彷徨

2006年5月18日 読書
アメリカ人は彷徨う。
アメリカ人だって彷徨う。

彼らがホームシックに掛からないのは、もともとホームをもたないから。
彼らはそのルーツ、欧羅巴であれアジアであれアフリカであれ、その故郷の地に一度は訣別した人たちだから。
…なんだから。

その故郷とは、単なる土地だけではなくて、歴史や文化や伝統や、そういったものすべて。
「故郷を自ら捨てた人々」
だと、彼らは自分たちのことをそう呼ぶのだそうだ。

そして、アメリカ大陸に、彼らのホームは存在しない。
郷愁をもたない。
土地として、場所としてのホームタウンは存在しても、心のよりどころとしてのホームではない。
だから"ホーム"ではない。

日本人は感じる。
四季の移り変わり、風の吹き方ひとつにも、さまざまな郷愁を感じ、涙さえ浮かべる。
そういう感じ方をアメリカ人はしない。

だから、彼らは弱みを見せない。
見せられない。
常に、強くあらねばならない…と思っている。
弱さを見せることは悪徳なのだ(そうだ)
それがパイオニアスピリット…
そうでなければ、あの広大な大陸を自分たちの手中に収めることは出来なかっただろう…なぁ。

GO!GO!WEST!!
(何かの歌詞じゃないけれど)
でなければ、アパラチアを越えロッキーを越え、さまざまな命がけの試練を乗り越えて、西部開拓を成し遂げられなかっただろうなぁ。

だから。
その"強いアメリカ"が自信を失くした時、アメリカ人はどこへ向かえば良いのか分からなくなる。
ひたすら彷徨うだけ。
何もする気力もなく。
夢もなく。(夢は抽象的だから掴みずらいから追わない、という)
せつな的な快楽を求めるだけ。
(まるで今の日本だ)

それが、ベトナム戦争で負けたあとの、アメリカだった。

負けるはずがないのに。
絶対的な化学兵器をもって。
遥かに優れた文明をもって。
アジアのちっぽけな国の、裸足のレジスタンス(ベトコン)や自転車部隊(こんなのあったんですね)に負けた…アメリカ。
インドシナ半島から逃げ出したアメリカ。
多くの犠牲者を、生死に関わらず出したアメリカ。
取り返しのつかない負債を背負ったアメリカ。
彷徨い始めたアメリカがそこにあった。

……
だから。
強く在らねばらならない。
嘘でも(!)強いと思わないと、アメリカは、アメリカ人は生きてゆけない。
…と、多分、居直ったのだ。
思いなおし、力を振りたてて、そう信じたのだ。
そうするしか、そうでしか、アメリカの生きる道はない。

だから、"いばりんぼさん"なのか。
アメリカって。

……なんか。
かわいそうな国ですね、アメリカってば。
肩の力を抜けといってやりたい。

いかに、裕福で豊かな生活が保障されていても、本当に幸福なのかどうか……考えるところ。

「若き数学者のアメリカ」は思いもよらない美しい終幕で、その物語を閉じる。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
他のエッセイに比べると、かなり真剣なこの、「若き数学者のアメリカ」でした。
1970年代。
その年を自分に換算して眺めてみます。
著者が感じたアメリカを、私は(ハワイしか知らんけど)どうとらえているだろう?

お金・富・能天気・自分勝手・狭い視野、そして、高(公)言する世界の警察…は化けの皮がはげ始めている(笑)

ただ、複雑な、でも永遠に癒されない痛みをもった国だなァ…と、ちょっとだけ、同情する気になりました。(同情といったら怒るんだろうなぁ、また)(笑)

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