ガセネッタ&(と)シモネッタ
2006年10月7日 読書
本年、亡くなったロシア語通訳者にして作家の著者。
エッセイから作家へと、広い視野と独特の語り口調で"面白い読み物が出てきた!"と期待したのもつかの間の、残念なことであった。
彼女のもともとの職業(飯の種)はロシア語の同時通訳で、本書もその立場にあって、であったことや思ったことなどを綴る。
ちなみに、同時通訳の報酬は、1日(7時間)で12万円なんだそうだ。
ヒェー!
って感じだけど、著者に言わせると、口止め料も入っているらしい…そりゃそうだ(笑)
トクダネに接して「ああ!言いたい!誰かに言いたい!」というジレンマも珍しいことではないという。
ただ、外務省など、国家規模の秘密会議なんかでは、外務省専属の通訳がつくのだと。
ちぇっ、な〜んだ(笑)
目次はおしゃれに高級レストラン風。
Un Saluto dallo Chef(シェフからのご挨拶)
Aperitivo(食前酒)
Antipasti(前菜)
Primi Piatti(第一の皿)
Vino Bianco(白ワイン)
Secondi piatti(第二の皿)
Insalata Russa(ロシア風サラダ)
Vino Rosso(赤ワイン)
Formaggi(チーズ)
Dessert(デザート)
Caffe(コーヒー)
Digestivo(食後酒)
と話は進む。
私はもう普通のフランス料理のコースでも、全部食べられらない人間なので、おなかが一杯になってしまった(笑)
それぐらいに中身が濃い。
小学校半ばから中学2年までプラハで過ごし、お陰でロシア語への導入がスムーズにでき、通訳と言う異なった言語を"私が繋げる"という快感に目覚め通訳の職を選んだ著者は、日本語への愛着(執着?)も強い。
それが証拠に彼女の書くものを読んでいると、普通は使わない漢字だの慣例句だの表現だのをよく使っているのに気がつく。
それを読んでいると、吃驚することもあるが、快感も覚える。
自分がその、ちょっと古風な、かしこまった言葉に対応できることが嬉しいのかもしれない。
言葉の意味を汲み取って、訳をするのが通訳。
だから、外来語ですらないカタカナ語や省略語を連発されると、文章の意味が通じなくなるという。
…が、それ以前に、問題はある。
日本語を母国語にしている私達が、今どきの(というかここ10年来の)若者の、カタカナ語や省略語のみで繋がれた(日本語であろう)言葉を理解できない。
(ついでに言うならネット言葉や顔文字も理解不能なものがある。無理して理解する気もないけど。)
以前見たテレビの企画では、3人ばかりの女子学生の高校時代の会話を録画したものを、5年後に本人に見せたところ、「なにをいっているのか理解できない」と言っていた。
喋っている本人が、そういうのだから、私がわからないのも当然ではないか。
言葉って…面倒だけど、面白い。
でなければ、何度も何度も挫折しながらNHKの「○○○語講座」のテキストを買ったり、テレビの「△△△語講座」を必死になって見たりはしないと思う。
こんな私でも、嘗てはドイツ語とスペイン語にトライしたものだ。(何かといえばやたら唄うドイツ語講座、劇はド下手なのになにか笑えるスペイン語講座。面白かったです。)
それを商売にしようと言う人、商売にしている人(つまり通訳者)は、だから、永遠に尊敬の的である。
個性的な人ばかり(でないと通訳なんぞ務まらぬらしい)で吃驚する世界らしいけど。
そりゃぁ、自分が喋る相手国(外国)の考え方、感じ方を自分の中に取り込まないと、意訳なんてできないもんね。
それほどのめりこまないとダメ。
日本人オンリーの感性ではダメ。
だから淡白な性格だとダメ。
だけど、気にしすぎるのもだめ。
誤訳をいつまでもうじうじ気にしていたらやってられない。
スピーカー(喋り手)が言葉にしてから数秒以内に訳した言葉を発しないと意味がないようだし。
大変な職業だ。
だから、一日12万円ってのも頷けてしまう。
ところで、著者曰く、同時通訳者の狙い、というか野望というか、目指すところは、
「スピーカーが笑いを取ったとき、通訳者の力量で、時差なく、その場にいたすべてを笑わせたい」
ということ。
駄洒落とか、お笑いは、各民族によって約束事のようなものが合って、それをいちいち説明しなくても、ネイティブは笑える事になっている。
だけど外国人には分からない。
元の事象をしらないと、それに引っ掛けて駄洒落を言われても何が面白いのかわからない。
それをいかに、時差なく(←これが大変だ)笑わせられるか。
そんなの無理だと思うけど、それは素人の浅はかさ。
同時通訳者はそれを狙って日々鍛錬・精進しているらしいですぞ。
すごい世界だ…。
ISBN:4167671018 文庫 米原 万里 文藝春秋 ¥590
エッセイから作家へと、広い視野と独特の語り口調で"面白い読み物が出てきた!"と期待したのもつかの間の、残念なことであった。
彼女のもともとの職業(飯の種)はロシア語の同時通訳で、本書もその立場にあって、であったことや思ったことなどを綴る。
ちなみに、同時通訳の報酬は、1日(7時間)で12万円なんだそうだ。
ヒェー!
