京都の不思議 つづき
2006年10月10日 読書
病院で点滴している4時間ちょっとの間に、読了。
途中時々熟睡してましたけど(笑)
知らないことも多かったけど、楽しかった。
詳細は後日に補足します
《補足》
…ということで補足します(笑)
【京都市内の区分】
・平安京…左京・右京
⇒右京の没落・左京の隆盛
⇒左京中心に南北が長くなる
・室町時代…上(御所のあるほう)・下(南のほう)に分かれる
⇒三代将軍足利義満による花の御所の造営のため
⇒「上」には公家屋敷・武家屋敷、それらに関わる御用商人・有職技術者が集中し、「下」には商家・町人など町衆が集まる
⇒やがて上京・下京の呼び名が生まれる
・16世紀…上京:120町、下京:66町の町名あり。それぞれの公会堂の役割を果したのが、「一条革堂」と「六角堂」である。今はどちらも中京区に存在する。(⇒後日、上京と下京の真ん中あたりを囲って新しく中京区が発足したため)
・昭和4(1929)年…中京区・左京区・東山区誕生(全5区)
・昭和6(1931)年…右京区・伏見区誕生(全7区)
・昭和30(1955)年…北区(上京から分離)・南区(下京から分離)誕生(全9区)
・昭和51(1976)年…山科区・西京区誕生(全11区)
現在に到る。
…で、生粋の京都人であるおばーちゃんの中には、「うちは上京え、中京なんかとは違いますんえ〜」という方もいる。
というのも、中京区は77年前にできたばかりの新参者だからである。
いわんや、今でもわりと多くの京都人が、山科(現実問題市内中心部からは"山の向こう"だし)や西京区に対しどういう感情を心の底に抱いているかは…察せられよう(居住者の皆様ごめんなさい)
【第二次世界大戦中の空襲】
京都には、空襲がなかった、というのが俗説だけど、そうではない。
在ったのだよ。実は。
しかも、アメリカで発見された原爆投下予定地図(作戦地図)には京都が目標になっていた。
場所は梅小路機関車で、盆地ゆえに南北とどこおりなくすべてに爆発の影響がー火災と放射能となんやかや、悪魔の手先成るものーが及ぼすであろうと言う悪魔の論理によって。
京都潰滅劇を描いていたらしい。
文化財があるから大丈夫、空襲地図の予定外にあった、というのは大きな間違いであるらしい。
……あぶないあぶない。
私、生まれてこないところだったよ。
そして、空襲はあった。
・昭和20(1945)年1月16日深夜…東山区馬町(死者41人、負傷者48人、被害家屋316戸)(戦後調査)
・同3月19日…右京区
・同3月22日…北区
・同5月11日…上京区・右京区(御所春興殿にも落ちた)
・同6月22日早朝…上京区西陣出水〜正親地区(死者50人・負傷者66人・被害家屋292棟)(当時の医師の証言では負傷者は300人以上)
だがしかし、情報(ラジオ)では軽微な被害、としか伝えられなかったらしい。
ちなみに、上京区下立売通智恵光院西入るにある「山中商店」にはショーウインドウのなかに、商品とともに西陣空襲の爆弾の破片も展示されているそうだ。(知りませんでした)
【地蔵盆】
受難の時代があったのだなぁ…と改めて認識。
というのは、
壬生寺のお地蔵さんは、10年ほど前までは露天に山のようになってお祭されたいたのだが、養老院建設とか寺内の整備とかで消えてしまった。
今はどこか室内にでもひっそりと在るのだろうか?
町年寄が自宅に避難…まるで隠れナントカみたいですね。
隠れきしりたんとか、数年前までの隠れタイガースファン(地方に多かった)とか…(笑)
嗚呼お地蔵さん、ウチの町内も地蔵盆の時だけ借りてきてますが…ご近所にはお地蔵さんの立派な祠があって、常に供物や蝋燭やお線香やが捧げられてます。
お年寄りや勿論、いまでも通りがかりに拝んで通る、それが京都市内のごくごく普通の光景ですね。
【春雨の謎】
「春雨じゃ濡れてゆこう」
は月形半平太が京都・三条の宿を出るときの科白である。
この解釈は、
「春雨だから、風流に濡れていこう」、というのが優勢なのだが、実は違う。
「京都の春雨のような横から降り込んでくる霧雨のような雨では所詮傘をさしても無駄。いっそ傘無しで行こう」という意味らしい。
性悪な気象ですんませんな。
映画「古都」でもあったように、今まで晴天見事な晴れ、だったのがいきなり霧雨がざーっと降ってきたり、またそれがからっと晴れ渡ったり、京都の気候は【京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象】と、気象学的には分類されるそう…。
ほかにも、へー、ほー、と感心することしきり。
昔の、貴方の知らない京都に出会えますぞ。
(愛宕山にケーブルは残してほしかったなぁ)
ISBN:4270100648 文庫 黒田 正子 ランダムハウス講談社 ¥735
途中時々熟睡してましたけど(笑)
知らないことも多かったけど、楽しかった。
詳細は後日に補足します
《補足》
…ということで補足します(笑)
【京都市内の区分】
・平安京…左京・右京
⇒右京の没落・左京の隆盛
