売れ行き上々でベスト○に入っているそうな、この本。
タダでさえ黄色い表紙で目に付いて、それでまた目に付いて、内容をぱらぱらと立ち読みしてぷっと噴出して購入。

決して裁判官諸氏を揶揄しからかっているのではありません。

真面目に、「こういう言葉が発せられている」ということを、裁判所とはとんと縁のない我々庶民にも教えてくれる優しい手引書(みたいな)本である。

説諭、とかこういうこともいえる、言っている、言ってもかまわないんだ裁判官は…ということ。
そしてまた、裁判官が3人いると誰が一番偉いのか?とか夫々の立場(順位)はどうなのか?とか判決の意見が対立した時はどうなるのか?ナドナド…誰でもふと気になることを判りやすく解説。
何しろ著者は7年間、司法試験に挑戦し続けた人。
詳しいのは当たり前で…ついでに言うと、辛らつでもある。
十五年以上も司法試験に挑戦し続けている人は、信じられないことに、2707人(受験者の全体の1割以上)なのだそうだ。
そんな彼らのことを、
「経済的・時間的資源を食いつぶすだけ」
と嘗て司法浪人(?)だった著者も容赦なく言い捨てる。
たしかに、一生をそれだけに使うわけ?と思うと他人の私が見ても勿体無いと思う。
一度きりの人生なのに。

そして量刑の問題。
これだけの犯罪を起こしているのに、たったそれだけの懲役?とか思うのはしばしば有ること。
あれは前例に照らして"順当な"と思える量刑を選ぶからだそうだ。(ちなみに検察の求刑の8割が妥当とされるセンらしい…検察もそれを見越して2割り増しで求刑している、という悪い噂も…あるのか?)
いかに残虐でも、特出して懲役が長かったりすると、問題らしい……けれど、被害者や遺族はそんな話では納得するまい。

そのなかで、勇気をもって大胆な判決をする裁判官もいるのだという。
検察側の求刑よりも、思い量刑を科した裁判官もいるのだと。
すごい勇気がいることらしい。
それに司法は行政や立法からは独立していると憲法では謳っている。
でないと公正な判断は出来ないから。
でもでも、良識と善意と人間としてのけじめと…で前向きな判決を下さした裁判官は、大抵昇進がストップしたりわけのわからない異動(これって左遷だよね?)をさせられたりするのが現実なんだそうだ。
日本の政治って……。

我々素人が裁判に関わる日も、やがて来る。
嫌だといっても必ず来る。
人の人生を左右する問題。
アメリカの陪審員制を見ても、というか、見るたびに「あやしい〜」「いい加減〜」「あぶね〜」と思っている身には、ものすごい重責以外のなんでもないのだけど。

…*…*…*…*…*…*…

どんな凶悪事件でも、だいたいは理性的に読んでゆくこの本なんだけれど、身近でおこった殺人事件の裁判の話が出て、そのときだけはどきっとした。
殺害されたその当日、うちの会社に来られていた取引先の方なんだけどね。
仕事の後、宴を張ったのはうちの会社。
その帰り道…の出来事。

誰とは特定できなくても、自分が案内をしお茶を出し、ちょっとは言葉を交わしたんだ、その人だ、と思うと心は穏やかではいられない。
いわんや、身内や友人などは、どう思うだろう。
どう感じているだろう。
その哀しみはいくばくか量れるものではない。

所詮自分にかかわりがないと、どんな重大な事件でも「ふう〜ん?」「かわいそうに」ぐらいで済んでしまうということか、とそう思いもした瞬間である。
逆に、こうして袖擦りあった相手であれば、どう思うか?
平静でいられるはずはない。

これで、陪審員制…だいじょうぶか。

ISBN:4344980301 新書 長嶺 超輝 幻冬舎 2007/03 ¥756

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