って感じだけど、著者に言わせると、口止め料も入っているらしい…そりゃそうだ(笑)
トクダネに接して「ああ!言いたい!誰かに言いたい!」というジレンマも珍しいことではないという。
ただ、外務省など、国家規模の秘密会議なんかでは、外務省専属の通訳がつくのだと。
ちぇっ、な〜んだ(笑)
目次はおしゃれに高級レストラン風。
Un Saluto dallo Chef(シェフからのご挨拶)
Aperitivo(食前酒)
Antipasti(前菜)
Primi Piatti(第一の皿)
Vino Bianco(白ワイン)
Secondi piatti(第二の皿)
Insalata Russa(ロシア風サラダ)
Vino Rosso(赤ワイン)
Formaggi(チーズ)
Dessert(デザート)
Caffe(コーヒー)
Digestivo(食後酒)
と話は進む。
私はもう普通のフランス料理のコースでも、全部食べられらない人間なので、おなかが一杯になってしまった(笑)
それぐらいに中身が濃い。
小学校半ばから中学2年までプラハで過ごし、お陰でロシア語への導入がスムーズにでき、通訳と言う異なった言語を"私が繋げる"という快感に目覚め通訳の職を選んだ著者は、日本語への愛着(執着?)も強い。
それが証拠に彼女の書くものを読んでいると、普通は使わない漢字だの慣例句だの表現だのをよく使っているのに気がつく。
それを読んでいると、吃驚することもあるが、快感も覚える。
自分がその、ちょっと古風な、かしこまった言葉に対応できることが嬉しいのかもしれない。
言葉の意味を汲み取って、訳をするのが通訳。
だから、外来語ですらないカタカナ語や省略語を連発されると、文章の意味が通じなくなるという。
…が、それ以前に、問題はある。
日本語を母国語にしている私達が、今どきの(というかここ10年来の)若者の、カタカナ語や省略語のみで繋がれた(日本語であろう)言葉を理解できない。
(ついでに言うならネット言葉や顔文字も理解不能なものがある。無理して理解する気もないけど。)
以前見たテレビの企画では、3人ばかりの女子学生の高校時代の会話を録画したものを、5年後に本人に見せたところ、「なにをいっているのか理解できない」と言っていた。
喋っている本人が、そういうのだから、私がわからないのも当然ではないか。
言葉って…面倒だけど、面白い。
でなければ、何度も何度も挫折しながらNHKの「○○○語講座」のテキストを買ったり、テレビの「△△△語講座」を必死になって見たりはしないと思う。
こんな私でも、嘗てはドイツ語とスペイン語にトライしたものだ。(何かといえばやたら唄うドイツ語講座、劇はド下手なのになにか笑えるスペイン語講座。面白かったです。)
それを商売にしようと言う人、商売にしている人(つまり通訳者)は、だから、永遠に尊敬の的である。
個性的な人ばかり(でないと通訳なんぞ務まらぬらしい)で吃驚する世界らしいけど。
そりゃぁ、自分が喋る相手国(外国)の考え方、感じ方を自分の中に取り込まないと、意訳なんてできないもんね。
それほどのめりこまないとダメ。
日本人オンリーの感性ではダメ。
だから淡白な性格だとダメ。
だけど、気にしすぎるのもだめ。
誤訳をいつまでもうじうじ気にしていたらやってられない。
スピーカー(喋り手)が言葉にしてから数秒以内に訳した言葉を発しないと意味がないようだし。
大変な職業だ。
だから、一日12万円ってのも頷けてしまう。
ところで、著者曰く、同時通訳者の狙い、というか野望というか、目指すところは、
「スピーカーが笑いを取ったとき、通訳者の力量で、時差なく、その場にいたすべてを笑わせたい」
ということ。
駄洒落とか、お笑いは、各民族によって約束事のようなものが合って、それをいちいち説明しなくても、ネイティブは笑える事になっている。
だけど外国人には分からない。
元の事象をしらないと、それに引っ掛けて駄洒落を言われても何が面白いのかわからない。
それをいかに、時差なく(←これが大変だ)笑わせられるか。
そんなの無理だと思うけど、それは素人の浅はかさ。
同時通訳者はそれを狙って日々鍛錬・精進しているらしいですぞ。
すごい世界だ…。
ISBN:4167671018 文庫 米原 万里 文藝春秋 ¥590
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