楽天少女通ります―私の履歴書
2007年1月28日 読書
田辺聖子氏、通称"おせいさん"の、エッセイ。
楽天少女…といえば、NHKのドラマでも出てきた言葉なので、見ている人には「ピン!」とくるはず。
ドラマでは「楽天乙女」だったけどね。
そう、おせいさんの若かりし頃のお話である。
ここんとこ続けて彼女の本を読むのは、いかにも私らしい癖の表われだ。
集中する時は一気に集中!
あれもこれもと手を出してしまうから…。
こっちは今までのエッセイとはちと違った。
なにといって、行間が狭い(笑)こと。
つまり、それだけ話がぎゅ〜っと詰っていると言うこと?!
そして著者とその周囲の人たちの写真がポツンポツンと挿入されていること。
赤ん坊のおせいさん、正月正装のおせいさん、おばあちゃんやお母さんやお父さん…叔父さんも勢ぞろいだ。
この、写真が高価な時代に、さすが写真館の家族だよね、と思うほどの写真の多さだと思う。
面影はしっかりある、というより、この方、あまり顔は皮手無いんだなぁ。
本当に小さい時に作家の道を志したと(NHKで)言っていたので、早くから顔つきがしっかり固定したのかも?なんてしょうもないことを考えてしまう。
大きくなってからも思う道を逸れなければ、初志貫徹で必死で進めば、こうなのか?
人が自分の顔に責任を持つというのは30歳からだったかな?
自分の意思で自分の顔を作ってゆく、つまり誰のせいでもなく、自分ひとりの責任で、自分の生き様を決めてゆくという意味で。
故司馬遼太郎さんは在阪の作家であるから、おせいさんとも親しいのはなんとなくわかる。
だが、司馬遼太郎夫人がおせいさんの女学校の二年後輩で、これまたしたし間柄とはあまり人生とは異なもの、と言うよりも、世間は狭いってことか?
関西なんて狭い範囲に才能のあるものがひしめき合っていれば、夫々何らかの係わり合いを持つのも当たり前と言えば当たり前だね。
ばかでかい都会・東京とは話が違うんだろう。
おせいさんのエッセイにはほかに藤本義一氏とかも登場。
かもかのおっちゃんの葬儀の弔辞は、代表して、彼の人が読んだと言う。
そして、同様に登場の、やはり大阪の下町の小説などをモノしておられる難波利三氏には、実はなんと(!)私は直接会って言葉を交わしたこともあるのだ。
こういうのって、感慨深いものであるのね。
ISBN:4894568608 文庫 田辺 聖子 角川春樹事務所 ¥660
楽天少女…といえば、NHKのドラマでも出てきた言葉なので、見ている人には「ピン!」とくるはず。
ドラマでは「楽天乙女」だったけどね。
そう、おせいさんの若かりし頃のお話である。
ここんとこ続けて彼女の本を読むのは、いかにも私らしい癖の表われだ。
集中する時は一気に集中!
あれもこれもと手を出してしまうから…。
こっちは今までのエッセイとはちと違った。
なにといって、行間が狭い(笑)こと。
つまり、それだけ話がぎゅ〜っと詰っていると言うこと?!
そして著者とその周囲の人たちの写真がポツンポツンと挿入されていること。
赤ん坊のおせいさん、正月正装のおせいさん、おばあちゃんやお母さんやお父さん…叔父さんも勢ぞろいだ。
この、写真が高価な時代に、さすが写真館の家族だよね、と思うほどの写真の多さだと思う。
面影はしっかりある、というより、この方、あまり顔は皮手無いんだなぁ。
本当に小さい時に作家の道を志したと(NHKで)言っていたので、早くから顔つきがしっかり固定したのかも?なんてしょうもないことを考えてしまう。
大きくなってからも思う道を逸れなければ、初志貫徹で必死で進めば、こうなのか?
人が自分の顔に責任を持つというのは30歳からだったかな?
自分の意思で自分の顔を作ってゆく、つまり誰のせいでもなく、自分ひとりの責任で、自分の生き様を決めてゆくという意味で。
故司馬遼太郎さんは在阪の作家であるから、おせいさんとも親しいのはなんとなくわかる。
だが、司馬遼太郎夫人がおせいさんの女学校の二年後輩で、これまたしたし間柄とはあまり人生とは異なもの、と言うよりも、世間は狭いってことか?
関西なんて狭い範囲に才能のあるものがひしめき合っていれば、夫々何らかの係わり合いを持つのも当たり前と言えば当たり前だね。
ばかでかい都会・東京とは話が違うんだろう。
おせいさんのエッセイにはほかに藤本義一氏とかも登場。
かもかのおっちゃんの葬儀の弔辞は、代表して、彼の人が読んだと言う。
そして、同様に登場の、やはり大阪の下町の小説などをモノしておられる難波利三氏には、実はなんと(!)私は直接会って言葉を交わしたこともあるのだ。
こういうのって、感慨深いものであるのね。
ISBN:4894568608 文庫 田辺 聖子 角川春樹事務所 ¥660
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