なにせNHKのドラマに嵌まっちゃったから…困ったものだ。
あれこれと、田辺聖子氏の小説に眼が行ってしまう。
で、私が読んだあとは、母親も読めそうなものを物色して何冊か買ってみた。

出版社も流石である。
ここぞ!とばかりに上手いタイミングで本を出してくるよなぁ。
お商売であるから、これぐらいは、当然だが……。

エッセイが面白い!
この人なりの基準、と言うものがあって、それがまた面白いよな。
「ええ男」はいるのか、たくさんいるのか、妥協するのか、「ええおとこ」の定義はなにか。
など。

「男が女を作るように、女も男をつくらなきゃならん。いい男をつくるのは、女の責任。」

なるほど。
教育って…大変ですね。

でも、男は可愛げがあるのが一番だそうで、これはドラマでも出ていたはつげんだなぁとシミジミ。
だからこれは田辺さんの本音の本音なんだろうと思う。

ところで、この方は恋愛小説がメインだったのかー?
実は、私、この人の本を読んだことが無いのだ。
申し訳ないけど。

名前は知っていたんだけどね。
何故か、縁がなくて、最初に読んだのがエッセイ見たいなものだったわけ。
恋愛小説はなぁ…苦手だからなぁ…どうしたものか。
…シミジミ。


読んでいて、これは!と思ったものを抜粋。
かさ高くて邪魔なのは、犬と男…という話。
男は犬に似ている。場所ふさぎでカサ高いわりに、甘エタで、かまってやらないと淋しがってシャックリ(体調の違和感を訴える・これ見よがしに不興をみせびらかすこと)をする。

著者が飼っていた中型犬について、
私が通っても薄目をあけて横着に尻尾の先だけちょっと振ってみせ、それで仁義を切ったつもりでいる。カサ高い、というコトバの意味をつくづく思い知らされる。
それでも老いてはいないから、元気のありあまっている時は、私の姿が目の隅に入ると、勇気りんりんと胴体を撓(しな)わせ、前肢をこすり合わせる感じで、
(おッ散歩か?遊ぶのか?ケンカか?ようし、久しぶりにやろやないけ、かかって来くされ!)
という感じで跳ね、吠えたける。私はいう、
<あたしゃ今日は忙しいのっ。あんたなんか、相手にしてられないんだから。オーラ、オーラ、のいたのいた>
と手で押しのけてゆきすぎると、
(くそう、売られた喧嘩は買えやっ、おんどれ!)
とばかり夢中で吠えて、地だんだふんでいるーという手のかかるヤツ。人生的に場所ふさぎだ、とつくづく思った。

…というのが、つまり、男だと言うわけだ(笑)
ほんとに賢い犬なら、私が忙しそうだなとわかると、つつましく控えて、前肢をつくね、いじらしく、
(お仕事、ご苦労さまです)
といわんばかりにほほえむ。−(まさか)
まあ、まして男にそれを求めるのは無理か。

という次第。
犬が大好きな私は、このたとえにはまんまとひっかかった。
そう。
以前飼っていた犬も、こういうやつだった。
犬って…そうか、男と同じなのかな〜?
"おせいさん"は頼もしく続ける。
<男はアカンなあ……>
の大合唱。老嬢、老夫人、みな口を揃えて、男は弱い、という。心身ともに刃こぼれしやすい。弱きもの、その名は男、という。
私も含めて、だが、その年代は終戦直後の国家崩壊に遭遇している。天が地に、地が天にひっくり返った時代。政府は瓦解し、軍隊は壊滅する。前途の再建はまだ五里霧中で、町は一望の焦土、食料はどこにもない。誇りたかい大和民族は、いまや、亡国の民同然、飢えてさまようのである。
何を信じ、何にすがって生きればいいのかわからない。社会の基盤が丸ごとぶっ毀れてしまったのだ。当時の柳誌「番傘」に、
≪日本中空腹だったよく倒(こ)けた≫(岸本水府)という川柳があるが、日本の男たちは転倒(こけ)たまま、起き上がれなんだのも多かったのである。

NHKのドラマに出てきた作者の父親も、写真館が空襲で焼けてすっかり意気消沈し、そのまま寝付いて終戦の年のうちに亡くなった。
病気は胃がんであったというが、その死の原因は"悲観"であったと"おせいさん"は言う。
当時強かったのは、母であった。
深窓の令嬢も、奥方も、殺人的な買出し列車に乗り込み、官憲の手入れを逃れるために線路に飛び降り、そうして家族を養ったのだ。
<この時期、主婦のしっかりしている家庭だけが生き延びられた。いや日本の主婦でしっかりとしていない主婦なんか、このときいなかった>

なんと逞しいことであるか。
こうありたいものである。
たとえ逆境に陥らなくとも。(陥りたくは無いものだ)

強かった母親、というのは、この人たちがモデルなんだろうな。
きっと。

ISBN:404131433X 文庫 田辺 聖子 角川書店 ¥500

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