厚い本だけど、読み易い。
もしかしたら紙が厚くて分厚いのか?(笑)
(表紙の椅子はパール判事が東京裁判で使用したもの)

著者がこの本を書こうと思ったのは、パール判事の考えに全面共感するわけでも批判するわけでも、ましてや後継となろうとするわけでもない。
ただ、忘れてはならない人を我々日本人が忘れ去ろうとしている。
その思考・主張を曲解して受け取っている。
そのことにやるせないものを感じたからである。

まずは、パール判事の人となりをざっと述べ、第二次世界大戦後の軍事裁判(東京裁判)に出席するまでの経緯の理解を求める。
つまりその当時、彼の母国インドは、まだ英国の植民地であったということだ。(独立しようとしていた)

まずは彼の主張から言うと。

<?>日本無罪論を述べたわけではない。
東京裁判では戦後になって「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という、以前の国際裁判には無かった項目をいきなり掲げてそれで
A級戦犯を確定・裁断しようとした。
それは勝者による"事後法"であって、そんな無茶苦茶な国際ルールの制定の仕方は無いのである。
ちなみに、A級というのはその名目で裁かれた人のことを言い、反対にB・C級とは普通の戦争犯罪人のことを言う。
そんな無茶な断罪の仕方はありえない ⇒ このような国際裁判はありえない ⇒ よって、国際軍事裁判のA級戦犯という意味においてだけは無罪である、とした。
日本のやったことは罪であり、裁かれねばならない。
B・C級戦犯は裁かれて当然、というのが彼の言うところである。
日本は無罪ではない。

また、A級戦犯として事後法で日本を裁くならば、日本が侵略戦争を起こしたその悪い見本は欧米の植民地主義以外の何者でもない(「悪しき模倣」)上、今だにその植民地を手放そうとはしていない、それどころか日本から没収した利権を取り合おうとしているではないか、彼らをも同じ土俵で裁かれるべきである、とする。
原爆投下もしかり。
日本の残虐行為もしかり。
一律に裁かれるべきであるという、まことに筋の通った話である。

日本の戦争関煮を取るA級戦犯は、盧溝橋事件からすべて謀略と共謀によって戦争を推し進めてきたのだとするが、これは偶発的な出来事がほとんどで、関東軍や陸軍など各部署が夫々に勝手に動いた、とするほうが確かに真実だろうと私も思う。
だって、まとまってなかったやんか、当時の陸海空軍は…関東軍は勝手に暴走するしな。
共謀して手足の如く操って…は無理ではなかろうか?
「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法で日本を裁くために、孤立した事件を引っ張り出して継ぎはぎしている。そしてその責任を取らせようとしている。
それを無理に通そうとすれば、この国際裁判は正しいとは思えず、何よりも恨みばかりを残して世界平和へはいっそう遠くなってしまうだろう。

勝てば官軍。
国際法をも捻じ曲げられる。
戦争には勝たないと、何をされるかわからないという思いだけを世界に広める事になる。
だから、今の国際法では無理だなのだから、新しい国際法を制定し、世界平等に律するものとしなければならぬ。

博士のその思想は、未だに実現していない…戦後から優に60年たった今も。

<?>判事は自国の体制や信条・立場・利益からは自由・独立であらねばならない。
当たり前のことだけど、当たり前にできないことでもあるよね。

当時のインドの立場は、独立に向けて動いている。
中村屋のボースが日本政府と共同して英国からの独立を図り(失敗)独立を見ぬまま客死しているが、パール判事は戦後その墓を詣で、ボースの日本の家族と交友をもっている。
ボースの思想は判りやすく、「敵(英国)の敵(日本)は味方」であったという。
なるほど、判り安い。近攻遠交策は、中国の春秋戦国時代にはすでに流布していた考え方のひとつである。
彼は独立の為のインド人部隊も作っていたが、ガンジーなどはそれを批判している。
ちなみにパール判事はガンジー信奉者である。

東京裁判の判事は対日降伏文書に署名した戦勝国(米・英・ソ・仏・中・蘭・豪・カナダ・ニュージーランド)からのみ判事を出させるつもりだったが、当時の駐米印自治領代表のシャンカルの必死の働きかけで国際的立場を高めようとしていたインドから、そして対日戦をしたフィリピンからも判事を出させることに成功している。

