IT世間につながれた現代人
…というのが副題で、成る程ほほ〜と思ううちに読了。
ITって最新最先端だと思っていたけれど、日本においては違っていた。
大人な社会、個人を確立できている欧米などの社会では、"個人"がしっかりしているから、最新最先端のすばらしき技術だ。
だが、日本は違う。
IT(特にケータイ)に首輪をつけられて、振り回されている。
しょっちゅうメールをするのは、そうしてどこかのグループに繋がっていないと安心できないからだ。
そうか。
小学生のいじめ、グループからの村八分、それといっしょなんだ。
常にメールで連絡を取り合って、どんなにしょーもない情報でも知っていないと話ができない、話をしてもらえない、グループからつまはじきにされる、だから、必死でメールを返し続ける。
あの、男女構わず、ところ構わず(病院でも平気でやっている。病院だよ!病院!)メールを打ち続けるあの姿。
顔は鬼のように、一点を見つめて心ここにあらず。
鬼気迫って怖いと思ったらそういう理由かい。
自分だけが、どんなしょーもない話でも、情報が回ってきてない(メールで教えてもらえない)となると、即座に村八分気分なんだってさ。
それが怖いんだってさ。
その渦中にいて周りが見えてない中毒者には悪いけど(悪くはないか)、笑ってしまった。
日本における、ケータイって、そういうものだったのか。
…で、そういう現象を、サルであると。
ケータイを初めとするIT技術で世界に羽ばたいた…かと思ったら、とんでもない。
精神的に大人になりきれない日本人の若者は同類の溜まり場のなかをふらふら〜と漂っているだけなのだ。
それはサルと一緒だと。
あんたたち、先祖がえりしてますよ、と。
また、所かまわずに(特に車中で)ケータイを使う、化粧をする、食事をする…というのは、そこに"自分だけの空間"があると錯覚している、思い込みたがっているからなのだと。
家にいるのと同じ感覚。
バリアーを張って、殻に閉じ篭っているのだ。
周りには誰もいない誰もいない、私だけ、と自己催眠でもかけてるのかね?
つまりは、他人の中にいる、という緊張感が保てないらしい。
だから、すぐ座りたがるし、立っていても海月かあんたは?というような立ち姿になったりするんですね。
ふぅむ、納得だ(笑)
そして、一緒になって大勢で騒ぐのが好き。
これまた、"他人と一緒"を好む"自分だけ違う"を畏れる若者の特徴であるが、上記を考えれば説明が尽くし納得もできる。
「皆で一緒なら怖くない。なんでもできる。たとえそれが卑怯千万、法に触れることでも、人を傷つけることでも。だって皆一緒だもん。自分だけじゃないんだもーん。」
というところか。
そして、普段我々が、わけのわからない事件が多いと思うことも、本書ではある程度説明がついている。
わけがわからない、というのは、犯罪の理由がわけがわからん、ということだ。
すぐにキレるとかムカツクとか言うけれど、なんでキレるのかわからない。
ムカツク理由がわからない。
たかがそんなことで?と思う。
許せない、と思うのは、自分がなんとなくもやもや〜と不愉快になり、イライラが募るからだ。
自分だけが損をしていると思うからだ。
本気で競争社会になりつつある現在。
世界で唯一成功した社会主義国家といわれた日本が(いや本当ですって)いよいよ弱肉強食のケダモノ社会(笑)になりつつある現在である。
こういうのが増えるでしょ。
だって、いいままでは1億総中流、といって自己満足して平和に暮らしてきたのに、同年齢で給与の差が1.8倍でしたっけ?
先日、ニュースに出ていたよね。
それを「自分ばかりが不当な扱いを…」と思い出したらキリがない。
キリがないけど、そう思う人が増えるだろう。
…で、ムカツいたり、キレたりするわけだ。
なら、自分が勝者になってやろうと努力するのではなく、他者の足を引っ張ってやろうと。
1億皆が不幸でビンボーで敗者になればいいのだと、そういうマイナス思考になるのだろうか。
足を引っ張るのは簡単だよねぇ?
