「理科ぎらい」

2006年5月19日 読書
実は私は理科劣等生だったのである。…(略)…中学の理科の授業だった。教師に言われたとおり、亜鉛に塩酸を垂らし、出てきた気体を水中から試験管に集めた。ロウソクの火を近づけると、炎がボッと音をたてて大きくなった。教師は、「亜鉛に塩酸を加えると水素が発生することが確かめられました」と宣言した。
私は、亜鉛とか塩酸とかが行ったい何なのか分からなかった。炎がボッと大きくなったから水素、というのも腑に落ちなかった。オナラでも同じと思った。亜鉛を塩酸に浸すとなぜ化学反応が起きるのかも不明だった。自分を風呂に浸しても何も起きないのにと思った。化学反応に空気の一成分が関与したかもしれないし、発生した気体が水と反応した可能性もあると思った。
ひとつの実権をする度に、疑問がいくつも噴出し、頭は混乱するばかりだった。…(略)…
私にとって理科とは、教師が一見論理的だが何の説得力もない、結論を押し付け暗記させる時間でしかなかった。…(略)…
私の受けた理科教育に欠けていたものは、「驚き」だったと思う。
我が家の庭の柿とニュートン家のリンゴが、同じ法則に従って落下するというのは、よく考えると不思議である。…(略)…
万物がそれぞれ勝手気ままに運動していても、別段おかしくないことを思うと、まさに「驚き」なのである。どうして宇宙には秩序があるのか、…(略)…
法則が、単なる問題解決のキーでなく、この宇宙のまさに軌跡であり脅威であることを、誰も語ってくれなかったように思う。「驚き」の欠けた理科は、私の心に訴えるものを、何も持たなかったのだった。


長い引用文だが、これが一番分かりやすかった。

レベルと問題はまるで違うが(笑)、私も物理・化学は大嫌いだった。
特に化学だ!

担当教官は教科書を読みとかない人だった。
勿論、解説も説明もしない。
授業はどうするかといえば、例えば順繰りに生徒に問題を当て、黒板に化学式や答えを書かせる。
その答えが間違っていたならば"何が違うか"を解説するだけだった。
教科書に書いてあることがまず分からない私などは、問題の意味も分からない。
当たり前だ。
だから、何を問われているのかも、わからない。
しごく当然のことだ。
果ては、何が分からないのかも分からないとなってしまった。
そんな授業がどうして好きになるだろう?

そのときは気がつかなかったが、これを読んで、もしかして化学式なりなんなりを、丸暗記しとけば良かったのかなーと思う。
とりあえず、テスト用に。

生徒の全員が理系大学を受験するわけでもない。
おまけに"全人教育"全盛期では、普通科と商業科がごっちゃになってクラスを形成していた。
興味を持たない生徒にも、"これは面白いかも""こういう進路(研究)も面白いかも"と思わせるような授業をする気は…さらさらだったのかもしれない。

全クラスの化学のテストの平均点は、常に20〜30点をうろうろしている状態だった。
化学は今でも好きになれない。
…つまり、面白いとは思えない。
面白いと思えないまま、きっと私は死んでゆくんだろうな、と思う。
別に寂しくも口惜しくもないけどさ(笑)

それを思うと物理や生物は。
高校生が皆で輪になって手を繋いで(思春期だからかなり抵抗があった…いい思い出だなぁ)(笑)何をするのかと思ったら、仲良く"感電"してみたり…解剖が上手くいかなかったとあらぬ噂が構内に流れたと、むきになった教師があくまで再実験を主張したり…。
実験・実験尽くしだったけど面白かったと記憶している。
授業もわくわくしたいよね。

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