悪魔のささやき

2006年10月9日 読書
「そんなつもりはなかったのに」
「こんな恐ろしいこと、自分でも良くできた、と思います」

悪魔がささやく。
魔がさす。

どれも同じこと。

他人への暴力だけでなく、自殺して助かった人たちも、「なぜあんなことを?」と思うという。

そんな時、誰かが背中を押している。
最後の一歩を、最後の一線を越えるなにかを、導くものがある。

著者はそれを"悪魔の囁き"と呼ぶのだった。

神経科の医者として修行し、後に作家に転向した著者であるから、精神病としてそれらの実例をいくつも見てきた。
自分が仏蘭西の片田舎に留学してノイローゼになった時もそうだった。
留学したのはパリだったが、実習研修で片田舎にやられちゃったらしい。
日本人どころか、黄色人種が独りもいないような仏蘭西の片田舎に。
周りの人が意地悪だったわけではない。
田舎の人はどこでも素朴で親切な人の割合いが高い。(ひねくれモノが皆無とは言わない)
だが…日本語を封印して、研修だからつまり勉強でしょ?しかも実際に患者を目の前にして…フランス語でやらなきゃいけない。
でも細かいニュアンスが分かるほどフランス語に習熟していないし…と見事にノイローゼ。
そして気晴らしにパリに出たら、ちょっと留守をした時に車に積んでいた大事な資料(研修記録やらなにやら)をごっそり泥棒にやられ、そのまま車で行方を定めず放浪の旅に出てしまったという。
で、事故死の多い峠で同様に事故をおこし、崖から車ごと40〜50m下にダイビング…ところがそこには浅い沼が。
奇跡的に怪我ひとつなく、命拾いしたという。
そこで居直って、何かが吹っ切れたように元気になったらしいのだが、また数カケ月たってうっとおしい来たヨーロッパの冬が来たらずぶずぶと落ち込んでいったらしい。
そういうものなんだと。
著者の場合は、痛め付けられて限界に来ていた神経に、盗難という事件が背中を押してしまった。
本当なら死んでいたところだ。

自殺にしても。
たまたま同調者がネットにいたから。
それがなければ、ふっと我に返って、「なんでそんなことを考えたんだろう?」と思っていたかもしれないのに。
たまたまそこにナイフあったから。

そして。
現代人は"キレやすく"、衝動的である。
ヒステリックに喧嘩をし、しょうもない(些細な)ことで声を荒げ、手を挙げ、蹴り飛ばし、果ては、"そこにたまたまあった凶器で"人を傷つける。

特に日本人は、江戸の末期に外国から持ち込まれた西洋文明を咀嚼も程ほどに受け入れ、今度は第二次大戦後にやはりアメリカからもちこまれた民主主義を、その使用説明書を熟読せずに乱雑に取り扱っている。
この間の戦争(といっても、別に応仁の乱ではない)(笑)の時もそうだったが、"個"を育てることもせず(できず)、その場その場の流れや風潮や雰囲気に流されやすい国民性を創り上げてしまったのが今の日本である。

だから、多すぎる。
悪魔に囁かれ、自制が効かずに突っ走ってしまう人間が、この国には多すぎる。
悪魔とは、現代では、人の余裕のなさとか、(個が自分で確立できない)幼稚さとか、そういうところに潜んでいる。

どんな人間でも、悪魔に囁かれ、取り返しのつかないことをしでかしてしまう。
悪魔が狙っているのは特殊な人ではない。
あなた。
そしてあなた。

そして、その悪魔を育てるのは、自分自身なのだ。
撃退法を、学びなさい。


ISBN:4087203549 新書 加賀 乙彦 集英社 ¥714

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