これもまた、友人からお見舞いにと戴いた本である。
写真でライカで何かと有名な著者の、昔々の思い出話と共に、写真が社会と連れ添った時代に思いを馳せる。

1950年代。
戦後10年経つか経たないか、というころの日本の話。
アメリカの物質力に負けた日本は、その"夢のような"生活や社会を目標に歩み始める。

物質文明の極地。
夢のような電化生活。
それがアメリカ。

同時にもう片翼の雄にソヴィエト連邦が存在した。
アメリカが物質文明の極地であれば、ソヴィエトは精神世界の極地、理想の社会…と思われていた。
中でなにが行われているかは鉄のカーテンのむこう、一切知らされず、その理想社会に貢献しようと亡命した日本人は処刑されていた。
我々が知らないときに。

そういう時代、"生真面目な"岩波文庫が出版していた写真文庫という本があり、写真をもって社会を啓蒙しようと(?)していた。
カメラが写真が貴重な時代である。
貴重というのは、つまり高価だということで、普通の日本人にはとても手が出ない。
操作だって難しい。
今のデジタルカメラのようにシャッターを押せばほどほど綺麗な写真が(誰に賦でも)撮れる、というのではない。
…というわけで、敗戦国が敗戦国民がそう易々と手にするものではない。
作ることも、また、輸入することも僅かであった時代。
そんな時代に、敗戦によって享受するようになった自由と未知の文明と…なんやかや(笑)をぶち込んで形勢されつつあった新しい日本社会を反映しているのが"岩波写真文庫"という本であったのだ。
電気製品・車・野球・蒸気機関車・電話・炭鉱・小学校etc……実に楽しい写真が、載っている。
一所懸命だった、"生きている"感がどんどん伝わってくる写真だ。
そして、それはそのまま歴史書になっている。
ほんの50年前のこと。

しかし、日本人のDNAに紛れもなく混入されている"好奇心"はそのままにはしておかない。
とりあえず、そう、とりあえず、作る。真似する。やってみる。
遣隋使以来の模倣文化(根性)が花開きタネを結ぶ。

出来たタネを育ててみたものの、それが現在の日本社会だが、それは出来のいい社会ではなさそうだ。
何が悪かったんだろう?
肥料か?
土か?

しかしそこで生まれた我々はそこで生きてゆくしかないのだ。

力強さをひしひしと感じるこの1950年代の日本(写真)の宝を横目で見つつ、ついと溜息が出たのだった。



ISBN:4000236717 単行本 赤瀬川 原平 岩波書店 2007/09 ¥1,680

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