著者は現職(?)のおぼうさまである。
そのおぼうさまが、若い頃、京都は嵐山の名刹・天龍寺の修行道場にいらした時のあれやこれやを、某新聞の冊子に短いエッセイ風に書かれていたのをこのたびまとめて本にしたものである。

某新聞というまでもなく、朝日のことだが…(↓)見ればわかるし(笑)

朝日新聞では集金をせずに銀行引き落としをしてくれているのだが、その確認があると、領収証と新聞をゴミに出す時用のビニール袋、ひと月分の簡易カレンダー(予定書き込み用)、そして薄い冊子をポストに入れておいてくれる。

冊子には他愛ない読者の投稿だとか簡単料理のレシピだとかが掲載されていて、簡単に読み捨て出来る仕様になっている。
そしてその冊子には、毎回私が楽しみにしていた、この「ベラボーな生活―禅道場の「非常識」な日々」も連載されていた。

まぁ、普通の生活をしていれば知ることのない修行僧(雲水)さんの生活…一休さんぐらいでしか(しかも漫画アニメだし)知ることのなかった禅宗(天龍寺は臨済宗)の生活・修行のさまなど垣間見られてとっても興味深く面白かった。
だから、毎月この連載を楽しみに、終わったあとは本になるのを一日千秋の思いで待っていたのだった。

文章は平易で、私たちふつーの人間が感じることとまったく温度差も時差もない。
著者は修行も終えて立派なおぼうさまになられているのだが、その感じ方の出発点、話の出発点は私たち凡人の視線から決して隔たっていない。
だから、とっても分かりやすく親しみやすく…だから、驚嘆する。
決して宗教を押し付けるのではなく、「仏教にはこういう考え方がある」「こう考えるからこう行動する」と、あくまでも紹介するだけで、読み手も純粋な興味と感心だけが湧き上がるので読んでいて気持ちがよい。

ところで。
この雲水さん。
前出のアニメ「一休さん」でもやっていたが、町に出る"托鉢"という修行だが…京都市内では朝早く、この托鉢のおぼうさんが路地に出没(笑)するのは珍しくはない。
古いおうちの前で、お布施を戴くおぼうさんと両手を合わせているおばあちゃんの姿を見るのも珍しくはない。
そんなときは、私も狭い路地の端っこによって、さっさと通り過ぎる。
空気のように。

車の行きかう大通りではなく、ひとつ路地に入った住宅街では「ほぉー」といった托鉢僧の声が、こうしてときおり響きわたるのだ。
それを聞くと、嗚呼、托鉢か、ご苦労さんやな、と思うのだが…
この声を聞いて、「あれは何!?」と怯えた人がいる。
あれは托鉢だ、家々を回ってお布施をいただくのだ「一休さん」でもやってたじゃないかと説明しても半信半疑、なにそれ?という表情を崩さない。
一休さん…あれって全国放送違うんか?とそのときは思った。

単なる、町の朝のごく普通の情景(常識)…じゃないのかな?
あれって。

これこそが…もしかして非常識な日々ってやつ?

ISBN:4022501928 単行本 玄侑 宗久 朝日新聞社 2006/06 ¥1,050

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