台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい
2006年4月7日 読書
ちょっと毛色の変った本を読んでいる。
今まではこの手の本は読まなかったのだが…。
さて。
なんの心境の変化かや?
あるがまま、描かれたがままの、その姿を、素直に受け取ることを念頭に置きながら読む。
そんなことを考えつつページを繰れば、台湾の、戦前・戦後の在り様を、ひとりの台湾人が淡々と語る本だった。
1945年の第二次世界大戦の終結。
その後、台湾は日本の支配を脱し、当時中国大陸を統治していた(といえるのか?)中華民国の支配下に入る。
そしてそれからが、台湾の、40年にわたる辛い日々が始まる。
……日本人は知らないだろう。
蒋介石をトップとする"外省人"が、(厳密には高砂族などの本来の原住民を除いているようなニュアンスもあるが)現地人である"本省人"に対し、どんな仕打ちを続けたか。
知らなかった。
本当に。
申し訳ないぐらい、何も知らなかった。
1947年の「2・28事件」
蒋介石率いる国民党を中心とする外省人に対し、我慢の限界を越えてしまった本省人がストをおこし、やがて暴動へと発展する。
それに対し懐柔策を打ち出したように見せかけた国民党は大陸から軍隊を呼び寄せ、無差別の殺戮を繰り広げた。
そして、"考える頭"があるから抵抗をするのだという、どこの軍事独裁政治でも考える短絡的思考にのっとって、知識層(医師・弁護士・学者・教師)を片っ端から無実の罪で逮捕し処刑したのだという。
しかもその処刑の方法が…中国って、昔からそっち方面は悪名高いですからね…。
被害者の数は3万人とも5万人とも言われている、という。
そんな事実、知ってました?
私は…そこそこいい年をして、なにを勉強してきたのか、なにを見聞きしてきたのかと、本当に情けなくなった。
日本人は知らない。
著者である蔡 焜燦氏はそう語る。
であると。
犬は煩いが、守ってくれる、さて、豚は……?
ちなみに、台湾では文章(漢字)を横書きで描くときは、日本のように左⇒右ではない。
右⇒左である。
その理由というのがふるっている。
この暗黒時代、蒋介石は自分たちを追い出した大陸(中華人民共和国)の共産党を憎んだ。
その憎しみのゆえに、字を「左から」書くなんてケシカラン!と嫌った。
言うまでもなく、共産党=左翼である。
かくして横書き文字は右から始まる……と、いうわけである。
人の命が懸かっていなければ、笑い話程度の低レベルの話なのだが。
ところで、その蔡氏であるが。
彼の祖国である台湾は、戦前・戦中は日本の一部であった。
「決して、よく言われるような、植民地ではなかった」
と彼は言う。
同じように教育を受け、同じように出兵をした。
勿論、金持ちと貧乏人では教育のレベルにも差はあったが、
「それは日本人同士でもあったこと」
もっとも差別が皆無なわけはない。
仕事の俸給に、台湾人と日本人の格差があったことが差別である。
だが。
帝国主義で収奪することしか考えなかった西洋列強の支配とは違う。
日本の支配はそうではなかった。(と、例をさまざま挙げて語っている)
だから、台湾の人々(今では随分お年寄りであるが)は日本人を、日本を、日本語を懐かしむのだと。
彼は若くして日本本土へ渡り、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊している。
そこで終戦を迎え、日本人のように不安を抱き、同時に独立して国となる台湾に希望を感じてもいる。
その中で、日本人に対し、あまりにも酷い真似をする朝鮮人を見、その心のあり方が、自分たち台湾人とはかけ離れたものであることを感じてもいる。
儒教思想が厳しく受け継がれた中国や朝鮮では、そうなってしまうのかもしれない。
日本や台湾のような島嶼だからこそ、自分の器に合った、変化と発展を遂げることができるのだろう。
……このくだりを読んでいて、私の父が言っていた事を思い出した。
父は歴史が大好きで、特に中国史が大好きで、NHKのシルクロードや漢詩の旅などを食い入るように見ていた人だった。
