著者が47歳から初めて飼い始めた、柴犬のハラス(1972.6.10.-1985.5.15.)
なんと血統書つき(!)の純粋な(?)日本犬である。

その時からハラスは家族となり、ほかの何ものにも変えがたい存在となった。
失踪や喧嘩、病気などさまざまな事件を過ごして13年間、ハラスと過ごした日々は輝いていた。

生き物は、死ぬ。
特に動物はたいてい人間より先に老い、死ぬ。
それは分かっている。
だから、人は、やがて老いることを目の当りにし、命の永遠ならざるを知り、命の尊厳を思って、他者へのいたわりを知るのだ。

だけど、最近は流行で犬を飼いますよね。
著者も書いている。
テレビで流行った、CMで流行った、人気俳優が飼っていた……でも、貴方が飼うのは"流行"ではなく、"命"だってこと、忘れなさんな。

動物を飼えば、長期旅行なんてとんでもない!
それと引き換えにしても飼いたい人だけが飼いなさい。
それと、散歩させるのが嫌なら、犬なんて飼うな。
某作家(犬好き)は
「散歩させないなら、保健所にやれ」
と過激な発言をしている。
それぐらい、動物の"生"を思いやり、一大決心してから飼いなさい、ということだ。

本書は、子供向きに書き直された本だということで、文章がとっても平易である。
ま、大人が読めないほどではない。
犬を愛する、この、ハラスという犬を愛する著者の心が痛いほどに伝わってくる。

雪山で失踪してしまったハラスを必死で探す著者夫婦の気持ちは痛いほどに分かる。

母親が以前飼っていた紀州犬のことである。

この本ではストレスからハラスを襲うとんでもない紀州犬がでてくるのでひやっとした。
紀州犬というのは猟犬だもんな…ガタイもでかいので柴犬では対抗できまい。
しかも老いた柴犬では。

…で、飼っていた、その紀州犬(オス)だが、あまりに精悍で力が余っているため、叔父の家に預けられることになった。
叔父は冬季、狩猟をする。
獲物は猪。
猪は、ご存知の通り、畑を荒らす、害獣なのである。
もともと彼は叔父の家で生まれた犬で、両親と兄弟のいる実家に帰ったわけなのだが…
馴染まなかったらしい(笑)
ある日行方不明になった。

その1週間後、母の家に現れたのだ。
それこそのまず喰わずで痩せきって。

母は最初、他犬だとおもったらしい。
叔父の家からは山を幾つも越えねばならない。
まして、もらってきた時は子犬、今回預けるときは車で連れて行ったのだから、そのルートが分かるはずがない。
なのになのに。

匂い…はない。
そうやって、方向を、道を知るのだろうか?
犬って不思議だ。

母の与えた水を、それはもうがふがふとすごい勢いで飲んだそうだ。
道中、水すら口にしなかったんだね…。

しばらく母の元にいた彼も、再び叔父の元へ預けられることになった。
行きたくないと哀しげに鳴いてはいたらしいが、そうできぬ事情もあり、叔父の元で兄弟と喧嘩しながら、私の従兄弟の子供のいい遊び相手になりながら暮らしていたという。

大猪の牙にやられて、失血死するまでは。

一度きりしか会えなかった彼だったけど、やはり悲しかった。
抱きしめてやりたかった。
じーさんになるまで、生きていてほしかった。

他者への思いやり、自分以外の命に対する思いやり。
それは動物と触れることで一層膨らむものだと思っている。


ISBN:4591074595 単行本 中野 孝次 ポプラ社 ?683

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索