ようやくフリーメーソンの話が主流になってきた。(間が空いたのでもう一度レビュー)

テンプル騎士団は(たぶん)ロバート・ブルースのスコットランドへ逃れ、イングランドと闘った。
ブルースはすなわちスコットランドのスチュワート王家であり、テンプル騎士団の忠誠は、スチュワート王家 ⇒ ピューリタン革命 ⇒ 名誉革命 ⇒ 英国から撤退、そのままのルートを辿ったのではないかと創造できる。

だが、現実にそのルートを辿ったのは、フリーメーソンたちであった。
ここにおいて、テンプル騎士団とフリーメーソンの係わり合いは立証されていない。
立証されてはいないけれど…例の(テンプル騎士団の、特徴ある)正十字を描いた布がフリーメーソンの著名な誰彼の遺体を覆ったとか、フリーメーソンの有力者の手から手へ丁重に受け継がれたとか…あやしい記録もあるという。
だから、是であれ非であれ、そのあたりは、非常に"胡散臭い"のだ。

そして、フリーメーソンたちは現勢力(名誉革命で成立)に追われて亡命したのではなかった。
フリーメーソンの大部分は、英国の社会(ハノーヴァー王家)に純粋に仕えていた。

また一部分は、表向きは従順に仕えながら、密かに大陸に亡命中のスチュワート王家に通じていたりして、画策・陰謀を企てていたらしい。

…であるから、陰謀が発覚しなにかしら事件が起こるたびに、その陰謀・事件とは"まったく無関係である"と証明もしなくてはならず、大変だったらしい。

スチュワート王家支持派から生まれたのが、トーリー党(1670年代、騎士階級から発生)で、ほとんどの党員が高教会派かアングロ・カトリック派である。
地主階級が多くを占め、権力は有産紳士階級に集中することを主張。
【王冠は議会の上に位置する】
と主張していた。

それと対抗したのが、(言うまでもないが)ホイッグ党(1670年代登場)である。
構成員は新たに統合された商人・専門職の人々であり、商業・工業・金融・銀行・軍人などの各分野で地活躍していた。
宗教的な多様性を主張し、非国教徒や自由思想化(教会の権威を支持しない)たちも含んでいた、まさしく"自由な"人々であった。
彼等の主張は、当然ながら、
【王冠は議会の下に位置する】
である。
彼等の好みは、"清教徒的で厳格な労働倫理"(←ちょっと嫌かも…)(笑)だったので、ハノーヴァー(ドイツ人)王朝でもべつに構いやしなかったわけである…。

ほかに、ジャコバイト派という、陰謀専門の過激な集団の活躍もあったらしいが、それらをまとめて(まとめようとした意思は感じられないが)抱える組織、というのは維持するのもさぞかし大変だったろうなぁ。
フリーメーソンとは言いながら、"自分達はそれぞれ別組織だ"と思っていたんじゃなかろうか。

イングランドのフリーメーソン内にさまざまな組織があったのは確かで、反発する二つ以上の勢力にそれぞれ呼応するような、なんとも"へんてこりん"な組織が集合して"フリーメーソン"を作っていたようである。
その中のひとつ、グランド・ロッジという組織(?)がフリーメーソンの組織(?)をほぼ統一し、その思想・信条がフリーメーソンの思想・信条となったようだ。
その考え方と言うのが、宗教的・政治的な差別を撤廃し、寛容さとともに平等さを持ち込むものだったのである。
どれくらい平等か、といえば、ユダヤ人を差別しなかった(!)というぐらいである。
そうなると、多くのユダヤ人がフリーメーソンに入団する。
そうなると、財政的に恵まれた組織になるのは当然で、潤沢な資金があれば政治的社会的に(権)力をもつのは当然だ。

その流れが、アメリカへ。
最初は殖民という形であったとしても、やがては独立戦争へ、翻ってフランス革命へと繋がる力となったわけである。
(あ〜やっとアメリカが出てきた。この本の副題は「アメリカ建国に至る西欧秘儀結社の知られざる系譜」なのである。)

フリーメーソンを支配したグランド・ロッジ用語が英語に与えた影響は以下の通り。(今でも生きている)

standing foursquare 真四角に立つ(元) ⇒ 毅然と立つ(現)

on the level 水準器の上に(元) ⇒ 公明正大に(現)

taking a man’s measure 人の物差しで測る(元) ⇒ 人の力量を見抜く(現)

subject a person to the third degree 親方に服従させる(元) ⇒ 過酷に取り調べる(現)

というように、成る程いかにも、商・工業の匂いが豊かであるのが分かる。

ISBN:4879191647 単行本 林 和彦 三交社 2006/05 ¥2,415

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