⇒左京中心に南北が長くなる
・室町時代…上(御所のあるほう)・下(南のほう)に分かれる
⇒三代将軍足利義満による花の御所の造営のため
⇒「上」には公家屋敷・武家屋敷、それらに関わる御用商人・有職技術者が集中し、「下」には商家・町人など町衆が集まる
⇒やがて上京・下京の呼び名が生まれる
・16世紀…上京:120町、下京:66町の町名あり。それぞれの公会堂の役割を果したのが、「一条革堂」と「六角堂」である。今はどちらも中京区に存在する。(⇒後日、上京と下京の真ん中あたりを囲って新しく中京区が発足したため)
・昭和4(1929)年…中京区・左京区・東山区誕生(全5区)
・昭和6(1931)年…右京区・伏見区誕生(全7区)
・昭和30(1955)年…北区(上京から分離)・南区(下京から分離)誕生(全9区)
・昭和51(1976)年…山科区・西京区誕生(全11区)
現在に到る。
…で、生粋の京都人であるおばーちゃんの中には、「うちは上京え、中京なんかとは違いますんえ〜」という方もいる。
というのも、中京区は77年前にできたばかりの新参者だからである。
いわんや、今でもわりと多くの京都人が、山科(現実問題市内中心部からは"山の向こう"だし)や西京区に対しどういう感情を心の底に抱いているかは…察せられよう(居住者の皆様ごめんなさい)
【第二次世界大戦中の空襲】
京都には、空襲がなかった、というのが俗説だけど、そうではない。
在ったのだよ。実は。
しかも、アメリカで発見された原爆投下予定地図(作戦地図)には京都が目標になっていた。
場所は梅小路機関車で、盆地ゆえに南北とどこおりなくすべてに爆発の影響がー火災と放射能となんやかや、悪魔の手先成るものーが及ぼすであろうと言う悪魔の論理によって。
京都潰滅劇を描いていたらしい。
文化財があるから大丈夫、空襲地図の予定外にあった、というのは大きな間違いであるらしい。
……あぶないあぶない。
私、生まれてこないところだったよ。
そして、空襲はあった。
・昭和20(1945)年1月16日深夜…東山区馬町(死者41人、負傷者48人、被害家屋316戸)(戦後調査)
・同3月19日…右京区
・同3月22日…北区
・同5月11日…上京区・右京区(御所春興殿にも落ちた)
・同6月22日早朝…上京区西陣出水〜正親地区(死者50人・負傷者66人・被害家屋292棟)(当時の医師の証言では負傷者は300人以上)
だがしかし、情報(ラジオ)では軽微な被害、としか伝えられなかったらしい。
ちなみに、上京区下立売通智恵光院西入るにある「山中商店」にはショーウインドウのなかに、商品とともに西陣空襲の爆弾の破片も展示されているそうだ。(知りませんでした)
【地蔵盆】
受難の時代があったのだなぁ…と改めて認識。
というのは、
明治4(1871)年から5年にかけて、京都府から「地蔵取除令」「祭祀禁止令」が出され、町中の地蔵やお堂が処分され、お盆の施餓鬼も送り火も、盆踊りも地蔵盆も禁止された。石地蔵が集められ、石垣や小学校建築の柱石に転用された令は多いそうだ。それでも人々は町のお地蔵さんを壬生寺に預けたり、地中に埋めたり、井戸の中に避難させたり、また町年寄が自宅内にかくまったりして、廃仏毀釈のほとぼりが過ぎるのを待った。
壬生寺のお地蔵さんは、10年ほど前までは露天に山のようになってお祭されたいたのだが、養老院建設とか寺内の整備とかで消えてしまった。
今はどこか室内にでもひっそりと在るのだろうか?
町年寄が自宅に避難…まるで隠れナントカみたいですね。
隠れきしりたんとか、数年前までの隠れタイガースファン(地方に多かった)とか…(笑)
嗚呼お地蔵さん、ウチの町内も地蔵盆の時だけ借りてきてますが…ご近所にはお地蔵さんの立派な祠があって、常に供物や蝋燭やお線香やが捧げられてます。
お年寄りや勿論、いまでも通りがかりに拝んで通る、それが京都市内のごくごく普通の光景ですね。
【春雨の謎】
「春雨じゃ濡れてゆこう」
は月形半平太が京都・三条の宿を出るときの科白である。
この解釈は、
「春雨だから、風流に濡れていこう」、というのが優勢なのだが、実は違う。
「京都の春雨のような横から降り込んでくる霧雨のような雨では所詮傘をさしても無駄。いっそ傘無しで行こう」という意味らしい。
性悪な気象ですんませんな。
映画「古都」でもあったように、今まで晴天見事な晴れ、だったのがいきなり霧雨がざーっと降ってきたり、またそれがからっと晴れ渡ったり、京都の気候は【京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象】と、気象学的には分類されるそう…。
ほかにも、へー、ほー、と感心することしきり。
昔の、貴方の知らない京都に出会えますぞ。
(愛宕山にケーブルは残してほしかったなぁ)
ISBN:4270100648 文庫 黒田 正子 ランダムハウス講談社 ¥735
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