自分は努力しなくていいんだし。
努力して上に登るのはしんどいもんねぇ?
その点、自分の今いるところに人を引き摺り下ろすのは楽だよねぇ。
本書の最後のほうにヒルズ族について書かれたところがあった。
同じビルに一極集中して集まるヒルズ族のみなさま…
アメリカ式にベンチャー企業でことを起こそうというなら、地方から村おこし・町おこしの意義ももってやれるだろうと著者は言う。
それがベンチャーでしょ?
なんで上階と下階で同じ業種の二人(ホリエモンと村上氏)が住まなきゃならないの?と。
これって変でしょ、というわけだ。
肉体的(経済的・財政的)にも、精神的(国民の)にも。
そうか。
ホリエモンも常に誰かとくっついてないと不安な未熟者だったのか〜(笑)
と笑うことはできるけど、はぁ〜どうなるんだろうね。
日本人サル化現象。
日露戦争の時のロシア皇帝は日本人を「猿」と呼んだけど、いよいよ真剣そのもので、イエローモンキーと呼ばれる日が来るわけだね。
ISBN:4062575264 新書 正高 信男 講談社 ?819
…というのが副題で、成る程ほほ〜と思ううちに読了。
ITって最新最先端だと思っていたけれど、日本においては違っていた。
大人な社会、個人を確立できている欧米などの社会では、"個人"がしっかりしているから、最新最先端のすばらしき技術だ。
だが、日本は違う。
IT(特にケータイ)に首輪をつけられて、振り回されている。
しょっちゅうメールをするのは、そうしてどこかのグループに繋がっていないと安心できないからだ。
そうか。
小学生のいじめ、グループからの村八分、それといっしょなんだ。
常にメールで連絡を取り合って、どんなにしょーもない情報でも知っていないと話ができない、話をしてもらえない、グループからつまはじきにされる、だから、必死でメールを返し続ける。
あの、男女構わず、ところ構わず(病院でも平気でやっている。病院だよ!病院!)メールを打ち続けるあの姿。
顔は鬼のように、一点を見つめて心ここにあらず。
鬼気迫って怖いと思ったらそういう理由かい。
自分だけが、どんなしょーもない話でも、情報が回ってきてない(メールで教えてもらえない)となると、即座に村八分気分なんだってさ。
それが怖いんだってさ。
その渦中にいて周りが見えてない中毒者には悪いけど(悪くはないか)、笑ってしまった。
日本における、ケータイって、そういうものだったのか。
…で、そういう現象を、サルであると。
ちなみにニホンザルも起きている間中、誰かとつながっていないと落ちつかないらしい。彼らはひと所にずっといることはないが、フィールドを広げようとするわけでもなく、結局は馴染みの領域をウロウロと徘徊しているにすぎない。行動も食べ物のいっぱいあるところに、仲間でワーッと押しかける。現代の日本人はまさしく、言語面だけでなく、明らかに行動的にもサルに逆戻りしている。先祖返りである。と、ここまで言われたらかえってすっきり、笑えますよねぇ。
ケータイを初めとするIT技術で世界に羽ばたいた…かと思ったら、とんでもない。
精神的に大人になりきれない日本人の若者は同類の溜まり場のなかをふらふら〜と漂っているだけなのだ。
それはサルと一緒だと。
あんたたち、先祖がえりしてますよ、と。
また、所かまわずに(特に車中で)ケータイを使う、化粧をする、食事をする…というのは、そこに"自分だけの空間"があると錯覚している、思い込みたがっているからなのだと。
家にいるのと同じ感覚。
バリアーを張って、殻に閉じ篭っているのだ。
周りには誰もいない誰もいない、私だけ、と自己催眠でもかけてるのかね?
