新渡戸 稲造著のこの本は、訳書(外人向けに書いたため、英語で書かれているから)・解説書・研究書、といっぱい出すぎていて、私が購入した単なる訳書はレビューがない!?
…ので、仕方が無い。
「論語読みの論語知らず」
沢山本を読んでも、それが自分のなかに生かされなければ、なんの意味も無い。
このように、学問は、臭いの強い野菜と同じなのだそうだ。
「知識と言うものは、それが学習者の心に同化し、かつその人の性質に表われるときのも真の知識となる」
なんか、読んでいてどきどきしてしまった……。
「武士道」
を説くというのは、なにも切腹の作法を、武家の心得を広めようというものではない。
諸外国では、宗教が道徳の規範となる。
ゆえに学校に上がるか上がらないかの子供たちでも、家庭で宗教教育をして道徳を身につけさせるのだ。
それに対し、はたして日本はどうだろうか?
そう自問した時、見つけた答えが、武士道であったと、すでに明治は明けて久しかったけれど、それでも生活の、道徳の規範は武士道だったと、新渡戸 稲造氏は思ったわけである。
外国人に言わせると、宗教なくしてどうして道徳教育をするのか、それが不思議でたまらないらしい。
日本人は逆に、何でもかんでも宗教がらみであることへのアレルギー(?)とまではいかなくても、敬遠したがるところをもっているのとは好対照である。
日本人の場合は、やはり敗戦が大きかったんだろうけれど。
君臣(対皇室)、親子、姉妹、夫婦、朋友との関係は勿論武士道でも大きな要素だけど、それは儒教から入ってきたものである。
宗教を利用しちゃったからなー。
ナチスのゲルマン民族賛歌とどっちが傷が深いのか……。
…ので、仕方が無い。
「論語読みの論語知らず」
沢山本を読んでも、それが自分のなかに生かされなければ、なんの意味も無い。
少ししか読まぬ者は少し衒学くさく、多く読む者はそれだけより衒学くさくなる。両者ともども不愉快なものである(三浦梅園)
このように、学問は、臭いの強い野菜と同じなのだそうだ。
「知識と言うものは、それが学習者の心に同化し、かつその人の性質に表われるときのも真の知識となる」
なんか、読んでいてどきどきしてしまった……。
「武士道」
を説くというのは、なにも切腹の作法を、武家の心得を広めようというものではない。
諸外国では、宗教が道徳の規範となる。
ゆえに学校に上がるか上がらないかの子供たちでも、家庭で宗教教育をして道徳を身につけさせるのだ。
それに対し、はたして日本はどうだろうか?
そう自問した時、見つけた答えが、武士道であったと、すでに明治は明けて久しかったけれど、それでも生活の、道徳の規範は武士道だったと、新渡戸 稲造氏は思ったわけである。
外国人に言わせると、宗教なくしてどうして道徳教育をするのか、それが不思議でたまらないらしい。
日本人は逆に、何でもかんでも宗教がらみであることへのアレルギー(?)とまではいかなくても、敬遠したがるところをもっているのとは好対照である。
日本人の場合は、やはり敗戦が大きかったんだろうけれど。
君臣(対皇室)、親子、姉妹、夫婦、朋友との関係は勿論武士道でも大きな要素だけど、それは儒教から入ってきたものである。
宗教を利用しちゃったからなー。
ナチスのゲルマン民族賛歌とどっちが傷が深いのか……。
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