使ってみたい武士の日本語
2007年12月18日 読書
小学校は兎も角、本格的に読書にのめりこむようになった中学時代。
私は所謂、文学全集(国内・海外)という物はほとんど、一切といえるほど読まなかった(笑)
で、何を読んでいたかといえば、時代小説なんである。
父親の書庫に白土三平(猿飛びサスケや風魔など忍者ものの漫画を多出)などが全集で揃っていたり、山岡荘八の全集が一番目立つ場所にずらりと並んでいたりしたせいである。(と、父のせいにする私であった)(笑)
だから。
こういう本があるとつい…魅かれてしまう。
著者曰く、
僅か150年ほどまえに使っていたことばである。
どうしてこうも見事に消え去ってしまったのか。
そして同時に、そのことばが時代劇の中に生き残っていることを、それを普通に受け入れている現代日本人がいることに気がつく。
違和感がないのだろうか?
理解しているのだろうか?
いやいや。
お年寄りのちょっとしたことばの中にまだ生きていることばもあるじゃないか。
武士のことば。
それはなかなかに魅力的で、奥床しい…のかもしれない。
では。
時代小説・時代劇の中にどのように使われているのか、それをちょっとさぐってみようか…。
でもって、使ってみようかと。
(使ったら、変な人を見る目で見られること間違いなしだろうけれどね)
柴田錬三郎氏がたくさんの武士ことば、時代劇ことばを創造している、ということを初めて知った。
それは時代小説家に受け継がれ、私なんぞはそういうことばが江戸の昔から存在したものだと思っていたぐらいである。
鱗がちょびっと落ちた感じ。
ちなみに、「平社員」ということばの源は、「平侍」から来ているそうだ。
殿様にお目見えできない、したっぱの侍、と言うことやね。
あっはっは…。
笑える。
平社員が社長を垣間見ることもない、見たこともない、というのは現代社会ではあまりないと思うけど……。
そして、もう一つの面白い話。
それが、刀の村正について。
名刀といわれ妖刀とも呼ばれる。
なんでかっていうと、徳川家康の前後、徳川家に禍をもたらしたのがこの村正という刀であり、故に徳川家はこれを縁起が悪いとして遠ざけたのだと。
徳川幕府に遠慮した諸大名も然り。
但し、幕末になって倒幕を企む志士や諸藩の侍たちは、この刀を"縁起物として"求めたという。
しかり。
ISBN:479421636X 単行本(ソフトカバー) 野火 迅 草思社 2007/09/22 ¥1,365
私は所謂、文学全集(国内・海外)という物はほとんど、一切といえるほど読まなかった(笑)
で、何を読んでいたかといえば、時代小説なんである。
父親の書庫に白土三平(猿飛びサスケや風魔など忍者ものの漫画を多出)などが全集で揃っていたり、山岡荘八の全集が一番目立つ場所にずらりと並んでいたりしたせいである。(と、父のせいにする私であった)(笑)
だから。
こういう本があるとつい…魅かれてしまう。
著者曰く、
僅か150年ほどまえに使っていたことばである。
どうしてこうも見事に消え去ってしまったのか。
そして同時に、そのことばが時代劇の中に生き残っていることを、それを普通に受け入れている現代日本人がいることに気がつく。
違和感がないのだろうか?
理解しているのだろうか?
いやいや。
お年寄りのちょっとしたことばの中にまだ生きていることばもあるじゃないか。
武士のことば。
それはなかなかに魅力的で、奥床しい…のかもしれない。
では。
時代小説・時代劇の中にどのように使われているのか、それをちょっとさぐってみようか…。
でもって、使ってみようかと。
(使ったら、変な人を見る目で見られること間違いなしだろうけれどね)
柴田錬三郎氏がたくさんの武士ことば、時代劇ことばを創造している、ということを初めて知った。
それは時代小説家に受け継がれ、私なんぞはそういうことばが江戸の昔から存在したものだと思っていたぐらいである。
鱗がちょびっと落ちた感じ。
ちなみに、「平社員」ということばの源は、「平侍」から来ているそうだ。
殿様にお目見えできない、したっぱの侍、と言うことやね。
あっはっは…。
笑える。
平社員が社長を垣間見ることもない、見たこともない、というのは現代社会ではあまりないと思うけど……。
そして、もう一つの面白い話。
それが、刀の村正について。
名刀といわれ妖刀とも呼ばれる。
なんでかっていうと、徳川家康の前後、徳川家に禍をもたらしたのがこの村正という刀であり、故に徳川家はこれを縁起が悪いとして遠ざけたのだと。
徳川幕府に遠慮した諸大名も然り。
但し、幕末になって倒幕を企む志士や諸藩の侍たちは、この刀を"縁起物として"求めたという。
しかり。
ISBN:479421636X 単行本(ソフトカバー) 野火 迅 草思社 2007/09/22 ¥1,365
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