映画を見て、それで興味をもったものだ。
第二次世界大戦直後、戦犯を裁くための裁判で、法廷闘争をあきらめなかった東海郡管区司令官・岡田資(たすく)中将の裁判記録をまとめたものである。
著者は大岡昇平である。
映画の題名は「明日への遺言」である。
主演は藤田まこと。
岡田中将以下が裁かれた罪は、爆撃後のアメリカ爆撃機の搭乗員が、日本国内に不時着したのを、正式な裁判にかけずに斬首など処刑した、ということである。
これに対し、岡田中将は、責任は自分一人が負う。
ただし、まっとうな扱いは捕虜に対して行われるものであって、無差別爆撃というジュネーブ条約違反の行為を行った爆撃機の搭乗員は捕虜ではない、戦争犯罪人である。
よって、司令官の一存にて処刑されたのであると。
そこで裁判は、無差別爆撃であったかどうか、そこから話は広がって、アメリカが東京や大阪ほか各地で行った、"爆撃"そして原子爆弾に至るまで、それは違法なのではないか、という大きな問いかけあるいは法廷闘争をに話は発展したのである。
岡田中将は処刑(死刑)を覚悟したうえで、アメリカ軍の無差別攻撃を明らかにせんとした…
以下は、映画鑑賞後の私の感想から。(手抜き〜)(笑)
パール博士で思い出した!
ボースも本を買っていたんだった!!
第二次世界大戦直後、戦犯を裁くための裁判で、法廷闘争をあきらめなかった東海郡管区司令官・岡田資(たすく)中将の裁判記録をまとめたものである。
著者は大岡昇平である。
映画の題名は「明日への遺言」である。
主演は藤田まこと。
岡田中将以下が裁かれた罪は、爆撃後のアメリカ爆撃機の搭乗員が、日本国内に不時着したのを、正式な裁判にかけずに斬首など処刑した、ということである。
これに対し、岡田中将は、責任は自分一人が負う。
ただし、まっとうな扱いは捕虜に対して行われるものであって、無差別爆撃というジュネーブ条約違反の行為を行った爆撃機の搭乗員は捕虜ではない、戦争犯罪人である。
よって、司令官の一存にて処刑されたのであると。
そこで裁判は、無差別爆撃であったかどうか、そこから話は広がって、アメリカが東京や大阪ほか各地で行った、"爆撃"そして原子爆弾に至るまで、それは違法なのではないか、という大きな問いかけあるいは法廷闘争をに話は発展したのである。
岡田中将は処刑(死刑)を覚悟したうえで、アメリカ軍の無差別攻撃を明らかにせんとした…
以下は、映画鑑賞後の私の感想から。(手抜き〜)(笑)
これは敗戦間近の日本、東海方面司令であった、岡田資(たすく)中将を裁いた軍事裁判の物語である。
同時期に東京巣鴨プリズンに収監された東条英機らの裁判、極東軍事裁判もあった。
こちらはとっても有名なんだけど、敗戦国日本の軍人達は、色んな場所で、いろんな国(勝利国)によって裁かれ、最終的には千名以上が亡くなった。
病死・自決を入れてのことではあるが、それらを省いても優に千名近くの人数である。
岡田中将が問われている罪は、名古屋を無差別爆撃した爆撃機の搭乗員を処刑したこと。
捕虜として十分な裁判を受けさせなかったこと。
アメリカ軍が行なう裁判は裁判官・検事のみならず、弁護士もアメリカ人である。
そのことへの不安感は無いといえばウソになる。
岡田中将の家族も、同じことを思っていたようだが…
戦争の復讐。
それをやろうとするのではないか?
そう思っても仕方が無い。
東京裁判を見ればその片鱗を感じずにはいられない。
今の私たちでも。
だが、アメリカ人弁護士は言う。
私はフェアにやりたいだけだ、と。
こういうところ。
流石だな、と思うところだ。
今時の日本人はすぐに阿る。
それが浅ましい。
岡田中将は言う。
無差別爆撃こそがジュネーブ条約違反であると。
軍需工場の無い場所、非戦闘民を対象に行なわれた、焼夷弾と機銃照射、それが無差別攻撃でないはずが無い。
パラシュートで不時着したアメリカ軍人は、捕虜ではない、戦争犯罪者である。
検事は言う。
裁判を省略して処刑するのが違法であると。
非戦闘民への無差別攻撃を責めて、アメリカ軍すべてを捌こうというのか?
