1,400
詐欺じゃない、これは決して詐欺じゃない…自分に言い聞かせる私(笑)
「酒池肉林」で有名な殷(商王朝)の最後の帝王・紂王を倒し新しい王朝・周を開いたのは、言うまでもなく二代目・武王である。(初代は文王:紂王に息子の人肉饅頭を食べさせられたパパである)
前王朝を倒すとか、匈奴などの異民族を平らげるとか、武力においてなにがしかの活躍をすると、まあ大抵は武王とか武帝とか、そういう名前をおくりなされるもんである。
…で、その武王の弟(つまり文王の四男)に旦という人物がいた。
よく出来た人で、兄である武王をよく助けて周王朝の建国に大いに力を尽くした人である。
その功により、後に一国を与えられる。
…であるが。
権力の近くにいるといろいろあるもんだ。
本人の本心がどこにあるかは関係なく、謀反の濡れ衣を着せられたり、本心がばれたり……ね(笑)
周公旦もまた、謀反の疑いをもたれ、一時亡命した。
その亡命先が問題であった。
周に対し友好的とは決していえない南の国・楚へ逃げたのである。
なにゆえ楚に?
ほかに彼を温かく迎えてくれる国はいくつもあったというのに。
そこには何があったのか?
…という疑問から著者はこの作品を描きだす。
もうひとつ、周公旦について重要なことは、彼が神官であり、一種の呪術師であったという点である。
よくできた弟…ぐらいにしか描かれたことのない彼。
あまり語られない、注目されなかった周公旦を主役に描かれたこの一作。
「後宮小説」で一世を風靡した著者の、古代王朝への思いを私も感じたい。
…なにしろ、宮城谷昌光氏の「太公望」を読んで以来、とっても注目度の高い時代である。
ああ、そうそう。
「封神演義」の素の舞台でもあるしな…。
ISBN:4163187804 単行本 酒見 賢一 文藝春秋 1999/11 ¥1,400
流れる星は生きている
2006年5月28日 読書
此処のところ、嵌まりにはまっている藤原正彦氏のご母堂、藤原てい女の手記である。
大正7年生まれの彼女は、気象台職員の夫について満州・新京へと向かった。
昭和18年のことである。
18年という年号が何をするかは日本人ならようく分かっている。
終戦まで2年。
たった2年。
そしてそのときは来た。
ソ連軍が南下してくるとの知らせに、身の回りのものだけをもって逃げねばならなくなったとき、まず、信じられなかった。
昨日までの平和な生活を、二階の窓から見下ろした庭の畑のトマトや、風にそよぐカーテン下に健やかな寝息を立てていた赤ん坊の姿・映像に感じつつ、「生きるためには逃げねばならぬ」現実味のないその現実に目をむけ無理やり脚を動かした。
そこから苦難の旅が始まる。
夫は責任者の役割に固執して、脱出のチャンスを失してしまう。
「自分たちだけのことを考える利己的なことは出来ない」
「他の人たちのことを捨ててはいけない」
そういって、一緒にいちはやく逃げてくれという著者の懇願をはねつける。
そして、終戦。
そして、38度線の封鎖。
彼らは、北朝鮮の地に取り残されてしまった。
働ける男たち。
18歳以上の男たちは皆、北方へつれて行かれた。
シベリアへ。
労働力として。
使い捨ての命として、人間としての尊厳もなにもなく。遺された女と年寄りと子供たちは自分たちだけで生きてゆかねばならない。
弱いものは結束し、日本人会を作り相談していろんな決め事をし相互扶助をしていたようだが、それもまだ余裕のあるうちのようだった。
著者は、6歳(長男)を筆頭に、3歳(次男:正彦氏)と乳飲み子(長女)を抱えての旅。
栄養状態も悪く、自分も含めて酷い下痢に悩まされ、体力を失い、お金もなく、生きるためにさまざまな道を考えなくてはならない。
もっているものを売るのはまず最初に誰もが考えることで、夜明けの市場に落ちているくず野菜を拾いに行く。
安く仕入れた石鹸やタバコを、朝鮮人の家家を回って売りに行く。
決死の思いでソ連軍の基地に不要布を懇願しに行き、人形を手縫いしてそれを街中で売る。
やれることは何でもやる。
腐りかけた野菜を蹴飛ばされ、したたかに膝に当ってそれでもそれを拾い上げて逃げるその背中に、嘲笑が追いかけてくる。
蔑みの目で見られる。
女としてより、人間としての尊厳もなにもなく、それでも子供3人を生かすために、生きて内地に飼えるために、必死に、ただ「生きることだけを目的に」生きる。
職場の仲間で団を結成し、互いに工夫し力を合わせる日本人たち。
だが、生きることすら難しくなってゆく日々。
人間が家族のことだけを、自分の事だけを考えるようになってゆくのも致し方のないことだ。
それを責めることは出来ない。
それを責めつつも、「責めることよりも、なにより生き残ることだ」と思いなおし、時には男言葉を使ってでも、著者は子供たちを叱咤し、自分を叱咤し、チフスや食料や目の前に次々と競うように出現する苦難をなぎ払い乗り越えてゆく。
母だから強いとか。
子供がいるから強いとか。
そういうことではないと思う。
そんな生易しいものではないと思う。
そして、こんな極限状況でも、「他人を助けよう」とする人のあることに、読むたびに、出会うたびに、幾たびも心打たれた。
南へ下る決意。
そのタイミング。
旅費を作るために、最後の手持ちのものをすべて売る。捨てる。
だから、そのタイミングを見誤れば、それは速攻死に繋がる。
貨車で牛馬の糞にまみれ雨に打たれびしょぬれのまま歩いて山をこえ川を渡り、その途中で行き倒れた日本人の死体をいくつも見て、38度線を越えた。
そのままへたり込んで、赤ん坊を背負ったまま道に「死んで」いた著者を助けたのは、アメリカ軍のトラックだった。
避難民のテント(今で言うとキャンプ村)で一時の平安を得、なによりもおなかいっぱいの粥を初めとする食料を口にして、ああよかった、と、読んでいるこちらもほっとした。
今までの食べられない状態からいきなりコーンビーフなど栄養価の高いものを口にして、嘔吐・下痢が続く彼女と子供たち。
飢餓にひたすら耐えてきた消化器官は、栄養価の高いものを消化できないでただただ弱ってゆくだけなのだという医師のことば。
食べたいのに、食べるものはあるのに、食べれば食べるほどに、どんどん弱って死んでゆく。
或いは、飢えているのに食べられない。食べる力すらない。そんな子供がいて、ただただ死んでいく。
なんということだろう…。
山を川を道を裸足で歩き続けた足の裏は切れ、小石が食い込み化膿して、這って歩くしかならない状態になっていた。
その足で、彼女らは歩いてきた。ただ生きるために。
だがそうやって這っていたのは彼女だけではなかった。
多くの避難民がそうしていた。
この中で、生きて日本に帰れるとは思えずに、子供を捨て、或いは中国人・朝鮮人に託した親たちがいた。
それは歴史の事実である。
彼らには、生きて帰れるとは信じられなかったのだ。
それを、誰が、責められるだろうか。
日本の支配を憎み、呼び名としての「日本人」を憎む朝鮮の人々が、「貴方たちは可哀想だ」とこっそりと食料を分けてくれたり、助け起こしてくれたりするかと思えば、同じ引き上げ列車に乗り合わせた"恵まれた日本人"が「汚い」「臭い」「乞食女だ」と嘲笑する。
そして、貧乏人のなけなしのお金すらだまして盗ろうとする。
自分は大金を隠して所持してしながら…。
どんな境遇であっても、人間は自分より下に見る人の存在を必要とするのだろうか?