つまりは、他人の中にいる、という緊張感が保てないらしい。
だから、すぐ座りたがるし、立っていても海月かあんたは?というような立ち姿になったりするんですね。
ふぅむ、納得だ(笑)
そして、一緒になって大勢で騒ぐのが好き。
これまた、"他人と一緒"を好む"自分だけ違う"を畏れる若者の特徴であるが、上記を考えれば説明が尽くし納得もできる。
「皆で一緒なら怖くない。なんでもできる。たとえそれが卑怯千万、法に触れることでも、人を傷つけることでも。だって皆一緒だもん。自分だけじゃないんだもーん。」
というところか。
そして、普段我々が、わけのわからない事件が多いと思うことも、本書ではある程度説明がついている。
わけがわからない、というのは、犯罪の理由がわけがわからん、ということだ。
すぐにキレるとかムカツクとか言うけれど、なんでキレるのかわからない。
ムカツク理由がわからない。
たかがそんなことで?と思う。
許せない、と思うのは、自分がなんとなくもやもや〜と不愉快になり、イライラが募るからだ。
自分だけが損をしていると思うからだ。
つまり、集合的な他者=世間が許せない。なぜか。自分だけ、不利益を被っている。自分だけ、わりが合わない損をしている。自分だけが、結局、負け組みになっている。だから、自分は復讐してやるんだとなる。その対象は自分が住んでいる生活共同体の不特定の他者に向けられている。矛先は世間なのだ。だから、まったく接点のなかった人間が犠牲になってしまう。
本気で競争社会になりつつある現在。
世界で唯一成功した社会主義国家といわれた日本が(いや本当ですって)いよいよ弱肉強食のケダモノ社会(笑)になりつつある現在である。
こういうのが増えるでしょ。
だって、いいままでは1億総中流、といって自己満足して平和に暮らしてきたのに、同年齢で給与の差が1.8倍でしたっけ?
先日、ニュースに出ていたよね。
それを「自分ばかりが不当な扱いを…」と思い出したらキリがない。
キリがないけど、そう思う人が増えるだろう。
…で、ムカツいたり、キレたりするわけだ。
なら、自分が勝者になってやろうと努力するのではなく、他者の足を引っ張ってやろうと。
1億皆が不幸でビンボーで敗者になればいいのだと、そういうマイナス思考になるのだろうか。
足を引っ張るのは簡単だよねぇ?
自分は努力しなくていいんだし。
努力して上に登るのはしんどいもんねぇ?
その点、自分の今いるところに人を引き摺り下ろすのは楽だよねぇ。
本書の最後のほうにヒルズ族について書かれたところがあった。
同じビルに一極集中して集まるヒルズ族のみなさま…
アメリカ式にベンチャー企業でことを起こそうというなら、地方から村おこし・町おこしの意義ももってやれるだろうと著者は言う。
それがベンチャーでしょ?
なんで上階と下階で同じ業種の二人(ホリエモンと村上氏)が住まなきゃならないの?と。
これって変でしょ、というわけだ。
六本木ヒルズといったところで、聞こえのいい長屋にすぎないのだ。家賃のべらぼうに高いだけの差異である。そんなところに住んで自己満足して、毎日お互い顔見合わせて飲み食いしなければ、一緒に仕事ができないというのでは、なんら昔と変わっていないことになる。毎日「こんにちわ」と挨拶しなければ、信頼関係が築けないのであれば、本当の意味で時代の先端をいく新しい風など入りようがない。実に日本的と言えよう。そんなビジネスのやり方は、欧米ではおよそあり得ない。というように、どんどん日本は崩壊しているようです。
肉体的(経済的・財政的)にも、精神的(国民の)にも。
そうか。
ホリエモンも常に誰かとくっついてないと不安な未熟者だったのか〜(笑)
と笑うことはできるけど、はぁ〜どうなるんだろうね。
日本人サル化現象。
日露戦争の時のロシア皇帝は日本人を「猿」と呼んだけど、いよいよ真剣そのもので、イエローモンキーと呼ばれる日が来るわけだね。
ISBN:4062575264 新書 正高 信男 講談社 ?819
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