診療室にきた赤ずきん―物語療法の世界
2006年7月9日 読書
精神科のお医者さんが著者である。
なにを書いているかといえば……
患者さんとしてきた人々の症例を、勿論許可を取って匿名で書き記し、広く一般の人たちでまだ精神科のお世話になってはいないけどぎりぎり踏みとどまっていそうな(笑)私とか(笑)あなたとかのために書き記している。
まあ精神科といっても、昔の悪いイメージではなくて、カウンセリングみたいなもの。
現在ではさほど偏見の目で見られることは少なくなったからまし。
シビアな社会はますます競争性をまして、とくに"男による"弱肉強食の社会の"男のための"ルールで"男たちと"闘ってゆかねばならない女性にとっては、特に身につまされるものがある。
だから、精神科に掛かる人も多くなってきているのは事実。
さて、では精神科ではどういうことをしているか…なんてことは実際には分からないでしょ?
その一例がこの著者のやり方。
患者さんは、精神科のドクターに「原因を教えてもらいに」来るわけではない。
すべて教えてもらう、やってもらうと、なにからなにまで頼っていては、それはなんの解決にもならない。
「そうかなぁ?」と」疑問に思いつつ無理やり納得する(自分をだます)ことになりかねない。
そして、同様の問題が起こったときに、「教えてもらった答えがまちがっていた」「医者がまちがっていた」ということで終わってしまう。
本当に根本から問題を見つけて治していくのなら、「自分で見つける」「自分で気がつく」ように、導いてあげないとダメ。
自分で見つけてこそ、悩みは、問題は払拭される。
…ということです。
昔々…で始まる物語は世界万国共通。
だから、外国の人が間者としてやってきても社会環境や考え方が少々違っていてもアドバイスは出来る。
「ものがたり」は、患者さんが自分の問題を見つけ出すための「鏡」である。
赤ずきんはおばあさんにワインやケーキを届けに行く。
赤ずきんは「愛を与えるもの」である。
森の狼は「愛に飢えている」ものであり、「愛を欲しがるもの」である。
だから、与えるものである赤ずきんをすぐには食べず、「愛を与えられるもの」であるおばあさんを先に喰ってしまう。
そして赤ずきん(=愛)を待つが、愛を手にすることは到底不可能であり、果ては赤ずきんを喰ってしまう……
7匹の子山羊も同じ。
狼は、愛を与えられている子山羊たちに嫉妬し、彼等を喰い、「愛の与え手」である母山羊を待つのである。
…おなかを裂かれて石を入れられて見度に落っこちて死んでしまうけど。
どういう話をしていると、次第に患者は気がつくのだそうだ。
「これって、私ですよね」と。
ほかには、一寸法師が両親の元を離れて旅に出るときにきびだんごではなく「御碗の船に箸の櫂」を貰ってでかけた…のは、人間としての自立を示している。
なぜなら、自立するってことは、自分の力で食べること。
御碗と箸がその象徴であるから、と。
面白いねー。
&侮れないなーむかしばなし!
いろいろな御伽噺に寄せて、さまざまな症例が書かれている。
また、症例だけではなく、なぜにそういえるかと著者が説明している。
値段に見合って、薄い一冊であるが、中身は熟読に値する。
"読める本"である。
心理学…って難しいけれど、こういう風に書かれていると、とても親しみやすく興味がわく。
しかし、精神的に痛め付けられそれを癒す方法も機会も場所もなかなか得にくくなってきた。
現代社会、今の日本は(日本だけではないかもしれないが)ほんに住みずらいよな。
ISBN:4101160813 文庫 大平 健 新潮社 2004/08 ¥380
なにを書いているかといえば……
患者さんとしてきた人々の症例を、勿論許可を取って匿名で書き記し、広く一般の人たちでまだ精神科のお世話になってはいないけどぎりぎり踏みとどまっていそうな(笑)私とか(笑)あなたとかのために書き記している。
まあ精神科といっても、昔の悪いイメージではなくて、カウンセリングみたいなもの。
現在ではさほど偏見の目で見られることは少なくなったからまし。
シビアな社会はますます競争性をまして、とくに"男による"弱肉強食の社会の"男のための"ルールで"男たちと"闘ってゆかねばならない女性にとっては、特に身につまされるものがある。
だから、精神科に掛かる人も多くなってきているのは事実。
さて、では精神科ではどういうことをしているか…なんてことは実際には分からないでしょ?
その一例がこの著者のやり方。
患者さんは、精神科のドクターに「原因を教えてもらいに」来るわけではない。
すべて教えてもらう、やってもらうと、なにからなにまで頼っていては、それはなんの解決にもならない。
「そうかなぁ?」と」疑問に思いつつ無理やり納得する(自分をだます)ことになりかねない。
そして、同様の問題が起こったときに、「教えてもらった答えがまちがっていた」「医者がまちがっていた」ということで終わってしまう。
本当に根本から問題を見つけて治していくのなら、「自分で見つける」「自分で気がつく」ように、導いてあげないとダメ。
自分で見つけてこそ、悩みは、問題は払拭される。
…ということです。
昔々…で始まる物語は世界万国共通。
だから、外国の人が間者としてやってきても社会環境や考え方が少々違っていてもアドバイスは出来る。
「ものがたり」は、患者さんが自分の問題を見つけ出すための「鏡」である。
赤ずきんはおばあさんにワインやケーキを届けに行く。
赤ずきんは「愛を与えるもの」である。
森の狼は「愛に飢えている」ものであり、「愛を欲しがるもの」である。
だから、与えるものである赤ずきんをすぐには食べず、「愛を与えられるもの」であるおばあさんを先に喰ってしまう。
そして赤ずきん(=愛)を待つが、愛を手にすることは到底不可能であり、果ては赤ずきんを喰ってしまう……
7匹の子山羊も同じ。
狼は、愛を与えられている子山羊たちに嫉妬し、彼等を喰い、「愛の与え手」である母山羊を待つのである。
…おなかを裂かれて石を入れられて見度に落っこちて死んでしまうけど。
どういう話をしていると、次第に患者は気がつくのだそうだ。
「これって、私ですよね」と。
ほかには、一寸法師が両親の元を離れて旅に出るときにきびだんごではなく「御碗の船に箸の櫂」を貰ってでかけた…のは、人間としての自立を示している。
なぜなら、自立するってことは、自分の力で食べること。
御碗と箸がその象徴であるから、と。
面白いねー。
&侮れないなーむかしばなし!
いろいろな御伽噺に寄せて、さまざまな症例が書かれている。
また、症例だけではなく、なぜにそういえるかと著者が説明している。
値段に見合って、薄い一冊であるが、中身は熟読に値する。
"読める本"である。
心理学…って難しいけれど、こういう風に書かれていると、とても親しみやすく興味がわく。
しかし、精神的に痛め付けられそれを癒す方法も機会も場所もなかなか得にくくなってきた。
現代社会、今の日本は(日本だけではないかもしれないが)ほんに住みずらいよな。
ISBN:4101160813 文庫 大平 健 新潮社 2004/08 ¥380
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