今の社会でも同じことだ。
自分が少しでもマシだと、自分は勝ち組だと思い込むために、「おまえは負け組だ!」と指を刺し嘲笑する対象を必要とするのだろうか。
そうすれば安心できるのだろうか。
自分が自分の狭い世界でほっとするために、わざわざ「負け組み」なるものを創り上げようと努力するのか。
その人間の、本質。
そこのあるのは、その人自身の本質だ。
生まれとか暮らしとか、国とか、そういうことではなく、その人の本質の伺われるシーンが痛いほどに繰り返され、その中で"ロマンチストなお嬢さん"であった著者は強くなって言った。
気づかないうちに、本を読み進むうちに、最後になって初めて、変った彼女を、その強さを、読み手は感じるだろう。
豪雨の中を闇の中を何かに終われるようにして進み続ける悪夢。
町外れの、土饅頭に子供たちを埋めるという悪夢。
それらに襲われながら、発狂することもなく行き続ける著者。
釜山を出向する引き上げ船に乗り込んだ彼女は、離れてゆく朝鮮を、背後に去ってゆく山川を、決して振り返らなかった。
日本についても、苦難は続く。
上陸を前に、次々と死んでゆく…特に子供たち。
列車は彼女らをふるさとの土地へ運ぶ。
親兄弟の住む地へ。
終戦から1年以上たった今、彼女らは絶望しされていた。
あの満州で、生きて、かえってこられるとは誰も信じていなかった。
しかも、子供たちも3人、一人欠けることもなく。
誰一人として帰ってこなかった家もあっただろう。
それもとてもたくさん。
数え切れないほど。
こんな状態でも、命だけは残った著者一行は、「幸運」といわれるのだろう。
満州開拓団は、夢を抱いて、必死の思いで、新しい町を国と作ろうと努力を続けた人たちだ。
国の、当時の日本政府の政策がどうであれ、彼ら一人一人は必死の思いだった。
彼の地を自分の故郷とする強い気持ちに人もあっただろう。
それが、ただ身ひとつで逃げだすしかなく、多くの死を見、極限状況の人間の根底のものを赤裸々に見せ付けられ、気も狂わんばかりの絶望にさいなめられ、生きてふるさとに帰り、肉親に再会できたものはまだ幸運だというのだろう。
ふるさとの駅に降り立って、肉親のむかえを待つだけになった時、著者は初めて鏡を見た。
自分の姿を見たのだった。
目は血くぼみ、青ざめて、勿論、垢や疲労やぎりぎりの生死の境を歩き続けた者のぎらぎらした攻撃性や、そんなものが創り上げた顔・姿は昔馴染みにすら本人と見分けがつかないほどだった。
著者は、強い。
こんなたった一言で言い表されることではない。
ないけれども…やっぱり強い。
人の運命は、生きるか死ぬかは、その人の芯の強さと、あとは運。
生き残るか、尽きるか、それは何者にも分からない。
だが、人間は最後まであがくように出来ている。
あがくのをやめれば、助かる命も助からない。
藤原ていさんは、本当に強い。
そうして生き抜いた日本人は、皆、強かった。
……あまりに違いすぎる。
今の日本人とは。
引き上げてほっとした著者はそのご数年心臓を悪くして寝込む事になる。
この本は、病床で、「子供たちへの遺言」として綴られたものであるという。
それが家計を一助になれば、ということから日の目を見た。
そして…大評判となった。
同じ思いをしてきた人も大勢いたのだろう。
その人たちは、自分が語れないことどもをこの本のなかに見たのだろう。
自分が言えないことを、この本で伝えられると思ったのかもしれない。
今読んでも、すさまじい。
生きることのすさまじさを、人間の本質を、感じる。
心揺さぶられる一冊であった。
ISBN:4122040639 文庫 藤原 てい 中央公論新社 2002/07 ¥720
大正7年生まれの彼女は、気象台職員の夫について満州・新京へと向かった。
昭和18年のことである。
18年という年号が何をするかは日本人ならようく分かっている。
終戦まで2年。
たった2年。
そしてそのときは来た。
ソ連軍が南下してくるとの知らせに、身の回りのものだけをもって逃げねばならなくなったとき、まず、信じられなかった。
昨日までの平和な生活を、二階の窓から見下ろした庭の畑のトマトや、風にそよぐカーテン下に健やかな寝息を立てていた赤ん坊の姿・映像に感じつつ、「生きるためには逃げねばならぬ」現実味のないその現実に目をむけ無理やり脚を動かした。
そこから苦難の旅が始まる。
夫は責任者の役割に固執して、脱出のチャンスを失してしまう。
「自分たちだけのことを考える利己的なことは出来ない」
「他の人たちのことを捨ててはいけない」
そういって、一緒にいちはやく逃げてくれという著者の懇願をはねつける。
そして、終戦。
そして、38度線の封鎖。
彼らは、北朝鮮の地に取り残されてしまった。
働ける男たち。
18歳以上の男たちは皆、北方へつれて行かれた。
シベリアへ。
労働力として。
使い捨ての命として、人間としての尊厳もなにもなく。遺された女と年寄りと子供たちは自分たちだけで生きてゆかねばならない。
弱いものは結束し、日本人会を作り相談していろんな決め事をし相互扶助をしていたようだが、それもまだ余裕のあるうちのようだった。
著者は、6歳(長男)を筆頭に、3歳(次男:正彦氏)と乳飲み子(長女)を抱えての旅。
栄養状態も悪く、自分も含めて酷い下痢に悩まされ、体力を失い、お金もなく、生きるためにさまざまな道を考えなくてはならない。
もっているものを売るのはまず最初に誰もが考えることで、夜明けの市場に落ちているくず野菜を拾いに行く。
安く仕入れた石鹸やタバコを、朝鮮人の家家を回って売りに行く。
決死の思いでソ連軍の基地に不要布を懇願しに行き、人形を手縫いしてそれを街中で売る。
やれることは何でもやる。
腐りかけた野菜を蹴飛ばされ、したたかに膝に当ってそれでもそれを拾い上げて逃げるその背中に、嘲笑が追いかけてくる。
蔑みの目で見られる。
女としてより、人間としての尊厳もなにもなく、それでも子供3人を生かすために、生きて内地に飼えるために、必死に、ただ「生きることだけを目的に」生きる。
職場の仲間で団を結成し、互いに工夫し力を合わせる日本人たち。
だが、生きることすら難しくなってゆく日々。
人間が家族のことだけを、自分の事だけを考えるようになってゆくのも致し方のないことだ。
それを責めることは出来ない。
それを責めつつも、「責めることよりも、なにより生き残ることだ」と思いなおし、時には男言葉を使ってでも、著者は子供たちを叱咤し、自分を叱咤し、チフスや食料や目の前に次々と競うように出現する苦難をなぎ払い乗り越えてゆく。
母だから強いとか。
子供がいるから強いとか。
そういうことではないと思う。
そんな生易しいものではないと思う。
そして、こんな極限状況でも、「他人を助けよう」とする人のあることに、読むたびに、出会うたびに、幾たびも心打たれた。
南へ下る決意。
そのタイミング。
旅費を作るために、最後の手持ちのものをすべて売る。捨てる。
だから、そのタイミングを見誤れば、それは速攻死に繋がる。
貨車で牛馬の糞にまみれ雨に打たれびしょぬれのまま歩いて山をこえ川を渡り、その途中で行き倒れた日本人の死体をいくつも見て、38度線を越えた。
そのままへたり込んで、赤ん坊を背負ったまま道に「死んで」いた著者を助けたのは、アメリカ軍のトラックだった。
避難民のテント(今で言うとキャンプ村)で一時の平安を得、なによりもおなかいっぱいの粥を初めとする食料を口にして、ああよかった、と、読んでいるこちらもほっとした。
今までの食べられない状態からいきなりコーンビーフなど栄養価の高いものを口にして、嘔吐・下痢が続く彼女と子供たち。
飢餓にひたすら耐えてきた消化器官は、栄養価の高いものを消化できないでただただ弱ってゆくだけなのだという医師のことば。
食べたいのに、食べるものはあるのに、食べれば食べるほどに、どんどん弱って死んでゆく。
或いは、飢えているのに食べられない。食べる力すらない。そんな子供がいて、ただただ死んでいく。
なんということだろう…。
山を川を道を裸足で歩き続けた足の裏は切れ、小石が食い込み化膿して、這って歩くしかならない状態になっていた。
その足で、彼女らは歩いてきた。ただ生きるために。
だがそうやって這っていたのは彼女だけではなかった。
多くの避難民がそうしていた。
この中で、生きて日本に帰れるとは思えずに、子供を捨て、或いは中国人・朝鮮人に託した親たちがいた。
それは歴史の事実である。
彼らには、生きて帰れるとは信じられなかったのだ。
それを、誰が、責められるだろうか。
日本の支配を憎み、呼び名としての「日本人」を憎む朝鮮の人々が、「貴方たちは可哀想だ」とこっそりと食料を分けてくれたり、助け起こしてくれたりするかと思えば、同じ引き上げ列車に乗り合わせた"恵まれた日本人"が「汚い」「臭い」「乞食女だ」と嘲笑する。
そして、貧乏人のなけなしのお金すらだまして盗ろうとする。
自分は大金を隠して所持してしながら…。
どんな境遇であっても、人間は自分より下に見る人の存在を必要とするのだろうか?
今の社会でも同じことだ。
自分が少しでもマシだと、自分は勝ち組だと思い込むために、「おまえは負け組だ!」と指を刺し嘲笑する対象を必要とするのだろうか。
そうすれば安心できるのだろうか。
自分が自分の狭い世界でほっとするために、わざわざ「負け組み」なるものを創り上げようと努力するのか。
その人間の、本質。
そこのあるのは、その人自身の本質だ。
生まれとか暮らしとか、国とか、そういうことではなく、その人の本質の伺われるシーンが痛いほどに繰り返され、その中で"ロマンチストなお嬢さん"であった著者は強くなって言った。
気づかないうちに、本を読み進むうちに、最後になって初めて、変った彼女を、その強さを、読み手は感じるだろう。
豪雨の中を闇の中を何かに終われるようにして進み続ける悪夢。
町外れの、土饅頭に子供たちを埋めるという悪夢。
それらに襲われながら、発狂することもなく行き続ける著者。
釜山を出向する引き上げ船に乗り込んだ彼女は、離れてゆく朝鮮を、背後に去ってゆく山川を、決して振り返らなかった。
日本についても、苦難は続く。
上陸を前に、次々と死んでゆく…特に子供たち。
列車は彼女らをふるさとの土地へ運ぶ。
親兄弟の住む地へ。
終戦から1年以上たった今、彼女らは絶望しされていた。
あの満州で、生きて、かえってこられるとは誰も信じていなかった。
しかも、子供たちも3人、一人欠けることもなく。
誰一人として帰ってこなかった家もあっただろう。
それもとてもたくさん。
数え切れないほど。
こんな状態でも、命だけは残った著者一行は、「幸運」といわれるのだろう。
満州開拓団は、夢を抱いて、必死の思いで、新しい町を国と作ろうと努力を続けた人たちだ。
国の、当時の日本政府の政策がどうであれ、彼ら一人一人は必死の思いだった。
彼の地を自分の故郷とする強い気持ちに人もあっただろう。
それが、ただ身ひとつで逃げだすしかなく、多くの死を見、極限状況の人間の根底のものを赤裸々に見せ付けられ、気も狂わんばかりの絶望にさいなめられ、生きてふるさとに帰り、肉親に再会できたものはまだ幸運だというのだろう。
ふるさとの駅に降り立って、肉親のむかえを待つだけになった時、著者は初めて鏡を見た。
自分の姿を見たのだった。
目は血くぼみ、青ざめて、勿論、垢や疲労やぎりぎりの生死の境を歩き続けた者のぎらぎらした攻撃性や、そんなものが創り上げた顔・姿は昔馴染みにすら本人と見分けがつかないほどだった。
著者は、強い。
こんなたった一言で言い表されることではない。
ないけれども…やっぱり強い。
人の運命は、生きるか死ぬかは、その人の芯の強さと、あとは運。
生き残るか、尽きるか、それは何者にも分からない。
だが、人間は最後まであがくように出来ている。
あがくのをやめれば、助かる命も助からない。
藤原ていさんは、本当に強い。
そうして生き抜いた日本人は、皆、強かった。
……あまりに違いすぎる。
今の日本人とは。
引き上げてほっとした著者はそのご数年心臓を悪くして寝込む事になる。
この本は、病床で、「子供たちへの遺言」として綴られたものであるという。
それが家計を一助になれば、ということから日の目を見た。
そして…大評判となった。
同じ思いをしてきた人も大勢いたのだろう。
その人たちは、自分が語れないことどもをこの本のなかに見たのだろう。
自分が言えないことを、この本で伝えられると思ったのかもしれない。
今読んでも、すさまじい。
生きることのすさまじさを、人間の本質を、感じる。
心揺さぶられる一冊であった。
ISBN:4122040639 文庫 藤原 てい 中央公論新社 2002/07 ¥720
世界一周道具パズル―これ、なんに使うのかな?
