貝と羊の中国人

2006年8月16日 読書
中国人は…不可解である。
言わんでも、わかっとる。
と言う人も、きっと、多かろう。

……では、なぜ不可解なのか?

中国人が日本人を不可解だと思うのと同じである。
だが、彼らは一方的に不可解だと思うだけなんだろう。
歩み寄ろうとはしない。

日本の血を吐くようなODAになんの感慨もありがたさも表明しない(そもそもありがたいとは思っていない)中国人は、何を考えているのか?
そのへんのところ、簡単に解き明かそうというのが本書である。

「公」じゃだめなんだなー。
…つうか、「わかってよね?わかるでしょ?」じゃダメなんだ、中国人は。
はっきり言わないと。
「あのね、ODAにはこの前の戦争の迷惑料もはいっているわけよ。そこんとこ理解してよね?」って。

分かってくれるだろう…という希望的観測も日本人同士のこと。
対外的に通じるはずがない、ってのは、別に中国相手じゃなくても分かっているはずだろう…けど。
欧米相手にも、はっきりと意思表示しないと「察してよ」じゃダメでしょ?
どうしてそれまだを続けるかな?ニッポンよ。
京都人だって、最近じゃずばずば言っているよ。
(言わんとわからんしー)

貝=昔の貨幣。
ってことで、「商売」の言葉の素となった、商の人=殷王朝の人たち。

羊=放牧
ってことで、殷に対応するそれは、いうまでもなく、殷王朝を倒してたった、周王朝の人たちのこと。

昨年・2005年の反日運動は我々日本人にとっては、"嫌なこと"を通り越して腹立たしいことであり、嫌中国の日本人は確実に増大した。(当たり前だ)
だけど、表向きの羊(反日運動の展開・愛国者教育)、本音の貝
(日本との経済協力は切れない)を中国政府は使い分け、民衆もそれが分かっているってことらしい。
それを了承して、踏まえて考えないとダメだよ、って事らしい。

確かにね。
でなきゃ、あんなに簡単に、政府の声明でぴたりと止る運動ってのはどうよ?

中国政府の出方を、民衆は伺いながら「ここまでやっても大丈夫やな」とやっていた、ということだよな。
魔の経済自由化を見て忘れがちだけど、あそこはあくまでも共産主義国家。
自由のない政府だから底まで使い分けないと、生き残れないんだろう。
文化大革命なんかを経験している世代なんかはとくに。
言う自由はあるが、言った後の自由はない(拘束?否、悪くしたら処刑もありだろう)という恐ろしい国だってこと…忘れちゃいけない。

だがだが……他所の国の人に「それを承知しろ」っていうのは、「察してよ」という日本人(政治家)と変らんレベルでもある、と私なんぞは思うけどねぇ。

ちなみに、縄張り感覚のおおまかな中国人は、家の前においてある自転車とかも「落ちている」ともっていってしまうのだと。
これもまた、マナーがどうとかルールがどうとか言う前に、故人としての縄張り感覚の差がすべてだそうだ……ふ〜ん。
そう考えると面白いね。

東南ジアやロシアで盗難車を販売している組織は別として……。

ISBN:4106101696 新書 加藤 徹 新潮社 2006/06/16 ¥756

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索