時代は多分、18−19世紀。
ドイツの片田舎ツッカーブルグに生まれ育ったオクタヴィアンは品行法制とは正反対の修道院生活を送る少年。
音楽と学問を学ぶだけだから、と酒も呑めば女とも付き合う、不敬者。
(私はこの作品で、モーツアルトが書いたというお下品な曲ーうんこ♪うんこ♪と連呼するのだーの存在を知ったのだった)(笑)
だがしかし、その美しい声は大司教すら魅了する。

彼の夭逝した母親はイタリアから駆け落ちしてきた人であり、その立場は死ぬまで愛人だった。
そして、ふんだんな金と贅沢な生活を保障してくれる実の父親は、いまだ嘗て彼の前に姿を現したことがない。

そんな彼に青天の霹靂ともいうべき事件が降りかかった。
その、"天使の声"を、小さな町が手に入れたこの財産を、半永久的に遺したいと人々(教会)が動き出したのである。
教会は彼をカストラート(去勢された男性歌手)にしようとするが…。

自由奔放に生きようとする天才音楽家…の卵(あくまで予定だから)(笑)・オクタヴィアンと彼を見守るドミーニク大司教(実は△○▼)、評論家にしてオクタヴィアンの理解者ハンス・レオ。

というのが最初の「大聖堂の不良天使」。

続く「誰かが愛を囁いた」では、18世紀貴族の子弟に流行った"グランド・ツアー"ばりにイタリアへの音楽研修へと出かける。
偶然、駆け落ちした母親の実家(公爵家だったのだが、オクタヴィアンは母親の実家については何も知らなかった)に寄寓することとなるのだが…。

というわけで、"天才"と呼ばれた彼が、人の愛と哀を知って、より一層大きく羽ばたく、という話である。

南ドイツを舞台にした少年合唱団のシリーズで名を馳せた著者ならではの、音楽を軸に人の愛憎が巡る佳作。
ちょっと貴族趣味だけれど、厭味ではない。
舞台的には、現代よりもオペラの舞台みたいでストーリーにのめり込めるのが嬉しい。

最後の一遍は、第二次世界大戦時のドイツを扱った作品で、「夜はやがて終わる」。
"ドイツ人の中にもナチスと闘った人はいる"というのが主題で、若い音楽家たちが、あの時代、あの国でどのように闘ったか、そのひとつのストーリーを感動的に描いている。
初読時に、何をもって闘うかは、人それぞれであるということを感じさせられた作品である。(必ずしも武器を持つことだけが戦いではないということ)
大胆にも、フルトヴェングラー氏登場。

実際、第三帝国後半には、ヒトラーをナントカしようと連合軍と連絡を取る高級士官も多かったし、ヒトラー暗殺計画(失敗したが)も実行されている。
ヒトラーはそれに対して残酷極まりない方法で報復をした(尤も時間のかかる方法で絞首刑)。
が、それらの恐怖よりも、ドイツをなんとかしようとする考えをより強く持ったドイツ人がいたということである。

ISBN:4257918357 新書 たらさわ みち 朝日ソノラマ 1985/06 ¥399

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