2006年5月27日 読書
世界には、不思議なものがいっぱい。
どうして使うのかな?
何のためにあるのかな?
これ、なに?
と頭をひねって考えるのも楽しけりゃ、当った時の嬉しさもなかなかのもの。
なにかの役に立つのかといわれれば、単なる楽しみ、雑学が増えるだけ、と答えるしかないけれど。
でも、人間余裕が必要なんだよ(笑)
みょーなこと知っている、っていう評価も、まあいいんじゃないの?
推理する。
頭の体操を兼ねて…のお楽しみ本でもある。
まぁ、この値段ならね。
ご愛嬌。
ISBN:4334723802 文庫 小林 繁樹 光文社 1997/03 ¥500
どうして使うのかな?
何のためにあるのかな?
これ、なに?
と頭をひねって考えるのも楽しけりゃ、当った時の嬉しさもなかなかのもの。
なにかの役に立つのかといわれれば、単なる楽しみ、雑学が増えるだけ、と答えるしかないけれど。
でも、人間余裕が必要なんだよ(笑)
みょーなこと知っている、っていう評価も、まあいいんじゃないの?
推理する。
頭の体操を兼ねて…のお楽しみ本でもある。
まぁ、この値段ならね。
ご愛嬌。
ISBN:4334723802 文庫 小林 繁樹 光文社 1997/03 ¥500
買い集めすぎた気がしたため、手を出しかねていたこの一冊。
書店でぱらぱら読みをして、やっぱり買ってしまったこの一冊。
エッセイはいくつかの本で同じことを描いている(文章は勿論違うが)ものがあったりする。
それは当然だが、手控えの原因にはなる。
だが、この本には…今までになかった衝撃的な一文があった!
「ヨーロッパ・パック新婚旅行」である。
題名のまま。
著者と奥方の新婚旅行の旅話である。
これが…とんでもなくおかしいのだ。
何が面白いかといえば。
いかに自由気ままな著者とはいえ、この文章には、新婚ゆえの遠慮とか照れとかがところどころ見受けられるからそれが楽しいのだ。
おまけにさりげなく語られる"のろけ"!
へ〜ぇ、と思わず口元に笑いが…。
「疲れた話」
は奥方との結婚の仲人を日本の宝のような数学者の先生に頼みに行く話。
何が面白いかといえば。
いかに自由奔放唯我独尊の著者がなんと初々しいというか、借りてきた猫みたいになっているさまのそのギャップが楽しいのだ。
ところで。この本ではなく、前に読んだ本にい書かれていたことだが。
少し前に上映された「博士の愛した数式」の原作者が、数学博士という人種(?)の研究に藤原正彦先生を取材したということだ。
小説の中に"数学者"を登場させるため、その考え方とか生活とか、何を考えどんなことをし、どういう行動をとるのか、等など、藤原先生をモデルにして書かれた小説なのだという。
はぁ〜そうか。
そも、学者と言うものは、一体何を考えてなにを常識として生きて考えて活動しているのやら、我ら一般人にはよくわからない、というのが本音である。
思考のレベル…考える力ではなく、考える土台がいささか異なっているので、しばしば話が、観点が食い違う。
そーゆー人たちのなかでも数学者と言うのは特別らしく、
学者と結婚する、と奥方が父親に縁のある大学教授に報告に行ったとき、
「数学者だけはやめなさい。彼らは数学星という異世界にすんでいるのだから」(大意)
と言われてしまい、まさか「その数学者と結婚するのです」とはいえなかったという話もあった。
学者が「わけがわからん」という数学者…それを小説に描くには、わけわからん(?)数学者である藤原先生を取材するしかなかったのかなとなんとなく納得する。
映画を見に行った人に以上の件を報告すると、
「どうりで、数学は美しい…とかいってうっとりしていたよ」
とのこと(笑)
ああ!藤原先生だ!と確信した(笑)次第。
でも、数学の公式を、こうこうこう、と映画で解かれると「そのときは分かったような気になった」らしい。
さすが!
ISBN:4101248028 文庫 藤原 正彦 新潮社 1984/01 ¥460
書店でぱらぱら読みをして、やっぱり買ってしまったこの一冊。
エッセイはいくつかの本で同じことを描いている(文章は勿論違うが)ものがあったりする。
それは当然だが、手控えの原因にはなる。
だが、この本には…今までになかった衝撃的な一文があった!
「ヨーロッパ・パック新婚旅行」である。
題名のまま。
著者と奥方の新婚旅行の旅話である。
これが…とんでもなくおかしいのだ。
何が面白いかといえば。
いかに自由気ままな著者とはいえ、この文章には、新婚ゆえの遠慮とか照れとかがところどころ見受けられるからそれが楽しいのだ。
おまけにさりげなく語られる"のろけ"!
へ〜ぇ、と思わず口元に笑いが…。
「疲れた話」
は奥方との結婚の仲人を日本の宝のような数学者の先生に頼みに行く話。
何が面白いかといえば。
いかに自由奔放唯我独尊の著者がなんと初々しいというか、借りてきた猫みたいになっているさまのそのギャップが楽しいのだ。
ところで。この本ではなく、前に読んだ本にい書かれていたことだが。
少し前に上映された「博士の愛した数式」の原作者が、数学博士という人種(?)の研究に藤原正彦先生を取材したということだ。
小説の中に"数学者"を登場させるため、その考え方とか生活とか、何を考えどんなことをし、どういう行動をとるのか、等など、藤原先生をモデルにして書かれた小説なのだという。
はぁ〜そうか。
そも、学者と言うものは、一体何を考えてなにを常識として生きて考えて活動しているのやら、我ら一般人にはよくわからない、というのが本音である。
思考のレベル…考える力ではなく、考える土台がいささか異なっているので、しばしば話が、観点が食い違う。
そーゆー人たちのなかでも数学者と言うのは特別らしく、
学者と結婚する、と奥方が父親に縁のある大学教授に報告に行ったとき、
「数学者だけはやめなさい。彼らは数学星という異世界にすんでいるのだから」(大意)
と言われてしまい、まさか「その数学者と結婚するのです」とはいえなかったという話もあった。
学者が「わけがわからん」という数学者…それを小説に描くには、わけわからん(?)数学者である藤原先生を取材するしかなかったのかなとなんとなく納得する。
映画を見に行った人に以上の件を報告すると、
「どうりで、数学は美しい…とかいってうっとりしていたよ」
とのこと(笑)
ああ!藤原先生だ!と確信した(笑)次第。
でも、数学の公式を、こうこうこう、と映画で解かれると「そのときは分かったような気になった」らしい。
さすが!
ISBN:4101248028 文庫 藤原 正彦 新潮社 1984/01 ¥460
まだレビューがないなんて…信じられない。
けど、ないもんは、ない。
後日、レビューが出たら差し替えようか。
(5/28ボースンさまにご教授いただいて無事レビュー登場! ⇒ 記事差し替え)
ま、もともと明日(25日)発売予定だったのが、なんでや本日出てますがな〜といった状況なので、いたしかたがないのかもしれぬ。
最新刊、第7巻。
悪の組織ならぬキャンベル子爵の陰謀により、遠くは新大陸にまで売り飛ばされちゃったエマである。
前巻はそんなどーしよーもないところで終わっていたので、肝を冷やしつつ次をまだかまだかと待つ続けることとなっていた。
「あとはキミしかいない!気張れ!ぼっちゃん!!」との読者の期待を一身に受けたジョーンズ家のウイリアム君が動き出した…。
ほんま、金持ちのやることは……
実際、あの当時、英国ーアメリカ間って、どれくらい掛かったのだろうか…?
最終巻なので、一気に話がすすみます。
だもんで、ページも増えて増えて270?以上のえらい太い単行本になっている。
読み応えもたーっぷりある。
後書きによれば、「番外編」も出るらしい。
本編でかけなかったあーんな事とかこーんな事とか……?
ま、なにはともあれ、楽しみである♪
今ですらはっきりと身分制をもっている英国であるからして、なかなか……大変だよね。
ISBN:4757727879 コミック 森 薫 エンターブレイン 2006/05/25 ¥714
けど、ないもんは、ない。
後日、レビューが出たら差し替えようか。
(5/28ボースンさまにご教授いただいて無事レビュー登場! ⇒ 記事差し替え)
ま、もともと明日(25日)発売予定だったのが、なんでや本日出てますがな〜といった状況なので、いたしかたがないのかもしれぬ。
最新刊、第7巻。
悪の組織ならぬキャンベル子爵の陰謀により、遠くは新大陸にまで売り飛ばされちゃったエマである。
前巻はそんなどーしよーもないところで終わっていたので、肝を冷やしつつ次をまだかまだかと待つ続けることとなっていた。
「あとはキミしかいない!気張れ!ぼっちゃん!!」との読者の期待を一身に受けたジョーンズ家のウイリアム君が動き出した…。
ほんま、金持ちのやることは……
実際、あの当時、英国ーアメリカ間って、どれくらい掛かったのだろうか…?
最終巻なので、一気に話がすすみます。
だもんで、ページも増えて増えて270?以上のえらい太い単行本になっている。
読み応えもたーっぷりある。
後書きによれば、「番外編」も出るらしい。
本編でかけなかったあーんな事とかこーんな事とか……?
ま、なにはともあれ、楽しみである♪
今ですらはっきりと身分制をもっている英国であるからして、なかなか……大変だよね。
ISBN:4757727879 コミック 森 薫 エンターブレイン 2006/05/25 ¥714
ネットの通信販売で予約を…とおもったら「品切れ」ばかりであった。
流行っているから仕方がないかと諦めていたある日、本屋で平積みになっている本書を発見する。
……世の書籍の流通システムに疑問をもった一瞬だった。
入手できたのだからどうでもいいといえばいいけれど、「今買わないとまた消える!」というわけの分からない恐怖感に迫られて衝動買い(?)した一冊である。
昔から思う本の謎。
見つけた時、なんとなく気にかかった時、次の機会と思わずにその時に買っとかないと、再会する確率は妙に低い。
よほどのヒット作は別として…。
何ゆえ?
ぱらぱらと目次を見る。
なんか、ちょっとお堅いのかな?
