スウェーデン人と結婚し、南フランスに住む著者が、英国やアメリカの人とは違ったヨーロッパ人の目で日本を見直したエッセイ集。
エッセイというほど堅苦しくなく、アーチストという仕事を持ったおばさん主婦が、ヨーロッパで出会った人々に指摘され、「そういえば」と、振り返って日本を眺めている。
だが、「私は日本人なんだから」と日本を批難されると擁護の回る、"まとも"な神経の持ち主、言い方が悪ければ、バランス感覚のある人なので、厭味も欧米に対する妙なへつらいもなく描かれた文章には清々しさを感じるのだった。

昨日買ったところで、今読んでいるごっつい本もあるので後回しにするつもりが、「ちょっとだけ」と就寝前にぱらぱらめくったのが運のつきだった。

ヨーロッパでであった外国人…とはいっても、フランスゆえにか(?)フランスが嘗て統治した植民地から出稼ぎに来た人や移民たち、そういう人たちとの出会い、会話が中心なので、その辺がちょっと違う。
英国に行った日本人が生粋の英国人と対等になったつもりでエッセイを書く、意見を述べるわけではないのだろう。

だからこそ、「貴方の国のマスター・カントリーは?」と聞かれたとき、著者はショックを受けた。
私も受けた。
マスターカントリーってなに?
って思った。
ご主人様の国=つまり自分の祖国を植民地としている、支配者の国のことだ。

日本人だったら、
「マスターぁぁぁあ?誰があぁぁあ?」
と思わず唾棄しそうなことばではあるが。
彼らにはそれは普通に使われることばである。
あからさまな差別だと思うんだけどな。

そうか、アジア・アフリカでかつてマスターカントリーを持たなかったのは、本当に珍しいことなんだ。
「日本・タイ・エチオピアぐらいかなぁ…?」と
スウェーデン人のご主人がそのように挙げている。
(ほんまかどうか、調べてませんが)

植民地にならなかった日本は、植民地になった国の人々の感覚は想像が出来ないし、その危機感もない。
第二次世界大戦の敗戦でアメリカに"占領される"事はあっても"植民地にされる"という認識はなかったらしい。

暢気と言えば暢気。
世間知らずと言えばそうなのだが……だから、間の抜けた平和論を展開すると思われているのだろうか?
危機感がない?

ヨーロッパの移民達は、いまだ酷い差別を受けて、"ゲスト・ワーカー"なんて慇懃無礼な差別的呼称を付けられているらしい。
日本人がヨーロッパで働いているからと言ってその呼称は絶対使われない。
"そういう意味"のことばだ。

否。
そういう国だからこそ、言えることも出来ることもある、という著者の意見に私は賛同する。

肩肘張らずに、でも冷静に彼方のヨーロッパから日本を見つめている彼女。
だからどうとかこうとか…感情的にならず、憤らずに一歩引いて「でもね」と小声で呟いている。

はるか彼方の空の下で、目の色言葉思想環境の違う彼らが日本のことをなんと思っているか、単純にそれを知るだけで面白い。

やっぱり日本人って…摩訶不思議らしい。


そしてまた。
思わぬところで昔フランスで起こった日本人がらみの(というか日本人が犯人の)カニバリズム的殺人事件のその後の話を聞いてしまった。
政治的、というか経済的取引…金持ちは長生きするってこういうことも言うのかなぁ。
なんだか、釈然としない。

たしかにコレ(↑)が日本人、と思われたら"不可思議人種"と思われても仕方がないだろうけれど。


ISBN:4062724480 新書 デュラン れい子 講談社 2007/07/20 ¥880

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