阪神ファンと仏のこころ
2006年10月11日 読書
昨日、10月10日(火)
中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝を決めた。
こんな因果な日に、私はこんな本を読み出していた…。
著者は仏教研究家なので、こんな題名がついている。
そして、2002年の夏に出版されているから阪神が優勝を逃した(というか星野仙一監督の最初のシーズンだったというべきか)、その年である。
まだ勝てない、否、買っていない阪神タイガースに、仏の心を見る、著者。
それは競争社会が苛烈化し、弱肉強食のケダモノ時代に入った日本社会への戒め・警鐘でもあった。
「勝てばいい」という考え方。
⇒負けたものには存在価値はない。
・人生を送る価値がないとでも言うのか?
・勝者はほんの一握り・弱者がほとんどを占めているのが社会の現状である。
…ほとんどの、その日本人は今の社会に辟易している。
例えば、野球にたとえるならば巨人がそう。
・勝てばいいと、金と権力とに物を言わせ、どんどん優秀(と思われる)選手を採る。
・勝てなければ、ドラフトもルールもどんどん権力にモノをいわせて変更してゆく。
「勝てばいい」で、このやり方で、本当に野球が面白くなるのか?
実際には、面白くなくなっただろう?
そういうことなのだと。
例えば、オリンピックの精神というもの。
「NOT TO WIN BUT TO TAKE PART」
は、"勝つことではなく参加することに意義がある"
と訳されているが、実は、
"勝つことではなく、役割を果すことに意義がある"
ではないか。
勝ち負けではなく、どんな社会のどんな場所であっても、たとえ勝負に拘ることのない場所であったとしても、それがいけないとかおかしいとか、勝負に参加しないことが悪であるかのような考え方こそがおかしいのだと。
健全な社会にはそういう場所こそ必要なのであると、これはまた仏教者(研究家)からの視点である。
また、負けたものは価値がないとか、そういう考え方は、「人間は死ねばゴミになる」というのと同じである。
そういう考え方をするものは、生きている日一日、ゴミになりつつある。
そう思っている。
人生をゴミになる道程として捉えている。
そうではない。
「人は死んだら仏になる」
のだ。
負けたから、敗者だからゴミになるのではない。
今の社会でいうところの勝者でなくても、決して意味のない、取るに足らない命ではない。
人は、年をとって、力弱くたとえ貧しくても、決してゴミではない、ゴミになるのでもない。
敗者で年をとって美しくなくなって力弱く貧しいからゴミだと、そう思うからゴミになるのだ。
阪神ファンであるということで、そりゃもう阪神本意の意見も多々出てくる(それは当たり前だし(笑))。
仏教者のわりには…と加熱することもしばしば。(研究家だからいいのか)(笑)
でも、今の社会に憤然としていることは良く伺われる。
ただ、阪神が翌2003年に優勝し(星野監督)、
2005年にはまた優勝(岡田監督)。
今年は惜しいところで(先日)中日に優勝を決められてしまったが、落合監督の胴上げコメントで涙ながらの言葉とともに「阪神の追い上げ」についても言及があったことで…
まあ…今回はこれぐらいにしておいてやろうか、とふるいギャグで締める私も、勿論、阪神ファンである。
*蛇足だけど…
実は、私の主治医は井川先生と仰る。
で、今回の手術をしてくださった主治医は落合先生と仰った。
専門医の方がいいということで井川先生⇒落合先生とバトンタッチされたのだが、二人は大学で同期で親友同士…。
こんなことに因縁を感じ、しみじみするのは私だけだろうか…?
(井川選手がアメリカの大リーグに行っちゃったら消滅する因縁だから今しか通じない話だ)
ISBN:4094160140 文庫 ひろ さちや 小学館 ¥520
中日ドラゴンズがセ・リーグ優勝を決めた。
こんな因果な日に、私はこんな本を読み出していた…。
著者は仏教研究家なので、こんな題名がついている。
そして、2002年の夏に出版されているから阪神が優勝を逃した(というか星野仙一監督の最初のシーズンだったというべきか)、その年である。
まだ勝てない、否、買っていない阪神タイガースに、仏の心を見る、著者。
それは競争社会が苛烈化し、弱肉強食のケダモノ時代に入った日本社会への戒め・警鐘でもあった。
「勝てばいい」という考え方。
⇒負けたものには存在価値はない。
・人生を送る価値がないとでも言うのか?
・勝者はほんの一握り・弱者がほとんどを占めているのが社会の現状である。
…ほとんどの、その日本人は今の社会に辟易している。
例えば、野球にたとえるならば巨人がそう。
・勝てばいいと、金と権力とに物を言わせ、どんどん優秀(と思われる)選手を採る。
・勝てなければ、ドラフトもルールもどんどん権力にモノをいわせて変更してゆく。
「勝てばいい」で、このやり方で、本当に野球が面白くなるのか?
実際には、面白くなくなっただろう?
そういうことなのだと。
例えば、オリンピックの精神というもの。
「NOT TO WIN BUT TO TAKE PART」
は、"勝つことではなく参加することに意義がある"
と訳されているが、実は、
"勝つことではなく、役割を果すことに意義がある"
ではないか。
勝ち負けではなく、どんな社会のどんな場所であっても、たとえ勝負に拘ることのない場所であったとしても、それがいけないとかおかしいとか、勝負に参加しないことが悪であるかのような考え方こそがおかしいのだと。
健全な社会にはそういう場所こそ必要なのであると、これはまた仏教者(研究家)からの視点である。
また、負けたものは価値がないとか、そういう考え方は、「人間は死ねばゴミになる」というのと同じである。
そういう考え方をするものは、生きている日一日、ゴミになりつつある。
そう思っている。
人生をゴミになる道程として捉えている。
そうではない。
「人は死んだら仏になる」
のだ。
負けたから、敗者だからゴミになるのではない。
今の社会でいうところの勝者でなくても、決して意味のない、取るに足らない命ではない。
人は、年をとって、力弱くたとえ貧しくても、決してゴミではない、ゴミになるのでもない。
敗者で年をとって美しくなくなって力弱く貧しいからゴミだと、そう思うからゴミになるのだ。
阪神ファンであるということで、そりゃもう阪神本意の意見も多々出てくる(それは当たり前だし(笑))。
仏教者のわりには…と加熱することもしばしば。(研究家だからいいのか)(笑)
でも、今の社会に憤然としていることは良く伺われる。
ただ、阪神が翌2003年に優勝し(星野監督)、
2005年にはまた優勝(岡田監督)。
今年は惜しいところで(先日)中日に優勝を決められてしまったが、落合監督の胴上げコメントで涙ながらの言葉とともに「阪神の追い上げ」についても言及があったことで…
まあ…今回はこれぐらいにしておいてやろうか、とふるいギャグで締める私も、勿論、阪神ファンである。
*蛇足だけど…
実は、私の主治医は井川先生と仰る。
で、今回の手術をしてくださった主治医は落合先生と仰った。
専門医の方がいいということで井川先生⇒落合先生とバトンタッチされたのだが、二人は大学で同期で親友同士…。
こんなことに因縁を感じ、しみじみするのは私だけだろうか…?
(井川選手がアメリカの大リーグに行っちゃったら消滅する因縁だから今しか通じない話だ)
ISBN:4094160140 文庫 ひろ さちや 小学館 ¥520
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