パール判事だけではない。
他にも、弁護人ブレークニーの発言によると、

「勝ったほうの殺人は合法的であり、負けたほうの殺人は非合法であるという議論ではないか」
「もしも真珠湾攻撃によるキッド提督の死が殺人であるとするならば、われわれは、広島へ原爆を投下した人の名誉、その作戦を計画した参謀総長、そしてこの攻撃に責任ある国の元首相をよく知っていると申し述べたい。
彼らは殺人を気に病んでいるか。これはまことに疑わしいことであります。
これは戦争自体が彼らの行動を正義であり敵を不正義と決め付けているからでなく、その行為が殺人罪ではないからであります。」

戦争は犯罪とは違う。
勿論無罪というのではない。

犯罪ならば、広島・長崎の無辜の市民を大量虐殺したアメリカの戦争犯罪も問われるべきである。

まったく同感である。

判決文が読み上げられ、東条英機を含む複数名のA級戦犯の絞首刑が決まった時、その判決に対しての個別意見書は発表されなかった。
意見書、というのは全面同意で無い場合に出すものであるらしい。
有名な、パール判事の「現状の国際法として裁くのはおかしい」という文章、後にその手の個人・団体に「日本は無罪だ・戦争は正しかった」などと待ちあって利用される(多分確信犯だろうね)元になった文章がそれである。
すなわち、パール判事は全面的に判決を否定、反対したわけである。

だが、インドだけではない。一部反対は、フランスやオランダからもあったという。
正直ちょっと驚いた…でもこれこそが、判事という独立独歩の存在価値であるのだろう。

パール判事も終戦直後のこととて資料が限られていたり、彼自身が共産主義を嫌っていたことで多少の方よりはあった。
しかし間違いを間違いであると自覚すれば、自分の欠点を欠点として自覚できていれば、人間はうんと成長できると私は思う。

1952年、彼は再来日する。
それは政府のお仕事ではなく、圧倒的な希望で招聘されたものである。
絞首刑寸前のA級戦犯達も彼の論旨に触れ、無念の心を少しは収めて死に臨んだという。
だが、50年代の日本はパール判事に失望をもたらすだけだったらしい。

なによりも、アメリカ追従。アメリカの子分となっていることが。

「アメリカの属国となるな、アジアの工場となれ」
彼はそう言った。
確かに……属国じゃなくて植民地だね、ここは。
先日も"また"、沖縄のべーへーが女子中学生に暴行。
なにを考えているんだ?
教育程度を疑う、とは知事の言葉。まさしくだ。
女子小学生に集団暴行も過去にはあった。
ほんまに何を考えている?

海兵隊は国の礎・栄光…じゃなかったのか?「硫黄島」の映画でそうなるべく主張し、それがかなったと涙を流して喜んでいたんじゃないのか?
(海兵隊は、敵地に一番のりする切り込み隊長のようなものだから)

日本で罪を犯したアメリカの黒人兵を「黒人だから差別している!」なんてずれた文句を言うアメリカのおばさんの映像も見た事があるか、日本人は有色人種である。
白人ではない。
肌の色の差別もへったくれも無い。
それとも白>黒>黄、とでも言いたいのだろうか?

<?>田中正明著「パール博士の日本無罪論」
はっきり言って間違いである。
パール判事の判決書を、
 ?誤読
 ?改竄
 ?ミスリーディングを誘う記述
 ?意図的割愛

しているという。
それがまた流行るから始末に悪いんだろう。まあ日本無罪、といわれれば日本人は飛びつきたくなるか。
水は低きに流れるものだから。

映画「プライド・運命の瞬間」というのが有ったらしい。私は知らないが、東条英機の人生を肯定する為に作った映画で、やはりパール判決書を都合よく利用しているとのこと。
これはパール判事の長男氏が激怒してインドのマスコミに訴えたらしい…日本人はあまり知らない、多分。
耳に痛いことは入ってこないのか、貝の様に殻を閉じるのか。

パール判事は死の数日前にも病床の身体をおして日本を訪れている。
その気持ちに日本人は少しでも応えただろうか。

★原爆投下の責任も問えず、アメリカに追従する日本
★東京裁判を忘却の彼方に追いやり、アメリカ依存を強める日本
★再軍備を進め、憲法第9条改変に突き進む日本


これはすべて当時(1950〜60)の判事が語った言葉である。
現状の日本を語ったわけではない。

では、判事が今の日本を見たら、一体なんと言うだろうか。

ISBN:4560031665 単行本 中島 岳志 白水社 2007/07 ¥1,890 

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