楽しい短編エッセイ集を読んだ直後だから、すこしだけ腰が引けたけど、なあに、この著者のことだから、すぐに馬脚を現すじゃなくて…読者レベルに合わせてくれるだろうと思いなおす。
さて。
読むだけで心楽しくうきうきしてくる麻薬のような"フジワラ・ワールド"へ参るとするか。
ISBN:416367800X 単行本 藤原 正彦 文藝春秋 2006/04 ¥1,250
流行っているから仕方がないかと諦めていたある日、本屋で平積みになっている本書を発見する。
……世の書籍の流通システムに疑問をもった一瞬だった。
入手できたのだからどうでもいいといえばいいけれど、「今買わないとまた消える!」というわけの分からない恐怖感に迫られて衝動買い(?)した一冊である。
昔から思う本の謎。
見つけた時、なんとなく気にかかった時、次の機会と思わずにその時に買っとかないと、再会する確率は妙に低い。
よほどのヒット作は別として…。
何ゆえ?
ぱらぱらと目次を見る。
なんか、ちょっとお堅いのかな?
楽しい短編エッセイ集を読んだ直後だから、すこしだけ腰が引けたけど、なあに、この著者のことだから、すぐに
さて。
読むだけで心楽しくうきうきしてくる
ISBN:416367800X 単行本 藤原 正彦 文藝春秋 2006/04 ¥1,250
いろいろエッセイを読んできまして、重なっている部分もままあるけど、そういうものの集大成。
話題とテーマが飛んでいるのが逆に新鮮で面白いです。
ご家族とのやり取りを書いているのが一番かな。
"会津の地を曳く女房"こと奥様もいい味を出している…。
いちいち笑えることを真面目くさって堂々と主張している著者の"可愛らしさ"にも打たれる。
それに堂々と反論する"女房殿"にも心打たれる。
割れ鍋に綴じ蓋、っていうのはこのばあい蔑称じゃないよね?
思う。
数学ってのはきっちり決まった数字と数式で、きっちりと決まったレールの上だけ進んでゆくものだと思っていた。
それはまあ、大方は間違いないと思うけど。
なんの浪漫もないもんだ、と思うのは間違いだったかな。
美しき数式。美しい定理。
それにうっとりとする著者の日常などをエッセイで覗き見させてもらったわけだけど、読めば読むほど数学者ってー。
悪く言えば、おたく、といおうか。(ごめんなさい)
よく言えば、ロマンチスト。
お星様がきらきらと輝いているような、夢のような場所でやっぱりきらきら輝いている数式とか定理とかを追いかけている人たちなんだなぁと。
確信しました。
はい。
ISBN:4101248079 文庫 藤原 正彦 新潮社 2003/04 ¥420
話題とテーマが飛んでいるのが逆に新鮮で面白いです。
ご家族とのやり取りを書いているのが一番かな。
"会津の地を曳く女房"こと奥様もいい味を出している…。
いちいち笑えることを真面目くさって堂々と主張している著者の"可愛らしさ"にも打たれる。
それに堂々と反論する"女房殿"にも心打たれる。
割れ鍋に綴じ蓋、っていうのはこのばあい蔑称じゃないよね?
思う。
数学ってのはきっちり決まった数字と数式で、きっちりと決まったレールの上だけ進んでゆくものだと思っていた。
それはまあ、大方は間違いないと思うけど。
なんの浪漫もないもんだ、と思うのは間違いだったかな。
美しき数式。美しい定理。
それにうっとりとする著者の日常などをエッセイで覗き見させてもらったわけだけど、読めば読むほど数学者ってー。
悪く言えば、おたく、といおうか。(ごめんなさい)
よく言えば、ロマンチスト。
お星様がきらきらと輝いているような、夢のような場所でやっぱりきらきら輝いている数式とか定理とかを追いかけている人たちなんだなぁと。
確信しました。
はい。
ISBN:4101248079 文庫 藤原 正彦 新潮社 2003/04 ¥420
彼らは何故闘うのか?
日本とは何なのか?
F1とは、フォーミュラーワンのこと。
過去の一時、異様に流行った車のレースのこと。
家人がファンで、いまだに日曜日の夜中(というよりも月曜日の未明)にテレビで追いかけをしている、日本においては、今現在は火が消えて燻っている状態のスポーツである。(くどい?)
本日そぞろ歩きの最中に出会った「古書博覧会」で買い求めたのだった。
お値段は¥300−。(面白くなくても、まあ口惜しくはない値段だ)
そして、親切にも、「先に読む?」といって貸してくれたのだった。
私は車には興味はないのだが(帆船には興味があるが)…ハードカバーの綺麗な本だったので、ちょいとぺらぺらとめくってみようかな〜と借りたのだった。
F1も帆船(及びヨット)も、一時期は嘘のように取り上げられてテレビの放送もゴールデンタイムだったのに…飽き易い日本人のご多分にもれず、この二つは同じ運命を辿っていまや"人知られず"にほそぼそと存在している。
近親感を覚えてしまったのである。
ISBN:4594008828 単行本 赤井 邦彦 扶桑社 1992/03 ¥1,427
日本とは何なのか?
F1とは、フォーミュラーワンのこと。
過去の一時、異様に流行った車のレースのこと。
家人がファンで、いまだに日曜日の夜中(というよりも月曜日の未明)にテレビで追いかけをしている、日本においては、今現在は火が消えて燻っている状態のスポーツである。(くどい?)
本日そぞろ歩きの最中に出会った「古書博覧会」で買い求めたのだった。
お値段は¥300−。(面白くなくても、まあ口惜しくはない値段だ)
そして、親切にも、「先に読む?」といって貸してくれたのだった。
私は車には興味はないのだが(帆船には興味があるが)…ハードカバーの綺麗な本だったので、ちょいとぺらぺらとめくってみようかな〜と借りたのだった。
F1も帆船(及びヨット)も、一時期は嘘のように取り上げられてテレビの放送もゴールデンタイムだったのに…飽き易い日本人のご多分にもれず、この二つは同じ運命を辿っていまや"人知られず"にほそぼそと存在している。
近親感を覚えてしまったのである。
ISBN:4594008828 単行本 赤井 邦彦 扶桑社 1992/03 ¥1,427
父の威厳 数学者の意地
2006年5月19日 読書
藤原先生の第…(?)冊目。
短いエッセイを取りまとめたもので、学生の頃の話、アメリカ留学時の出来事、父、母、妻、子供たち、そして恋愛(?)…まあいろいろと、詰っていて、次から次へと飛び出してくるから、宝箱みたいで面白い。
いや、宝箱というよりはビックリ箱か。
この方が「国家の品格」を書いてブレイクして、こうしてわたしも面白さに嵌まって次々読んでいるわけだ。
この人の本がブームだからといって、別に連動しているわけではない。
この人の本を読んだが為に、私がいきなり興味をもち始めたというのでもない。
だが、最近の教育の動向がちょっと気に掛かる。
「愛国心を強制する」かのごとき動きは、とっても気に掛かる。
だって、気に掛かるでしょ?
愛国心は、強制されるモンじゃない。自然と湧き上がってくるもんだ。
それが、戦後教育というか戦争の反動やGHQによるまあいろいろな裏事情があって、日本人の愛国心拒絶症みたいなものが出来てしまった。
此処にいたって、
愛国心って決して悪いものじゃない。
必ずしも戦争に結びつくものじゃない。
愛国心という言葉とその意味をここで見直しましょう、というのなら、分かるんだ。
藤原先生がいう愛国心は、いままで吐き捨てるように使われてきた愛国心とは違う(と思う)
自分の国を愛するということは、
そこに住む人々や自然、つまり花咲く野原や冬は雪を抱き秋は見事に紅葉する山や魚のおよぐ清流や、命を育むその自然環境の美しさを愛するということ。
自分を取巻く自然や人間を愛する情感(情緒)をもつ人は、他国の人たちがその周りの人や自然や祖国に対してもつ情感を理解で知る。
愛する気持ちが分かる。
だから。
そんな人や国に対して、戦争を仕掛けようという気にはならないでしょう?という話なのだ。
そういった情感を、感情を、情緒を、日本は、子供たちのなかに育ててやらなきゃいけないよーと言ってるだけなのだ。
これって、昔の子供たちが、否、大人ももっていたものだよね。
そんなに特別なことを言ってるわけじゃないのに、「成る程!」と思い切り納得してしまった私だった。
もやもやして、やりきれない感情が渦巻いていたのが、ちょっとだけ、霧が晴れてきたのかな?という感じ。
すっきり感というもの。
藤原先生の本を読んでいるとそんな気持ちに浸れるから、文章が面白いということも確かにあるけれど、それよりもなお強く感じられるものに魅かれている。
それが現状。
熱しやすく冷め(醒め)やすい。
典型的な日本人気質の私は、現在沸騰中なので、しばらく醒めそうにないだろう…と自己観察。
ISBN:4101248052 文庫 藤原 正彦 新潮社 1997/06 ¥540
短いエッセイを取りまとめたもので、学生の頃の話、アメリカ留学時の出来事、父、母、妻、子供たち、そして恋愛(?)…まあいろいろと、詰っていて、次から次へと飛び出してくるから、宝箱みたいで面白い。
いや、宝箱というよりはビックリ箱か。
この方が「国家の品格」を書いてブレイクして、こうしてわたしも面白さに嵌まって次々読んでいるわけだ。
この人の本がブームだからといって、別に連動しているわけではない。
この人の本を読んだが為に、私がいきなり興味をもち始めたというのでもない。
だが、最近の教育の動向がちょっと気に掛かる。
「愛国心を強制する」かのごとき動きは、とっても気に掛かる。
だって、気に掛かるでしょ?
