この人の文章は、とっても読み易い。
そして分かり易い。
読みやすくて分かり易いから、読む人が多い。
自明の理である。
前半は日本について。
「国家の品格」にあったように、日本(人)を立て直すために、国語を重視しなおせという話。
そして後半は、がらりと変わって、短編のエッセイ。これがまた面白いのなんのって…。
短編でも、短くても、ここまできちんと意思を、意図を伝えることが出来るんだなァと感心し学ぶことが多かった。
話の落としどころもグー!
さて。
「国家の品格」でも書かれていた様に、今の日本人は、日本は、ひたすら崩壊への道をひた走っていると解く。
たしかに、いちいちその通りだと読者である私は頷く。
それもこれも、ゆとり教育だとか、経済さえ盛り上がればいいんだとか、思い違いもはなはだしいへ理屈が大手を振ってまかり通るようになってからのことなのだと。
国民が、自国の言葉をまともに使えず、知らずして、どうして国が保てようか。
国民が、自国を愛することを他国にはばかって、どうして国が保てようか。
愛国心とは、戦前・戦中の暴挙を推し進めた物欲や「他国を蹂躙しても自国が栄えればいいという考え方」だけを指すのではない。
自分の生まれた国を、祖国を、その自然を環境を暮らしを芸術を文学を歴史を、そして自分の住む町や友人や家族を愛するということ。
祖国愛と著者が呼ぶものもあるのだ。
国際大会で、日本のためにがんばると素直に言い切れない何か、自然に感情の吐露できないなにか、もやもやした化けものを私たちは背負っている。
それは私も重々承知していることだ。
だけれど、それは決して言ってはならないものではないのだと。
ならば、我々はなにも肩身を狭くする必要はないのじゃないか。
早々と「日本を愛する」と「日本の為にがんばる」といっていいはずだ。
だが…今、現実にそれがいえるか?
企業家もマスコミも。
政治家ですらいえないだろう。
そういえなくしている。
そういえなくしてしまった。
経済競争にのみ走っていた日本という国は、なにかを履き違えたままここまで来てしまったようなのである。
嗚呼成る程、と頷くばかりで続くページはそう多くはない。
多くはないのに、心の奥底の、なにやらもやもやした化け物を振り飛ばしていく。
それは非常に心地好いものだ。
強力なお祓いをしてもらった気がする…わずか数百円で(文庫だから)
なにが、とはいえないぐらい、いちいち最もなるほどと頷く箇所が多すぎて、列挙して並べることが出来ないほど、この本はいろんな矢印を示している。
何はともあれ、日本字はITだの英語教育だのに力を入れすぎて、肝心の"国語"をないがしろにしている。
その時間はどうやって作り出しているのか?
子供のいない我が家では、そこまで想像力が働かなかった。
それもまた恥ずかしいことだが。
小学生がパソコンを習い英語を習う為に、国語や算数などのただでさえその学力低下が懸念される教科が、ますます時間を減らされている。
円周率を3.14から3に変えた(許容した)と聞いたときは、流石にわが耳を疑ったけど、あれ以上の悪事を働こうというのか。
これではまともな日本人は育たないだろう…教育者ではない私だって容易に想像が付くことだ。
なのにどうして日本の子供たちの教育に権限を持つ方々がそのことに気がつかないのか。
国語の時間が減らされることに不安を覚えた筆者に、教育者はこう言ったという。
「大丈夫、ほかの教科は”日本語で”教えますから。」
…って本気か?本気で言ってるのか?といいたくならないか?
『冷戦時代は日本が戦勝国だった。(経済の軌跡の発展んことを言っているようだ)
だが、冷戦後は日本を戦勝国にしてはならない。21世紀までに叩き潰せ。』
そんな意図の下、長い年月をかけてシュミレーションをし、実行し、その結果、まさしくそれは現実のものとなった。
(それだけ日本がへたれだったってことだが)
さて?
どこの国の話でしょう?
おえらい政治家の皆様、こーゆーことも、ちゃんとわかってやってるはずだよね?
この人の本、ちょっと集めて読んでみようかな…?
