散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
2006年11月17日 読書
母の読みかけの本を取り上げて先に読んでしまった。
読み出したら止らない。
これは、そういう本だ。
気がつけば、本屋の店頭目立つところに、似たような本がずらずらと並んでいる。
何事かと思っていたら、近々公開の映画で、第二次世界大戦での、硫黄島での戦いを扱った映画があるので、その宣伝とブームに乗ろうという、本屋の経営戦略であった。
映画では、
「アメリカから見た硫黄島攻略戦」
と、
「日本からみた硫黄島守備戦」
に分けて二本、上映するとのこと。
ふぅむ、なるほどね。
監督はクリント・イーストウッド…。
西部のガンマンがどんな映画を作ったのやら。
この本は、日本の守備隊(陸・海軍)から見た戦線の有様を、遺族や生存者(負傷して捕虜となってしまった)から聞き取り調査をしてまとめられたものである。
日本側からの映画が「硫黄島からの手紙」と題するように、守備隊の最高指揮官である栗林忠道将軍はこまめに家に手紙を書いた人である。
空襲への注意、家庭生活への細かい差配や家族への温かい心配りなどなど…一人の夫として、父として、最後まで心は本土へ向いていた。
従って、自分の部下にも手紙を書けと奨励した人だった。
それはいずれ遺書代わりになるのだと、彼は承知していたからだ。
現実にそうなったのだ。
家族の写真や、家族に当てて書いたものの出せないままに身につけて果てた手紙が、多くの遺骨から見つかったという。(そして米軍はそーゆーものを回収しているのだ。そういうものも資料にするんだろうね。後になって差し出して、遺族探しをしてはいるが…遺族が名乗り出ないままの手紙=遺書もあるという。)
しかし、なんと言うか…あの時代でも、目のある人はちゃんといたのだなぁ。
アメリカと戦争をしてはならぬと最初から訴える人がいた。
だが、大本営は失敗を教訓にすることもなく、同じ過ちを何度も何度も繰り返し、戦場に無駄に命を散らせている。
硫黄島の陥落は昭和20年の3月26日。
栗林将軍の戦死をもってその日とする。
硫黄臭の地熱で蒸れる地下に迷路を掘り、ゲリラ戦を敢行し、最後まで生き抜いて米軍を悩ませれば【和平交渉に有利である】と信じ、また、硫黄島が制圧されればBー29は日本本土への空襲がやり易くなる。
それを妨げる為に、本土の民間人を守るために、軍人である自分達がここで戦うのだと、最後まで戦うのだと、だから無駄な突撃や自殺行為は絶対にしては成らぬと、そういって部下を励ました人だった。
その部下は、戦争も末期になって徴兵されているのだから、40歳をとうに越した、家族もちの所帯主であったり、15〜7歳の学徒動員であったりしたという。
つまり訓練の行き届いた職業軍人ではなかったということだ。
家族の写真や手紙を…大事に抱いたまま、散っていったのは、そういう人たちだったのだ。
だが、彼らは猛者ぞろいの米国海兵隊をして【イオウジマ】と畏れられる程の激戦を展開した。
すべてはこれ、本土の家族を思ってのことであると。(つまり、よくある、"天皇陛下のおんため"でないところが特徴である)
硫黄島は、米軍が考えたより遥かに悲惨な犠牲をささげ、そうして落ちた。
地獄の島、とアメリカ海兵隊が畏怖と敬意をもって呼んだのはその由縁である。
あのブッシュ現アメリカ大統領が、イラク戦の始まりに言った言葉で、この戦いがどれぐらい重要で厳しくて、だが勝てば官軍…じゃなくて偉大な勝利を手にすることが出来るか、みたいなことを滔滔と述べたその時に、引き合いに出されたのが、【ノルマンディー上陸作戦】と、この【硫黄島攻略戦】であったという。
それぐらい、アメリカ人の頭の中、否、DNAの中まで、硫黄島の単語は畏怖を伴ってインプットされているようなのだ。
…だけど、日本人は知らない。
何も知らない。
日本では、戦争は封印されている。
だから、栗林将軍がどのような人であり、どのように戦ったか。
それは知らされない。
反して、米軍を徹底的に苦しめた栗林の名前は、米国軍では知らぬものがなかったという。
捕虜になった者達も、「イオウジマ・ソルジャー」と呼ばれ、米軍の、彼らを見る目が違ったという。
…というのが、大雑把な、日本側での戦いであろうか。
そして一方、その苦しい戦いを戦い抜いた米軍の、6人の兵士がやたらでかい星条旗(理由もこの本に書かれていた)を掲揚しようとしている写真…のドラマ。それがアメリカ側の戦いである。
なにか、謎が、あるんですってよ。
現在、硫黄島は民間人は立ち入り禁止。(遺族等関係者の訪問は許されている)
自衛隊の施設があるだけである。
そして。
軍事同盟の相手である米軍も、勿論、訓練に同島を利用している。
水のない、灼熱の島で苦しみながら戦った、彼らの遺骨の上で。