愛国心は、強制されるモンじゃない。自然と湧き上がってくるもんだ。
それが、戦後教育というか戦争の反動やGHQによるまあいろいろな裏事情があって、日本人の愛国心拒絶症みたいなものが出来てしまった。
此処にいたって、
愛国心って決して悪いものじゃない。
必ずしも戦争に結びつくものじゃない。
愛国心という言葉とその意味をここで見直しましょう、というのなら、分かるんだ。
藤原先生がいう愛国心は、いままで吐き捨てるように使われてきた愛国心とは違う(と思う)
自分の国を愛するということは、
そこに住む人々や自然、つまり花咲く野原や冬は雪を抱き秋は見事に紅葉する山や魚のおよぐ清流や、命を育むその自然環境の美しさを愛するということ。
自分を取巻く自然や人間を愛する情感(情緒)をもつ人は、他国の人たちがその周りの人や自然や祖国に対してもつ情感を理解で知る。
愛する気持ちが分かる。
だから。
そんな人や国に対して、戦争を仕掛けようという気にはならないでしょう?という話なのだ。
そういった情感を、感情を、情緒を、日本は、子供たちのなかに育ててやらなきゃいけないよーと言ってるだけなのだ。
これって、昔の子供たちが、否、大人ももっていたものだよね。
そんなに特別なことを言ってるわけじゃないのに、「成る程!」と思い切り納得してしまった私だった。
もやもやして、やりきれない感情が渦巻いていたのが、ちょっとだけ、霧が晴れてきたのかな?という感じ。
すっきり感というもの。
藤原先生の本を読んでいるとそんな気持ちに浸れるから、文章が面白いということも確かにあるけれど、それよりもなお強く感じられるものに魅かれている。
それが現状。
熱しやすく冷め(醒め)やすい。
典型的な日本人気質の私は、現在沸騰中なので、しばらく醒めそうにないだろう…と自己観察。
ISBN:4101248052 文庫 藤原 正彦 新潮社 1997/06 ¥540
若き数学者のアメリカ
2006年5月16日 読書
先日まで読んでいた「遥かなるケンブリッジ」で南木佳士氏が解説していた。
「遥かなる〜」に並んでずば抜けて面白いのはこの本であると。
たまたま昨日、この本を買い足したところだった私は、そこに何かの啓示を(笑)感じた…わけじゃないけど。
買ったときよりも期待感をもってこの本を開いたわけだ。
1972年。
およそ35年前。
著者はアメリカの(大学の)招きによって、数学の研究をするためにアメリカにわたる。
初めての海外…だとか。
1年間の留学で、負う義務は研究のみ!だって…。
ああ、すごい、いいなぁ〜と、ちょっとだけ思った。
学生時代なら天国のように感じたかも。
今はどうかな?
羨ましい、と思うのは、きっと、自分が好きなことだけしていられるから。
それでも生活できるから。
そういうことだと思う。
それに、会社員として、社会生活にどっぷり使った今は、きっと罪悪感とかわけの分からぬ不安感や意味のない罪悪感に追い立てられるだろうな。(こんなことしてていいの?とか)
或いは、仕事をしなくても"食べてゆける"という開放感にひたすら怠惰な時間を送るかもしれない。
それは、定年を迎えた会社員が陥る罠にも似て。
アメリカにわたるに当って、受けるであろう文化的地域的人種的ショックを何とか和らげようと、著者は姑息に運動する。
まず。
一旦ハワイで小休止。
⇒ パールハーバーにて、意味なく疲れる。
一旦ラスベガスで小休止。
⇒ カジノにて、"日本人根性"(笑)を出しすぎて摩られる…嗚呼もったいない…!
外国に出た日本人が陥るのは、「急激なる国粋感情」みたいなもの。
日本が恋しく、何を見ても己が日本人であることを痛感し、何をしても日本が一番と思い、何を言われても日本が侮辱されたと戦闘モードに入りやすくなる。
…ということ。
芥川龍之介がハンブルク港で貨物船のポールにたなびく日章旗に涙したり、若き女子大生が北京の日本大使館の日本車に歓声を上げたり(?)
奇妙な愛国心(?)が一時的に異常にヒートアップする現象らしい。
一時的なものらしいけど。
しょうがない。
島国日本にいる限り、「己が日本人である」ってことは、意外と認識されないものである。
日本人だということが、当たり前なのでわざわざ自覚するほどのものではない。
でも海外へ一歩出れば
「あんたは日本人だ!」
と思い知らされる時が必ずある。
特に、対日感情がよろしくない国では……。
それが酷い。
まるで日章旗かレッテルか何かを背中に貼り付けているような気分になる。
見えない分、厄介だし。
見えないから、はがせないし。
それを通り越して、リラックスすれば、なんともないと思えることなんだけどね。
若き日の藤原先生もまた、こうしてアメリカで気力体力を無駄に消費されているご様子…。
御年29歳のお話である……わ、若い!
ぜんぜんそんな感じじゃないけれど、本当に天才数学者なんだな〜!
吃驚。
ISBN:410124801X 文庫 藤原 正彦 新潮社 1981/06 ¥540
「遥かなる〜」に並んでずば抜けて面白いのはこの本であると。
たまたま昨日、この本を買い足したところだった私は、そこに何かの啓示を(笑)感じた…わけじゃないけど。
買ったときよりも期待感をもってこの本を開いたわけだ。
1972年。
およそ35年前。
著者はアメリカの(大学の)招きによって、数学の研究をするためにアメリカにわたる。
初めての海外…だとか。
1年間の留学で、負う義務は研究のみ!だって…。
ああ、すごい、いいなぁ〜と、ちょっとだけ思った。
学生時代なら天国のように感じたかも。
今はどうかな?
羨ましい、と思うのは、きっと、自分が好きなことだけしていられるから。
それでも生活できるから。
そういうことだと思う。
それに、会社員として、社会生活にどっぷり使った今は、きっと罪悪感とかわけの分からぬ不安感や意味のない罪悪感に追い立てられるだろうな。(こんなことしてていいの?とか)
或いは、仕事をしなくても"食べてゆける"という開放感にひたすら怠惰な時間を送るかもしれない。
それは、定年を迎えた会社員が陥る罠にも似て。
アメリカにわたるに当って、受けるであろう文化的地域的人種的ショックを何とか和らげようと、著者は姑息に運動する。
まず。
一旦ハワイで小休止。
⇒ パールハーバーにて、意味なく疲れる。
一旦ラスベガスで小休止。
⇒ カジノにて、"日本人根性"(笑)を出しすぎて摩られる…嗚呼もったいない…!
外国に出た日本人が陥るのは、「急激なる国粋感情」みたいなもの。
日本が恋しく、何を見ても己が日本人であることを痛感し、何をしても日本が一番と思い、何を言われても日本が侮辱されたと戦闘モードに入りやすくなる。
…ということ。
芥川龍之介がハンブルク港で貨物船のポールにたなびく日章旗に涙したり、若き女子大生が北京の日本大使館の日本車に歓声を上げたり(?)
奇妙な愛国心(?)が一時的に異常にヒートアップする現象らしい。
一時的なものらしいけど。
しょうがない。
島国日本にいる限り、「己が日本人である」ってことは、意外と認識されないものである。
日本人だということが、当たり前なのでわざわざ自覚するほどのものではない。
でも海外へ一歩出れば
「あんたは日本人だ!」
と思い知らされる時が必ずある。
特に、対日感情がよろしくない国では……。
それが酷い。
まるで日章旗かレッテルか何かを背中に貼り付けているような気分になる。
見えない分、厄介だし。
見えないから、はがせないし。
それを通り越して、リラックスすれば、なんともないと思えることなんだけどね。
若き日の藤原先生もまた、こうしてアメリカで気力体力を無駄に消費されているご様子…。
御年29歳のお話である……わ、若い!
ぜんぜんそんな感じじゃないけれど、本当に天才数学者なんだな〜!
吃驚。
ISBN:410124801X 文庫 藤原 正彦 新潮社 1981/06 ¥540
遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス
2006年5月15日 読書
この人のエッセイは本当に面白い。
次から次へと読み、次から次へと買ってしまう。
これは英国へ留学した1年間を描いたエッセイである。
若い頃にアメリカで研究生活をしていた著者は、英語には困らない…ハズであったが。
(勿論!)
英語と米語はちがうんである。
そうやな…アメリカ人の英語(米語)をふふんと笑うのなら、日本人のアメリカ英語なんか歯牙にもかけてもらえないよな。
しかも、英国人は、米語を蔑む。
レイシズム(所謂、人種差別)をちょっとしたマナー違反、ぐらいにしか思わないのが英国人だから(これもレイシズムかなぁ?)他民族を平気で侮辱する…なんてこともある。
アメリカやカナダからきた研究者の怒ること怒ること!
ジョージ・オーウエル曰く、
それでも紳士の国として尊敬され、研究や学会という世界においても堂々上位に君臨するんだから、どうなんだろうね。これって。世の中ってそういうものなんですかー?(笑)
藤原さん家は、家族を連れての留学だから、いろいろと、大変なわけです。
言葉が出来ないので、コミュニケーションがとれず、間違いが多く、ゆえに子供が学校で苛められる。
コミュニケーションが取れないことと子供の問題で奥さんがノイローゼになる。
やがて研究大事の旦那(著者)と険悪な状況になり、やがて家族崩壊の危機を感ずる…などなど。
その中で、「まけるな日本人!」の古武士の気概でがんばる著者。
暢気な受け答えは緊迫感がないと思われそうだが、これはこの人の懐の深さであり、余裕なんだろう。
こうして衝撃を和らげているのだろうし、しっかと反撃を狙ってもいる。
ただやられてばかりはいない。
いじめっ子は、弱いものを苛める、抵抗しないからかさになって苛める。苛められたものが抵抗しない限り、苛めは終わらない。特に日本人(非白人)だから、という理由で苛められるということもある。
だから、逃げて泣いているばかりではダメだ。
反撃しろ。闘え。
著者はべそをかく息子にそういうのだった。
暴力を指すケンカ、ではなく、学問も研究も友達との付き合いもある種の闘いである。
自分を分かってもらうためには、ちょっとでも理解させるためには、一歩前に出るしかない。
とはいえ。
皆が皆、闘えるわけではない。
それほど強くないものもいるし、今は強くない、というものもいるよね。
将来は闘えるとしても。
いや〜、しかし。
闘ってるよな、この人は(笑)
さて、そんなイングランド人の外国人観。
面白かったので挙げてみる。いかに彼らがレイシストかってことの証明でもある。( )内は私の私見。
・中国人=ずるい、礼儀正しい(ホンマですか?!…いや、本気ですか?!)
・日本人=残酷、働き蜂
・アメリカ人=自慢好き、金持ち(羨ましい…)
・ドイツ人=戦争好き、効率的
・ロシア人=合理的、我慢強い(誉めているのではないような気がする。鉄のカーテンの中でよくガマンしたってこと?)
・イタリア人=臆病、陽気
・フランス人=情熱的、頭のよい(おや、意外。文化の経由地だから一応上にポイントが高い?)