お祓いに(笑)
ISBN:4101248087 文庫 藤原 正彦 新潮社 2005/12 ¥420
そして分かり易い。
読みやすくて分かり易いから、読む人が多い。
自明の理である。
前半は日本について。
「国家の品格」にあったように、日本(人)を立て直すために、国語を重視しなおせという話。
そして後半は、がらりと変わって、短編のエッセイ。これがまた面白いのなんのって…。
短編でも、短くても、ここまできちんと意思を、意図を伝えることが出来るんだなァと感心し学ぶことが多かった。
話の落としどころもグー!
さて。
「国家の品格」でも書かれていた様に、今の日本人は、日本は、ひたすら崩壊への道をひた走っていると解く。
たしかに、いちいちその通りだと読者である私は頷く。
それもこれも、ゆとり教育だとか、経済さえ盛り上がればいいんだとか、思い違いもはなはだしいへ理屈が大手を振ってまかり通るようになってからのことなのだと。
国民が、自国の言葉をまともに使えず、知らずして、どうして国が保てようか。
国民が、自国を愛することを他国にはばかって、どうして国が保てようか。
愛国心とは、戦前・戦中の暴挙を推し進めた物欲や「他国を蹂躙しても自国が栄えればいいという考え方」だけを指すのではない。
自分の生まれた国を、祖国を、その自然を環境を暮らしを芸術を文学を歴史を、そして自分の住む町や友人や家族を愛するということ。
祖国愛と著者が呼ぶものもあるのだ。
国際大会で、日本のためにがんばると素直に言い切れない何か、自然に感情の吐露できないなにか、もやもやした化けものを私たちは背負っている。
それは私も重々承知していることだ。
だけれど、それは決して言ってはならないものではないのだと。
ならば、我々はなにも肩身を狭くする必要はないのじゃないか。
早々と「日本を愛する」と「日本の為にがんばる」といっていいはずだ。
だが…今、現実にそれがいえるか?
企業家もマスコミも。
政治家ですらいえないだろう。
そういえなくしている。
そういえなくしてしまった。
経済競争にのみ走っていた日本という国は、なにかを履き違えたままここまで来てしまったようなのである。
嗚呼成る程、と頷くばかりで続くページはそう多くはない。
多くはないのに、心の奥底の、なにやらもやもやした化け物を振り飛ばしていく。
それは非常に心地好いものだ。
強力なお祓いをしてもらった気がする…わずか数百円で(文庫だから)
なにが、とはいえないぐらい、いちいち最もなるほどと頷く箇所が多すぎて、列挙して並べることが出来ないほど、この本はいろんな矢印を示している。
何はともあれ、日本字はITだの英語教育だのに力を入れすぎて、肝心の"国語"をないがしろにしている。
その時間はどうやって作り出しているのか?
子供のいない我が家では、そこまで想像力が働かなかった。
それもまた恥ずかしいことだが。
小学生がパソコンを習い英語を習う為に、国語や算数などのただでさえその学力低下が懸念される教科が、ますます時間を減らされている。
円周率を3.14から3に変えた(許容した)と聞いたときは、流石にわが耳を疑ったけど、あれ以上の悪事を働こうというのか。
これではまともな日本人は育たないだろう…教育者ではない私だって容易に想像が付くことだ。
なのにどうして日本の子供たちの教育に権限を持つ方々がそのことに気がつかないのか。
国語の時間が減らされることに不安を覚えた筆者に、教育者はこう言ったという。
「大丈夫、ほかの教科は”日本語で”教えますから。」
…って本気か?本気で言ってるのか?といいたくならないか?
『冷戦時代は日本が戦勝国だった。(経済の軌跡の発展んことを言っているようだ)
だが、冷戦後は日本を戦勝国にしてはならない。21世紀までに叩き潰せ。』
そんな意図の下、長い年月をかけてシュミレーションをし、実行し、その結果、まさしくそれは現実のものとなった。
(それだけ日本がへたれだったってことだが)
さて?
どこの国の話でしょう?
おえらい政治家の皆様、こーゆーことも、ちゃんとわかってやってるはずだよね?
この人の本、ちょっと集めて読んでみようかな…?
お祓いに(笑)
ISBN:4101248087 文庫 藤原 正彦 新潮社 2005/12 ¥420
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