今、笑いがとまらない(であろうと素人は邪推する)北海道は旭山動物園。
そして、北九州市にある到津(いとうづ)の森公園。

その園長同志は親友であり、まさしく"同志"であった。
かつては閉園に追い込まれ、市民を味方に必死の起死回生で再生した到津の森公園の岩野俊郎園長。
エキノコックス事件でマスコミに叩かれ叩かれても信念を曲げなかった旭山動物園の小菅正夫園長。

今の"成功"が、商業的な成功ではない。
もっと奥深いもの。
動物園の存在意義をしっかと見定めたが故の、人間の本能をずばり突いたが故の両園の繁栄があるということに、この本は教えてくれる。

前髪しかないLADY LUCK(幸運の女神)は、人の前をさっと通り過ぎてゆく。
彼女に後ろ髪はないのだから(想像したらダメ。考えると笑えるけど、笑ったら怒られそう)、さっと通り過ぎる瞬間に、間違いなく、その前髪を掴まねばならない。
人の人生には必ず、LADY LUCKがその目の前をよぎる時があるのだから。

…なんて言われると、ねぇ?どきどきしませんか?(笑)
力が、たとえちょびっとでも、湧いてきませんか?ねえ?

人間というのは動物園が必要なんだ。
動物の生態をみて、五感で触れて、自分も生き物だって事を思い出すんだ。
だから、動物をみて、動物園で癒される、という言葉が出てくるんだ。
だが。
ふつーの動物園。
日本でごくごく当たり前にある動物園は、動物の自然を見せているわけじゃないという。
あんなところで、動物をみて癒される人間なんて、おかしい。
動物園が好き、なんていう人間は(特に大人は)正常じゃない。
と、彼らは言う。(私は好きなので、「ウッ!」とのけぞってしまったよ。異常なのか…そうなのか…)

なぜならば。
生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えると称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫等に対し、狭い空間での生活を余儀なくし、飼い殺しにする、人間中心の施設(新明解国語辞典 第4版)

と動物園は定義されているではないか。
だから。
自然を支配するのではなく、人が自然を畏れ敬う自然観に基づく動物園を発展させることが、私達動物園人の課題であろう。(成島悦雄2006「畜産の研究」より)

であるべきなのだ。

そもそも日本人は、自然を敬い、自然を畏れ(自然=神様だったから)、自然とともに共生するのがお得意の民族だったはずだ。
自然を敬えば、命の大切さも分かる。
それがどうだろう。
現実を見よ!

野性の凄さを、命の迫力を、動物園は見せるところでなくてはならない。
だかららこそ、あの美しい肉食獣の前足の筋肉とか、獲物を引き裂く牙とか、爪とか。
怖いけど、恐ろしいけれど、そこに美しさを感じることもあるのだ。
うっとりと、あの豹紋に魅入る人間がいないわけではない。

単なる苦労話だけではない。
何をもって、何を目指して両者が両園が前進しているのか、その迫力と力に圧倒される本だった。

ちなみに ⇒ http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
(旭山動物園HP)あり。
いろいろと物議を醸し出したらしい(笑)副園長さんの日記もおもしろいデス。

到津の森公園もすさまじい歴史をもっている。
なかなかいけるところじゃないけど…興味津々。

つうか、北海道の旭山にしろ、北九州の到津の森にしろ、遠路はるばる…になることは間違いない。
でもものすごい吸引力がある!
これって、理屈じゃないよね!
やるなぁ…地方の方がやるやんか!って感じが、とっても小気味良いね♪

ISBN:4121018559 新書 島 泰三 中央公論新社 2006/07 ¥840

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