リトビネンコ

2007年7月19日 読書
サーシャ(リトビネンコのこと)が死に臨んで遺した言葉。
自分を抹殺しようとした人の名を、はっきりと上げている。
「アンナ・ポリトコフスカヤ(暗殺されたジャーナリスト)には出来なかったことだ」
と言って。

何が本当か、真実か。
それは歴史が時間をかけて明らかにするであろうこと。
どんなに巧妙に隠したとしてもだ。
それこそが、歴史の意義。
何が正解、だとは断言できないし、しない。

だが。
人の命を引き換えにするほどの理由はあるのか。
そこにあるのは、単なる嫌悪。
好き嫌いの感情なのかもしれない。

ロシアはKGBの亡霊を、まだ引きずっている、というよりもまだまだ育てている。
畏れながらも絶対的に強いものを望む(たとえそれが強圧で残虐な専制君主であろうとも)ロシアの国民性。
それは、あの厳しい自然環境が生み出したのだろうか。
のほほんぼよよんとした日本とは、あまりに違いすぎるけれど、決して羨ましくはない。

亡命したロシア人。
彼等を追い、抹殺しようとするものたち。
クレムリンに居座るものがロシアなのではない。
「身を切られるようにして故国を捨てたものこそがロシアなのだ」という言葉が胸を打つ。

彼の国は、まだまだもがき、あがいている。
そして、我々はそんな苦しむ重病人を、手が汚れるからと病気が伝染するからと、ただ見ているだけなのかもしれない。

ちょっとね……いろいろ思ったのと。
思っていたのより遥かに怖いことが進行しているということと。
自分から貪欲にならないとそんなことの数万分の一の事実すら知らないままだということ。
そういうことに気がつかされる。

何が真実で、なにが嘘か。
それは各人が考えること。

ロシア関連の本を……読むのはしんどくて時間も掛かるけど、続けて読んでみようか、と思わせた一冊だった。

サーシャの冥福を祈りつつ。

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