少年のころに戦争体験をしている父である。
だが、中国や台湾については、その想いは自分のなかで消化されている観があった。
その父が、なぜか、朝鮮だけは嫌っていたのだ。
「許せない」
と呟いた事もある。
理由はいわなかった。私たちも聞かなかった。
だが、戦後直後、まだ少年だった父が見聞きし体験した何かが、そのご数十年の人生のすべてを決めてしまったらしい。
どちらが、だれが、どうだ、というのではなく、人の気持ちをそこまで歪めてしまう不幸を、私は繰り返したくはない。
蒋介石の跡を継いだ蒋経国は、その人生の終盤近くになった1987年に"私は外省人ではなく台湾人だ"といった。
台湾に光が差し始めた、ようやく新しい国づくりが始まった、まさしくそのときであろう。
たとえそれが"外圧"によるものであったとしても。(外圧の正体はR・レーガン大統領…こんなところまで日本に似ているのか)
その遺体を収めた棺を宙に浮かせ、あくまでも台湾の土に戻ることを拒んだ(=大陸に帰ることを願った)蒋介石の独裁政治が始まってから40年がたっていた。
蒋経国の死後、後を継いだ李登輝が、台湾人としての初の総統なのである。
もうひとつは、この本の題名(副題)に関係がある話だ。
蔡氏は言う。
日本人は自分を責めすぎる。
謝りすぎる。
我々は、日本の一部として戦争に行き、多くのものを失ったが、それは"日本人"として、ほかの"日本人と同じ"だったというだけのこと。
日本人はたくさんの遺産を台湾に残してくれた。
教育も文化も文明も。
大陸からわたってきた国民党が、そのすべてを数十年前のレベルに戻してしまうほど、台湾は進んでいた。
日本がそこまでレベルを上げたのだ。
だから、胸を張れ、と。(決して、居直れ、といっているのではなく)
"日本人は統治をする"
"中国共産党は人民を食わせる"
"国民党は収奪する"
その言葉が、歴史のすべてを示すのだ。
そういわれると、なんといっていいのか、返す言葉がない(言われなれてないから)(笑)のだけれど、それでもこれからは、台湾を旅行したときに年配の方が日本語で話しかけてくることへの申し訳なさやわだかまりはもう感じずに、旅行できるのが嬉しい。
そして、ありがとうと、謝罪ではなく、お礼の言葉を述べられることに大きな感謝をしたい。
そして、蔡氏との因縁も深い、今は亡き司馬遼太郎氏。
(取材以外の付き合いもあったようだ)
彼の「台湾紀行」はもう一度じっくりと読まねばなるまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは私の僻み以外のなにものでもないのだが。
先だって、「無極」という映画を見に行った。
主演は3人の男性+ヒロイン。
誰がヒロインの愛を勝ち取るか、という話で、日本・韓国・中国ので男優が出演していた。
日本からは真田広之が、"大将軍"という、名誉も地位もなにもかも手に入れた御大役で登場。
最初は上手くいっていたようなんだが…?
大将軍の地位から最期は囚人にまで堕ちる。
韓国からは、チョ・ドン・ファン(切るところがわかりません)一人の人間としてすら認められない身分でありながら、その純情一途さがポイント高し!自分を犠牲にしてもヒロインを守ろうとする健気さと若さと未来性を内含している。
中国からは、ニコラス・ツェー。二枚目で気障でナイーブで仇役。だけどその実、心は少年のまま(だから、わがままで自分本位で始末が悪いのだが)。
とまあこの設定を見て、いろいろいろいろ深読みをしてしまったのだった。
もしかして、日本はもう斜陽だといいたい?
かつてはたいしたもんだったけど、と?
完成された華麗さ・美の中心、つまり文化的には中国がトップだと?
でもって、これからの韓国?
う〜ん。
考えすぎだろうなぁ…いくらなんでも、とは思うのだけど。
ねぇ?
深読みする原因もそれなりに多くてこまるよ……
ISBN:4094024166 文庫 蔡 焜燦 小学館 2001/08 ¥650
今まではこの手の本は読まなかったのだが…。
さて。
なんの心境の変化かや?
