五日市 剛さんの ツキを呼ぶ魔法の言葉  講演筆録
友人からレンタル本である。

言葉とは不思議なもので、日本では言(こと)の葉(は)とも言う。
口から音として発せられたそれは、呪(しゅ)の力を持つものであり、その言葉によって人は運命を支配される…とも考えられた。

それは日本固有の思想ではなく、古代ケルトなどでは、真名(まことな:本名)は隠し、通称を呼び合うことで、呪によって誰かに(運命を)支配されることを嫌った、避けたと言われている。

人間の考えることは同じだということだ。

で、この冊子は、その言葉の魔力を身をもって経験したという企業家・五日市 剛氏の講演テープを文字に起こしたものであるが、身内に頒布したところ、大変な反響が来たとのことだ。

別に新興宗教というわけではない。
何かを買えとか、信心しろとか、そういうことでは、ぜんぜん、ない。
言っていることは単純明快。

汚い言葉を使うな。
人を呪うな。

何があっても前向きに、前向きな言葉を使え。
「ありがとう」
「ツイてます」

例えば、交通事故にあった絵も、相手を罵れば相手も反抗し、醜い言い争いはやがて法廷闘争にまで悪化するかもしれない。
でも、
(このぐらいですんで)「ツイている」と考えられれば、相手にも「大丈夫ですか?」「ああ、(怪我がなくて)良かったですね」と声を掛けられるし、そうなれば、相手も人間だから「ごめんなさい」と素直に謝ることも出来るというものだ。

そういうことの繰り返しで、人はツキを本当に呼ぶことが出来る。
彼はそう明言する。
仕事でも。
家庭でも。

実際に彼がそういう考え方に遭遇したのは、イスラエルで出会った老婆の言葉からであるという。
見も知らぬ異国人の彼に、自分の家を宿として差し出した老婆。
その老婆の言葉だけではなく、態度物腰が、彼女が信じているものの確かさを直接彼に伝えたのだ。

人間は、直接触れ合わねば、分かり合えない。
否、触れ合ってこそ分かり合える動物なのだ。
ネットでしか触れ合えない人間は、社会から自分を隔絶して心地好いと誤解している。
そもそもマンモスを狩っていた時代から、社会で、集団でしか生きられない動物なのである、人間は。
社会方自分を隔絶して、楽しいわけがない。
安心するわけがない。
本当は。

五日市さんは、そんな状況(相手の不注意による交通事故)でも「ありがとう」と思った、と仰っている。
私はそこまでは思えないが、「これぐらいでよかった」「ツイている」なら、できる、と思った。

気は心。
やはり、生きてゆくためには、人は明るい光を見て、歩んで行くしかないのだから。

発行所:とやの健康ヴィレッジ(有限会社 新潟エネルギー研究書)
?:025-281-8282
URL:http//:www.h3.dion.ne.jp/~energy

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