裁判の主点は、アメリカ軍の非戦闘民への無差別攻撃をどう捕えるか、その有無を問う、というところにある。
岡田中将は言う。
アメリカにはアメリカの事情というものがある。
だから、裁判の結果はどうあれ、自分は自分の正義を貫く、この法争に勝つだけだ、と。
そして部下は、すべて私の命令によって動いたのである。
正義、というのは難しい言葉だ。
自分にとっての正義は他人にとっての正義ではない。
それをどう捕えるか。
どう主張するのか。
どこまで受け入れることができるのだろうか。
ただ、判決のあと、中将は法廷に、そこにいる人すべてに感謝する。心から。
無差別攻撃については、東京裁判でも他の裁判でも俎上に載せることすらできなかった。
それを思えば、この裁判ではその点について正面から論争できたことが幸いであると。
彼を誇りに思い、彼を慕い、そして彼を忘れずに生きてゆく残された人々。
日本人は、過去の戦争を忌み嫌うだけではなく、また賞賛するのではなく、そこにあるものを、そこで生きた人々が残したものをきちんと受け取らねばならないのではないだろうか。
正々堂々と正面から、当時の"焼け出された"人々の視点にたっていた日本人の思いを、そしてその思いを主張した人がいたことを。
法廷の雰囲気は、裁判官も検事も、やがて岡田中将の林とした態度に影響されてゆく。
少なからぬ尊敬の思いを抱くようになったのだと思う。
彼らや看守の呼び方自体が、「オカダ」⇒「ミスター・オカダ」⇒「閣下」と変化してゆくのがその心情を表わしているように思えた。
<以下、産経新聞の特集記事より抜粋。>
第二次世界大戦後、連合国による日本の戦争犯罪者を裁く軍事裁判が始った。東條英機元首相らA級戦犯の東京裁判での公判記録は歴史文書や記録映像などで語り伝えられているが、BC級戦犯の裁判が行なわれた横浜地方裁判所での記録を知る人は多くない。
映画「明日への遺言」の主人公、第13方面軍司令官件東海軍司令官の岡田資中将は、この戦犯裁判で戦勝国・米国に対し、たった一人で法廷闘争に挑んだ。
敗戦で自信と誇りを失ってしまった戦犯が少なくない中、岡田中将は強靭な意志と誇りで、この裁判を法による戦い=法戦と称して臨み、戦勝国の論理で裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、非人道的な無差別攻撃の罪を認めさせようとした。
岡田中将が選んだ選択は強固な信念に貫かれていた。昭和20年、名古屋空襲で飛来、被弾して降下してきた米軍爆撃機B29の搭乗員38人を処刑した責任を問われ、B級戦犯として横浜の軍事法廷で章23年5月、絞首刑判決を下される。が、法廷を退場する際、彼は妻に向かって一言こう告げる。「本望である」。
そして翌年9月、刑は執行され、岡田中将は59年の人生を終えた。
処刑台に向かう最期の日、彼は部下にこう言い残した。「君達は来なさんなよ」
部下に処刑の責任を負わせたり、事実を隠蔽し責任逃れに奔走したりする戦犯が少なくなかったが、岡田中将は一貫して「すべての責任は私にある」と主張。裁判に掛けられた19人の部下の罪を一人で背負う覚悟を固めていた。さらに米軍が国際法を違反し、無差別爆撃を行なった事実を後半の中で立証し、その罪を法廷で訴え続けた。
「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪いことは皆、敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環境の内に国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事も明らかにしようとしないのか…」19人の部下を全員釈放させ、ただ一人死刑に処せられた岡田中将の揺るぎなき信念は現在も不変であるーと「明日への遺言」は訴える。 (以上)
パール博士の本を読んでまもなくだったので、いろいろと思いをめぐらせた。
人は自分の正義を持つ。
でも同時に他の部分に悪を作る。
お互いに認めあうこと、受け入れること。
それができない、できなくなった、その結果がこの21世紀ではないだろうか。
死刑判決を、本望と断じた中将の心境にはいまだ遠い私ではあるが、悔いの無いように、自分に正直に日々を生きて行かねばなぁと改めて思う、そういう映画だった。
今日のお客さんは、それなりに年齢の上の方が多かったけど…特に中年以上のご夫婦が多かったな。
でも、私の隣には10代の女の子が一人で見に来ていた。
ちょっと吃驚したけど…まあ別におかしなことではないかもしれない。
文化庁推薦だから見なさい、とは決して言わないが、私はしっかり生きているのかなぁ、と考えながら見ていた。
パール博士で思い出した!
ボースも本を買っていたんだった!!
コメント