あるがまま、描かれたがままの、その姿を、素直に受け取ることを念頭に置きながら読む。
そんなことを考えつつページを繰れば、台湾の、戦前・戦後の在り様を、ひとりの台湾人が淡々と語る本だった。
1945年の第二次世界大戦の終結。
その後、台湾は日本の支配を脱し、当時中国大陸を統治していた(といえるのか?)中華民国の支配下に入る。
そしてそれからが、台湾の、40年にわたる辛い日々が始まる。
……日本人は知らないだろう。
蒋介石をトップとする"外省人"が、(厳密には高砂族などの本来の原住民を除いているようなニュアンスもあるが)現地人である"本省人"に対し、どんな仕打ちを続けたか。
知らなかった。
本当に。
申し訳ないぐらい、何も知らなかった。
1947年の「2・28事件」
蒋介石率いる国民党を中心とする外省人に対し、我慢の限界を越えてしまった本省人がストをおこし、やがて暴動へと発展する。
それに対し懐柔策を打ち出したように見せかけた国民党は大陸から軍隊を呼び寄せ、無差別の殺戮を繰り広げた。
そして、"考える頭"があるから抵抗をするのだという、どこの軍事独裁政治でも考える短絡的思考にのっとって、知識層(医師・弁護士・学者・教師)を片っ端から無実の罪で逮捕し処刑したのだという。
しかもその処刑の方法が…中国って、昔からそっち方面は悪名高いですからね…。
被害者の数は3万人とも5万人とも言われている、という。
そんな事実、知ってました?
私は…そこそこいい年をして、なにを勉強してきたのか、なにを見聞きしてきたのかと、本当に情けなくなった。
日本人は知らない。
著者である蔡 焜燦氏はそう語る。
犬(日本人)が去って、豚(中国人)来たり
であると。
犬は煩いが、守ってくれる、さて、豚は……?
ちなみに、台湾では文章(漢字)を横書きで描くときは、日本のように左⇒右ではない。
右⇒左である。
その理由というのがふるっている。
この暗黒時代、蒋介石は自分たちを追い出した大陸(中華人民共和国)の共産党を憎んだ。
その憎しみのゆえに、字を「左から」書くなんてケシカラン!と嫌った。
言うまでもなく、共産党=左翼である。
かくして横書き文字は右から始まる……と、いうわけである。
人の命が懸かっていなければ、笑い話程度の低レベルの話なのだが。
ところで、その蔡氏であるが。
彼の祖国である台湾は、戦前・戦中は日本の一部であった。
「決して、よく言われるような、植民地ではなかった」
と彼は言う。
同じように教育を受け、同じように出兵をした。
勿論、金持ちと貧乏人では教育のレベルにも差はあったが、
「それは日本人同士でもあったこと」
もっとも差別が皆無なわけはない。
仕事の俸給に、台湾人と日本人の格差があったことが差別である。
だが。
帝国主義で収奪することしか考えなかった西洋列強の支配とは違う。
日本の支配はそうではなかった。(と、例をさまざま挙げて語っている)
だから、台湾の人々(今では随分お年寄りであるが)は日本人を、日本を、日本語を懐かしむのだと。
彼は若くして日本本土へ渡り、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊している。
そこで終戦を迎え、日本人のように不安を抱き、同時に独立して国となる台湾に希望を感じてもいる。
その中で、日本人に対し、あまりにも酷い真似をする朝鮮人を見、その心のあり方が、自分たち台湾人とはかけ離れたものであることを感じてもいる。
儒教思想が厳しく受け継がれた中国や朝鮮では、そうなってしまうのかもしれない。
日本や台湾のような島嶼だからこそ、自分の器に合った、変化と発展を遂げることができるのだろう。
……このくだりを読んでいて、私の父が言っていた事を思い出した。
父は歴史が大好きで、特に中国史が大好きで、NHKのシルクロードや漢詩の旅などを食い入るように見ていた人だった。
少年のころに戦争体験をしている父である。
