正岡子規逝く。
兄・好古は騎兵の重鎮へ(でも現場一筋)
弟・真之はアメリカから英国へ海軍留学。
そしてロシアがフランスとドイツを誘って仲良く三国干渉。
明治の日本は西洋一番主義を取ったがために遅れて帝国主義のまねごとをしなければ国が立ち行かず、おかげで先進(でもないけど…ロシアは)列強に苛められるのであった。
肺結核から脊椎カリエスと病状を重くし、それでも人と交わる(短歌・俳句の仲間や門人)こと賑やかにして、最後の最後までその道を行った子規。
その生き方、死に方には考えさせられるものがある。
どうやら、痛み止めとしてモルヒネはあったようだが…しんどかっただろうな。
真之にしても腹膜炎でなくなっており、あの痛さを耐え忍んで逝くというのは豪気とか豪傑とかそういう言葉では表せない。
日本がまだ精神論で(神の国だの根性で勝つだの)戦争をしていなかった時代の話である。
でも補給作戦はへたくそ。
兵隊も兵器も食わなきゃ動けないってことが分かってないらしい。
兄・好古は騎兵の重鎮へ(でも現場一筋)
弟・真之はアメリカから英国へ海軍留学。
そしてロシアがフランスとドイツを誘って仲良く三国干渉。
明治の日本は西洋一番主義を取ったがために遅れて帝国主義のまねごとをしなければ国が立ち行かず、おかげで先進(でもないけど…ロシアは)列強に苛められるのであった。
肺結核から脊椎カリエスと病状を重くし、それでも人と交わる(短歌・俳句の仲間や門人)こと賑やかにして、最後の最後までその道を行った子規。
その生き方、死に方には考えさせられるものがある。
どうやら、痛み止めとしてモルヒネはあったようだが…しんどかっただろうな。
真之にしても腹膜炎でなくなっており、あの痛さを耐え忍んで逝くというのは豪気とか豪傑とかそういう言葉では表せない。
日本がまだ精神論で(神の国だの根性で勝つだの)戦争をしていなかった時代の話である。
でも補給作戦はへたくそ。
兵隊も兵器も食わなきゃ動けないってことが分かってないらしい。
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