一部内容が「地中海」とダブっているので、今なら(今限定!)判りやすい。

おおよそキリスト教では修道院はひとつのものとして存在し手北と思ったんだけど、どうもそうではないらしい。

司祭と言うものが中世まで、貴族の次男坊とか三男坊の職種で、しっかり妻帯し主食に溺れ、世俗の権益をぎらぎらと狙っていた…とは。
いや、厳格な修道院の中で、たま〜にそういう"生臭坊主"が存在するんだと思っていたわけだよ、私は。

ところが、あくまでも清貧をモットーとし、苦行に生きる修道院の修道士と、貴族階級が締めていた司祭とか修道院長とかはまったくベツモノだったという。

修道士と修道院長はこれまた違うのか?と問われればその通りm違う。
なぜなら、修道院長はその土地の権力者(王や貴族)に任命権があったからだ。
でもって、せっせと欲の命ずるままの生活をしていたらしい。

その司祭、修道院長。修道士が一体化したのがやはり中世のことで、騎士たち、戦場では強く逞しい騎士たちが、精神面では救われていなかったため。
ノストラダムスではないが、世の滅び、という予言にびくびく怯えて、救うわれることを心の底では願って暮らしていた。
それを「助けてあげましょう、その代わり…」と、修道院長の任命権など干渉を排除しようとした修道院に対し、
「ならば、その代わり…」と遺族達は、修道院に属するものは(キリストに仕えるものは)生臭を放棄するように迫ったわけである。
つまり修道士は修道士らしく生活せいと、そういうわけである。

こうして、互いに交換条件を出したわけであるな。

また、言うことを聞かないのなら、修道院側には「破門」という黄門様の印籠があったわけである。

そうなると、貴族(世俗)側としては、こんどは「救い」を実践するものが必要になる。
一族の中から修道士を出すとか、キリストに仕えるものを選出して、一族を代表してお祈りをしてもらいましょうと……
オリンピックかいな。

なんだか、都合のよい話だけど、ほんまに怖かったンやナー、というのは判る。

病気(ペスト)とか、自然災害とか。
どこにもここにも神さまがいて、何が起こってもまあしかたがないかいなーというアニミズムではなくなっているから、余計にそうなのかもしれない。

実は、現在まだ途中。
ほかに並行して読み始めた本があるので、まだもうちょっとかかりそう〜。

ISBN:4061492519 新書 朝倉 文市 講談社 1995/05 ¥714

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