・スペイン人=陽気、誇り高い
・ユダヤ人=音楽好き、金銭欲の強い
・スコットランド人=卑しい、ケチ
・アイルランド人=短気、飲んだくれ(じゃぁ、ライミーって誰?)
・イングランド人=ユーモア、スポーツマンシップ(自画自賛も此処まで…)(笑)
有色人種でなければ、外見では判別できなくても、そのルーツが知れると途端に態度が変っちゃうらしい…英国人ってのは。
世界中にケンカ売ってる民族なんだろうか…?
ああ、でも、そういうことが"いけないこと"だなんて感覚がないんだろうねぇ。
そうそう。
オックスブリッジ(オックスフォード&ケンブリッジ)のフェロー(教官)は、男ばーっかりで、昔は生涯独身(1882年まで結婚が認められなかった)だった。
うすぐらい蝋燭の明かりのもとで古くてでっかい机の周りに男が集まって夜遅くまで宗教だの哲学だの科学だの語らうことだけに血道をあげていた(女性の進出は20世紀後半になってからようやく認められた)…なんてなんて社会だと非難する著者に、冗談めかして「オックスブリッジは準ホモ社会である」なんつー発言も飛んでいる。(ちなみに発言者はカナダ人である)
要は、「異性間の愛より同性間の愛をより純愛とみなす傾向や、ピューリタニズムに対する反感」そして、「イギリスのインテリ階級では、男同士の友情が我々にとって気味悪いほど濃厚、ということ」らしい……。
でもって、そう思わせてしまうぐらい、英国女性は○○なんだそうだ(笑)
ふ〜ん。
ISBN:4101248044 文庫 藤原 正彦 新潮社 1994/06 ¥460
次から次へと読み、次から次へと買ってしまう。
これは英国へ留学した1年間を描いたエッセイである。
若い頃にアメリカで研究生活をしていた著者は、英語には困らない…ハズであったが。
(勿論!)
英語と米語はちがうんである。
そうやな…アメリカ人の英語(米語)をふふんと笑うのなら、日本人のアメリカ英語なんか歯牙にもかけてもらえないよな。
しかも、英国人は、米語を蔑む。
レイシズム(所謂、人種差別)をちょっとしたマナー違反、ぐらいにしか思わないのが英国人だから(これもレイシズムかなぁ?)他民族を平気で侮辱する…なんてこともある。
アメリカやカナダからきた研究者の怒ること怒ること!
カナダのヴィクトリアの海岸で、イギリス人観光客がこういうのを聞いた。「殖民地もまあまあになったじゃないか」
ジョージ・オーウエル曰く、
ユダヤ人差別があることは誰もが認めるくせに、自分もその一人であることは認めようとしない確かに!
それでも紳士の国として尊敬され、研究や学会という世界においても堂々上位に君臨するんだから、どうなんだろうね。これって。世の中ってそういうものなんですかー?(笑)
藤原さん家は、家族を連れての留学だから、いろいろと、大変なわけです。
言葉が出来ないので、コミュニケーションがとれず、間違いが多く、ゆえに子供が学校で苛められる。
コミュニケーションが取れないことと子供の問題で奥さんがノイローゼになる。
やがて研究大事の旦那(著者)と険悪な状況になり、やがて家族崩壊の危機を感ずる…などなど。
その中で、「まけるな日本人!」の古武士の気概でがんばる著者。
暢気な受け答えは緊迫感がないと思われそうだが、これはこの人の懐の深さであり、余裕なんだろう。
こうして衝撃を和らげているのだろうし、しっかと反撃を狙ってもいる。
ただやられてばかりはいない。
いじめっ子は、弱いものを苛める、抵抗しないからかさになって苛める。苛められたものが抵抗しない限り、苛めは終わらない。特に日本人(非白人)だから、という理由で苛められるということもある。
だから、逃げて泣いているばかりではダメだ。
反撃しろ。闘え。
著者はべそをかく息子にそういうのだった。
暴力を指すケンカ、ではなく、学問も研究も友達との付き合いもある種の闘いである。
自分を分かってもらうためには、ちょっとでも理解させるためには、一歩前に出るしかない。
とはいえ。
皆が皆、闘えるわけではない。
それほど強くないものもいるし、今は強くない、というものもいるよね。
将来は闘えるとしても。
いや〜、しかし。
闘ってるよな、この人は(笑)
さて、そんなイングランド人の外国人観。
面白かったので挙げてみる。いかに彼らがレイシストかってことの証明でもある。( )内は私の私見。
・中国人=ずるい、礼儀正しい(ホンマですか?!…いや、本気ですか?!)
・日本人=残酷、働き蜂
・アメリカ人=自慢好き、金持ち(羨ましい…)
・ドイツ人=戦争好き、効率的
・ロシア人=合理的、我慢強い(誉めているのではないような気がする。鉄のカーテンの中でよくガマンしたってこと?)
・イタリア人=臆病、陽気
・フランス人=情熱的、頭のよい(おや、意外。文化の経由地だから一応上にポイントが高い?)
・スペイン人=陽気、誇り高い
・ユダヤ人=音楽好き、金銭欲の強い
・スコットランド人=卑しい、ケチ
・アイルランド人=短気、飲んだくれ(じゃぁ、ライミーって誰?)
・イングランド人=ユーモア、スポーツマンシップ(自画自賛も此処まで…)(笑)
有色人種でなければ、外見では判別できなくても、そのルーツが知れると途端に態度が変っちゃうらしい…英国人ってのは。
世界中にケンカ売ってる民族なんだろうか…?
ああ、でも、そういうことが"いけないこと"だなんて感覚がないんだろうねぇ。
そうそう。
オックスブリッジ(オックスフォード&ケンブリッジ)のフェロー(教官)は、男ばーっかりで、昔は生涯独身(1882年まで結婚が認められなかった)だった。
うすぐらい蝋燭の明かりのもとで古くてでっかい机の周りに男が集まって夜遅くまで宗教だの哲学だの科学だの語らうことだけに血道をあげていた(女性の進出は20世紀後半になってからようやく認められた)…なんてなんて社会だと非難する著者に、冗談めかして「オックスブリッジは準ホモ社会である」なんつー発言も飛んでいる。(ちなみに発言者はカナダ人である)
要は、「異性間の愛より同性間の愛をより純愛とみなす傾向や、ピューリタニズムに対する反感」そして、「イギリスのインテリ階級では、男同士の友情が我々にとって気味悪いほど濃厚、ということ」らしい……。
でもって、そう思わせてしまうぐらい、英国女性は○○なんだそうだ(笑)
ふ〜ん。
ISBN:4101248044 文庫 藤原 正彦 新潮社 1994/06 ¥460
「国家の品格」を読み、"面白い"と嵌まってしまった著者の本(ただし文庫本ばかりだが)を纏め買いする。
一応入手できたものを年代順に読んでいこうかな、ということでその第一冊目にあたる。
好き、とはいえ見境無しに買ったわけではないので、トコロドコロ抜けている。
「国家の品格」では、目からうろこ状態であったが、この人の書いているのは、エッセイが一番面白い。
日常生活の、ごくごく普通にあることをよくこれだけ人に読ませる魅力たっぷりに描き出せるものだと感心する。
しょっぱなは、奥方の出産(初産)についての記録。
日本ではなじみの薄かったラマーズ法による出産を試みる藤原夫妻だが…。
本人も奥方も、そしてお母さんも、なんて個性豊かで人間的魅力に溢れた人たちなんだろうと唸らされつつ先を急いだ。
夫が同席するラマーズ法に、及び腰の著者…。
そうか、話には聞いていたけれど、男の人ってそんなに血に弱いのか?
それでよくパニック映画とかバイオレンス映画とか格闘技とか見てるよなー?とこっちにも感心しつつ。
女の人が全員、子供を生むことに恐怖なんか感じていない。とっくに諦めて覚悟がついていると思い込んでいた。
…と男である著者が驚いている。
そんなもの。
人間皆に死ぬ覚悟が出来ているかどうか?というのと同じでしょ?
女だから、平気だなんてそんなものない。
同時に、男だから平気だってこともない。
そして、なによりも自分が平気だから他人も平気だなんてことはありえない、ということですねー。
ただし。
数学者だから当たり前だが、専門的分野に話になるとこの方ものめりこむ。
読み手は素人だと了解しているからそんなに小難しいことは描いていないはずだけど、それでも夢中になるからか…充分難しいです、藤原先生。
特に数学…物理・化学よりゃマシだけど(地学は好きだった私)。
嗚呼、や〜め〜て〜である。
数学…嗚呼うっとり、なんて美しいのだ…
と恍惚としているあたり、青池保子氏のニジンスキー(イヴの息子たち)を思わず連想してしまう不遜な私であった。
いやね、人それぞれだから…べつに止めないけど。
それと、「数学なんて学んでも生活に役に立たない」と高校生あたりは言ったりする。
だけど、役に立たなくはない。
微分積分は使わなくても、就職したら自分の給料とか賞与とか査定とか営業成績とかまあいろいろ…数字を真剣に検討しなくちゃいけないときは山ほどある。
年をとっても脳みそが呆けない…呆けるのを抑制する働きもある。
そして今、とりあえずは、
つり銭を間違えたり、足し算が出来ずに(お札ばかりで精算した結果)小銭ばかりが幅を利かす重い財布を持たないですむ。
ISBN:4101248036 文庫 藤原 正彦 新潮社 1993/03 ¥500
一応入手できたものを年代順に読んでいこうかな、ということでその第一冊目にあたる。
好き、とはいえ見境無しに買ったわけではないので、トコロドコロ抜けている。
「国家の品格」では、目からうろこ状態であったが、この人の書いているのは、エッセイが一番面白い。
日常生活の、ごくごく普通にあることをよくこれだけ人に読ませる魅力たっぷりに描き出せるものだと感心する。
しょっぱなは、奥方の出産(初産)についての記録。
日本ではなじみの薄かったラマーズ法による出産を試みる藤原夫妻だが…。
本人も奥方も、そしてお母さんも、なんて個性豊かで人間的魅力に溢れた人たちなんだろうと唸らされつつ先を急いだ。
夫が同席するラマーズ法に、及び腰の著者…。
そうか、話には聞いていたけれど、男の人ってそんなに血に弱いのか?
