山猫 (岩波文庫 赤 716-1)
2008年9月17日 読書
実際にシチリアのマフィア…じゃなくてシチリアの貴族だった著者。
彼が描くのは、150年ばかり前のシチリアの社会だ。
1860年ごろ。
ナポレオン三世の影響を受け、小国が乱立していたイタリアを統一したエマヌエーレ2世とガリバルディ将軍と赤シャツ党。
旧弊の貴族社会はそれで揺れ動いただろうか。
シチリアで大き影響力を持つサリーナ公爵家においてはそれはさほどの変化ももたらさなかったように見えた。
現当主であるドン・ファブリーツィオの支配下にある、山猫の"血"に支配された一族は、いつものように礼拝を、いつものように食事を、いつものように埃と熱暑の中を別荘への旅に出る。
何も変わりはしない……果たしてそうだろうか?
イタリアの統一。
新興勢力の台頭。
古い因習(?)の消滅。
その中で、公爵はただ黙って時代を受け止める。
その思考は深く、新しい時代への希望を持つわけでもないが絶望に支配されるわけではない。
自然が人間を痛めつける地・シチリアの土の上に生まれ生きてきた"山猫"一族は彼を以て最期を告げる。
彼はそれを知っている。
シチリア貴族は誇り高く自分が完全であると思っているがゆえに、他者を受け入れはしない。
変質・変化・発展をしようとはしない。
公爵はそう論じる。
だから、新興勢力(所謂成り上がり)が、これからのシチリアを変えてゆくだろう。
だがそれは、もうシチリアではない、と言いたかったのだろうか?
シチリアといえば、マフィアという。
それは彼の地の、あまりにも酷薄な自然が人間に強いた結果であるのかもしれない。
砂漠の民は厳しい戒律に生きる。
そうでなければ生きては行けないから。
シチリアもまた、同じなのだろうか。
だから一族の絆をとても大切にするという。
昔々。
学生時代に、イタリア会館といい、映画館でもない場所で、「山猫」の映画を見た。
とにかく煌びやかで、美しくて、迫力があった。
ストーリーはほとんど忘れているのに、埃の道を延々と馬車で移動するしんどさと、舞踏会でのシーンは忘れられない。
ショーン・コネリー(と私は思いこんでいたけど、バート・ランカスターだったそうだ;情報提供・ボースンさま)が、アラン・ドロン扮する甥の婚約者とワルツを踊るシーンだ。
アラン・ドロンがなんぼのもんやねン?というぐらい綺麗だったし迫力があった。
素敵だったな~♪
それに比べると。
この本。
修辞が多くて読むのがしんどい(笑)
お貴族様の話だから…書き手もお貴族様だし…何のことを言われているのか想像がつきづらかったりもするし…もっと淡泊に書くわけには…行かないんだろうね。
修辞があってこそのこの小説の味であり魅力であり思いであるのだろうから。
彼が描くのは、150年ばかり前のシチリアの社会だ。
1860年ごろ。
ナポレオン三世の影響を受け、小国が乱立していたイタリアを統一したエマヌエーレ2世とガリバルディ将軍と赤シャツ党。
旧弊の貴族社会はそれで揺れ動いただろうか。
シチリアで大き影響力を持つサリーナ公爵家においてはそれはさほどの変化ももたらさなかったように見えた。
現当主であるドン・ファブリーツィオの支配下にある、山猫の"血"に支配された一族は、いつものように礼拝を、いつものように食事を、いつものように埃と熱暑の中を別荘への旅に出る。
何も変わりはしない……果たしてそうだろうか?
イタリアの統一。
新興勢力の台頭。
古い因習(?)の消滅。
その中で、公爵はただ黙って時代を受け止める。
その思考は深く、新しい時代への希望を持つわけでもないが絶望に支配されるわけではない。
自然が人間を痛めつける地・シチリアの土の上に生まれ生きてきた"山猫"一族は彼を以て最期を告げる。
彼はそれを知っている。
シチリア貴族は誇り高く自分が完全であると思っているがゆえに、他者を受け入れはしない。
変質・変化・発展をしようとはしない。
公爵はそう論じる。
だから、新興勢力(所謂成り上がり)が、これからのシチリアを変えてゆくだろう。
だがそれは、もうシチリアではない、と言いたかったのだろうか?
シチリアといえば、マフィアという。
それは彼の地の、あまりにも酷薄な自然が人間に強いた結果であるのかもしれない。
砂漠の民は厳しい戒律に生きる。
そうでなければ生きては行けないから。
シチリアもまた、同じなのだろうか。
だから一族の絆をとても大切にするという。
昔々。
学生時代に、イタリア会館といい、映画館でもない場所で、「山猫」の映画を見た。
とにかく煌びやかで、美しくて、迫力があった。
ストーリーはほとんど忘れているのに、埃の道を延々と馬車で移動するしんどさと、舞踏会でのシーンは忘れられない。
ショーン・コネリー(と私は思いこんでいたけど、バート・ランカスターだったそうだ;情報提供・ボースンさま)が、アラン・ドロン扮する甥の婚約者とワルツを踊るシーンだ。
アラン・ドロンがなんぼのもんやねン?というぐらい綺麗だったし迫力があった。
素敵だったな~♪
それに比べると。
この本。
修辞が多くて読むのがしんどい(笑)
お貴族様の話だから…書き手もお貴族様だし…何のことを言われているのか想像がつきづらかったりもするし…もっと淡泊に書くわけには…行かないんだろうね。
修辞があってこそのこの小説の味であり魅力であり思いであるのだろうから。
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