ISBN:4104774014 単行本 梯 久美子 新潮社 ¥1,575
読み出したら止らない。
これは、そういう本だ。
気がつけば、本屋の店頭目立つところに、似たような本がずらずらと並んでいる。
何事かと思っていたら、近々公開の映画で、第二次世界大戦での、硫黄島での戦いを扱った映画があるので、その宣伝とブームに乗ろうという、本屋の経営戦略であった。
映画では、
「アメリカから見た硫黄島攻略戦」
と、
「日本からみた硫黄島守備戦」
に分けて二本、上映するとのこと。
ふぅむ、なるほどね。
監督はクリント・イーストウッド…。
西部のガンマンがどんな映画を作ったのやら。
この本は、日本の守備隊(陸・海軍)から見た戦線の有様を、遺族や生存者(負傷して捕虜となってしまった)から聞き取り調査をしてまとめられたものである。
日本側からの映画が「硫黄島からの手紙」と題するように、守備隊の最高指揮官である栗林忠道将軍はこまめに家に手紙を書いた人である。
空襲への注意、家庭生活への細かい差配や家族への温かい心配りなどなど…一人の夫として、父として、最後まで心は本土へ向いていた。
従って、自分の部下にも手紙を書けと奨励した人だった。
それはいずれ遺書代わりになるのだと、彼は承知していたからだ。
現実にそうなったのだ。
家族の写真や、家族に当てて書いたものの出せないままに身につけて果てた手紙が、多くの遺骨から見つかったという。(そして米軍はそーゆーものを回収しているのだ。そういうものも資料にするんだろうね。後になって差し出して、遺族探しをしてはいるが…遺族が名乗り出ないままの手紙=遺書もあるという。)
しかし、なんと言うか…あの時代でも、目のある人はちゃんといたのだなぁ。
アメリカと戦争をしてはならぬと最初から訴える人がいた。
だが、大本営は失敗を教訓にすることもなく、同じ過ちを何度も何度も繰り返し、戦場に無駄に命を散らせている。
硫黄島の陥落は昭和20年の3月26日。
栗林将軍の戦死をもってその日とする。
硫黄臭の地熱で蒸れる地下に迷路を掘り、ゲリラ戦を敢行し、最後まで生き抜いて米軍を悩ませれば【和平交渉に有利である】と信じ、また、硫黄島が制圧されればBー29は日本本土への空襲がやり易くなる。
それを妨げる為に、本土の民間人を守るために、軍人である自分達がここで戦うのだと、最後まで戦うのだと、だから無駄な突撃や自殺行為は絶対にしては成らぬと、そういって部下を励ました人だった。
その部下は、戦争も末期になって徴兵されているのだから、40歳をとうに越した、家族もちの所帯主であったり、15〜7歳の学徒動員であったりしたという。
つまり訓練の行き届いた職業軍人ではなかったということだ。
家族の写真や手紙を…大事に抱いたまま、散っていったのは、そういう人たちだったのだ。
だが、彼らは猛者ぞろいの米国海兵隊をして【イオウジマ】と畏れられる程の激戦を展開した。
すべてはこれ、本土の家族を思ってのことであると。(つまり、よくある、"天皇陛下のおんため"でないところが特徴である)
硫黄島は、米軍が考えたより遥かに悲惨な犠牲をささげ、そうして落ちた。
地獄の島、とアメリカ海兵隊が畏怖と敬意をもって呼んだのはその由縁である。
あのブッシュ現アメリカ大統領が、イラク戦の始まりに言った言葉で、この戦いがどれぐらい重要で厳しくて、だが勝てば官軍…じゃなくて偉大な勝利を手にすることが出来るか、みたいなことを滔滔と述べたその時に、引き合いに出されたのが、【ノルマンディー上陸作戦】と、この【硫黄島攻略戦】であったという。
それぐらい、アメリカ人の頭の中、否、DNAの中まで、硫黄島の単語は畏怖を伴ってインプットされているようなのだ。
…だけど、日本人は知らない。
何も知らない。
日本では、戦争は封印されている。
だから、栗林将軍がどのような人であり、どのように戦ったか。
それは知らされない。
反して、米軍を徹底的に苦しめた栗林の名前は、米国軍では知らぬものがなかったという。
捕虜になった者達も、「イオウジマ・ソルジャー」と呼ばれ、米軍の、彼らを見る目が違ったという。
…というのが、大雑把な、日本側での戦いであろうか。
そして一方、その苦しい戦いを戦い抜いた米軍の、6人の兵士がやたらでかい星条旗(理由もこの本に書かれていた)を掲揚しようとしている写真…のドラマ。それがアメリカ側の戦いである。
なにか、謎が、あるんですってよ。
現在、硫黄島は民間人は立ち入り禁止。(遺族等関係者の訪問は許されている)
自衛隊の施設があるだけである。
そして。
軍事同盟の相手である米軍も、勿論、訓練に同島を利用している。
水のない、灼熱の島で苦しみながら戦った、彼らの遺骨の上で。
ISBN:4104774014 単行本 梯 久美子 新潮社 ¥1,575
コメント