それでよくパニック映画とかバイオレンス映画とか格闘技とか見てるよなー?とこっちにも感心しつつ。
女の人が全員、子供を生むことに恐怖なんか感じていない。とっくに諦めて覚悟がついていると思い込んでいた。
…と男である著者が驚いている。
そんなもの。
人間皆に死ぬ覚悟が出来ているかどうか?というのと同じでしょ?
女だから、平気だなんてそんなものない。
同時に、男だから平気だってこともない。
そして、なによりも自分が平気だから他人も平気だなんてことはありえない、ということですねー。
ただし。
数学者だから当たり前だが、専門的分野に話になるとこの方ものめりこむ。
読み手は素人だと了解しているからそんなに小難しいことは描いていないはずだけど、それでも夢中になるからか…充分難しいです、藤原先生。
特に数学…物理・化学よりゃマシだけど(地学は好きだった私)。
嗚呼、や〜め〜て〜である。
数学…嗚呼うっとり、なんて美しいのだ…
と恍惚としているあたり、青池保子氏のニジンスキー(イヴの息子たち)を思わず連想してしまう不遜な私であった。
いやね、人それぞれだから…べつに止めないけど。
それと、「数学なんて学んでも生活に役に立たない」と高校生あたりは言ったりする。
だけど、役に立たなくはない。
微分積分は使わなくても、就職したら自分の給料とか賞与とか査定とか営業成績とかまあいろいろ…数字を真剣に検討しなくちゃいけないときは山ほどある。
年をとっても脳みそが呆けない…呆けるのを抑制する働きもある。
そして今、とりあえずは、
つり銭を間違えたり、足し算が出来ずに(お札ばかりで精算した結果)小銭ばかりが幅を利かす重い財布を持たないですむ。
ISBN:4101248036 文庫 藤原 正彦 新潮社 1993/03 ¥500
誰かのレビューと新聞広告が重なったので、興味を持ち、その勢いで注文していた〜のを忘れていた〜。
高島先生の本も面白いのだが、ただでさえ疲れて不機嫌な会社にもって行くには少々肩がこる。(というか、どんな表情で本を読むであろうか、想像するだに恐ろしい)
何も考えずににへら〜と笑って心温まる本が欲しかったので、こっちにした。
(高島先生の本は週末に読もう)
屋久島。
鹿児島へ飛行機で行くと、やたらと混むのは南西諸島への海水浴客とか、このしまへの観光客とか、そーゆー人たちのせいである。
親戚の多くが住む鹿児島へ、お盆だとかお正月だとかに"絶対行くもんか"と私が固く決意するのはそのせいだ。
最初は思ったものだ。
鹿児島便なんて、なんでそんな端っこの便が混むのか?
彼らの目的は鹿児島ではない。
ここで小型機に乗り換えて、日本とも思われない太陽と緑と濃密な酸素に満たされた楽園へ、旅だって行くからだ。
気持ちは分かる。
分かるけど…嗚呼、ぎゅうぎゅう詰めはいや!
1時間に満たない飛行だけど、いや!
そして、屋久島。
此処も是非行ってみたい。
縄文杉を見てみたい。
1ヶ月に35日雨が降る…なんて失礼なことを言われているけど、その実多くの日本人が憧れている場所でもある。
もともと体力には自信があった。
元気だけがとりえだった。
だから…若いうちに、元気なうちにいければ良かったんだが。
今となっては無理。
なにより腸に障害を持つ身では、無理。
屋久島の縄文杉はテレビか写真で見るしかない。
ちくしょう…
ま、若くて元気な時はお金がないから(笑)
遠方は無理ですな。
で、そこそこ自由になるお金が出来る頃には身体の無理が利かない。
上手くした(?)もんです。
ISBN:4087748022 単行本 森 絵都 集英社 2006/02 ¥1,575
高島先生の本も面白いのだが、ただでさえ疲れて不機嫌な会社にもって行くには少々肩がこる。(というか、どんな表情で本を読むであろうか、想像するだに恐ろしい)
何も考えずににへら〜と笑って心温まる本が欲しかったので、こっちにした。
(高島先生の本は週末に読もう)
屋久島。
鹿児島へ飛行機で行くと、やたらと混むのは南西諸島への海水浴客とか、このしまへの観光客とか、そーゆー人たちのせいである。
親戚の多くが住む鹿児島へ、お盆だとかお正月だとかに"絶対行くもんか"と私が固く決意するのはそのせいだ。
最初は思ったものだ。
鹿児島便なんて、なんでそんな端っこの便が混むのか?
彼らの目的は鹿児島ではない。
ここで小型機に乗り換えて、日本とも思われない太陽と緑と濃密な酸素に満たされた楽園へ、旅だって行くからだ。
気持ちは分かる。
分かるけど…嗚呼、ぎゅうぎゅう詰めはいや!
1時間に満たない飛行だけど、いや!
そして、屋久島。
此処も是非行ってみたい。
縄文杉を見てみたい。
1ヶ月に35日雨が降る…なんて失礼なことを言われているけど、その実多くの日本人が憧れている場所でもある。
もともと体力には自信があった。
元気だけがとりえだった。
だから…若いうちに、元気なうちにいければ良かったんだが。
今となっては無理。
なにより腸に障害を持つ身では、無理。
屋久島の縄文杉はテレビか写真で見るしかない。
ちくしょう…
ま、若くて元気な時はお金がないから(笑)
遠方は無理ですな。
で、そこそこ自由になるお金が出来る頃には身体の無理が利かない。
上手くした(?)もんです。
ISBN:4087748022 単行本 森 絵都 集英社 2006/02 ¥1,575
お言葉ですが…〈10〉ちょっとヘンだぞ四字熟語
2006年5月11日 読書
うるさ型の著者は、1937年生まれの、古稀に近い文学者。
大学で教鞭をとり、小説も書く。
中国語・中国文学が専門だったから、漢字や日本語使いに非常にうるさいこだわりをもつ。
(なにせ本だから)大抵一人で語っているので、丁々発止の論争、とまでは行かないけれど、かなりの毒舌。
はっきり物申すお方。
その言い回しは、しかし、直球(ストレート)ではなくて、面白いけどね。
四字熟語辞典、というのが良く売れている。
ソレがまず、気に喰わない。
そもそも四字熟語とはなんであるか!
そんなへんてこりんなものはないぞ、と仰る。
人々が日常に使っている言葉、その中で音もよく見た目も良く、調子も良く、意味を端的に表していると認められ、多くの人に使われるようになった単語が"成語"として市民権を得た。
それをわざわざ熟語であると名札をつけて分類しなければならないとは……と、名だたる事典を実名で(笑)知識の不足を指摘し嘲笑し民衆を啓蒙する(笑)
だいたい、現代日本人の多くは、その成語の使用方法からして間違っているし…(笑)
それは失礼!
でも、使わない言葉は死滅するし、使えない言語は滅亡する。
意味が違っていても使われるだけマシだと思うけれど……ダメ?
ところでこの本の文章は、雑誌だかに連載されていたものらしく、いちいち熱心な読者から熱烈な賛成、反論いろいろと寄せられている。
ソレをまたご丁寧に紹介し、それに対して反論をする。
そのサマは、「素人相手にそこまで…」と思うぐらい。
それぐらい、向きになって(?)身の証を立てたりする。
途中、拗ねてるようにしか見えなかったりもするから、笑える。
変った先生である。
実に面白いセンセイである。
四字熟語事典なんか、誰が使うんだ。
使うとしたらよほど頭の悪いヒト…
と滔滔と述べた直後には、「それは漢字パズルの参考資料」と指摘された。
私も同じことを考えていた。(頭悪くてわるかったなーと(笑))
また、パズルの参考資料というだけではない。
ひとつの読み物として、こういう事典は"かなり"面白い。
特に病床でベッドから降りることも、起き上がることも許されない身には、コンパクトで野次馬知識(雑学とも言う)のぎっしり詰ったこの手の辞典類は格好の読み物になる。
第一、雑誌は広げると大きすぎて手が疲れる。
すぐ読めてしまう週刊誌では、次から次へと看護人(ほぼ家人)の手を煩わせる事になる。
ほらね。
やっぱり、コンパクトで、中身のぎっしり詰った、雑学事典が一番なのだよ、アケチクン。
ISBN:4163679804 単行本 高島 俊男 文藝春秋 2006/03 ¥2,000
大学で教鞭をとり、小説も書く。
中国語・中国文学が専門だったから、漢字や日本語使いに非常に
(なにせ本だから)大抵一人で語っているので、丁々発止の論争、とまでは行かないけれど、かなりの毒舌。
はっきり物申すお方。
その言い回しは、しかし、直球(ストレート)ではなくて、面白いけどね。
四字熟語辞典、というのが良く売れている。
ソレがまず、気に喰わない。
そもそも四字熟語とはなんであるか!
そんなへんてこりんなものはないぞ、と仰る。
人々が日常に使っている言葉、その中で音もよく見た目も良く、調子も良く、意味を端的に表していると認められ、多くの人に使われるようになった単語が"成語"として市民権を得た。
それをわざわざ熟語であると名札をつけて分類しなければならないとは……と、名だたる事典を実名で(笑)知識の不足を指摘し嘲笑し民衆を啓蒙する(笑)
だいたい、現代日本人の多くは、その成語の使用方法からして間違っているし…(笑)
それは失礼!
でも、使わない言葉は死滅するし、使えない言語は滅亡する。
意味が違っていても使われるだけマシだと思うけれど……ダメ?
