マレー蘭印紀行

2006年5月7日 読書
実は表紙は違うが、レビューの出るほうで。

金子光晴といえば、詩人で有名だが、その詩集を私は読んだことがない。
もともと詩は苦手である。

彼が昭和初年に、夫人・森三千代を伴ってパリへの旅へ出た。
その途中(当時のこととで、旅は時間wかけての船旅になる)、東南アジアの諸国を訪れ、そこで見聞きしたことをなんとも言われぬ幻想とそら恐ろしい悪夢がない混じったような描写で綴る。

今でいうところのエッセイ〜旅行記になるのだろうか。
それにしてはあまりにも、幻想的過ぎる。
まるでこの世のものではない。

私の狭量な体験からでは、20年以上前の中国大陸の、宜昌という町の夜、ちいさな電球だけに光を頼るその町の、あたかもロウで出来た人形のように動かぬ老人たちの、その光景を思い出させる。

昭和初年のこととで、日本の大陸進出は明白であり、東南アジアに早くから進出していた華僑には嫌悪の目をもって迎えられている。
ただ、旅行者である日本人に対する憎悪は感じられない。
だが、ゴム園や鉱山を経営する日本人にとってはどうだろう。
その記述は見当たらない。

そして金子氏は、華僑のことを"締め殺しの樹"と呼称される南方樹にたとえもする。

南方に(大手企業の)会社員として、または冒険者、一角千金を狙って進出した日本人は、やがて密林の猛獣や川に潜む鰐などによって姿を消し、その行方に気を払うものとていない。
遠い日本から売られてきた女たちもまたしかり。
そこに戦争の影がいやます。

ここは人が消えても不思議ではない土地。
誰が消えても気にしない土地。

黄色いランタンに蝙蝠が飛び、天を指す棕櫚の間から大蛇が落ちる。
すべてが夢(しかも悪夢)のような出来事が、じっとりと汗ばむそのけだるさの中で起こる。

……当時の旅行、当時の生活のならいとして、こんなことは別に特筆すべきことではないのだろう。
だけれども、当時の人は「丈夫だった」と溜息をつくしかない。
今の私であれば、否、衛生観念というお題目のもと、すっかり抵抗力を失ってしまった若い日本人であれば、10日ともつまい。(これには自信がある)

この瘴気溢れる悪夢のような地へ、はるか欧羅巴から、中国大陸から、そして極東の日本島から、人は争うようにやってきた。
そして悪夢を手に入れる代わりに命を削っていく。

猛獣や大蛇と命のやり取りをする。
そして、時には勝ち誇る。

そこには、いったい、どんな、真実が、あるのだろうか。

今現在、東南アジアはリゾートの地。
そういわれるまで、この地はどれだけの犠牲をはらったことだろう。

その中で、ジャワの珊瑚島に関する記述だけが、砂漠での清涼水のように降り注ぐ。
美しいさんご礁。
恐ろしい鮫も、獰猛な鰐も、飢えた猛獣も大蛇もいない。
だが、人もいない。
そそくさとやってきて、そそくさと逃げてゆく。
人も住めない。
清涼すぎて。
否。
住むべき場所ではないのだろう。
でなければ、命を終えた時に、行くべき場所がなくなるのではないか。
それが恐ろしい。

この紀行文に彼の詩は存在しない。
彼の言葉が、熱病に浮かされた悪夢が、あるだけだ。

ISBN:4122044480 文庫 金子 光晴 中央公論新社 2004/11 ¥680

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