だが、中国や台湾については、その想いは自分のなかで消化されている観があった。
その父が、なぜか、朝鮮だけは嫌っていたのだ。
「許せない」
と呟いた事もある。
理由はいわなかった。私たちも聞かなかった。
だが、戦後直後、まだ少年だった父が見聞きし体験した何かが、そのご数十年の人生のすべてを決めてしまったらしい。
どちらが、だれが、どうだ、というのではなく、人の気持ちをそこまで歪めてしまう不幸を、私は繰り返したくはない。
蒋介石の跡を継いだ蒋経国は、その人生の終盤近くになった1987年に"私は外省人ではなく台湾人だ"といった。
台湾に光が差し始めた、ようやく新しい国づくりが始まった、まさしくそのときであろう。
たとえそれが"外圧"によるものであったとしても。(外圧の正体はR・レーガン大統領…こんなところまで日本に似ているのか)
その遺体を収めた棺を宙に浮かせ、あくまでも台湾の土に戻ることを拒んだ(=大陸に帰ることを願った)蒋介石の独裁政治が始まってから40年がたっていた。
蒋経国の死後、後を継いだ李登輝が、台湾人としての初の総統なのである。
もうひとつは、この本の題名(副題)に関係がある話だ。
蔡氏は言う。
日本人は自分を責めすぎる。
謝りすぎる。
我々は、日本の一部として戦争に行き、多くのものを失ったが、それは"日本人"として、ほかの"日本人と同じ"だったというだけのこと。
日本人はたくさんの遺産を台湾に残してくれた。
教育も文化も文明も。
大陸からわたってきた国民党が、そのすべてを数十年前のレベルに戻してしまうほど、台湾は進んでいた。
日本がそこまでレベルを上げたのだ。
だから、胸を張れ、と。(決して、居直れ、といっているのではなく)
"日本人は統治をする"
"中国共産党は人民を食わせる"
"国民党は収奪する"
その言葉が、歴史のすべてを示すのだ。
そういわれると、なんといっていいのか、返す言葉がない(言われなれてないから)(笑)のだけれど、それでもこれからは、台湾を旅行したときに年配の方が日本語で話しかけてくることへの申し訳なさやわだかまりはもう感じずに、旅行できるのが嬉しい。
そして、ありがとうと、謝罪ではなく、お礼の言葉を述べられることに大きな感謝をしたい。
そして、蔡氏との因縁も深い、今は亡き司馬遼太郎氏。
(取材以外の付き合いもあったようだ)
彼の「台湾紀行」はもう一度じっくりと読まねばなるまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは私の僻み以外のなにものでもないのだが。
先だって、「無極」という映画を見に行った。
主演は3人の男性+ヒロイン。
誰がヒロインの愛を勝ち取るか、という話で、日本・韓国・中国ので男優が出演していた。
日本からは真田広之が、"大将軍"という、名誉も地位もなにもかも手に入れた御大役で登場。
最初は上手くいっていたようなんだが…?
大将軍の地位から最期は囚人にまで堕ちる。
韓国からは、チョ・ドン・ファン(切るところがわかりません)一人の人間としてすら認められない身分でありながら、その純情一途さがポイント高し!自分を犠牲にしてもヒロインを守ろうとする健気さと若さと未来性を内含している。
中国からは、ニコラス・ツェー。二枚目で気障でナイーブで仇役。だけどその実、心は少年のまま(だから、わがままで自分本位で始末が悪いのだが)。
とまあこの設定を見て、いろいろいろいろ深読みをしてしまったのだった。
もしかして、日本はもう斜陽だといいたい?
かつてはたいしたもんだったけど、と?
完成された華麗さ・美の中心、つまり文化的には中国がトップだと?
でもって、これからの韓国?
う〜ん。
考えすぎだろうなぁ…いくらなんでも、とは思うのだけど。
ねぇ?
深読みする原因もそれなりに多くてこまるよ……
ISBN:4094024166 文庫 蔡 焜燦 小学館 2001/08 ¥650
コメント