ところでこの本の文章は、雑誌だかに連載されていたものらしく、いちいち熱心な読者から熱烈な賛成、反論いろいろと寄せられている。
ソレをまたご丁寧に紹介し、それに対して反論をする。
そのサマは、「素人相手にそこまで…」と思うぐらい。
それぐらい、向きになって(?)身の証を立てたりする。
途中、拗ねてるようにしか見えなかったりもするから、笑える。
変った先生である。
実に面白いセンセイである。
四字熟語事典なんか、誰が使うんだ。
使うとしたらよほど頭の悪いヒト…
と滔滔と述べた直後には、「それは漢字パズルの参考資料」と指摘された。
私も同じことを考えていた。(頭悪くてわるかったなーと(笑))
また、パズルの参考資料というだけではない。
ひとつの読み物として、こういう事典は"かなり"面白い。
特に病床でベッドから降りることも、起き上がることも許されない身には、コンパクトで野次馬知識(雑学とも言う)のぎっしり詰ったこの手の辞典類は格好の読み物になる。
第一、雑誌は広げると大きすぎて手が疲れる。
すぐ読めてしまう週刊誌では、次から次へと看護人(ほぼ家人)の手を煩わせる事になる。
ほらね。
やっぱり、コンパクトで、中身のぎっしり詰った、雑学事典が一番なのだよ、アケチクン。
ISBN:4163679804 単行本 高島 俊男 文藝春秋 2006/03 ¥2,000
「坂の上の雲」と日本人
2006年5月10日 読書
しばらく前に買って、ぱらぱら読みして忘れていたのだった……
いかんなぁ。
最近、本当に忘れっぽいぞ。
意識していなかったけれど、司馬遼太郎って、作家らしからぬ文書を書く作家だったそうな。
そうなのか〜。
私は司馬氏の小説は、好き嫌いがとってもはっきりしているので、そこまで悟ることが出来ないでいる。
まだ。
でも「坂の上の雲」は、私の最高に好きな小説。
多分、私が一番好きな司馬作品だ。
だからこういう本にも簡単に引っかかるんである(笑)
「燃えよ剣」(新撰組譚)も好きだったが、これはどっちかといえば、テレビドラマのイメージと影響が強い。
苦みばしった土方(栗塚旭)が格好よかったなぁ〜。
安浦刑事の上司が、まさか沖田クンをやっていたとは今の若者はなかなか信じられないのではないだろうか?(愚妹はなかなか信じようとはしなかった)(笑)
さわやかな〜え〜笑顔やったなぁ〜。
ソレは兎も角。
「坂の上の雲」は私だけでなく、愛読者の層も広く数も多い。
そしてとても印象深い。
何度も読み返し、瞑目してそのシーンを思い描き、脳裏に刻み付ける、というか勝手に刻みつく(笑)ぐらい、好きな小説だ。
まあまず、数年後に筋を忘れて同じ本を買い込み、既視観に襲われつつ読む、という小説とは違う。
明治は、単純だったから。
人も国も国を愛する感情も。
だから良かった。
ノーテンキに、自分も周囲も愛せたから。
アイデンティティ。
という言葉を、司馬氏は「お里」と捕らえたのだそうだ。(とこの著者は述べるのである)
「お里が知れる」
のあのお里である。
この発想はすごいと思った。
とっても気に入った。
だいたい、お里というのは、決して…つうか絶対、良い意味では使われない言葉である。
普通は、くすくす笑いとともに口にされる侮辱の言葉だ。(よね?)
それを、いい意味でしか使われたことのない(と私は理解するのだが)"アイデンティティ"とイコールで結ぶとは…。
ノーテンキな(笑)時代は、アイデンティティは、すなわち、お里であり、郷里であり、国である。
すなわち、国を愛することによって、自分が生まれた土地を場所を周囲を自然を環境を愛することによって、初めて生み出されるものがアイデンティティなのだと。
今でも日本以外の外国はアイデンティティをしっかともっている…ような気がする。
自信をもっている。
日本人は自信をもてない。
それは、アイデンティティをもてないから?
生まれた土地を国を人を愛せないから?
確かに。
愛国、と言う言葉に含まれる意味が、ず〜いぶん毒素となって私たちのDNAに沁み込んでいるから、これを搾り出すのはとっても大変そうだ。
国を愛せよとか、愛国心という言葉ばかり一人歩きしている昨今のこの国の状況も気になる。
本当に日本の人と国の行く末を苦慮する人の言葉までが、なんだか歪められて行きそうな不安も感じなくはない。
(くら〜い過去と事例が山ほどあるからね。いちいちそれに比べてしまうのだ。)
人も国も、複雑なんである、日本は。
「坂の上の雲」は小説らしからぬ小説なんだそうだ。
これを面白いと思うのは、歴史好きの人たちが、当時の庶民に視点を変えて、世の、日本の世の激しく動き移ってゆこうとするそのときを体感できると思うからかもしれない。
日露戦争が避けられないと思ったとき、我々の心も震える。
恐怖で。
未来の暗さゆえに。
暗澹たる進捗の戦いには投げやりな気持ちにもなる。
もう止めてしまいたい、放り投げてしまいたいと暗い気持ちで祈りもする。
どうやらこれは、他人様の話ではない。
その、歴史を眺めるのではなく、一緒に歩いてゆくような気分が、この小説に魅かれる大きな理由かもしれない。
ISBN:4163680004 単行本 関川 夏央 文藝春秋 2006/03 ¥1,800
いかんなぁ。
最近、本当に忘れっぽいぞ。
意識していなかったけれど、司馬遼太郎って、作家らしからぬ文書を書く作家だったそうな。
そうなのか〜。
私は司馬氏の小説は、好き嫌いがとってもはっきりしているので、そこまで悟ることが出来ないでいる。
まだ。
でも「坂の上の雲」は、私の最高に好きな小説。
多分、私が一番好きな司馬作品だ。
だからこういう本にも簡単に引っかかるんである(笑)
「燃えよ剣」(新撰組譚)も好きだったが、これはどっちかといえば、テレビドラマのイメージと影響が強い。
苦みばしった土方(栗塚旭)が格好よかったなぁ〜。
安浦刑事の上司が、まさか沖田クンをやっていたとは今の若者はなかなか信じられないのではないだろうか?(愚妹はなかなか信じようとはしなかった)(笑)
さわやかな〜え〜笑顔やったなぁ〜。
ソレは兎も角。
「坂の上の雲」は私だけでなく、愛読者の層も広く数も多い。
そしてとても印象深い。
何度も読み返し、瞑目してそのシーンを思い描き、脳裏に刻み付ける、というか勝手に刻みつく(笑)ぐらい、好きな小説だ。
まあまず、数年後に筋を忘れて同じ本を買い込み、既視観に襲われつつ読む、という小説とは違う。
明治は、単純だったから。
人も国も国を愛する感情も。
だから良かった。
ノーテンキに、自分も周囲も愛せたから。
アイデンティティ。
という言葉を、司馬氏は「お里」と捕らえたのだそうだ。(とこの著者は述べるのである)
「お里が知れる」
のあのお里である。
この発想はすごいと思った。
とっても気に入った。
だいたい、お里というのは、決して…つうか絶対、良い意味では使われない言葉である。
普通は、くすくす笑いとともに口にされる侮辱の言葉だ。(よね?)
それを、いい意味でしか使われたことのない(と私は理解するのだが)"アイデンティティ"とイコールで結ぶとは…。
ノーテンキな(笑)時代は、アイデンティティは、すなわち、お里であり、郷里であり、国である。
すなわち、国を愛することによって、自分が生まれた土地を場所を周囲を自然を環境を愛することによって、初めて生み出されるものがアイデンティティなのだと。
今でも日本以外の外国はアイデンティティをしっかともっている…ような気がする。
自信をもっている。
日本人は自信をもてない。
それは、アイデンティティをもてないから?
生まれた土地を国を人を愛せないから?
確かに。
愛国、と言う言葉に含まれる意味が、ず〜いぶん毒素となって私たちのDNAに沁み込んでいるから、これを搾り出すのはとっても大変そうだ。
国を愛せよとか、愛国心という言葉ばかり一人歩きしている昨今のこの国の状況も気になる。
本当に日本の人と国の行く末を苦慮する人の言葉までが、なんだか歪められて行きそうな不安も感じなくはない。
(くら〜い過去と事例が山ほどあるからね。いちいちそれに比べてしまうのだ。)
人も国も、複雑なんである、日本は。
「坂の上の雲」は小説らしからぬ小説なんだそうだ。
これを面白いと思うのは、歴史好きの人たちが、当時の庶民に視点を変えて、世の、日本の世の激しく動き移ってゆこうとするそのときを体感できると思うからかもしれない。
日露戦争が避けられないと思ったとき、我々の心も震える。
恐怖で。
未来の暗さゆえに。
暗澹たる進捗の戦いには投げやりな気持ちにもなる。
もう止めてしまいたい、放り投げてしまいたいと暗い気持ちで祈りもする。
どうやらこれは、他人様の話ではない。
その、歴史を眺めるのではなく、一緒に歩いてゆくような気分が、この小説に魅かれる大きな理由かもしれない。
ISBN:4163680004 単行本 関川 夏央 文藝春秋 2006/03 ¥1,800
スレイヤーズすぺしゃる(26) ミッシング・セイント
2006年5月7日 読書
スレイヤーズも26巻…しみじみするまもなく、ばかばかしい大笑いの旅は続く。
最近では"変な人"が普通になってきて、ナーガの個性が沈みつつあるのが非常に哀しい。
あ、こっちが慣れただけか?
世の中が、この世界に近づいてきたのでは?という怖い想像も出来るが。
そろそろ…というか、シリアス路線の方も気になる(また書いて欲しい〜)が、読んで笑えるこっちの方が気は楽。
ただ……皆、どうしているかな。
元気かな?
キメラなんか出てきたら、思い出しちゃうよ〜。
混ぜ合わせたジュース(カクテルでも可)を元に戻せますか?の君。
(けっこー気に入っていたのだ)
え?終わってたっけ〜?(記憶にない)(笑)
天邪鬼な切り口と逆転サヨナラホームラン的なラストは、久々に気持ちのいい短編がそろったなぁ〜というのがこの26巻の総合的な感想であった。
ISBN:4829118113 文庫 神坂 一 富士見書房 2006/04/20 ¥546
最近では"変な人"が普通になってきて、ナーガの個性が沈みつつあるのが非常に哀しい。
あ、こっちが慣れただけか?
世の中が、この世界に近づいてきたのでは?という怖い想像も出来るが。
そろそろ…というか、シリアス路線の方も気になる(また書いて欲しい〜)が、読んで笑えるこっちの方が気は楽。
ただ……皆、どうしているかな。
元気かな?
キメラなんか出てきたら、思い出しちゃうよ〜。
混ぜ合わせたジュース(カクテルでも可)を元に戻せますか?の君。
(けっこー気に入っていたのだ)
え?終わってたっけ〜?(記憶にない)(笑)
天邪鬼な切り口と逆転サヨナラホームラン的なラストは、久々に気持ちのいい短編がそろったなぁ〜というのがこの26巻の総合的な感想であった。
ISBN:4829118113 文庫 神坂 一 富士見書房 2006/04/20 ¥546