しばらく前に買って、ぱらぱら読みして忘れていたのだった……
いかんなぁ。
最近、本当に忘れっぽいぞ。

意識していなかったけれど、司馬遼太郎って、作家らしからぬ文書を書く作家だったそうな。

そうなのか〜。
私は司馬氏の小説は、好き嫌いがとってもはっきりしているので、そこまで悟ることが出来ないでいる。
まだ。

でも「坂の上の雲」は、私の最高に好きな小説。
多分、私が一番好きな司馬作品だ。
だからこういう本にも簡単に引っかかるんである(笑)

「燃えよ剣」(新撰組譚)も好きだったが、これはどっちかといえば、テレビドラマのイメージと影響が強い。
苦みばしった土方(栗塚旭)が格好よかったなぁ〜。
安浦刑事の上司が、まさか沖田クンをやっていたとは今の若者はなかなか信じられないのではないだろうか?(愚妹はなかなか信じようとはしなかった)(笑)
さわやかな〜え〜笑顔やったなぁ〜。

ソレは兎も角。
「坂の上の雲」は私だけでなく、愛読者の層も広く数も多い。
そしてとても印象深い。
何度も読み返し、瞑目してそのシーンを思い描き、脳裏に刻み付ける、というか勝手に刻みつく(笑)ぐらい、好きな小説だ。
まあまず、数年後に筋を忘れて同じ本を買い込み、既視観に襲われつつ読む、という小説とは違う。

明治は、単純だったから。
人も国も国を愛する感情も。
だから良かった。
ノーテンキに、自分も周囲も愛せたから。

アイデンティティ。
という言葉を、司馬氏は「お里」と捕らえたのだそうだ。(とこの著者は述べるのである)
「お里が知れる」
のあのお里である。
この発想はすごいと思った。
とっても気に入った。

だいたい、お里というのは、決して…つうか絶対、良い意味では使われない言葉である。
普通は、くすくす笑いとともに口にされる侮辱の言葉だ。(よね?)
それを、いい意味でしか使われたことのない(と私は理解するのだが)"アイデンティティ"とイコールで結ぶとは…。

ノーテンキな(笑)時代は、アイデンティティは、すなわち、お里であり、郷里であり、国である。
すなわち、国を愛することによって、自分が生まれた土地を場所を周囲を自然を環境を愛することによって、初めて生み出されるものがアイデンティティなのだと。

今でも日本以外の外国はアイデンティティをしっかともっている…ような気がする。
自信をもっている。
日本人は自信をもてない。
それは、アイデンティティをもてないから?
生まれた土地を国を人を愛せないから?

確かに。
愛国、と言う言葉に含まれる意味が、ず〜いぶん毒素となって私たちのDNAに沁み込んでいるから、これを搾り出すのはとっても大変そうだ。

国を愛せよとか、愛国心という言葉ばかり一人歩きしている昨今のこの国の状況も気になる。
本当に日本の人と国の行く末を苦慮する人の言葉までが、なんだか歪められて行きそうな不安も感じなくはない。
(くら〜い過去と事例が山ほどあるからね。いちいちそれに比べてしまうのだ。)

人も国も、複雑なんである、日本は。

「坂の上の雲」は小説らしからぬ小説なんだそうだ。
これを面白いと思うのは、歴史好きの人たちが、当時の庶民に視点を変えて、世の、日本の世の激しく動き移ってゆこうとするそのときを体感できると思うからかもしれない。
日露戦争が避けられないと思ったとき、我々の心も震える。
恐怖で。
未来の暗さゆえに。

暗澹たる進捗の戦いには投げやりな気持ちにもなる。
もう止めてしまいたい、放り投げてしまいたいと暗い気持ちで祈りもする。
どうやらこれは、他人様の話ではない。

その、歴史を眺めるのではなく、一緒に歩いてゆくような気分が、この小説に魅かれる大きな理由かもしれない。

ISBN:4163680004 単行本 関川 夏央 文藝春秋 2006/03 ¥1,800

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